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何言ってるの?お前も俺の事好きでしょ。




 終わった、と誰かが呟いた。
誰の声だったのか判らない。もしかしたら自分が呟いたのかもしれない。誰の声でもよかったのだ。それは仲間たち全員の気持ちだったから。
 ゼムスという輩を倒しに来たつもりでいたら、ゼムスはフースーヤとゴルベーザの前にあっさりと敗れ、「こんなものか」と気が抜けたところで、ゼロムスという完全暗黒物質に進化してセシルたち一行に襲いかかった。完全暗黒物質とはよく言ったもので、叩きつけられる負の波動は凄まじく、身体的には勿論精神的にもキツい戦いだった。乗り越えられたのは綺麗事でも何でもなく、仲間たちのおかげだ。今この場にいる者たちだけではない、故郷の星で自分たちの無事を祈り続けてくれた人たちのおかげだった。
 暗黒騎士じゃ真の悪には勝てないって理由がよく解ったぜ。
エッジは大きく伸びをしながらそう考える。
エブラーナにはそもそも騎士というものがいないし、あまり他国との交流がある国ではなかったからエッジは実際に暗黒騎士を見たことはない。元暗黒騎士のセシルから話を聞いただけだったが、その時は暗黒騎士というものがそれ程忌まわしいものだとは思わなかった。負の力を使おうと、それを制御する強い意志を以て戦いに臨むのなら、そこまで忌み嫌うこともないのではないかと思っていた。実際セシルのような性根の優しい男が暗黒騎士であったように、暗黒騎士だからといって本人の性質が非道だとかそういうことでもないのだろうと。
だからミシディアの長老が言ったという「暗黒の力では真の悪には勝てない」という科白は観念的なものなのだろうと勝手に解釈していたのだが。
 ソレがアレになるんじゃなあ…。
先程の戦いを思い返してげんなりする。暗黒の力というものが、総じてあの完全暗黒物質から派生する、若しくは帰結するものだというのなら、それは確かに「真の悪には勝てない」だろう。自分たちは一人ではなく、仲間がいたから乗り越えられたのであって、一人で抱えていては最終的に暗黒の力に呑み込まれてしまうに違いない。暗黒の力の根源である負の感情というものは自分では制御し難い面が多分にあるものであるし。
 でもま、そんなのあって当然なんだから全面否定もいただけないけどな。
エッジはグイッと肩を回してそう内心で述懐した。そして自然とその視線は一人の男の上で止められる。
自分に厳しいが故に負の感情を全面否定してしまいがちな、ついでに言うとそれで負の感情どころか自分自身を全否定して勝手にボロボロになってしまいそうな、竜騎士の上に。
 オレとしてはこっからが正念場?
エッジはこっそり気合いを入れる。とりあえず頭にきていることがあるのだ。
 なんだよ、あの戦い方は。
戦闘開始早々カインが竜騎士特有のジャンプで突っ込んでいくのはいつものことと言えばいつものことなのだが、攻撃を受けて怪我を負っても回復する 暇 ( いとま ) を与えず跳躍してしまうのは如何なものか。滞空時間の長い竜騎士の跳躍は、敵が手を出せない鉄壁の防御であると同時に味方の援護も受け付けない背水の陣だ。
今まで出会った中で最強の敵であるゼロムスは当然攻撃力も相当なもので、一回でも攻撃をくらえばダメージは大きい。優秀な白魔道士であるローザは勿論、高い攻撃力を有する聖騎士のセシルまで回復役に回り、リディアもシルフやアスラを召喚して補助に入る。そうしてエッジたちは戦いが終わった時点でなんとかしっかりと立っていられる状態を保っていたが、唯一人、カインだけは戦闘中に殆ど回復を受けなかった所為でボロボロだった。慌ててローザが傍に走り寄り最大回復を図らなかったらきっと意識を失っていただろう。
 アイツには「ガンガン行こうぜ」しか選択肢はねーのか。「いのちを大事に」とかないのか!?
