夏は夜。
そう言ったのは誰だろう。とにかく夏は夜がいいのだそうだ。月が出ていたりなんかすると特にいいらしい。
となると、今夜辺りはうってつけ、ということになるのだろうか。
「…なに笑ってる」
「別に笑ってなんかいないさ」
「嘘つけ」
隣りを歩くスコールに不機嫌そうに指摘され、クラウドは肩を竦める。その間にも肌はじんわりと汗ばむ。
時間も季節も滅茶苦茶なこの世界は、ほんの数日前には雪がちらついたというのに唐突に夏へと変化したようだ。
頭上で光る月は変わらないはずなのに、冬の冴え冴えとした光が嘘のように、今は熱を持つように感じるのは錯覚か。
イミテーションとの混戦の最中、空間変異に巻き込まれて2人仲良く飛ばされてきた。恐らく戦いは有耶無耶になっただろうし、他の仲間たちもどこかに飛ばされた可能性が高い。散り散りになったとは言え、皆こういうときはベースキャンプのある秩序の聖域を目指すことが暗黙の了解になっているから心配はしていない。次に空間変異が起きるのを待つだけだ。
「夏は夜がいいんだそうだ」
クラウドが言うと、スコールはチラ、と視線を遣し、またすぐに前を向いてしまう。足を止める様子はない。目的地なんてないのにいつまで歩くつもりだろう。
確かに、いいな。
クラウドはそう思う。さすがに暑いのだろう、スコールは普段着ているジャケットを脱いでシャツ1枚になっている。テントやコテージでの就寝の際には見掛けるが、外ではあまり見慣れない格好は新鮮で、ちょっと得したような気分だ。
「スコール」
呼びかければやはり視線を遣すだけで返事はない。足を止めることもない。
クラウドは自らの足を止める。
「スコール」
もう1度名前を呼ぶと、数歩先でスコールが足を止めた。振り返った顔は、何がしたいんだアンタ、とありありと語っている。
クラウドは眼を細めた。
「おいで」
手を伸ばせば、スコールは呆れたといわんばかりに息を吐き、そしてその態度とは裏腹に素直にクラウドの腕に収まる。
密着した体から、微かに汗の匂いがした。
「暑いのにくっついて…馬鹿みたいだ」
「そうだな」
同意の言葉を返して、クラウドはスコールの華奢な背を抱く腕に力を込める。このまま離れずに汗ばんで、ドロドロに融けてしまおうか。
長く冷たい冬の夜に互いの体温を分け合って朝が来るのを待つのもいいが、暑く短い夏の夜を惜しむように抱きあうのもいいだろう。
「帰り、遅くなると心配されるかな」
「空間変異が起きなきゃどうしようもないだろ」
「なあスコール、抱いてもいいか」
「…訊くな馬鹿」
言いながら足を踏まれた。その癖抱きつく腕に力を込めてくるなんて中々に可愛らしい反応ではないか。
夏は夜。
熱い空気に浮かされて、容赦なく照らす月に煽られて、短い時間を存分に愉しもう。
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HEAT
healing time
1歩でもいい、踏み出してこい。
ティナに対してそう言ったのは確かに自分だが、それは戦いの場に於いての気構えのことを指していたつもりで、決してこんな意味ではなかったはずだ。
…似たようなものなのか?いや、違うだろう、やっぱり。
心の中はお喋りな17歳、スコール・レオンハート。頭の中で考えていることのせめて10分の1でも声に出せば回避できる事態も多いのだが、そこで黙っているのがスコールだ。
「すごい、ふかふかね」
うっとりとした様子のティナに隣りを陣取られ、ジャケットのファーを弄られること早15分。
以前から物言いたげにスコールを見ていることが度々あったティナが決意した様子で近づいてきた時、そのあまりに真剣な様子にスコールは些か深刻な事態すら想像したというのに、ティナが熱意の籠った眼で見上げて言った科白は、スコールの服をふかふかさせてほしいの、だった。脱力して、その程度のことなら、と頷いたことを既にスコールは後悔している。いくらファーの手触りを楽しみたいと言っても、ほんの2、3回撫でれば充分じゃないのか、と思う自分の感覚が間違っているのだろうか。
「…ティナ」
「なに?」
「気に入ったなら、ジャケットは貸すから」
「ううん、そんな、いいの。脱いだらスコール、寒いでしょう?」
アンタがそんなカッコで平気なんだから俺がジャケット脱いでも平気に決まってるだろ。
と口に出せたらどんなにいいか。だが仲間内の紅一点、その可憐な容姿と純真な性格で仲間の庇護欲を掻き立てるティナ相手にそんなことが言えるだろうか。いや、言えるわけがない。スコールに出来ることと言えば、うっかりするとティナの胸に肘が当たってしまいそうな腕の位置をさりげなく変えつつ大人しく座っていることだけだった。
いつもナイト宜しくティナの傍にいて、ジタンやバッツ辺りがティナにちょっかい出そうものなら容赦なくメテオを放つオニオンは、何故だか割り入ってくる気配も見せず、スコールならいいよ、という信頼溢れる言葉と共にティナの傍から離れてしまった。そんな信頼などこの際要らない、とスコールは思う。
「あのね、スコール」
「…なんだ」
「もう1つだけ、お願いしてもいいかな」
まだ何かあるのか。
そう言いたいのを堪え、スコールは無言で続きを促した。ティナの夢見る瞳は潤んでキラキラと輝きながらスコールを見つめている。
「スコールの髪、触ってもいいかな?」
俺に拒否権はあるのか。
スコールは間髪入れずにそんなことを思ったが、考えるまでもなくそんなものはないのだろうと解ってしまう自分を呪った。
「おお…!ティナがスコールの頭撫でてるッス!」
「よかったねティナ…!」
「さすがのスコールも大人しくしちゃって。可愛いなあ」
「おれも撫でたいなあ。ボコとどっちが手触りいいんだろ?」
「だからと言って俺を撫でるな、バッツ」
「だけどいいのか?こんな覗き見みたいな真似…」
「いいんだって。癒しだよ癒し。ティナは念願のスコールの服と髪撫でて癒されて、スコールは幸せそうなティナに癒されて、オレたちはその2人を見て和んで癒されるって、このカンペキな構図!なっ?ライト」
「時には力を抜くことも大切だ」
「ライトがそう言うならいいが…。あれ、スコールは癒されてるのか…?」
Priority
あ。
小さくそんな声が洩れてしまってジタンは慌てて口を噤んだ。音や気配に敏感な相手の眠りを妨げてしまったのではないかと息を潜めて伺うが、どうやら平気そうだった。
隣りで眠るスコールは、体をこちらに向けて眠っている。毛布からはみ出た指先が、喉の乾きに目が覚めて半身を起こしたジタンの指に触れたのは偶然だ。
ジタンは視線を落として自分とスコールの毛布の間に投げ出された手を見つめる。
細い指だった。
いつもは黒いレザーグローブに覆われて見えないその指先は、ジタンが思っていたよりも華奢で、無論女性のものとは明らかに違うけれど、どこか心許ない気分にさせるものだった。体格が違うから当然ジタンの手よりスコールの手の方が大きいが、体格のわりに意外と大きく肉厚なジタンの手と、指が細く長く薄い掌のスコールの手では、どちらがより頼りない印象を与えるかと訊かれれば恐らくスコールの手の方だろう。剣を扱うその手の節々はしっかりしていて決してひ弱だとは言えないが、なんとなくもっと大きくて力強い手を想像していたジタンは、その細い指に何故だかひどく衝撃を受けた。
1度引っ込めた自分の指を、ジタンは再び慎重にスコールの指先に触れさせてみる。
冷たい指先だった。
毛布からはみ出している所為だけではない、きっと元々の体温が低いのだろう。凍えたような指先はなんだかとても寂しく感じられて、ジタンは眉根を寄せた。
年相応な様子を見せることもあるし、不器用な性格であることも知っている。時には子供っぽいほど向きになることだってあるのも解っている。しかし決して頼りないなどと感じたことは1度もなかったスコールに、今まで感じたことのない脆さを感じてしまってジタンは戸惑う。ほんの少し、指先に触れただけだというのに。
そんなことないそんなことない。
スコールは強くて頼れるヤツだ、とジタンは頭の中で唱え、喉が渇いて起きたのだから水を飲みに行こうと自分の手を引っ込めようとしたその時だった。
「え?」
離そうとした指先に、きゅ、と力が掛かった。驚いて見ればスコールの指先がジタンの指先を離したくないかのように少しだけ曲がっている。握るほどの力は込められていないけれど、確かに引き止める仕草。慌ててスコールの顔に視線を移すが、眸は閉じられたままだ。ジタンが見つめているその先で、寝息を吐き出していた唇が微かに動く。
行かないで。
音にならないそれは夢の中で言ったのだろうか。耳に届かないそれを、ジタンは眼で読んだ。
心臓がドクン、と大きく跳ねて、それからキュウ、と締め付けられるように痛む。
この痛みを知っている。知ってはいるがまさか、とも思う。
けれどとりあえずそんなことは意識の外へ置いておくことにした。物事には優先順位というものがあるとジタンは心得ている。
今まず自分がすべきことは、胸の痛みの正体を暴くことではない。
ジタンはスコールを起こさないようにそっと、しかし彼の夢の中へと届くようにと願いを込めて呟く。
「どこにも行かないさ」
そうして、ジタンはスコールの冷たい指先を優しく握り返した。
Winter has come!
午前7時起床。勤務は午前8時半から午後5時。昼休憩は交代制で1時間。3食支給。部屋は従業員用だから狭いがツインベッドでシャワールーム付き。使用時間帯は限られているが大浴場に行けば源泉かけ流しの露天風呂にゆったり浸かることも可能だ。そして自由時間は滑り放題。
2年前から始めたこの冬季限定のバイトは今回で3シーズン目。時間は限られているとはいえスノボ三昧の生活で金も稼げるなんて、一石二鳥どころの話じゃない。最初のシーズンの終わり、是非来年もと言われて、2シーズン目からは時給が相場の倍になった。俺達は驚いてオーナーに訳を訊いたが、とにかくいいからうちで働いてくれと言われて頷いた。おかげでこの冬のバイト代だけで2人合わせて充分な額を稼げる。最初は何かヤバイ仕事でも回されるのかと警戒したが、ネットのゲレンデの口コミサイトを見て事情を知った。…「イケメン2人に会えるゲレンデの宿」って口コミが広がってシーズン一杯満員御礼らしい。それについては俺は何も見なかったフリを通している。スコールにも話してない。雇い主と従業員の利害が一致してるんだ、それが大人の対応ってもんだろう。オーナーの人格にも問題ないしな。俺のスノボ好きを知って、オーナーはリフト担当にしてくれたから昼休憩に入った途端滑りに行ける。営業終了後のナイターは偶にスコールも滑る。あいつもかなり滑れるが、俺ほど興味はないらしい。3日に1度くらいのペースだ。代わりと言っちゃなんだが、いつの間にか宿のフリースペースで恒例になってたカードゲームに興じてる。なんでも噂が噂を呼んで今じゃカードゲームマニア垂涎のプレイスポットらしい。ますます宿の人気が上がってオーナーはご満悦だろう。まあ、スコールはカードゲームに関しては目の色変えるからな。初めは半ば無理矢理引っ張ってきたバイトだから、それなりに楽しんでくれてるようでよかった。
カーテン越しのぼんやりとした明かりが、隣りで眠ってるスコールの顔をうっすらと浮かび上がらせる。
半年ぶりに来たここにちょっとテンション上がって今日からバイトだってのに無理させたかもしれない。でもまあ、本気で嫌がってはなかったからこいつもここに来るのを結構楽しみにしてたのかも、というのは俺の希望か。
この半年弱の住み込みバイトのメリットはもう1つ。互いの生活リズムが合って、その上2人きりでいられることだ。2人で暮らしていても普段は互いの用事ですれ違うことも結構あるし、男2人の部屋は友人たちの溜まり場になり易い。やつらは気のいい連中だが遠慮がないからとんでもない時間に泊めてくれなんてやって来ることもしばしば。悪気がないのは解ってるし話してない俺達も悪いかもしれないが、一応恋人な俺達としては都合が悪い時もある。その点、ここは誰かに急に訪ねられることもない。バイト仲間とはそれなりに上手くやってるが、皆スキーやスノボ三昧の生活を満喫する為に来てるから夜なんてクタクタになってすぐ寝るようなタイプばっかりだ。…ほんと、いいバイトだ。
目覚まし時計が7時を示す。ピッと音が鳴ると同時に止めるとスコールが僅かな声を上げてゆっくり瞼を持ちあげる。それを確認して、俺は窓辺に立った。
煙草の焦げ跡が残る厚手のカーテンを一気に左右に開く。昨日降った雪が視界を真っ白に染めて朝日を反射してる。眩しい。2,3日前だと積雪がちょっと危ぶまれてたが、いいタイミングで降ったな。絶好のシーズンスタートだろう。
さあ、冬が来た!
