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FINAL FANTASY 4

カイン受。エジカイがイチオシです。
 
 
宵待草 [20080529]
 ゴルカイ。「試練の山より愛をこめて!」投稿作品。暗くて激短。竹久夢二の同名詩から。

おでかけしましょ [20090208]
 セシルとカイン。DFF設定でED後。TA無視の健全話。
 
 
『シリアス』についてのお題  お題提供:無限のム
1話完結でゴル兄さんとカイン。

さよならと言えなかった人がいた [20080330]
 ゴル←カイン。ED後のカイン。

最後の言葉は聴いてあげない [20080330]
 ゴル→カイン。ED後のゴル兄さん。さよならと~と対。

まるで私は小さな子どものようでした [20080407]
 ゴルカイ。こーゆー始まり方もアリ、かなぁと。
 
 
選択式御題から5題  お題提供:一文御題
エジカイで連作。1話ごとに無駄に長くなっていきます(汗)
 
あぁもう。全て忘れて眠ってしまいたい。 [20080330]
 エジカイの基本はラブコメだと思う(笑)目撃!ドキュン編

好きなんだよ!たぶん!心臓バクバクしすぎて俺にもよくわかんねーけど! [20080401]
 ラブコメのお約束(?) 寝惚けてチュー編

好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎! [20080412]
 ラブコメのお約束(?) 成り行きと勢いで告白編

面と向かい合って、二人きり。後は口を開くだけ。 [20080505]
 ラブコメのお約束(?) 周囲の生暖かい応援編

何言ってるの?お前も俺の事好きでしょ。 [20090505]
 ラブコメのお約束(?) 決めるトコは決めるぜ編 本当に無駄に長いです…。



おでかけしましょ




 戦う為に召喚されて、戦いだらけの日々だったけれど、戦いだけがすべてだったわけじゃない。

とても真面目で揺るぎなくて皆を引っ張ってくれて、時々真面目すぎて爆笑もののボケを見せてくれた人。
色んな武器を操って、大きな夢を真剣に追えて、タダのものに弱くて女の子に免疫のなかった人。
機転が利いて、ちょっとませた口も利いて、早く大人になりたがっていた男の子。
同い年なのに子供みたいに屈託がなくて、チョコボが大好きで、器用に皆の技を真似て見せた人。
強い魔力を持った、ふかふかなものや手触りのいいものが大好きな女の子。
身の丈程の大剣を軽々と振り回す、チョコボみたいな特徴的な髪型と真っ青な眼が印象的だった人。
複雑な構造の剣を持った、無口だけれど時々入れるツッコミが鋭い、歳の割に落ち着き過ぎだった子。
盗賊で劇団員という肩書を持った、若いのにフェミニストな、しっぽの生えた男の子。
特徴的な喋り方で、明るく遠慮のない、ボールを蹴って敵を倒してしまう男の子。

 戦う為に召喚されて、戦いだらけの日々を生き抜いた、本来だったら出逢うはずのなかった仲間たち。
交わることのないそれぞれの世界で、彼らは今も元気に笑っているだろう。…一部、笑わないだろう人たちもいるが。



「色んなことがあったけど、あそこに喚ばれてよかったよ」
満足そうに微笑みながらそう言ったセシルに、話をじっと聴いていた相手は短く相槌を打った。
「そうか」
「ああ」
「…ところでセシル」
「なんだい?カイン」
親友の低く通りのいい声に呼ばれて、愛想良く返事をする。山頂を吹く風が二人の髪をたなびかせた。
「お前、なんでここにいるんだ」
一層低くなった声は唸り声に近い。晴れ渡った空に、そこだけ暗雲がたちこめているようだ。
「僕がいちゃいけないかい?」
「いけないに決まってるだろう」
「どうして?」
「どうしてってお前な…」
 この星を守る戦いの後、人知れず姿を消したカインが篭るこの試練の山に、今や大国バロンの王であるセシルがひょっこり現れたのは先刻のこと。にこにこと「違う世界に行ってきた」と未知の冒険譚を語るセシルに、カインは途中何度話を遮ろうと思ったことか。
「会いたい。それだけでじゅうぶん!」
「は?」
普段のセシルらしからぬ口調で放たれた言葉に、思わず間の抜けた声を出したカインを見て、悪戯が成功したとでも言うように得意げに笑ったセシルが大きく伸びをする。
「これはね、ティーダ。えぇと、ボール蹴っちゃう子、その子に言われたセリフ」
 きっと他の仲間も自分の背中を押して言うに違いない。気になるなら、自分から会いに行けばいい、と。
「まさかそれで来たとでも言うつもりか?お前、自分の立場ってものを…」
「興味ないね」
「おい」
今度はばっさりと親友の言葉を遮ったセシルに、カインが眉根を寄せた。
「今のはクラウド。チョコボ頭の人。彼の口癖かな」
「…随分、非友好的な口癖だな」
「でも自分の主張通すには便利なセリフだよ」
にこやかなセシルと対照的にカインの表情はますます険しくなっていく。
「冗談言ってる場合じゃないだろう。一国の王がふらふらとこんなところまで来て、その間何かあったら…」
「悪いが、そういう話ならパスだ」
またも取りつく島もなく話を遮ったセシルに、さすがに学習したカインが問う。
「……今度は誰だ」
「これはスコール。17歳とは思えない落ち着き過ぎな子が言ってた」
 アクの強い面子の中でも、特に他人の意見をばっさり斬り捨てることにかけては、双璧を成していた二人の言葉を立て続けに引用して、セシルは笑った。普段自分が言わないようなセリフを口にするのも、偶にはいい。そうだ、勝手に消えたおまえの意見なんか聞いてやらないよ。
「17でそのセリフじゃ、そいつのその先の人生大丈夫か…」
見ず知らずの、同じ世界にすら生きていない相手の将来を慮るカインを横目に、セシルは立ち上がる。
「おまえに、バロンに戻って来いとは言わないよ」
視線は合わせずそう言った。
「カインにはカインの想いがあって、だからここにいるんだってことは理解してる。だから、戻って来いとは言わない。いつか、おまえが帰りたいと思った時に帰ってきてくれればいい」
「セシル…」
でも、とセシルはカインに向き直る。今度はしっかり視線を合わせて。
「だけど僕だって我慢はしないよ。会いたいから会いに来る。それだけだ」
異世界で共に戦った仲間たちなら、恐らくもう二度と会えない彼らなら、きっと言ってくれる。特に明るい仲間の口調を借りるなら「会いたいんなら会いに行っちゃえよ!」と。だって、大事な親友は会えるところにいるのだから。
「お前、なんだか強くなったな…」
酷く眩しそうに自分を見たカインがそう呟くと、セシルは心もち得意げに笑った。
「心の強さが半端じゃない人たちと一緒だったからね」
この星で共に旅をした仲間たちも大概にして個性的な面々だったが、押しの強さというか自己主張の激しさという点では異世界の仲間たちはその数段上を行っていた。彼らに貰った強さを、自分は決して忘れない。
「だから、諦めて、またどこかに姿を晦まそうなんて考えるなよ、カイン」
 そんなことしたら、国王の仕事なんて放って探し出してやる。
今のセシルが言うその言葉に、誇張など1ミリたりともないのだと悟ったカインがややぎこちなく頷いたのは、それからしばらくのことだった。


何言ってるの?お前も俺の事好きでしょ。




 終わった、と誰かが呟いた。
誰の声だったのか判らない。もしかしたら自分が呟いたのかもしれない。誰の声でもよかったのだ。それは仲間たち全員の気持ちだったから。
 ゼムスという輩を倒しに来たつもりでいたら、ゼムスはフースーヤとゴルベーザの前にあっさりと敗れ、「こんなものか」と気が抜けたところで、ゼロムスという完全暗黒物質に進化してセシルたち一行に襲いかかった。完全暗黒物質とはよく言ったもので、叩きつけられる負の波動は凄まじく、身体的には勿論精神的にもキツい戦いだった。乗り越えられたのは綺麗事でも何でもなく、仲間たちのおかげだ。今この場にいる者たちだけではない、故郷の星で自分たちの無事を祈り続けてくれた人たちのおかげだった。
 暗黒騎士じゃ真の悪には勝てないって理由がよく解ったぜ。
エッジは大きく伸びをしながらそう考える。
エブラーナにはそもそも騎士というものがいないし、あまり他国との交流がある国ではなかったからエッジは実際に暗黒騎士を見たことはない。元暗黒騎士のセシルから話を聞いただけだったが、その時は暗黒騎士というものがそれ程忌まわしいものだとは思わなかった。負の力を使おうと、それを制御する強い意志を以て戦いに臨むのなら、そこまで忌み嫌うこともないのではないかと思っていた。実際セシルのような性根の優しい男が暗黒騎士であったように、暗黒騎士だからといって本人の性質が非道だとかそういうことでもないのだろうと。
だからミシディアの長老が言ったという「暗黒の力では真の悪には勝てない」という科白は観念的なものなのだろうと勝手に解釈していたのだが。
 ソレがアレになるんじゃなあ…。
先程の戦いを思い返してげんなりする。暗黒の力というものが、総じてあの完全暗黒物質から派生する、若しくは帰結するものだというのなら、それは確かに「真の悪には勝てない」だろう。自分たちは一人ではなく、仲間がいたから乗り越えられたのであって、一人で抱えていては最終的に暗黒の力に呑み込まれてしまうに違いない。暗黒の力の根源である負の感情というものは自分では制御し難い面が多分にあるものであるし。
 でもま、そんなのあって当然なんだから全面否定もいただけないけどな。
エッジはグイッと肩を回してそう内心で述懐した。そして自然とその視線は一人の男の上で止められる。
自分に厳しいが故に負の感情を全面否定してしまいがちな、ついでに言うとそれで負の感情どころか自分自身を全否定して勝手にボロボロになってしまいそうな、竜騎士の上に。
 オレとしてはこっからが正念場?
エッジはこっそり気合いを入れる。とりあえず頭にきていることがあるのだ。
 なんだよ、あの戦い方は。
戦闘開始早々カインが竜騎士特有のジャンプで突っ込んでいくのはいつものことと言えばいつものことなのだが、攻撃を受けて怪我を負っても回復する 暇 ( いとま ) を与えず跳躍してしまうのは如何なものか。滞空時間の長い竜騎士の跳躍は、敵が手を出せない鉄壁の防御であると同時に味方の援護も受け付けない背水の陣だ。
今まで出会った中で最強の敵であるゼロムスは当然攻撃力も相当なもので、一回でも攻撃をくらえばダメージは大きい。優秀な白魔道士であるローザは勿論、高い攻撃力を有する聖騎士のセシルまで回復役に回り、リディアもシルフやアスラを召喚して補助に入る。そうしてエッジたちは戦いが終わった時点でなんとかしっかりと立っていられる状態を保っていたが、唯一人、カインだけは戦闘中に殆ど回復を受けなかった所為でボロボロだった。慌ててローザが傍に走り寄り最大回復を図らなかったらきっと意識を失っていただろう。
 アイツには「ガンガン行こうぜ」しか選択肢はねーのか。「いのちを大事に」とかないのか!?
普段は自らも突進型であることは棚に上げてエッジは半眼でカインを見遣った。
あの戦い方はゼロムス打倒に対する意気込みの現れ、というよりは単に死にたがっているようにしか見えなかった。死にたがっている、と言えば本人は否定するかもしれないが、自分はどうなってもいいと思っていたのは間違いない。
 人との約束、簡単に反故にしやがって。
最後の戦いを終えたらエッジの告白に対する答えをちゃんと考える、と約束したのはほんの数時間前の話だ。その舌の根の乾かぬ内に、と詰め寄ってやりたいところだが、カインという男は普段寡黙な癖にこういう時だけやたらと弁の立つ男だから、そうしたらそうしたで「生き残るくらいの算段はしていた」とか「生きているんだから反故にはなっていないだろう」とか巧いことを言って躱されそうな気が多分にする。
それでもやはり文句の一つは言ってやらないと気が済まないと、エッジが一歩踏み出した時、背後でリディアが声を上げた。
「帰ろうよ!」
その声に、全員が彼女を見た。
「あたし達の星に帰ろう?みんな待ってる」
 遠く離れた故郷の星から自分たちの無事を祈り続けてくれた仲間たちが、その帰りを今か今かと待っている。戦況を知らない彼らは今も自分たちの安否を心配しているだろう。こんなところで悠長に達成感と虚脱感に浸っている場合ではない。戦いに勝利した今、自分たちがまずすべきことは仲間たちにそれを伝えることだった。
「そうだね…。帰ろう。僕たちの星へ」
兄が消えていった階段の奥をじっと見つめたセシルが、踏ん切りがついたように晴れ晴れとした表情でそう言うと、移動呪文が効力を発揮するエリアまで歩き始めた。カインに文句を言うタイミングを逃したエッジも暫く唸ったが「まあ仕方ないか」とそれに従う。何よりも、帰ることが先決なのだ。
 ま、時間もあることだし?
戦いが終わった今、そう急くこともないだろうとエッジが考えていると、背後からリディアの声が掛かった。
「エッジはエブラーナの人たちも待ってるしね」
「ああ?んー、ま、そーだな。ゼロムス倒したからって全部が元通りってわけにゃいかねぇし、エブラーナの被害は特にひでぇから、こっからが大変かもな」
 元々海洋資源に頼り肥沃な大地というわけではなかったが、それでも焦土と化した故国のことを考えると問題は山積みだ。瓦礫の撤去から始まって、元のエブラーナの姿を取り戻すまでに一体どれ程の時間が掛かるのか想像もつかない。他国の支援も必要だろうし、今までのような消極的外交から積極的外交への転換も必要だ。尤もその件に関しては、この戦いの中で図らずも各国の代表者や実力者と知己を得たおかげで比較的楽にできそうだった。
「エッジ、実は王子様だもんね!」
思案顔になったエッジの脇を、リディアが笑いながらそう言って通り過ぎる。彼女はそのまま小走りに前を歩いていたローザの傍まで行ってしまった。
「実はも何もオレは最初っから王子だっつーの」
それどころか両親亡き今エッジは実質エブラーナ王なのだが、エッジの良くも悪くも親しみ易過ぎるキャラクターのおかげで誰にもそんなことを気に掛けられていない。精々カインが「王子様」と呼ぶくらいだが、それも単なる渾名に近い。
 堅苦しいのはゴメンだが、いくらなんでももうちょっと威厳みたいなもんは必要か?
これから先の人生、仮にも一国の王として生きるにはそういったものも必要なのかもしれないと思わず考えこんでいたエッジは、ふと視線を感じて顔を上げた。
「…カイン?」
顔を上げた先にはカインがいて、こちらを凝視している。口許しか覗かない兜の所為で今一つ視線の先を特定し難いのだが、エッジの全身がアーリマンと対峙した時の如く「見られている」という感覚を訴えているのでまず間違いないだろう。
 ラブラブ光線…なわきゃないな。つーかそれはオレが怖ぇ。
エッジはそう思いながらも怖いもの見たさでうっかりカインがラブラブ光線(エッジの想像ではピンクのハートが撒き散らされる)を発している様を思い浮かべようとして、どう考えてもレッドドラゴンの熱線にしかならず諦めた。
そんな馬鹿な想像をしつつエッジは凝視される理由を考える。
 そりゃ、戦いが終わったら考えてくれとは言ったがな…。
いくらなんでも直後過ぎるだろう。祝杯をあげるどころか、これから戦いの勝利を報告するという段階である。
 コイツのことだから可及的速やかにって?いやいや、いくらなんでもそりゃねーだろ。
どうにも自分とは全く重ならない思考回路を持つ相手が考えていることを推察するのは難しく、首を捻りながらも、丁度いい、先程言い損ねた文句を言ってやろうと口を開きかけたところで、先を越された。
「呆けて遅れるなよ」
そう言ったカインが、何事もなかったかのようにエッジの横を通り抜けていく。
「…テメーがそれを言うなよ…」
その姿を見送りつつエッジが思わずそう呟いたのは当然で、どちらかと言えば(というより間違いなく)呆けて突っ立っていたのはカインの方だというのに随分な言い草だ。
「エッジーッ!置いてっちゃうわよ~?」
前方を歩いていたセシルたちが振り返り、リディアがそう言って手を振っている。
「置いてかれて迷子になっても知らないからね!」
 オレのポジションって一体何…。
パーティー最年長にして一国の王子という肩書きを再確認したくなるエッジだった。



