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その日に感謝と祝福を

 
 
 
 
 
 朝、いつものように目覚めたスコールは、いつものように顔を洗い、着替え、コーヒーメーカーをセットする。起き抜けに食べられないのはスコールだけでなく、同居人たるクラウドも一緒で、だからまずはゆっくりコーヒーを飲むのが長年の習慣だ。どちらも目覚めのいいタイプではないが、クラウドがベッドから起き上がるのに時間を要するタイプなのに対して、スコールはとりあえず起きるものの暫くは思考が鈍るタイプだ。だからコーヒーメーカーをセットするのは大抵の場合スコールで、今日もその例に漏れなかった。
季節は夏で、既に高い位置に昇った太陽の光が容赦なく部屋の中まで入ってくる。カーテンを引いて少しだけ光を遮ると、キッチンの棚から自分とクラウドのものと、2つのコーヒーカップを手に取る。それは、今やほぼ無意識で行っていると言ってもいい程、スコールの中で何の変哲もない、いつも通りの動きであり、いつも通りの時間だった。
 そんな、いつもと何1つ変わらないはずの時間が変わったのは、スコールがカップにコーヒーを注ぎ終えた時だ。
いつものように起きだしてきたクラウドの気配は背後に感じていた。いつもならば朝の挨拶と共に伸びてきた手がコーヒーが注がれた自分のカップを取っていく。だから今日もそのつもりでいたスコールの背に、ふわりと低い体温が重なった。
「…ありがとう」
後ろから抱きしめてきたクラウドの声が告げたのは、感謝の言葉。そのあとぎゅっと抱きしめられて、スコールはああ、と壁に掛けられたカレンダーを見遣る。
 そうだ、今日は8月23日だった。
ほんの2週間ほど前には、今と逆の立場でスコールもクラウドに感謝の言葉を告げたのに、今日になったら日付のことなどすっかり頭から抜け落ちていた。
 8月23日。それは遠い遠い昔、自分が生まれた日。
クラウドにとっても、スコールにとっても、自分の誕生日などというものは、決して嬉しいものではないし、できれば意識したくないものだった。迎えたその日が何度目の誕生日なのか、それを考えることは、世界の時の流れから隔絶されてしまった自分を改めて認識することに他ならない。
それならば、その日を普段と変わらない1日として過ごせばいいものを、そうしないのは、今はもういない人たちの厳命があるからだ。
かつて共に戦い、暮らしたクラウドの仲間たち。別の世界から来たスコールのことも、当たり前のように受け容れてくれた彼らは、毎年必ず2人の誕生日を祝ってくれた。1人、2人と時の流れに従ってライフストリームへと還っていっても、絶対に2人の誕生日には祝いのメッセージが届けられた。そして最後まで誕生日を祝ってくれたマリンも、もう次は無理だろうという時になって、彼女は2人に厳命したのだ。誕生日はちゃんと祝わなくてはダメ、と。それから、これは皆の遺言だ、と。
 
 
 忘れないで欲しい。2人がどんなに苦しい想いをしなくてはならないとしても、それでも生まれてきてくれたから、私たちは貴方たちに出逢えたのだということを。皆、クラウドとスコールに出逢えて嬉しかったんだということを。この世に生まれてきた素晴らしい日を、なかったことにしないで欲しい。
 
 
 だから今年も、2人は互いの誕生日を忘れない。けれど世界から隔絶されてしまった痛みが解るからこそ、「おめでとう」と言うのはやはり苦しくて、同時に同じ痛みを分かち合える相手が居てくれることに大きな喜びと安堵を覚えるからこそ、2人の間では誕生日は祝福ではなく感謝の言葉を贈る日になった。
「ありがとう」
もう1度、そう囁いたクラウドの腕が益々力を込めて抱きしめてくる。
季節は夏で、カーテン越しでも陽射しは強く、部屋の温度は鰻上りだ。おまけに手許にはカップに注がれたコーヒーが香りと共に湯気を立ち上らせている。いくらクラウドの体温が低めでも背中から抱きしめられてじんわりと汗ばんでくるのは止められない。しかしスコールはそのままの体勢で動こうとはしなかった。
 もしも1人だったら、きっと自分は誕生日を忘れることすらできなかっただろう。その日付が来ることを毎年恐れて、蹲って怯えて、震えてその日を過ごしたに違いない。この日をいつもと同じように迎え、過ごしていられるのは、この日を素晴らしい日だと言ってくれた人たちがいて、なによりこうして抱き締めてくれる腕があるからだ。
 だから毎年、こうして誕生日を迎える度に思うのだ。思い上がりでなければ、2週間前のクラウドも、同じように思ったはず。
 
 
 
自らの誕生日をこうして迎えさせてくる彼に、祝福を、と。