Timing
視線を感じる。振り向けば目が合う。すぐに目を逸らされる。けれどまた視線を感じる。
これを人に尋ねたならば、9割の人はこう答える。即ち「それは相手が君のことを好きか、気になっている」のだと。
そんなわけで、クラウドがスコールのことを気にするようになったのは致し方ない。たとえ実際にはスコールの興味はクラウドの巨大な剣及びそれを無造作に扱うクラウドの体躯に置かれていて、目が合うとすぐ逸らすのは偏にスコールの対人スキル不足故で、それでもまた見ていたのはスコールが結構な武器マニアである所為であったのだとしても、それは仕方ないのだ。
ただ、普通ならば勘違いの恋で終わる筈のそれは終わらなかった。
見つめられると鼓動が速くなる。
ただの武器への興味でクラウドを見ていた筈のスコールがそんな状態に陥ったのは、単にスコールの恋愛経験の乏しさと、後はクラウドの整った容貌故といったところだろうか。要は美形に熱心に見つめ返されて、武器への興味で見ていた筈の自分の行動を自分で勘違いして恋愛感情に摩り替えてしまったのだ。恐らくこれを誰かに相談でもしていれば冷静に指摘して貰えただろうが、当事者2人の表情の乏しさも手伝って誰かに察知される事もなく事態は進行した。どちらか一方の片恋ならば勘違いの悲喜劇だが、運よく、或いは運悪く、それは双方向に矢印が向く立派な恋愛の様相を呈したのだった。…それもまた悲喜劇と呼べる類のものだと第3者なら言うかもしれない。
兎にも角にも、そんな誤解・勘違い・思い込み 身も蓋もないが他に言い様のない でめでたく互いにハートの矢印が向き合った2人だが、それを互いが知るまでには暫く時間が掛かった。
理由は明白。
2人揃ってコミュニケーションに不器用というか、奥ゆかしいというか、詰まるところ消極的で受動的なタイプだからだ。切っ掛けがあればそれなりに動けるものの、自分がその切っ掛けを作るのは苦手という2人なので、膠着状態が長く続いた。互いの視線だけで互いの感情を探る日々。さながら戦場で対峙しているかのように全身で互いの機微を感じ取ろうとするその様は、知らない者が見たら間違いなく2人は仲が悪いのだと誤解しただろう。仮に事情を知る者が見てもきっとこう言って呆れる。恋の駆け引きとはこんなに殺伐とした雰囲気でするものではない、と。
永遠に膠着状態のまま時間だけが経過して、そのまま別々の世界へと還っていくことになるかと思われた2人だが、そうはならなかった。何れ訪れる避けられない別れを考えて、敢えてここは動かないという選択肢も彼らの中にはあったし、2人の性格を考えればその選択肢を選ぶ可能性も充分あったが、出逢いの奇跡と限られた時間を思った時、動くことを2人は選んだのだ。有体に言うと、行動した結果の後悔と行動しなかった後悔なら行動する方を選ぶ、ということだった。
切っ掛けを作ったのはクラウド。さすがにそこは年長者と言うべきか、若しくはスコールよりは若干コミュニケーション能力が高かったと言うべきか。その頃にはもう、如何に対人スキルが低く殊に恋愛沙汰に鈍感な2人と言えど、9割以上の確率で互いの好意の矢印が向かい合っている事は覚っていたから、後は本当にタイミングだけだったのだ。
尤も、そのタイミングも他者から見ると「何故そこで?」と疑問符だらけになること請け合いだったが。
「俺の恋人になってくれ」
その言葉は、メテオレインと共に戦場に紡がれた。イミテーションにはメテオレイン、スコールには愛の告白。器用と言えば器用だが、もっと時と場所を選べばいいと、きっとメテオレインに倒れたイミテーションでさえ思ったに違いない。だが幸いにも、クラウドの告白の相手であるスコールはそういったことを気にするタイプではなかった。というよりも、1度好きになってしまったら恋は盲目、あばたもえくぼ、を地で行くタイプだった。
イミテーションを倒して、2人きりになったそこで僅かな頷きで返された答えに、クラウドの顔にも笑みが浮かぶ。
この直後から、スコールの極度のスキンシップへの不慣れさにクラウドが四苦八苦する日々が始まるのである。
Darlin’ Darlin’
トサッ、と軽い音と共に左肩にかかった重みに、スコールは目を瞬かせた。
「クラウド…?」
隣りで自分と同じように愛用の武器の手入れをしていたはずの相手の名を呼んで、顔を横に向ければ、視界が淡い金色に染まる。
寝てる…のか?
声に出さずに頭の中で浮かべた疑問は、耳に届く規則正しい穏やかな息遣いで肯定された。
まあ無理もないか。
スコールはそう思う。
うららかなな日差しが背凭れにした大木の葉の隙間から零れ、午睡を誘っている。
辺り一帯のイミテーションの掃討を終え、今日1日は休息日にするとライトが言い渡したのが昨夜の話だ。仲間たちは今朝から鍛錬したり、丁寧に武器の手入れをしたり、荷物の整理をしたり、遊んだりと、思い思いに過ごしていた。最近は戦闘続きだったから、戦いの緊張のない一時はとても貴重で睡魔も忍び寄ろうというもの。
スコールは静かに首を曲げて眠るクラウドの顔を覗き込んだ。。それからグローブを外した右手でそっと金色の髪に触れてみる。
…やっぱり、綺麗だ。
心の中でそう呟く。冬の月のような淡い金色の髪も白皙の肌も、通った鼻筋や薄い唇も、今は伏せられた睫も、奇跡的な造形と言っていいくらいクラウドはとても綺麗な顔をしていると思う。見慣れることなどない。つい見惚れてしまうことなど日常茶飯事だ。愛用の大剣を構えた時の凛々しい表情など、許されるならいつまでだって見つめていられるとスコールは本気で思っている。
視線を落とせば、厚い胸板と太い二の腕が目に入った。繊細な容貌を裏切る逞しい体躯だ。骨格の違いからかどうしても華奢に映る自身の体と比較して、心の底から羨ましい。少し憎たらしく感じる程だというのは秘密だ。
でも…すごく安心するんだ。
クラウドの腕の中が、今のスコールにとって最も心落ち着く場所なのは疑いようがない。
そこで今朝方まさしくクラウドに抱き締められた状態で目を醒ましたことを思い出し、更に芋蔓式にその状態になるに至った昨夜の激しい情交までも思い出して、スコールは目許を赤く染めた。
…腰、まだ少し痺れた感じが残ってるし。
頭の中で文句を言って、小さく溜息を吐く。今日が休息日ということは多少の疲れや怠さが残っても問題はないということで、それはつまり少々箍が外れても致し方ないということだ。クラウドだけを責めるつもりはないが、過ぎた快楽に気を失うまで放してもらえなかった昨夜の記憶に、なんだか居た堪れなくなる。
駄目だ、こんな真昼間から何思い出してるんだ俺。
長閑な昼下がりに似つかわしくない思考を振り切るべく、顔を洗ってこようとスコールが左肩に預けられたクラウドの頭をそっと外そうとすると、その手を掴まれた。
「何処へ行く?」
「…起きてたのか」
「途中で起きたんだ。そんなに熱の篭った眼で見つめられたら、な」
スコールの顔を覗き込むように見ながら言うクラウドの口許は笑っている。途端、カッと頬に熱が集まるのをスコールははっきりと自覚した。当然、間近でスコールを見つめているクラウドにもそれは明らかだ。
「…?どうした?」
「………ぃから」
赤い顔をクラウドの視線から背けて呟かれた答えは殆ど音になっていない。クラウドが「聞こえない」と言うように首を傾げるので、スコールは頬を更に赤く染めて自棄気味に口を開く。
「…アンタが、カッコいいから!」
もしこの場に第3者がいたら「惚気かっ」と呆れること必至だが、幸か不幸かここには2人の他は誰もいなかった。
「…ほんとに、お前は可愛いな」
「なっ…ん」
微妙なズレが生じた会話は、スコールの抗議が続く前にクラウドがスコールの口をキスで塞いで終わらせてしまう。
穏やかな木漏れ日の下で、2人の影がいつ離れたのかは、本人たちの他は誰も知らない。
Geranium
扉をノックすると「入れ」と静かな声がする。素早い身のこなしで室内に入ると、フリオニールは部屋の主に向かい敬礼した。
最初はぎこちなかった敬礼も、だいぶ様になってきた、とフリオニールは思う。
国民の義務として兵役に就いてから早2年。最初は「服に着られている」雰囲気だった軍服もすっかり板についてきた。そして兵役の終わるその日を、日常へと帰るその日を指折り数えていた当初と違い、今は。
「これは、なんだ?」
部屋の主の厳しい声は予測済みだ。部屋の主である年若い中尉はフリオニールのいる小隊の指揮官で、そして。
「志願書です」
フリオニールの簡潔な答えに、相手の眉間に皺が寄った。士官学校時代に派手な喧嘩をやらかして付いたという傷の所為で普段から厳しい表情に見えるその秀麗な貌が、更に厳しくなる。
「何故こんなものを…」
「もうすぐ兵役義務は満了します。俺は、軍に残ることにしました」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。最近の国境のきな臭い噂はアンタだって知ってるだろう。軍に残れば本当に戦場に出る可能性が高いんだぞ」
「それでも、おまえの傍にいたい」
相手の眼が驚きに見開かれた。
二等兵が中尉にこんな物言いをしたら普通は懲罰は免れない。けれど。
「だから軍に留まる。そう、決めたんだよ、スコール」
恋人にならば許される。
スコール・レオンハート中尉。士官学校首席卒業のエリート中のエリートで、任官後もその前評判を覆さない優秀さで軍上層部の期待も高い。このまま行けば史上最速の昇進スピードを記録するのではないかと噂されている。一見すると冷たいエリート然とした様子の、けれど本当は繊細で不器用な優しさを持つ、フリオニールの上官にして、大切な恋人だ。彼に恋をして、彼に想いを受け入れて貰って、彼に想い返されて、あれほど待ち遠しかった兵役義務の終わりが、故郷で待つ日常が、憂鬱なものへと変わった。
「フリオニール…」
もうすぐ兵役期間が終わる。フリオニールはここを去り、職業軍人であるスコールはここに残る。離れることを回避するには、スコールが軍を退役するかフリオニールが軍に志願するしかないのだ。しかし国境の緊迫感が高まる中、将来有望な幹部候補の退役を軍上層部が易々と容認することはないだろう。だったら道は1つしかない。
「…花を育てたいって言ってたじゃないか」
「基地でだって育てられるさ」
既に決断した表情で語るフリオニールの言葉に、スコールが俯いた。
「…駄目だ」
「スコール…」
やはり恋人の説得こそが最難関か、とフリオニールが考えていると、椅子から立ち上がったスコールが目の前に立つ。
「アンタのことを考えたら、そう言わなきゃならないって解ってるのに…、言えない」
その科白が耳に届いた瞬間、フリオニールは反射的に目の前の体を強く抱きしめていた。
「いいんだ。スコール、傍にいさせてくれれば」
「フリオニール・・・」
おずおずとスコールの手がフリオニールの背へ回される。その感触を愛おしく感じながらフリオニールは改めて決意した。
たとえ最前線へと送り出されることになったとしても、其処がスコールの傍ならばそれでいい。
ただその想いだけで心を満たして、フリオニールは恋人を抱き締める腕に力を込めた。
READY GO!!
「うっわ、ヤッベ…ッ」
調子に乗りすぎた、とジタンは舌を出した。余裕がある振りをしているのは自分自身への見栄だ。
その間にもジェクトを模したイミテーションの攻撃を躱し、クジャのイミテーションが放った魔法を紙一重のタイミングでやり過ごす。
複数のイミテーションを見つけて、面倒事は1度で片づけてしまえと考えたのはいいが、予想していたよりもイミテーションのレベルが高かったのが現状を招いた理由だ。他にエクスデスのイミテーションとゴルベーザのイミテーションの2体、計4体のイミテーションに熱烈に追い掛けられている今、反撃する余裕などジタンにはない。
「ジタン!横に跳べ!」
下方から聞き慣れたスコールの声がしたのと、目の前に巨大な光の刃が現れたのは同時だった。
「おおっと」
慌てて左方向へと跳べば、ジタンを追いかけていたイミテーション達が光の刃の直撃を受ける。
「あっぶねー!」
あと半瞬でもジタンの反応が遅かったら、イミテーション諸共直撃を受けるところだった。これは援護の礼を言う前に文句を言っていいだろう。勢いよく振り向いたジタンは、そこで「あれ」と声を上げた。
「なんだよ、そっちもお客さん連れてんの?」
「別に連れてきたかったわけじゃない」
憮然と答えたスコールの遥か後方に数体のイミテーションが見える。どうやらジタンの援護に来たというよりは、ジタンと同じく複数のイミテーションを相手に戦う内に偶然ジタンが追われている状況に遭遇した、ということらしい。
イミテーションの影にじっと目を凝らしていたジタンはやがて不服そうにスコールを見上げた。
「レディばっかじゃん。ずり~」
スコールが不本意ながら引き連れてきたのはティナにアルティミシアにシャントットのイミテーションと、見事に女性ばかりだった。…イミテーションに性別があるのかは疑問だが、とりあえず外見は女性だと言っていいだろう。
「…羨ましいか?」
「そりゃヤローに追いかけられるよりレディに追いかけられたいぜ」
「そうか、じゃあ譲ろう」
「ちょっと待てぇっ」
ジタンをその場に残してさっさとその場を離れようとするスコールの手を、ジタンは慌てて掴んだ。1人で7体のイミテーションを相手にしろとは非情もいいところだ。
「…冗談だ」
スコールが全く面白みの欠片も感じさせない表情で言うが、半分本気だったに違いないとジタンは踏んでいる。段々と打ち解けてきて気づいたが、スコールは面倒事を時々恐ろしいほどあっさりと放り出そうとするのだ。
「ジタン、ヤツらを纏めてこっちまで誘い込んで来い」
魔法偏重型の敵が多いから距離を開けられたままだと不利だとスコールは淡々と続けた。空中での動きも速いジタンが敵を誘い込み、スコールの技で一気に片付けてしまおうという算段だ。
「…なんかオレのが重労働じゃね?」
「この間、ライトの兜で皿回しした挙句皿を割ったのを黙っていてやった貸しはこれで帳消しにしてやる」
「………乗った」
損得計算に要した沈黙の後、短く頷いたジタンは腰を低く落とす。隣りでスコールもガンブレードを構えた。
「仕留め損ねるなよ~」
「誰に言ってる」
先程1人でイミテーションに追われていた時の焦りはもうない。今度は振りではなく本物の余裕を滲ませて、ジタンは大地を力強く蹴った。
「んじゃ~」
レディ・ゴー!
