記事一覧

FINAL FANTASY 4

カイン受。エジカイがイチオシです。
 
 
宵待草 [20080529]
 ゴルカイ。「試練の山より愛をこめて!」投稿作品。暗くて激短。竹久夢二の同名詩から。

おでかけしましょ [20090208]
 セシルとカイン。DFF設定でED後。TA無視の健全話。
 
 
『シリアス』についてのお題  お題提供:無限のム
1話完結でゴル兄さんとカイン。

さよならと言えなかった人がいた [20080330]
 ゴル←カイン。ED後のカイン。

最後の言葉は聴いてあげない [20080330]
 ゴル→カイン。ED後のゴル兄さん。さよならと~と対。

まるで私は小さな子どものようでした [20080407]
 ゴルカイ。こーゆー始まり方もアリ、かなぁと。
 
 
選択式御題から5題  お題提供:一文御題
エジカイで連作。1話ごとに無駄に長くなっていきます(汗)
 
あぁもう。全て忘れて眠ってしまいたい。 [20080330]
 エジカイの基本はラブコメだと思う(笑)目撃!ドキュン編

好きなんだよ!たぶん!心臓バクバクしすぎて俺にもよくわかんねーけど! [20080401]
 ラブコメのお約束(?) 寝惚けてチュー編

好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎! [20080412]
 ラブコメのお約束(?) 成り行きと勢いで告白編

面と向かい合って、二人きり。後は口を開くだけ。 [20080505]
 ラブコメのお約束(?) 周囲の生暖かい応援編

何言ってるの?お前も俺の事好きでしょ。 [20090505]
 ラブコメのお約束(?) 決めるトコは決めるぜ編 本当に無駄に長いです…。



DISSIDIA FINAL FANTASY

獅子総受け思考。なんだかんだで兵士獅子がメインになってきました。
 
我が家のDFF設定
 
 
あなたについておもうこと [20090208]
 コスモスメンバーに仲間についてインタビューしてみました。
 
傘がない [20090208]
 兵士獅子 というかクララ→スー
 
今は小さな僕の手だけど [20090212]
 少年+獅子 スーのガンブレに興味津々なネギ
 
無自覚な愛を君に。 [20090221]
 勇者→獅子 全く以って自覚のないライトさんの告白 こんなこと言われたら惚れてまうやろー!(笑)
 
若く青い日々 [20090308]
 兵士獅子 頑張れワカゾー!的クラスコ初めて物語。
 
異文化交流ノススメ [20090413]
 コスモスALL 魔導船100戦ミッションクリア記念リク 掛け算要素がほぼなくなりました…orz
 
Go WEST [20090518]
 盗賊獅子 中華(?)パロ pixivで見た美麗絵に萌えまくって書いちゃいました(汗)
 
大人の事情と子供の事情 [20090601]
 幻想獅子 父性に飢えてるスーと息子と同い年の男の子に本気になりそうで内心悩む親父(笑)
 
いつか野に咲く花になる日まで [20090614]
 義士←獅子 スーの片想いモノローグ。纏まりないです。意味不明だ…orz
 
spineus cunae [20090628]
 魔女獅子 ミッションコンプ記念フリリクの1シーンSSです。これでアルスコって言えるんだろうか(汗)
 
無自覚な爆弾 [20090705]
 勇者獅子 ミッションコンプ記念リクSSです。「無自覚な愛を君に」の続きな感じ。
 
白く染まる熱 [20091123]
 勇者獅子 日記に載せた短文。文字通りヤマなしイミなしオチなし、です。
 
Last Christmas [20091224]
 義士獅子 Xmas×Squall投稿作品。イチャラブを目指したつもり…。
 
READY GO!! [20101225]
 盗賊+獅子 フリリク「ジタン&スコールのイミテーション討伐共同戦線」
 
Geranium [20101225]
 義士獅子 フリリク「フリオニール×スコール 軍パロ設定でシリアス・ラブラブ」
 
Darlin' Darlin' [20101225]
 兵士獅子 フリリク「見てるこっちが恥ずかしくなるくらいのクラスコ」
 
Timing [20101225]
 兵士獅子 フリリク「『若く青い日々』の成立までのお話」
 
Winter has come! [20101225]
 兵士獅子 フリリク「楽しいゲレンデ生活」
 
Priority [20101225]
 盗賊獅子 フリリク「9→8で、9が8のことを気になり出したきっかけのお話」
 
healing time [20101225]
 獅子+少女 フリリク「仲良し、ほのぼのなティナとスコ、そしてそんな二人を眺めるその他の人たち」
 
HEAT [20101225]
 兵士獅子 フリリク「クラウド×スコールで、夏の夜のお話」
 
 
 
魔女っ子理論シリーズ
 捏造過多のED後話
 
魔女っ子理論 [20090627-20100220]
 コスモスALL+α 日記にて連載した長編粗筋(笑)詳しい注意書きは中にあります。
 
0214 [20120214]
 スー+クララ+α 魔女っ子理論の1年後。そこはかとなくクラティ+スコリノ
 
その日に感謝と祝福を [20120823]
 クラスコ 魔女っ子から数十~百年後。短いですがスーはぴば!でも魔女っ子設定なので薄暗い…。
 
 
 
それはもう引き返せない渦 [20090321-]
 兵士獅子で英雄獅子要素ありのシリアス連載(?) スーもクララも乙女思考(笑)
 
[20090321]
 英雄獅子 ただヤッテルだけ(汗)そのわりにあんまりエロくない…orz
 
2 [20090427]
 兵士+英雄 スーもいますが気絶したままなので(汗)
 
 
 
汝の日常を愛せよ
 今の所CP色ナシの現代パロ
 
風呂上がりに1杯のビール [20090811]
 兵士+獅子 クララ誕生日おめでとー!SS
 
他人の不幸は時と場所を選ばない [20090823]
 獅子+兵士 スー誕生日おめでとー!…の割りに不憫な待遇でゴメン(笑)
 
本来年末年始ってのは厳かに迎えるものなんだ [20091231]
 獅子+勇者 大晦日と言ったら除夜の鐘。なんてことはない年越しSS
 
七夕に晴れてることなんてまずない [20110707]
 17歳s 期末試験前の1コマ。17歳sと言ってもスーは名前だけ。
 
祭りの本番はあっという間 [20091101]
 013コスモスALL 同人誌からの再録。学園祭ネタ。書きたかったのはライトとスーの遣り取り(笑)

その日に感謝と祝福を

 
 
 
 
 
 朝、いつものように目覚めたスコールは、いつものように顔を洗い、着替え、コーヒーメーカーをセットする。起き抜けに食べられないのはスコールだけでなく、同居人たるクラウドも一緒で、だからまずはゆっくりコーヒーを飲むのが長年の習慣だ。どちらも目覚めのいいタイプではないが、クラウドがベッドから起き上がるのに時間を要するタイプなのに対して、スコールはとりあえず起きるものの暫くは思考が鈍るタイプだ。だからコーヒーメーカーをセットするのは大抵の場合スコールで、今日もその例に漏れなかった。
季節は夏で、既に高い位置に昇った太陽の光が容赦なく部屋の中まで入ってくる。カーテンを引いて少しだけ光を遮ると、キッチンの棚から自分とクラウドのものと、2つのコーヒーカップを手に取る。それは、今やほぼ無意識で行っていると言ってもいい程、スコールの中で何の変哲もない、いつも通りの動きであり、いつも通りの時間だった。
 そんな、いつもと何1つ変わらないはずの時間が変わったのは、スコールがカップにコーヒーを注ぎ終えた時だ。
いつものように起きだしてきたクラウドの気配は背後に感じていた。いつもならば朝の挨拶と共に伸びてきた手がコーヒーが注がれた自分のカップを取っていく。だから今日もそのつもりでいたスコールの背に、ふわりと低い体温が重なった。
「…ありがとう」
後ろから抱きしめてきたクラウドの声が告げたのは、感謝の言葉。そのあとぎゅっと抱きしめられて、スコールはああ、と壁に掛けられたカレンダーを見遣る。
 そうだ、今日は8月23日だった。
ほんの2週間ほど前には、今と逆の立場でスコールもクラウドに感謝の言葉を告げたのに、今日になったら日付のことなどすっかり頭から抜け落ちていた。
 8月23日。それは遠い遠い昔、自分が生まれた日。
クラウドにとっても、スコールにとっても、自分の誕生日などというものは、決して嬉しいものではないし、できれば意識したくないものだった。迎えたその日が何度目の誕生日なのか、それを考えることは、世界の時の流れから隔絶されてしまった自分を改めて認識することに他ならない。
それならば、その日を普段と変わらない1日として過ごせばいいものを、そうしないのは、今はもういない人たちの厳命があるからだ。
かつて共に戦い、暮らしたクラウドの仲間たち。別の世界から来たスコールのことも、当たり前のように受け容れてくれた彼らは、毎年必ず2人の誕生日を祝ってくれた。1人、2人と時の流れに従ってライフストリームへと還っていっても、絶対に2人の誕生日には祝いのメッセージが届けられた。そして最後まで誕生日を祝ってくれたマリンも、もう次は無理だろうという時になって、彼女は2人に厳命したのだ。誕生日はちゃんと祝わなくてはダメ、と。それから、これは皆の遺言だ、と。
 
 
 忘れないで欲しい。2人がどんなに苦しい想いをしなくてはならないとしても、それでも生まれてきてくれたから、私たちは貴方たちに出逢えたのだということを。皆、クラウドとスコールに出逢えて嬉しかったんだということを。この世に生まれてきた素晴らしい日を、なかったことにしないで欲しい。
 
 
 だから今年も、2人は互いの誕生日を忘れない。けれど世界から隔絶されてしまった痛みが解るからこそ、「おめでとう」と言うのはやはり苦しくて、同時に同じ痛みを分かち合える相手が居てくれることに大きな喜びと安堵を覚えるからこそ、2人の間では誕生日は祝福ではなく感謝の言葉を贈る日になった。
「ありがとう」
もう1度、そう囁いたクラウドの腕が益々力を込めて抱きしめてくる。
季節は夏で、カーテン越しでも陽射しは強く、部屋の温度は鰻上りだ。おまけに手許にはカップに注がれたコーヒーが香りと共に湯気を立ち上らせている。いくらクラウドの体温が低めでも背中から抱きしめられてじんわりと汗ばんでくるのは止められない。しかしスコールはそのままの体勢で動こうとはしなかった。
 もしも1人だったら、きっと自分は誕生日を忘れることすらできなかっただろう。その日付が来ることを毎年恐れて、蹲って怯えて、震えてその日を過ごしたに違いない。この日をいつもと同じように迎え、過ごしていられるのは、この日を素晴らしい日だと言ってくれた人たちがいて、なによりこうして抱き締めてくれる腕があるからだ。
 だから毎年、こうして誕生日を迎える度に思うのだ。思い上がりでなければ、2週間前のクラウドも、同じように思ったはず。
 
 
 
自らの誕生日をこうして迎えさせてくる彼に、祝福を、と。
 
 
 
 

0214

 
 
 
 
 
 一緒にチョコレートを作ろう。
ある朝子供たちにそう言われたスコールは、無言のまま相手   マリンとデンゼルの顔を交互に見遣り、たっぷり20秒は経過してからこう答えた。
「…何故」
「バレンタインだもん」
「………意味が解らない」
スコールが頭を振って溜息を吐く様に、マリンとデンゼルは顔を見合わせ、そしてマリンが可愛らしく「ひど~い」と唇を尖らせる。
 …どっちがひどい。
スコールは内心でそう思いながらも、目線でデンゼルに説明を求めた。
「スコールが教えてくれたじゃないか、バレンタイン」
「それと俺が一緒にチョコレートを作ることがどう繋がる」
そう返しながらスコールは数日前の出来事を思い出す。
 自らの生まれ育った世界に居られない状況に追い込まれた自分が、元の世界の仲間たちや異世界で出逢った仲間たちの想いを享けて本来ならば足を踏み入れる筈のなかったクラウドの世界へとやってきてから、1年近く経つ。その間、スコールが最も多くの時間を共に過ごした相手は間違いなく、今目の前で自分を見て笑っている子供2人だ。彼らは、想像もつかない別の世界からやってきたスコールの話に興味津々で、事ある毎にスコールの世界の話を聴きたがった。同じ家で生活しているから時間も取り易く、寝る前の一時、デンゼルとマリンがスコールの部屋へと訪れて話を強請るのが習慣化している。そうして、先日もスコールは本来の自分の世界の風習について話をせがまれたのだった。
2月のイベント事は何かと尋ねられて、スコールはバレンタインデーというものを彼らに教えた。
 だが俺はちゃんと言った筈だ…!
スコールは心の中で強く主張する。
バレンタインデーは女性が好きな男性にチョコレートを贈るイベントだ、と教えたのだ。
「だって、お世話になった人にあげたりもするんだろ?」
「だから、ないしょでティファとクラウドにわたしたちで作ってあげようよ」
マリンとデンゼルにそう言い募られ、スコールは返答に詰まった。確かに言った記憶はある。じゃあスコールも女の子から貰ったりしたの?という質問を躱す際に、最近では友達や世話になった相手へ贈ることも多いようだ、と付け足した。そして、今の自分の立場が子供たち同様、ティファとクラウドの世話になっている身だというのも覆しようのない事実。
「…別にチョコレートを作らなくてもいいんじゃないのか」
チョコレートを贈ればいいのであって、わざわざ手作りする必要などないのだ。しかも、しっかりしているとは言え未だキッチンに立たせるのに躊躇してしまう年齢のマリンとデンゼルに、菓子作りなど当然したことも興味を持ったこともない自分の3人で作るなんて、無謀だとしか思えない。
「だって贈り物なら手作りのほうがティファもクラウドもきっと喜んでくれるよ」
「…得体の知れない失敗作を食べさせられる方が嫌だろう」
マリンの主張に対してスコールは言い切る。失敗するなんて決まってないよ、という抗議は無視だ。
「それに、スコールが教えてくれたみたいな綺麗なチョコレートなんてここじゃ売ってないんだ」
「…」
しかし続いたデンゼルの説得にはスコールも返しようがなかった。
 3年前に起きたというジェノバ戦役により大都市ミッドガルが崩壊した後、そこに寄り添うような形で造られたこのエッジの街は、未だ復興の途上にある街だ。日常生活品はかなり流通するようになったものの、嗜好品、特に贈答用などの贅沢品の類を手に入れるのは難しい。食品分類上のただのチョコレートを手に入れることはできても、綺麗に形作られた、スコールが子供たちに話したような贈り物としてのチョコレートは流通していないだろう。
「難しいのつくろうなんて思ってないよ。ちょっとだけ、贈り物っぽいものをつくれたらいいの。ね?」
子供たちは、それぞれの両手で苦い顔をしたままのスコールの手を握る。右手をマリンに、左手をデンゼルに取られたスコールは、暫くして大きな溜息を吐くと渋々と頷いたのだった。
 
 
 
 
 
 スコールの人格形成に於いて大きな影響があったものの1つに、彼が一流の傭兵となるべく教育を受けた、ということがある。1度依頼を受ければ、任務遂行の為にベストを尽くす。任務であればそこに疑問は挟まない。
 これは、任務だ。
そう割り切ったスコールの行動は迅速かつ的確だった。するべきことを明確にして、必要なものを確認する。
スコールが慣れ親しんだ本来の世界であれば、インターネットですぐに色々検索できたものだったが、今はネット環境が整っていない。インターネットというもの自体はこの世界でも既存のものだが、復興途上の現在、少なくとも一般市民が気軽に活用できる環境にはないのだ。
マリンがどこからか探してきた菓子作りのレシピ本をパラパラと捲りながら、何を作るのか決める。できるだけ工程が少なく簡単そうで材料が調達できそうな、尚且つそれなりに見栄えのするレシピをピックアップし、必要な材料の買い出しをマリンとデンゼルに任せた。その間にスコールは、キッチンの中から製菓に必要な道具を探し出して準備し、レシビを紙に書き写す。本の状態よりも参照し易くする為でもあり、レシピを頭の中に叩き込む為でもある。任務である以上失敗は許されないのだ、スコールの中では。
幸いなことに、今日は朝早くからクラウドはデリバリーサービスの仕事が入っており、配達先が遠方だと言っていたから夕刻まで帰らないだろう。ティファが営む酒場セブンス・ヘヴンは不定休だが、ちょうど今日を休みにすることにしていた。彼女も食材や消耗品など諸々の買い出しに出ている。荷物が大量になるから帰りにクラウドに拾ってもらうと昨夜話していたので、こちらも夕刻までは戻ってこない。サプライズのプレゼントにしたいという子供たちの希望を叶える為にはクラウドとティファ、2人の不在が必要だったわけだが、そこに労することなく済ませられたのは大きい。もしどちらかがいれば、出掛けてもらう口実を探すのに苦労したことだろう。
 材料の買い出しに出ていたマリンとデンゼルが帰ってくると、3人は早速チョコレート作りに取り掛かった。
とはいえ、火やナイフを扱うのは基本的にスコールで、子供たちにはその他の作業を割り当てる。
製菓用のチョコレートなど手に入らないので市販の板チョコを使っての簡単なレシピだが、慣れない作業に3人とも真剣極まりない表情だ。
チョコレートを冷やし固めている間に、ラッピング用のカップやリボンを用意した。
「クラウドもティファも、喜んでくれるかなあ?」
「上手く作れてるから大丈夫だよ」
 …おまえ達からなら、何をやっても喜ぶだろう。
マリンとデンゼルの会話に心の中でスコールは答える。実際、もし仮にチョコレートの原型を全く留めないような失敗作が出来たとしても、子供たちが彼らの為に作ったのだと言えば、ティファもクラウドも「美味しい」と言って食べるに違いないのだ。
 ラッピングに至るまで手作りの、多少の歪さはあるものの贈り物として充分認識できるだろうチョコレート菓子が出来上がったのは、レシピに書かれた所要時間の目安の優に倍以上の時間が経ってからだった。
 
 
 
 
 
「ただいま…、あら?」
扉を開けた途端に鼻腔を擽る甘い香りにティファは帰宅の挨拶もそこそこに首を傾げた。続いて、大きな荷物を抱えて入ってきたクラウドも鼻をひくつかせて怪訝な顔をしている。
「おかえりなさい!」
階段をパタパタと降りてきたマリンとデンゼルに、クラウドが尋ねた。
「この匂い…なんだ?」
「こっち来て!」
満面の笑みでそう言うマリンに、ティファとクラウドは顔を見合わせ、とりあえず手にした荷物を置くと店の奥のプライベートスペースへと入る。普段、ダイニングとして利用しているその部屋のテーブルに置かれていたのは、可愛らしいラッピングが施された2つの箱だった。
「ピンクのがティファにで、ブルーのがクラウドにだよ。…中身は変わらないけど」
デンゼルに促されて2人はそれぞれにと渡された箱をそっと開ける。中にあったのは、チョコレートコーティングされた苺やハート型のチョコレート。どれも一目で手作りだと判るものばかりだ。
「今日はバレンタインデーなんだよ」
「バレンタイン…?」
 それってヴィンセントのこと?と真面目な顔で聞き返すティファに、違う違う、と子供たちが手を振る。
「女の子が好きな男の子にチョコあげる日…なんだけど、友達やお世話になってる人にあげたりもするんだって」
「スコールに教えてもらったんだ」
「スコールに…」
つまり、スコールの生まれ育った世界にある風習ということなのだと漸く合点がいった彼らは、改めて渡されたチョコレートを見た。
「クラウドとティファに、いっつもありがとうっていうわたしたちの気持ち」
マリンの言葉に、クラウドとティファはそれぞれチョコレートを1つ摘むと口へと入れる。
「美味い」
クラウドがそう言えば、子供たちは嬉しそうに笑った。
 