普段は自らも突進型であることは棚に上げてエッジは半眼でカインを見遣った。
あの戦い方はゼロムス打倒に対する意気込みの現れ、というよりは単に死にたがっているようにしか見えなかった。死にたがっている、と言えば本人は否定するかもしれないが、自分はどうなってもいいと思っていたのは間違いない。
 人との約束、簡単に反故にしやがって。
最後の戦いを終えたらエッジの告白に対する答えをちゃんと考える、と約束したのはほんの数時間前の話だ。その舌の根の乾かぬ内に、と詰め寄ってやりたいところだが、カインという男は普段寡黙な癖にこういう時だけやたらと弁の立つ男だから、そうしたらそうしたで「生き残るくらいの算段はしていた」とか「生きているんだから反故にはなっていないだろう」とか巧いことを言って躱されそうな気が多分にする。
それでもやはり文句の一つは言ってやらないと気が済まないと、エッジが一歩踏み出した時、背後でリディアが声を上げた。
「帰ろうよ!」
その声に、全員が彼女を見た。
「あたし達の星に帰ろう?みんな待ってる」
 遠く離れた故郷の星から自分たちの無事を祈り続けてくれた仲間たちが、その帰りを今か今かと待っている。戦況を知らない彼らは今も自分たちの安否を心配しているだろう。こんなところで悠長に達成感と虚脱感に浸っている場合ではない。戦いに勝利した今、自分たちがまずすべきことは仲間たちにそれを伝えることだった。
「そうだね…。帰ろう。僕たちの星へ」
兄が消えていった階段の奥をじっと見つめたセシルが、踏ん切りがついたように晴れ晴れとした表情でそう言うと、移動呪文が効力を発揮するエリアまで歩き始めた。カインに文句を言うタイミングを逃したエッジも暫く唸ったが「まあ仕方ないか」とそれに従う。何よりも、帰ることが先決なのだ。
 ま、時間もあることだし?
戦いが終わった今、そう急くこともないだろうとエッジが考えていると、背後からリディアの声が掛かった。
「エッジはエブラーナの人たちも待ってるしね」
「ああ?んー、ま、そーだな。ゼロムス倒したからって全部が元通りってわけにゃいかねぇし、エブラーナの被害は特にひでぇから、こっからが大変かもな」
 元々海洋資源に頼り肥沃な大地というわけではなかったが、それでも焦土と化した故国のことを考えると問題は山積みだ。瓦礫の撤去から始まって、元のエブラーナの姿を取り戻すまでに一体どれ程の時間が掛かるのか想像もつかない。他国の支援も必要だろうし、今までのような消極的外交から積極的外交への転換も必要だ。尤もその件に関しては、この戦いの中で図らずも各国の代表者や実力者と知己を得たおかげで比較的楽にできそうだった。
「エッジ、実は王子様だもんね!」
思案顔になったエッジの脇を、リディアが笑いながらそう言って通り過ぎる。彼女はそのまま小走りに前を歩いていたローザの傍まで行ってしまった。
「実はも何もオレは最初っから王子だっつーの」
それどころか両親亡き今エッジは実質エブラーナ王なのだが、エッジの良くも悪くも親しみ易過ぎるキャラクターのおかげで誰にもそんなことを気に掛けられていない。精々カインが「王子様」と呼ぶくらいだが、それも単なる渾名に近い。
 堅苦しいのはゴメンだが、いくらなんでももうちょっと威厳みたいなもんは必要か?
これから先の人生、仮にも一国の王として生きるにはそういったものも必要なのかもしれないと思わず考えこんでいたエッジは、ふと視線を感じて顔を上げた。
「…カイン?」
顔を上げた先にはカインがいて、こちらを凝視している。口許しか覗かない兜の所為で今一つ視線の先を特定し難いのだが、エッジの全身がアーリマンと対峙した時の如く「見られている」という感覚を訴えているのでまず間違いないだろう。
 ラブラブ光線…なわきゃないな。つーかそれはオレが怖ぇ。
エッジはそう思いながらも怖いもの見たさでうっかりカインがラブラブ光線(エッジの想像ではピンクのハートが撒き散らされる)を発している様を思い浮かべようとして、どう考えてもレッドドラゴンの熱線にしかならず諦めた。
そんな馬鹿な想像をしつつエッジは凝視される理由を考える。
 そりゃ、戦いが終わったら考えてくれとは言ったがな…。