魔女っ子理論141~155
141
「ティーダのせいだろ」
「いーや、ジタンのが先だった」
互いにそう言って譲らないジタンとティーダが、全く以って仲のよろしいことで、とでも言いたくなるような見事なタイミングで同時にライトを見上げる。
「ライトもそう思うよなっ」
「……私には2人同時だったように見えたが」
冷静な返答に、2人は「うーん、そうかなあ」と言いつつも、「ま、いっか」と話を切り上げることにしたらしい。
この世界は様々な世界を写し取った断片の寄せ集まり。今まで歩いてきた限り、集落そのものを写し取っているところもあれば、洞窟や山、森林の一部を写し取った場所や建造物の内部を写し取った場所もあり、そこには特段一貫した法則性は見受けられない。ただ、どのエリアにも共通しているのは、デジョントラップ、と呼ばれるものが存在しているということだ。
2年前に、戦いを繰り広げた際には厄介だったデジョントラップだが、今回のように基本的には探索するだけの場合には大した支障はない。そこにデジョントラップがあることを認識して、注意して歩けばいいだけの話だからだ。それなのに。
何をそんなに盛り上がっていたのか、話しながら歩いていたジタンとティーダが物の見事にデジョントラップに仲良く足を突っ込んだのだ。反射的に何か掴まるものを求めて手を伸ばした結果、近くにいたライトが巻き添えになった。
掴まるにしても、せめて腕に掴まってくれれば持ちこたえられたのではないかとライトは思うのだが、2人が咄嗟に掴んだのはライトの腕でも足でもなく、身に纏っていたマントだった。後ろからマントを思い切り引っ張られたライトがそのまま2人と一緒にデジョントラップへと吸い込まれたのは不可抗力だったと言えるだろう。
「あー、でもさ、ちょうどよかったんじゃね?」
片方は小柄なジタンとはいえ、マントに2人もぶら下がられた重みを思い出して知らず眉間に1本皺を寄せたライトを見て、ジタンが話題を変える。
「最後はライトの番ってことだったんだし」
通常、デジョントラップに吸い込まれると、同じエリア内の別のデジョントラップから吐き出される。ライト達3人も同様に吸い込まれたと思ったらすぐさま外へと吐き出されたのだが、通常と違うことといえば、吐き出された先が自分たちの周りだけが僅かに仄明るいだけの暗闇だったということだ。
最後の楔を打つときが来た、ということなのだろう。
「このエリアって、ライト、知ってるとこなんスよね?」
「ああ」
今は暗闇に覆われて見えないが、先程まで歩いていたそこは、とある城の中の一部だった。
ティーダの質問にライトはゆっくりと頷いて答える。
「ここは、コーネリア城だ」
142
「それってさ、ライトの想い出深いとこなワケ?」
ジタンが訊くと、ライトは首を振る。
「想い出深いというより、私は今ここに世話になっている」
「城仕えの騎士ってこと?」
「…そうとも言えない」
自分の今の身分を尤も的確に表現するならば、それはコーネリアの食客、というのが正しいのだろうとライトは言った。
「ショッカク?」
耳慣れない単語にティーダが鸚鵡返しにすれば、ライトは暫く悩んだ後で、居候だと思っておけばいい、と説明する。
城仕えの騎士とは違い、王の命令を受ける立場でもなければ、給金を得ているわけでもない。勿論請われれば力を貸すが、ライトと後3人の仲間たちはあくまでも国王の客人として2年前からコーネリアに滞在していた。
「へぇ、城暮らしっての、オレには全然想像できないッスけど、なんか凄そう」
城というものに縁がなかったティーダはそう言い、その後に、でも、と続ける。
「故郷とか、帰んなくても大丈夫なんスか?」
「…わからない」
「え?」
ジタンも不思議そうにライトを見上げた。
「私が…いや、我々が何処で生まれどう育ち、どうやってコーネリアへと辿り着いたのか…誰も覚えていないのだ」
2年前、ライトは3人の仲間と共に、それぞれ輝きの消えたクリスタルを手にコーネリアへと辿り着いた。しかし4人全員の記憶は失われ、自分たちが何者であるのかも判らなかった。
「光の戦士…その伝説の戦士こそ自分たちだと告げられ、我等は戦った。時の鎖を断ち切る為に」
4人の戦士の活躍で、世界は2000年のループを打ち破り、正しい姿へと戻った。同時に、人々の中からは戦いの記憶は失われた。
しかし、不思議なことに人々の中に「光の戦士」というものの記憶だけは伝承として残っていて、だからこそライト達は戦いを終えて帰還した後、コーネリアの食客として迎え入れられたのだ。
「えぇと、じゃあ、2年前に此処でライトの記憶がなかったのは…」
「もともと記憶を失っていたからだ」
「じゃあ、今は…」
「2000年を経た戦いの記憶は我等4人だけが持っているが、コーネリアへと辿り着く前の記憶は今も甦ってはいない。私の名も…元の世界でも同じように呼ばれている」
ライト、ルース、リヒト、ルミエール、と4人の戦士たちは元の世界のいくつかの言語で「光」を指す言葉で呼ばれているのだとライトは付け足した。
以前本当の名前の話になった時に敢えてそれを言わなかったのは、ライトが本来の世界に還って記憶を取り戻したに違いないと仲間たちが思っているのが解っていたからだ。そこでわざわざ記憶を失ったままであることを告げて余計な気を遣わせる必要はないと判断したからだった。
「でもさ、仲間もいて、皆がライトのこと受け入れてるんだろ?だったらその、コーネリアってとこを故郷だと思うってのもアリだと思うぜ?」
ジタンがそういえば、そうッスよ、とティーダも頷く。
だがライトはふと暗闇を仰いで言った。
「だが…、偶に私は本当にここにいていいのだろうかと思うのだ」
「ライト…」
それは、どんな時にも揺らがずに仲間たちを導いてきたライトが初めて見せた揺らぎだった。
143
時の輪廻に関する記憶を失くしたはずの人々は、それでもライト達を光の戦士だと信じて疑わず好意的に受け入れてくれている。コーネリアに辿り着くまでの記憶を一切持たない彼らに、帰る場所が判らないのならずっとコーネリアに居ればいいと言ってくれた。彼らは口を揃えてこう言う。「あなた方が伝説の光の戦士であり、私たちは貴方達に救われた。何故だか知らないけれど、それは確かなのだと判るのだ」と。
そうして2年、ライトはコーネリアで過ごしてきた。何もせずにただ好意に甘えるのは性に合わないから、騎士の訓練などは率先して引き受けた。そうしている内に友人や知り合いも増え、恐らく自分はコーネリアでの生活に馴染んでいると言っていいのだろうとライトは思う。穏やかな日々に不満はない。若い騎士たちを鍛えその成長を見守る役目は遣り甲斐があるし、膨大な蔵書数を誇る城の図書室は一度足を踏み入れたら寝食を忘れるほど魅力的だ。
けれど、ふとした瞬間首を擡げる疑問を、ライトは打ち消すことができないでいる。
「私の使命は果たした。最早使命を持たない私は去るべきなのではないだろうか…」
記憶を失ったのはただ使命を果たす駒となる為だったのではないか。そして使命を果たして尚、記憶が失われたままなのは役目を果たした駒は歴史の狭間へと消え去るべきだからなのではないか。光の戦士という役割を全うした以上、自分が何者かも判らないような己個人の存在は要らないのではないだろうか。
「んなわけねーだろ!」
明らかな怒りを滲ませて語気を強めたのはジタンだ。
「ジタンの言うとおりッス」
続いて言ったティーダの様子も怒気を孕んでいる。
ライトは眼を瞬かせた。彼らは何故こんなにも怒っているのだろう。
「ライトは命懸けで使命を果たしたんだろ。そしたらその後は自由でいいじゃないか。役目果たしたらそれで終わりなのか?生きるってそんなことじゃないだろ。与えられた命を無駄にしないことだろ」
「使命の為だけに生きるって、じゃあ、今ライトのこと慕ってる人達はどうするんだよ?ライトが使命を果たしたからってだけで慕ってるわけじゃないッスよ。ライトの性格とか考え方とか態度とか、そーゆーのが好きなんだ。ライトはオレたちが、ただ同じ使命を持ってるからってだけでアンタを慕ってるって言うのかよ」
ジタンとティーダ2人揃って睨みつけられて、ライトは漸く思い至る。これは、もしかして。
「君たちは…私の為に怒っているのか?」
その問いに、2人の声がシンクロした。
「当たり前だろ!バカライト!」
144
バカ、だなんて初めて言われた。ライトは滅多に見せない驚きの表情を浮かべる。
「アンタがオレに言ったんじゃないか。オレの命に何1つ恥じるべきところはないって。オレはテラの民の器として造られた。それがオレの使命だ。だけどテラの民はもういない。オレの使命はもうない。だったらオレはいなくなるべきだってアンタは言うのかよ」
ジタンがライトを睨みつけて言った。
「オレの使命はシンを倒すこと。その為に現実に喚ばれて、その後ホントに消えたッスよ。でも、ライトだって、オレに戻って来いって祈ってくれたんじゃなかったんスか?祈ってくれた皆の想いを信じればいいんじゃなかったのか?アンタの想いを信じられないなら、やっぱりオレは消えるんスか」
ティーダは涙目でそう訊く。
ああ、自分はとんでもない間違いを犯そうとしていたのだ。
驚きに丸くしていた眼を1度伏せ、ライトはゆっくりと2人を見た。
「使命を担う自分」の他に記憶を持たないから、使命を果たすことだけが自分の在る意味のように感じていたけれど、それは自分だけでなく、他者の尊厳さえ貶める愚かな思考だったのだと悟る。同じように使命を果たしたはずの彼らはこんなにも魅力的で、彼らがいなくなるべき存在だなんて到底思えない。そして、「使命を担う自分」だけだと考えていた自身の存在もまた、それだけではないのだと彼らは言ってくれる。
「記憶が戻んなくても、それが全部じゃないだろ。オレ達と一緒にここで戦った記憶も、この2年間の記憶も、またこうやって一緒にいられる記憶も、ライトはちゃんと持ってる」
「ちゃんと、オレ達が好きな…たぶんそのコーネリアの人達も好きなライトのことも、認めて欲しいッス」
「…私は、あそこにいてもいいのか」
「いてくんなきゃこっちが困る」
「ライトだって、元の世界戻った後、オレのこと『どっか消えるって言ってたけどどうなっただろう』なんて考えたくないだろ?」
「・・・確かに」
大切な仲間だ、元の世界の仲間に囲まれて元気に過ごしていると思いたいに決まっている。
「アンタが仲間に対して想うことは、仲間がアンタに対して想うことなんだ」
「オレたちを仲間だと想ってくれるなら、そこんとこ忘れないで欲しいッス」
2人の言葉が、ライトの心に温かく宿る。2人を、そして待っていてくれる7人を、仲間だと想うのなら、彼らが慕ってくれる自分自身を認めなければならない。
本当の名も思い出せないけれど、彼らが呼んでくれることこそが重要なのだと言ったのは他ならぬライト自身だ。
仲間たちが、コーネリアの人々が、自分をライトと呼びそこに居てもいいのだと言ってくれるならば、それで充分なのだ。
「…ジタン、ティーダ。ありがとう」
言葉と共にクリスタルが現れ光を放つ。
滅多に見られないライトの笑顔は、それはそれは眩しかったとジタンとティーダは後で仲間たちにそう言った。
145
それは、光のネットのようだった。
ライト達3人が暗闇を打ち破ると、そこにはいつも通り仲間たちが彼らを待っていた。そこまでは変わらない。だが、そこからが今までと違っていた。
クリスタルから放たれた光が消えない。
やがて、どこからともなく9つの光が走ってきた。10人には感覚的に解る。これは、彼らが楔を打ったそれぞれの場所からの光だ。
徒に空間変異を繰り返すこの世界が、実際にはどういった形状をしているのか彼らにはさっぱり見当もつかないのだが、今現在の状況を察するならば、彼らが楔を打ったエリアがこの世界の外周に位置しているのだろう。そうしてそこから、他の楔の場所へと光の線が走って、大きなネットを被せるようにこの世界を覆っている。そう、まさに、この世界を繋ぎとめるネットだ。
「これで、この世界がバラバラになるの止められたのかな」
セシルが光を見上げて言う。
「…たぶんな」
クラウドが頷いた。
今までにない安定感のようなものを感じる。それは、この世界に調和と秩序の女神の力がしっかりと根付いた証なのだろう。
「ここがバラバラにならないってことは…」
バッツの言葉の続きを、ジタンが奪う。
「オレたちの世界に衝突もしないってことだ」