 
 
 
 
 任務完了、か。
階段の途中に佇んでスコールは内心でそう呟いた。マリンとデンゼルにもいくつか食べさせたし、自分自身でも1つは味見をしたのでその点での心配はしていなかったが、やはりプレゼントを贈った相手の反応を確認しないと任務を完遂したとは言えないだろうと思って降りてきたのだ。だが階段を完全に降り切ることはせず、階下の声が聞こえたところで立ち止まった。
 全く知らないこの世界へとやってきて1年。
この世界にもだいぶ慣れたし、共に暮らす彼らにもだいぶ慣れたと思う。けれどやはりどこか馴染みきれない瞬間がある。それはたとえば今のように、彼ら4人が揃っている時だ。
彼らに血縁はないし、マリンとデンゼルの親と言うにはクラウドもティファも若過ぎる。それでも彼ら4人が穏やかに寛いでいる様子は擬似家族として完璧な姿に見えた。そしてその光景を見る度に、自分がここで共に暮らしていていいものなのかとスコールは思ってしまうのだ。
気付かれないようにそっと自室に戻ると、ベッドに寝転がった。
 どこか部屋を探そう。
もう1人で暮らしてもいい頃合なのではないかと思う。モンスター退治などの需要もあるし、そうでなくとも復興途上のこの街は建築現場なども多く、選り好みしなければ職には困らないだろう。いつまでもクラウド達に甘えていないで、自立しなくてはいけない。大抵のことは自力でこなせる自信もある。
 早速明日にでも部屋と仕事を探しに行ってみようとスコールが考えていると、部屋の扉がノックされた。
「いいか?」
ノックした割にスコールの返事も待たずに扉を開けたのはクラウドで、それに対して上体を起こし掛けた態勢でスコールが睨んでみても何処吹く風だ。
「何か用か?」
「用というか…礼を言いに」
「礼?」
「チョコレート。スコールも一緒に作ってくれたんだろう?」
「…別に」
相変わらず無愛想な返答にクラウドは苦笑いするしかない。マリンとデンゼルが、スコールが指示を出してくれたから初めてだったけれど上手くいったのだと言っていた。聞いた時にはスコールと菓子作りという言葉が全く結びつかず意外だったが   勿論、マリンとデンゼルに頼まれて断れなかったのだということは解っている   子供たちと3人でチョコレートと格闘している姿を想像すると何とも微笑ましい気分になる。
だが、チョコレートを貰った自分たちの前に、スコールが姿を見せることなく自室に引き返したことが気になった。
 古くないのにどうにも軋む階段や各部屋の扉は、スコール本人がどんなに気を使ったところで完全に物音を消すことはできない。彼が階段の途中まで降りてきたことにも、そしてそのまま引き返してしまったことにも、クラウドは気付いていた。それはティファも同じくで、マリンとデンゼルにチョコレート作りの顛末を聞きながら自分を見た彼女の視線に促されて、クラウドはスコールの部屋へと来たのだった。
 スコールが自分たちに遠慮していることは明白で、この世界に慣れ始めた頃からこの家を出ようと考えていることは解っていた。最初に、この世界に不慣れであることを理由に一緒に住むことに決めたのはクラウドで、スコールはそれだけが理由だと思っているのだろうが、寧ろクラウドにとってそれは口実に近いものだ。
 あの子、口下手だし、1人で頑張ろうとしちゃうし、実際1人で大抵のことこなせちゃうし。
スコールの世界で、スコールの姉代わりの女性に言われた言葉を覚えている。だからまずは、スコールを1人にしないことにした。正直に言えばスコールは反発するに違いないから、「この世界に不慣れなうちは」と理由をつけた。だがその理由の効力もそろそろ切れ掛かってきた頃なので、今後どう言って彼を納得させようかと考えていた矢先、今日の出来事があったのだ。
これはいい、と瞬時に思った。恐らくそう考えたのはティファも一緒だろう。
「来年も、楽しみにしてる」
「え?」
何を言われたのか解らない、という顔をしてスコールはクラウドを見る。
「マリンとデンゼルが、来年もお前と一緒に作ってくれると言っていた」
 そんな話は聞いていない。
スコールがそう思っても、もう遅い。
「それから、スコールの世界のイベントを、色々やってみるんだそうだ」
 それはクラウドが子供たちにそう促したわけではなく、マリンとデンゼルが自発的に言い出したものだ。子供たちも彼らなりに、スコールが遠からず出て行こうとすると感じ取っているのだろう。特にマリンはそういう機微に聡い子供だった。
「そういうわけだ。よろしく頼むな」
「…」
言葉と共に、クラウドはスコールの髪をくしゃっと撫でた。決定事項として言い渡されるとスコールが弱いことも承知済みだ。
 クラウドの手を払い除けて乱れた髪を直しながら、スコールは考える。擬似家族としてあれほど完璧な形を持つ彼らにとって自分は余分な存在でしかないはずなのに、彼らは自分にここにいろと言ってくれる。それに、甘えてしまってもいいのだろうか。
 もー!頼って!甘えて!スコールは頑張りすぎ!
胸の奥で、もう逢えない大切な人の声がした。
その声に推されて、スコールは口を開く。
「来年は…もっとちゃんとしたのを作る」
まさかそんな決意表明が返ってくるとは予想していなかったクラウドが驚きに眼を丸くした後ろで、こっそり廊下で様子を伺っていたティファと子供たちが、やった!と顔を見合わせて笑った。
 
 
 
 
 

Just For You And Me Now

 
 
 
 しとしとと雨が降る。
細い絹糸のような静かな雨が降る。
森全体をしっとりと濡らし、まるで時が止まったかのように。
まるで、時を止めてしまいたいかのように。
 
 
 
 妖精たちの軽やかな笑い声が漣のように近づいてくる。それは、一人の男がこの場所に近づいてきていることに他ならない。
 アリオスは剣呑な眼で音の近づいてくる方向を一瞥すると、ごろりと横になった。
やがて、漣のような笑い声は少し離れたところでピタッと止まった。森の住人達は決してそこから立ち入ろうとはしない。懸命な判断だ。アリオスはそう思う。自分が彼らの立場でも、やはりそうするだろう。そこまで考えて、すぐに姿を現すであろう唯一の例外の顔が頭に浮かんできたことに舌打ちする。
だが、アリオスが頭の中からその顔を払拭する前に、本物が木々の合間から姿を見せた。
「よう。元気か?」
「…八日前にも同じセリフ聞いたぜ」
「ああ、芸がなかったな。次は別の挨拶をするさ」
天上から射してくる満月の光を背に笑う男の名を、オスカーと言う。この森で唯一人、アリオスとまともに口を利く人物だった。
「オマエ、ほんとに暇なんだな」
アリオスが横になっている場所から少しだけ距離を置いてオスカーが腰掛けると、アリオスは身を起こしながら心底呆れたようにそう声をかける。
「世界を飛び越えて会いに来てやった相手に暇とは失礼な」
「…それが暇だっつってんだろーが」
まともに突っ込む気力も萎えたのか、アリオスは力ない口調でそう言った。
 世界を飛び越えて。
オスカーの言葉に嘘はない。文字通り、オスカーはこの世界を飛び越えてやって来るのだ。南の果ての魔女の森から、この、北の果ての魔王の森へと。ただ、アリオスに会うために、十日と空けず、飽きもせずに。
 誰も止めねぇのか、南の連中は。
オスカーがこうして姿を見せる度にアリオスはそう思う。北と南の森の住人は互いに干渉しないのがこの世界の不文律。南の森の住人であるオスカーがこうも頻繁に北の森へと足を運ぶことは、あまり褒められた行為ではない。しかもオスカーは、易々と世界を飛び越えられるほど、かなり強大な魔力の持ち主だ。
先ほどのニンフ達などは歓迎しているが、この北の森の住人の中にもオスカーの来訪の度に眉を顰める者はいる。当然オスカーの住む南の森の住人とて良い顔をするとは思えない。
だがオスカーは何を気にした風もなく、いつも飄々とアリオスの前に現れるのだった。
「お前、西の砂漠の都の祭り、観た事あるか?」
今夜の話は祭りの見物譚らしい。
 北と南の森の間に広がる世界のあちこちで見聞きした話や、南の森の一風変わった住人たちのこと、何処ぞの名人が作るワインの美味さについてや、名工が作ったという武具の話まで、殆ど聞き流しているアリオスから見ても、驚愕に値するほどオスカーの話題は豊富だった。沈黙が怖いタイプなのかとも思ったが、此処へ来てもただ黙って月を眺めていたりすることもあるのでそういうわけでもないらしい。
 オスカーがアリオスの処へ来るようになってからどれくらいの時が流れたのか、アリオスにもわからない。疾うに百年は過ぎていることは確かだ。
 何の魔力も持たない人間から見れば想像することも困難な程永く長い時間を生きる自分達ではあるが、それでも百年という時間が長い事に変わりはない。
 その長い時間を経て、尚飽きもせず通ってくるオスカーは、アリオスには到底理解不能である。
今でこそ根負けしてこうやって普通に会話を交すようになったが、オスカーが此処へ来るようになった当初、アリオスは「帰れ」としか言わなかった。今でもそう思うことに変わりはないが、以前ほど鬱陶しいと感じることはなくなった。それは良くも悪くも、アリオスの冷たく取り付く島もない態度を全く意に介さなかったオスカーの図太さの勝利と言える。
「アンタ、ほんとに何で此処に来るんだ?」
自分の膝をテーブル代わりにして頬杖をついたアリオスは訊いた。
「帰れ」と言わなくなった代わりに、いつしか習慣のように繰り返されるようになった問い。
 そして返されるのもいつも同じ答え。
「お前が好きだから」
オスカーはいつも笑ってそう答える。
 冗談で返すならもう少し笑える冗談にしやがれ。
そんなことを考えながらアリオスは視線をずらして呟くのだ。いつも通りに。
「…ホントにめでたいヤツ」
 
 
† † † † †
 
 
 この世界の北の果てには大きな森がありました。
見たこともないような美しい色の花々と、赤く熟れた果物。
枯れることを知らない木々と、尽きることを知らない澄んだ泉。
痩せることを知らない大地と、止まることを知らない清かな風。
楽園という言葉のよく似合うその森は、魔王の森といいました。
 
 
† † † † †
 
 
 世界の北の果てに広がる森を治めるのは、北の魔王。
 世界の南の果てに広がる森を治めるのは、南の魔女。
 二つの森の間に広がるのが、人間の世界。
何の魔力も持たない人間は自分たちの世界の北と南の果てに広がる森の存在すら知らず、森の住人たちはからかい半分で時々人間の世界にちょっかいを出す。森の住人の足跡は、人間の世界で伝説や御伽噺になった。
 無力な人間の世界に本気で関わる事はしてはいけない。
 無力な人間に本気で関わってはいけない。それは暗黙の了解。
何故なら人間は、自分たちに比べて余りに無力で儚い存在だから。森の住人にとっては瞬きほどの時間で、彼らはその生を終えてしまう。生命の長さを弄ること、それは南の魔女や北の魔王の魔力を以てしても不可能な神の領域なのだ。どんなに心を通わせても、確実に別離はやってきて、そして逝く者には深い哀しみと未練を、残される者には耐え難い喪失感を齎す。
 だから決して本気で人間に関わってはいけない。
ただそうすることだけが哀しみを遠ざける。
永い時を生きる森の住人たちの、それは最も破らざるべき禁忌だった。
 
 
 
 北の森の奥では、今日も進展のない会話が続けられていた。
「アンタ、いつまでこんなつまんねぇ遊び続ける気だ?」
「つまらなくはないさ」
呆れた顔を隠そうともしないアリオスと、呆れられることを意に介そうともしないオスカー。
寝台のように平らな、けれど冷たい岩の上に寝転がっているアリオスと、そこからほんの少し離れた所に座っているオスカー。
 ここのところ、以前にも況してオスカーの来訪の回数が増えている為、それは最早普遍的ともいえる構図である。
 元々十日と空けず現れていたが、最近は三日と空けずに通ってきていた。殆ど毎日と言ってもいいだろう。
 相変わらずアリオスはオスカーを邪険に扱っているが、その実、オスカーがそこにいることにすっかり違和感を感じなくなってしまっていることを、本人は意識していない。
 もしくは、無意識にそれを認める事を拒んでいる。
それを認めてしまったら、なし崩しにオスカーの言う事を信じてしまいそうで怖かったのだ。アリオスの思考を支配するのは、潜在的な恐怖だった。
だから意識することを拒否し、アリオスは自身がオスカーのことを邪魔に感じていると思い込む。ふざけた掛け合いじみた会話と、それを構成するアリオスの声や口調は、傍で聞く者がいれば確実にオスカーに気を許しているそれであるとわかるのに。
 そしてそれは、対象であるオスカーにもわかっていることなのに。
「好きな相手の顔を見られる。声を聴ける。どこがつまらない?」
悪戯をする子供じみた笑顔でオスカーがそう言えば、アリオスは相手にするのも馬鹿らしいと片手をひらひらと振ってみせた。
「酷いな。信じてないだろ、お前」
「言っとくが、オマエのそのテの言葉を信じるヤツはこの世の何処にもいねぇと断言できるぜ」
 失礼な、と肩を竦めるオスカーは、それならば、とアリオスに向き直る。
「じゃあ、どうすればお前は俺の言葉を信用するんだ?」
「信じねーよ。アンタが何したところで、信じられるか、そんな言葉」
アリオスの返答は本気でありながら軽口の域を出ない言葉で。
「…お前に触れたいと思っている、と言っても?」
紡がれたオスカーの言葉も、軽口の延長のような響きを持ちながら。
 けれど口にしたのは、触れてはいけない禁忌。
すっと表情を強張らせたアリオスが、立ち上がりオスカーを睨み付けた。
ビリビリと空気が震え、遠くに聞こえていた妖精たちのさざめきもピタリと止まる。
「……消えろ」
低く唸るように言うその姿は、まるで手負いの獣のようで。
座ったまま、オスカーは眸を眇めた。
 手負いの獣。
アリオスを表現するのにこれ程適切なものはないとオスカーは思う。
 傷ついて、威嚇することで周囲を遮断して。
これ以上傷つくことのないように必死になっている。
それが小さな猫ならば、無理に抱きかかえて傷を手当てしてやることも出来るのだが、目の前にいるのは獰猛な肉食獣で、手を出せばこちらの命が危ない。
 本当に、命懸けだな。
オスカーは胸の裡でひっそりと力ない笑みを零す。
「…わかったよ」
飽くまでも軽い態度を崩さずに、オスカーはすっとその場から姿を消した。
 
 
† † † † †
 
 
 遠い昔、北の森の住人が人間の少女と恋に落ちました。
強い魔力を持って生まれた漆黒の髪の森の住人は、人間の命の砂時計の速ささえ変えてみせると信じていました。
神の領域さえ、自らの魔力で凌駕してみせると、彼は儚い人間に生まれた恋人に誓いました。
 そんなことできるはずがない。それは絶対に踏み込めない神の領域だと、森の住人たちは口を揃えて言いましたが、けれどその一方で、彼ならばそれを為し得るかもしれないと淡い期待を抱いていました。
 何故なら、森の住人の破らざるべき禁忌を破った彼は、北の森の魔王だったのです。
 
 
† † † † †
 
 
 あれ以来、オスカーはぴたりと姿を見せなくなった。
オスカーの来訪を歓迎していた妖精たちの漣のような笑い声もあまり聞こえなくなり、アリオスの周りには以前の静けさが戻ってきている。
 そう、以前はこんな風に静かだった。
相変わらず冷たい岩の上に寝転がりながら、アリオスは思い出す。
 あまりに長い間足繁くオスカーが此処へ通い、そしてあの男の持つ華やかな雰囲気に感化されるようにこの森の空気も少し華やいでいたのだと、今更実感した。
 そして、自分もまた、あの男が近くにいることに慣れてしまっていたのだということも気づいてしまった。
 馬鹿馬鹿しい…。
忌々しげにアリオスは舌打ちする。
もう二度と、他者を自らのテリトリーには入れないと誓ったはずなのに、あの冗談しか言わないような男のペースに巻き込まれていたことに愕然とした。
だから、先日の一件は好都合だったのかもしれない。
 オスカーはもう此処へと来ることはないだろう。
何故来るのかと問えば、いつも「お前が好きだから」などと笑えない冗談で誤魔化していたが、どうせ下らない好奇心で通っていたに違いない。誰も傍へ近づくことの出来ない自分の、どこまで近くに迫れるか。そんな好奇心だったのだろうと思った。
 確かにオマエは一番近くまで来たヤツだよ。
自嘲するような笑みを唇に敷いて、アリオスは二度と会うことのないだろう男に語りかける。
 誰もアリオスの傍へは近づこうとしない。それは、アリオス自身が誰も自分の傍へ寄せつけない為にかけた魔術の所為。
そうして、アリオスはここで孤独に時を過ごすことを選んだ。
 他者と関わらないこと。それだけが喪失の痛みを遠ざける。
喪う痛みに比べれば孤独の方が何倍もマシに思えた。だから、今回のこともこれでよかったのだと自身を納得させる。
 オスカーが傍にいることに、もっと慣れてしまわないうちに遠ざけることが出来てよかった、と。
此処がやけに広く感じるのは気の所為に違いないと決め付けて。
 そういえば、燃えるように緋い髪を持っていたあの男は、やはり触れると暖かかったのだろうかと、そんなことをぼんやりと考えながら。
 
 
† † † † †
 
 
 北の魔王は自らの持てる魔力のすべてを使って愛する少女の命の長さを変えようとしました。
けれど魔王の力を以てしても、やはり神の領域に立ち入ることは許されなかったのです。
魔王はそれでもどうにか出来ないものかとあがき続けました。
しかし少女の命の長さを変えることはできず、悲嘆に暮れる魔王に更に追い討ちをかけるかのように、不幸なことに少女の身は重い病に侵されてしまったのです。
少女は儚い命の人間の中に在って、更に儚くその命を終えて逝ってしまったのでした。
残された魔王は、初めて感じるその喪失の痛みと哀しみに、荒れ狂いました。
魔王の嘆きに因って世界は三日三晩嵐が続き、何も知らない人間たちを恐怖に慄かせました。
それでも世界が大洪水に襲われることなく済んだのは、北の魔王の嘆きを憐れんだ南の魔女が、せめて魔王の気の済むまでと、魔女を支える九人の精霊使いを世界各地に遣わして被害を抑えたからでした。
 
 
† † † † †
 
 
 あれ程深い哀しみと、身を切るような痛みを伴った嘆きを他に知らない。
その時のことを思い出して、オスカーはそう思った。
北の魔王の悲恋の結末とその嘆きは、遠く世界を隔てた南の森の住人にも知れることとなった。北の魔王の心情そのままに荒れ狂う嵐に、南の魔女は心を痛め、自らに仕える九人の精霊使いを世界各地へと送り出し、魔王の気が済むまで好きにさせてやる為に、人間の世界への被害を抑えさせた。
 オスカーは、その九人の精霊使いの内の一人である。
ひしひしと肌で感じるその嘆きの深さに、オスカーは見たこともない魔王に同情した。嵐が止み、南の森へと帰還した後も、ずっと魔王のその後のことが気になってしょうがなかった。自分でも不思議に思ったが、気になってしまうのだからそこに理由を求めても無駄だった。
 オスカーが魔王のその後を聞いたのは、それから随分経ってからである。
北と南の森の住人は基本的にお互い干渉しない。それがこの世界の不文律であるが故に、北の森の動向は南の森の住人であるオスカーの許まではなかなか届かないのだ。
 北の魔王は自らに呪いを掛けた。
その話を知ったオスカーは、余りにも孤独で哀しい道を選んだ北の魔王とは、一体どんな男なのかと、自ら北の森へと出向いたのだった。
 