いくらなんでも直後過ぎるだろう。祝杯をあげるどころか、これから戦いの勝利を報告するという段階である。
 コイツのことだから可及的速やかにって?いやいや、いくらなんでもそりゃねーだろ。
どうにも自分とは全く重ならない思考回路を持つ相手が考えていることを推察するのは難しく、首を捻りながらも、丁度いい、先程言い損ねた文句を言ってやろうと口を開きかけたところで、先を越された。
「呆けて遅れるなよ」
そう言ったカインが、何事もなかったかのようにエッジの横を通り抜けていく。
「…テメーがそれを言うなよ…」
その姿を見送りつつエッジが思わずそう呟いたのは当然で、どちらかと言えば(というより間違いなく)呆けて突っ立っていたのはカインの方だというのに随分な言い草だ。
「エッジーッ!置いてっちゃうわよ~?」
前方を歩いていたセシルたちが振り返り、リディアがそう言って手を振っている。
「置いてかれて迷子になっても知らないからね!」
 オレのポジションって一体何…。
パーティー最年長にして一国の王子という肩書きを再確認したくなるエッジだった。



 魔導船の中は明るい雰囲気に包まれている。
主にローザとリディアが華やいだ声で話している所為で、巨大な船の中にたった五人しかいないとは思えない明るさだった。
「じゃあリディアは幻界に帰るの?」
「うん。とにかく一度戻ろうと思ってるの。幻界のみんなにも報告したいしお礼も言いたいし」
戦いが終わった今、話題が仲間たちの今後についてになるのは当然のことで、この場にいない仲間たちの今後についても勝手に想像しながら話は進んでいく。
「飛空挺で幻獣の洞窟まで送ってもらうといいわ。ジオット王たちも送るんだろうし」
「うん、そうさせてもらおっかな。ローザは?バロンに帰ったらセシルのお嫁さん?」
 ブリッジにゴン、と鈍い音が響き、女性陣の会話をなんとはなしに聞いていたエッジが何事かと振り返ると、どうやら慌てて立ち上がろうとして頭をぶつけたらしいセシルが苦悶の表情を浮かべて頭を抱えていた。その隣りではカインが呆れた表情を浮かべながら「大丈夫か」とあまり心の籠っていない労わりの言葉を投げ掛けている。その光景に、エッジは当人たちには見えないように口笛を吹くジェスチャーをした。
 お、初めて見るかもしんねぇ。
エッジが彼らに出会ってからずっと、幼馴染で親友だというはずの二人の間にはぎこちない空気が流れていた。彼らの間にあった紆余曲折を考えればそれは当然のことだったが、全ての元凶を倒した今、漸く二人の間のぎこちなさも解れてきたのかもしれない。今エッジの目の前で行われた遣り取りは、本人達は無意識なのだろうが、きっと以前の彼らはいつもこんな風だったのだろうなと窺わせるものだった。
「セシル、大丈夫?…もう、リディアったらヘンなこと言わないの」
少し頬を赤らめたローザの様子が微笑ましい。目下のところ男に惚れているエッジだが、恋愛感情とは別の次元で、美人は無条件に好きなのだ。その点、この旅の仲間は文句なしに恵まれていたなあ、とエッジはしみじみ思う。
 ヤローだらけのむさ苦しさとは無縁だったもんな。
エブラーナの忍びにも女性はいるが基本は男性組織であるし、日頃どんなにふざけていようがその組織の次期首領として彼らを率いて行動した経験も勿論あるから、エッジも男だらけの集団が嫌だと言うつもりはない。つもりはないが、潤いがあるなら絶対にその方がいい。素早い身の熟しを身上とする忍者集団は噂に聞く肉体派のファブールのモンク集団に比べればマシなのかもしれないが、それでも男だらけの集団に付きものの汗臭さとむさ苦しさを思い出し、エッジは鼻をむずむずと動かした。
そう言った意味では、この仲間たちはローザとリディアという美女二人に加え、本来ならエッジ曰く「ヤローくささ」を担うはずの男性陣も、柔和な美しさのセシルと怜悧な美貌のカインという顔だけなら性別不明なメンバーだったから、非常に気分よく過ごせたと言えるだろう。そこでうっかり男に惚れた、というのは大誤算ではあったが。
 なんつーか、ありとあらゆる意味で人生の転機だったな…。
故国が襲われ、両親が殺され、自らの不甲斐無さに涙し、自らの責務を自覚して、故国どころか星を守る旅に出て、その旅の途中で同性に惚れた。
 …人生設計の狂い方としては、最後のが一番強烈な気がするぜ…。