「オレらの世界は無事ってことッスね」
ティーダが笑い、フリオニールも笑みを浮かべた。
「守れたんだな、俺たちの力で」
「…任務完了、だな」
スコールが彼らしい言葉で表現すれば、ライトは胸に手を当て言う。
「コスモス…、貴女の願いは確かに果たした」
「よかったね」
オニオンが隣りのティナに微笑みかけ、ティナもそれに同意する。10本の楔を打った、それは今ここにいる10人の仲間1人1人が各々の心の中の壁を乗り越えたということなのだから。
「そうね。それにしても…本当に、きれい」
空を見上げてうっとりと呟くティナの言葉に、もう1度全員が空を見上げた。
眩い光が交差する空。
やがて光が消えるまで、彼らはずっとそれを眺めていた。
146
「あとはイミテーションの製造元をどうにかするだけか~」
焚火を囲んでの夕食が終わると、大きく伸びをしながらジタンが言った。世界の拡散は止めた。あとは、あの大量増殖したイミテーションの大元を破壊すれば、この世界は一定の秩序を保った状態になるだろう。
「製造元ってどこなんスかね~?」
ティーダものんびりとした口調で言うと、一緒に焚火を囲んでいたティナとオニオンもどこなんだろうね、と顔を見合わせる。
「見当はついている」
そんな答えが返ってきて、彼らが首を向ければ、少し離れた場所でガンブレードの手入れをしているスコールがチラと4人を一瞥した。
「そーなん?」
「…気づいてなかったのか?」
「全然」
寧ろ仲間にスコールやライト、セシルにクラウドといった、言わなくとも色々考えてくれるタイプがいるおかげで気づこうとしていなかった、という方が正しい気もするが、とりあえずジタンとティーダが代表して首を振る。
「考えればすぐ判る。イミテーションは2年前の戦いでカオス陣営が造り出して戦いに投入した戦力だ」
手は淀みなくガンブレードの部品を組み上げながら、スコールは説明してくれた。
「つまりイミテーションは、2年前、大いなる意思とやらが限定していた行動範囲の中で製造されたということになる」
「あ、そっか」
オニオンが納得した、と頷く。
「今まで通ったところにそれらしきものはなかったもんね」
ランダムな空間変異に運を任せて移動してきたから、当然見知ったエリアを何度も通る事もあった。だが、2年前に散々戦いを繰り広げた10のエリアにはそれらしきものは見当たらなかった。
「そうなれば、自ずと見当はつく」
スコールが組み上げたガンブレードを一振りして具合を確かめながら言った。
空間変異で辿り着くエリアはランダムで法則性は見当たらない、というのが基本だったが、1つだけ例外があった。
どんなに空間変異を繰り返しても、絶対に現れないエリアがあるのだ。
「…確かに、イミテーションの製造元としてはうってつけなカンジ?」
ジタンが肩を竦めて言う。ティーダもうんうんと頷いている。言われて見ればそれ以上の場所などないように思えた。
2年前、混沌の神が支配していた領域。
「混沌の果て…。恐らく、イミテーションの出所はそこだ」
147
年若い者達がイミテーションの製造場所について話していた頃、その場に居なかった5人の年長者は、テントの中にいた。
彼らも今後について話し合っている。ただし、イミテーションの製造場所のことではなく、それを破壊した後の話だ。
「コスモスの頼みは、あくまでこの世界の拡散を止めることだった。イミテーションの掃討については何も言われていない。つまり、僕たちはこの世界での使命を果たしたと言っていいんだと思う」
セシルの言葉に同意を示し、ライトが続ける。
「だが今のところクリスタルが我らをそれぞれの世界へと送り出そうとする気配はない。…2年前とは違う、と考えていいのだろうか」
「そうだといいよな」
バッツが真面目に言った。
「俺たちに還る場所の選択もできるといいんだが…」
フリオニールがそう話す横で、クラウドも口許に手を当てて考え込んでいる。
彼らはイミテーションを掃討し製造源を破壊することに関しては何も不安を抱いていなかった。恐らく混沌の果てに製造源があるだろうことは彼らも推測していたし、戦力的な不安は皆無と言っていい。
彼らが問題視していたのは、そして敢えて年長者だけで話し合っているのは、それがこの世界からの帰還について、もっと具体的に言うならば、スコールを彼の世界へ還さない方法についてだったからだ。
本人を交えて話しては、スコールを傷つけることになる可能性も皆無ではない。一応本人も納得したしおくびにも出さないが、元の世界への未練がないはずがないのだ。ここから還るその瞬間まで、出来るだけスコールの意識をそこから逸らしておいてやりたい。それが仲間たちの想いであり、しかしスコール1人を除いて話し合うわけにもいかないから、ここは年長者だけで、ということになったのだった。
「とりあえず、自分から還ろうとする、っていうのはどうだ?」
バッツがそう提案する。
2年前、この世界から還るときには、クリスタルの力によって言わば強制送還されたような状態だった。別れの挨拶も満足にできないまま彼らはそれぞれの世界へと還ったのだ。
だから今度は自ら還ろうという意志を見せてはどうだろう、とバッツは言うのだ。
「確かに、2年前に比べてクリスタルは俺達自身と結びつきが強くなっている…。俺達の意志が反映される可能性は充分あるか…」
クラウドの言葉にライトやセシルも頷いた。2年前にはコスモスの遺した力、という印象の強かったクリスタルだが、今回再びこの異世界へと彼らが来て、そして各々の心の蟠りを昇華してクリスタルの力を強めたことで、彼らの意思によるコントロールがある程度可能になった、という実感は全員が抱いていた。
「問題は…」
フリオニールが呟く。
「そうなると、自分から別れを言い出さなきゃならないってことか」
その科白に仲間たちが顔を見合わせた。
還りたくないわけではないが、別れるのも辛い。それを切り出すのは勇気が要るだろう。
「イミテーションを掃討し、製造源を破壊したら、速やかにこの世界を去る」
ライトが強い口調で言い切った。
「予めそう決めておこう。下手に躊躇って2年前のようにクリスタルの力で強制的に還ることになっては元も子もない。我々は、約束したのだから」
5人の脳裏に、眸を潤ませながら気丈に「スコールをここへは還さないで」と彼らに頼んだリノアの姿が浮かぶ。あの約束は絶対だ。反故にするわけにはいかない。
「そうだね」
セシルがそう言い、フリオニール、バッツ、クラウドもしっかりと頷いた。
仲間たちの別れの時はすぐそこまで来ているのだった。
148
「う、わ…」
オニオンの口から零れた驚嘆の声は、仲間全員の声でもあった。
その視界を埋めるのは、今までの比ではない大量のイミテーションの群れと、そして。
「カオスのイミテーションってアリかよ…」
「2年ぶりに見てもやっぱりデカイなあ」
「…あれだけは量産できなかった、ということか」
混沌の果ての玉座に座しているのは、混沌の神を模したイミテーションだった。イミテーション特有の金属のような質感で巨大な尾が揺れる様は異様というかシュールというか、見る者の意見が分かれそうな光景だ。
「イミテーションは所詮模造品。たとえカオスであろうと、2年前本物を倒した俺たちが恐れる相手じゃない」
フリオニールの言葉に全員が同意する。
「最後の一暴れ、行くッスよ~!」
ティーダの言葉が合図となって、イミテーションを掃討すべく彼らは動き出した。
まずは強力な全体魔法を使えるオニオンとバッツ、クラウド、スコールがイミテーションの数を減らし、そこを掻い潜って襲ってくる敵をライト、フリオニール、セシル、ジタン、ティーダの5人で確実に仕留めていく。戦闘力のないティナは後方から全体を見て敵の動きに注意する役目を負った。
混沌の果て、というエリアの狭さが10人には有利に働く。大量の軍勢で組織的な動きをするから手強くなっていたイミテーションだが、この手狭な空間では、その数自体が足枷となって烏合の衆にしかなっていない。
「みんな!カオスの玉座の後ろからイミテーションが出てきてるわ!」
無尽蔵に戦場に投入されるイミテーションだが、さすがに倒され減らされるスピードと造り出されるスピードでは減る方が早い。イミテーションで埋め尽くされて地面も見えなかった一帯も、ようやく彼らの記憶の中にあるこのエリアの姿に近づいてきた。そして、そこでようやく、玉座にいたカオスのイミテーションが動き出す。
「クラウド!スコール!君達はカオスのイミテーションを!」
「わかった」
「了解」
セシルの指示に2人は走る。イミテーションとはいえ、さすがに混沌の神の模倣は今までとは段違いの強さだ。それでも、彼ら2人にとって苦戦を強いられるほどではない。
「ジタン、ティーダ、オニオン。悪いけど、そこを通り抜けてイミテーションの出所、潰してきてくれるかい」
「任せとけって」
俊敏で機動力の高い3人に、クラウド、スコールがカオスのイミテーションと戦いを繰り広げる直ぐ傍を潜り抜けるよう頼んだセシルは、最後にライトとフリオニール、バッツを振り返った。
「僕らはここにいる残りを片付けよう」
「ああ」
戦闘は危なげなく進む。10人の中にあるのは、これで最後なのだという想いだ。2年前にも経験した想い。2年経ってこうして予想外に再会は叶ったが、たぶん3度目はないだろう。
だから、すべての戦闘が終了した時、彼らの表情は達成感や安堵と共に寂寥にも彩られていた。
149
「あー、やっぱ海は気持ちいいッス!クラウドとスコールは初めてだよな。ここがオレの住む世界!」
ティーダが大きく伸びをしながら言う。
「ティーダにピッタリなところだな」
クラウドが穏やかに感想を述べた。その言葉に、ティーダは嬉しそうに笑う。
眩しく照りつける太陽、光を反射する白い砂浜、透き通る青い海。
穏やかな波打ち際、ビサイドの浜辺に10人は立っていた。
話はほんの僅かばかり前に遡る。
イミテーションの掃討を完了した彼らは円陣を組むように混沌の果てに立った。
別れ難くズルズルと此処に居座っても仕方ない、イミテーションの掃討が完了したらすぐに帰還することにしよう。その決定に異を唱える者はいなかったから、彼らはそれぞれの手にクリスタルを握っている。
だが、別れの挨拶を口にするのは中々難しかった。暫くの沈黙の後、やはりここは自分が口火を切らねばならないだろうとライトが口を開き掛けたところで、自らのクリスタルを見つめていたティーダがバッと顔を上げた。
「見送り、来ないッスか」
「は?」
意味が判らず訊き返す仲間たちに、ティーダはいいことを思いついた、とでも言うように大きく頷いて見せる。
「うん、そうだ、見送りに来いよ!」
1人で納得しているティーダに、他の仲間たちがついていけないでいると、はいはいみんな手ぇ繋いで~、とティーダはどんどん話を進めてしまう。
「おいおい、ちょっと待てってティーダ!」
「いいじゃないッスか。これでみんなが見送りに来れたら、自分以外のヤツも連れてけるってことになるんだから」
クリスタルがその持ち主しか還らせてくれない、となれば何か別の手段を考えなくてはならないことになる。確かに全員が一斉にこの異世界から帰還してはむざむざとスコールを元の世界へと還してしまう危険性は拭えない。ティーダの言う事は理に適っていた。
「じゃ、やってみるぞ~」
言葉と共にティーダのクリスタルが輝き出し、そして今に至るのだ。
「とりあえず、自分のクリスタルの力で他人も連れて行けることが確認できたんだからよかったよね」
セシルがライトに言うと、ライトも安堵を隠さずに頷いて見せた。仲間たちの気掛かりは最早それだけだったのだから、その確認が出来たことは大きい。突飛にも思える提案をしてくれたティーダにライトは感謝していた。
そのライトの視線の先で、ティーダは背後を振り返り、そして仲間たちの方へと向き直ると泣きたいのか笑いたいのか曖昧な表情で口を開いた。
「ホントは、色んなトコ見て欲しいんだけど、そう言ってられないよな」
150
お別れ、ッスね。
ティーダの言葉を聞いたかのように、ティーダを除く9人のクリスタルが輝き出す。すると、ティーダがクラウドに自分のクリスタルをポン、と手渡した。
「ティーダ?」
「もうオレには必要ないと思うから、持っててよ。それはオレの世界を知ってる。上手くしたらまた来られるかもしんないし。逃げたくなったら逃げちゃえ」
そして、数歩後ずさって仲間たちの顔を見渡したティーダは、最後にこう言った。