 
† † † † †
 
 
 愛する少女を喪った哀しみに荒れ狂った魔王は、強大な魔力を持ちながら少女の為に何も出来なかった自らを激しく蔑みました。
それと同時に、これから永遠にも思える永い時を生きていく自分を思い、喪失の恐怖に怯えたのです。
森の住人たちの命の長さは、彼らの持つ魔力の強さによって左右されます。
最も強大な魔力を持つ魔王の命は、当然森の住人の誰よりも永いのです。
 もし、この先また魔王に愛しい者ができたとして、たとえそれが魔力を持つ森の住人であったとしても、必ず魔王よりも先に逝ってしまうのです。
そう考えた魔王は、もう二度と誰かに心を許したりしてはならないと思いました。
喪うことへの恐怖が、魔王を支配していたのです。
そして、魔王は自らの魔力のすべてを賭けて、自らに解けることのない呪いを掛けたのでした。
 生きとし生けるすべてのものは、この身に触れると砂となり失せるだろう。
永遠にも思える魔王の命が尽きる時まで続くその呪いを掛け終えたとき、艶やかだった魔王の漆黒の髪は、色が抜け落ち、銀色へと変わっていたのでした。
 
 
† † † † †
 
 
 初めて足を踏み入れた北の森は、オスカーの住む南の森に比べると静かで穏やかな場所だった。見慣れない姿に好奇心旺盛に寄って来る妖精たちと気軽に話しながら、オスカーは森の奥へと足を進めた。森の奥の開けた場所が見えてきた時、それまで明るい笑い声をたてていた妖精たちがぴたっとその動きを止める。その奥へは進んではいけないと制止する妖精たちの言葉で、その奥に目的の男がいるのだとわかった。
大丈夫だと妖精たちに笑って見せ、オスカーは奥へと進む。
 其処にいたのは、銀色の髪に色違いの眸を持った魔王だった。
見慣れない侵入者に、恐ろしいほど冷たく鋭い視線を投げてくる。
呪い以前に、その身に纏う空気だけで他者を寄せ付けようとしない。
 その姿が余りにも寂しくて、哀しいが故に美しくて、オスカーは魔王に恋をした。
魔王は始め、「帰れ」としか言わなかった。それでも諦めずに足繁く北の森へと通った。
南の森の住人にも何度か忠告されたが、オスカーは聞き入れなかった。南の魔女は困った顔をして、「気の済むようにしなさい」と認めてくれた。
 魔王がアリオスという名前を教えてくれたのは、だいぶ経ってからである。
その名前が、魔王が本来生まれ持った名ではないことをオスカーは知っていたが、そんなことは気にならなかった。レヴィアス、という本来の名は、喪った少女の記憶と共に封印してしまいたいのだと容易に察せられたからだ。
 オスカーはアリオスを刺激しないように、とりとめのない話題を提供しながら傍に居続けた。
触れるほど近くはなく、けれど体温を感じないほど遠くもない位置に。
 アリオスは徐々に自分が傍にいることに慣れていった。少しずつ軽口の応酬が増え、それは魔王の心が少しずつ開いていることに他ならなかった。アリオスが喪う恐怖に支配されているが故に、無意識にそれを認めようとしないことも、オスカーは理解していた。
 愛しい者を喪うことは確かに苦痛だが、だからと言って余りにも孤独な道を選んだアリオスに伝えたかった。愛しい者を喪う恐怖に怯えることはないかも知れないが、たった一人で永い時を生きる寂しさは、喪う痛みにも匹敵するのだと。
 「お前が好きだから通うんだ」というオスカーの言葉を、アリオスは冗談としか受け取らなかったが、いつか、それが伝わればいいと思っていた。
 自分でもおかしいんじゃないかって思うくらい、俺はお前が好きなんだぜ?
アリオスが「笑えない冗談を言うな」と言うたび、オスカーは心の裡でそう呟いた。
 だから、自分もいい加減疲れていたのかもしれない、とオスカーは思う。
想いの伝わらない寂しさに、少し疲弊していたのだと。
触れたいのに触れられないもどかしさに、焦っていたのだろうと。
 アリオスを抱き締めて、アリオスに抱き締め返してもらえたなら、どんなにか自分の心は満たされるだろう。
しかし、たとえ魔女に次ぐ強大な魔力の持ち主であるオスカーといえども、魔王が全霊を賭けた呪いに抗うことなどできない。
アリオスに触れたとたん自分は砂と化し、そして風に飛ばされていくだろう。
 それでもきっと、言葉だけではアリオスに届かない。
温もりを拒否し、その実何よりも温もりを欲している、あの孤独な魔王には。
 
 
 
 そこに他人の気配を感じるのは随分久しぶりな気がして、アリオスは躰を起こした。
冷たい岩に腰掛ける自分。そのすぐ傍に立つ男。
「…何しに来た」
「お前に会いに」
 不機嫌な問いかけと、相変わらず笑えない答え。
「オレは会いたくねぇよ。とっとと帰れ」
「それは出来ない相談だな」
「ったく、何でだよ」
「お前が好きだから」
そう言って笑うオスカーは、いつも通り華やかな空気を纏っている。
いつも通り華やかで、けれどどこか疲れた気配が漂っていることに気づき、アリオスは眉を顰めた。
「なんかあったのか?」
「…いや、特には」
 なんだ、心配してくれるのか?ここ暫く来れなかったから寂しかったんだろう。
そんな揶揄の言葉にアリオスは憮然とした表情を隠しもしない。
それが、アリオスの中に自分という存在が定着していることの証のようで、頑張った甲斐があったかな、とオスカーは内心苦笑した。
 南の森を無理矢理出てきた。
オスカーが何をするつもりなのか悟った魔女や仲間の精霊使い達が力づくでも止めようとするのを、オスカーもまた全力で抗って此処まで来たのである。
さすがに、いくら向こうは全力ではないとは言え、自分と同等もしくはそれ以上の魔力を持つ者を複数相手にするのは想像以上に疲れた。
 だが、それでも自分はもう決めてしまったのだ。誰も喜ばないと知っているけれど、後悔はしない。
「アリオス」
呼べば、煩わしげにこちらを向く魔王に、オスカーは華やかに笑って見せる。
「俺が此処へ来るたびに、お前は何で来るんだって訊いたな」
「…今更何言ってやがる。さっきも訊いただろ」
「だから俺も何時だってちゃんと答えてきたろ。お前のことが好きだからだって」
 お前は信じてくれないけどな。
そう言って肩を竦めると、何かを感じたアリオスが探るように見つめてきた。
「…何があった」
「何もないさ。どっちかっていうと、何か起こる、かな」
「…?」
「なあ。お前がもう誰かを喪うのは嫌だって思ってるのは知ってるけどな」
触れられたくない話題を持ち出されたことに、アリオスの眸が怒気を孕むが、それは気にせずオスカーは続ける。
「でも、だからって全部拒んでたって寂しいだけだろう」
「黙れ」
アリオスの持つ空気が鋭さを増す。しかしオスカーは怯まない。
「お前が全身全霊賭けた呪いは解けない。だから誰もお前に触れられない。お前の傍には誰も残らない。でも、お前は言葉だけじゃ信じない」
「…何する気だ」
一歩、オスカーはアリオスに近づいた。意図が読めない、とアリオスの色違いの眸が語るのが可笑しくて、オスカーはくすりと笑みを洩らした。
「俺がいくら好きだと言っても、お前には伝わらない。だから」
アリオスの目の前に跪き、視線を合わせたオスカーは、ふ、と天を見上げた。
 俺の全霊を賭けて、この孤独な魔王の命が尽きる時まで、この地に静かで優しい雨が降り続くように。
降り出した雨はしっとりと重く、風に飛ばされることを防いでくれるだろう。
「やめろ…っ」
オスカーの意図に気づいたアリオスがその身を翻すよりも早く、オスカーは目の前の男を抱き締めた。
「なんだ、意外と暖かかったんだな、お前」
その身に宿る強い魔力のおかげで、普通ならば瞬時に砂と化すだろう躰は、その体温を感じられる猶予をくれた。
「お前が死ぬまで傍にいてやる方法、他に考えつかなかった」
 できれば抱き締めて欲しいんだがな。
からかうような言葉。
アリオスが腕をその躰にまわした刹那、腕の中の躰は砂となって零れ落ちていく。
「…あ…」
言葉にならない声を発し、銀髪の魔王は雨に湿る砂を掻き集めるのだった。
 
 
 
 しとしとと雨が降る。
静かに優しく、銀糸のような雨が今日も魔王の森を濡らしている。
 
 
 

On The Way-Tierkreis-

 
 
 
 その土地は、十三の地域から成り立っている。
大陸のほぼ中央部にミネルウァという標高の高い山岳地帯があり、それを囲むように十二の国がこの大陸に犇めき合っている。
 ティアクライス。
それがこの大陸の名だった。
 
 
 
 代々続く騎士の家に生まれたオスカーにとって、幼少の頃から骨の髄にまで叩き込まれた精神がある。
 「騎士にとって、主は絶対的存在である」
幼い頃から、誰より尊敬する父にそう言われて育ったオスカーは、勿論その教えを胸に騎士としての人生を全うするつもりだった。その生き方こそがオスカーの夢であったと言ってもいい。いや、今でも出来ることならそうして生きたいと思っている。
思っているのだが。
 それは「これぞ」という主を選べてこそ、だ…。
そう悟ったのはいつの頃だったか。たぶん、そんなに昔のことではない。
 オスカーの家は代々続く由緒正しい騎士の家系である。それはつまり、代々続く由緒正しい君主の家に仕えてきたということでもある。探すまでもなく主となるべき人物は決まっており、普通はそれで何の問題もない。何故ならば、騎士の家に生まれたオスカーが立派な騎士となるべく育てられたように、君主の家系に生まれた者もまた立派な君主たるべく育てられるからだ。
 オスカーは由緒正しい騎士の家系に生まれ、騎士として最上級と言っていいだけの資質を持ち、立派な騎士になるべく教育を受け、周囲の期待を裏切ることなく成長した。騎士として完璧な人格者というわけではなく、私生活に於いては寧ろその素行は騎士とは程遠いことが多かったけれど、それでも彼の騎士としての力量は誰一人として疑う余地のない程で、それ故誰もが彼の素行については黙認していた。
即ち、自分には「普通」の枠を食み出る要素などなかったのだとオスカーは信じている。
 すべては、絶対に、完璧に、偏に、この人の所為だ…。
見渡す限りの草原の中の一本道を歩きながら、オスカーは自分の半歩後ろをゆったりと歩く男をちらっと見た。
 腰まで届く漆黒の髪が見ているだけでも鬱陶しい男は、ただ黙って歩いている。紫紺の眸は伏目がちに思慮深く輝いているように見えた。
 …見えるだけだがな。これは絶対、半分寝てるぞ。
オスカーは頭の中でそう呟くと、軽く息を吐く。なんだかんだ言って、他人には到底わからないであろう、この男の状態を的確に把握出来てしまうのが口惜しい。
 まあ、確かに慣れない徒歩の旅じゃ、お疲れだろうとは思うが…。
そう考えて再びちらっと視線をやると、相手は緩慢な動きで視線を上げ、オスカーを見返してきた。
「…何か用か」
低く抑揚のない口調はいつものことだ。漆黒のその姿と相俟って、見ず知らずの人間が聞いたら恐怖に慄きそうだが、付き合いの長いオスカーには何の感慨も湧かない。
「いいえ。慣れない旅路でお疲れではありませんか?」
「疲れたと言ったところでどうかなるものでもあるまい」
「…そりゃ、そーですけどね」
 気遣うだけ無駄だとわかっていても、それでもつい気遣ってしまうのは、それこそオスカーに叩き込まれた騎士の精神故である。
 そうでなければ誰が野郎のことなんぞ気遣うものか。
女性には極限まで甘く、男にはとことん冷たい男、それがオスカーという青年の人間性だった。
「とにかく、この草原を抜ければハマルまですぐの筈です。日が暮れるまでには着きたいんで、お疲れでしょうが我慢してください」
「…オスカー」
「なんでしょう、クラヴィス様」
 漆黒の髪の男の名をクラヴィスという。
由緒正しい騎士の家系であるオスカーの一族が、代々仕えてきた由緒正しい君主の一族の、現当主…のはずである。
 はずである、というのは現時点ではクラヴィスの立場は正式ではなく暫定的当主(正式即位予定)であり、治める筈の領地に当主云々以前の大問題を抱えているからだ。
諸事情により現在のクラヴィスは身分を隠した只の魔道士である。
「気力がない」
「はぁ?」
騎士としての精神を叩き込まれている割に随分なリアクションだが、これもクラヴィスの相手をするうちに身についたものだ。この男相手に真剣に騎士の心得を以って応対しても無駄だとオスカーは既に学習している。なんだかんだ言って付き合いの長いオスカーの中では今や完璧に近い「正しいクラヴィス様対応マニュアル」が出来上がっていた。決して好きで作ったわけではなかったが。
「歩く気力が尽きたと言っている」
「だったら歩く体力は残ってるんでしょう。つべこべ言わずに歩いて下さい」
にべもなく言い放つとオスカーはクラヴィスを振り返ることなく歩いていく。
これでも一応、「ナイト・オブ・ザ・ナイツ」という騎士の最高位の称号を弱冠十八歳の時に授けられた名実共に立派な騎士…のはずなのだが。
 「正しいクラヴィス様対応マニュアル」第二項・日常会話に於いてクラヴィス様の言動は九九パーセント聞き流すべし。
自作マニュアルに忠実に行動するオスカーだった。
が、クラヴィスとて負けてはいない。
何しろクラヴィスには伝家の宝刀があるのだ。
「…オスカー」
その声音は何処までも静かに。草原を渡る風に危うく消されてしまいかねないほどに。
「くだらない事言わずに歩かないと本当に日が暮れてしまいますよ」
振り返りもせずに答える騎士の背中に、伝家の宝刀を抜き放つ。
「私はお前の…何だ?」
瞬間、オスカーの足がぴたっと止まった。まるで凍りついたかのように暫く固まっていた背中が一つ息を吐き出すと、ゆっくりと振り返る。生霊にでもなって出そうな程恨みがましい視線と共に。
「………貴方は、私の、主です。クラヴィス様」
地を這うような低い声。
 こ、こんなくだらないコトでその切り札使うとは…っ!
オスカーの心情はこれに尽きる。しかしどんなにくだらなくても、クラヴィスは自分の主であることに変わり無く、それを翳されてしまえばどうしようもない。
オスカー二二歳。彼は腐っても騎士だった。
 
 
 
 ティアクライスの西部に位置する連邦国家スコルピオン。その中でも南東の隣国ヴァーゲに近いシャウラ領を統治するのがクラヴィスの一族だった。
シャウラ候即位の儀式を終えていないので、クラヴィスは現在暫定的当主ということになる。
ならば身分を隠して旅などしていないで、さっさと即位でもなんでもしてしまえばいい、と思う所だが、そうはいかない事情があった。
シャウラでは一切の生物が活動を停止し、氷の彫像のように動きを止めているのだ。
シャウラの「命の灯」が消えてしまったから。
 「命の灯」とは、文字通り全ての生命活動を司る灯である。
ティアクライスに存在するあらゆる国家・領はそれぞれに魔法結界を持ち、その結界内に存在する命を支えるのが「命の灯」と呼ばれるものだ。高濃度の魔法エネルギーが燃え盛る炎のように揺らめく灯である。それは各国家・領地で絶やすことのないよう大切に受け継がれてきた。大概の場合、それを護り受け継ぐのはその国の王家であったり領主の一族であったりする。君主制を敷いていない国家であれば、教会であったり選出された統治者がそれを受け継ぐ。
灯が尽きれば、その灯の結界内には「黄泉の風」が吹き渡り、すべてのものを凍てつかせてしまうと言われていたが、今までその灯を絶やした国家など例がなく、めでたくシャウラは言い伝えが本当であることをまさしく身を以って証明したことになる。シャウラの民にしてみれば不本意極まりないのであるが。
 そもそも、それほど大切な灯を消してしまったのも、他ならぬクラヴィスその人だった。
何千年と受け継がれる「命の灯」は、時が経つにつれどうしてもその魔法エネルギーの濃度が下がり、放って置けばやがて灯は消えてしまう。それを阻止する為には、そこに高濃度の魔法エネルギーを注ぎ足さなければならない。持続時間と威力と用途が違うだけで、その辺りの事は全く以って普通のランプと変わりないのだ。ただ、エネルギーを注ぎ足すというその行為の困難度は比較にもならないが。
 とにもかくにも、「命の灯」のエネルギーが弱まる時期に在位することになった王や領主は、そのエネルギーを注ぎ足す儀式を行わなければならない。それはハッキリ言って修行に近い。
 ティアクライスの十二の国を、北北東に位置する技術大国ヴィダーから順に時計回りに旅し、それぞれの国のどこかにある聖域で証を手に入れ、大陸の中央部・山岳地帯ミネルウァの聖殿で十二の証を捧げることで新たな命の灯が授けられる…らしい。
らしい、というのは、この儀式が数百年毎にしか行われない為詳しい事が伝わっていないからだ。各地の聖域の場所も、代々統治者に灯とともに受け継がれてきた知識で、他国の聖域の位置など知る由もない。
 「命の灯」のエネルギー濃度が徐々に下がってきたことが確認されると、その代、もしくは次代の当主が旅に出る。灯が消える前に、新たな灯を持ち帰る為に。何処にあるとも知れない物を探しながら大陸を一周するのだ、最低でも一年は見込む。過去の事例では、灯が完全に弱まる前には新たな灯が注ぎ足されていたようだ。だからシャウラでも当然、余裕を持って旅が始まるはずだったのだが。
 次代の当主が無気力・無関心・無感動と三拍子揃ったクラヴィスであったことがシャウラの最大の不幸だった。
地位にも権力にも名誉にも全く興味もなければ、次代シャウラ候としての責任感も皆無。
厭世的で生きる事そのものに今ひとつ執着のないクラヴィスは、当然旅に出ようとはしなかった。クラヴィス付きの騎士であるオスカーを始めとして、周囲の者がいくら言っても一切動こうとしない。これはもう諦めてクラヴィスを廃位して誰か別の者を次代当主として立てるべきか、いやいやしかしそれは…等と議論は長引き、なかなか結論も出ない。いっそのことクラヴィスが無能であれば話は早かったのだが、幸か不幸かクラヴィスは魔道士としては歴代当主の中でも抜きん出た力を有していた為、そういうわけにもいかなかったのである。
 そして、運命の日はやってきた。
事の発端は現シャウラ候であったクラヴィスの祖父(父は幼い頃に亡くなっている)が心労により倒れたことにある。シャウラ候の側近の間では、こうなったら無理矢理クラヴィスを即位させ、責任感の強いお供――都合のいい事に、クラヴィス付きの騎士であり、クラヴィス自身のお気に入りでもあるオスカーという打ってつけの男がいることであるし――をつけて叩き出すしかないという結論に達した。
しかし、一応相手は次代当主。本気で叩き出すわけにもいかないので、エネルギーが弱まり頼りなく揺れる「命の灯」を前に、涙ながらに懇願する作戦に出る事となった。
 それが何よりも間違いだった、とその場に居合わせたオスカーが後にしみじみと語っている。
「命の灯」を前にしての、側近たちの涙ながらの懇願にも全く心動かされた様子のないクラヴィスは踵を返そうとした。それを、側近の魔道士の一人が魔法壁を作って止めようとしたのだ。気持ちは判らないでもなかったが、浅はかとしか言いようのない。よりにもよって、シャウラ、スコルピオンといわず、このティアクライス全土に於いてさえトップクラスに入るだろう魔力の持ち主たるクラヴィスに魔法を仕掛けるなど。
それを見ていたオスカーも思わず「馬鹿、やめとけ」と呟いた程だ。相手が年長で古参の魔道士だったのではっきりとは言わなかったのだが。その後の展開を知っていれば剣を抜いてでも止めたのに、と後悔しても遅い。案の定クラヴィスはその強大な魔力であっさりと魔法壁を砕き…、そしてその時放った魔力の一部が「命の灯」を直撃したのだった。
 