エッジは旅の途中のあれやこれやを反芻しながらそう述懐する。それでも出逢わなければよかったとは思わないし、ついでに言えば「出逢わなければよかった」と思うような結果にするつもりも既に毛頭ないのだ。脈ありとはいえ、それを自覚していない頭の固い男を相手に口説き落とそうというのだから中々骨が折れることではあったが、難攻不落の城ほど攻め落としたくなるもんだよな、などと思えるエッジは悪く言えば能天気、良く言えばポジティブシンキングでフロンティアーズスピリットに溢れているのだった。
 エッジがセピア色の汗臭い回想に浸っている間にも、女性陣の会話は進んでいる。
「ローザ、恥ずかしがらなくてもいいのに~」
「ほんとに違うったら。…帰ったら色々大変でそんなこと言ってられないわ、きっと」
「そっか、バロンも王様いなくなっちゃったんだもんね。これからどうなるんだろうね?」
その言葉を聞いて、ああそうか、とエッジの思考は回想から復帰した。
 この戦いで世界各地に被害が出たが、指導者不在になったのはクリスタル強奪の手駒として乗っ取られたバロンだけだ。規模でいえばバブイルの塔が近いエブラーナや飛空挺団に襲撃された商業国家のダムシアンなどの方が被害は甚大だが、エブラーナにはエッジ、ダムシアンにはギルバートという正統な王位継承者が健在で統率が取り易いのに比べ、王が暗殺され嫡子もおらず継承者の指名もされていない上に魔物に乗っ取られた所為で治安や風紀が悪化したバロンは政治的不安要素が大きいと言えるだろう。魔物に乗っ取られたが故に加害者という立場に立たされた精神的不安もあるし、故国の被害状況を考えれば一概にどちらがマシとは言えないが、戦いが終わった後まで不安を抱えていなければならないという点ではバロンは他国よりも厳しい状況にある。
「次の国王ならいるさ」
「カイン?」
それまで特に会話に加わるでもなく聞き役に回っていたカインが唐突に言葉を発した。
「次のって、陛下にはお子はいらっしゃらないし、王族も近い血縁の方はいないじゃないか」
セシルが不思議そうに尋ねる。
 セシルの言うことは尤もで、世継のいないバロン王の後継者問題はずいぶん前から取り沙汰されていたが解決を見ることなく現在に至っていた。バロン王自身には何かしらの思惑があったようだったが、突然に暗殺されてしまった上にその死が長らく隠蔽されていたから王位を誰に継がせようと考えていたのかは謎のままである。最悪の場合、バロンはこれから王位継承権を巡る権力闘争が繰り広げられ治安改善や復興支援が後回しにされる可能性があるのだ。有力な次期国王候補がいるならば混乱の回避の為にも有難い存在だが、セシルにはそんな人物などさっぱり見当もつかない。
そんなセシルにカインは見慣れた不敵な笑みを見せた。
「わからないか?国民が望む、次の国王はセシル、お前だ」
「ええっ!?」
予想外の言葉にセシルが驚くその後ろで、エッジはなるほど、と頷く。
「そーいや、『陛下の後を継げるのは貴方しかいない』みたいなことバロンの兵士にも言われてたな、オマエ」
「エッジ、君まで変なこと言い出さないでくれ。確かにバロン王は僕を育ててくださったけど、でも僕は孤児で、そんなのありえないよ」
思ってもみなかった未来図を提示されて戸惑うセシルが、その、セシルにとってとんでもない話を持ち出したカインを見つめると、カインは苦笑して言葉を続けた。
「だが陛下もそのおつもりだったと俺は思うがな」
「陛下が…?」
「確かにお前は孤児だ。しかし陛下は何の為にお前を城内に住まわせ、父代わりとして育てたんだと思う?ただ拾った子供を育てるなら金銭面の援助だけして孤児院に預けるなり誰か里親を探させるなりすればいいだけの話だろう」
 一国の王が自ら孤児を引き取るなど異例中の異例だ。だからこそセシルも幼少の頃から陰口や蔑みに耐えてきた。それでもあからさまな嫌がらせや暴力を受けたことがないのは、偏に国の最高権力者が父代わりだったからだ。
「それにお前、その様子じゃ解ってないだろう?」
カインがそう問うと、セシルは何を言われているのか皆目見当もつかないといった表情で見返す。
「陛下に賜ったそのハーヴィという姓。随分昔に断絶した王族筋の家名だぞ」