 魔導船の中は明るい雰囲気に包まれている。
主にローザとリディアが華やいだ声で話している所為で、巨大な船の中にたった五人しかいないとは思えない明るさだった。
「じゃあリディアは幻界に帰るの?」
「うん。とにかく一度戻ろうと思ってるの。幻界のみんなにも報告したいしお礼も言いたいし」
戦いが終わった今、話題が仲間たちの今後についてになるのは当然のことで、この場にいない仲間たちの今後についても勝手に想像しながら話は進んでいく。
「飛空挺で幻獣の洞窟まで送ってもらうといいわ。ジオット王たちも送るんだろうし」
「うん、そうさせてもらおっかな。ローザは?バロンに帰ったらセシルのお嫁さん?」
 ブリッジにゴン、と鈍い音が響き、女性陣の会話をなんとはなしに聞いていたエッジが何事かと振り返ると、どうやら慌てて立ち上がろうとして頭をぶつけたらしいセシルが苦悶の表情を浮かべて頭を抱えていた。その隣りではカインが呆れた表情を浮かべながら「大丈夫か」とあまり心の籠っていない労わりの言葉を投げ掛けている。その光景に、エッジは当人たちには見えないように口笛を吹くジェスチャーをした。
 お、初めて見るかもしんねぇ。
エッジが彼らに出会ってからずっと、幼馴染で親友だというはずの二人の間にはぎこちない空気が流れていた。彼らの間にあった紆余曲折を考えればそれは当然のことだったが、全ての元凶を倒した今、漸く二人の間のぎこちなさも解れてきたのかもしれない。今エッジの目の前で行われた遣り取りは、本人達は無意識なのだろうが、きっと以前の彼らはいつもこんな風だったのだろうなと窺わせるものだった。
「セシル、大丈夫?…もう、リディアったらヘンなこと言わないの」
少し頬を赤らめたローザの様子が微笑ましい。目下のところ男に惚れているエッジだが、恋愛感情とは別の次元で、美人は無条件に好きなのだ。その点、この旅の仲間は文句なしに恵まれていたなあ、とエッジはしみじみ思う。
 ヤローだらけのむさ苦しさとは無縁だったもんな。
エブラーナの忍びにも女性はいるが基本は男性組織であるし、日頃どんなにふざけていようがその組織の次期首領として彼らを率いて行動した経験も勿論あるから、エッジも男だらけの集団が嫌だと言うつもりはない。つもりはないが、潤いがあるなら絶対にその方がいい。素早い身の熟しを身上とする忍者集団は噂に聞く肉体派のファブールのモンク集団に比べればマシなのかもしれないが、それでも男だらけの集団に付きものの汗臭さとむさ苦しさを思い出し、エッジは鼻をむずむずと動かした。
そう言った意味では、この仲間たちはローザとリディアという美女二人に加え、本来ならエッジ曰く「ヤローくささ」を担うはずの男性陣も、柔和な美しさのセシルと怜悧な美貌のカインという顔だけなら性別不明なメンバーだったから、非常に気分よく過ごせたと言えるだろう。そこでうっかり男に惚れた、というのは大誤算ではあったが。
 なんつーか、ありとあらゆる意味で人生の転機だったな…。
故国が襲われ、両親が殺され、自らの不甲斐無さに涙し、自らの責務を自覚して、故国どころか星を守る旅に出て、その旅の途中で同性に惚れた。
 …人生設計の狂い方としては、最後のが一番強烈な気がするぜ…。
エッジは旅の途中のあれやこれやを反芻しながらそう述懐する。それでも出逢わなければよかったとは思わないし、ついでに言えば「出逢わなければよかった」と思うような結果にするつもりも既に毛頭ないのだ。脈ありとはいえ、それを自覚していない頭の固い男を相手に口説き落とそうというのだから中々骨が折れることではあったが、難攻不落の城ほど攻め落としたくなるもんだよな、などと思えるエッジは悪く言えば能天気、良く言えばポジティブシンキングでフロンティアーズスピリットに溢れているのだった。
 エッジがセピア色の汗臭い回想に浸っている間にも、女性陣の会話は進んでいる。
「ローザ、恥ずかしがらなくてもいいのに~」
「ほんとに違うったら。…帰ったら色々大変でそんなこと言ってられないわ、きっと」
「そっか、バロンも王様いなくなっちゃったんだもんね。これからどうなるんだろうね?」
その言葉を聞いて、ああそうか、とエッジの思考は回想から復帰した。
 この戦いで世界各地に被害が出たが、指導者不在になったのはクリスタル強奪の手駒として乗っ取られたバロンだけだ。規模でいえばバブイルの塔が近いエブラーナや飛空挺団に襲撃された商業国家のダムシアンなどの方が被害は甚大だが、エブラーナにはエッジ、ダムシアンにはギルバートという正統な王位継承者が健在で統率が取り易いのに比べ、王が暗殺され嫡子もおらず継承者の指名もされていない上に魔物に乗っ取られた所為で治安や風紀が悪化したバロンは政治的不安要素が大きいと言えるだろう。魔物に乗っ取られたが故に加害者という立場に立たされた精神的不安もあるし、故国の被害状況を考えれば一概にどちらがマシとは言えないが、戦いが終わった後まで不安を抱えていなければならないという点ではバロンは他国よりも厳しい状況にある。
「次の国王ならいるさ」
「カイン?」
それまで特に会話に加わるでもなく聞き役に回っていたカインが唐突に言葉を発した。
「次のって、陛下にはお子はいらっしゃらないし、王族も近い血縁の方はいないじゃないか」
セシルが不思議そうに尋ねる。
 セシルの言うことは尤もで、世継のいないバロン王の後継者問題はずいぶん前から取り沙汰されていたが解決を見ることなく現在に至っていた。バロン王自身には何かしらの思惑があったようだったが、突然に暗殺されてしまった上にその死が長らく隠蔽されていたから王位を誰に継がせようと考えていたのかは謎のままである。最悪の場合、バロンはこれから王位継承権を巡る権力闘争が繰り広げられ治安改善や復興支援が後回しにされる可能性があるのだ。有力な次期国王候補がいるならば混乱の回避の為にも有難い存在だが、セシルにはそんな人物などさっぱり見当もつかない。
そんなセシルにカインは見慣れた不敵な笑みを見せた。
「わからないか?国民が望む、次の国王はセシル、お前だ」
「ええっ!?」
予想外の言葉にセシルが驚くその後ろで、エッジはなるほど、と頷く。
「そーいや、『陛下の後を継げるのは貴方しかいない』みたいなことバロンの兵士にも言われてたな、オマエ」
「エッジ、君まで変なこと言い出さないでくれ。確かにバロン王は僕を育ててくださったけど、でも僕は孤児で、そんなのありえないよ」
思ってもみなかった未来図を提示されて戸惑うセシルが、その、セシルにとってとんでもない話を持ち出したカインを見つめると、カインは苦笑して言葉を続けた。
「だが陛下もそのおつもりだったと俺は思うがな」
「陛下が…?」
「確かにお前は孤児だ。しかし陛下は何の為にお前を城内に住まわせ、父代わりとして育てたんだと思う?ただ拾った子供を育てるなら金銭面の援助だけして孤児院に預けるなり誰か里親を探させるなりすればいいだけの話だろう」
 一国の王が自ら孤児を引き取るなど異例中の異例だ。だからこそセシルも幼少の頃から陰口や蔑みに耐えてきた。それでもあからさまな嫌がらせや暴力を受けたことがないのは、偏に国の最高権力者が父代わりだったからだ。
「それにお前、その様子じゃ解ってないだろう?」
カインがそう問うと、セシルは何を言われているのか皆目見当もつかないといった表情で見返す。
「陛下に賜ったそのハーヴィという姓。随分昔に断絶した王族筋の家名だぞ」
「…そうだったのか?」
 孤児だったセシルには当然名前などなく、名付け親は引き取り手であるバロン王だったが、本当に幼い頃のセシルにはただ「セシル」という名のみが与えられていた。幼年学校に入る頃、セシルは王からハーヴィという姓を賜ったのだ。バロンでは姓は騎士階級以上が持つもので一般庶民は姓を持たないから、「あんな素性の知れない子供にハーヴィと名乗らせるなんて」という陰口はどこの馬の骨とも判らない自分に姓を与えたことに対しての批判だとセシルは思っていた。セシルにとってはバロン王が与えてくれた名であることが重要で由来や出典には興味を持たなかったので、自分に与えられた家名にどんな意味があるのかなど調べようと思ったこともない。こうして事実を知って解る。あの陰口は素性の知れない子供に姓を与えたことだけでなく、ハーヴィという由緒正しい家名を継がせたことに対する批判だったのだ。
「五十年近く前に嫡子が出来ず断絶した家名だから今となっては殆ど知られていないし資産はほぼ王家に接収されているが、領地の一部だったハーヴィ家の名を冠した葡萄園は王領地に接収ではなく王家預かりになっていたはずだ。お前、帰ったら調べてみろよ。今の所有者はお前の名になってるぞ。王家預かりだから葡萄園の収入も支出も恐らく出納院が管理してるんだろうが、毎年の新ワインの献上は所有者であるお前の名でされてるだろう」
そうして、セシル本人の与り知らぬところで「王族筋の由緒あるハーヴィ家の当主」としての実績が積み重ねられてきたのだ。そしてその一切の指示を出したのは亡きバロン王であることは間違いない。問題は、どうしてそんなことをしたのか、だ。
「お前を拾った時から考えておいでだったのか、それともお前の成長を見るうちにそう考えられたのかは判らん。だが陛下はお前を後継者とするおつもりで、お前に王位継承権が発生し得る家名を継がせたんだ」
 セシルが如何に世界を救った英雄であり、先王が実子のように慈しみ育てた騎士であっても、出自不明の孤児が王位を継ぐとなれば伝統と先例を重んじる輩や至高の権力を狙う連中から反発が起きるのは必至。だが、たとえ血縁がなくとも王位継承になんら不足がない家名を継いで記録上とはいえ実績を積み重ねていれば、彼らの反論も勢いを削がれるだろう。バロン飛空挺団初代隊長になったのも、バロン王の仇を討ったのも、ただの孤児だった青年のセシルではなく、「ハーヴィ家の」セシルなのだ。
「陛下が…」
思いもよらなかった育ての父の思惑に戸惑うセシルの肩にエッジが手を掛けた。
「んじゃ、今後は国王同士が親友っつーことで友好的外交を一つヨロシク」
「君まで僕が本当に国王になるって思ってるのか?」
「というより、あんたはいつからセシルと親友になったんだ?」
戸惑ったまま答えるセシルの声と、鋭いツッコミを入れるカインの声が重なる。
「一緒に生死を賭けた戦いに挑んだ仲じゃねぇか。親友も親友、大親友だよな!」
セシルの肩をバンバン叩きながらエッジがそう言うと「痛いよ」と体をずらしながら、セシルが引き攣り気味の笑顔で曖昧に頷いた。
「うーん、まあ完全否定はしないでおくよ…」
 否定はしたいんだな。
と、全員が思ったが誰も言及はしなかった。気を取り直してリディアがローザの手を取る。
「じゃあ、ローザは王妃様ね!」
 凄い凄い、結婚式は呼んでね、と自分の手を握ってぶんぶん振り回すリディアにローザが困ったように笑った。
「だから、まだ何も決まってないわ」
勿論ローザにだって思い描く未来図はある。いずれはセシルと、との思いはあるし、その思いはセシルも一緒だが、今まではずっと戦いっ放しで具体的な約束はしていない。二人とも今すぐどうこうとは思っていないのだ。
「だが帰ったらきっとシドが言い出すと思うぞ。祝い事は多い方がいい、とな」
カインがそう言うと、思わずセシルとローザが顔を見合わせた。彼らを実の子のように慈しんでくれるシドは、非常に気が好くて豪快で世話焼きなところがある愛すべき人物だが、その世話の焼き方も豪快で特にセシルとローザの仲のこととなると当人たちの言葉さえ聞かないことも多々あり…。
「あー、国王云々はともかく、結婚についてはあのジイさんならやるわな。こりゃ決まりだ。先に言っとくぜ。オメットサン」
以前有無を言わさず飛空挺改造を手伝わされたことを思い出し、エッジがそう言うと、何か言おうと口を開きかけたセシルとローザが結局何も言えずに曖昧に微笑んだ。シドの性格を考えて、かなり可能性の高い近未来図だと悟ったのだ。元々いずれは、と思っていたことだから、シドを止められるとは思えない。
だが、いくら異論はないとはいえ、そのまま流されるのも問題だと思ったらしいセシルが徐にローザに向き直る。照れを隠せず少し視線を彷徨わせた後、大切な彼女に手を差し出した。
「…なんだか突然だけど。僕と結婚してくれるかい?ローザ」
そのセシルの手に、白魚のような、と褒め讃えられた手が迷いなく乗せられる。
「貴方じゃなきゃ嫌よ」
ローザの潔い即答に「さすがローザ」とリディアが手を叩いた。成り行きで目の前で行われたプロポーズ劇にエッジは口笛で祝福すると、そっと、二人に対して複雑な感情を抱えていたはずの男を窺い見る。
 …?
視界に入れたカインの表情がエッジの想像したものとは違っていて違和感を覚えた。だが、何せ思考回路が全く被らない相手のことなので、そういうこともあるかと思いつつもなんだか妙に気に掛かる。
 魔導船の外には、青き星が迫っていた。