 
 
 どっちにしろ自分は主であるクラヴィスの供として旅をしなければならなかっただろうとは思うものの、故郷があんなことになっていなければもうちょっと道中気が楽だったに違いない。供だって自分一人ではなかっただろうし。
 あの時、瞬時に状況を悟ったクラヴィスは即座にオスカーの腕を掴み空間移動呪文を唱え、次の瞬間には隣りのジュバ領にいた。通常、空間移動では魔法結界を越えられないのだが、クラヴィス程の魔力の持ち主だと多少の無理は利くらしい。
まだ然して時の経っていない過去の出来事を反芻したオスカーは、ほぅ、とそれはそれは重い溜息を吐いた。
「何を深呼吸している」
「深呼吸じゃなくて溜息吐いてるんですよっ」
オスカーに溜息を吐かせる最大にして唯一の原因…否、この場合は既に元凶と言った方が正しいのかもしれないクラヴィスは、相変わらず何を考えているのかわからない表情で緋い髪の騎士を見ている。
「で?歩く気力がない貴方は一体どうしたいんですか?」
 街に着くのは確実に夜になるな、と諦めながらオスカーは訊ねる。
規格外に大きな男二人の旅だ。別段夜になったところで襲われる心配もないし、仮に夜盗に襲撃されても「スコルピオンの黒の魔道士」と称される大魔道士であるクラヴィスと、十八にして「ナイト・オブ・ザ・ナイツ」の称号を得た自分に敵うとも思えない。
とはいえ、ここはティアクライスの北に位置するヴィダー。今はまだ寒さの厳しい季節ではないといえ、夜になれば冷え込む。だからこそ、日が落ちる前にヴィダーの第一都市であるハマルに辿り着きたかったのだが。
「気力がないのだから、気力を補えばよかろう」
まるで他人事のようにクラヴィスは言った。
 「よかろう」ってあんた、だったら自分で補えばいいだろーが。
オスカーの偽らざる心情である。
 光を遮るもののない草原の道の上で、だいぶ西に傾いた太陽がじりじりと二人を照らす。二人の他に通る人影はおらず、まるで広い世界にたった二人だけになってしまったような、そんな心許無さをオスカーは僅かに感じた。
 …いや、いっそ一人になれたらどんなにか。
心許無いのは寂しいからではない。クラヴィスと二人きり、というのが不安感を募らせるのだ。それはオスカーの野生の勘と言ってもいいだろう。
「こういった場合気力を補うのによいものがある」
そう言ったクラヴィスの口調は愉しそうだった。他人には全く判別つかないだろうが、哀しい哉オスカーにはわかってしまった。
 「正しいクラヴィス様対応マニュアル」第三項・クラヴィスが愉しそうな時は自分に不幸が迫っている時と心得るべし。
 絶対、その先を聞きたくない。
オスカーの勘と経験が脳内で点滅信号を発する。
だが伝家の宝刀を翳されたオスカーに耳を塞ぐ権利はなく、クラヴィスはオスカーの様子を気にした風もなく、言葉を続けた。
「元気が出るおまじない、というものだ」
 ああ、神様、どうか私をお助け下さい。
騎士の中の騎士であるはずの彼は他力本願に走った。しかし、普段信じてもいない者をこんな時だけ助けてくれるほど神様はお人好しではなかったらしい。無情にも変人極まりない主から誰が聞いても耳を疑うであろう科白が発せられる。
「お前から私にくちづけを」
「何ふざけた事言ってんですか、あんた」
「くちづけをしろ」と続くはずだったクラヴィスの声は、主に対する騎士の言葉とは到底思えない科白で遮られた。
「…別に、ふざけてなどいないが」
「ふざけてないなら、頭ン中沸いてるんじゃないんですか」
心底呆れた、と言わんばかりの声音でオスカーは答える。そして今度こそ冗談には付き合えないとオスカーは踵を返した。
 だが、敵を甘く見てはいけなかった。
クラヴィスにはまだ伝家の宝刀第二弾が残っていたのである。
伝家の宝刀をそんなに幾つも安易に抜いていいものなのか疑問だが、幸いこの男の宝刀は何度でも使えてお得なタイプらしい。
クラヴィスは呼吸を整えるように息を吸うと、第二弾をオスカーに向かって振り翳した。
「『クラヴィスさまのことがだいすきだから、おれをずっとおそばにおいてください』」
 ドサッガシャッ
夕暮れの草原に派手な音が響いた。
「…器用な真似を」
どうも本気で感心しているらしい主の声がオスカーに掛けられる。
 公人としては騎士の中の騎士と呼ばれて畏敬の念を集め、私人としては端整な容姿と甘い言葉で女性の視線を一身に集める男は、故郷から遠く離れた異国の石ころ一つない路上で、いっそ見事なほど器用にコケていた。
「な、なんてことを…」
顔面を打ったのか、左手で顔の下半分を覆いながら騎士は立ち上がる。
 開いた口が塞がらないとはまさにこのことか。
まだ子供だった時分の話を持ち出され、オスカーは恥ずかしさと呆れが混じった視線をクラヴィスへと向けたのだった。
 
 
 
 誰にでも子供の時分というものは存在する。
どんなに老けていようが、カッコつけていようが、生き物である以上、どんな者にも幼年時代というものはあるのだ。
それは、「ナイト・オブ・ザ・ナイツ」と称される騎士のオスカーにしても同じ事。
突き飛ばせばピーピー泣き…はしなかったものの、眼に涙を浮かべながらも泣くまいと必死になるような、そんな少年時代が確かにあったのだ。
 物心ついた時から騎士としての教育を受け、体躯的にも恵まれていた彼は歳の割りには大人びてはいたが、それでも子供らしいところも多分に残した少年だった。女性相手に気障で甘い科白を吐くその習癖は既にあったが、それすら、言われた女性が「あら、可愛い坊やに嬉しい事を言われたわ」とオスカーに飴玉をくれるような、そんな幼さのある子供だったのである。
シャウラ領の由緒正しい騎士の家に生まれたオスカーは、騎士になることが運命付けられていた。そしてそれと同時に、騎士として仕えるべき主も既に定まっていた。次のシャウラ候になるはずのクラヴィスである。
 幼い頃から主となるべき相手に接する事は、徹底的な忠誠心を植え付けるのにいいからと、オスカーは自分の足で歩けるようになった頃から四歳年上のクラヴィスの遊び相手として城に上がっていた。尤も、クラヴィスの方は多少の子供らしさはあるものの、子供の頃から寡黙で一人でいることを好む少年だったので、始めのうちは遊び相手として宛がわれたオスカーをあまり歓迎していない様子だった。だが、オスカーは聡い子供で、クラヴィスが静かに時間を過ごすことが好きなのだとすぐに察し、無理にクラヴィスを遊びに誘ったり必要以上に話し掛けたりすることはしなかった。幼いながらに「クラヴィス様はお前がお仕えする大切な主だ」という父の言葉を真摯に受け止めていたオスカーは、クラヴィスといるときは黙って本を読んだりしてクラヴィスの傍から離れようとはせず、クラヴィスにしても何も言わずにこちらのことを察してくれる聡い少年が傍にいることにすっかり慣れたのである。まさか成長後にあんな下らない会話を交わすようになるとはその当時を知る者は誰一人として想像出来なかったに違いない。オスカー本人すら、「騙された」と述懐する。とはいえ、寡黙で他者を拒む傾向のあるクラヴィスが自分に対しては心を許しているのだということは、一応、理解しているのだが。
 それは、まだオスカーが十歳にもならない頃だったか。
クラヴィスは幼少の頃から強大な魔力を発現し、魔道士としての才能が申し分ない事は明らかだったが、何せ無気力・無関心・無感動、ついでに無愛想とどう弁護しようにも弁護出来ないほどハッキリ言って可愛げのない少年だったので、次代シャウラ候として擁立することを不安視する声もその頃からちらほらあった。クラヴィス本人は元々自ら望んでその立場にいるわけでもなし、特に何の感慨も持たないどころか、この煩わしい立場を肩代わりしてくれる者がいるなら進んで譲りたかったのだが、その煩い外野の声をある日偶然未だ十に満たない子供のオスカーが耳にしてしまったのはさすがに拙かった。
 小さな時から「クラヴィス様が次のシャウラ候、そしてお前のお仕えすべき主だ」と言われて育った少年にとって、自分の仕える主が当主となることに不安を抱く者がいるというのはやはり衝撃だったらしい。さすがにクラヴィスもなんと言っていいものか困った。
「当主になどなりたくないのだ」と正直なことを話せば、それは「立派な騎士になって主をお守りする」というオスカーの抱く夢を否定することになる。オスカーの中の「主」がシャウラ候という地位だけを指すのならばよかったのだが、既にオスカーの中で次代シャウラ候とクラヴィスはイコールで結ばれてしまっていて、それは容易には覆せそうになかった。それに正直に話すことでオスカーが自分から離れていくのではないかとクラヴィスが危惧したのも事実だ。その頃にはクラヴィスもすっかり傍に四つ年下の少年がいることを当然だと感じるようになっていたのである。
 しかし、客観的に見て自分が当主に向いていないことも事実であるし、主観的に言っても自分はそんなものになりたいとは思っていない。とはいえ現実に、自分の資質を不安視する声はあっても廃位を求める声は今の所挙がっておらず、自分は次代シャウラ候のままだ。この半端な状況をどう言ったらいいものか、大人びているとは言え、その当時まだローティーンだったクラヴィスにはわかりようもなかった。元々寡黙な所為もあったが。
 だが、どうしたものか考えあぐねているクラヴィス少年の隣りで、幼いオスカーもまた幼いなりに色々考えたらしい。彼は酷く真剣な表情でクラヴィスに向き直りこう言ったのだった。
「クラヴィスさまのことがだいすきだから、おれをずっとおそばにおいてください」と。
 
 
 
 なんであんなことを言っちまったんだ俺は…っ!
子供の頃の純粋さが今となっては酷く恨めしい。忘れたわけではなかったが、出来れば忘れたかったことを持ち出されてオスカーは陸に上げられた魚のように口を開閉させる。
「そのように恥ずかしがることもなかろう?あの時はお前の方から顔を…」
「だーっっっ!言うなーっ」
敬語を使うことすら忘れてオスカーはクラヴィスの科白を遮った。
 そうなのだ。恥ずかしいのはあの時の言葉だけではない。
その時自分が取った突拍子もない行動を、オスカーはしっかりと憶えている。
 幼い自分が、自分を凝視する少年のクラヴィスの唇に自らのそれを当てた。
それは一瞬だけの、本当に軽いものだったが、紛れもないくちづけである。
その頃の自分は、女性相手に子供らしからぬ気障な科白を吐く割りに、まだ本当には恋愛なんていうものを理解していなかったのだ。当然といえば当然だが。
その数日前に結婚式を見たことも大きい。新郎新婦が交わすキスを、母は「大好きな人に誓いをたてているのよ」と説明した。確かに子供にする説明としては妥当だったとは思う。思うのだが。
 …せめてそれが異性間でのことだということも言って欲しかったです、母上。
今は遠い故郷で凍りついてしまっている母に向かってオスカーは泣きそうな気分で語りかけた。
「だいたい、男同士でキスなんて、何考えてんですか。悪趣味にも程がありますよ」
「そうか?」
可笑しそうに――この男にしては珍しく誰が見ても可笑しそうに――クラヴィスは言う。
「特別奇異なことをいったつもりはないのだが」
「男にキスしろなんて言う事のどこが奇異じゃないんですか」
腰に手をあてて疲れたように息を吐きながら言い返すオスカーに、あの幼い時の面影は見出せない。年齢差の所為でクラヴィスよりも頭一つ小さかった子供は成長するに連れてクラヴィスと肩を並べる程大きくなった。自分の傍にいるときはあまり話さなかったので知らなかったが、饒舌な男であるらしい。あれ程立派な騎士に憧れていた割りにその素行は騎士とは程遠いことも知っている。そしてそれでありながら、非の打ちどころがない程騎士として完璧な技量と精神を携えていることも。
「ほんとに、ふざけた事してないで歩いて下さい。夜になったら冷えますよ」
 オスカーはわかっていないが、クラヴィスは別に冗談を言っているわけではない。否、勿論「おまじない」は冗談だが、キスを求めたのは多分に本気である。クラヴィスは同性愛者ではなかったが、かといって異性からのキスを欲しいとも思わない。オスカーのキスが欲しかったのだが、どうやらそれはなかなか伝わらないようだ。この伝え方では当然の結果だが。
 だがしかし、クラヴィスはそこで大人しく引き下がるような男でもなかった。
「オスカー」
その声にオスカーの表情がびくっと強張る。
 その声には抗えないのだ。それは紛れもなく自らの主の声。
オスカーは本日何度目かわからない溜息を吐いた。
 まったく、脅迫と変わらんじゃないか。
オスカーはそう思う。そう思っても抗えない。傍に置いて欲しい、傍にいると誓った幼い言葉は騎士として裏切る事の出来ないものだ。
 それに、なぁ…。
内心で苦笑する。振り回されて、下らない事で伝家の宝刀を抜かれて、こんな悪趣味な冗談を強要されて、それでも。
 それでも、クラヴィス様のこと嫌いにはなれないんだからな。
我ながら酔狂なことだと思う。しかし、騎士として定められた主をどうしても好きになれないよりは遥かにマシだろうと考えて、オスカーは勢いよくクラヴィスの方へ歩き出した。
三歩で間合いを詰めると、クラヴィスの唇に思い切り自分のそれを押し付ける。
 ムードも何もあったものじゃないそれは瞬きほどの時間で終わり、手の甲で唇をぐいと拭った騎士は身を翻しながら言った。
「行きますよ」
主に対して不機嫌を隠そうともしないオスカーに、クラヴィスは密かな笑みを漏らして止めていた足を再び動かし始める。
 今日の所は満足な結果だと思うべきだろう。
旅は長い。それでもこの男と一緒にいれば退屈はしない。元々クラヴィスの日常に於いて鮮やかな精彩を持って認識されていたのはオスカーくらいのものだったのだ。旅に出る事で以前よりもずっと長く共にいられるというのは願ってもないことだったかもしれない。
 そうとわかっていれば、早々に旅に出ればよかったか。
「だから旅立てと言ったのに」とシャウラで凍てついた側近たちが涙を流して突っ込みを入れそうなことを考えながら、クラヴィスは前を歩く騎士の後に続いたのだった。
 
 
 

Rhythm Red Beat Black

 
 
 
 テーブルの上に置かれた一枚のコイン。
「占ってくれないか」
ドサッと腰掛けた男はそう言った。
「面白いことを言う」
「占い師に占ってくれと言うことのどこが面白い?」
空間に渦巻く音に、いまにも掻き消されそうな会話。
 そのクラブには音が溢れていた。クラブの名は、ワールズエンド。
大音量で流れるビート。繰り返す波の如く途切れることのない、憑かれたように踊り、笑い、話す人々の声。
彼らは自分の周りの小さな世界のみを見つめ、フロアの奥にひっそりと佇む占い師になど気づく者はいない。
 占いなど、最早無駄だと誰もが知ってしまっているから。
終末の時は近いと、「コンダクター」が予見したのだ。
「もうすぐ世界が終わるというのに、未来を占ったところでどうにもなるまい?」
占い師は面倒な、とでも言いたげに客を見遣る。
「そう、世界は終わる。だがそれは今すぐじゃない。後一ヵ月あるんだからな。だったら明日のことくらい、占ってもいいだろう?」
客はそう言い、さあ、と占い師を促した。
 
 
 
 
 
 この世界は「コンダクター」によって導かれている。
それがどんな人物なのか、何処に住んでいるのか、極々限られた「スピーカー」の他は誰も知らない。
人々が知っているのは、「予見」という特殊な力を持った者だということだけだ。
その力が血脈によって受け継がれているものなのか、それとも突然発動する能力なのか、それを知る者もいない。
 その「コンダクター」が、近づく世界の終わりを予見した。
その予見が「スピーカー」によって伝えられてから、世界は二種の人に分かれた。
つまり、世界が終わるその日まで頑なに自らの日常を守って暮らしていこうとする者と、日常を放棄して恐怖を振り払うように刹那的な享楽へと走る者と。
 ワールズエンドは、後者が集う巨大なクラブだった。
クラヴィスはワールズエンドの片隅に陣取る占い師である。
「よく当たる」と評判で、つい先日までは水晶球の置かれた小さなテーブルの前には途切れることなく客が座っていたものだ。
だが、それも世界の終わりを知る前までの話。
今はもう、誰もフロアの片隅に座る占い師になど見向きもしない。
 何を占っても、未来はもう決まってしまっているのだから。
それでもクラヴィスはここに座り続けている。彼は、世界の終わりになど興味がない。恐怖もない。ただ、彼は自らの日常を淡々と続けているだけなのだ。ワールズエンドに居ながら、彼は刹那的な享楽とは無縁だった。
 
 
 
 
 
 テーブルの上に今夜も一枚のコインが置かれる。
「・・・またおまえか」
「貴重な客に向かって『また』はないだろう?」
「・・・物好きな男だ」
目の前に座る男を、クラヴィスは以前から知っていた。
 ワールズエンドのキングと称される、オスカーのいう名のこの青年がクラブに姿を見せると、彼の周りには人波が幾重にも出来上がり、それは途切れることを知らない。
尤も、オスカーが自在に気配を殺す術を心得ていて、彼が自分の意思一つで巧みに人の群れの中に姿を消してしまえることを、フロアの片隅からこのクラブを見ていたクラヴィスは知っていた。
現に今も、オスカーがフロアの片隅の占い師の前に座っていることに誰も気づいていない。
「物好きで結構。それを言うなら今更占いなど意味がないって自分で言いながらここに座ってるあんたも充分物好きだ」
肩を竦めてオスカーがそう言うと、クラヴィスもまたフッと笑みを零した。
「・・・確かに、な」
そうして、今夜は何を占うのかと、クラヴィスは水晶球に視線を移したのだった。
 
 
 
 
 