「みんな元気でな!顔暗いッスよ!こんな時こそ笑顔の練習!」
その科白と、光が溢れるのはほぼ同時だった。
「…あいつ、強いなあ」
光が収まれば、そこは見知った異世界の秩序の聖域で、けれどもうそこには9人しかいない。それを見とめてバッツが呟いた。
「ねえ、僕も見送って欲しいんだけど」
そこへそう言ったのはオニオンだ。言葉は希望の形を取っていたが、その手に握られたクリスタルは既に輝き始めている。
「いいよね」
強気な科白を吐いているわりに、オニオンの眸は不安を隠せない。
「しぃっかりお見送りしてやるぜ~」
ジタンが笑いながら肩を竦め、他の仲間たちもそれぞれに微苦笑で頷く。オニオンのクリスタルの光が辺りを包むと、次の瞬間、彼らは見慣れない地に立っていた。
「懐かしいなあ」
そんなに長い間留守にしたわけではないのに、不思議な程懐かしく感じる景色を見回してオニオンは頷く。そして自分の背後に見える城を指差した。
「元々いたのはもっとちっちゃいウルって村なんだけど、今はあのサスーン城で色々勉強させて貰ってるんだ」
誇らしげにそう語り、そしてすぐに寂しさを隠せない様子でオニオンは続ける。
「いろんなこと学んで、それで、いつか僕は物語を書きたいんだ」
「すてきね」
ティナがすぐさま反応して言えば、少年ははにかんで見せた。
「みんなのお話だよ。神様に喚ばれた10人が一緒に旅して戦うお話だ。ここでもうお別れだけど、みんなのことを、形にして残したいんだ」
オニオンの言葉を切っ掛けに、「見送り」役の8人のクリスタルが輝き始める。少年は自分の持つクリスタルを暫く見つめると、スコールに近づき、はい、と渡した。
「…オニオン」
「僕のも渡しておくよ。もしもこれでいつかまた此処へ来られたら、僕の書いた物語、読んでね」
黙って頷いたスコールに、満足気に笑ったオニオンの前で、輝きが溢れ出す。
「みんな、大好きだよ!」
8人の耳に最後に届いたのは、そんな科白だった。
151
「ネギのヤツ、最後の最後だけエライ素直になりやがって~」
「いっつも生意気なことしか言わなかったくせになあ」
ジタンが少しだけ寂しそうに笑い、フリオニールも苦笑いしながら同意する。
「…あの」
遠慮がちに発せられた声に、全員が声の主を見遣ると、ティナがそっと手を挙げていた。
「わたしも、見送ってもらってもいいかな?」
「勿論、レディを送り届けるのは男の義務だぜ」
「…送り狼って表現があったな」
ジタンが胸に手を当て恭しく一礼する横で、スコールが言う。
「オレが送り狼なんかになるわけないだろ」
「珍しいね、スコールがそんな冗談言うなんて」
ジタンの抗議に被さるようにセシルが言うと、スコールは手に持ったものを軽く掲げて見せた。それはオニオンから託されたクリスタルだ。
「ナイトがいないから、代わりに、な」
「それじゃあ、いくね」
ティナが言葉とともに彼女のクリスタルが輝きだす。視界がほんの一瞬白く染まると、もう次の瞬間には今までとは違う景色が広がっていた。
「モブリズ、だっけ?」
「うん」
異世界にもここを模したエリアがあったので全員がなんとなく見覚えのある景色だ。同時に、やはりあの異世界の断片はあくまで断片なのだと実感する。それは本物が、切り取られた景色ではなく広がる風景の一部だからなのかもしれないし、そこで生活する人の気配が感じられるからなのかもしれない。
「ティナママ~!」
目敏く「ママ」の帰還に気付いた子供たちが手を振ってくる。走り寄ってこないのは「ママ」が「知らないお客さん」と話しているので邪魔してはいけないと思っているからだろう。
振り返って子供たちに手を振り返したティナは、仲間たちに向き直るとこう言った。
「ここで、あの子たちが育っていくのを見守るわ。あの子たちが、みんなみたいに強くて優しい人になれるように」
そして、自分のクリスタルをクラウドがティーダのクリスタルを抱える腕の隙間に差し込むように置く。
「わたしのも、預けるね」
「ティナ」
「これがこの先も役に立つのかわからないけど…。わたしが幸せを祈ってるってこと、思い出して欲しいから」
慈愛に満ちた「ママ」の表情でティナが言うと、7人のクリスタルの輝きが彼らを包んだ。
光が収まれば、そこはまた異世界。
「もうちょっと、時間欲しい気もするけどな」
「それで別れ難くなっては仕方ないだろう」
「妙に湿っぽく別れるよりいいさ」
バッツがぼやき、ライトが生真面目に諌め、フリオニールが宥める。
「なあ、オレのトコも見に来いよ」
尻尾を自在に揺らめかせて、ジタンがそう言った。
152
ジタンのクリスタルの光に導かれてやってきた先の景色は。
「う…」
振動に瞬時に反応するクラウドの三半規管の繊細さを心配すればいいのか笑っていいのか、以前スコールの世界で飛空挺ラグナロクに乗った時以来の下らなくも答えのない疑問に仲間たちは曖昧な表情で様子を見るしかない。寧ろこれでよく、あの星の体内のようなエリアで戦えていたものだと場違いな感心が仲間の心を占めていることを本人は知らないだろう。
「わりぃ、移動中みたいだ」
ジタンも苦笑いしながら頭を掻いた。
「ここは…?」
「ここがオレの家。劇団タンタラス自慢の移動劇場艇さ」
ま、盗賊団のアジトでもあるんだけどな。でも最近は劇団が本業だから。
そう付け足したジタンは芝居さながらに一礼してみせる。
見に来いと言った割にここでは世界の様子が判らないが、ここがジタンの家だというならばそれはそれで感慨深い。確かに劇場艇という特殊さからか、ただの空路移動の手段としての飛空挺に比べてだいぶ造りに違いがあるように見えた。
「オレはここで家族みたいな仲間と一緒に笑って、怒って、芝居して、あちこち回ってく。待っててくれるレディがいるから、還る場所は決まってる」
そうして、誰かに記憶を繋いでいく。
「お前らの記憶も、繋いでくよ。ネギは物語書くって言ってたから、オレは芝居にしようかな」
「なんかジタンが凄くカッコいい芝居になったりしてな」
バッツがそう茶化す。ジタンを除く6人のクリスタルが輝き出した。
「当たり前!・・・ってウソウソ、みんなカッコいい芝居だぜ?」
言いながらジタンはスコールに自分のクリスタルを差し出す。
「オレのも、な。たぶん、バッツの幸運のお守りより効果あるぜ?」
「…そうかもな」
悪戯っぽく片目を瞑って見せたジタンにスコールがほんの微かに口許を緩めて言えば、ひどいなあ、とバッツがぼやいた。
光の中で最後に見えたのは、ジタンが親指を立ててポーズを決め、グッドラック、と言う姿だった。
「…ちっちゃいけど男前なんだよなあ、あいつ」
なんか最後凄いカッコよかったぞ、というバッツの呟きに、「ちっちゃい」は言及しないでおいてやれ、とスコールが内心思っていると、フリオニールが口を開く。
「花を見に来ないか」
その誘い文句は、2年前、世界を花で満たして平和な世界を築きたいという夢を抱いていたフリオニールらしい言葉だ。
「いいね」
セシルがすぐに同意を示し、乗り物酔いから復活したクラウドも頷いて見せた。勿論、他の3人にも異論はない。
ほっとしたように顔を綻ばせたフリオニールが手を翳すと、彼のクリスタルが光り始める。
「…うわぁ」
光が収まった途端、彼らの眼に飛び込んできたのは、可憐な花々が咲き乱れる景色だ。
「大したものだ…」
ライトも感心したように言うと、フリオニールは照れくさそうに笑った。
「これ、フリオニールが植えたのかい?」
「俺だけじゃない。仲間や村の皆が手伝ってくれた」
植えられているのはどれも比較的素朴なものばかりだが、勿論、2年前フリオニールを支える象徴でもあったのばらもたくさん植えられている。
「ようやく、この辺りはここまでになったけど、この世界にはまだまだ戦いで滅茶苦茶になった姿のままのところも多い。俺は、これからそういうところを回って花を植えていこうと思ってる」
決意に満ちた表情で、フリオニールはそう語った。
153
フリオニールの決意を聞き届けた、とでも言うように、5人のクリスタルが光り出す。
フリオニールは既に3つのクリスタルを抱えるクラウドの両腕に、自分のクリスタルを乗せた。
「夢があるから戦える。たとえ吹き飛ばされても、踏み荒らされても、俺は何度だって花を植えるよ」
「お前ならできるさ」
フリオニールはしっかりと頷き数歩退くと、光の中に飲み込まれていく仲間たちを見送った。
「皆、元気で」
そんな言葉を耳に捉えて、光が収まればそこにはもう5人の姿しかない。ほんの1時間前にはここに10人いたのに、もう半分になってしまった。
「1人、また1人と姿を消していき…」
「…そこで何故ホラーにする」
バッツの言葉にスコールが突っ込む。するとバッツは笑って自らのクリスタルを天に翳した。
「ボコに会いに来るだろ?」
誘いでも希望でも命令でもない、それは既に来ることを前提とした確認だ。屈託がないというか謙虚さがないというか、コイツの場合はどちらもか、とスコールが思っている間に視界は草原へと変わる。そして。
「クエ~ッ!!」
「うわっ」
仲間たちの目の前で、バッツに見事なチョコボキックが決まった。
「イテテテ…。勢いつけすきだよ、ボコ」
「クェ~」
「でも、会いたかったぞ、ボコ~ッ」
「クェックェッ」
ヒシと抱きしめあう(相手はチョコボなので正確にはバッツが一方的に抱きついているだけだが、雰囲気から察するとこうなる)1人と1羽。
「…あれって会話が成り立ってるってことなんだろうね」
「…たぶんな」
見守る仲間たちも、あれが「幸運のお守り」の提供元か、と興味深い。お守りを持ち歩いていた経験のあるスコールなどは特に。
俺はあれと間違われていたのか、と寝惚けたバッツに散々「ボコ~」と懐かれた経験のあるクラウドは別の意味で感慨深いようだったが。
「こいつがおれの相棒のボコ。おれとずっと旅して、これからもあちこち旅する妻子持ちだ」
「クエッ」
挨拶するようにボコが鳴く。
「こいつと旅して、それで、おれもみんなのこと、話すよ。おれ、吟遊詩人もマスターしてるしな」
バッツは朗らかにそう言って、自らのクリスタルをスコールの腕の中へと押し込んだ。
「幸運のお守り、持ってけよ」
「アンタの相棒じゃなかったか?」
「そりゃあの世界ではな。でも、おれには本物のボコがいるから大丈夫」
そうして、光に包まれて消えていく仲間に向かって、バッツは言う。
「おまえたちと旅ができて、楽しかったよ」
光が収束すれば、そこは何も変わらない秩序の聖域で、けれど4人になった今、ここはこれほど広かっただろうかと彼らはなんとなく辺りを見回した。
「いつも賑やかに僕らを引っ張ってくれた皆がいないから、なんだか物凄く静かだよね」
穏やかに笑ってそう感想を述べたのはセシルで、彼はそのまま穏やかに続けた。
「じゃあ、そろそろ僕も見送ってもらってもいいかな」
154
百聞は一見に如かず。表現に差はあれど似たような慣用表現は各々の世界にも存在して、今まさにその言葉がクラウドとスコールの脳裏に浮かんでいる。いま1人、ライトの表情は特に変わらないので判別不能だ。
「おかえりなさい、セシル」
「だ~」
「ただいま、ローザ。セオドア、いい子にしてたかい?」
話は聞いていたが、ほんとに妻子持ちなんだな…。
美しい妻の胸に抱かれた、まだ音を発するだけで意味のある言葉を話すことまではできない幼い息子の顔を覗き込むセシルの姿に、話を聞いていただけでは感じなかった何とも言えない驚きというか感慨というか、そんなものを覚えて、彼らはついついその幸せな家族を凝視してしまう。
その視線を感じ取ったのか、セシルは顔を上げると柔らかく笑った。
「僕の、大切な家族だ。僕は家族と、そしてこの国の王としてこの国に暮らす人達を護って生きていく」
その柔和な笑顔とは対照的に、声は力強く決意に満ちている。アンバランスというか絶妙なバランスというか、ともかくこれがセシルの本質だと仲間たちは思う。
「この子がもう少し大きくなったら、皆の話を聴かせるよ。きっと眼を輝かせて喜ぶと思う」
そしてセシルもまた、自らのクリスタルをクラウドの腕の中へと置いた。
「護るものがある、護れるものがあるって、きっと大きな力になるよ」
「…ああ。俺もそう思う」
頷いて返したクラウドに、安堵したように微笑んでセシルは数歩下がる。眩い光の中へと消えていく3人の眼に、不思議そうにこちらを見つめる幼い赤ん坊の顔が映った。
「……」