 普段は静かなミシディアの夜も、今夜ばかりは賑やかだった。…というよりも騒々しい。
月から帰還し、魔導船が眠りに就くのを見守った後、勝利の報告をするとそのまま広場で怒涛の宴会に突入したのだから当然だ。
 ほんの一口のワインで酔っ払ったパロムとポロムが花火代わりにプチメテオを乱発して長老の大目玉を喰らったり、その長老も実は酔っていて「メテオでは落ちてくるじゃろうが。見ておれ、花火とはこういうものじゃ」とホーリーを放ってみたり、続いて「ホーリーじゃちょっと派手さが足りないと思うわ」とさりげなくアルコール初体験だったリディアがフレアの乱れ打ちをしてみたり。
かなりの酒豪であることが判明したローザがワイン樽を運んでいた黒魔道士にホールドをかけて自分専用ワインを確保したり、ギルバートは足でリュートを弾くという高レベルな宴会芸を披露してみたり、ヤンが「見よ、我がファブールに伝わる伝説の秘拳・北斗神拳」などと言い出してみたり、シドが飛空挺の船首に波動砲をつけると計画してみたり、英雄として皆に酒を注がれて強かに酔っ払ったセシルは「みんな、僕についてきてくれるかな~?」「いいですとも~!」と月に残った兄が聞いたらまたダークマターに呑み込まれそうなパフォーマンスをしてみたり。
要は羽目を外しすぎて収拾がつかなくなった典型的な宴会の光景が繰り広げられていた。
「揃いも揃って酒癖悪ぃのばっか集まりやがって」
エッジはそうポヤきながら宿屋の扉を開ける。
酔ったローザの照準が狂ったホールドで身動きが取れなくなったところを双子と長老とリディアに因るプチメテオとホーリーとフレアの乱発合戦に巻き込まれ、吹き飛ばされた先では「今のシャウトすごくよかったよ。僕とロイヤルユニットを組まないか」とギルバートに勧誘され(「シャウトじゃねーよ、吹っ飛ばされて悲鳴あげたんだよ!」と一蹴した)ヤンには「エブラーナにも一子相伝の秘拳があると聞く…。どちらが本物かいざ勝負!」と襲われかけ(「忍術だよ!オッサンのわけわかんねぇ秘拳と一緒にすんな!」ととりあえず影縛りで難を逃れた)シドからはエブラーナ城移動要塞化計画を持ち掛けられ(多少心が揺れたが悲しげな顔で首を振る両親の顔が脳裏に浮かんで思い留まった)挙句の果てにセシルにがっちり肩を組まれて逃がして貰えずに「いいですとも~!」と一緒に叫ばされ(最後はエッジも自棄になった)、エッジは這う這うの体でその場を抜け出してきたのだった。
 あれは祝宴っつーより寧ろ阿鼻叫喚の地獄絵図だ…。
恐らく後一時間も経たない内に死屍累々の戦場の如き様相を呈しているだろう広場を想像して深々と溜息を吐く。宴会で貧乏籤を引くのは酒に呑まれなかった者だと相場は決まっているのだ。尤も、エッジには酒に呑まれてなどいられない事情があったのだが。
エッジは宴会に出払ってシンと静まり返った宿の階段を足音を立てずにそっと上る。
 祝宴は最初から大演芸大会だったわけではなく、勿論始まりは賑やかではあるものの和やかな宴だった。
事前の予想は見事に的中してシドがセシルとローザの結婚の話を持ち出し、それはこの青き星に平和が訪れたことの象徴のように全員の祝福を以て受け入れられた。エッジも人の輪の一番外側から口笛と拍手で二人を祝いながら、視線はずっと、斜め前方に立ってやはり同じように二人を祝福しているカインの横顔を凝視したままだった。
 魔導船で感じた違和感を、エッジはずっと拭えないでいる。
二人を見るカインの表情が、なんだか穏やか過ぎた気がしてならないのだ。
無論、エッジだってカインに今更羨望と嫉妬に藻掻き苦しめなどという気はないし、彼が複雑な感情の紆余曲折を経て二人の結婚を祝福できる心境になったというならそれは喜ばしいことだとも思う。しかし、何かが違うとエッジの勘が告げているのだ。祝福していないわけではない。けれどあの穏やかさはそれだけではない。
 そう、あれは…。
カインの表情を見てエッジが感じたのは郷愁に似たもの。連想したのは覚悟を決めて死地に赴く兵士。
二人を見るカインの表情は、二度と帰れないと判っている場所を心に刻もうとしているかのようだったのだ。
 とことん後ろ向きっつーか。寧ろ背面徒競走とかあったらぶっちぎりで一位だろ。
祝福の拍手に沸く広場で思わずそう呟いたのが二時間程前。
吹っ飛ばされたり叫んだりしながらも、常にカインが何処にいるのかだけは気に掛けていたエッジは、案の定誰に声掛けするでもなく宴会から抜け出していったカインの後を追ってこうして宿に戻ってきたのだった。
 あー、ったく、我ながらなんでこんなにメンドクサイ野郎に惚れたんだか。
自問しながらも、寧ろ面倒だからこそ惚れたんではなかろうかという気もしてきたエッジである。
足音も気配も消し去って廊下の一番奥の部屋の前に立つと軽く息を吐く。行くか待つか、一瞬迷った。
無意識に拳を握り締めていたことに気付いてエッジは苦笑する。珍しくも少し緊張しているのだ。
 神速果敢なエッジ様に、待つのは似合わねぇか。
心の内でそう呟き、握り締めた右の拳を左の掌に軽く当てる。その、ポスッと軽い音を合図にして、エッジは目の前の扉を勢いよく開けた。
「ども~」
緊張していた割になんとも軽い入り方だったが。
それでも、部屋の中にいた男は驚いたようにこちらを顔を向けた。
「突撃!隣りの晩御飯で~す」
「…何やってるんだ、あんたは」
呆れた、という表情を隠しもせずに部屋の中にいたカインがそう問うと、エッジは一瞬にして剣呑な空気を纏う。その空気を感じ取ったカインの表情にも僅かな緊張が走った。
「テメーこそ、何やってんだよ」
エッジの口から激昂を抑えた低い声が零れる。その声に、エッジの方へと向き直ったカインが小さく笑った。一瞬前の緊張を消し去って、とても穏やかに。
 そう、エッジがずっと違和感を感じていた、その穏やかさで。
「…訊かなくとも、解ってるんじゃないか?」
 カインは旅支度を整えていた。皆武装を解いて宴会に興じている状況で鎧を纏って移動するのは目立つと判断したのだろう、鎧や旅装のマントは出来得る限り小さく纏められてカインの足下に置かれている。
彼は、このまま何処かへと消えるつもりだったのだ。
「逃げんのかよ」
自分でも意外なほど冷静な声が出たな、とエッジは思う。実際、宴席から静かに抜け出したのを見た時から、カインの行動は不本意ながら予想していたので驚きはなかった。だが、驚きがなくとも沸々と湧き上がる苛立ちは現在進行形で量産中だ。最早苛立ちを通り越して完全に怒りに変わっている気がしなくもないが、とにかく「はいそうですか」と黙って消えさせてやる気は毛頭ない。
「…そう思ってくれて、構わん」
だが、エッジが強い気持ちで今ここに立っているように、カインもカインなりの強い決意があっての行動なのだろう。エッジが挑発に使った「逃げる」という言葉にも動じる様子を見せない。
 こいつは簡単には済まなさそうだ。
エッジは胸中でそう呟く。怒鳴って宥めて、そんなことが通用する相手ではないし、無論力づくでどうこうできることでもない。下手にこちらが感情に任せて激昂すれば容易く逃げられるだろうし、ここはエッジにとって一番苦手な忍耐と自制が必要とされるようだった。
「アイツらに…セシルとローザに何も言わない気か?」
惚れている身としては悔しいが、カインの気を惹くのに最も効果があるはずの二人の名を挙げる。だがカインは苦く笑って僅かに首肯した。
「あいつらは、優しいからな」
 彼らは優しいから、だから自分が消えると知れば引き止めずにはいられないだろう。
どうにもならないことを妬んで、僻んで、それを取り繕って善き幼馴染を装い続け、挙句装い切ることもできずに裏切り傷つけた自分を、許し受け容れてくれた優しい人たち。きっと彼らはこれからも、彼らの一番近くに自分の居場所を作ってくれる。その場所の居心地の好さを、それを心苦しく感じることを、いっそのこと断罪してくれたらどんなに気が楽になるかと考えてしまう自分の卑屈さを、自覚しているからこそ、カインは彼らの傍から離れようとしている。それでも彼らにそれを告げれば、優しい彼らは引き留めずにはいられないし、自分はきっとそれに甘えてしまうのだ。
言外にそう匂わせたニュアンスを正確に読み取ってエッジは眉を寄せる。
 やっぱ一発ぶん殴っていいか…?
それはもう容赦なく、躊躇なく、渾身の力で殴り飛ばしてやりたいと本気で思った。
ふと、最後の戦いに赴く前にローザが言った科白が脳裏に蘇る。
 カインったら全然解ってないのよ、私たちだって彼を大切に思っているんだってこと。
ああ本当にな、と記憶の中の彼女にエッジは答えた。
正確に言うならば、カインは自分が大切に思われていること自体は解っている。ただそれが自己評価に全く結びついていないのだ。セシルやローザがカインを大切に思うのは、彼らが優しいからであり、決して自らに人を惹きつけるものがあるからだとは思わない。カインが二人を大切に思うのは決してただの幼馴染だからではなく、彼らの人格を愛しているからこそなのに、それを自分には当て嵌められない。
 自己否定もここまでくると立派な病気だ、とエッジは思う。
今度の戦いで洗脳され裏切ったからというだけでここまでにはならないだろう。こうなってくると寧ろ自己否定がコイツのアイデンティティなんじゃないのか?と半ば真剣にエッジが思ってしまうほどそれは根深い。どうしてそこまで、と考えて気づいた。
 カインの自己否定は、自己防衛の裏返しだ、と。
誰かの一番になりたかったと言ったカイン。実質、それは彼の大切な幼馴染の、若しくは大切な主君の、と言ってよかっただろう。そしてそれは彼には得られない位置だった。自分が求める評価を他人から与えられないとき、人はどうするだろう。自分の望むものを与えられている者に対して嫉妬を募らせる場合。自分を評価しない相手を「価値の解らない愚か者」として切り捨てる場合。だがカインはどちらの心理状態にもなり得なかった。否、嫉妬は確かにしたのだろう。後にそれが闇に付け入られる隙となったのだから。だが、嫉妬の対象となるはずの相手もまたカインにとっては大切な相手だった。嫉妬の炎を燃え上がらせるには、カインは相手のことを認めすぎていて、自分を一番にしてくれない相手を切り捨てるには、カインは彼らのことを大切にし過ぎていた。だから彼は望むものを与えてくれない相手から離れられない自分の心の平穏を守るためにも、こう思ったのだ。
 自分には彼らに愛されるような価値など何もないのだから仕方ないのだ、と。
恐らく事ある毎に自分に言い聞かせてきたのだろうその諦念は、いつしかカインの意識の深層に定着してしまったのだろう。
 ま、離れるってのはある意味いいことなんだとは思うんだがな。
エッジはそう思う。セシルとローザは「ずっとカインの心遣いに甘えてきた」と言っていたが、エッジの見るところ、誰よりカインが二人の存在に依存してきたと言っていい。「自分には愛される価値がない」と自己否定して自衛を図った彼は、二人を支え守ることに自身の存在意義を見出したのだろう。だがその意義も、今度の戦いでの裏切りでカインには信じられなくなってしまった。今のカインは、自分がいる意味が解らず自信を失っている。このまま大切な幼馴染二人の傍にいれば、おそらく彼の自信はある程度の修復はされるだろうが、それでは「自分には愛される価値がない」と思い込んだ根本的な自己否定は改善されないままだ。ならば一度二人から離れ、彼らから自身を切り離して見つめ直すことはカインにとって、そして彼を大切に思う周りの人間にとって必要なことだろう。
 だからって誰にも何にも言わずに消えていいって話にゃなんねーだろ。
エッジは内心で唸った。セシルとローザから一度離れる、その為にバロンを出る、告げれば引き留められ離れ難くなるから二人には黙っていなくなる、それはいい。だが誰にも何も言わずにいなくなる必要はないだろう。というより寧ろオレに黙って消えるとは一体どういう了見だ、というのがエッジの偽らざる本音である。
そこまで思って、キィン、と唐突にエッジの頭の奥が冷えた。今まで抑えていた苛立ちが嘘のように鎮まり、努力しなくても冷静な思考が脳内を駆け巡り始める。
 そうだ、何故カインはオレにまで黙って消えようとしたんだ?
戦いが終わったらエッジの告白に対する答えを考える、その約束をよもやカインが忘れるとは思えない。そしてカインの性格を考えれば、一度交わした約束を何も言わずに反故にするということも考え難い。
疑問の答えは自ずと導きだされる。つまり、カインはエッジにも隠しておきたい何かがある、ということだ。
そしてそれは今まで自分たちの間であった遣り取りを思えば、間違いなくエッジの告白に対する答えに他ならないだろう。
 あとはなんで隠しておきたいか、だな。
エッジは腕組みしながら考える。それを見ているカインも微動だにしない。ここで無理に出て行こうとすればエッジが騒ぎ立ててカインの出奔が皆に知れることになるのは明らかだからだ。とりあえず実力行使に出られる心配だけはないのでエッジは目まぐるしく脳内を駆け巡る思考を整理することに専念できた。
 カインは何故答えを保留にしたまま消えようとしたのか。
自分との関係が気まずくなるのを嫌ってか、とも思ったがそれはないと断言できた。どうせ姿を消すつもりなら、そんなことを気にする必要などない。寧ろ黙って消えることで仲間たち全員との関係が気まずいものになる可能性だって十二分にあることはカインも承知の上だろう。
 振られるエッジのことを気遣って、という可能性も考えてみるがそれも説得力に欠けた。曖昧な態度のまま答えを保留にして消えるなんて、この潔い男がするはずもない。過去に受けた告白で、答えが決まっていながらすぐに答えなかった自分自身を「卑しい」と蔑んだカインが、この期に及んでそんな真似をするわけがないのだ。だいたい、エッジの見立てではどう見ても勝率八割。振られる可能性の方が低いと踏んでいるというのに。
 フツー、告られてオッケーだったらそれでハッピーエンドの大団円だよな。
少なくともエッジの感覚ではそうなのだが、カインは一体何を問題視したのか。
 自らの保身に走る男でも、約束を反故にするような男でもないはずのカインが、敢えてその信条を曲げてまでエッジに黙って消えようとする理由。それは確実に、エッジのことを考えてに違いない。自惚れでも何でもなく、カインとはそういう人間なのだとエッジは知っている。だからこそ自分がこんなにも真剣に好きになったのだから。
 考えろ。思い出せ。絶対に何か切っ掛けがあるはずだ。
自分自身にそう檄を飛ばしてエッジは自らの記憶を浚い出す。
告白の答えを考える、そう約束したときは何も気に掛けることなどなかったはずだ。もしその時点でカインが何か憂慮する事項に思い当たっていたなら端から約束などしないだろう。そしてそこからゼロムスを倒すまでの間はそんなことを考える余裕などなかった。広場での大宴会の最中も、カインは上手く被害が及ばない位置で阿鼻叫喚の図を眺めていたし、恐らくその時には既に誰にも黙って消えることを決めていただろう。つまり戦いに勝利してから青き星に戻ってくるまでの短い間にカインにとって無視できないエッジについての何か、があったのだ。
 何があった?
数時間前の記憶を必死で遡る。幸いなことに青き星に戻ってくるまでの間、カインが単独行動を取ったことはなかった。絶対に自分の記憶の中に答えはあるはず。魔導船の中での穏やかな会話の間、月の地下渓谷を脱するまでの道中、何か変わったことはなかったか。普段のカインとは違う何か。
 ………あ?
記憶を丁寧に遡っていたエッジの思考が、一箇所で引っ掛かった。そう、あれはゼロムスに勝利したすぐ後、帰途に就こうとした時のこと。
 あのラブラブ光線か!
決してそんなものではないのだが、エッジの中ではそう名付けられた僅かな遣り取りを思い返す。考え込むというよりは、まるでその時初めて見たかのようにエッジを凝視していたカイン。間違いない。きっとあの時に違いない。あの時、彼は自分に対する何か「考慮すべきこと」に思い当たったのだ。そして考慮した結果、カインは黙って消えようとした。
 あの時、何をしてたっけか。
カインの視線に気づく直前の行動を思い出す。ゴルベーザとフースーヤを見送り、「みんなのところへ帰ろう」と歩き出して、そして。
 リディアが話し掛けてきたんだよな。そうだ、オレにはエブラーナのヤツらも待ってるって…。…!!
エッジは顔に出さないまま、内心で息を呑んだ。次いで、ギリ、と奥歯を噛み締める。
 カインが一体何を思い、何を気遣ったのか、この瞬間、エッジは正確に理解した。
全く以てカインらしい気遣いと言うべきなのか。先のことまで考えて行動できる彼は、そして自分の幸福をあっさりと諦めてしまえる彼は、恐らくそれに思い当たった時点で決めてしまったに違いない。
 エッジが。自分に真剣に告白してきた相手が。
エドワード・ジェラルダインという男が、エブラーナという一国の王であるという事実を、エッジの親しみ易さ故に普段仲間たちが忘れてしまっている事実を、改めて認識したのだ、カインは。
そして、王である以上当然負うべき責務を思ったのだろう。即ち、子を作り血統を残すという義務を。
 竜騎士は世襲だと言う。
幼い頃から飛竜に慣れ親しみ、飛竜との間に信頼関係を築かなければ竜騎士となることは難しく、それには生まれ持っての資質が大きく影響するからだと言うが、だからこそ血統を残すということが重要視される。バロンでも有数の由緒ある竜騎士の家系に生まれたというカインは、血統を残すというその意味を解り過ぎるくらいよく解っているのだろう。それが一国の王家ともなれば尚更。
 ったく、いらん気回しやがって…!
エッジは内心で歯噛みした。実際のところ、決して要らない気ではないのだが、エッジの心情としてはカインの憂慮は要らない気以外の何物でもないのだ。
エッジの中でとっくに答えは出ているのだから。
 こちらの動向を無言のまま窺っているカインとの距離を、こちらも無言のままエッジは一気に詰める。そのまま左腕を伸ばして胸倉を掴めば、殴られることも覚悟していたのだろうカインが身を固くするが、しかしエッジはカインの予想とは裏腹に、腕を前方へと押し出した。
「え…?」
殴る為に引き寄せられることを想定していた体は、想定と正反対の突き放す動きにあっさりと従って後ろのベッドへと仰向けに倒れこむ。
「いいかカイン、よーく聞けよ」
カインの上に馬乗りになって、エッジは口を開いた。
「オレはな、嫁さん貰う気なんぞこれっぽっちもねぇんだよ」
そのセリフに、カインの顔がさっと青褪める。自分の憂慮がエッジに正確に読み取られてしまった事を覚ったのだろう。だがすぐさま表情を改めると、強い視線で見上げてきた。
「お前、自分の立場を解っていて言っているのか?」
「おうよ、こっちは生まれたときから王族なんてやってんだ。テメェに言われるまでもなく十分承知してらぁ」
エッジは得意気にすら見える表情でそう答える。
実際、エッジだって十分考えたのだ。考えた結果は、「どーにかなる」だった。
「どうにかってお前な…」
「なるんだよ、王家なんてもんは」
 そう簡単に御家断絶なんてことにはならないのだ、一国の王家ともなれば。
エブラーナの忍術は一子相伝の技。王家には代々の王にだけ伝わる技があり、エッジも技の継承という重要性は重々承知している。だが、それは何も実子である必要などない、とも思っている。恐らく、これから正式に王位に就けば、間をおかずに結婚話も持ち上がるようになるだろう。だが今自分が心惹かれているのは目の前の男であり、しかもその熱はちょっとやそっとで鎮まりそうにはない。そんな状態で妻を娶るなんて真似、たとえ思春期の少年のような理想論と笑われても、エッジはしたくないしする気もないのだ。無論、王としての責任も理解しているから、血統の存続を巡って何らかの争いが起こり得る状況になれば、そんなことは言っていられないかもしれない。全く気は進まないが最終手段としては、王妃を迎え入れるのではなく、子を為す義務を承知している女性を複数娶るということも有り得る。
両親は王族には珍しい恋愛結婚だった上、割とすぐに丈夫な男子(つまりエッジだ)が誕生したから父王が側室を迎えることはなかったが、どの国でも王家が一夫多妻なのは珍しい事ではない。
 ま、その心配はねぇと思うけどよ。
エッジはそう考えている。父は母一筋だったが、その先代たるエッジの祖父は中々の漁色家で王妃の他に複数の側室を娶っていた。非常に豪快で裏表のない性格の人で、誰か一人を極端に寵愛することもなく、王妃(エッジの祖母はこの人だ)は側室たちの敬意を集めながら非常に穏便且つ円滑に取り仕切っていたという。時には、女性陣が和やかにお喋りに興じて主たる祖父が輪の外に放って置かれる、などという光景も度々あったのだそうだ。そのおかげか、父を始めとして子供も複数いたが、後継争いのようなものは全く起こらなかったらしい。「それもこれも先王の人好きのするご性格と、先王妃のご人格の素晴らしさ故にございますぞ」とは、その頃から王家に仕えている爺の弁である。
その祖父の複数いる子供たちやその家族も、今回の戦いで殆どが民を守る為に命を落としてしまったが、幸いなことに、末の娘はエブラーナが襲撃された当時、身重だったので真っ先に避難させられていた。そして、あの洞窟アジトの中で彼女は男の子を産んだ。エッジにとっては従弟に当たる子供だ。悲愴感の漂うあの洞窟暮らしの中で、皆に笑顔を齎してくれた赤ん坊だった。男子のみが王位継承権を持つエブラーナでは、現時点でエッジに次ぐ王位継承権を持つその子を自分の後継とすることに、異議を挟む者がいるとは思えない。
「オレは生まれたときからエブラーナの王子だ」
エッジは押さえつけていたカインの上からどいて、ベッドの上で胡坐を掻きながら念を押すようにそう言った。自分を押さえていた重しが外れたカインが上体を起こして怪訝な顔をする。それはさっきも聞いた、とその表情が如実に語っていた。
「だからオレはエブラーナの為に出来ることはする」
政治なんて自分の柄じゃないと思いはしても、それが生まれ持った自分の責任なのであれば国の為に最大限の努力をする覚悟は疾うに出来ているのだ。
「だが、オレは国の為に自分のすべてを捨てる気なんてねぇんだよ。出来ることはする。妥協できることであれば妥協もする。けどな、絶対に譲れないと思ったことは何があっても譲る気はない」
きっぱりと言い切ったエッジは、どこか眩しそうにこちらを見るカインの胸倉を再び掴む。このタイミングでそういう行動に出られるとは思っていなかったカインの切れ長の眸が驚きに僅かに丸くなった。
「テメェはどうも人の話をちゃんと理解してないみたいだからな。いいか、もう一度言うから今度はちゃんと理解しろよ」
 正確には理解していないのではなくて、理解した上で先まで読んで勝手に配慮してくれるから性質が悪いのだが、そこまで言うのもなんだしな、とエッジは言葉を端折る。
「オレはオマエが好きなんだ。カイン・ハイウィンドって野郎に自分でも馬鹿じゃないかって思うくらい惚れてんだよ!他の女なんて抱こうとも思わねぇんだ、文句あるかっ!?」
喧嘩上等、と背後に文字を背負っていそうな気勢でエッジは言葉を紡ぎ出した。実は後で「あれは勢いつけすぎだった」とあまり思い出したくない過去の一つに数えられることになるのを、本人は知らない。
「お前は…」
半ば呆然とした様子のカインの口が開く。
「ああ?」
「お前は、喧嘩腰の告白しか出来ないのか」
 今解った。コイツはセシルにも劣らない天然だ…!
この期に及んで最初にそこを突っ込むのか、とエッジはがっくり項垂れるが、すぐさま「悪いか」と開き直った。
「オマエ相手に花束でも渡して告白しろってか?」
「いらん。気色悪い」
 即答かよ、とエッジは心の中で突っ込んだが、かと言って「そうしてくれ」と言われた日には恥ずかしさで憤死すること間違いないので表面上は何も言わずに済ませる。
そして次の瞬間、エッジはポカンと口を開けた。
「俺には…これで十分だ」
そんな言葉とともに、視線を伏せたカインが確かに微笑んでいた。きっと本人も意識していないに違いない、そんな微かな笑み。
自嘲の色も、寂寥の影も見えない、いつかエッジが「さぞかし目の保養になるだろう」と思った微笑が、そこにあった。しかも、現実は想像の数倍上を行く威力だ。相手が男であろうが関係ない。「花が綻ぶような微笑」とは、まさしくこれを指すのだろう。
 バッカ、余計惚れちまうだろーが!
そんな八つ当たりに近い感慨を抱いたエッジを誰も責められまい。
 エッジは掴んでいたカインの胸倉を放してベッドから立ち上がると、ごそごそと自分の服を探り始めた。目当ての物を見つけると、それをぐいっとカインの手に押し付ける。
「…?これは、ひそひ草、か?」
ダムシアン特産のこの花が持つ不思議な力は、カインもよく知っている。
「ああ。ギルバートの懐からパクってきた」
「…お前、やっぱり忍じゃなくて泥…」
「黙れ」
いつにない強い口調でカインの言葉を遮ると、エッジは腕を組んで未だベッドに腰掛けたままのカインを見下ろした。
「三ヶ月だ」
「え?」
「三ヶ月、待っててやる」
 今ここで、カインを引き止めるような真似はしない。これからカインが選ぼうとしている道は、確かにカインにとって必要な時間なのだから。
けれど、このまま行方知らずになんてなられてたまるか。
「自分がどこにいるのか、三ヶ月以内にオレに知らせろ。そしたら、会いに行く」
「…知らせなかったら?」
その質問にエッジは踏ん反り返った。そんな切り返しは予測済みなのだ。
「きっかり三ヶ月過ぎても連絡寄越さないでみろ。エブラーナの国力を挙げて大捜索してやる」
 公私混同?上等じゃねーか。探索任務は忍の得意分野だぜ?
そう言ってニヤリと笑えば、カインが呆れたように溜息を吐く。先刻の微笑もよかったが、やはりこういう表情の方がコイツらしくていいかもな、とエッジが思っていると、カインが立ち上がった。折角見下ろしてやって気分が良かったのに悔しいが仕方ない。
カインは足許に纏めてあった荷物を拾い上げると、渡された花を大切に仕舞う。そのままエッジの横を通り過ぎ、扉を開けたところで振り返った。真っ直ぐな金髪が揺れる背を見ていたエッジと正面から視線がぶつかる。
「ところで王子様」
「王子様言うなっつーの。…なんだ?」
カインが、少し照れたような、若しくは少し不機嫌そうな、何とも判断のつきにくい微妙な表情で口を開いた。
「俺は、あんたの告白に答えを言った覚えはまるでないんだが」
 オマエ、今更それ言うか。
エッジは内心で苦笑する。
どうやら、カインは自分に思考を読み解かれて先手先手で主導権を握られたことがお気に召さなかったらしい。だがそうは言っても、直接言葉にして答えを聞くまでもなく、今までの態度で一目瞭然ではないか。そうでなかったらあの微笑はなんだったと言うのだ。何の為にエブラーナの後継問題にまで配慮したのだオマエは、ととりあえず小一時間程問い詰めてやりたいが、それは次に会う機会に回すことにする。代わりに、エッジはひょいと肩を竦めて笑って見せた。
「何言ってるの?オマエもオレの事好きでしょ」