 「コンダクター」の予見した終末が、あと二週間ほどに迫った夜。
何が面白いのかクラヴィスには全くわからなかったが、オスカーの訪問は毎晩続いていた。
 そして、今夜も。
「・・・よく飽きないものだ」
目の前に立った人影に、クラヴィスはそちらを見るでもなく呟いた。
だが、いつも遠慮なくテーブルの前の椅子に腰掛ける男が今夜は座ろうとしない。
訝しんでクラヴィスが見上げれば、オスカーはひょいと肩を竦めて見せる。
「折角だ。酒でも飲まないか?どうせ、俺の他に客なんていないんだ。場所を移しても困らないだろう?」
そう言うオスカーを暫くじっと見つめていたクラヴィスは、やがて音もなく立ち上がった。
 オスカーはクラヴィスをVIPルームに連れてきた。マジックガラスで仕切られたこの部屋は、外から覗くことの叶わない部屋である。
 琥珀の絨毯が敷かれたその部屋は、狂ったように踊り続ける人々がごった返すフロアとは打って変わって静かだった。
フロアに流れる音楽のリズムだけが伝わってくる。
「ワインで構わなかったか?」
「・・ああ」
革張りのソファに深く腰掛け、二人は暫く無言のまま紅玉色の酒を愉しんだ。
「終末ってのは・・・」
二杯目のグラスが空になる頃、オスカーがそう切り出す。
「世界の終わりってのは、どんな感じだと思う?」
「・・・別に」
クラヴィスの答えは短かった。
「別に?」
「終わりなど、何処にでも転がっているだろう」
終わりが死だと言うならば、取り立てて騒ぐほどのことでもないとクラヴィスは思っている。
 全員が死のうと、一人だけ死のうと、自分が死ぬことに変わりない。
 自分が死ぬ時が、自分にとっての世界の終わりなのだ。
「随分あっさりしてるな」
「それほどのことでもあるまい?」
「殆どのヤツらにはそれほどのことがあるから、こうなんだと思わないか?」
オスカーがガラスの向こうを指差す。そこにいるのは、迫り来る終末に怯えて目の前の享楽に必死に縋りつく人々。
「ここにいる者だけが全てでもないだろう」
クラヴィスはそう返した。
ワールズエンドに集う人々とは対極に位置するかのように、日常を守って暮らしている人々も多くいる。
「同じさ」
今度はオスカーが短く答える番だった。
「日常ってヤツに縋って、終わりを考えないようにしてる。このままずっと日常が続いていくと信じ込もうとしてるのさ」
足で軽くリズムを刻みながらそう言いきるオスカーの横顔が酷く醒め切っていて、クラヴィスはほんの僅かに眉根を寄せた。
 この横顔を、フロアの片隅から幾度となく見たことがある。
フロアの壁に凭れて一人踊る人々を眺めている時も、フロアの中央で多くの人々の視線を集めながらビートに身を任せている時も。あまつさえ、バーカウンターのスツールに腰掛けて、親しい友人たちと他愛無い話に興じている時でさえ、オスカーはふとした瞬間に酷く醒め切った横顔を覗かせる。
 それはいつもほんの一瞬で、よほど冷静に観察にしているのでなければ気づかないだろう。
常にフロアの片隅でワールズエンドを見ていたクラヴィスだからこそ気付き得たその横顔。
「おまえの言うとおりなのだとすれば・・・。私も、そしておまえも、その中の一人なのではないか?」
クラヴィスもまた、日常を送る者の一人である。そして、毎夜クラブに現れるオスカーもまた、変わらぬ日常に拘っている者に数えられるはず。
「終末を恐れてない人間は別だろう?」
オスカーはそう言って少し頬を歪めるように笑った。
「あんたがあまりにも普段と変わらずにあそこに座ってたから、興味を持ったんだ」
 あまりにも淡々と、あまりにも静かに。
フロアの片隅の定位置で、何の興味も無さそうにワールズエンドを眺めている占い師。
以前から存在は知っていた。時々視線を感じることもあった。
 知られている。
漠然とそう思っていた。
自分の中の醒め切った部分を、何故だかこの占い師には見透かされてしまっていると感じていた。
「おまえは、何に苛立っている?」
自嘲的にも見える笑みを浮かべるオスカーに、クラヴィスはそう訊ねた。
 唐突な質問だった。
しかし、問われたオスカーにはやはり、という諦めにも似た感慨があるだけだ。
「あんたは本当に優秀な占い師だ」
ほんの二週間前、初めて言葉を交わした相手の心の内を、なんて正確に突いてくるのか。
「なんで・・・。いや、止めておく」
肩を竦めてオスカーが首を振った。
「それよりも。世界が終わる瞬間までここで過ごすつもりか?」
「そう言うおまえも同じではないのか?」
「そうだな・・・。他に行くところもないしな」
その時、すっとクラヴィスの手が伸びてきて、オスカーの前髪を梳いた。
「・・・?」
「見た目よりも・・・柔らかいのだな」
「そんなこと知りたかったのか?」
いささか拍子抜けしたようにオスカーが問い返す。
「おまえは目立つのでな。自然興味も湧く」
 ワールズエンドに来る者の中で、この男ほど視線を惹く者はいない。
色とりどりに光を跳ね返すミラーボールの輝きの下でさえ、尚鮮烈な緋色の髪と。
抑えられた照明の薄暗さの中にあっても、冴え冴えと見る者を射抜く氷色の眸と。
野生の肉食獣を彷彿とさせる、無駄のない、しなやかな躰つきと。
 それは、万事に関心のないクラヴィスにすら、興味を抱かせるほど。
「なんだ、早く言えばよかったのに。・・・ああ」
オスカーは驚いたような、不思議そうな、そんな曖昧な表情を覗かせて僅かに首を傾げた。
「そういえば聞いてなかったな、あんたの名前。俺はオスカー。あんたの名は?」
「・・・クラヴィス」
クラヴィスがそう答えると同時に、オスカーがクラヴィスに躰を寄せる。
「で?他に知りたかったことは?」
悪戯を仕掛けるかのようにオスカーが笑った。
 見る者の背筋をぞくっと粟立たせるような、色香が漂う笑みだった。女のように色を引いているわけでもないのに、その口許は息を呑むほどに艶かしい。
 ワールズエンドのキングが色事に長けることは、クラヴィスも知っている。実際、オスカーが美女の腰を抱き濃厚なキスを交している場面も、何度か見たことがあった。
 その時、自分は何を思ったのだろう?
クラヴィスはそれを思い出す。
 冴え冴えとした氷の眸が甘く煌く様を、もう少し間近で見てみたいと思った。
 華やかな微笑を形作るその唇は、触れると甘いのだろうかと考えもした。
 関わりあいになることなど有り得ないだろうと思っていた。自分から近づいていこうと思ったことはなかったが、触れてみたいとは、思っていた。
「知りたかったのは・・・」
 クラヴィスのすぐ近くで、触れてみたいと思っていた男がこちらを見つめている。
 悪戯めいた笑みは、クラヴィスが何を思っているのか予測がついていると言っているようだ。そして、それを許すと氷色の眸が雄弁に語りかけてくる。
「おまえの唇は、触れると甘いのだろうか」
「確かめてみるか?」
オスカーがそう促す。
「おまえは、同性も相手にするような者には見えなかったが」
ふとした疑問を口にすると、オスカーはくくっと吹きだした。
「勿論。だが、それだけの興味を持てる相手なら、拘りはしないさ」
そのセリフに、クラヴィスはオスカーの躰を抱き寄せる。
まるで、幾度も抱いたことがあるかのように、至極自然な動作で。
「私はおまえにそれだけの興味を抱かれたということか」
「だから言っただろ?興味を持ったんだって」
そう笑う唇を、クラヴィスは自らのそれで塞いだ。
 唇を甘噛みし、やがて薄く開いたその内へと舌を忍ばせる。
何度も角度を変えて合わされる唇の合間に、絡み合う舌が見え隠れして淫猥な音を立てた。
オスカーは自ら着ていたシャツのボタンを外すとクラヴィスの膝を跨ぐ。
マジックガラス越しに入ってくるフロアの色とりどりの照明が、オスカーの躰を彩った。
 しなやかな、野生の獣の躰。
遠くで眺めていた時もそう感じていたが、こうして眼前に晒された裸の上半身の、その美しさにクラヴィスは深い満足感を覚えた。
 飽きもせず口づけを交わしながら、クラヴィスの指がオスカーの首筋から綺麗に浮き出た鎖骨をなぞり、張りのある胸筋と滑らかな肌の感触を愉しんだ後、薄く色づいた胸の突起を摘む。まだ柔らかいそこを、まるで子供が玩具に夢中になるように幾度も摘んだり引っ掻いたりを繰り返すうちに、やがてそこはぷつりと硬く勃ちあがった。触れていない方の突起もまた、刺激された性感に硬さを見せ始めている。
「残念かもしれぬな・・」
ようやく一旦唇を解放したクラヴィスが、オスカーの胸を見てそう呟いた。
「・・な、にが?」
荒くなった息を継ぐせいで不自然な言葉の途切れ方でオスカーがそう尋ねる。
「この明かりでは、色が見えぬ。・・・美しく色づいているだろう、ここが」
「ん・・っ」
言いながらキュッと固くなった突起を弾かれて、オスカーの口から甘い息が洩れた。
 クラブはどこも薄暗い。VIPルームもオレンジ色のライトによって淡く照らされているだけで、本来の色を見ることは叶わない。
「無口な男だと思っていたら、意外と恥ずかしいセリフを真顔で言える男なんだな、クラヴィス」
それでも、そう言って笑うオスカーの氷碧の眸は尚鮮烈に眼に映る。
「別に、思ったことを口にするだけだ・・・」
「まあいいさ。無言でただヤられるよりはいい」
 オスカーがクラヴィスの首元に唇を寄せ、喉のなだらかな隆起を柔らかく愛撫しながらそう言った。
その唇はやがて降りていき、クラヴィスのシャツのボタンを歯で器用に外していく。
「・・・慣れているな」
胸元に暖かい息がかかるくすぐったさに眼を眇めながら、クラヴィスが吐息のように呟いた。
「言っとくが、男相手にこんなことするのは初めてだぜ?・・・だが、どうせヤルならより卑猥な方が興奮するだろう?」
「確かにな・・・」
 クラヴィスの手がオスカーの胸から更に下へと降りていき、ベルトのバックルを外す。ボトムのジッパーを下ろし、アンダーウェアごと、雑に引き摺り下ろした。
「ふ・・・っ」
冷たい手に自身を包まれて、クラヴィスの胸元に寄せたオスカーの唇から溜息とも喘ぎともつかない息が溢れる。
 胸への刺激ですでに勃ち上がりかけていたソレは、クラヴィスの手に包まれて見る見る反応を示していく。
自分だけが愛撫されるのは納得がいかないのか、オスカーもまたクラヴィスの下肢へと手を伸ばし、クラヴィスのそれを愛撫し始めた。
 いつしか、二人の息は熱く荒くなっていき。
だがその息遣いも、蜜を零し始めた欲望を扱く卑猥な音も、マジックガラスの向こうから聞こえてくる激しいビートに掻き消されて。
「もう、いい・・・」
クラヴィスが自らを愛撫するオスカーの手を外させた。
「?」
熱に浮かされたような眸でオスカーがクラヴィスに視線を遣る。
「おまえの乱れる姿で私は充分なのでな・・」
「ぁ・・んっ」
言葉と同時に一際強く扱いてやると、喉が引き攣れたような悲鳴が上がった。
「一度吐き出しておけ・・・」
「勝手なこと・・・ッ」
言うな、と続けようとしたオスカーの声は、空いた手でグイ、と頭を引き寄せられ唇を貪られて消えた。
 洩れ出る声さえも逃さないとでもいうようにきつく舌を絡め、オスカーの口腔を貪るクラヴィスの手が、オスカー自身に更に激しい愛撫を加える。オスカーのソレが零す蜜が滑りとなってクラヴィスの手の動きをスムーズにしていた。
「・・・ッ」
合わさった唇から僅かにくぐもった声が聞こえる。同時に、オスカーはクラヴィスの手に精を放ったが、クラヴィスはオスカーの唇を解放しようとはしなかった。
 息苦しさからオスカーの手がクラヴィスを押し戻そうと動くが、それを、背を強く抱き寄せることで封じると、クラヴィスは滑りを纏った指をオスカーの後孔へと忍ばせる。
固く閉ざされたそこをクラヴィスは少しずつ少しずつ解していった。いっそ、処女を扱うような労りで以て丹念に愛撫する。オスカーの手に刺激され、またその媚態に煽られたクラヴィス自身はこれ以上ない程怒張していたが、事を急いてオスカーの躰を必要以上に傷つけるつもりはなかった。
 これはただの性欲処理ではないのだ。肉の交わりだけが欲しいのではない。
ただ躰を合わせ、快楽を得るのではあれば、相手など幾らでも探せる。何も慣れない同性の躰で性欲を満たす必要などない。現に、ガラス一枚隔てた向こうには、刹那の享楽を貪欲に求める人々が踊り続けている。求めれば、柔らかな躰を提供する女はすぐに見つけられるだろう。
 しかし、二人は二人だからこそ抱き合う気になったのだ。
クラヴィスはオスカーだからこそ触れてみたいと望み、オスカーもまたクラヴィスだからこそその手が自分に触れることを許したのだった。
 やがてクラヴィスの指がオスカーの身の内に沈められた。
「くっ・・ふ・・・んっ」
鼻にかかったような甘い喘ぎがクラヴィスの耳を愉しませる。
 宥めるように決して急くことなく、クラヴィスはオスカーの内部を解していく。指を増やし、同時にもう片方の手でオスカー自身を愛撫することで痛みを和らげてやる。
 オスカーもまた、先ほどクラヴィスによって外された手を再びクラヴィス自身へと添えて刺激を与える。上半身を屈めて、唇でクラヴィスの胸元を愛撫した。
「・・よいか?」
端から合意の上での行為にも関わらず、そう訊ねてくるクラヴィスの妙な律儀さがオスカーには可笑しい。
「はやく、くれ・・・ッ」
だから、耳許で、殊更劣情を刺激するかのように囁くことで答えてやる。
 初めて自分の躰の内に同性を迎え入れる衝撃は、オスカーが予想していたよりは酷くなかった。
それが、丹念に労るように指で解されていたからなのは間違いない。
「ぁ・・・」
怒張したモノを根元まで受け容れて、さすがにすぐに躰を動かすことができずにいるオスカーの息が少し落ち着くのをクラヴィスが静かに待っていると、不意にオスカーの躰がびくっとしなった。
「ん・・ぁ・・っ」
オスカーの躰は小刻みにしなり、内に咥え込んだクラヴィスを締め付ける。それはそのままクラヴィスにも快感となって伝わる。
 最初はオスカーのその変化の原因がわからぬまま、深い快楽に身を委ねていたクラヴィスだが、やがて小刻みに襲う快楽の元に思い当たった。
「あれ、か・・・」
クラヴィスは自分の背後をちらっと見遣った。
 フロアに流れる曲が、変わったのだ。
今までよりも激しい音。その重低音のビートが震動となって二人に熱をもたらしている。
「あぁっ」
クラヴィスはわざとリズムの裏をとってオスカーを突き上げた。
「・・クラ、ヴィス・っ」
「・・すべて、忘れるほどに乱れるがいい」
そう囁いて、クラヴィスはオスカーの胸にひとつ痕を残す。
 残された時間は少ない。
この終末の時に、自暴自棄の享楽ではなく、心を伴う深い快楽に溺れられる相手と出逢えた奇跡を深く強く味わいたい。
そんな想いを胸に、更に強い悦楽を得ようと、二人は行為に没頭した。
 
 
 
 
 
 情事の後の気怠さのまま、だらりとソファに身を預けているオスカーが宙を見つめたままぽつりと呟いた。
「俺が何に苛立ってるのかって、訊いたな。クラヴィス」
「・・ああ」
すっかり生温くなった酒を口に運びながらクラヴィスは答える。
「・・・なんで、誰も疑わないんだ」
 苛立ちと、哀しみと、諦めと。
醒め切った横顔が意味するものを、クラヴィスは理解した。
「終末を、か」
無言でオスカーは頷く。
「コンダクターの予見は外れることがない。・・・それは歴史が証明している」
 少なくともこの世界の記録が残されている限りは、「コンダクター」の予見によって世界が導かれてきたのは疑いようがない。
「今まで外れなかったからって、次が外れない保証がどこにある?」
 何処で生まれ何処で育ち、どんな生活を送っているのかもわからない。
 その力が血統によって受け継がれているものなのか、それとも偶発的に覚醒する能力なのかもわからない。
 予見とは、何か儀式を行った上でされるものなのか、それともある時突然神の宣旨のように頭に浮かぶものなのかもわからない。
 そんな得体の知れない者の言うことを、人はどうしてそこまで無条件に受け容れられるのか。
 世界が終わる、という究極の予見を提示されて尚、誰もそれに疑問を抱かない。
 誰一人として、「そんなことは嘘だ」と言い出さない。
「世界が終わるんだぜ?こうやって何事もなく暮らしてるこの世界が突然終わるって言われたんだ。信じられないのが当たり前じゃないのか?」
裸の上半身を起こし、オスカーがクラヴィスを見つめる。
その視線を真っ直ぐ受け止めて、クラヴィスは逆に問い返した。
「だがおまえは終末が来ると思っているように見えるが?」
 オスカーの態度は終末が来ることを受け容れている者のそれに見える。にも拘らず、オスカーが何故こんなにも苛立ちを見せるのか、クラヴィスにはわからない。
「・・・ああ。俺は・・」
その後に続いた言葉は、クラヴィスには聞き取れなかった。
 オスカーは息を一つ吐くと、軽く頭を振って立ち上がる。
「無駄だな、こんな話。つまらない話に付き合わせて悪かった」
「構わぬ・・・」
その答えにオスカーは肩を竦めると皺のよったシャツを羽織った。
「スタッフ用のシャワールームがある。使うだろ?」
クラヴィスも頷くと立ち上がった。
 
 
 
 
 
 ワールズエンドの夜は続いた。
 大音量で流れる音楽。リズムを取りながら下らない話に大袈裟に笑い、躰に響くビートに任せて一心不乱に踊り続ける。
 毎夜、オスカーはクラヴィスの許を訪れ、そのまま腰掛ける日もあればVIPルームへと誘う日もあった。
一度VIPルームへと足を踏み入れれば、二人は貪欲に求め合い、夜が明けるまで互いの躰を感じあう。
 オスカーは饒舌な男で、他愛もない話をよくしたが、終末についての話が出ることはなかった。けれど時々、酒を飲みながらあの醒め切った横顔でフロアで踊る人々を眺めていた。
 そして、「コンダクター」が予見した、終末の日。
 ワールズエンドには相変わらず音楽が流れている。激しいリズムとビートのエンドレスリピート。
しかし昨夜までと確実に違うのは、ワールズエンドに集う人の数だ。昨夜までの混雑が嘘のように、今夜はフロアにまばらにしか人がいない。最後の夜を、殆どの人々は愛する者の手をとって震えながら過ごしているのだ。
 その夜もいつもと変わらずフロアの片隅の定位置に座ったクラヴィスは、フロアの向こう、バーカウンターのスツールに目的の人物を見つけて静かに立ち上がる。
スツールに腰掛け、バーテンダーの消えたカウンターでカクテルグラスを回している男は、最後の夜もまた、醒め切った横顔を見せていた。
「オスカー」
クラヴィスが名を呼ぶと、フロアを彷徨っていた視線が引き戻される。
「初めてだな、あんたが自分から来るなんて」
悪戯でも仕掛けたかのように笑うその顔は、いつものまま。
「ワールズエンド最後のオリジナルカクテルさ。名前をつけてくれって頼まれたんでつけてやったんだが、その所為で誰も飲もうとしなかった。バーテンに悪いことしたな」
「なんという名をつけた?」
「タイム・トゥ・カウントダウン」
オスカーは苦笑しながらグラスの中身を煽るとスツールから立ち上がった。
「場所を、移そうか?」
その言葉にクラウィスは黙って頷いた。
 
 
 
 
 