戻ってきた異世界で、暫くは沈黙がその場を支配する。最後に残ったのが寡黙な3人なのだから仕方ない。やがてライトが徐に口を開いた。
「では、私も行くとしよう」
「勿論、俺達が見送りに行っても構わないな?」
クラウドが尋ねれば、ライトは口許を緩める。
「頼めるだろうか」
「…アンタ1人を例外にしてどうする」
無愛想に答えたのはスコールで、この謹厳実直な光の戦士に対する半ば喧嘩腰のような物言いは最後まで変わらなかったな、と横で見ているクラウドと、言われた当事者であるライトは僅かに苦笑いした。
「そうか。ならば頼もう」
ライトのクリスタルが光を放ち、あっという間に景色が変わる。そこは、クラウドとスコールにも見覚えがあった。2年前、最後の戦いを終えて彼らが別れた場所だ。少し離れた場所に優美なシルエットの城が見える。あれが、コーネリア城なのだろう。
「2年前、あの異世界へと喚ばれて私は9人の仲間を得た。そして再びあの世界へと喚ばれ、仲間は…私に自分が在る意味を教えてくれた」
ライトは2人を見つめて言う。
「もう逢うことが叶わなくとも、私はこの世界で、私に出来る事をしながら、皆の息災を願っている」
ティーダがブリッツボールで活躍し、ジタンが芝居で喝采を浴び、ティナが子供たちと笑い合い、バッツがボコと草原を渡り、セシルが家族に癒されながら立派に国を治め、オニオンが多くのことを学び、フリオニールが世界中に花を植える様子を思い描き、それを祈る。
「そして、既に還った者たちもみな、人よりも永い時を渡る君達を案じ、その道程に降り掛かる困難が1つでも少なくなることを祈っている」
タイムリミットを示すように2人のクリスタルが輝き始めた。ライトはスコールに歩み寄り、その腕の中に自らのクリスタルを置く。
クリスタルの光の中に消えていく2人に、ライトは最後にこう言った。
「忘れるな。光は君達と共にある」
155
戻ってきた異世界は、音もなく静かだった。
2人は、それぞれの腕の中に抱える5つのクリスタルを見つめる。すると、クリスタルが急に輝き出し、彼らの両腕から頭上高くへ浮かんだ。
「なんだ…?」
中空に円形に並ぶ10のクリスタル。どんどん輝きを増すそれらは、やがて円の中心に集まり、そして光が弾けた。
「…っ」
あまりの眩しさに2人は手を翳し目を庇う。辺りを真っ白に包んだ光が収まると、宙に浮いていた10のクリスタルの姿はどこにもなかった。
「あれは…」
クラウドが右手を差し出す。そこへゆっくりと落ちてきたのは。
「これは、クリスタル、か?」
スコールもそれを見て言う。
今まで彼らが手にしていた、形も色もバラバラな、片手で持つにはギリギリな大きさだったそれらの代わりに、片手で包み込めてしまう程の小さな、けれどダイヤモンドのような輝きと透明さを持つ完全な両錘形のクリスタルがそこにあった。
ちゃんと、こいつを連れていけそうだ。
クラウドは内心で、別れた仲間たちに語り掛ける。スコールを自分の世界へと連れて行って、もし今までの「見送り」のようにスコールだけが異世界に戻されてしまうような事態になったら、と密かに懸念していたのだが、どうやらその心配はなくなったようだ。クリスタルは1つになり、それはきっと、彼らに自分のクリスタルを託した仲間たちの意志の力も働いているのだろう。クリスタルはもう、スコールを彼本来の世界へと還す為の力ではなくなったのだ。
「行くぞ」
クラウドは短く言って、祈るように目を閉じた。呼応するように手の中のクリスタルが光り出す。
還るべき自らの世界を思い浮かべ、そして左手でスコールの手を掴んだ。ちゃんと約束通り彼を自分の世界へ連れて行く為に。
光が収まるとそこは、クラウドにとっては見慣れた世界。エッジの街並みが見える。
クリスタルはクラウドの手の中で淡い光を放って姿を消した。完全に消えたわけではないと感覚的に解る。恐らく必要があれば、クラウド、スコール、どちらの想いにも呼応して姿を現すだろう。
スコールは周囲の景色を不思議そうに見回している。初めて見るのだから当たり前だ。暫くして、ぽつりと呟く。
「ここが、アンタの生きる世界か…」
「違うな」
だがすぐさま否定の言葉を吐き出されてスコールが驚いてクラウドを見れば、クラウドは意外な程真剣な眼をしてスコールを見ていた。
「俺の世界じゃない。これからは、お前が生きる世界でもあるんだ」
これからスコールはこの世界で永い時を生きていく。
リノアが、ラグナが、エルオーネが、クレイマー夫妻や幼馴染たちが、そして異世界で出逢った9人の仲間たちが、スコールに生きて欲しいと願ってくれたから。
クラウドが、永い時間につきあってくれると約束してくれたから。
あの異世界で、2人とも過去を変えないという選択をしたから。
いつか元の世界へと戻れる日が来るかもしれないが、それはずっと先の話であることは間違いない。
「………そうだな」
軽く目を閉じた後、そう吐き出したスコールに軽く頷いて、クラウドは微かに首を傾けて促す。
「行こう。俺の仲間を紹介する」
「ああ」
そうして、2人はエッジの街へと歩き出した。
魔女っ子理論127~140
127
『じゃあ、行ってくるな。ダイジョーブだって!エルはエスタだって判ってんだしさ、な?』
『あの子…泣いてないといいんだけど・・・』
『ささっとエスタ行って、エルを助けて、エルをこんな目に合わせたヤツらはぶん殴って帰ってくるから!』
スコールの眼に映る2人はそんな会話を交わす。その話の内容から、これはエルオーネがエスタの女の子狩りによって誘拐された後、ラグナたちが救出に向かう時のことだと判る。それはつまり、ラグナとレインの、永遠の別れの時。
まるでちょっとした旅行にでも行くような気負いのなさで出掛けて行った男は、途中何故か映画出演などもしながらエスタを目指し、漸く潜入したそこでエルオーネを救う為革命派と協力し、エルオーネを救い出した後は力を貸してくれた人達への恩返しの為にエルオーネだけをウィンヒルへと送って自分はそこでクーデターに参加して気づいたら英雄になり、そしてレインの許へと帰ることはなかった。帰りたいと、帰ろうと、ずっと思っていたにも関わらず、だ。
『帰ってきたら…その、けけけけけ結婚式、ああ、あげ、挙げよう、な』
『もう、噛みすぎなんだから。帰ってきたら、結婚式をして、それからエルも正式に養女にしましょう。一気に妻子持ちよ』
『レイン・レウァールとエルオーネ・レウァールか!美人の奥さんと娘って、俺めちゃくちゃ幸せもんだな!』
『…だから、早く、無事で帰ってきて』
俯いたレインに、ラグナが恐る恐る手を伸ばす。そっとその体を抱き締めた時、時間が止まった。
「…なん、だ…?」
じっと目の前の光景を見つめていたスコールが思わず疑問を声に出したのと、スコールの耳に何者かが囁きかけたのは同時だった。
『このままラグナを行かせてもいいの?』
反射的に振り返るが、そこには訝しげにこちらを見るクラウドがいるだけだ。
「どうした?」
「声が…聞こえなかったか?」
スコールの問いに、クラウドは首を振る。
「いや、俺には聞こえなかった」
「そうか…」
そのスコールの耳に、再びは声は問い掛けた。
『今ならば、変えられる』
その声は、どこかで聞いたことがあるような、けれど全く知らない他人のような。
『さあ、スコール。今ならば、お前は選べるのです』
「何を言っている?」
『今ならば、過去を変えられる』
その言葉に、スコールが再び驚きに瞠られた。
128
「過去を…変えられる…?」
『エルオーネがお前をラグナの意識へと飛ばしたのは過去を変える為だった…。しかしそれは叶わなかった。当然です。意識を接続しても接続した相手の思考に影響は与えられない。何よりお前自身が、過去を変えるという目的を知らず、自分が接続した相手の行動が自分の人生にどんな影響を及ぼすものか知らなかったのだから』
「それが今なら可能だとでも言うのか。馬鹿馬鹿しい」
スコールは吐き捨てるように言い放つ。そんなことが、どうしたら可能になると言うのだ。ここは異世界の、更に隔離された異空間で、今見たものは幻影に過ぎないのだ。
『お前が見たもの、これは幻影ではなく、過去の景色。お前は今、過去の誰かの意識ではなく、過去の時間そのものにジャンクションしているのです』
「なんだと?」
『お前ならば、いえ、スコール、お前にだけ可能なのです。時を操る魔女の力…。完全な魔女の力を持つお前だからこそ』
「…魔女の、力…」
スコールの呟きに、クラウドの眉根が訝しげに寄せられた。クラウドにはスコールに何が見えていて何を聞いているのか解らないが、ここでスコールの口から「魔女の力」などと言う言葉が洩れてくるのはあまり楽観できる状況ではないだろう。
『お前が望めば、過去を変えられる。お前はそれだけの力を持っているのです。ラグナをこの時レインの許に留めておくことができる』
「どうやって…」
無意識にそう尋ねていた。
『レインはこの時自分がお前を身篭っていることを知らなかった…。子が宿っていることを知ればラグナを行かせたりはしなかったでしょう。ラグナも、自分の子を身篭っているレインを置いていったりはしない。お前がほんの少し力を使って時に影響を及ぼせば、簡単に過去は変わるのです』
ここでレインが自身が妊娠していることを知れば、そしてそれをラグナに告げて引き止めれば、スコールの人生は劇的に変わる。
きっと2人は明るく幸せな家庭を築くだろう。スコールはその中で愛されて守られて、この長閑な村ですくすくと育つのだ。ひとりぼっちだと泣くこともない。性格はたぶん今とは正反対。表情豊かな、よく笑いよく喋る、活発な少年になるのかもしれない。誰にも頼ってはいけないのだと頑なに決意する事もない。ガーデンに入ることもないだろう。戦いとは無縁の、穏やかな日々。ガーデン指揮官として他人の命を預かることも、伝説のSeeDとして祭り上げられることも、勿論魔女として畏怖されることも、人とは違う時間を生きなくてはならなくなることもない。
それは、欲しくて欲しくてどうしようもなかった、同時にどうしても得られなかったもの。
「スコール」
呆然とした様子のスコールの肩を、クラウドが強い力で掴んだ。
129
肩を掴まれ振り返ったスコールの顔は半ば青褪めているといってもよかった。その様子に表情を険しくさせながらクラウドは口を開く。
「教えろ。今お前には何が見えていて何を聞いている!?」
「ラグナとレインが見えて…。過去を…」
「過去?」
「過去を、変えられると…。俺の…魔女の、力で」
それはまた、随分大きく来られたものだ。
クラウドは内心で舌打ちした。スコールの眸が戸惑いに揺れている。当然だ、自分だって同じ立場になったらたぶん、平静でなんていられない。けれどとりあえず今、自分はスコールを支えてやらねばならないのだとクラウドは自らの気を引き締めた。
「スコール」
もう1度、今度は静かに名を呼んでスコールの意識を向けさせると、クラウドは真っ直ぐ視線をぶつけて問い掛ける。
「あんたは、俺達が要らないか?」
「え?」
スコールがどんな道を歩んでどんな傷を抱えどんな重荷を背負って生きねばならないか知っていて、その上でこんな言葉を投げかけるのは酷だと解っている。それでも、スコールが過去の積み重ねである今を肯定しなければ、恐らく楔は打てないのだと推測して、クラウドはそう言った。
「お前がここで過去を変えたとして、その先にどんな『今』があるのか、考えてみるといい」
「今…」
幸せに育つはずの自分。石の家に引き取られないということは、サイファーやキスティス、ゼルにアーヴァイン、セルフィと出逢うこともない。クレイマー夫妻も然りだ。SeeDにならなければ、リノアと出逢うこともない。何の力も持たない自分が、この異世界に召喚されることもない。今真剣な眼差しで自分を見つめるクラウドや、イミテーションの大群を相手に戦っているだろう他の仲間たちと出逢うこともなかった。大切な人達に出逢わない自分。そんな自分の姿を、想像することは難しい。
それだけではない。ここで過去を変えたとして、想像する世界の範囲をもっと広げてみる。ラグナがウィンヒルに残ったら、エスタに誘拐されたエルオーネを誰が助けるのだ?キロスとウォードに頼むのだろうか。ラグナのカリスマ性があったからこそ実現したエスタのクーデターは?石の家の子供たちは皆ガーデンに進むだろう。自分が平穏に暮らしても、彼らがアルティミシアと戦う未来は変わらない。リノアはどうなる?きっとずっと魔女のままだ。彼女を守る騎士は?