面と向かい合って、二人きり。後は口を開くだけ。




 月の地下渓谷は呆れるほどに広く深い。
おまけに隠し通路・転移装置の多用や構造上意味があるのか不明な造りが多い上、生息するモンスターは一つとして例に漏れず強力とくれば、たとえ平坦な一本道であったしても踏破にはそれなりに要するだろう労苦が、相当な加速度で膨れ上がることは必然だった。
 その日も、魔物を寄せ付けない聖結界を見つけた時点で無理をせず休息をとることにしたセシル達一行がコテージを設置し終えると、カインが周囲の警戒がてら水を汲んでくるとその場を後にしようとした。
「僕も行くよ。一人じゃ危険だ」
セシルがそれに続き、エッジも腰を浮かしかけたところでカインがそれを止める。
「王子様は残っててくれ。ローザとリディアだけにするわけにはいかん」
「・・・おう」
聖結界が張られている一帯は魔物が近寄れないから心配はいらないのだが、月の魔物の全容が判っているわけではないし、万が一という場合のこともあると言われれば否定もできず、エッジは浮かしかけた腰を再び下ろした。
 ぜってぇ避けられてるよな・・・。
はぁ、と思わず溜息を吐きながらエッジは項垂れる。
月に着いてからというもの、戦闘中はともかく、こうして休息を取る段階になるとさりげなくカインに避けられている気がしてならない。
 やっぱアレは拙かった・・・か。そりゃそーだよな。
魔導船の中での告白は、自分で冷静に思い返してみても、勢いというか成り行きというかなし崩しというか行き当たりバッタリというか、要は後先何も考えていなかったとしか言いようがない。
 寧ろ告白っつーより喧嘩吹っ掛けたっつー方がしっくりくるぜ。
バカ野郎はないだろう、バカ野郎は・・・と自分でも後で我に帰って呆れたが、言ってしまったものは取り返し不可能だ。これからどうするかを考えた方が賢明というものだろう。
 つっても、具体案なんか何も思い浮かばねぇよ。
はぁ、と更に大きな溜息を吐いて頭を抱えたエッジの様子を見ていた女性陣からくすくすと声が上がる。
エッジが顔を上げると、焚き火を囲んでエッジの両サイドにローザとリディアが陣取り、エッジを覗き込んでいた。
「幼馴染の経験から言うとね」
「へ?」
ローザの唐突な言葉にエッジが思わず間の抜けた相槌を返すと、バロン一の呼び声も高い美しい白魔道士は悪戯っぽく笑って言葉を続ける。
「面倒見がいいのに自分のことは放っちゃうから、こっちから突っ込んでいかないと何にも進展しないわよ」
「・・・はい?」
まったく話が読めずエッジがきょとんとローザを見返すと、そのエッジの腕をリディアがちょんちょんと突付いた。
「エッジ、あたしたちがどうやって月までついてきたと思ってる?」
「どうやってってそりゃ・・・」
 月に向かう前に下船させたはずの彼女たちは、いざ月で魔導船を降りようとした段階で姿を現した。「降りた振りをして隠れていた」とそう言って。確かに自分達はブリッジでローザとリディアを説得し、それに応じて彼女たちが渋々とタラップを降りていったところまでしか確認していなかった。二人はタラップを降り、船外へは出ずに船内下層に身を隠していたのだろう。だがそれが一体なんだというのだ。
「あたしたちね、船の下の階の、端っこの方に隠れたの。その方がブリッジから遠いし、見つかりにくいと思って」
リディアの言葉にエッジもそれはそうだろうなと納得する。が、次の瞬間ピタッと動きを止めた。
「・・・下層の、端??」
恐る恐るといった態で訊き返すエッジに、リディアも少しばつが悪そうに頷く。
「うん。下層の、端」
「念の為に訊いておくけどよ、それはどっちの端だ?」
「うーん、後ろの方、かな?」
えへへ、とリディアが笑うのに、エッジは力尽きたようにがっくりと項垂れた。その隣りでローザが謳うように決定的な科白を口にする。
「『好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎!』」
「のわぁぁぁっっっ」
意味不明な叫び声を上げて耳を塞いだエッジを誰も責められまい。
「乱暴だけど結構情熱的な告白よね」
「いやいやローザちゃん、それもうイジメだから。ヤメテ、お願いだからヤメテクダサイ」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
ね、とローザとリディアが顔を見合わせて笑う。
 当事者は恥ずかしいに決まってんだろ!とエッジは半眼で二人を見るが、彼女たちは何処吹く風だ。
「全部聞いてたのか?」
それだけは確認しておかなければ、とエッジはそう訊いた。
「ううん。そんなに近くに隠れてたわけじゃないもん。エッジが怒鳴るから聞こえたんだよ」
リディアの返答に、胸を撫で下ろす。その様子にローザが尋ねた。
「あら、もっと恥ずかしい愛の告白でもしてたの?」
「ちげーよ」
 エッジ自身は別に全て聞かれていても構わない。一番聞かれたくなかった科白を聞かれてしまえば今更だ。
だがカインはどうだろう。
 アイツは、あんな弱音聞かれたくないだろうさ。
エッジはそう思う。エッジの推測でしかないが、カインが自分に弱音を漏らしたのは、自分がカインの裏切りを責めたからなのだろう。自分を信じきってくれている相手に、弱音を吐ける性格ではないのだ、きっと。
 あー、やっぱ今の状態なんとかしねぇとな。
折角築いたカインが心情を吐露できる相手、というポジションがこのままでは危うい。エッジとしては元々成就するとは思っていなかった恋愛であるし、この立ち位置だけは死守したいところなのだ。惚れた相手の弱音を吐き出させて護ってやりたいと思うのが男だろう。相手も男ではあるが。
そこまで考えて、エッジは今この場で最も突っ込むべき疑問に行き当たった。
「つーかよ、なんでオマエら皆揃ってフツーに受け入れてんの?」
 仲間内の同性間で恋愛沙汰なんて、普通はもっと拒否反応が出て然るべきだろう。「汚らわしい」だとか「気持ち悪い」だとか。言われたらそれなりに傷つくが驚きはしない。
だが逸早くエッジの感情に気づいていたらしいセシルは止めないどころか発破をかける始末だし、ローザとリディアも嫌悪の感情を顕著にするどころか何やら好意的な気配すらする。
それとも何か、エブラーナでは異端だったがバロンは同性愛がオープンなお国柄だとでも言うのだろうか。
「そうね・・・慣れかしら?」
しばらく「うーん」と悩んでいたローザが言ったのがそれだった。
「慣れ?」
「そう。カインが男の人に言い寄られるの、昔は結構あったし」
「らしいな」
「えー、そうなの?」
セシルから話を聞いていたエッジがローザの言葉に相槌を打つと、そんなことは初耳のリディアが声を上げる。それに笑ってローザが頷いた。
「そうよ。だって、あの顔じゃない?」
「そっか・・・。そうだよね。あたしも初めて見た時びっくりしたもん」
 カインに面と向かって「綺麗」だの「美人」だの散々言って構っても、やんわり苦笑されるだけで済んだのは偏にリディアのキャラクターのおかげだろう。エッジがそんなことしようものなら間違いなくいきなり槍で突かれること請け合いだ。
「軽いからかい程度なら日常茶飯事と言っていいくらいだったし、本気になってた人も知ってるもの。なんて言うか、カインて性格はとても男らしいけど、いつでも涼しげで汗臭さとかそういう男臭さとは無縁じゃない?だから余計本気になられ易いみたいで。見ているこっちも、あんまり意識しないのよね、同性だからどうこうって」
 いやそれは気にしておけよ、とエッジは内心で突っ込んだが、気にされたらされたで自分が変態呼ばわりされるだけなので黙っておく。その隣りでリディアが「それに」と付け足した。
「エッジとカインてなんだかいいコンビだし」
「オレらが?」
「だって、カインはあたしにはあんなに打ち解けて話してくれないわ」
 リディアにも、それはカインの罪悪感に因るものだということは解っている。セシルとカインはリディアに対して同じ罪悪感を抱いているが、彼女が子供の姿の内から共に旅をして色々と話す機会もあったセシルにはリディアに対して父か兄のような肉親に近い感情が生まれたのに対して、カインには罪悪感だけが残ってしまった。
「ねぇ、エッジ」
神妙な顔になってしまったリディアを見て、ローザは落ち着いた声でエッジに話し掛ける。
「カインは私やセシルのこと、そうねリディアのことも大切に思ってくれているわ。でもだからこそ、彼は私たちを気遣ってばかりで自分のことを労ろうともしない。カインったら全然解ってないのよ、私たちだって彼を大切に思っているんだってこと」
 確かにローザが好きになったのはセシルだが、それがそのままカインを何とも思っていないということにはならない。恋愛感情がなくても、ローザにとってカインは兄代わりであり大切な幼馴染なのだ。小さな頃からずっと、セシルには言えないことでもカインには話してきた。きっとセシルも自分には言わないことをカインには話してきたのだろう。もしかしたら、それがカインを余計苦しめてしまったのかもしれないけれど。
「エッジなら、カインのこと有無を言わさず振り回してくれそうなんだもの。応援してるのよ?」
 あんま褒め言葉に聞こえねぇんだけどよ・・・。
釈然としない気持ちでエッジは曖昧に頷いた。
 別にエッジはカインを自分のペースで振り回したいと思っているわけではないのだが、どうやらカインの幼馴染たちは彼を振り回してほしいらしい。つまりは「押せ押せ」ということである。
「ちゃんと二人でお話しする時間作れるよう、あたし達協力するね!」
リディアが屈託なく宣言した。
 道を踏み外そうとしている仲間を止めようってヤツはいねぇのか。
引き返すつもりなど失せた道とはいえ、なんだか納得がいかないエッジだった。