 既に慣れ親しんだ感があるVIPルームに入ると、クラヴィスはオスカーの手を引き寄せ、荒々しく抱き締めた。まるで砂漠の旅人がオアシスを見つけたかのように激しい口づけを施す。
「んっ・・・」
深く口づけながら、オスカーのシャツを引き裂くように乱暴に脱がす。今までの情交に於いて、オスカーがこういった荒々しい行為を演出することはあったが、クラヴィスがここまで能動的に仕掛けてきたことなどない。およそクラヴィスらしくない荒々しさである。
 クラヴィスがようやくオスカーの唇を解放した時には、オスカーの息は完全に上がりきり、力の抜けた躰をクラヴィスに預けていた。
「おまえに、訊きたいことがある・・・」
晒された白い首筋を尖らせた舌でなぞり、クラヴィスはそう切り出す。
「なん、だ・・・?」
荒い息の下、オスカーが自らの首筋に顔を埋める男を見た。
「おまえが見た終末とは・・どんなヴィジョンなのだ?」
 瞬間、オスカーがクラヴィスを引き離すべく腕を突っ張ろうとする。だがクラヴィスはそれを許さなかった。渾身の力でオスカーの躰を抱きすくめる。
「なに、言って・・・っ」
「コンダクターは、おまえなのだろう?」
 それはクラヴィスの確信だった。
最初からそう考えれば、あの醒め切った横顔の理由もすべてが納得がいった。
「コンダクター」の予見を誰も疑わないことに怒りさえ感じていながら、彼自身は予見を信じているという、矛盾。
 「だがおまえは終末が来ると思っているように見えるが?」そう問うたクラヴィスにオスカーが返した言葉。「・・・ああ。俺は・・」激しいビートに掻き消され、クラヴィスの耳まで届かなかった、そこに続いた言葉。声は聞こえなかった。だが、唇の動きは見えた。
 あの時、オスカーはこう言ったのだ。「見てしまったから」と。
 信じているのでも、聞いたのでもない。見た、と彼は言った。
この世界中で、終末を「見て」しまえたのはただ一人、世界の終わりを予見した「コンダクター」のみ。つまり、それを「見てしまった」と言うオスカーこそが、「コンダクター」本人なのだということになる。
「なにバカなことを・・・」
蒼褪めた顔でオスカーが笑おうとする。
「バカなことかどうか、それはおまえが知っている・・・」
 囁く吐息とともにクラヴィスは愛撫を再開した。
オスカーの躰を後ろから抱きかかえる様にソファに座る。首筋から肩口、背中へと唇を滑らせ、冷たい手で胸から脇腹にかけてを柔らかく撫でていく。
先ほどまでの荒々しさとは打って変わった優しい愛撫に、オスカーは知らずほぅ、と息を吐いた。
 それは性感を煽り快楽を得るための行為ではなかった。
 文字通りの、情交。情を交える為の優しい愛撫。
「話すといい・・・。おまえが見たものを」
クラヴィスの声は静かだった。
 オスカーが「コンダクター」本人なのだろうと思ったその日から、クラヴィスの中のオスカーに対する感情は次第に変化していった。
 目を惹く存在への興味から始まったそれは、抗い難い強烈な艶により情欲へと変わり、そしてその内面に思いを馳せたとき、確かな愛しさを伴った。
「・・このちから能力はお袋から継いだんだ」
やがてオスカーの口からクラヴィスの推測を肯定する言葉が吐き出された。
「終末を見たのは、ずっと前だ。この能力は自分でコントロールできるわけじゃない。見たいと思って見えるものでもないし、・・・見たくなくても、勝手に見える」
 あんたみたいに、水晶球でも使うならまだコントロールのしようもあるのにな、とオスカーは苦く笑う。
「そうか・・・」
 確実に迫ってくる終わりを、自分一人の胸の内に抱える日々は、どれだけ孤独だったろうと思う。そして、その予見をいつ明らかにするか、悩んだに違いない。
「真っ白になるぜ?」
クラヴィスの腕に背を預けて、横から窺うようにオスカーが言った。
「それがなんなのかはわからない。ただ、世界は強烈な光に晒されて真っ白になる」
 その光が収まった後、世界がどうなっているのかはオスカーにも見えなかった。それは恐らく、オスカー自身の時も終わってしまうからだろう。
「死体は残るのか・・・それとも、跡形もなくすべてが消え去るのか、俺にはわからない」
 もうすぐ、運命の時が訪れる。
 世界を白く包む光が迫ってくる。
「新たな始まりなのかもしれぬな・・・」
オスカーの耳の後ろにひとつ口づけを落したクラヴィスはそう呟いた。
「始まりか・・・。世界の終わりが、か?」
 世界の終わり、それは確かな予見だった。
光に白く包まれたその光景が終末なのだと、何かがオスカーの脳裏に確かに告げたのだ。
「世界は終わり、そしてまた新たな世界が始まるのかもしれぬ・・・」
「それはどんな世界なんだろうな」
クラヴィスの漆黒の髪を一房指に絡ませて、オスカーは眸を閉じる。
「たとえば。・・『コンダクター』のいない世界」
クラヴィスがそう告げると、オスカーは薄く眼を開けて笑った。クラヴィスが初めて見る、穏やかな横顔だった。
「いいな、それ」
 先を知る者のいない、導く者のいない、混沌とした世界。もう一度、人々が自らの力で以て築き上げていく世界。
 終わりの向こうに、そんな世界が始まればいい。
「一ヶ月前、あんたに声をかけて正解だったな、クラヴィス」
「そうか・・」
「ああ。・・・・・もうすぐだ」
「そうだな・・」
それきり、二人は互いの体温を感じながら沈黙を守った。
 
 
 
 
 
 そうして。
 世界を。人々を。ワールズエンドを。
 強烈な眩い光が、白く染め上げていった。
 
 
 
 
 

La lune est invité par un piano.

 
 
 
 たとえば。
たとえば、偶然と偶然が重なったら、それは必然なのだろうか。
それとも、偶然と偶然が重なるという、偶然、なのだろうか。
 
 
 
 深夜の聖地を徘徊するのは、闇の守護聖の日課のようなものだ。まるで自らが司る闇に同化したかのように、音もなく静かに鬱蒼と繁った森を歩く。
 今夜もそうやってクラヴィスは夜の森を歩いていた。
 自分が一体聖地の何処を歩いているのか、正確には把握していない。だが、幼少の頃から過ごしている場所だ、いずれ見知った場所に出るだろう。
 万が一戻れなくなったとしても、それはそれで構わない。
 サクリアという厄介な力がその身に宿る限り、そう簡単に命を落とすことはありえないし、居場所もすぐに特定されてしまうだろう。尤も、その後に洩れなく首座の守護聖のお小言が待っているかと思うと、クラヴィスとしても、あまり迷子になりたいとは思わないが。いくらクラヴィスが光の守護聖のお小言を聞き流すのに慣れているとはいえ。
 満月の光が木々の間から降り注ぐ森を歩いていると、水音が聴こえてきた。せせらぎというにはやや豪快な音であるところからすると、ここは滝が近い場所なのだろう。
 
 
 
 たとえば。
たとえば、偶然と偶然が重なったとして、それを必然と呼ぶのだとしたら。
最初の偶然も、実は必然だった、ということになるのだろうか。
 
 
 
 滝の水音に混じって微かに流れてくる、別の異質な音をクラヴィスの耳は捉えた。
 微かだが、聴こえてくるのは、ピアノのメロディ。
どこか、この近くの邸からだろう。聖殿を中心に囲むように繁った森の多いこの辺りは、聖地の一般人の居住区はなく、点々と守護聖の邸があるだけだが、滝に近いあたり、としか現在地を認識していないクラヴィスには、この近くに誰の邸があるのかなどはわかりようもない。
 そういえば、以前にもこのメロディを聴いたことがある。
あれはいつだったか・・・。そう、やはり今夜のように満月の夜だった。聖地は常春だが、それでも少しだけ夏らしい気のする、湿度の高い夜。繁った森の中に、白いヘリオトロープが群生して、辺りに甘い香りが漂っていた。今も・・・振り返れば白い花が誘うように揺れている。
 一体、誰が弾いているのか。
流れてくるメロディはクラヴィスの知らない曲だったが、美しくどこか哀しげで、聴く者の心に染み渡る。
 以前、このメロディを耳にした時も、クラヴィスは足を止めて暫く聴き入った。ただ美しい曲だと思い、そのままにして歩き去った。
 だが、このメロディを聴くのは今夜が二度目。今夜はもう少し間近で聴いてみるのもいいだろう。奏者の顔を見るのも一興だ。
 クラヴィスは暫く耳を澄ますと、音の聴こえる方へと足を踏み出した。
 
 
 
 たとえば。
たとえば、すべてが必然だったのだとしたら。
それは、運命、と呼べるものなのだろうか。
 
 
 
 繁った森を音のする方向へと歩き始めて少しすると、微かだったピアノの音はだいぶはっきりと聴こえ、代わりに滝の水音が遠のいた。
 クラヴィスは足音もなく音源へと近づいていく。やがて、邸の影が見えた。
(ここは・・・。)
 誰の邸なのかはクラヴィスにもわかった。
今の主になってからは訪れたことのない邸だ。一瞬、このまま踵を返そうかと躊躇するが、恐らくは邸の使用人なのであろう、ピアノの奏者の顔を見るくらい構わないだろうと足を動かし続ける。
 森はそのまま、邸の裏庭へと出て終わった。
 開け放たれたテラスに続く部屋に置かれた一台のグランドピアノ。
 そのピアノの前に座る人物を見て、クラヴィスは足を止めた。
 
 
 
 たとえば。
たとえば、運命と呼ばれるものがあったとして。
それは、突然目の前に現れるものなのだろうか。
 
 
 
 邸の使用人だろうとばかり思っていたピアノの奏者は、クラヴィスにも充分見覚えのある男だった。
 メロディは繰り返し紡がれている。
 鍵盤の上を滑る様に動く指は細く長い。剣を握るよりも、こうやって鍵盤を叩いてるほうがしっくり見えるほど。
 降り注ぐ月光の中、艶やかな緋色の髪が揺れる様は、誰もが見惚れるだろう、と思えるほどには美しい。
 これが、炎の守護聖の姿なのか。
昼の陽光の中、あの厳格な首座の守護聖の脇に控えている姿からは想像もつかないほど、その姿は静かだ。夜の人口の灯りの下、女性を伴っている時のような華やかな空気も、今は鳴りを潜めている。
 やがて、ピアノの音は止んだ。
クラヴィスの視線に気づいていたのか、オスカーがゆっくりと視線をあげる。
「これは随分と珍しいお客だ。」
さすがに、視線の主が闇の守護聖だとは思っていなかったのか、オスカーは僅かに眸を見開いた。
「お前がピアノを弾けるとは思わなかった。」
空気に溶け込んでしまいそうな静かな声で、クラヴィスがそう告げると、オスカーはおどけたように肩を竦めて見せる。
「こういった芸術的なこととは無縁の、武骨な男に見えましたか。」
 まあ、それもそうでしょうね、と呟きながら壁際のカップボードからグラスを二つ取り出し、テラスに置かれたテーブルに置いた。裏庭に佇んだままのクラヴィスにデッキチェアを指差して声をかける。
「どうぞ。貴方と俺なんて、滅多にない取り合わせだ。人知れず酒を酌み交わす、というのも一興かもしれませんよ。」
 森の中に咲いていた、ヘリオトロープの香りがここにまで届いてるように感じた。
 
 
 
 たとえば。
たとえば、目の前に突然、予想だにしない運命、というものをつきつけられたとしたら。
そこから逃れることは叶わないのだろうか。
 
 
 
 「あの曲は、なんというのだ・・・?」
 元々寡黙なクラヴィスと、そのクラヴィスとは個人的な会話など殆ど交わしたことのないオスカーだ。酒を酌み交わす、と言っても、グラスを傾けつつ、ぽつりぽつりと言葉が交わされるにすぎない。二言三言、言葉を交わすとすぐに辺りを静寂が包む。
だが、それは決して居心地の悪いものではなかった。言葉で埋らない静寂は、遠くでザーッと流れる滝の水音とヘリオトロープの甘い香りが埋めてくれた。
「随分前に見た映画のプロローグに流れていた曲でね・・。」
 なんという名前だったか・・・。
そう言って少し遠くを見るように考えこむオスカーに、「わからぬなら、別にかまわぬ」とクラヴィスが告げる。
「お役に立てず申し訳ない。映画のシーンと、それに合ったメロディの美しさの印象が強くてね。タイトルはあまり気にしていなかったんですよ。」
 苦笑してそう言うオスカーは、やはり常日頃の彼とは違って見えた。
「どんな・・。」
「え?」
「どんな映画だったのだ・・?」
 あれ程美しいメロディの似合う映画とは、と興味を抱いたのが半分。そのメロディを人の寝静まった夜中、月光の下で静かに弾いていたオスカーに興味を抱いたのが半分。その興味の下には、この心地よい時間をまだ終わらせたくない、という気持ちが隠れていたのかもしれない。
「大きな運命を背負わされた少年の話でしたよ。」
 グラスに酒を注ぎ足してオスカーが言った。
「何も知らないまま、運命の渦の中に投げ出されて、必死になって戦う少年と、やはり大きな使命を背負った少女の話。映画は、少年の回想を追う形で始まるんですよ。少年は実は誰かの夢の中の存在で、それが実体化しているだけの不安定な存在で。その事実を知らされた彼は、だがまだ自分が大きな運命をも背負っていることを知らない。自分の存在に不安を感じながら、けれど目前に、守ると誓った少女の、死を覚悟した使命の時が迫っていて。彼女を死なせずに済む方法が思い浮かばなくて、それをなんとか先延ばしにしたい一心で回想を始める。そのシーンが映画のプロローグなんですよ。」
 そこに、あのメロディが流れるのだとオスカーは告げた。
「何故でしょうね。もっと感動的な映画も、面白い映画も、何本も見てるはずなのに、とても印象深いんですよ。プロローグで、少年の言うセリフが、何故かとても強く灼きついてる。」
 デッキチェアに背を預けて、夜空に浮かぶ月を眺めながらそう呟くオスカーの横顔を、クラヴィスは静かに見つめる。
「少年は、なんと言うのだ・・・?」
 その問いに、オスカーは一瞬クラヴィスを見つめると、すぐに視線を外して再び満月を仰いだ。
 
 
 
最後かもしれないだろ。だから、全部話しておきたいんだ。
 
 
 
「お前も、誰かに話したいのか・・・?」
クラヴィスがそう問うと、オスカーは困ったように笑って首を振った。
「まさか。そうじゃありません。そうじゃないが・・・。」
「ではなんだ?」
「今夜は随分と積極的ですね。」
オスカーがからかいの言葉を口にする。
 クラヴィスがこうも尋ねるのは珍しいことだった。普段は露程も他人に興味を抱かない男だということは、疎遠だったオスカーも充分承知している事実だ。
「お前が、常らしからぬように、な。」
そう返してやれば、オスカーは黙って両手を軽く挙げて見せた。降参、というのだろう。
「思い出すだけですよ。」
穏やかな声だった。
 優しい光で辺りを照らす満月は、既に天頂を過ぎ、傾き始めている。
「最後かもしれない。いや、最後だと知っていた。だから、すべてを話しておきたいと、そう思った時のことを、ね。」
 結局、誰にも話しませんでしたけど、とオスカーは微かに笑った。
「ちょうど、こんな夜だった。初夏の、少し湿度が高い満月の夜。だから、こんな夜になると、ふっと思い出すんですよ。そうすると、連想ゲームみたいにあの映画のシーンを思い出して、弾きたくなるんです。」
 まさか観客が来るとは思いませんでした。
そう告げるオスカーに、クラヴィスも僅かに笑ってみせる。
「それは済まぬことをした・・・。」
「いいえ。お耳汚しで失礼を致しました。」
 クラヴィスがグラスを置いて立ち上がると、オスカーもデッキチェアから上体を起こした。
「お帰りになりますか?」
「いや・・・。」
その答えに、オスカーが訝しげに首を傾げる。
「思い出すのは・・・。」
「・・?」
 言葉の続きを待つオスカーに、クラヴィスの影が覆い被さった。
 体重を感じさせない、羽のような軽さで降りてきたクラヴィスのくちづけは、まるで、傾き始めた月の光の代わりのように柔らかくオスカーの唇を啄むとすぐに離れる。
「思い出すのは、聖地に来る前の自分、か・・・?」
唇は離れたものの、まだ至近距離にある紫紺の眸が氷碧の眸を覗き込んで尋ねた。
「嫌な人ですね・・。」
 そういうことは、そんな単刀直入に訊くものじゃないですよ、とオスカーが苦笑する。
 不思議だった。
こんなに親しく言葉を交わしたのは、初めてと言っても過言ではないはずなのに、こうして触れ合うことに何の嫌悪も感じない。それどころか、快いとさえ感じている。
 オスカーは凍てついた闇夜の如く何事にも無関心を貫くクラヴィスに反発し、クラヴィスもまた、真夏の陽光の如く容赦なく人を断罪してみせるオスカーを煩く思っていたはずなのに。
 だが、それは互いの一面だけを見ていたに過ぎなかったのだと、二人は既に知っている。
 凍てついた闇夜は、その反面すべてを覆い隠してくれる優しい帷であり。
 真夏の陽光もまた、その反面で周りを照らし暖める静かな灯火でもあった。
「これは、感傷的な俺への慰めですか?」
「いや。」
クラヴィスの体温の低い指先が頬から唇にかけてをなぞるのに任せたままオスカーがそう尋ねると、クラヴィスはフッと笑って首を振った。
「では、なんなのか、はっきりして貰えませんか?」
クラヴィスの手を軽く掴んで止め、オスカーが先程とは逆に、クラヴィスの眸を覗き込む。言葉はきついが、オスカーの眸は笑みを滲ませていた。
「そうだな・・。さしずめ、ピアノの礼、と言ったところか。」
「礼、ね・・・。それならば、ありがたく受け取ることにしましょうか。」
 その言葉を合図に、クラヴィスが再び、月光のように覆い被さった。
 
 
 
 
 
 
 言葉はなかった。
クラヴィスの指が、唇が、肌を擽るたびにオスカーの躰は熱を帯び、甘い吐息を洩らす。その吐息も、すぐにクラヴィスの唇に吸い取られてしまう。
 シャツが肌蹴られ、外気に触れる胸元を、漆黒の絹のような髪が滑るとオスカーの躰がびくん、と跳ねた。
漣のような低い笑い声が耳元を嬲り、オスカーは首を振って逃れようとするが、頬に添えられた冷たい指がそれを許さない。まるで力は込められていないのに。
 初心な生娘のように、躰の反応を隠せないのは何故なのか。
けれど、否応なしに追い詰められていく躰は止めることができず、オスカーはクラヴィスの髪を一房掴んだ。
それに気づいたクラヴィスが、深く唇を合わせる。
 深夜、繁った森に続く裏庭に面したテラスとはいえ、声が洩れれば使用人が起き出す可能性もある。話し声と違って、こんな時に洩れ出る声は自分でも調節するのが難しいものだから。堪えきれない喘ぎを、クラヴィスに口移しで預けた。
 二人分の重みがかかるデッキチェアがギシギシと音を立てる。それに気づいたクラヴィスがオスカーを部屋の中へと促した。
 グランドピアノが置かれているこの部屋は、窓を閉めれば完璧に近い防音を誇る。
 ソファまで行くのももどかしく、二人はピアノを背に抱き合った。冷たいピアノが熱を帯びた躰に心地よい。
 反らした首筋に軽く歯を立てられると、鼻に抜けるような喘ぎが止まらない。クラヴィスの指は胸の飾りを嬲ったあと、すっと脇腹を擽るように下り、既にその手を待ち侘びて蜜を湛えるオスカー自身へと辿り着いた。
途端にびくっとしなる躰を押さえ、クラヴィスはオスカーの躰を反転させる。胸が冷たいグランドピアノに押し付けられる感覚にすら、オスカーの躰は鋭く揺れた。
 
 
 
 窓は閉めきったはずなのに、ヘリオトロープの甘い香りがどこからともなく漂ってくる。それは二人の熱い息遣いと相俟って、室内の空気を濃厚なものへと変えていった。
 熱く荒い息遣いだけで、言葉もなく二人は交わった。
飽きることなく、やがて、月が完全に傾くまで。
 
 
 