「…駄目、だ…」
スコールは呟く。大切な人達の、誰1人として幸せな未来を想像できない。自分が今まで苦しんで傷ついて、それでも護ろうとしたものが、何1つ護れない。
「…クラウド」
声に凛とした張りが戻ったことを感じ取ってクラウドはスコールの肩を掴んでいた手を外し距離を取った。
「なんだ?」
「…すまなかった」
「別に」
相手の常套句で気にするなと返してやれば、スコールは多少憮然とした様子でクラウドを一瞥するが、それ以上は何も言わず、彼にだけ見える景色を睨みつける。
「過去を変える必要はない」
『本当に?その重荷を、お前は背負い続けていくというのですか?』
スコールはゆっくりと息を吸い、そして言った。
「…それが、俺の運命なら」
その瞬間、スコールの胸の前にクリスタルが現れた。クリスタルの強い光が、暗闇へと突き刺さり、スコールにだけ見えるラグナとレインの姿を薄れさせていく。
大切な人達に出逢えたことをよかったと思っている。数々の出逢いをなかったことにしたくはない。たとえもう会うことが叶わなくても、仲間たちが、リノアが、危険に晒されることなく生きていける道を自分は選びたい。けれど、1つだけ心残りがある。
ラグナを傍に残してやれなくて、アンタを独りにさせて、ごめん。
心の中で、独りでラグナを待ち、自分を産んで死んでいった母へと謝罪した。貴女が命と引き換えに産んでくれた息子でありながら、貴女の幸せを選んでやれなくてすまないと。
消えていく過去の景色の中で、レインがこちらを見て笑って首を振った。幻だと解っている。それでも、最初で最後の、レインがスコールを見た瞬間だ。
「……」
その時スコールの頬に流れた1筋の滴を、クラウドは見ない振りすることにした。
130
まさかこんなに早く予想が現実になるとは。
セシルはイミテーションを斬り捨てながら、ざっと辺りを見回した。自分たちを囲むイミテーションの大群。1番層が薄い部分を狙ってクラウドとスコールが攻撃を仕掛けようとしたその時、2人の姿が忽然と消えた。
考えるまでもなく、2人は楔を打つために異空間へと隔離されたのだろう。ライトが危惧していた通りの展開になってしまったというわけだ。
「フリオニール!」
セシルは少し離れた場所で応戦しているフリオニールを呼ぶ。敵を払いながらもフリオニールが此方に意識を傾けたのを確認して、セシルは指示を出した。
「君のところから見て2時の方向が1番層が薄いんだ。弓でそこを集中的に頼む!ジタン!フリオニールの周囲をフォローしてあげてくれ。フリオニールの弓で押し出したら、ティーダとライトがそこを突き崩して外に!ジタンとフリオニールも続いて外へ出て、今度は相手を固めて欲しい」
「リョーカイ!」
指示を受けた者たちが頷くと、セシルは更に指示を飛ばす。
「ティナは僕の傍にいて、敵の動きを見ていてくれるかい?ライト達が敵を1つに固めたら教えて」
「わかったわ」
「オニオンとバッツは魔法の準備を!全体を攻撃できて威力が高ければいい。魔法の選択は任せるよ」
「任せとけっ」
セシル自身は、ジョブチェンジと魔法の詠唱の準備へと入るオニオンとバッツ、そして戦闘力のないティナを護るべく剣を振るう。
イミテーションの大群の真っ只中では、フリオニールが開けた風穴を広げるべくライトとティーダが突き進み、その後にフリオニールとジタンが続いて今度は外からイミテーションを囲い込み始めていた。
「セシル!」
ティナが呼ぶと、手近な敵を斬りながらセシルは魔法の準備をしている2人に合図する。
「オニオン!バッツ!」
それに頷いて、2人は息を合わせて魔法を放った。
「メテオ~ッ!」
「フレア~ッ!」
何しろ数が多いからこれで全滅というわけにはいかないが、数が激減すれば後はもう取るに足らない敵だ。決着はすぐに着いた。
「…なんとかなったかな」
セシルはほっと息を吐く。隊を指揮した経験は確かにあるし、軍事ということに限定しなければ国王である以上人を動かすことに慣れてもいるが、それが性に合っているかといわれたら絶対に違うと言い切れるセシルだ。後ろで控えているというのがどうにも居た堪れない。
「パラディンって、前へ出て『庇う』のが特性なんだけどなあ」
セシルがそんなことをぼやいていると、何もなかった空間から眩い光が溢れ出し、光の中に、消えた2人の姿が見えた。
131
「皆無事か?」
クラウドが尋ねると仲間たちが思い思いの様子で頷いて返す。自分たちが仲間内の最大戦力であるという自覚があるクラウドはそれに胸を撫で下ろした。
「そっちは……スコールか」
楔を打ったのはどちらだと訊こうとして、バッツは自分で答えを導き出す。訊くまでもなかった。いつものスコールらしくなく、どこか放心したような雰囲気を纏っているからだ。
「うーん、何があったのかすっげぇ聞きたい」
「今はそっとしておいてやれ。少し経てば落ち着いて話してくれるさ」
ウズウズしているバッツの肩をポンと叩いてクラウドが宥める。決して本気で今すぐ話を聞こうとは思っていないバッツも、それに軽く笑って同意を示すと、今度はクラウドに質問した。
「で?クラウドはどうなんだ?」
「どうって?」
「楔打つとこに居合わせるの、初めてだろ?もう残ってるのはライトとおまえの2人だけだし、次はクラウドかも知れないだろ。なんか参考になった?」
その問いにクラウドは暫く考え込んでいたが、やがて首を振る。
「無理だな」
「なんだよ、頼りないなあ」
「スコールに期待するしかないな。今までのパターンでいけば、今度はあいつが俺を助けてくれるだろう」
「『俺は自分だけの力で楔を打つ!』とか…言うわけないよな、クラウドが」
バッツがふざけて言えば、クラウドも僅かに笑いながら頷いて、それからふと表情を改めた。
「俺1人では、絶対に無理だ…。誘惑に勝てると思えない」
「誘惑?え、ほんとに一体どうやってスコールは楔打ったんだ?」
バッツが不思議そうに尋ねるが、クラウドはそれには何も答えず歩き出す。
過去を変える、それは今抱える苦しみを根本から排除してしまうということだ。それはとてつもなく甘美な誘惑だろう。寧ろスコールはよくその誘惑に打ち勝ったものだと感心した。たぶん、スコールには護りたいものがあって、自分1人の幸せよりもそちらに天秤が傾いたのだ。だから楔を打てた。
自分にも同じ事が出来るだろうか、と考えるが、心の蟠りとして何を突きつけられるのか判らないのだから、今から深刻に考えても仕方ない。
とりあえず、今はこの後質問攻めに遭うに違いないスコールのフォローでも考えておいたほうが余程建設的だとクラウドは頭を切り替えたのだった。
132
いいもん見つけた、と何かを体の後ろに隠しながら言ったのはバッツとジタンにティーダという賑やかなトリオで、その日の野営の準備を進めていた面々は何事かと顔を見合わせた。
「いいものって?」
オニオンが訊くと、彼らは隠し持っていたものを差し出す。
「ジャーン!酒!」
どこかの世界の集落を写し取った断片であるエリアでは豊富な食材が手に入るが、酒まで見つかったのは初めてだ。
「へぇ…。そんなものまで転がってるんだな…」
「今夜は酒盛りな!」
「お酒なんて…」
「ネギはまだ駄目か。ん?ジタンとティーダは?」
一緒に嬉々として酒瓶を運んできた2人がまだ10代であることを思い出してバッツが訊くと、2人は問題なし、と酒瓶を抱え込んだ。
「劇団育ちをなめんなよ?ガキの頃から鍛えられてるっての」
「優勝したらビール掛けがお約束ッス」
ホントは成人してないんだけどね、とティーダが言うと、成人、という言葉にフリオニールが首を傾げる。
「ティーダのところにはそういう制度があるのか?」
「え?フリオんとこにはないんスか?」
逆に驚いてティーダが訊き返した。
「特に制度はないな…。働き手になったら大人だと認められる」
僕のとこもそうだよ、とオニオンが言う。
「僕のところは国によって違うけど…だいたいは、働き手になったらか、貴族階級だと成人の儀式をしたら、かな」
「あー、おれのとこもそうだな」
セシルに続いてバッツがそう言い、ティナも頷いている。オレもオレも、とジタンも頷くから、どうやら自分は少数派らしいとティーダは目を丸くした。スピラはどうなのか聞いたことがないが、ザナルカンドでは成人は制度化されていたのだが。
「じゃあ、お酒と煙草はハタチから!ってのないんスね」
そこへ折よく薪と水を調達しに行っていたライト、クラウド、スコールの無口なトリオが帰ってきた。食材調達に行って食材と共に酒を持ち帰った3人が、さぞかし賑やかだったのだろうと想像できるのと対照的に、こちらのトリオはきっとそれはそれは静かに黙々と作業をこなしてきたのだろうと容易に想像がつく組み合わせだ。
「ライトんとこ…はやっぱりなさそうだなぁ」
「何がだ?」
「ティーダの世界は、成人って制度化されてるんだって」
「…確かに私の世界ではそのような制度は聞いたことがないな」
予想通りのライトの答えに、やっぱりな、と頷くとティーダが残る2人へと話題を振る。クラウドとスコールの世界はザナルカンドに近いのできっと、自分の仲間だろうと期待して。
「酒や煙草の規制は特になかった気がするが…選挙権は18からだったな」
クラウドに続き、スコールも、何故そんなことを訊くのか、と言わんばかりの様子だが答えてくれる。
「国によって成人年齢は違うが、バラムは15だ」
「え、じゃあスコール成人なんだ…」
片や2年間現実から存在が消えていた者、片やほぼ2年間コールドスリープに就いていた者、互いに年齢を重ねていない17歳同士、仲良く未成年組だろうというティーダの期待は残念ながら外れたらしい。
「だからSeeD試験受験資格は15歳からだ」
いくら精鋭だろうと、未成年者を傭兵として派遣したのでは世間からの非難は免れない。因ってバラムで成人として認められる15歳になってSeeD試験受験資格が与えられるのだと言う。
「よし、じゃあスコールも心置きなく飲もうぜ~」
バッツとジタンがガシッとスコールの両腕をキープした。「逃・が・さ・な・い♪」とその表情が語っている。ハッキリと顔を引き攣らせるスコールに、それを見る仲間たち全員が心の中で哀悼の意を表した後、いつも以上に賑やかな夕食の準備へと突入していった。
133
こじんまりとした集落を写し取ったエリアに移動した時、声を上げたのはフリオニール、バッツ、ジタン、ティーダの4名だった。
「ここは…」
「あー、ここだよ!」
「そうそ、ここだ」
「ここッスね」
4人見事に「ここ」の斉唱と相成ったわけだが、事情が分からない他の面々は首を傾げるばかりだ。
「ここがどうかしたの?」
「スコールのところからこの世界に戻ってきて、食材探しに行った時、『知らない場所に出た』って言っただろ?それがここだったんだ」
フリオニールの答えに彼らは思い出す。そういえば、4人が知らない場所に出てそこでイミテーションに襲われたと言って帰ってきた、それがこの異世界の異変をはっきりと認識する切っ掛けだった。
「食材死守して帰ってきたんだよね」
オニオンが呆れ半分に言うと、大事なことだろ、とバッツが胸を張る。
「あそこの1番小さい家に入ったら食いモン見つけて…」
「小さくて悪かったな」
「いや別に悪くはないけど…って、え?」
被さるように言われた科白にうっかり返し掛けて、ジタンが驚いたように声の主を見た。そこには、苦笑いしつつも憮然とした様子を隠さないクラウドがいる。
「クラウド?えーと、ここって…」
「ここは俺の故郷で、その『1番小さい家』が俺の家だな」
わざわざ「1番小さい」を強調して言うクラウドに、ジタンがハハハ、と笑って返した。
「なんていうか、前にクラウドの世界に行った時に見た街とはだいぶ雰囲気違うんだな」
「…あそこは都会だったからな。俺はニブルヘイム…この小さな村で育って、都会に憧れて出て行ったクチだ」
村を見回しながらクラウドは言い、視線を仲間たちに戻そうとした瞬間だった。
不穏な空気が一気にその場に漂い、その空気を裏切ることなくイミテーションの大群が湧き出てくる。クラウドは咄嗟に剣を出し、先手を取るべく手近な敵の群れを一掃した。すると、そこに空いたスペースを広げるべく、スコールが素早い動きでクラウドの隣りへと飛び込みガンブレードを振るう。ガンブレードという特殊な武器特有の、火薬による爆発音が響いたとき、突然視界が暗くなった。
「厄介な時に…っ」
思わず舌打ちが洩れる。
「今度はアンタの番らしいな」
溜息を吐きながらガンブレードを一振りして仕舞ったスコールが、そう口にした。
134
照明が落ちたような薄暗い視界の中、クラウドの眼に映る故郷の景色に変化はない。
クラウドにとってニブルヘイムは故郷であると同時に、ただの郷愁だけには収まらない複雑な想いを喚起させる土地だ。楔を打つ為の舞台がニブルヘイムになったのは、クラウドの中ではある程度予測済みの状況だった。
ここで一体何が突きつけられるのか。
否、何をつきつられるかは問題ではない。問題は、自分がそれを乗り越えられるか、なのだ。
ああ、そうじゃない。
クラウドは心の中で、否定の言葉を呟く。乗り越えられるか、でもなかった。乗り越えなくてはならないのだ。自分にそう言い聞かせておくことは、気休めでも心を強く保つ助けにはなるだろう。少なくとも、出来るだろうかと不安がるよりは、きっと。
「…大丈夫」
自分に言い聞かせる為の言葉は無意識に音になった。それを聞いたスコールが怪訝そうにこちらを見る。
「何がだ?」
「いや、…あいつらは大丈夫だろうか、とな」
自分に言い聞かせていた、というのもなんだか気恥ずかしく、クラウドはそう誤魔化した。スコールの方はその返答を特に不思議には思わなかったらしい、軽く頷いてみせる。
「多少梃子摺ってもアイツらなら切り抜けるだろう」
それに、そうだな、と返そうとして、クラウドは低い音を耳に捉えた。瞬時に音の方向へと視線を向ける。村の入り口の方向だ。クラウドの動きに、スコールもそちらへと眼を向けるが、視覚にも聴覚にも何も変化はない。クラウドだけに感じられる変化、それは即ち、楔を打つために心の強さを試される時が来たということなのだろう。
音は段々近づいている。低く唸るようなそれは車のエンジン音だと判った。普通の車よりも重く大きいこれはトラックだろうか。
その時、村の中でも大きな家から、少女が出てきた。それを視界に入れた途端、クラウドの心臓が大きく跳ね上がる。
「…あ…」
思わず声が洩れた。
知っている。その少女のことはよく知っている。憧れの幼馴染。共に旅した仲間であり、本来の自分を取り戻す助けになってくれた人であり、今も自分の帰りを待ってくれている人だ。
「ティファ…」
目の前の彼女の姿は現在よりもだいぶ幼い。16歳の姿だ。14歳でニブルヘイムを出たクラウドだが、この頃のティファの姿は知っている。この頃に実際会ったことがあるからだ。
ティファがこの頃ということは、まさか、このエンジン音の正体は。
クラウドがそう考えるのと、村の入り口に1台のトラックが現れたのは同時だった。
エンジンを止めたトラックから、複数の人間が降りてくる。クラウドは食い入るようにその姿を見つめた。
マスクを被り顔の見えない神羅一般兵。黒髪に大剣を背負った男、長い長い刀を持つ背の高い銀髪の男。
「そんな…」
声が震えた。
そこに見えるのは過去の自分。そして。
「ザックス…セフィロス…」
亡くした親友と、嘗て憧れた英雄の姿だった。
135
驚きに眼を見開いたクラウドの口から零れた3人の名前。最初の2人は知らないが、3人目の名前にスコールは眉を寄せた。セフィロス。2年前この異世界でスコールも何度か戦った相手。クラウドの宿敵の名がここで出てくるとは穏やかではない。とはいえ、スコールには何が見えているか判らないし、自分にできることなど殆どないことも理解している。ただじっと注意深くクラウドの様子を伺っているしかないだろう。
そのスコールの視線の先で、クラウドは違和感に僅かに眼を眇めた。おかしい。目の前に広がるのは確かに過去の景色だが、先程まで動いていたものが、何故か突然静止画のように止まってしまっている。
どういうことだ…?