 そこからはもう、一種の戦いだったと言っていい。
当事者でありながら傍観者になったエッジはそう思う。
エッジとカインを二人にしようとするローザやリディアと、二人になることを避けるカインと。セシルは一応傍観の立場を取っていたが、いざとなればローザ側に付くのは目に見えており。
青き星の存亡が懸かっているこの時に、その命運を託された者たちの間で下らなくも真剣な駆け引きが展開され、見ていたエッジはいっそ休息など取らずにレッドドラゴン連戦でもしていた方が余程気楽なのではないかと思うほど精神の消耗を強いられた。外野が乗り気の恋愛沙汰など滅多な覚悟でするものではないと、新たな人生の教訓を学んだ気分だ。
 そうして、恋愛沙汰に於いて乗り気の女性陣に敵う者などいるはずもなく。
エッジは見事(といってもエッジ本人は何の努力もしなかったのだが)、カインと面と向かい合って二人きり、後は口を開くだけ、という状況を手に入れたのだった。
 しかし気拙い。
無言で焚き火を見つめるカインは口を開く意思など全くなさそうである。
 ・・・オレってそんな嫌われたわけ?
思わず自問するエッジだが、考えてみればいくら周囲が妙に理解を以て協力しても、本人に理解があるかどうかは別問題だ。寧ろ、さんざん同性にからかわれたり言い寄られたりした経験があるのなら、男に告白されるなんて虫唾が走る事態だった可能性も十分有り得る。況してやその相手がそれなりに信頼していた相手ならば余計、裏切られたと感じるかもしれない。
 しかもその直前がまた、いいカンジで信頼度アップ!つー雰囲気だったしなぁ。
信頼させておいて告白とは、まるで下心があっての行動だったように見えるのではないかと不安になる。いや、下心がなかったわけではないのだが、それだけがすべてだったわけでもないのだ。それを誤解されるとキツイな、とエッジは思う。
とはいえ、悲観要素ばかりに思い当たって頭を抱え込みたい衝動に駆られつつも、けれど希望も否定しきれない。
 拒絶されている、とは感じないのだ。
確かに避けられはした。漸く話す機会を得た今もこうして無言を貫かれてはいる。しかしカインの纏う空気からはあからさまな嫌悪は感じない。とりあえず兜を被ったまま顔も見せてくれないということもない。今だって無言なのをいいことにカインの美貌を鑑賞し放題だ。視線を向けられるだけで嫌だとか、そういうことはないらしい。そこに希望を見出してしまうのはエッジの自惚れだろうか。
 とにもかくにも、ここで無言のまま過ごしても意味はない。時間は限られているし、不快な思いをさせたのなら謝りたいし、何よりこのまま何の進展もないままでいるのはエッジの性格上我慢できないのだ。
「・・・あのよ」
暫し悩んで、結局沈黙を破る最初の一声は何の変哲もないものになった。
「・・・」
返答はなく、カインはちら、とエッジに視線を向けただけだった。
 あー、挫けそう。
思わず心のうちで諦めそうになるが、そんなことをしようものなら、あの異様に乗り気な外野陣にどれだけ責められるか分かったものではないことに思い当たり、エッジはもう一度意を決した。
「なんつーか・・・その、こないだの、話なんだけどよ」
「・・・ああ」
今度は返事があって心底ほっとする。さてこの後をどう続けようかと考えて、まずは謝ることにした。
「なんか色々、悪かった」
「色々」をどこまで言及していいのかわからないから、とりあえず大雑把に言ってみたのだが。
「・・・色々ってなんだ」
やはり、カインはそのまま流してはくれなかった。
これはもう、ちゃんと言葉にするべきだとエッジは姿勢を正す。
「最初に言っとくけどよ、こないだ話したこと、あれは全部嘘じゃねえ。いざっつー時オマエを斬る覚悟があるのもオマエを好きだっつったのも、全部本当だ。それは誤解しないで欲しいんだよ」
その上で、とエッジはカインに向けて頭を下げた。エッジには見えないが、カインの眸が僅かに瞠られる。
「いきなりあんなこと言って、キスもしちまったし、怒鳴ったし、いや、オレも『バカ野郎!』はねーなと後で思ったんだよ。それと・・・その、気持ち悪いとか思ったなら、不愉快な思いさせて悪かった」
更に深く頭を下げる。それが誠意の証になるのかは判らなかったが、せめて相手からいいと言われるまで下げておこうとエッジがそのままの姿勢でいると、覚悟していたよりも遙かに早くカインの口は開かれた。
「顔を上げろ。あんたに殊勝な態度取られると調子が狂う」
 どうしてコイツはこう一言多いかね?
思わず内心で呟きながらエッジは頭を上げる。とりあえず、嫌悪されているわけではなさそうだ。
「別に、あんたのことを気持ち悪いとは思ってない。・・・驚きはしたが」
 そりゃそうだろうな、とエッジも頷くと、カインが続ける。
「言われたことを疑ってるわけでもない。王子様が俺に謝るようなことは何もない」
その言葉にエッジは安堵した。が、そうするとどうしても疑問が出てくる。
「でもよ、オマエ、オレを避けてたよな・・・?」
どう見てもカインはエッジを避けていたし、だからこそ女性陣との攻防があったわけで、それは偶然で気のせいです、では片づけられない。
 そもそも、だ。
避けられているという状況の打開策ばかりに気を取られていたから思い至らなかったが、よくよく考えるとカインがエッジを避けるという消極的行動に出たこと自体が腑に落ちない気がしてくる。
 セシルの話では、相手が本気だと判ればたとえ相手が同性であっても無碍にできないのがカインだという。本気を冗談にして流したりはしないというのは、相手が本気だと認めれば断るにしても誠意を以て対応するということだろう。
だいたい、「遠慮なく俺を斬るがいい」と言い切る潔さを持つカインが、相手を避けるとは信じ難い。
確かに、エッジは青き星の運命を賭した戦いに共に赴く仲間で、断って距離を置くといった真似が出来ないから今までの例には倣えないのかもしれないが、それでもカインの性格なら「ゼムスを倒すまではそういったことは考えられない」くらいのことは言ってもよさそうである。
 なんか、考えたら納得がいかねぇ。
悩んだオレの時間を返せ、などという気は全くないが、何も言わずに避けられた理由くらいは知りたい。
「オマエは優しいから相手の本気を冗談にして流したりしないってセシルが言ってたぜ?」
そうエッジが告げると、カインは一瞬眼を見開き、次いですっと視線を逸らした。
 あれ?オレなんかトラップ踏んだか?
なんだか訊いてはいけないことを訊いてしまった雰囲気に、エッジが密かに焦っているとカインが口を開く。
「優しさなんかじゃないさ。俺が、卑しいだけだ」
「・・・へ?」
場違いな言葉を聞いた気がして思わず間の抜けた相槌が出た。今の話の流れでどこをどうしたら「卑しい」という形容詞が出てくるのか、エッジにはさっぱり解らない。
「わりぃ、もうちょい解り易く言って貰えるか」
「・・・本当に優しいだとか誠実だとか言うのなら、好きだと言われたその場ではっきりと断ればいいんだ。その気もないのに相手を気遣う振りをして時間を稼ぐなんて、卑しいだろう」
案外あっさりとカインは説明したが、それでもまだ卑しいという言葉の真相には遠い。
 とりあえず、今までカインが告白されても即答しないタイプだったということは判明した。ということはやっぱりオレも振られ路線か、とエッジは思い、しかしそれが何故カインにとって時間稼ぎになるのかがさっぱり見当がつかない。それこそが、カインが自らを「卑しい」と貶める理由なのだろうに。
「えーとよ、なんかよくわかんねぇけど、思いもしなかったヤツから告白されて即答できないってのは別にフツーだと思うぜ?卑しいって、そりゃちょっとオマエ、言い過ぎなんじゃねーの?」
エッジがそう言うと、カインがフッと笑った。
「王子様は人が好いな」
 コイツ、もっと素直に笑うことできねぇのかな。
カインの顔を見てそう思う。カインは意外とよく笑うが、それは戦意を高揚させる為であったり自嘲的なものであったりすることが多く、あまり幸せそうな笑顔とはいえない。折角美しい顔をしているのだから、きっと微笑めばさぞかし目の保養になるだろうと思うと勿体ない。
 ここで「オレがオマエの笑顔を引き出してやる!」とか言っても、野郎同士じゃ寒いだけだしなぁ。
やはり同性相手というのは勝手が違うとしみじみ思いながら、エッジはカインに言葉の続きを促した。
「どーゆー意味だよ」
「・・・くだらない自己満足だ」
「オマエ、もうちょっとちゃんと説明しろよ」
 カインという男は基本的に言葉の絶対数が少ないのだ。要点を纏めて端的に示すのは得意そうだから、きっと士官学校のレポートなどの成績は上々だっただろうな、と予測がつく。その代わり、親密な意思疎通を図るには絶対的に言葉が不足している。
小さい頃から「若はもう少し言葉を慎みなされ」と爺のお小言を食らってきた自分とは正反対だな、とエッジが考えながらカインの反応を待っていると、カインが座り込んだ自らの足下に視線を落として言葉を紡ぎ出した。
「いちばんに、思ってもらえるのが心地よかった。・・・まるっきり幼い子供の思考だ。自分は応える気がないくせに、相手には自分のことを想っていて欲しくて答えを先延ばしにしたんだ。優しいんでも誠実なんでもない。利己的で卑しいだろう」
自嘲に歪んだ顔を見られるのが嫌で、カインは左手で顔を覆った。
 もう遥か遠いことのように思えるバロン城をセシルと共に出立したあの朝から、事態はいつも己の予想だにしない方向へ転がっていく。一生隠し通すと固く誓っていた自分の醜さや弱さに引き摺られ、よりによって自らの大切な者達を傷つけて醜態を曝し、今また一つ己の卑しさをこうして露呈している。
 単純な話だ。
誰かの一番になりたかった。
 セシルにとって一番大切なのはローザ。ローザが想っているのはセシル。
 セシルと共に庇護を受けたバロン王が先に呼ぶのもいつもセシル。
自分の大切な人たちにとって、自分はいつも二番手で、最初に名を呼ばれることはない。
当然だった。セシルとローザは愛し合う者であり、バロン王はセシルにとっては父代わりだったが、カインにとっては後見人だったのだから。
本来自分を一番に考えてくれるはずの家族を亡くして以来、思うだけ無駄だと諦めていた願いだった。成長して大人になれば、そんなことを寂しいとは思わなくなる。たとえ一番ではなくても、自分の大切な人たちも自分を大切に思ってくれている。それで充分だとカインは思っていたのだ。それが自分自身に対するただの虚勢だったのだと気づいたのは、士官学校へ入学して初めて告白された時だった。
 自分が同性に真剣に想いを寄せられているという事態に驚いたカインは、即答できずに時間をくれと言った。それまで自分が存在すら意識していなかった、しかも同性の相手からの真剣な告白に、その時は本当にただどう対応すればいいのか解らなかったからだったのだが、数日のうちにカインは自分の欺瞞に気づいた。
 相手の意識の常に一番最初に自分がいる。いつも自分のことを想っている。自分はその状態を手放すのが惜しいのだ。自分の周囲の人間に求めて得られず諦めたそれが、図らずも自分の許に転がってきた。それは思っていた以上にカインの自意識を刺激し、同時にそれを自覚したが故に自己嫌悪を齎したのだった。
「本当に、救い難いな俺は・・・」
力のない呟きが洩れる。
 エッジに「好きだ」と言われ、それがどうやら本気らしいと理解したとき、カインの中に生まれたのは今までの比ではない満足感と、罪悪感と、そして混乱だった。理由は明白だ。エッジが今までの例とは一線を画す存在、要は仲間の一人だからだ。これほど身近な存在が、あれだけの罪を犯した自分を想ってくれる。それは自分の中にある「愛されたい」という子供のような我儘をひどく満足させ、だが自分の罪を鑑みたとき途方もない罪悪感を生んだ。そうして、カインはどうしたらいいか解らなくなった。
今までだったら、自己満足と自己嫌悪の折り合いをどうにかつけて、少し時間を貰った後ではっきりと拒絶していた。元々殆ど知らない、今後も大して付き合いがあるわけでもない相手からの告白であることが多かったから、拒絶したところで関係に影響はなかった。だが今度は違う。エッジは戦いに赴く仲間であり、そして何より、いざという時は斬る覚悟まで示してくれたエッジに、カインが「嫌われたくない」と思ったのだった。
自分の罪を考えたら受け入れるなんて到底無理で、けれど拒絶してもう二度と軽口も叩けないような関係になったらと思うと思いきることもできなくて、自分でも情けないと思いながらエッジを避けることしかできなかった。
「・・・呆れたか?」
苦く笑ったカインがそうエッジに問う。
「呆れた」
短く答えるエッジに、カインがそうだろうなと髪を掻きあげた時。
 ドン、と音がしそうな勢いで頭を抱え込まれてカインは眸を見開く。
自分がすぐ傍で膝立ちになったエッジの胸に抱え込まれているのだと状況を理解するのに時間がかかった。
「いやもう、ホンット呆れたわ。オマエ、バッカじゃねーの?」
「なっ」
「正真正銘の大バカだわな。バカインとかでいんじゃね?」
たぶん、「バカ」なんて言われたことないんだろうな、と思いつつエッジは遠慮なく言ってやることにした。
 だってバカはバカだ。
愛されたいと思って何が悪いのだ。大切な人が自分に振り向いてくれなければ寂しいと思って当然だ。それまで意識したことのない他人にでも、「好きだ」と言われれば気分が浮かれるのが人というものだろう。
それを卑しいだなんて、コイツは一体自分にどれだけのレベルを求めてるんだと頭の中を覗きたくなる。
本当に卑しいのなら、その気もないのに気のある素振りを見せてもっと事態を長引かせるだろう。
それに。
 断ったら、それですっぱり何とも思われなくなるって、どこのお子様だよオイ。
エッジは心底呆れていた。カインが危惧した呆れ方とは全く違っているけれど。
きっと、今までカインに告白した人間は、今でもカインのことを好きなはずだ。カインの側にどんな意図があったとしても、彼らから見ればカインは誠実に答えてくれたとしか感じなかっただろうし、そんな相手のことを、断られたからと言って嫌いになったりはしない。
そんなことも解らないなんて、呆れるしかないではないか。
「・・・王子様」
「なんだよ、バカイン」
う、とカインが言葉に詰まったのがわかってエッジは笑った。
「テメーはもうちょっと、オレに抱き締められとけ」
少し腕に力を込めるとカインが身動いだが、やがて諦めたように大人しくなる。
それを感じながら、エッジはこれからのことを考えていた。
 路線変更だなあ、こりゃ。
振られるのが当然で、それでも仲間として近しいポジションを確保できればいいなんて悠長に考えていたけれど、それでは駄目だということがよく解った。放っておいたら自家中毒でどんどん自分を追い詰めていくだろうこの男に、そんな生温いことは言っていられない。放っておけばどんどん落ちていくというのなら、無理矢理自分が引き上げるまでだ。なんだかエラく理解のある彼の幼馴染たちにも「押せ押せで行け」と言われていることだし。
 それになんか・・・脈アリっぽいし?
カインは意識していないようだが、「拒絶して嫌われたくない」というのはどう否定的に解釈しても脈があるようにしか思えない。エッジにしてみると「なんでそーなんのかねぇ」といった気もするが、自分自身に対して否定的で厳しいカインだから、それがエッジへの好意ではなく自身の甘えとして認識されてしまうようだ。
 だったらオレが変えていけばいいってか。
今までは負け戦だと思っていたから消極的にもなったが、これからは積極的に行かせてもらうことにする。幸い周囲の協力もあるし、本人の脈もある。元来積極的な性質のエッジには願ったり叶ったりだ。
とはいえ、最終決戦直前の今、あまり話を急に進めるわけにもいかないのだが。
「あのよ、カイン」
エッジが漸く体を離してカインを覗きこむと、「なんだ」と応えながらもカインが視線を逸らす。落ちてくる前髪が邪魔して見難いが、頬が薄ら赤く染まっていた。
 お、照れてやがる。
そんな些細な反応も見られることが嬉しくて上機嫌でエッジは続けた。
「とりあえず、すぐに答えろとか言わねぇからさ。ゼムスのヤローをぶっ潰した後でいい。だからオマエもオレとのオツキアイってヤツ、ちゃんと考えてみてくれよ。な?」
それは暗に、その為には罷り間違ってもゼムスとの戦いで命を犠牲にしたりするなという意味も込めての科白だった。
カインの方もそれを読み取ったのだろう、表情を改めて(それでも頬の赤味が完全には消え去っていなかったが)頷いてみせる。
「・・・わかった」
その言葉に、エッジは大きく伸びをしながら立ち上がった。
「おっしゃ、んじゃゼムスの野郎をぶっ飛ばしに行くとすっか~」
 そろそろ、エッジとカインを二人きりにすべく「月の地下渓谷観光」などととんでもない理由をつけて辺りの哨戒に行った外野陣も戻ってくる。そうすれば、最後の戦いは目の前だ。
「調子に乗って足手纏いになるなよ、王子様」
同じように立ち上がったカインがそうエッジに声を掛ける。
 お、いつもの調子に戻ったじゃねぇか。
しおらしいのもいいが、やはりこの方がしっくりくるな、と思いながらエッジは横目でカインを見た。
「バカヤロ、このエッジ様に向かって何言ってやがる。テメェこそ足引っ張んなよな」
「アンタと一緒にするな」
 やっぱムカツクかもコイツ。
半分本気で思いながら、エッジは意識を最後の戦いへと向けたのだった。


好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎!




 無言のままドワーフの城へと戻ったセシル達の間には、重苦しい空気がたちこめていた。
宿を取り、言葉少なに部屋へと引き揚げていく。ローザとリディアが互いを支えあうように寄り添って部屋へと入っていったのを見送って、セシルとエッジも部屋へと入った。装備を緩めることもなくベッドにドサリと腰を下ろしたセシルが項垂れて重い溜息を吐くのを見ながら、エッジも向かいのベッドに腰掛ける。
 最後のクリスタルも守れなかった。ゴルベーザの手に8つのクリスタルが揃ってしまった。これから一体何が起きるのか皆目見当もつかない。だがそれ以上に仲間たちを打ちのめしたのは、カインの裏切りだ。
エッジは自分の推測を確かめる為にセシルに声を掛けた。
「おいセシル」
「・・・なんだい」
「オレはこの中じゃ新参者だ。テメェらの間で何があったのかなんて知らねぇし、実際大して気にしてもなかったがな。こうなると話は別だ。ゴルベーザの野郎、『帰って来い』っつってたぜ。アイツが裏切るの、初めてじゃねぇんだな?」
断定的な問いかけに、セシルが力なく頷く。
「・・・ああ」
そこでエッジは初めて、彼らの間にあったイザコザを全て知ったのだった。バロン王の変節、セシルの解任と幻獣討伐の命令、カインがセシルを庇い出て共に任に就いたこと。ミストを焼き払いリディアの母を殺してしまったのが自分たちであること、共にバロンからの離脱を決意したこと、リディアの力の暴走により離れてしまったこと。そして次にファブールで会った時カインがゴルベーザの側近として現れたこと。
「それから・・・色々あって、ゴルベーザに深手を負わせることに成功したんだ。その時、カインの洗脳も解けた。解けたはずだったんだ」
話しながら、セシルはぎゅっと拳を握り締めた。
 ゾットの塔でセシル達の許に帰ってきてから、カインにおかしな素振りは見当たらなかった。自らを責めるが故にセシル達と少し距離を置いていると感じることはあったが、それでも以前のままの、強くて頼れる、皮肉げだけれど優しい幼馴染の姿だった。
 無意識の内にカインに突き飛ばされた脇腹を押さえてセシルは俯く。こんなに頼りない気持ちをまた味わうことになるなんて思いもしなかった。セシルとローザとカインと。幼馴染の3人だが、危なっかしいセシルとそれを心配するローザ、時には突っ走ってしまうローザとそれに振り回されるセシル、そんな2人を支え、引っ張り、フォローするのがカインだった。ずっと頼り続けてしまった報いが今の状態なのかもしれないと思うと、裏切ったカインより、操ったゴルベーザより、裏切らせた自分自身にやり場のない憤りを覚えずにいられない。
セシルが握り締めた拳に更に力を込めていると、向かいから場違いな程軽く声を掛けられる。
「おいおい、どこまで落ち込んでくつもりだよ。ただでさえ地底だってのに、突き抜けて地上出ちまうぜ?」
「エッジ・・・」
 飄々としたエッジの様子に少し心が軽くなった気がした。普段仲間のなかで騒々しさの全てを担っているエッジだが、決してそれだけではないことを、彼がセシルたちよりも年上の大人であることをセシルは理解している。仲間たちが精神的に脆くなった時、決して彼は一緒に崩れたりしないだろうという信頼があった。
「セシル、オマエはどうしてぇんだよ?」
「どうしたい・・・?」
鸚鵡返しに訊き返したセシルに、エッジは1つ頷くとベッドの上に寝転がる。
「オレは決まってるぜ?ゴルベーザの野郎をぶっ飛ばしたい。野郎の思う通りには絶対させねぇ。クリスタルを奪い返したい。それから・・・」
「それから?」
「それから、アイツを取り戻したい」
「エッジ・・・」
 まさか彼がそこまではっきり口にするとは思わなかったセシルは目を丸くしてエッジを凝視した。その視線に「んな見んな!今ちょっと自分でも恥ずかしいと思ってんだよ!」と顔を背けてしまう様子に、封印の洞窟を後にしてから初めて、セシルの顔に微笑が浮かぶ。
「驚いた。この間まであんなに否定してたのに」
「んなこと言ってられる状況じゃねーだろーがよ。・・・正直言やぁ、洞窟入る前に自覚はしたさ。とりあえずそっから先のことはクリスタル持ち帰ってからの話だ、なんて思ってたらこのザマだよ」
 好きだと思った相手がいきなり裏切って敵の許へと行ってしまいました、なんて状況、誰が想像するというのか。
「取り戻したらどうするつもりだい?」
漸く装備を緩めながらセシルが問うと、エッジは酷く難しい顔をして唸った。
「実のところあんまり考えてねぇよ。わざわざ振られにいく趣味もねぇしなあ」
「振られる前提だなんて、君にしては随分弱気なんだな」
「バカ、オマエ、男に惚れたなんてオレの人生設計想定外だぜ?オレ様の華麗なる恋愛遍歴も全然役に立たねぇよ。しかも相手は見た目はともかく中身はエラク男らしいときた」
 確かに、エッジの華麗なる恋愛遍歴の真偽はともかく、カインはその美貌とは裏腹に惚れ惚れするほど男らしい人格の持ち主だ。エッジが「オマエのことが好きだ」と言ったところで「俺も」となる可能性は低いだろう。寧ろ、エッジが告白しても、いつもの軽口の延長としか受け取られないのではないか。
「前途多難だね」
「おう、涙が出るくらいにな。つーか、人に発破かけといてよく言うぜ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
「嘘つきやがれ。・・・で?オマエはどうしたい?」
仰向けに寝転がっていたエッジがセシルの方へと向き直る。
そのエッジの視線を真正面から受け止めて、セシルは口を開いた。
「君と同じだよ。僕も、クリスタルを奪い返したい。カインを・・・大切な親友を取り戻したい」
セシルの声に力が戻っている。それを確認してエッジはニヤリと笑った。