 窓に背を預け、眠るオスカーを腕に抱いたまま、クラヴィスはそっと外を振り返った。
 月は白く頼りなげな影となり、眩しい朝日がもうすぐ聖地の空を染めるだろう。
 さて、ここから一体どうやって帰るのか。そんなことを思うのも面倒だ。ピアノに誘われ、疎遠だった男の意外な横顔を見た。熱い躰と甘い声を知った。今は腕に抱いたぬくもりが酷く離し難い。それで充分だった。
 この部屋に日が射し込んでくる頃には、オスカーも目を醒ますだろう。それまではこうしているのも一興。
 一夜の夢と片付けるのか、新たな始まりと受け止めるのか。それは眠る男に委ねればいい。だが、あのメロディはもう一度聴きたい。そんなことを思いながらクラヴィスも眸を閉じた。
 
 
 
 たとえば。
たとえば、それがただの偶然の積み重ねであったとしても。
たとえば、それが運命という名の逃れられない必然の積み重ねであったのだとしても。
 
 
 
 分け合った熱も、交わした言葉も、幻ではない。
その真実さえあれば、それで構わない。
 
 
 
 
 

祭りの本番はあっという間

 
 
 

 十一月某日。快晴。
早朝から駆けずり回るドタバタとした足音や、笑い声や怒鳴り声が混然一体となってその場を包んでいる。
どこからか美味そうな匂いも漂ってきた。
そんな中、「本部」と看板の掛けられた教室だけはシンと鎮まり返り、ピンと張り詰めた緊張の糸が目に見えるような様子を保っている。そこにいる顔ぶれは年齢にもばらつきがあり、制服私服入り混じっているが共通しているのは左上腕につけられた「本部・全学連」と書かれた腕章だ。
「この日の為に入念な準備をしてきた…。滞りなく今日を終える為に、皆の力を貸してくれ」
教壇に立った人物の、なんだかエラク物々しい言葉に、その場に集う全員が真剣な表情で頷くと、教室を出ていく。残ったのは数人。そのうちの一人が時計を見上げ、先程の言葉の主にこう告げた。
「時間だ」
「一斉放送を」
頷いた一人が携帯電話でどこかに指示を飛ばす。すぐさま、敷地内にピンポンパンポーン、とお馴染みのチャイムが響き渡った。
するとあちこちから湧き上がる歓声と拍手の中、放送はこうアナウンスする。
『ただいまより、ディシディア学園合同学園祭、開場します』
 
 
 
 ディシディア学園都市。
幼稚園から大学院に至るまで教育機関が集まり、学生・教員その他関係者が住む一大学園都市であるここは、首都から電車で三時間近く掛かる距離があり、周辺は田舎の田園風景の中にあって突如として大きな建物が出現する言わば陸の孤島だ。ショッヒングセンターや映画館などの娯楽施設もあるこの都市の中だけで関係者の日常生活は完結しており、勿論、非関係者がわざわざこの辺境の地へと来ることも普段はまずない。
だが、そんな陸の孤島にも、年に一度だけ一般客が押し寄せる日がある。それが、合同学園祭だ。
通常、ディシディア学園では幼稚園・小学校・中学・高校・大学と別個にイベントを開催するが、学園祭だけは合同で開催される。一般客が来る為個別開催では面倒が多いからだ。毎年十一月最初の週末に開催され、土曜は関係者のみの内覧会や生徒の家族も都市の就業者であることが殆どの幼稚園・小学校の発表会の類が行われる。一般客が入るのは日曜のみで、この日がメインだと言っていい。学生たちも年に一度のお祭りに心血を注いでいる。
その学園祭の実行委員会として運営の中心を担うのが、全校学生会連合だ。学生会、というのは所謂生徒会で、中学・高校・大学に存在している。合同学園祭開催にあたり、学生会も合同で実行委員会として組織されるのだ。例年、大学学生会会長が全学連会長として働くことが多いが、今年はその優秀さとカリスマ性で高校学生会会長が全学連会長になった、と話題になった。
 メインの出入り口となる大学正門から模擬店の並ぶ広場までアプローチは花で飾られ、広場中央にも見事な花のモニュメントが出現している。
「見事なものだな…」
「あ、ライト。中々いい出来だろう?」
モニュメントを見上げて感心した様子の青年に、近づいてきた人物が声を掛けた。
「これは君の作か?フリオニール」
「園芸部の力作だ」
「…その園芸部の正規部員は君だけだったような気がするのだが…」
 本来部員数が足りずに正規部活動とは認可されない筈の園芸部だが、中学時代からひたすらコツコツ地道に学園敷地内の花壇の手入れをし続けるフリオニールの姿が高校時代に学園新聞に取り上げられ、署名運動が起こって特別に正規部活動として園芸部が認められたという経緯は学園内では結構有名な話だ。フリオニールが大学へ進学するとそのまま園芸部も大学の正規部活動として認可された。当のフリオニールは署名してくれるなら園芸部に入ってくれればいいのに、と至極尤もな感想を抱いていたことを多くの学生は知らない。
「正規部員は俺だけでも、手伝ってくれるヤツはいるよ」
「そうか」
「ライトは、今日はどこか目的が?」
フリオニールは三つ年上の知り合いにそう尋ねる。
今年大学院に進学したこの知り合いは、サークルに入ったりもしていないから学園祭は気楽に楽しめる身分だったはずだ。
「今年は例年にも増して大規模イベントがあるようだからな。恙無く運営されているか気になって見て回ろうかと…」
「…もう運営側から解放されたんだからもうちょっと気楽にしてもいいと思うぞ…」
学園祭を楽しもうという意思がないらしいライトにフリオニールが苦笑する。
「気になるものは仕方があるまい」とフリオニールに軽く挨拶してお祭り騒ぎの人ごみの中へと歩き去っていくライトの背中は、ピンと張って眩しい。
 その、あまりに威厳に満ち溢れた様子から入学したての大学一年時より大学学生会会長に選出され丸四年采配を振るい、勿論全学連でも会長を務め続けた彼を、学生たちはプレジデント・オブ・ライト、光の会長と呼ぶ。大学院へと進学して学生会からは引退しても、光の会長は健在ということか。
「これは凄いプレッシャーだろうなあ」
フリオニールが呟いたところへ、まだ開場して間もないというのに既に模擬店の焼きそばやホットドッグを胸に抱えた友人が近づいて来た。
「フリオ、なんか食う?」
「いや…。バッツ、買い込み過ぎじゃないか?」
「このキャベツ焼きはボコたちにやろうと思ってさ」
学科は違うが一般教養科目の講義で一緒になることが多く仲良くなったバッツは、獣医学科飼育のチョコボをこよなく愛する男だ。
「今ライトとすれ違ったけど、あいつは1人で回るのか?」
「…恙無く学園祭が運営されているか気になるから見て回るんだそうだ」
「もうさ、光の会長、全学連の終身名誉会長とかでよくね?」
 折角のお祭りなのに、よくやるよなあ。
ホットドッグを頬張りながら言うバッツにフリオニールも頷いて、それにしても、とバッツを見た。
「今そんなに食べたら昼飯入らないだろ」
「昼飯食ってる時間ないじゃん」
「…なんでだ?」
バッツは驚いた様子を隠さず言った。
「え、フリオ、忘れてたのかよ。ブリッツのチケット、ティーダがわざわざ取ってくれただろ」
「……あ」
そうだ、学園祭のイベントの中でもメインの一つに数えられているブリッツボールの親善試合。競争率の高いそのチケットを、「見に来いよな」と同じ寮生でブリッツボールチームのエースであるティーダがわざわざ取ってくれたのだった。今朝まで掛かった花のモニュメントの仕上げに集中していてすっかり忘れていた。チケットは財布に入っているから問題ない。ここでバッツに会ってよかった。
「バッツ」
「ん?」
「焼きそば、くれ」
試合が始まれば白熱して食べている余裕などないだろう。
「ほいよ」
フリオニールに気前よく焼きそばのパックを渡してバッツは笑った。
 おれっていい友達だ、と。
 
 
 
 バッツが大量のキャベツ焼きを抱えて意気揚々と獣医学科棟のチョコボファームへの道を歩いていると、進行方向から見知った顔がやってくるのが見える。
「あれ、ティナ、どうしたんだ?」
フリオニールの園芸部の手伝いで知り合ったティナは高校三年。家庭部に所属する彼女は今頃模擬店の喫茶室で大忙しのはずなのだが。
「下拵えで出た端物をエサに使ってもらおうと思って持ってきた帰りなの」
「お、サンキュ。ボコ達も今日はエサがいっぱいで喜んでるな」
「今日はたくさん働くんだものね」
獣医学科が学園祭で行うチョコボ乗り体験イベントは、子供を中心に毎年大人気の企画だ。チョコボを飼育している施設は少なく、その頭の良さと愛くるしさに魅せられた子供が、この体験を機にディシディア学園大学獣医学科を目指す、という例もある。
「ティナはこれから喫茶室か?」
「うん。あと一時間くらいは。その後はブリッツを見に行くわ」
「大丈夫なのか?お昼時って掻き入れ時だろ?」
「ティーダがチケットをくれたって言ったら、それは見に行けってわたしのシフトを調整してくれたの。わたしは夕方と片付け担当」
プラチナチケットとも言うべきブリッツボールのチケットを、学園が誇るエース自ら渡してくれたと言ったら皆が融通を利かせてくれたのだ。
「そっか。よかったな~」
「バッツは?」
「おれもボコたちに差し入れ」
キャベツ焼きの山を見てティナも納得したように頷いた。
「バッツも試合見に行くんでしょう?」
「おう、あんな試合のチケット取れるなんて普通じゃありえないもんな!」
「ジタンがくやしがってた」
「あー、あいつ、演劇部のリハがあるから見られないんだっけ」
ブリッツボールの親善試合が終わると、今度は大講堂でもう一つのメインイベントである演劇部の公演がある。演劇部所属の友人の名をティナが出すと、バッツも残念だよなあ、と同意する。
「でも、ティーダも演劇部は見られないってくやしがってたから仕方ないよね」
試合で体力を消耗する上、試合後の軽いミーティングなどもあるティーダもまた、試合終了後間もなく始まる演劇部公演は見られないのだ。
「ちなみに、演劇部のチケットは?」
演劇部の公演も人気が高く、特に今年は客演を招いての公演なので競争率は跳ね上がった。
「ジタンがくれたわ」
「おれも」
 こういう時にはコネって有り難い、と二人は笑った。
 
 
 
 ブリッツボールは非常に人気のあるスポーツだが、なにしろ設備が特殊で設置にも維持にも他のスポーツの倍以上の金額を要する。それ故にブリッツボールはプロリーグとアマリーグしか存在しない。他のスポーツのように学校単位でチームなどできないからだ。ディシディア学園ブリッツボール部も中学から大学院までの混合チームである。
そのディシディアブリッツボール部は現在アマリーグ三連覇中の強豪チームで、毎年学園祭ではプロチームを招聘しての親善試合を行っている。今年はプロリーグ王者にして最も人気のあるザナルカンドエイブスを招聘したからその観戦チケットはネットオークションで定価の三十倍の値がついたという。
 ブリッツスタジアムの地下、選手控え室を覗き込んだティナは目的の人物を見つけてにっこり笑った。
「ティーダ、今大丈夫?」
「ティナじゃないっスか。ミーティングも終わったし、へーき。なんかあった?」
 ブリッツボールチームのエース、ティーダは高校二年。一学年下で校内では接点がないが、ティナがよく手伝いをしている園芸部のフリオニールと同じ寮生で仲が良いということで知り合った相手だ。
「試合前じゃ食べないかもしれないけど…差し入れ、持って来たの」
はい、とティナが手渡したタッパーを受け取り、中を見たティーダの顔がパッと輝く。
「これ、家庭部のビーフシチューじゃないっスか!」
 ビーフシチューは家庭部が毎年出している喫茶室の中でも圧倒的人気を誇るメニューで、毎年開場と同時に在校生が食券の買占めに走る為一般客に出回ることはまずない幻のメニューだ。当然、朝からミーティングやウォーミングアップで時間が取られるブリッツボール部のティーダも噂に聞くだけで食べられたことはない。
「皆が、持って行っていいって言ってくれたの」
「うわ、マジ嬉しいっス。これを食べられる日がくると思わなかったぁ」
感涙に咽び泣きそうな様子でティーダが言うと、ティナも良かった、と微笑んだ。
「チケットくれたお礼に、と思って。試合、頑張ってね」
「任せといてくれよ。あのオヤジには絶対勝つ!」
ティーダの並々ならぬ意気込みは当然で、親善試合の対戦相手であるザナルカンドエイブスのエースにして最も人気のあるスタープレイヤーであるところのジェクトは、ティーダの父だ。ブリッツのスタープレイヤー、ジェクトの息子がアマリーグトップチームのエースだという話はブリッツファンには有名で、滅多に見られない親子対決に、益々チケットの価値が上がったのは言うまでもない。
「応援してるね」
「ありがと、ティナ。これ、有り難くいただくっス!」
満面の笑みのティーダに釣られるようにティナも笑みを浮かべて、もう一度「頑張ってね」と言うと彼女は控え室を後にした。
 
 
 
 学園祭運営本部があるのは大学の工学部棟で、ここは救護室や拾遺物保管所など、事務的な用途に使われているスペースの為一般客が殆ど入ってくることなく静かなものだ。廊下をパタパタと忙しなく行き来していた高校生が、擦れ違ったライトに会釈する。今年は運営側とは関係がなくなったはずのライトなのだが、光の会長と呼ばれた彼がこの場にいることに誰も違和感を抱いていないのだ。
 本部と書かれた看板を一瞥して、ライトは教室の扉に手を掛ける。中を見て、ほんの少しだけ眼を見開いた。
「君はひとりなのか」
広い教室はガランとしていて、そこには高校の制服を纏った少年が一人窓際に立っているだけだった。何故か共通の知人が多いので互いに見知った顔だ。
「本部に実行委員が揃っている必要はないだろう」
「しかし有事の際に迅速に対応できねば本部の意味がないのではないか?」
ライトも昨年までは学園祭当日は本部に殆ど詰めていたが、一人ではなく、他にも全学連のメンバーが数人待機していたものだ。
「各エリアに支部スペースを作って待機させている。携帯があれば即時性も確保できるし情報の共有もできる」
 高校学生会会長が選ばれたと話題になった今年の全学連会長であるスコールは、真っ直ぐライトを見つめ返してそう言った。二人の視線がバチバチと音を立ててぶつかるようだ。それは剣呑と言っても過言ではない雰囲気だった。
「だが、現場の判断では手に負えない案件もあるだろう。トラブルが重なることだって有り得る。負担を分ける相手を置いておくべきではないか?」
ライトがそう言えば、スコールは一度眼を伏せた後、再び鋭い視線でライトを見据える。
「此処まで上がってくるようなトラブルは俺が俺の権限で以て対処する。去年までのやり方がどうであろうと、俺は俺の道を貫くだけだ」
それに対してライトもまた強い視線でスコールを見た。
「出来るのか。君ひとりの力で」
 第三者がその場にいれば間違いなく、なんで学園祭の運営方法くらいでこんな決闘みたいな空気になってるのか、と頭を抱えるに違いない光景がそこに展開されたのだった。
 
 
 
 控え室に帰ってくるなり、ティーダはベンチに倒れこんだ。
「あー…メッチャくやしい!」
 ディシディアブリッツボール部とザナルカンドエイブスの親善試合は僅差でザナルカンドエイブスに軍配が上がった。さすがはプロ王者としか言いようがないが、そこに僅差で喰らいついたディシディアブリッツボール部もアマ王者の面目躍如と言ったところで、両チームは互いの健闘を称え合い、白熱した試合展開に観客も歓声に沸いた。学園祭のメインイベントとしてはこれ以上ないと言っていいのだが。
「あんのオヤジ、次会ったら叩きのめす!」
試合前のセレモニーに始まり、試合後のインタビューに至るまで繰り広げられた親子喧嘩に両チームメンバーも観客も盛り上がったが、終始父であるジェクトにからかわれ続けたティーダ一人だけは不機嫌極まりない。
「荒れてるね、ティーダ」
ベンチに寝そべったティーダを覗き込むように掛けられた声に、ティーダは頭に被っていたタオルを外す。そこには、年上の友人がこちらに向かって穏やかに笑い掛けていた。
「セシル、来てくれたんだ」
「勿論だよ」
 大学進学と共に寮から学生向けマンションへと移ったセシルは、寮生時代には三つ年下のティーダの家庭教師役を務めてくれた相手だ。ティーダが中学での成績をそこそこに保っていられたのは偏にセシルが根気よく優しく時には泣きそうな程厳しく教えてくれたからに他ならない。
「フリオとかは?」
「きみが不機嫌だろうから、触らぬ神に祟りなしだって。大講堂に行っちゃったよ」
「うわ、ひでぇ。友達甲斐ないぞー!のばらー!」
力の抜けた声でこの場に姿を見せなかったフリオニールへの文句を言った後、ティーダは勢いよくベンチの上に起き上がった。
「いい試合だったよ。ジェクトさんに負けたのはくやしいだろうけど、よく頑張ったと思うな」
 アマチュアがプロに肉迫するということの凄さを、もっと誇ってもいいと思うよ、とセシルが宥めてくれて、ティーダはようやくムシャクシャする心を落ち着ける。
「サンキュ、セシル」
「どういたしまして」
「セシルも演劇部見に行くんだろ?時間、大丈夫っスか?」
控え室の壁に掛かった時計を見てティーダが問えば、セシルもそちらを見た。
「そろそろ行かないと、かな」
開演まではまだ余裕があるが、ジタンの控え室にも顔を出すつもりだから、そろそろ行かないとまずいだろう。その言葉にティーダも頷く。
「オレはこの後ミーティングだから行けないけど、がんばれってジタンに言っといて」
「オーケイ。伝えておくよ」
もう一度ありがとな、と言うティーダに、セシルも笑って頷いて出て行った。
 
 
 
 大講堂にあるいくつかの出入り口のうち、関係者口と張り紙が貼られたそこへセシルが近づいていくと、全学連の腕章をつけた学生に止められた。今年の演劇部の公演はジドールのオペラハウスで歌姫と名高いマリアを客演に迎えている為警備も厳しくなっているのだ。これは楽屋に顔を出すのは無理かな、と思いつつセシルが学生証を見せて用件を伝えると、存外あっさりと通される。
「ジタン、いるかい?」
楽屋の入り口で顔だけ覗かせれば、既に衣装を纏った年下の知り合いが芝居掛かった一礼をして迎えてくれた。
「これはこれはセシル殿。ご機嫌麗しゅう」
「あはは、そんな衣装を着て言われると、ちょっとどこかに迷い込んだみたいな気になるね」
「全然本気に聞こえないんだけど?」
セシルが笑うと、冗談めかして拗ねてみせる。演劇部の看板役者のジタンは高校一年で、セシルはバッツ経由で知り合った。バッツとジタンが知り合った経緯は知らないが、二人とも恐ろしく学園内に顔が広いから、幾らでも接点はあったのだろう。
「フリオとバッツとクラウドもさっき来てくれたぜ」
「ああ、三人とも触らぬ神に祟りなし、でティーダのところには顔出さなかったからね」
「負けたんだって?すげぇ接戦だったって聞いたけど」
 あー見たかったなぁ、とジタンが言えば、ティーダも演劇部見たがってたよ、とセシルが伝える。
 全国大会上位常連のディシディア学園中学高校演劇部の公演は、美術や音楽に大学芸術学部の学生の協力を得て行われることもありレベルが高いと評判だ。中でも高校一年にして主役を張るジタンの演技力はどこぞのプロダクションからスカウトが来ただとか、まことしやかに囁かれている程だった。
「それにしても客演にあのマリアだなんてよく来てくれたね」
「前に、カジノ船ブラックジャックの観劇イベントに招待された時にさ、マリアもいたんだよ。で、レディに優しいオレはすっかり気に入られて連絡先教えて貰ってたってわけ」
「抜け目ないねぇ」
「レディに優しくするのは世界のジョーシキ!」
胸を張るジタンに、はいはいと頷いたセシルは不思議そうに首を傾げる。
「だけどそのわりにここまであっさり通してもらえたけど、平気なのかい?」
「ああ、マリアの楽屋はこっちの通路からは舞台通らないと行けないんだ。関係者口で全学連が警備に立ってるのはカモフラージュだよ。不審者とか熱狂的なファンがいるとも限らないからって運営本部からそういう指示が出たんだ」
 外部から有名人を客演として迎えるにあたり、今年は運営本部である全学連ともかなりの協議を重ねたのだ。
「今年はブリッツも凄かったし、全学連も大変だろうね」
「来場者数も記録更新確実だって話だぜ」
そうだろうね、と相槌を打ったセシルは手許の腕時計に視線を落とし、そろそろお暇するよ、と口にした。
「楽しみに観させて貰うから」
「ああ。力作だから、期待しててくれよな」
親指を立てて自信満々に言うと、ジタンはセシルが楽屋を後にするの見送った。
 
