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好きなんだよ!たぶん!心臓バクバクしすぎて俺にもよくわかんねーけど!




 最後のクリスタルの死守を目指すセシル達一行の旅は、至って平穏である。
つまり、戦って戦って戦って休む。戦闘は絶え間なかったが、手に余る程の魔物に出会うわけでもなく、また最後のクリスタルを守る洞窟の封印はゴルベーザにも中々手出し出来ないものとあって、精神的な余裕も保てていた。
・・・唯一人、エッジを除いては。
戦闘中に意識が漫ろになるようなことはないのだが、一日を終えて休む段階になると髪を掻き毟ったり胸を押さえてみたりと落ち着かない様子で挙動不審極まりない。これでは休息になっていないのではないかと仲間たちは心配しているのだが、寝ていない訳ではないようなので放っておいている。
「じゃあ先に休ませて貰う」
「うん。2時間したら交代しよう」
防具を外し軽装になったカインの言葉にセシルがそう応じる。それに頷くとカインはコテージの中へと消えた。
野営の際には男性陣が交代で見張り番をする。今日はセシル・カイン・エッジの順ですることになっていた。
「君も寝なくていいのかい?」
短く折った枝を焚き火にくべながらセシルは隣りで膝を抱えるエッジに問いかける。
「あー、もうちょいしたら寝る」
エッジがおざなりに返事をすると、くすりと笑ったセシルが更に口を開いた。
「カインが寝たらってことか」
「ゲホッ」
全く予期していなかった精神攻撃に、飲んでいた紅茶を噴き出したエッジがゲホゲホと咳き込むと、「大丈夫かい」といいながらセシルが背中を摩ってくれる。が、そんなことはエッジにとって何の慰めにもならない。
「セ、セシ、オマ、な、なん・・言・っ」
 セシル、オマエ、なんてこと言うんだ。
と言いたいんだな、と正確に理解したセシルは自分の分の紅茶の入ったマグカップを傍らに置くと、エッジに向き直った。
「だって、君が挙動不審になった時期ってカインが素顔見せるようになった時期と一緒だろ?だいたい、昼間は平気なのに休む時になると様子がおかしいから、何か切欠があるのかなって考えたらすぐ思い当たるよ」
 それまで人前では頑なに兜を取ろうとはしなかったカインが急に仲間の前では素顔を晒すようになったから、セシルも驚いて尋ねたのだ。そうしたらあっさりと「王子様に見られたからもういいだろう」と言うので、凡その事情は察したセシルだった。
「あんまり美人で驚いた?」
悪戯っぽく尋ねるセシルを横目でジロリと睨んでから、エッジは力なく頷く。
「そりゃあもう」
 リディアがほんの数ヶ月前までたった7歳の子供だったと聞いた時の方がまだ驚かなかったというものだ。
「気持ちは解るけどね」
エッジの様子にセシルが笑った。それを見てエッジも思い当たる。
「あー、もしかしてあれか?それでアイツはずっと素顔見せてなかったのか?」
「ああ。竜騎士団に配属された時からずっと。さすがに僕とかローザとか昔からよく知ってる人の前じゃ兜取ってたけど、他に人がいるときはもう絶対素顔見せてなかったね。竜騎士の兜は顔が隠れるから有り難いって言ってた」
 士官学校にいた頃の、男に懸想されて辟易していたカインを思い出してセシルはふふ、と笑った。一種人間離れした美貌に、逆に女性は遠巻きに見るばかりで近寄ってこず、カインが女性にもてるようになったのは顔を見せなくなってその男らしい性格や言動が際立つようになってからだった。
「まあ、えらいギャップはあるわなぁ」
空になったカップを手の中で玩びながらエッジは呟く。
 例えば今こうして話しているセシルも、そんじょ其処らの女性では太刀打ち出来ないほど中性的で美しい容姿の持ち主だが、なんというか、セシルの場合は納得がいくのだ。勿論セシルの騎士としての強さや、剰え以前は暗黒騎士だったという事実と容姿のギャップは中々のものだが、彼の温厚な性格や、それに伴う物腰や口調の柔らかさを思うとその容姿の中性的な美しさも当然のように感じられる。
 だいたい、竜騎士の鎧が厳つ過ぎんだよ。あれからあの顔が出てくるなんて反則だろーが。
八つ当たり気味にそう考え、「あれ」から出てきた「あの顔」をうっかり思い出してしまい、エッジは「だーっ」と意味不明な唸り声をあげて頭を抱えた。それを隣りで見ていたセシルが笑う。
「カインは優しいから、本気だったら冗談にしたりはしないよ」
 士官学校時代に本気で告白してきた男を邪険に扱えず困っていた親友の姿が脳裏に浮かぶ。相手がからかい半分であれば容赦なく冷たく切り捨てるカインだったが、相手が本気だと判った途端無碍に出来なくなるのだ、あの優しい幼馴染は。ぶっきらぼうに見せて誰より他人の心の機微に聡い彼は、いつも他人の気持ちを慮って行動する。今にして思えば、カインはセシルの気持ちにもローザの気持ちにも、恐らく本人が自覚するよりも早く気づいていたのだろう。だから何も言わずに自身の気持ちを押し殺したのだ。そして、あんな風に無理矢理暴かれるような事態に陥らなければきっと、セシルもローザも、今でも彼の心に気づけなかったに違いない。そこまで思い至って、セシルがこっそり唇を噛み締めた時。
