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大人の事情と子供の事情




 この世界は様々な世界の断片を繋ぎ合せた寄せ集めの世界なので、歩いていたらいきなり全く違う景色に出くわす、というのは日常茶飯事だ。月の渓谷を歩いていたら突然星の体内に出て真っ逆さまに落ちたとか、次元城の足場が消えて落ちると思ったらガレキの塔のビーカーの中に出たとか、そういった話は枚挙に暇がない。空間の変異のタイミングはまさしく神のみぞ知る、と言ったところだが、どの場所に出るのかは比較的自らの意思も反映される傾向があるらしい、とは興味本位にあちこち歩き回って実験してみたというバッツの見解だ。行き先を何も考えていないと自分に最も因縁が深い場所に出易いらしい、というのはバッツと一緒になって実験したジタンの意見で、どんなに思っても混沌の果てに出る確率はゼロ、逆に秩序の聖域は百パーセントでこれは調和と混沌、どちらの神に召喚されたかで真逆の結果になるのではないかと言ったのは、やはり一緒になって歩き回ったティーダだった。
話を聞いた時にはなんて物好きな、と思ったものだったが、彼らが自らの足で実験した結果は中々正確で、こうして独りで歩くのに役立っている。
今も、秩序の聖域を出て幾らも歩かないうちに願った通りの場所に出た。
 打ち捨てられて崩れたスタジアムのようなこの場所が、何故夢の終わり、と呼ばれるのかスコールは知らない。元の世界でのこの場所の記憶を持っているらしいティーダが、いつもの快活な彼とは程遠い曖昧な表情で「夢の終わりは、夢の終わり、ッスよ」と呟いて以来、誰もそのことについて訊ねることはしなかったからだ。元の世界での記憶を殆ど持っていない自分には理解し得ない複雑な思いがあるのだろうと、スコールも気に留めなかった。
「なんだぁ?まぁた来たのか」
けれど、今になって気に掛かる。この場所は、この男にとっても夢の終わりなのだろうかと。
「…アンタこそ、またいるんだな」
 ジェクト。ティーダの実父にして混沌の神の陣営に身を置く敵。なのに闇の気配を微塵も感じさせない男。
単独行動を好むスコールが、空間の変異で偶々この場所に飛ばされた時出逢ったのが始まりで、仲間の実験によりある程度自分の意思で行動できることが判って以来、この場所に来ると度々ジェクトに会うようになった。何か思い入れがあるのか、座ってじっと景色を眺めていることが多い。息子のティーダがどちらかと言うとこの場所を避けたがるのと対照的だ。一度そう言ったら、「あいつぁ、まだまだガキだからな」と男は苦く笑った。
「ん?んなとこに突っ立ってねぇで兄ちゃんも座れや」
ポン、と隣りを叩かれてここに座れと促される。敵である筈の男は出逢った当初からこの調子で、警戒を露わにするスコールの様子など一向に気にしていないようだった。それに素直に従ってしまう自分も大概おかしい、と思いながら毎回男の隣りに腰掛けてしまうのは何故だろう。
「ティーダは、相変わらずだ」
ジェクトとの共通点なんて何もなくて、何を話せばいいのか皆目見当もつかない。元々口下手で無口なスコールに気の利いた会話などできるはずもなく、かといって態々ここまで訪れていながら何も言わないのも憚られて、結局毎回スコールはジェクトにとって最大の関心事項にしてスコールが与えられる唯一の情報を伝えている。
「兄ちゃんも毎回律儀だねぇ」
ジェクトも毎回苦笑しながらその報告を聞くが、その声に隠しきれない安堵の色があることくらい、スコールは承知している。
「気にしているくせによく言う」
「ま、否定はしねぇけどよ」
こういう時に大らかに肯定してしまえるのが、男の余裕であり、話していて心地よいと感じる部分だ。多少のことではびくともしない安心感。大抵のことは笑って受け止めてしまえる度量。押し付けがましさなどなく、極々自然にそういったものを感じさせるジェクトの傍は、スコールにとって居心地のいい場所だった。
「でもま、こんな別嬪さんが通ってくるってだけでも十分だぜぇ?」
遠慮なく髪を掻き回されても、嬉しくはないが不思議と怒りは湧かない。同じことを、仲間の誰かにされようものなら即座にガンブレードを突き付けるところだ。
「やめろ」
止めなければいつまでも頭を撫でられそうで、スコールはジェクトの腕を掴む。筋肉が隆々とした腕は決して小さい方ではないスコールの手でも余りある太さだ。自らの太いとは言い難い腕と比べてスコールがなんとなく憮然とした面持ちになれば、それに気づいたジェクトが笑う。
「兄ちゃん、細ぇからなあ。うちのガキと比べても細ぇだろ」
思っていてもそれを言うな、ということを平気で口にするジェクトを見ると、血は争えない、という言葉を実感する。この親にしてあの息子あり、と思うと同時に、どこか頭の奥がツキン、と痛んだ。