 
 
 衣装を脱いでメイクを落とすと達成感がじわじわとジタンの中に広がっていく。
鳴りやまない拍手の中カーテンコールをするときの興奮。客席の顔が皆笑顔であることを確認したときの満足感。あれは一度経験したら病み付きになる。
演劇部の年間予定の中にいくつか大きなイベントはあるが、規模や予算の点からも最も力を入れているのがこの学園祭公演だ。それをやり遂げた達成感は何とも言えない。
 制服に着替えたジタンが伸びをしていると、楽屋のドアを開けて中学の制服を纏った少年が顔を覗かせた。
「あ、お疲れ様。ジタン、外出られる?」
「よっ、ネギ。どうした?」
 ネギ、と呼ばれた少年の左上腕には全学連の腕章がつけられている。今年中学に入学した彼は一年ながら中学学生会のメンバーなのだ。オニオン、という名からジタンなどからネギと呼ばれている。ちなみに、玉葱だとかタマだとか色々呼ばれることには本人も慣れているというか諦めているので反応しないが、変な名前、と言うと烈火の如く怒るので禁句だ。なんでも、オニオンを含め小型機墜落事故で奇跡的に助かったものの孤児となった四人の赤ん坊を最初に引き取って里親探しに奔走してくれた人物がつけた名前らしく、他の三人にもそれぞれポテト、ラディッシュ、キャロットと野菜の名がついているのだという。野菜のチョイスは「煮物料理に必須」というよく解らない基準でされたものらしい。
彼は男子寮女子寮共同で行われる入寮オリエンテーションの際にティナと仲良くなり、そこからジタンも知り合いになった。
「マリアさんがお帰りになるよ。挨拶するでしょ?」
全学連のメンバーとして、オニオンはマリア用の出入り口や通路の巡回その他諸々を担当していたのだ。
「後夜祭までいりゃいいのになあ」
「そこまでこっちの仕事増やさないでよ」
げんなりした様子でオニオンが言うところを見ると、やはり有名人が来たことで小さなトラブルは頻発していたらしい。
「で、ネギが持ち場離れて大丈夫なんだろうな?」
「通用口の前まで車をつけてあるよ」
「マジ?よく車通れたな」
ジタンが驚いたように言った。
ついでに言えば敷地内は車両乗り入れ禁止のはずだが、特例ということか。
「遠回りだけど駐車場から大学農学部菜園と小学校校舎の脇を抜けてくると入れるんだよ。あの辺りは立ち入り禁止区域にしてあるから」
「おお、用意周到~」
「僕の独断じゃなくて会長の指示」
「さすがスコール」
口笛を吹いて称賛すると、オニオンがそれはいいから早く、とジタンを促す。
「早くしないとマリアさん帰っちゃうよ」
「レディを待たせちゃまずいな。ネギはこれで仕事終わりなのか?」
「本部に腕章返却したら自由時間」
 大学学生会と高校学生会のメンバーはほぼ終日拘束されるが、中学学生会メンバーは早めに担当業務が切り上げられ自由時間が与えられているのだ。
「じゃあ急ぐとすっか」
「うわ、いきなり駆けださないでよ!」
狭い通路を器用に駆けていくジタンの後を追って、オニオンも駆けだした。
 
 
 
 模擬店と客でごった返す道をオニオンは小走りで擦り抜けていく。学園の敷地の大部分を使って開催される学園祭だから移動も一苦労だ。大講堂は高校校舎に近いところで、運営本部のある大学工学部棟は大学の敷地の中でも端の方だから、移動には大学の敷地をほぼ横切らなくてはならない。
 時間ないのにな。
オニオンは真っ直ぐには進めない状況に焦りながら思う。本部に腕章を返却したら取って返して高校校舎内の家庭部の喫茶室へ行くのだ。今ならティナがいるはず。折角彼女が「食べに来てね」と幻のビーフシチューの食券をくれたのに、喫茶室のラストオーダーまでもう時間がない。この混雑の中、本部へ行って帰ってきたら間に合うかどうか。
「…ニオン、オニオン」
人混みの中から名を呼ばれた気がしてオニオンが振り返ると、そこにはティナを経由して知り合ったフリオニールを更に経由しての知り合い、クラウドが立っていた。
「ああ、クラウド、えっと、あのごめん、僕急いでるんだ」
そう言って踵を返そうとするオニオンをクラウドが止める。
「待て。全学連の仕事は終わったのか?」
「うん、だから本部に腕章返しに行くんだよ。ほんとに急いでるんだ、いい?」
半ば苛々とした様子を隠さないオニオンに苦笑いしながら、だから待て、とクラウドは再び言うと右手を差し出した。
「…なに?」
「腕章、本部に返すだけでいいんだろう?ついでだ。返しといてやる」
「え?」
「拾遺物担当に知り合いがいてな。この辺の支部スペースに届けられたものを纏めて運んで来いと扱き使われてる最中なんだ」
言われてみれば確かにクラウドは片手に紙袋をいくつか持っている。拾遺物保管所は本部と同じ大学工学部棟にあるから、まさしくついで、なのだろう。
「いいの?」
「腕章返すくらいなら、な」
「じゃあ…お願いします」
オニオンが左腕の腕章を外し、それをクラウドの手に渡す。
「確かに返しておく。急いでるんだろ?行け」
「うん、ありがとう!」
嬉しさを隠さずに駆けていくオニオンを見送って、クラウドは荷物を抱え直した。扱き使われていると言っても、この労働は後夜祭の缶ビール一本に化ける約束である。
この程度の労働がビールに化けるのであれば安いものだ。
既に意識を半分程冷えたビールに飛ばしながら、クラウドは西日の中を歩き出した。
 
 
 
 拾遺物保管所で運んできた物の整理を、更にビール一本追加を餌に手伝わされた後、オニオンから預かった腕章を手にクラウドが運営本部の扉を開けると、中にいたスコールがこちらを見た。
「なんでアンタが…」
「オニオンの腕章を預かってきたんだが。お前、一人なのか?」
 確か昼間にも同じ事を訊かれた、とスコールの眉間に皺が一本増える。まさか昼間に光の会長とスコールの間にそんな遣り取りがあったことなど知る由もないクラウドは、機嫌を損ねるような質問でもないだろうと首を傾げつつ腕章を手渡した。
「無事に終わりそうで良かったな」
「ああ」
 大学生のクラウドと、高校からの編入組で高校二年のスコールでは学園内での接点は皆無だが、マンションの隣人であるクラウドは、ここ最近のスコールの帰りが高校生にしては随分遅かったことを知っている。学園祭を円滑に運営・実施する為にあちこちと打ち合わせを重ねてきたのだろう。
「お前、今日一日ずっと本部詰めだったのか?」
「ああ」
「一人で?」
「…まあ、だいたいは」
「昼飯は?ちゃんと食えたのか?」
「……」
ほぼ一人で本部詰めだったのなら食事も儘ならないだろうと思ってクラウドが訊けば、案の定ばつが悪そうに視線を逸らされた。
 高校生なんて、いくら食べても腹が減る年頃だろうに、どうもスコールは食に興味を殆ど示さないのだ。確か低血圧で起きてから暫く経たないと胃が食べ物を受け付けないと話していた憶えがあるから、下手すると朝食だってまともに食べていないのかもしれない。
 クラウドは手近な椅子に腰を下ろすと携帯電話を弄り始める。
「…何故ここに居座る」
スコールが訝しげにこちらを見るが、それには答えずクラウドは逆に質問した。
「後夜祭は基本的に有志が運営するから全学連は精々撤収の指示出すくらいで仕事はなかったはずだな?」
「…ああ。本祭が閉場して一般客が学園内に残ってないことを確認するまでがこっちの管轄だが、それが?」
しかしクラウドはスコールの問いには答えようとせず、相変わらず視線は携帯電話の画面へと向いている。その態度にスコールが文句の一つも口にしようすると、タイミング悪くスコールの携帯電話がメールの着信を知らせた。
スコールは届いた内容を確認し、全学連のメーリングリストを使ってメンバー全員に指示を出す。
メールを送り終えたスコールが顔を上げた時、閉場を告げるチャイムが学園内に鳴り響いた。
 
 
 
 嵐のような一日だった、とスコールは思う。
朝から言葉通りの本部詰めで一歩たりとも外へ出なかったのに、どっと疲れた気がする。
 メインのイベント会場や各エリアに運営支部スペースを設け、全学連のメンバーを少人数チームに分けて配置する。各チームには大学・高校・中学学生会メンバーをほぼ均等に割り振った上で大学学生会メンバーをチームリーダーにしてある程度の権限を委譲し、現場で迅速に対応できる体制を整えた。その意図は概ね功を奏し、スムーズな運営が出来た方だと思う。
だが、全国的人気のブリッツチームの招聘や、有名な歌姫の客演といった例年よりも大規模なイベントがあったこともあり、トラブルの数も例年以上でスコールも日中は頻繁に対応に追われることとなった。正直、もう少しのんびり出来ると考えていたのだが。
 元々学生会自体入る気なんてなかったのに、気づいたら推薦されて何故自分がと思っているうちに会長に就任させられていた。全学連にしても、例年は大学学生会会長が会長になるのが暗黙の了解だと話に聞いていたのに、どうしてだか自分を除くメンバー全員の賛成で以って異例の会長にさせられたときは、これは実は自分に対する嫌がらせなんじゃなかろうかとスコールは真剣に疑ったものだ。
 挙句に眩しいヤツには絡まれる。
昼間の遣り取りを思い出してスコールは溜息を吐いた。
相手の性格からして、本人にそんなつもりがないことはスコールも理解しているのだが、スコールから見れば「絡まれた」としか言いようがない、と思っている。
 しかしとりあえず大仕事は終わったのだ。まだ明日以降会計報告の作成など事務処理は残っているが、そんなものは淡々と進めていけるものだから大した苦ではない。これでやっと日常生活が戻ってくる。後夜祭で盛り上がる高校校舎前の広場の隅で、スコールが疲れを吐き出すようにもう一度息を吐いた時。
「スコール」
背後から掛けられた声に、思わず更に溜息を吐きそうになった。
 今度は何だ。
そう思いつつ振り返れば、そこには今さっき思い出していた眩しいヤツ、光の会長ことライトが立っている。
「…随分な荷物だな」
振り返ったスコールの腕に抱えられているものを見て、ライトが感心したように口を開いた。
「これはクラウドが…ああ、いや、バッツか?アイツらが食べろって無理矢理渡していったんだ」
「なるほど」
 結局一般客の退出確認が終わり運営本部が一旦解散するまで本部に居座ったクラウドに、有無を言わさず後夜祭会場まで連れて来られたスコールは、そこで待ち受けていたらしいバッツにホットドッグやクレープや、とにかく手当たり次第閉場間際でもまだ買うことのできた模擬店の食料とお茶のペップボトルを渡されたのだ。どうもクラウドがメールでバッツに食料を確保するよう依頼していたらしい。その二人は「ビールが呼んでいる」と何処かへ行ってしまった。
「食べるにも限度ってものがあるだろ…」
どう考えても処理しきれない量の食料を見て眉を寄せると、伸びてきた手がホットドッグを取った。
「一つ頂こう」
威風堂々としたライトがホットドッグに噛りつく図というのは中々見られるものではないな、と思いながらスコールもクレープに食いついた。なんだかんだ言って腹は減っているのだ。クラウドやバッツの心遣いは有り難かった。
「しかし彼らは何故君にこんなに食べ物を?」
「…俺が昼飯を食べ損ねたからだ」
 昼間の遣り取りがあった以上、ライト相手にトラブル対応に追われていて食事の時間も取れなかったと言うのは癪に障らないでもなかったが、ここで下手に嘘を吐いて誤魔化すのも意地を張っているようで子供っぽいだけだ。出来得る限り素っ気無く簡潔に答えたスコールに、ライトは特に変わった様子もなく、そうか、と返した。
あまりにライトが反応を示さないものだから、スコールの方がつい要らぬ付け足しまで口にしてしまう。
「もっと余裕があるつもりだったんだ」
そこで初めてライトが反応した。
「何故だ?」
「え?」
 何故って、何が?ああ、「何故余裕があるつもりだったのか」ってことか?見通しが甘いとでも説教したいのか。
頭の中で色々邪推して、しかし実際予想よりも余裕がなくなったのだし見通しが甘いと言われても仕方ないと諦めてスコールは口を開く。
「支部にメンバーを分けてある程度の権限も渡してたからな。大抵のことは彼らなら充分対処できる。俺のところまで持ち込まれるトラブルは正直少ないと考えていた」
 さあ、見通しが甘いと嘲笑いたいなら嘲笑え、と半ば自棄気味にスコールがライトを見ると、予想に反してライトは穏やかな表情でスコールを見つめていた。
「私は、君を誤解していたようだ」
「…?」
 誤解?何が?とスコールの頭の中で疑問符が渦巻く。
「君が本部に一人で詰めていたのは、君が同じ全学連のメンバーの力を評価していないからだと思っていた。だが、逆だったのだな。君は彼らの力を信頼していたからこそ、本部には自分一人が保険として詰めていれば大丈夫だと判断したのだな」
「他人を評価なんて出来るほど俺が何かできるわけじゃない」
あっさりと、何を当たり前のことを言っているんだと言いたげな様子でスコールが答えれば、ライトは緩く笑って目を伏せた。
「そうだな。当たり前だったな」
そう言って、食べかけのホットドッグにまた齧り付く。スコールも同じように食べかけのクレープを消化することに専念した。
 無言の二人の背後で、後夜祭恒例の花火が上がった。素人が扱える市販のものだが、会場は盛り上がる。
 
 
 
年に一度の祭りが、無事に終わろうとしていた。
 
 
 

七夕に晴れてることなんてまずない

 
 
 
「7月7日が晴れない確率100%」
どんよりと曇った空を背景にしてそよぐ笹の葉を見ながら呟いたのはティーダ。
「マジ?100パー?」
それに反応したのは同じクラスのヴァンで、2人は教室の窓際で仲良く同じ姿勢でグラウンドを眺めていた。
「んー、オレがここ来て七夕を知ってからだから、今年で5年目ッスかね?」
「なんだよ、100パーとか言う程じゃねぇじゃん」
「でも、セシルもフリオもバッツもそう言ってたッス」
「3人同い年だろ。オレらプラス3年しかデータないだろ」
そんな遣り取りの間にも2人の姿勢は変わらず、つまらなさそうに窓の外を見ている。曇っている分気温は低いが、冷房が抑えられた教室ではじんわりと生温かい空気が広がっていた。
 ここに来て知った、とティーダが言うとおり、七夕、という年中行事をこの学園に入学して知る者は多い。誇張ではなくこの土地の裏側ともいえる地域からやってくることも珍しくはないこの学園都市に於いては、この地域に根差した習慣が多くの学生にとって未知のものであったケースが多いのだ。高校からこの学園都市にやってきたヴァンもまた、七夕を知らなかった1人だった。
「ティーダ、おまえ、短冊何書いた?」
「…早く夏休みになりますように」
「あと10日もすりゃなるだろ」
「その10日を飛び越えたいんだって」
「晴れても叶わねーよ」
「そういう自分は何て書いたんスか」
「…期末試験がなくなりますように」
「人のこと言えないだろソレ」
 つまりは来週に迫った期末試験に多大な不安を抱いている2人は相変わらずつまらなさそうに同時に溜息を吐いた。本当に、何故1学期が終わるからといって試験をしなくてはならないのか理解できない。ティーダが定期試験の度に泣き着くセシルにも、今回ばかりは厄介なレポートの提出期限が迫っているとかで、済まなさそうに家庭教師役を断られてしまった。ならば、フリオニールでもバッツでもクラウドでも、と思ったら、その厄介なレポートとやらは、彼ら全員が選択している一般教養の必修科目なんだそうで、こればっかりは単位を落とすわけにもいかないと全員に首を振られてしまった。これはもう、ヤマを張るしかない。暗記科目はそれに賭けるとして、そうでないものはもう、追試と補講を予定に組み込むべきか。
そう覚悟を決めて、ティーダが隣りのヴァンに暗記科目のヤマを張る相談を持ち掛けようとしたその時、クスクスと背後で笑い声がした。
「なーに笑ってるんスか、ユウナ」
長引いたホームルームが漸く終わったらしい隣りのクラスのユウナがそこに立っていた。可愛くて優しくて芯の強い、ティーダ自慢の彼女は、だって、と笑う。
「後ろから見たらまったく同じ姿勢だったよ?」
相似形のように同じ姿勢で、同じタイミングで溜息なんて吐いているから可笑しかったのだ。
「そりゃ溜息吐きたくなるっての。…ユウナは期末なんて楽勝だろ」
ヴァンが恨めしげに言えば、ユウナはちゃんと勉強してるから当たり前ッス、と何故かティーダが答える。
オマエに訊いてねー!とヴァンが返して2人がふざけ出すのを、はい、とユウナが止めた。
「わたしも苦手な科目、あるよ?だからね、週末は一緒に勉強しよう?」
 図書館の学習室を予約しました、とユウナが敬礼もどきのポーズを取る。
大学院生から小学生まで、この学園に通う全ての学生が利用できる大図書館には、ガラス張りだが各々独立した定員6名程の学習室が幾つかあって、予約することができるのだ。寮の自室などではつい他のものに気を逸らしがちな2人には、こういう場所でないと駄目だという妥当且つ現実的な判断だろう。
「ユウナが勉強教えてくれんの?」
「違います。ちゃんと助っ人を手配しました!」
またも敬礼ポーズで答えるユウナに、助っ人?とティーダとヴァンが顔を見合わせた。
「スコール、来てくれるって」
「マジッスか!」
学年首席の登場に2人の顔が輝く。確かに眉目秀麗・文武両道・短所といえばその社交性の無さだけ、と評される超優等生のスコールならば、期末試験なんて余裕でこなせる類のものだろう。ティーダやヴァンが頼んでもにべも無く断られただろうが、さすがにユウナに頼まれては断りきれなかったか。
「おっしゃ、これで追試と補講は免れたも同然!」
ヴァンのガッツポーズに、ティーダもうんうんと頷いた。視界の隅でグラウンドに飾られた笹が揺れる。
 晴れることの無い七夕では短冊に書いた願い事は叶えて貰えなかったが、天は2人を見捨てなかった。
そこで思い出して、ティーダはユウナにこう訊いた。
「ユウナは短冊になんて書いたッスか?」
その問い掛けに、ユウナはにっこりと笑う。
その答えを聞いて、ティーダとヴァンは七夕の認識を改める事にした。
 前言撤回。晴れない七夕でも、短冊の願い事は叶えて貰えるらしい。
 
 
 “みんなが笑顔で夏休みを迎えられますように。”