 あー、やっぱオレ、本気で惚れてるんじゃねぇの?
微かな諦めと共にエッジはそう思った。
 クリスタルを奪い返し、カインを取り戻すと決意した時から、色々あった。そりゃあ色々あったとしみじみ思う。
飛空挺の改造を手伝わされたり、火山をドリルで掘り進めながら地上を目指すという中々にデンジャラスな真似をしたり(掘削した岩や土をどう避けるんだとか、それが当たったら飛空挺が壊れるんじゃないかとか、そんな振動与えたら下からマグマが吹き上げて一緒に噴火するんじゃないかとか、計画を聞いた段階で突っ込みたいことは多々あったのだが、他の連中が誰一人疑問を挟まないのでエッジも黙っていた)、寝ている人間をフライパンで叩き起こしてみたり(世の中には体を張った夫婦愛というものが存在するのだなと心底感心した)、海の中から見たこともないような船が浮かんできたり、それで月に行ってみたり。
月の民という宇宙人と知り合って、セシルがその月の民とのハーフだと判明したり、本当の敵はゴルベーザの更に後ろにいることも知ったし、勢い込んで青き星に戻ってくればハブイルの巨人が暴れていたり(はっきり確認したわけではないが、巨人の攻撃の被害は海を越え相当な範囲に及んでいるらしい)、巨人内部に乗り込んでギリギリの戦いを繰り広げもしたし、ゴルベーザもゼムスに操られていたことが判った上に正気に戻ったし、そのゴルベーザとセシルが兄弟だという衝撃の事実も明らかになったりした。そして。
そして、仲間たちの許にカインが戻ってきたのだった。
 今度こそ完全に自分自身を取り戻し、自分の犯した罪の重さに耐えるカインを、エッジははっきりと糾弾した。いくら惚れた相手であろうと、その罪を見過ごしたまま受け入れる程色惚けしてはいない。相手の反応次第では、100年の恋も冷めるかと思っていたのだが。
 「遠慮なく俺を斬るがいい」とは、言ってくれるぜ。
完敗だ、とエッジは思う。その容姿の美しさでうっかり好きになってしまった相手だったが、どうにも一過性の恋煩いで済みそうにない。我ながらなんて厄介な、と思うものの最早後戻りは出来ないし、しようとも思えなくなってしまった。
 だってどうしようもなくカインは魅力的なのだ。
こんなに潔く凛々しく強く、それでいて脆く傷だらけの心を持つ彼を放っておくなんてできないではないか。しかも容姿は文句なしの超一級品となれば性別なんてこの際瑣末な事象だ。というか瑣末だと思いたい。寧ろ瑣末だと思うことにする。
そんなことを考えながらエッジは魔導船の中を歩いていた。ローザとリディアを船から降ろした後、船内の下層へ消えたカインを探しているのだ。飛行クリスタルのあるフロア――便宜上仲間内ではブリッジと呼んでいる――では自身の出生に纏わる様々な事実が判明したセシルが思い悩んだ様子で佇んでいて、一人にしておいてやろうという配慮もあった。
 魔導船の中は相当な広さがある。
通常、最低でも一個小隊30人、多くの場合は二個小隊60人で搭乗する飛空挺(セシル達がたった5人で飛空挺を動かしたのは異例中の異例であり、飛空挺の最低限の機能しか使わなかったから出来た芸当である)の、優に3倍近くあるだろう大きさなのだから当然といえば当然だ。
船内下層は多くの部屋に分かれているが、設備や調度品が揃っている部屋はあまりなく、殆どがガランとした空き部屋だった。やけに広い部屋と妙に狭い部屋に二極化しているのは、短時間睡眠で充分な休養が摂れるスリープカプセルを上層に設置してある為、各部屋に寝具を設置する必要がない所為だろう。大人数が集まる部屋と、1人2人が作業したり寛いだりする部屋に分かれているのだ。魔導船はセシルの父・クルーヤが青き星に降り立つ為に作ったというが、この規模を見ると、いずれ月の民と青き星の民が行き来することを想定して建造したことが伺える。
 エッジは船尾を目指して歩いていた。探す相手の性格を考えると中央より端を選びそうだと思ったし、船首と船尾だったら、月に向かって航行している今ならば船尾、つまりは青き星を見ているのではないかと思ったからだ。
 果たして、カインは船内最後尾の空き部屋に立っていた。
気配を殺さず歩いてきたエッジの存在に気づいているだろうに、微動だにせず分厚い窓から暗い宇宙と、そこに浮かぶ青き星を見つめている。エッジは軽く息を吐くと殊更軽い調子で話し掛けた。
「こう見てっとよ、オレらほんとにあの丸い中で暮らしてんのかーって、ちょっと感動するな」
「・・・」
「地面に立ってると、自分の立ってるそこが実は丸いなんて全然実感湧かねぇのにな」
「・・・」
「うっわ、このバカデカい船ん中を探しにきた相手を無視って、酷くね?カインちゃん」
「・・・探してくれと頼んだ覚えはない」
ようやく声が返ってきたことに密かに安堵して、エッジはカインの隣りに並ぶ。ちら、とカインの表情を盗み見るが、相変わらず口許しか覗かない竜騎士の兜に邪魔されてそれは叶わなかった。それでも、キッと噛み締めるように引き結ばれた唇を見れば自ずと想像はつく。
「オマエ、ずっとここでこうしてるつもりかよ」
「あんたには関係ないだろう。・・・目に付くところにいなければ不安だというのなら従うが」
言いながらカインは口許を自嘲的につり上げた。
皮肉な口調は以前と変わらないようでいて、確実に以前とは違う。今のカインが皮肉っているのは、自分自身だ。それに眉を顰めて、エッジはカインの方へ向き直った。
「不安?テメェ何言ってやがる。誰が何を不安に思うってんだよ」
「・・・あんたが、いや、あんた達が、俺を、だ」
喉から声を引き絞るようにカインはそう答える。
 本当にカインの洗脳は解けたのか。ゴルベーザの洗脳が解けたからカインの洗脳も解けたのだと言っても、カインの洗脳にゼムスが関わっていないという保証はない。ゼムスに対峙する仲間の背後をカインが襲わないと誰が言い切れるのか。
自分の過ちを考えれば、仲間といえども信用されないのは当たり前だ。事実、先程エッジははっきりとその可能性を指摘してきたし、そうであれば確かに自分が目に届く所にいないのは気になるだろう。
だがカインの予想に反して、エッジは呆れた顔をして大仰に溜息を吐いて見せた。そして一言告げる。
「違ぇだろ」
「・・・?」
その言葉の意味するところが解らず僅かに首を傾げたカインに、エッジは冷静に指摘した。
「不安なのはオレ達じゃねぇ。オマエだろ、カイン」
カインが小さく息を呑む。
「オマエのことを一番信用してないのはオレ達じゃねぇ。オマエが自分自身を信用してないんだ」
「・・・」
「だいたいオレはともかくだ。他の連中がオマエのこと信じてないように見えたか?寧ろ盲目的に信じてたじゃねーか。特にセシルとローザ!どっちかってーと、ちょっとは疑えとオレは言いたいね」
 軽く肩を竦めてエッジがそう言えば、カインが顔を俯き気味に背けた。元々兜で殆ど判らない表情が、全く見えなくなる。
「・・・解ってるさ」
ぽつりと言葉が零れてきた。
「お前たちが・・・セシルが、俺を信用してくれているのは解ってる。俺だって、自分がセシルやローザに刃を向けることなど有り得ないと信じていたし、今も、今までも、あんた達の力になりたいと思ってるさ。だが、俺は1度ならず2度もその信頼を裏切った。自分の気持ちが何の確証にもならないことを、俺は知ってるんだ・・・」
それは普段のカインからは想像もつかない頼りない声音だった。
 ヤベ、ちょっと嬉しいかも・・・。
エッジは速く打ち始めた鼓動に内心で必死に「落ち着け」と繰り返した。
 普段、あまり自分の心情を吐露することのないカインが、こうしてその心情を見せてくれる。惚れた相手に、中々見せない脆いところを見せられてテンションが上がらない男などいるだろうか。否、いない。
 抱き締めてぇ・・・。
自分より背の高い、厳つい鎧姿をそう思えることに自分でも半ば感心しつつ(どうも自分の恋愛感情をはっきり認めて開き直ってから症状が加速しているような気がしてならない)、今はそんな色恋沙汰をどうこうしている場合でもないと、エッジはカインの腕を掴んだ。
「カイン、オマエちょっとこっち見ろ・・・つーか、兜脱げ!顔見せろ!」
「エッジ・・・?」
少し驚いた様子のカインがそのまま動かないのに焦れたエッジは自ら手を伸ばしてカインの兜を取ろうとすると、さすがにカインが身じろいでエッジの手を払う。
「子供じゃあるまいし、兜ぐらい自分で脱ぐ・・・!」
言葉と共にカインが竜を模った兜を脱ぐと、淡い金髪が零れ落ちその顔が露になった。
 うーん、相変わらず半端じゃない美人だ・・・。
久しぶりに見る美貌に思考が一瞬逸れかけ、エッジは慌てて意識を引き戻して口を開く。
「オマエ、オレのことどう思う」
「え?」
予期しない質問を投げかけられてカインの目が少し見開かれた。
「オマエにとって、オレは信用できる人間か?」
真剣な眼で問われてカインは目の前の男をじっと見る。
 年下かと疑いたくなるほど子供っぽい様子を見せながら、いざという時は豪胆な面を見せる。騒がしく好きなように振舞っていながら、驚くほど周囲の人々の様子を把握している。感情的でいながら、決してその感情を引き摺らない。
エドワード・ジェラルダインという男を信用できるかと問われれば。
「・・・できる、な」
「だったらそれでいいじゃねぇか」
「・・・どういう意味だ?」
訝しげに尋ねるカインに、エッジは素早く腰に佩いた刀を抜くとその喉許にピタリと白刃を当てた。カインの体に緊張が走る。
「テメェが自分で言ったんじゃねーか、遠慮なく斬れってよ。いざって時は、オレが間違いなく斬ってやる。このオレの見事な刀捌きですっぱりキレーに斬ってやるから安心しな」
 それだけの覚悟がオレにはある。だからオマエはそのオレを信じていればいい。
口には出さないそのエッジの思いを、カインは正確に読み取ったらしい。数回不自然な瞬きを繰り返し、目蓋を僅かに痙攣させた後、眼を閉じる。
そして、微かな笑みの形に唇を引き上げて頷いた。
「・・・物好きな王子様だな」
口から出てきたのはそんな科白だったが。
 エッジには背負うものが多い。青き星の命運を賭けた戦いに赴くその覚悟だけでなく、恐らく彼はエプラーナの王としてその先のことも見据えている。死んでも構わないと刺し違えるのではなく、必ず勝利して生き残り民を導く者としての覚悟も持っている。そこに更に、そんな重荷まで背負おうとするなんて。
「うるせーな。・・・自分の為だよ」
 カインをゼムスなんて輩に渡したくない。
エッジの気持ちはそこに行き着く。
 なんだよ、カッコつけても、結局嫉妬なんじゃねーの?
刀を鞘に収めながらエッジは自身に苦笑した。詰まるところ、恋する男は一途だということだ。
「自分の為?・・・ああ、確かに味方に憂いは持ちたくないからな」
裏切るかも、と疑いを抱いたままでいるより、その時は斬り捨てる、と覚悟しておいた方が余程安定するだろうとカインは納得する。
そのカインの様子に「いや、あの、えーとな、そうじゃあなくてな」と要領の得ないことをぶつぶつと呟いたエッジは、はぁ、と大きく肩を落とした。
「カイン、あのな」
「??」
なんだか疲れた様子のエッジにカインが首を傾げる。その動きに淡い金糸がさらりと揺れた。
 う・・・コイツのこれ、癖か?
急激に激しく鳴り出した鼓動に眩暈を起こしそうになりながらエッジは考える。
言葉に出さずにほんの僅かに首を傾げて先を促すそれは、カインがよくやる仕草だ。兜を被っていればなんてことはない仕草だが、素顔を晒した状態でやられると、とてつもない破壊力を生み出す。特にエッジには。
「えぇとだな」
「だからなんだ?なんだか急に落ち着きがなくなったな」
訳がわからないといった様子で更に首を傾げるカインに、あっさりとエッジは白旗を揚げた。
 カインを取り戻して、そこからのことを具体的に考えていたわけではなかった。考えないわけでもなかったのだが、以前セシルに話したように、同性相手では勝手が違って考えても具体的なアプローチの仕方など思い浮かばなかったのだ。異性ならいざ知らず、同性に自分が好きになったのだから相手も、などと思えるほど御目出度い思考も持ち合わせていなかったエッジは、カインに対して積極的に動こうとは正直思っていなかった。ただ仲間として、本来親友であるはずのセシルに対して一歩引いてしまうカインの、親友とはまた違った位置に立てればいいと思っていたのだが。
「自分の為ってのは、そーゆー意味じゃねーよ」
自分で思ったよりも低い声が出た。
「王子様?」
どうかしたのか、と続けようとしたカインの言葉は、けれどそれより早く紡がれたエッジの科白に遮られた。
「好きなんだよ」
鳩が豆鉄砲を食ったような、というのはこういうことを指すのかと感心するほど、カインがポカンとエッジを見返す。
「・・・なんて言った?」
何かの聞き間違いかもしれないとカインがそう訊けば、何故か不機嫌そうなエッジがもう一度口を開いた。
「好きだっつったんだよ!」
やっぱり聞き間違いではなかった。
「・・・・・・誰が」
「オレが」
「誰を」
「オマエだよ、カイン」
エッジは、間違いないように、名前までしっかり呼んでやった。
 なんだか成り行きでしてしまった告白だが、言ってしまった以上引き下がるつもりはなかった。受け入れられるとは思っていないが、聞かなかったことにさせてやる気はない。
「言っとくが、冗談で済ますなよ」
先に釘も刺しておく。
 カインは暫く落ち着かなく視線を彷徨わせていたが(こういうカインは滅多に見られたものじゃない、と開き直って落ち着いたエッジはその様子をじっくり観察させて貰った)やがて躊躇いがちに口を開いた。
「俺を哀れんで勘違いしてるんじゃないか・・・?」
 そうきたか。
エッジはギリ、と奥歯を噛んだ。カインは「本気だったら冗談にしたりはしない」と言ったのはセシルだが、冗談にしなくても勘違いにされては意味がない。だいたい、そんな勘違いするほど簡単に絆される人物だと思われるのも腹が立つ。
 何故だか怒りのオーラらしきものを漂わせるエッジに、とりあえずそっとしておいた方がいいだろうかとカインが離れようとすると、いきなり腕を掴まれた。そのまま引き寄せられて、一瞬殴られるのかと目を瞑ったカインの唇に、エッジは噛み付くようなキスをする。
「・・・っ」
以前寝惚けてキスした時とは比べ物にならない、息さえ奪うような激しいキスを堪能し、エッジは体を離した。息を乱し、呆然とこちらを見るカインに言い放つ。
「好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎!」
殆ど怒鳴るような、喧嘩腰の告白を残してエッジがドカドカと凡そ忍者らしからぬ足音を立ててその場を後にするのを、カインは何の反応も出来ないまま見送った。
 暫くして、のろのろと手を上げ唇に触れる。
「・・・本気、か・・・?」
ガランとした室内に、途方に暮れたようなカインの呟きが響いた。


好きなんだよ!たぶん!心臓バクバクしすぎて俺にもよくわかんねーけど!