口には出さずに戸惑っていると、隣りに音もなく何かが現れる気配がした。だが気配だけで実際に誰かの姿が見えるわけではない。
『このまま時を進めていいのですか?』
まるで耳元で囁くように謎の気配はそう訊いてきた。
「…どういう意味だ」
クラウドは冷静さを失わないよう努めながらそう返す。謎の声が届いていないスコールは多少訝しげだが、何か得体の知れない気配がクラウドの傍にいることだけは辛うじて感じ取れるので黙っている。
『そのままの意味ですよ。このまま時を進めれば何が起こるか、お前はよく知っているでしょう?』
声はいっそ愉しげにそう告げる。それに神経を逆撫でされるような不快感を覚えて、クラウドは意識的にゆっくりと呼吸した。
「知ってるさ。…だからと言って、今更ここで過去を思い出すことから逃げる程弱くはないつもりだ」
キッパリと告げるクラウドに、しかし声は漣のような笑い声を立てる。
『ただ過去を思い出す、そんなつまらない事を言っているのではありません。今、お前は大きなチャンスを目の前にしているのですよ』
「チャンス?」
『今お前が見ているものは、過去の幻影ではなく過去そのもの。そしてお前は今その過去に手を加えるチャンスを手にしているのです』
「そんなことが…」
『できるわけないと思いますか?そう、普通ならばできない。けれど、忘れたのですか?今お前と共にこの場にいるのが何者なのかを』
その言葉に、反射的にクラウドは振り返った。その先には、突然のクラウドの行動に驚いてこちらを凝視するスコールがいる。
『今この場で自身の持つ力がどのような影響を齎しているか、この子は解っていません。それでも今スコールが、時を操る完全な力を持つ魔女がこの場に共にいることで、お前は過去への干渉という大きなチャンスを手にしているのですよ』
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過去への干渉。それはつまり「自分の望む未来へ繋がるように過去を変える」ということだ。スコールが楔を打つ場面に居合わせたときから、もし自分にもそんな可能性が提示されたら、と考えていた。それが現実となったということか。
『何を迷うことがあるのです』
声はクラウドに突きつける。クラウドが先日バッツに語った通り、まさしく誘惑ともいうべき、今とは違う未来の姿を。
『ここで過去を変えた先を考えてごらんなさい』
このニブルヘイムの任務の最中、セフィロスは自身の出生の秘密を知り、壊れた。暴走したセフィロスは村を焼き払い、クラウドやティファの親は死に、ザックスとクラウドも瀕死の重傷を負って宝条の実験体になった。その後も、セフィロスの狂気により引き起こされた多くの悲劇は、つい最近、この異世界へと再びやってくる直前にまで及ぶ。
では、任務の為ニブルヘイムへとやってきたセフィロスを、このままニブルヘイムの中へと立ち入らせなかったら?
理由は何でもいい。行方不明になっていたニブル魔晄炉の職員が違う場所で発見されたのでも、探していたジェネシスがニブルヘイムではなくどこが全く違う場所に現れたのでも、何かセフィロス程の実力者でなければ相手にできないほどのモンスターがミッドガルを襲っているのでも、とにかくセフィロスに踵を返させる事態が発生すればいいのだ。ニブルヘイムでの任務をザックスに任せ、セフィロスはこのまま此処を立ち去る。ザックスがここでの異変を調査し、魔晄炉に巣食うモンスターを掃討すれば、ニブルヘイムのような田舎にセフィロスが派遣されることはもうないだろう。それは、セフィロスが自身の出生を知らずに生きるということに繋がる。
もしセフィロスが自身の出生を知らないままでいたら。
きっとセフィロスは今もクラウドが憧れた英雄で、ニブルヘイムは焼き払われることもなく、クラウドの母もティファの父も健在なのだろう。自分はソルジャーになれない神羅一般兵のままだろうが、忌わしい人体実験の被験者になることも、魔晄漬けで廃人寸前になることもない。何より、自分を助けてザックスが命を落とすことも、ない。エアリスが殺されることも、ない。
メテオは発動せず、多くの人々が犠牲になることも、その後2年に渡り星痕症候群という奇病に苦しむこともない。
クラウドの足からガクッと力が抜け、地面へと膝をつく。クラウド、とスコールに呼び掛けられるがそれに答えることはできなかった。
『迷うことなんてないではありませんか。お前には解っているでしょう?』
ねっとりと包むような声に抗えず、クラウドは思わず瞼を閉ざす。
『ここで過去を変えれば、数々の悲劇が消えることを。お前だけではなく、多くの者の幸福へと繋がることを』
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過去を変える、クラウドよりも前にそのチャンスを提示されたスコールは、それを自らの意思で退け現在を選んだ。それは、そのチャンスを掴むことによって自分の幸福は手に入れられても、自分の大切な人達の幸福や安寧には繋がらなかったからだ。自分が護りたいものが、傷ついても護ってきたものが、護れないからだった。自分自身と大切な人達、両者を天秤に掛けた時、大切な人達の方に天秤が傾いた、だからスコールは自身の運命を受け入れ、クリスタルが楔を打てるだけの心の強さを手に入れた。
しかし今、クラウドには同じようなプロセスを踏むことができない。同じように過去を変える、という誘惑でも、クラウドに示された未来はスコールとは正反対だからだ。クラウドに示された未来ならば、護りたくて護れなかったものが護れる。失いたくなくて失ったものを失わずに済む。
2年前の一連の戦いの中で、その後の星痕症候群の蔓延で、為す術もなく失われた命の数を思えば、今ここで過去を変えることこそ正しいことなのではないかとすら思えてくる。
記憶の奥にある、母の顔、ザックスの陽気な笑顔、エアリスの微笑。かつて憧れた、英雄の姿。
思い出の中にしかないそれらが、現実になるとしたら?
火に包まれる村、雨の中力をなくして投げ出されたザックスの腕、胸を刺し貫かれたエアリスの姿、狂気に満ちたセフィロスの顔、星痕に苦しみ死に逝く人々の苦悶の表情。
忘れたくても忘れることのできないそれらを、なかったことにできるとしたら?
「おい」
地面にガクリと膝を着いたまま身じろぎもしないクラウドの横に、スコールが片膝を着いた。
「何が起こっている…?」
真剣な眼でそう尋ねるスコールに、クラウドは辛うじて苦い笑みを見せる。
先日バッツに語った通り、スコールが頼みの綱だ。
楔を打つには、自らのクリスタルの力を強くするには、この状況を脱しなければならない。この誘惑に屈してはならない。クラウドはそれを忘れたわけではなかった。だがそれでも、自らの力で退けるには、眼前に提示されたそれは想像した以上に自分の心を惹きつけた。手を伸ばせば掴み取れる今とは違う幸福な未来に背を向けるなんて、自分にはできない。今こうして、ギリギリ踏みとどまっているだけで精一杯なのだ。きっと自分を信じて待っている異世界の仲間たちに知られたら、そのあまりの弱さに愛想を尽かされるだろうけれど。
スコールも当然、楔を打つためにはクラウドがこの、過去への干渉という誘惑に打ち勝つことが必要だと理解している。スコールならば、きっと冷静に、論理的に、自分の弱さを突きつけて諭してくれることだろう。
それに、過去への干渉がスコールの魔女の力によって可能になっているのなら、スコールがそれを自覚することで干渉自体が不可能になるかもしれない。
他力本願でも、今自分にはそれくらいしかこのあまりにも幸福な未来を諦める術は思いつかないのだ。
クラウドはぎこちなく苦い笑みを浮かべたまま、口を開く。
「お前と同じ、だ。過去を、変えられるんだそうだ…」
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クラウドが語る言葉を、スコールはじっと聞いていた。自らがこの場に共にいることで、クラウドの過去への干渉が可能になっているという話には思うところのある様子だったが沈黙を保ったままだった。
自らの過去に起きたことと、ここで過去に干渉することで得られる未来図を力ない声で話した後、クラウドはスコールの言葉を待った。なんなら殴り飛ばしてくれたって構わない、そう思いながら。
「…俺がアンタを無理矢理思い留まらせても、楔は打てないと思う」
だがスコールから洩れたのはそんな言葉だった。ああやはり、と思う。楔を打つには心の強さが影響する。自分自身で現在を選び取らなくてはクリスタルは輝かないのだろう。
けれど自分にそれができるのか、と再びクラウドは自問する。母を、ザックスを、エアリスを、セフィロスを、命を落とした多くの人々を、諦めることなんてできるのか。自分の幸福だけなら諦めもつく。しかし現在を選ぶということは、彼らの幸福を奪い取るということにはならないのか。
「クラウド」
答えの出せない問い掛けを心の中で続けるクラウドに、スコールが声を掛ける。のろのろと顔を向けるクラウドに、スコールはこう言った。
「構わないんじゃないか」
「…なに?」
耳を疑う科白に驚いて眼を見開くクラウドに対して、スコールは至って静かに冷静な声音で続ける。
「多くの人の命が救われる未来。護れなかったものが護れる未来。迷うことなんてないんじゃないか」
「だが…」
「楔は全部で10本。もう8本は打てている。あの眩しいヤツも無事打てるとして9本。元々楔を打つことでこの世界に調和と秩序を齎し拡散を食い止めるのが目的だ。10本中9本打てばかなり効果はあるだろう」
第一、過去が変化した時点で現在のクラウドは消える。コスモスに召喚された戦士は9名になり9つの楔で世界を支えられるのかもしれない。
「アンタが自分と、周囲の人達と、自分の世界の幸福を選び取ったって、誰にも責められないさ」
そこでスコールが、珍しくも微かに笑う。
「過去を変えたら、俺もアンタのことを忘れるのかどうか判らないが…、どちらにせよ、アンタが欠けた分くらい俺が働いてやる」
その言葉は、クラウドに稲妻のような衝撃を齎した。
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あまりに魅力的な誘惑を前にして、大切なことを失念していた。
クラウドは何かを振り払うように頭を振る。
「途中下車はできない、か」
かつて自分が言った言葉を思い出す。危うく、守らなければならない約束を反故にしてしまうところだった。
彼に生きて幸せになって欲しくて2度と逢えない道を選んだ彼の恋人。「よろしくお願いします」と頭を下げた彼の姉代わりの女性。「生きて欲しいんだ」と言った彼の父親。眠る彼の姿をその眼に焼きつけるように最後まで見つめていた彼の仲間たち。
自分は彼らに大切なものを託されたのだ。
眠ったままで構わなかったと言った姿。永過ぎる時に怯え両膝を抱えて蹲っていたスコール。
自分が彼に約束したのではないか、「簡単に独りにはしないから覚悟しろ」と。
本当に、俺は弱いな。
クラウドはそう思う。引き受けると約束したのに、簡単に独りにはしないと約束したのに、それを忘れて1度は乗り越えたはずのものにこうもまた心を揺さぶられるなんて。
勿論スコールだって約束を忘れているはずがないのに、ここでクラウドが過去を変えるということは、スコールが独りで永い時を歩いていかなくてはならなくなると解っているのに、それでもクラウドを止めようとしなかった彼は、一体どんな気持ちで笑って見せたのだろう。
保護者失格、だな。
先程までとは違う苦笑がクラウドの顔に浮かぶ。膝を着いたその姿勢のまま、クラウドは傍らでじっとこちらを見つめているスコールの頭をグイと抱え込んだ。
「なっ」
驚いて絶句するスコールの頭に、自分の頭を軽く合わせ、クラウドは呟く。
「すまなかった…。ありがとう、目が醒めた」
そうして体を離し、クラウドは立ち上がって過去の景色を見据えた。
ごめん、母さん。ごめん、ザックス。ごめん、エアリス。
心の中でそっと謝る。彼らだけではない。ティファ、仲間たち、世界中の人々にも。
それから、セフィロス…、あんたにも。
憧れた英雄。このニブルヘイムで変貌するまで、セフィロスは間違いなく自分の憧れだった。強くて、話の分かる、どこか常識外れな、不器用だけれど優しい気遣いの出来る英雄だった。
幸せな未来を選べなくて、ごめん。
それでも、守らなければならない約束がある。たくさんのものを護れずに、たくさんのものを失った自分でも、できることがある。失ってはならないものがある。
「俺は、今のままでいい」
『本当に?この先どれ程のものを自分が失うか解っていて、それでもいいと言うのですか?』
「…ああ。それでもまだ、守れるものがあるから」
言葉と共に、クラウドの前にクリスタルが現れ、真っ直ぐに光を放った。
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光に白く塗り潰されるように過去の景色が消えていく。
それを見つめるクラウドの胸には様々な思いが去来した。痛みや哀しみが胸を満たしても、それでも自分の選択は間違っていないのだと、そう思う。
今の俺でも…、今の俺だから、できることがある。
あの悲惨な体験を経て、常人とは言えない肉体になった。人よりも永い時間を生きる運命を背負った。しかしだからこそ、眠りに就く他居場所のなかったスコールのことを、引き受けると言えたのだ。彼に生きて欲しいという彼の仲間たちの願いを叶える手助けになれた。生きることを諦めていたスコールが、生きて自分の道を歩く手伝いができる。
弱い自分でも、誰かの助けになれる。
その事実が、クラウドの心に確かな強さをくれる。
「…本当に、よかったのか?」
戸惑いがちにそう訊いてくるスコールに、クラウドは頷いて返した。
「なんだ、俺がいなくなった方がよかったか?」
からかい混じりに言えば、スコールは機嫌を損ねたようにふいと横を向いてしまう。約束が反故になることには一言も言及せず責めないでくれた相手に対して失礼だったか、とクラウドは謝罪の言葉を口にした。
「すまない、質のいい冗談じゃなかったな」
「アンタに冗談のスキルなんて期待してないから別にいい」
それはまた随分な評価だ、と思うが、残念ながら自分でもそう思うのでクラウドは苦笑いして頷く。そして表情を改めて口を開いた。
「未練がないなんて言えるほど俺は強くないが…。今手にしてる大切なものを失うのは嫌だ、そう感じるから、これでいいんだと思う」
「大切なもの…」
「過去があって、現在の俺がいる。今の俺だから、コスモスに喚ばれてここにいる。ここに喚ばれたから、出逢えた仲間がいる。今の俺じゃなかったら出逢えなかった大切な仲間だ」
勿論クラウドが今を選べたのはそれだけではなく、スコールや彼の世界の仲間との約束によるところも大きいのだが、それをスコールに伝えて彼の負い目にするのは本意ではない。
「…そうか」
納得したようにスコールが頷く。
「勿論、あんたのことも含めて、だぞ?」
再び冗談めいた口調でそうクラウドが言えば、スコールが珍しくもそれに合わせるように肩を竦めてこう言った。
「…興味ないね」
これは先達てスコールが楔を打った後に、すまなかったと言った彼の言葉を、別に、という彼の常套句で返した意趣返しなのだろう。
ここで意趣返しされるとは思わなかった、とクラウドが首を振った向こうで、仲間たちがお帰り、と手を振っていた。