「いや待てちょい待て待ちやがれセシル。誰が何に本気だって?」
こちらはこちらでやけに鬼気迫った表情のエッジがセシルに向かって身を乗り出してくる。
「誰がって、君が」
思わず体を後ろに反らしながらセシルがやや引き攣り気味の笑顔でそう返せば、エッジが更に身を乗り出して来た。
「オレが?何に?」
「だから君が、カインに」
 ギリギリまで上体を反らして答えたセシルが、これ以上は無理、倒れる、と衝撃を覚悟すると、不意にエッジが身を引く。なんとか態勢を元に戻したセシルの視界に入ったのは、乾いた笑いを零しながらしきりに首を振るエッジの姿だった。はっきり言って怪しいことこの上ない。
「いやいやいやいや。そりゃ有り得ねぇだろ。このオレ様が?あのヤローを?・・・冗談にしたって笑えねぇって」
「相手の姿が目に入る度に挙動不審になるって、凄く判り易い恋愛初期症状だと思うけど・・・」
「ははは、冗談言うなって」
「まあ、エッジが気の迷いで済ませたいのなら、僕がとやかく言うことじゃないが」
セシルの呟きにジロリと彼を見たエッジがガクリと項垂れる。
「・・・オレ、寝るわ」
「ああ、おやすみ」
どこか放心したようにトボトボとコテージに入っていくエッジを見送って、セシルは傍らに置いていたマグカップを手に取った。
「どうなるかな」
 エッジは否定したがっているし否定したくなる気持ちも解るが、あれは間違いなく恋愛に発展しつつある感情だろうとセシルは思うし、それが上手く実って欲しいとも思っている。本人達にすれば迷惑極まりないかもしれないが、性別などこの際二の次でいい。
 だって、エッジが初めてなのだ。
長い付き合いで子供の頃からいつも一緒だったセシルは、カインが本質的には一人でいるのを好み、中々他者と打ち解けないことを知っている。常に他人の心を慮って行動してしまうが故に一人でいる方が気楽であるし、バロンでも有数の由緒ある家に生まれ父親が暗殺されたとも噂された境遇が、カインの警戒心を強くさせた所為もある。
そのカインが、エッジに対しては初対面の時から軽口をたたいた。そんなことはセシルの記憶にある限り初めてのことで、その後も彼らは事ある毎に口喧嘩寸前の軽口の応酬を繰り広げている。それは、共に旅をしているメンバーの中で唯一エッジにだけは罪悪感を抱かずに済んでいる所為なのかもしれなかったが、それならそれでもいい。エッジならば、いつも押し殺してしまう親友の心を軽く救い上げてくれるのではないかと思うのだ。
「僕らだって・・・大切なんだよ、きみが」
セシルの呟きは、焚き火の爆ぜる音に混じって消えた。



 軽く揺すられてエッジの意識はまどろみの淵へと浮上する。
認めたくないのに完全に否定もできないことをセシルに指摘されて、とても寝られるような気分ではなかったはずなのに、知らない内にうとうとと眠っていたらしい。エッジは薄く目を開けたが頭はまだ半分以上眠りの世界を彷徨っていた。忍として鍛えているから寝起きは悪くないはずなのだが、どうにも意識が緩慢として覚醒には至らない。見知った気配しか感じられないから問題はないだろうと緩んだ思考で結論付けて、エッジは無理に起きようとする努力を捨てて再び目を閉じた。
「エッジ」
低く小さく名前を呼ばれてまた軽く揺すられる。本気で起こすには随分控えめな起こし方だとエッジは思った。
 本気で起こす気あんのか?
すぐに目覚めない自分の非を棚に上げてまだ完全には醒め切らない頭でそう考えてから、エッジはゆっくりと自分を揺する相手を見ようと目蓋を開ける。目覚めきらないぼんやりとした視界に入ってきたのは、淡い金色に縁取られた絶世の美貌。
「あー、やっぱすげー美人・・・」
エッジは口に出したつもりはなかったが、寝惚けた彼の心の呟きはしっかり音声になって相手に伝わっていた。言われた科白に眉を顰めた相手は本格的にエッジを起こそうと三度エッジの肩に手をかけようとして、逆にそのエッジに腕を捉まれて驚く。
「エッジ・・・?」
一方、半覚醒状態を脱していないエッジは目の前の光景を現実だと認識できないまま、右手で掴んだ腕をぐっと引き寄せていた。驚きに少し見開かれた藍灰色の眸を尻目に、体を起こしながら左手で相手の項の辺りを抑えると極々自然に唇を合わせる。
 なんか美味そうだったんだよなぁ。
ぼんやり考えながらエッジは薄い唇の感触を味わった。ただ唇を合わせるだけでは物足りず、舌でなぞったり甘噛みしたりしてみる。そうするうちに、硬直していた相手が俄かに動き出した。つまり、エッジの腕から逃れようと抵抗しだしたのである。
 夢の癖に抵抗すんなよな。
そう思ってふとエッジは気づいた。
 ・・・なんかすげぇリアルじゃねーか?