 最後のクリスタルの死守を目指すセシル達一行の旅は、至って平穏である。
つまり、戦って戦って戦って休む。戦闘は絶え間なかったが、手に余る程の魔物に出会うわけでもなく、また最後のクリスタルを守る洞窟の封印はゴルベーザにも中々手出し出来ないものとあって、精神的な余裕も保てていた。
・・・唯一人、エッジを除いては。
戦闘中に意識が漫ろになるようなことはないのだが、一日を終えて休む段階になると髪を掻き毟ったり胸を押さえてみたりと落ち着かない様子で挙動不審極まりない。これでは休息になっていないのではないかと仲間たちは心配しているのだが、寝ていない訳ではないようなので放っておいている。
「じゃあ先に休ませて貰う」
「うん。2時間したら交代しよう」
防具を外し軽装になったカインの言葉にセシルがそう応じる。それに頷くとカインはコテージの中へと消えた。
野営の際には男性陣が交代で見張り番をする。今日はセシル・カイン・エッジの順ですることになっていた。
「君も寝なくていいのかい?」
短く折った枝を焚き火にくべながらセシルは隣りで膝を抱えるエッジに問いかける。
「あー、もうちょいしたら寝る」
エッジがおざなりに返事をすると、くすりと笑ったセシルが更に口を開いた。
「カインが寝たらってことか」
「ゲホッ」
全く予期していなかった精神攻撃に、飲んでいた紅茶を噴き出したエッジがゲホゲホと咳き込むと、「大丈夫かい」といいながらセシルが背中を摩ってくれる。が、そんなことはエッジにとって何の慰めにもならない。
「セ、セシ、オマ、な、なん・・言・っ」
 セシル、オマエ、なんてこと言うんだ。
と言いたいんだな、と正確に理解したセシルは自分の分の紅茶の入ったマグカップを傍らに置くと、エッジに向き直った。
「だって、君が挙動不審になった時期ってカインが素顔見せるようになった時期と一緒だろ?だいたい、昼間は平気なのに休む時になると様子がおかしいから、何か切欠があるのかなって考えたらすぐ思い当たるよ」
 それまで人前では頑なに兜を取ろうとはしなかったカインが急に仲間の前では素顔を晒すようになったから、セシルも驚いて尋ねたのだ。そうしたらあっさりと「王子様に見られたからもういいだろう」と言うので、凡その事情は察したセシルだった。
「あんまり美人で驚いた?」
悪戯っぽく尋ねるセシルを横目でジロリと睨んでから、エッジは力なく頷く。
「そりゃあもう」
 リディアがほんの数ヶ月前までたった7歳の子供だったと聞いた時の方がまだ驚かなかったというものだ。
「気持ちは解るけどね」
エッジの様子にセシルが笑った。それを見てエッジも思い当たる。
「あー、もしかしてあれか?それでアイツはずっと素顔見せてなかったのか?」
「ああ。竜騎士団に配属された時からずっと。さすがに僕とかローザとか昔からよく知ってる人の前じゃ兜取ってたけど、他に人がいるときはもう絶対素顔見せてなかったね。竜騎士の兜は顔が隠れるから有り難いって言ってた」
 士官学校にいた頃の、男に懸想されて辟易していたカインを思い出してセシルはふふ、と笑った。一種人間離れした美貌に、逆に女性は遠巻きに見るばかりで近寄ってこず、カインが女性にもてるようになったのは顔を見せなくなってその男らしい性格や言動が際立つようになってからだった。
「まあ、えらいギャップはあるわなぁ」
空になったカップを手の中で玩びながらエッジは呟く。
 例えば今こうして話しているセシルも、そんじょ其処らの女性では太刀打ち出来ないほど中性的で美しい容姿の持ち主だが、なんというか、セシルの場合は納得がいくのだ。勿論セシルの騎士としての強さや、剰え以前は暗黒騎士だったという事実と容姿のギャップは中々のものだが、彼の温厚な性格や、それに伴う物腰や口調の柔らかさを思うとその容姿の中性的な美しさも当然のように感じられる。
 だいたい、竜騎士の鎧が厳つ過ぎんだよ。あれからあの顔が出てくるなんて反則だろーが。
八つ当たり気味にそう考え、「あれ」から出てきた「あの顔」をうっかり思い出してしまい、エッジは「だーっ」と意味不明な唸り声をあげて頭を抱えた。それを隣りで見ていたセシルが笑う。
「カインは優しいから、本気だったら冗談にしたりはしないよ」
 士官学校時代に本気で告白してきた男を邪険に扱えず困っていた親友の姿が脳裏に浮かぶ。相手がからかい半分であれば容赦なく冷たく切り捨てるカインだったが、相手が本気だと判った途端無碍に出来なくなるのだ、あの優しい幼馴染は。ぶっきらぼうに見せて誰より他人の心の機微に聡い彼は、いつも他人の気持ちを慮って行動する。今にして思えば、カインはセシルの気持ちにもローザの気持ちにも、恐らく本人が自覚するよりも早く気づいていたのだろう。だから何も言わずに自身の気持ちを押し殺したのだ。そして、あんな風に無理矢理暴かれるような事態に陥らなければきっと、セシルもローザも、今でも彼の心に気づけなかったに違いない。そこまで思い至って、セシルがこっそり唇を噛み締めた時。
「いや待てちょい待て待ちやがれセシル。誰が何に本気だって?」
こちらはこちらでやけに鬼気迫った表情のエッジがセシルに向かって身を乗り出してくる。
「誰がって、君が」
思わず体を後ろに反らしながらセシルがやや引き攣り気味の笑顔でそう返せば、エッジが更に身を乗り出して来た。
「オレが?何に?」
「だから君が、カインに」
 ギリギリまで上体を反らして答えたセシルが、これ以上は無理、倒れる、と衝撃を覚悟すると、不意にエッジが身を引く。なんとか態勢を元に戻したセシルの視界に入ったのは、乾いた笑いを零しながらしきりに首を振るエッジの姿だった。はっきり言って怪しいことこの上ない。
「いやいやいやいや。そりゃ有り得ねぇだろ。このオレ様が?あのヤローを?・・・冗談にしたって笑えねぇって」
「相手の姿が目に入る度に挙動不審になるって、凄く判り易い恋愛初期症状だと思うけど・・・」
「ははは、冗談言うなって」
「まあ、エッジが気の迷いで済ませたいのなら、僕がとやかく言うことじゃないが」
セシルの呟きにジロリと彼を見たエッジがガクリと項垂れる。
「・・・オレ、寝るわ」
「ああ、おやすみ」
どこか放心したようにトボトボとコテージに入っていくエッジを見送って、セシルは傍らに置いていたマグカップを手に取った。
「どうなるかな」
 エッジは否定したがっているし否定したくなる気持ちも解るが、あれは間違いなく恋愛に発展しつつある感情だろうとセシルは思うし、それが上手く実って欲しいとも思っている。本人達にすれば迷惑極まりないかもしれないが、性別などこの際二の次でいい。
 だって、エッジが初めてなのだ。
長い付き合いで子供の頃からいつも一緒だったセシルは、カインが本質的には一人でいるのを好み、中々他者と打ち解けないことを知っている。常に他人の心を慮って行動してしまうが故に一人でいる方が気楽であるし、バロンでも有数の由緒ある家に生まれ父親が暗殺されたとも噂された境遇が、カインの警戒心を強くさせた所為もある。
そのカインが、エッジに対しては初対面の時から軽口をたたいた。そんなことはセシルの記憶にある限り初めてのことで、その後も彼らは事ある毎に口喧嘩寸前の軽口の応酬を繰り広げている。それは、共に旅をしているメンバーの中で唯一エッジにだけは罪悪感を抱かずに済んでいる所為なのかもしれなかったが、それならそれでもいい。エッジならば、いつも押し殺してしまう親友の心を軽く救い上げてくれるのではないかと思うのだ。
「僕らだって・・・大切なんだよ、きみが」
セシルの呟きは、焚き火の爆ぜる音に混じって消えた。



 軽く揺すられてエッジの意識はまどろみの淵へと浮上する。
認めたくないのに完全に否定もできないことをセシルに指摘されて、とても寝られるような気分ではなかったはずなのに、知らない内にうとうとと眠っていたらしい。エッジは薄く目を開けたが頭はまだ半分以上眠りの世界を彷徨っていた。忍として鍛えているから寝起きは悪くないはずなのだが、どうにも意識が緩慢として覚醒には至らない。見知った気配しか感じられないから問題はないだろうと緩んだ思考で結論付けて、エッジは無理に起きようとする努力を捨てて再び目を閉じた。
「エッジ」
低く小さく名前を呼ばれてまた軽く揺すられる。本気で起こすには随分控えめな起こし方だとエッジは思った。
 本気で起こす気あんのか?
すぐに目覚めない自分の非を棚に上げてまだ完全には醒め切らない頭でそう考えてから、エッジはゆっくりと自分を揺する相手を見ようと目蓋を開ける。目覚めきらないぼんやりとした視界に入ってきたのは、淡い金色に縁取られた絶世の美貌。
「あー、やっぱすげー美人・・・」
エッジは口に出したつもりはなかったが、寝惚けた彼の心の呟きはしっかり音声になって相手に伝わっていた。言われた科白に眉を顰めた相手は本格的にエッジを起こそうと三度エッジの肩に手をかけようとして、逆にそのエッジに腕を捉まれて驚く。
「エッジ・・・?」
一方、半覚醒状態を脱していないエッジは目の前の光景を現実だと認識できないまま、右手で掴んだ腕をぐっと引き寄せていた。驚きに少し見開かれた藍灰色の眸を尻目に、体を起こしながら左手で相手の項の辺りを抑えると極々自然に唇を合わせる。
 なんか美味そうだったんだよなぁ。
ぼんやり考えながらエッジは薄い唇の感触を味わった。ただ唇を合わせるだけでは物足りず、舌でなぞったり甘噛みしたりしてみる。そうするうちに、硬直していた相手が俄かに動き出した。つまり、エッジの腕から逃れようと抵抗しだしたのである。
 夢の癖に抵抗すんなよな。
そう思ってふとエッジは気づいた。
 ・・・なんかすげぇリアルじゃねーか?
右手で掴んだ腕の骨張った感触も、左手で抑えた項の熱さも、触れる唇の薄いけれど柔らかい感触も、到底夢とは思えない現実味を帯びている。なんだかとてつもなく嫌な予感がしてエッジは恐る恐る体を離した。いい加減しっかりと目覚めた視界に映ったのは、手の甲で自身の唇を拭うカインの姿。
「・・・っ!!」
思わず出そうになった絶叫が声にならなかったのは、カインがエッジの口許を容赦なく手で覆ったからだ。
「皆眠ってるんだ、叫ぶな」
抑えた声でそう言われてコクコクと頷く。ひんやりした手の細く長い指の感触にパニックに陥りそうだ。
疑わしげな目つきでエッジを見ていたカインがゆっくりと手を外すと、これぞ忍の本領発揮とばかりにエッジが音もなく飛び退った。なんだかこれではまるで自分の方がエッジに何かしたようではないか、とカインが首を傾げていると、エッジが恐る恐る、といった態で口を開く。
「オレ、オマエになんかした・・・よな」
「キスしたな」
「だよな・・・」
あっさりと返された答えにエッジががっくりと項垂れた。それから「えーと」と何か言いあぐねているからカインとしては助け舟を出してやったつもりだったのだ。
「別に寝惚けた相手に間違えてキスされたくらいで騒ぎ立てたりはせん」
だからそんなに気にしなくていいからさっさと見張りを交代しろ、とカインは続けようとして、エッジが呆然とこちらを見ていることに気づく。
「おい、王子様?」
「・・・お、おう。交代だよな」
予想外の反応に訝しげに声を掛ければ、何故だか酷く意気消沈した様子のエッジが力なく立ち上がった。
「悪かったな手間取らせて」
そのままエッジはとぼとぼとコテージの外へと出て行く。
「やっぱりあいつの考えることは解らん」
カインの呟きも尤もだった。



 そのエッジはコテージの外で頭を抱えて蹲ったかと思えば徐に立ち上がって火の周りを歩き回ったりと忙しい。あまりの挙動不審振りにきっと魔物だって近寄ってこないこと請け合いである。
「何やってんだオレ・・・」
思わず深い溜息を一つ。
 カインは拍子抜けするほど大人な対応で流してくれたが、エッジにとって問題はそこではなかった。
「寝惚けた相手に間違えてキスされたくらい」とカインは言った。確かに自分は寝惚けていた。しかし。
「間違えては・・・いねぇんだよなぁ」
 それが大問題だった。
寝惚けて現実だとは思っていなかったが、目の前にいるのがカインだとは判っていた。判っていたから「すげー美人」ではなく「やっぱすげー美人」だと思ったのだ。そしてその唇に触れたいと思ってしまった。
薄く形良く少し冷たくてそれでいて不思議と柔らかい感触を思い出し、エッジは自分の唇を押さえる。
「って、オレ、カインとキスしちまった・・・!」
自分がキスする相手を間違えたわけではない、という事実にショックを受けて、キスした事実そのものに対する衝撃を置き去りにしていたが、今更ながら心臓が破裂しそうだ。今背後から「わっ」と脅かされようものなら確実に心臓が停止するに違いない。
暫くそのままでいたエッジだが、やがてドカッと火の傍に座り込んで胡坐をかく。
「冗談にしても笑えない」とセシルに言ったのが、昨日の今日どころか先刻の今なのに本当に笑えない。笑えないのだけれど。
 顔を見ると心臓が跳ね上がる。触れてみたくなる。キスしたいと思ってしまう。
それが指し示すもの何かと問えば、恐らく十人に訊いて十人が同じ答えを返すだろう。
「あーもう!好きなんだよ!たぶん!」
髪を掻き毟りながらエッジは強い口調で言った。その科白は、元来ぐるぐると悩むのが嫌いなエッジが自分自身に突きつけた最後通牒だった。その割には「たぶん」と付いたのは、未だ諦めきれない消極的否定である。
「心臓バクバクしすぎてオレにもよくわかんねーけどよ」
更に往生際悪くそんな言葉も付け足してみた。
「はぁ・・・」
肺の空気を全て出し切るような深い溜息がエッジの口から零れる。
 今更ティーンエイジャーの初恋みたいな状況に置かれるとは思ってもいなかった。
顔を隠し全身を隙なく覆う厳つい竜騎士の甲冑から、あの繊細な美貌が現れるギャップを「反則」と称したエッジだが、こうなるとあの甲冑が有り難い。とりあえず、顔が隠れていればカインに対してもそこまで挙動不審になることはないからだ。
明日というか今日はいよいよ、最後のクリスタルを取りに封印の洞窟へ入る。こんな個人的事情で足手纏いになるのは御免だった。
「とりあえずはゴルベーザの野郎の野望阻止に集中しねぇとな」
火に小枝をくべて、エッジはそう呟いた。