ジェクトといると時々感じる痛みだ。思い出せない記憶の向こうから、何かが主張してくる。
「アンタといると…」
思わず口をついて出た呟きに、ジェクトが「ん?」とスコールの顔を見た。
「…たぶん、アンタは俺の知ってる誰かに似てるんだと思う」
 思い出せない元の世界の記憶の中にいる、誰か。
要らないことをうっかり口に出すところ、闇の気配を微塵も感じさせないところ、なにより大抵のことを笑って受け止められるところ。ジェクトに似た誰かが、自分の記憶の中にいる。
「なんだぁ?ジェクト様はその誰かさんの身代わりってことかい。寂しいねぇ」
「…あ、いや…、…すまない」
自分が誰かの身代わりだと言われて良い気持ちになる者などいない。不用意に口に出してしまった言葉の持つ意味に気づいてスコールが目を伏せれば、「気にすんな」とジェクトが苦笑する。
「身代わりくれぇで丁度いいって。じゃないとヤバイからなあ」
「え?」
繋がりが理解できない科白に、スコールが思わず顔を上げれば、隣りに座ってるジェクトの大きな手がすっぽりと顔を包むように頬に添えられた。
「兄ちゃん、顔ちっちぇえなあ」
間近で覗き込むように言われて、その近さに驚く。鋭いわけでもなく、かと言って冗談めかしているわけでもなく、どこか苦さを湛えた視線から目を逸らせないでいると、ふっと笑われた。
「こんな美人に熱心に会いに来られちゃ、本気になっちまいそうだろ」
掠れたような低い声で囁かれて、ほんの一瞬距離がゼロになる。見た目のイメージ通り高い体温を伴った、少し肉厚のジェクトの唇が自分のそれと触れ合ったのだと理解するのに数秒必要だった。
「おいおい、固まってねぇで突き飛ばすとか殴りかかるとか何かあんだろぉ?」
胸に抱え込まれ、ポンポンと頭を叩かれる。あまりに見事に固まってしまったスコールの様子に苦笑いしているようだ。まるで子供をあやすような仕草に、体に入っていた力が抜けた。
「…殴られたいような言い方だな」
そう言い返せば、「だから、本気になっちまうとヤバイっつってんだろうが」と呆れたように笑われる。その間も、スコールをあやすような仕草は止まらない。
 子供扱いされている、と思うのに、それを嫌だと感じない。この腕の温かさに言い様のない安堵を感じる。さっき触れた唇も。
「…別に、嫌じゃなかった」
あやすような動きが、その言葉で止まる。
「ったく、参ったねぇ」
腕の中に軽く抱き締めていた華奢な体を解放して、ジェクトはガシガシと頭を掻いた。
 本気になったら拙いも何も、こんな無防備に受け入れられたら、逆に手を出し難い。いくら大人びているとはいえ、自分の息子と同い年の少年に「嫌ではない」と言われて「はいそうですか」と先に進める程、ジェクトは若くないのだ。豪放で自分勝手な性格だと言われても、それなりの年月を歩んできた大人としての自覚がある。
「兄ちゃん、警戒心強ぇのに、なんだってオレに懐いちまったかね」
まるで野良猫か何かのような言われ様にスコールの眉間に皺が寄った。その様子に、そういや獅子も猫科か、などと思いながらジェクトはもう一度スコールの髪を乱暴に掻き回す。
 牙を見せてあまり無防備に懐くと危険だ、と警戒を促したつもりだったのに、寧ろその牙を折られてしまった感が否めない。とりあえずは当面、この若獅子に噛み付いてしまう心配はなくなった、と安堵すべきなのだろうか。
「俺が懐いたんじゃない…」
言いながらスコールが自分の髪を搔き回すジェクトの手を掴んだ。自分の胸の前辺りまでその手を下ろしてくると、空いたもう一方の手も添えて、両手でぎゅっとジェクトの大きな手を握る。
「アンタのこの手が、懐かせたんだ」
遠慮なく触れてくるこの大きく温かい手が、ちっぽけな自分の警戒心を溶かしてしまったに違いない。たとえ思い出せない誰かの記憶が作用しているにしても、今のスコールが安堵し受け入れているのはジェクトの手であることに変わりはないのだから。
「兄ちゃん、そりゃ殺し文句だ」
苦笑しながらジェクトは握られていない方の手を顎に遣る。自分の所為だと言われてしまうとは思わなかった。
 目の前の獅子と称される少年を改めて見る。
額に大きく走る傷痕すら欠点にはなり得ない美しい顔と、鍛えてはいるものの華奢な体つき。同い年のはずの息子に比べて遥かに大人びた雰囲気。
これが、もっと男らしい厳つい容姿だったり、息子のような快活で子供じみた雰囲気を持っていたりすれば、父親代わりを演じるだけで済む話だったのに。
とりあえず、折られてしまった牙がまた鋭く伸びるまではこの奇妙な逢瀬を続けてもいい。けれど、牙が伸びたその時には。
「二度も止まれる程枯れてねぇぞ、ジェクト様は」
つい口に出した呟きに、何を言っているんだ、という顔でスコールがこちらを見た。だからあまり無防備になるな、と思いながら、ジェクトは今一度、スコールの髪をくしゃくしゃにしてやる。
「大人ってのは切ねぇな、って話だよ」