右手で掴んだ腕の骨張った感触も、左手で抑えた項の熱さも、触れる唇の薄いけれど柔らかい感触も、到底夢とは思えない現実味を帯びている。なんだかとてつもなく嫌な予感がしてエッジは恐る恐る体を離した。いい加減しっかりと目覚めた視界に映ったのは、手の甲で自身の唇を拭うカインの姿。
「・・・っ!!」
思わず出そうになった絶叫が声にならなかったのは、カインがエッジの口許を容赦なく手で覆ったからだ。
「皆眠ってるんだ、叫ぶな」
抑えた声でそう言われてコクコクと頷く。ひんやりした手の細く長い指の感触にパニックに陥りそうだ。
疑わしげな目つきでエッジを見ていたカインがゆっくりと手を外すと、これぞ忍の本領発揮とばかりにエッジが音もなく飛び退った。なんだかこれではまるで自分の方がエッジに何かしたようではないか、とカインが首を傾げていると、エッジが恐る恐る、といった態で口を開く。
「オレ、オマエになんかした・・・よな」
「キスしたな」
「だよな・・・」
あっさりと返された答えにエッジががっくりと項垂れた。それから「えーと」と何か言いあぐねているからカインとしては助け舟を出してやったつもりだったのだ。
「別に寝惚けた相手に間違えてキスされたくらいで騒ぎ立てたりはせん」
だからそんなに気にしなくていいからさっさと見張りを交代しろ、とカインは続けようとして、エッジが呆然とこちらを見ていることに気づく。
「おい、王子様?」
「・・・お、おう。交代だよな」
予想外の反応に訝しげに声を掛ければ、何故だか酷く意気消沈した様子のエッジが力なく立ち上がった。
「悪かったな手間取らせて」
そのままエッジはとぼとぼとコテージの外へと出て行く。
「やっぱりあいつの考えることは解らん」
カインの呟きも尤もだった。



 そのエッジはコテージの外で頭を抱えて蹲ったかと思えば徐に立ち上がって火の周りを歩き回ったりと忙しい。あまりの挙動不審振りにきっと魔物だって近寄ってこないこと請け合いである。
「何やってんだオレ・・・」
思わず深い溜息を一つ。
 カインは拍子抜けするほど大人な対応で流してくれたが、エッジにとって問題はそこではなかった。
「寝惚けた相手に間違えてキスされたくらい」とカインは言った。確かに自分は寝惚けていた。しかし。
「間違えては・・・いねぇんだよなぁ」
 それが大問題だった。
寝惚けて現実だとは思っていなかったが、目の前にいるのがカインだとは判っていた。判っていたから「すげー美人」ではなく「やっぱすげー美人」だと思ったのだ。そしてその唇に触れたいと思ってしまった。
薄く形良く少し冷たくてそれでいて不思議と柔らかい感触を思い出し、エッジは自分の唇を押さえる。
「って、オレ、カインとキスしちまった・・・!」
自分がキスする相手を間違えたわけではない、という事実にショックを受けて、キスした事実そのものに対する衝撃を置き去りにしていたが、今更ながら心臓が破裂しそうだ。今背後から「わっ」と脅かされようものなら確実に心臓が停止するに違いない。
暫くそのままでいたエッジだが、やがてドカッと火の傍に座り込んで胡坐をかく。
「冗談にしても笑えない」とセシルに言ったのが、昨日の今日どころか先刻の今なのに本当に笑えない。笑えないのだけれど。
 顔を見ると心臓が跳ね上がる。触れてみたくなる。キスしたいと思ってしまう。
それが指し示すもの何かと問えば、恐らく十人に訊いて十人が同じ答えを返すだろう。
「あーもう!好きなんだよ!たぶん!」
髪を掻き毟りながらエッジは強い口調で言った。その科白は、元来ぐるぐると悩むのが嫌いなエッジが自分自身に突きつけた最後通牒だった。その割には「たぶん」と付いたのは、未だ諦めきれない消極的否定である。
「心臓バクバクしすぎてオレにもよくわかんねーけどよ」
更に往生際悪くそんな言葉も付け足してみた。
「はぁ・・・」
肺の空気を全て出し切るような深い溜息がエッジの口から零れる。
 今更ティーンエイジャーの初恋みたいな状況に置かれるとは思ってもいなかった。
顔を隠し全身を隙なく覆う厳つい竜騎士の甲冑から、あの繊細な美貌が現れるギャップを「反則」と称したエッジだが、こうなるとあの甲冑が有り難い。とりあえず、顔が隠れていればカインに対してもそこまで挙動不審になることはないからだ。
明日というか今日はいよいよ、最後のクリスタルを取りに封印の洞窟へ入る。こんな個人的事情で足手纏いになるのは御免だった。
「とりあえずはゴルベーザの野郎の野望阻止に集中しねぇとな」
火に小枝をくべて、エッジはそう呟いた。