あぁもう。全て忘れて眠ってしまいたい。




 その夜エッジが寝床となるドワーフ城の宿に戻ったのは深夜だった。俗に言う午前様、である。
ここ暫く野営が多く、久々に宿に泊まれたのが昨日のこと。初日は久方ぶりのベッドの感触に思う存分惰眠を貪ったが、ずっと街の中にいて戦闘で体力を消費したわけでもなし、2日目となればそこまで寝ることもない。
 折角なんだから美味い酒でも飲まにゃ損ってもんだよな。
小石を蹴りながらエッジはうんうんと頷いた。
 26歳の真っ当な大人として至って健康的な思考に辿り着いている、とエッジは自負していたが、どうやら現在旅を共にしている仲間たちにはそういった思考はないらしく、ローザとリディアは紅茶を供にお喋りに興じていたし、セシルもそれにニコニコと微笑みながら付き合っていた。(女同士のお喋りに気長に付き合える忍耐力を持っているというだけでセシルは尊敬に値する、とエッジは真剣に思った)
もう一人の仲間はと言えば、夕食後さっさと部屋に引き揚げており、エッジは「あんまり遅くなっちゃダメなんだからね!」というリディアにひらひらと手を振って宿を出てきたのだった。
「ちぃっとばかり飲みすぎたかねぇ」
鼻の頭を掻いてエッジは辺りを見回した。シン、と静まり返った城内。最後まで開いていた酒場も閉まった今、僅かな見張り兵の他は誰もいない。リディアの言葉に適当に返事をして出てきたが、最早「あんまり遅くなってない」などとは口が裂けても言えない時間だった。宿に帰った途端仁王立ちのリディアが待ち構えている、ということはないだろうが、明日は朝から一通りの文句は覚悟しておいた方がいいだろう。
「ったく、酒は大人の嗜みだってのになー。お子様は解ってねーからなぁ」
宿の前でボヤきながらエッジはそのまま宿には入らず、建物の裏手を目指した。少し酔いを醒ましてから眠ろうと思ったからだ。敷地内に街を内包する形のドワーフ城の宿の裏手はこの灼熱の地底世界では希少な雑木林のようになっており、奥には小さな泉(正確に言えば温泉)があると昼間宿の主人が話していた。酔い醒ましには丁度いい散歩コースだろう。
 エッジは軽く鼻唄を歌いながら泉目指して歩を進める。忍の習性が身に染み付いている所為か、こんな時でも足音がしない。意識してるわけじゃないんだけどな、と自分でも誇らしさ半分呆れ半分の気持ちになったところで、耳に入り込んで来た、自分の鼻唄以外の音にぴたりと足を止めた。
 聞こえてきたのは水音。それだけであれば何ら不審な点はない。元々エッジは泉を目指して歩いてきたのだから。だが、聞こえてきたのは同じ水音でも「誰かが立てた水音」だった。つまり、この先の泉に先客がいるということだろう。こんな夜中に水遊びなんぞする物好きを見物してやろうと、エッジは気配を殺して慎重に泉に近づいていく。生い茂る枝に隠れるように泉を見遣ったそこにいたのは。
 ・・・泉の妖精さんってヤツ?
一瞬そんなことを考えて、何をメルヘンなこと考えてるんだオレは、とエッジは頭を振った。だが目線は泉から、正確には泉に腰まで浸かって立っている人物から離せないでいる。
 その背の半ば過ぎまで達した真っ直ぐな髪は、煙るような、という表現がよく似合う金色。日の光ではなく月の光を連想させる淡く儚げな美しい色彩だ。その髪がかかる肌は硬質な白。今は温泉に浸かっている所為で仄かに上気していた。白皙、とはこういう肌を指すのかもしれないとエッジは思う。
 男、だよな・・・。
まじまじと見つめてそう確認する。上背から考えると大分線が細いが、それでもその背中から腰にかけての余分な肉のないラインは間違いなく男性のものだ。
 あー、顔見えねぇな・・・。
エッジは内心で舌打ちする。今の位置からだと彼の背中しか見えない。たとえ男であっても、これだけの背中美人ならばそのご尊顔を拝したいと思うのが人の性というものだろう。一瞬考え込んだエッジだが、決断は早かった。
 べっつに女の風呂覗いたわけでもねぇしな。
まさか「きゃー」と叫ばれることもないだろうと、泉に向かって気配も足音も消さずに一歩踏み出した途端、エッジの体感時間は停止する。
 ・・・泉の妖精って冗談じゃなかった・・・か?
エッジは呆然と自身に問いかけた。そう思ってしまう程、エッジの気配に瞬時に振り返った相手は美しかったのだ。
 すっと通った鼻筋や薄く形のいい口許から眼に淡い影を作る睫に至るまで繊細に造形されたそれは、深夜の泉に腰まで浸かっているそのシチュエーションも相まって、まるでこの世の者とは思えない。
呆然と見つめていると、相手のブルーグレイの眸が訝しげに眇められる。
 こんな色の眼見たことねぇよ。
エッジは無意識にゴクッと唾を飲み込んだ。夜明け前の一瞬の空の色に僅かな靄をかけたような微妙な色合いの眸は今まで出会ったことのない色だ。蒼いのとも違う。その彩が彼を余計に神秘的に見せている。
 視線をずらせないでいると、怪訝そうな顔をした相手が口を開いた。
「・・・王子様?」
 ・・・・・・・・・ちょっと待て。
耳に届いた声に、止まっていたエッジの思考は一気にめまぐるしく動き出す。
 今、確かに耳慣れた声がした。しかもなんだかとても癪に障る声だったような気がする。ついでに人のことを小馬鹿にしたような呼び方をされた気もする。そんな呼び方をする人物は、エッジの記憶の中に唯一人しかいない・・・。
「カッ、カカカカッ、カ、カイン~ッ!?」
深夜の泉にエッジの絶叫が響き渡った。
呼ばれた相手は隠そうともせず溜息を吐くと、呆れ顔でエッジを窘める。
「煩い。時間くらい弁えたらどうだ、馬鹿王子」
「馬鹿王子言うな!喧嘩売ってんのかテメェは!」
「だから時間を弁えて静かにしろと言っている。話聞けよ」
やれやれと髪をかきあげる仕草すら優美で目を奪われそうになるのに腹が立つ。
「そーゆーオマエは何やってんだよ、こんなとこで」
「目が醒めたんでな。汗を流そうかと」
「わざわざこんなとこまで来て?」
「だから時間を弁えろと言っただろう。こんな夜中に宿の浴場なんて使ったら音が響く」
話しているとどう考えてもいつもの腹が立つ竜騎士なのに、ともすれば見惚れてしまいそうになるのが心底悔しい。
 しっかりしろ、オレ!
ガシガシと頭を掻き毟りながらエッジが自分を叱咤していると、そんなことには頓着した様子の欠片もないカインから声が掛かった。
「ところで王子様」
「だから王子様言うの止めろって言ってるだろうが。エッジだ、エッジ!」
「まあ、馬鹿王子でもアホエッジでも構いやしないが」
「馬鹿もアホも余計だ!」
「はいはい。・・・で、あんたはいつまで人の裸を見ているつもりなんだ?」
 王子様に男の裸を眺める趣味があるとは知らなかったな、と言いながら手が届く枝にかけてあったタオルを手に取ったカインが泉から上がろうとしているのに気づいて、エッジは慌ててそれを止める。
「わーっ!待て待て待て待てっ」
 ・・・って、なんでこんな慌ててんだ、オレ?
男同士で裸を見た・見られたなんて精々笑い話にしかならない。実際、「女の風呂を覗いたわけでもない」と堂々とこの場に出てきたのはエッジ自身であるし、見られた側であるカインにも別段気にしている様子はない。にも拘らず思わず取ってしまった自分の行動に疑問を感じて一瞬動きを止めたエッジは、目の前のカインをもう一度まじまじと見た。
 綺麗に浮き出た鎖骨のラインから、しなやかな筋肉のついた膨らみのない胸を通って細い腰まで視線を下げて、「あー、なんでこんなに白いんだよコノヤロー」と半ば八つ当たり気味に考えた後、ここから出てくるということは当然、今は夜の泉に隠れて見えない下半身が見えるということだと思い当たり・・・。
「やっぱダメだ・・・!」
 何がダメなんだか説明しろと言われてもできないが、とにかく駄目なものは駄目だ。
踵を返してエッジは一目散に駆け出す。自分がどんなに突飛な行動をしているかなんて気にしていられない。
「・・・王子様の考えることはさっぱり解らん」
後に残された首を傾げるカインの呟きはエッジの耳には当然届かなかった。



 何やってんだよ、オレは。
勢いのまま雑木林を駆け抜け宿で割り当てられた自室に戻ったエッジは、部屋の扉を閉めた途端頭を抱えてしゃがみこんだ。宿の部屋数に余裕があって一人部屋を割り当てられていて心底よかったと思う。
 さすがにカインも驚いているだろう。明日顔を合わせたらフォローを入れなければ、と冷静に思考を巡らす一方で、脳裏に浮かぶのはあの、この世の者とは思えない美しい姿。
 し、心臓が痛ぇ・・・。
思わずぎゅっと左胸を押さえて深呼吸する。けれど激しい動悸は一向に治まりそうにない。この動悸が泉からの全力疾走故だったら気が楽なのに、忍者として鍛えた自分の心臓がそんなにヤワではないことは自分自身がよく知っていた。
「あぁもう」
言いながらエッジはベッドにドサッと倒れこむ。
 明日起き上がれないほどの二日酔いでもいい。リディアに一通りどころか三通りほどの文句を言われてもいいから。脳裏に焼きついて離れない姿も煩過ぎる心臓も、なんだか火照っている気がする頬も何もかも酒の所為にして。
 全て忘れて眠ってしまいたい。
心の底からそう思った。


宵待草




「おまえを愛している」
そう言った声が何度も何度もリフレインする。



 自分を鍛え直す為に登った山は、長年人を拒み続けてきた山だから人工の灯りなんてものは勿論なくて、夜の帳が降りてしまえば、余程月の明るい夜でもない限り自分で熾した焚き火を頼りにするしかない。
夜になればモンスターも凶暴化するし、それでも自分の相手になるほどのものではなかったが、暗い視界の中で無駄な危険を冒すこともないから必然的に時間を持て余すことになる。
 毎夜迎えるこの時間が嫌だ。
軍人として短時間の睡眠で最大限の回復を図れるよう訓練されてきたからか、日中これでもかと体を動かして体力は限界のはずなのに、中々眠りに就こうとしてくれない自分の体が恨めしい。
 何もしていないと、思い出してしまう。
 どんなに待っても来ない人のことを考えてしまう。
耳に残るのは「愛している」という囁き。
思い浮かぶのは慈しむように自分を見た眼差し。
 自分を抱き締めて、逃げられないように強く強く抱き締めて、「愛している」と、「私の傍を離れるな」と、そう言ったのは確かに彼だったのに。
彼もまた、洗脳されていたのだという。ならば、あの腕の強さも、熱の篭った声も、すべて気の迷いだったのかもしれない。
他ならぬ彼自身によって洗脳された自分は、洗脳が解けた今もなお、こうして彼を想ってしまうのに。
いやいっそ、ただの気の迷いだったと言われたほうが余程楽に気持ちを切り捨てられる。
こうして想ってしまうのは、期待を打ち消せないからだ。

『おまえには済まないことをした。だが私は本当に…。いや、私が言っていい言葉ではないな。済まない。忘れてくれ』

 最後に言われた言葉が耳の奥に響く。
あんな風に言われて、忘れられるはずなんてない。本当に愛されていたのではないかと期待してしまう自分を止められない。
 彼があの後すぐに踵を返して去ってしまったのだとしても。
 彼が留まると決めたあの場所が、今はもう存在を確認することも叶わぬ程遠く離れてしまったのだとしても。
もう一度だけでもいい。逢いたい。逢って最後に何を言おうとしたのか聞きたい。
 彼は来ない、来るはずがないと頭は解っているのに、心が追いつかない。
そうして、夜毎一人の時間を持て余し、来るはずのない人を待ち続けるやるせなさに押し潰されそうになるのだ。それに必死に抗って、疲れ果てて眠る。その繰り返し。


 焼べた小枝をすべて燃やし尽くして火が消えた。辺りには真っ暗な闇が広がるだけ。



 ほら、今夜は月も出ない。


まるで私は小さな子どものようでした




 時々、無性に破壊衝動に駆られることがある。
世界を滅ぼさんとクリスタルを集めている過程だというのに、それすら待っていられないように、目に映るすべてのものを壊したくなるのだ。
 ゴルベーザはテーブルの上のグラスを手で薙ぎ払った。
ガラスが割れる音が少しだけ気分を和らげる。だがそれも一瞬のことだ。
 壊せ。消せ。殺せ。
頭の中に不快な声が響き、それに抗う術を持たない。いっそ、この身を滅ぼしてしまおうかと何度思ったことだろう。
漆黒の兜を取り、それも思い切り床に投げ捨てる。派手な音を立てて転がるそれを忌々しげに眺めてゴルベーザはテーブルに拳を力任せに叩きつけた。
「ゴルベーザ様、何か・・・?」
破壊音を聞きつけたのだろう、言葉とともに側近という立場を得た竜騎士が部屋に入ってくる。ゴルベーザは近づいて来る気配に、容赦なく魔力を浴びせた。
「・・・っ!」
壁に打ち付けられた躰から呻き声が洩れる。なんとか壁に背を預けて立ち上がった男の前まで行くと、その顔を覆う竜の兜を無造作に取り上げ、首を押さえてずるずると躰を持ち上げた。気管を押さえられ、自由に呼吸することも儘ならない哀れな人間が、苦悶に表情を歪めて主を見る。
「苦しいか、カイン」
「ゴル、ベー・・・ザ、さま・・・」
 洗脳され磨り硝子のように薄く曇った眸が何の衒いもなく真っ直ぐに見つめてくる。このまま絞め殺されても、カインは何も抵抗などしないだろう。そうであるように、ゴルベーザ自身が術をかけたのだから。
 壊せ。消せ。殺せ。
頭に響く声は一向に収まる様子を見せず、このまま本当にカインを絞め殺してしまおうかと腕に力を込め直した時。
 震える手がゴルベーザの髪を撫ぜた。
「・・!」
びくっと躰を震わせたゴルベーザの腕の力が少し緩む。急激に空気が肺に入り込んできたのだろう、カインがケホ、と咳き込みながら口を開いた。
「どこ、か・・・お苦しい、の、です、か??」
「何を・・・」
「とても・・・苦しげな顔をなさっています」
言いながら、カインの手は何度もゴルベーザの髪を撫ぜる。装備を解いていないから体温など伝わらないはずなのに、とても暖かに感じるその手が行き来する度、あの不快な声が小さくなっていく。
「カイン・・・」
呟きと共にゴルベーザの腕の力が完全に抜けて、カインの躰は重力に従って壁伝いに崩折れるように床に座り込んだ。そしてゴルベーザもまた力が抜けたように、否、カインに縋るように膝を着く。
「ゴルベーザ様?」
 カインは自分の胸元に縋るように顔を伏せる主の名を戸惑いがちに呼んだ。気の所為か、主の躰が小さく震えている気がする。
まだ力が入らない腕を上げ、再び主の髪に触れようとして己が鎧を纏ったままであることを思い出した。主の柔らかな茶の髪を絡めたりしてはならないと、カインは震える手で左右の篭手を順に外すと投げ捨て、そうして恐る恐る主の髪に触れる。本来ならば不敬に当たる行為だが、何故だかこうしなくてはならない気がしたのだ。
「カイン」
 ゴルベーザはもう一度低く自分の髪を撫ぜる男の名を呼んだ。途端にその動きが止まる。
「構わん。続けろ」
「は、い・・・」
ゆっくりと慎重にカインの手がゴルベーザの髪を梳く。篭手を外したおかげで今度ははっきりとその温もりが伝わってきた。
「人間とは不思議なものだな・・・」
「ゴルベーザ様?」
「魔物に比べれば遥かに非力な躰で、この私でさえ抗えぬ衝動を鎮めてみせるとは」
 この温もりに縋れば、あの不快な声を遠ざけられるのか。
ゴルベーザはゆっくりと身を起こすと、不思議そうにこちらを見つめるカインに治療の魔法を施した。
「立て、カイン」
「はい」
言われるままにカインが立ち上がると、ゴルベーザはその胸元に手を当て、一気にカインの鎧を粉々に砕く。驚きに息を呑むカインに、ゴルベーザは静かに告げた。
「鎧は後で新しい物をくれてやる。私はお前を抱くぞ」
「え?」
予想にもしなかったことを告げられてカインが反応できずにいると、ゴルベーザの冷たい指がカインの頬を包む。
「だが、一度だけお前に私を拒む権利をやろう。今すぐこの部屋を去っても怒りはせん。どうする?カイン」
よく知る誰かに似ている気がする主の紫水晶の双眸が自分を覗き込んだ。
 この人の手を、今ここで離してはいけないのだと漠然と思った。何故だかわからない。けれどここで手を離せば、きっと取り返しのつかないことになる気がした。
ここで手を離せば、先程確かに震えていた、迷子のような主を見失ってしまう。
自分の身一つでこの人を繋ぎ止めておけるなら、それくらい大したことではないのだ。
「いいえゴルベーザ様。・・・すべては貴方のお心の侭に」
その瞬間、確かに主の眸に安堵が浮かんだのをカインは見た。
 冷たい手が顔を固定し、ゴルベーザの端整な顔が近づく。
くちづけを受けながら、カインはこの人を放すまいと、その背中にぎゅっと腕をまわした。


最後の言葉は聴いてあげない




 ほとほと自分は罪深いと思う。
それは故郷である星に、そして真実血を分けた弟に。
幼い頃から自我と記憶を封じられ傀儡とされたとはいえ、あまりに大きな罪を犯し、傷つけてきた。
だから、自分は2度と故郷の地を踏むことなど出来ないと思うし、青き星の人々に憎まれて当然だと思う。弟は最後に「にいさん」と呼んでくれたが、それすら自分の身には余りある幸福なのだと理解している。
彼らには、早く自分のことなど忘れて――それは自分の罪を忘れて欲しいという意味ではなく、闇に呑まれた愚かな男に対する憐憫の情に煩わされる必要などないという意味で――彼らの幸せを築いていってもらいたいと願っている。
 なのに、自分は最後にまた罪を重ねた。
自分一人で背負うはずの罪を、共に背負わせてしまった男がいた。彼の人生を滅茶苦茶にして、闇を歩かせてしまった。誰よりも誇り高く、光の中を堂々と歩むべく努力していた青年を無理矢理闇の中へ引きずり込んだのだ。それだけでも罪深いというのに、自分は最後まで彼を解放してやれなかった。
 物言いだけな視線を背に感じながらも、自分は彼を振り返らなかった。怖かったのだ、彼に別れを告げられることが。彼にだけは、自分を覚えていて欲しかった。
 とんだ我侭だと自分でも呆れる。
カインが自分をどう思っているかは知らない。いや、彼のすべてを奪った自分は誰よりも強く憎まれているだろう。
しかし自分にとっては、彼は確かに救いだったのだ。カインを傍に置くことで、彼の体温を感じることで、自分自身を完全に失いそうな己を辛うじて繋ぎとめていた。
 ああ、本当になんて罪深い。
誰よりも幸せになってくれることを願わねばならない相手を、手放すことが出来ないなんて。
きっともう2度と会うことはない。けれどそれは問題ではないのだ。寧ろ、そのほうが性質が悪いのかもしれない。
 カインが自分にはっきりと決別する機会を、永遠に奪ったのだから。
けれど自分の罪深さに震えながら、愚かさを嘲笑いながら、それでも何度繰り返してもきっと自分は同じことをする。彼を振り返らず、彼に別れを言わせない。
どんな罰も覚悟する。だから。
2度と踏むことの適わぬ故郷の地で、誰もが自分を忘れても。
どうか彼だけは自分を忘れずにいて欲しい。