「…そうだったのか?」
 孤児だったセシルには当然名前などなく、名付け親は引き取り手であるバロン王だったが、本当に幼い頃のセシルにはただ「セシル」という名のみが与えられていた。幼年学校に入る頃、セシルは王からハーヴィという姓を賜ったのだ。バロンでは姓は騎士階級以上が持つもので一般庶民は姓を持たないから、「あんな素性の知れない子供にハーヴィと名乗らせるなんて」という陰口はどこの馬の骨とも判らない自分に姓を与えたことに対しての批判だとセシルは思っていた。セシルにとってはバロン王が与えてくれた名であることが重要で由来や出典には興味を持たなかったので、自分に与えられた家名にどんな意味があるのかなど調べようと思ったこともない。こうして事実を知って解る。あの陰口は素性の知れない子供に姓を与えたことだけでなく、ハーヴィという由緒正しい家名を継がせたことに対する批判だったのだ。
「五十年近く前に嫡子が出来ず断絶した家名だから今となっては殆ど知られていないし資産はほぼ王家に接収されているが、領地の一部だったハーヴィ家の名を冠した葡萄園は王領地に接収ではなく王家預かりになっていたはずだ。お前、帰ったら調べてみろよ。今の所有者はお前の名になってるぞ。王家預かりだから葡萄園の収入も支出も恐らく出納院が管理してるんだろうが、毎年の新ワインの献上は所有者であるお前の名でされてるだろう」
そうして、セシル本人の与り知らぬところで「王族筋の由緒あるハーヴィ家の当主」としての実績が積み重ねられてきたのだ。そしてその一切の指示を出したのは亡きバロン王であることは間違いない。問題は、どうしてそんなことをしたのか、だ。
「お前を拾った時から考えておいでだったのか、それともお前の成長を見るうちにそう考えられたのかは判らん。だが陛下はお前を後継者とするおつもりで、お前に王位継承権が発生し得る家名を継がせたんだ」
 セシルが如何に世界を救った英雄であり、先王が実子のように慈しみ育てた騎士であっても、出自不明の孤児が王位を継ぐとなれば伝統と先例を重んじる輩や至高の権力を狙う連中から反発が起きるのは必至。だが、たとえ血縁がなくとも王位継承になんら不足がない家名を継いで記録上とはいえ実績を積み重ねていれば、彼らの反論も勢いを削がれるだろう。バロン飛空挺団初代隊長になったのも、バロン王の仇を討ったのも、ただの孤児だった青年のセシルではなく、「ハーヴィ家の」セシルなのだ。
「陛下が…」
思いもよらなかった育ての父の思惑に戸惑うセシルの肩にエッジが手を掛けた。
「んじゃ、今後は国王同士が親友っつーことで友好的外交を一つヨロシク」
「君まで僕が本当に国王になるって思ってるのか?」
「というより、あんたはいつからセシルと親友になったんだ?」
戸惑ったまま答えるセシルの声と、鋭いツッコミを入れるカインの声が重なる。
「一緒に生死を賭けた戦いに挑んだ仲じゃねぇか。親友も親友、大親友だよな!」
セシルの肩をバンバン叩きながらエッジがそう言うと「痛いよ」と体をずらしながら、セシルが引き攣り気味の笑顔で曖昧に頷いた。
「うーん、まあ完全否定はしないでおくよ…」
 否定はしたいんだな。
と、全員が思ったが誰も言及はしなかった。気を取り直してリディアがローザの手を取る。
「じゃあ、ローザは王妃様ね!」
 凄い凄い、結婚式は呼んでね、と自分の手を握ってぶんぶん振り回すリディアにローザが困ったように笑った。
「だから、まだ何も決まってないわ」
勿論ローザにだって思い描く未来図はある。いずれはセシルと、との思いはあるし、その思いはセシルも一緒だが、今まではずっと戦いっ放しで具体的な約束はしていない。二人とも今すぐどうこうとは思っていないのだ。
「だが帰ったらきっとシドが言い出すと思うぞ。祝い事は多い方がいい、とな」
カインがそう言うと、思わずセシルとローザが顔を見合わせた。彼らを実の子のように慈しんでくれるシドは、非常に気が好くて豪快で世話焼きなところがある愛すべき人物だが、その世話の焼き方も豪快で特にセシルとローザの仲のこととなると当人たちの言葉さえ聞かないことも多々あり…。
「あー、国王云々はともかく、結婚についてはあのジイさんならやるわな。こりゃ決まりだ。先に言っとくぜ。オメットサン」
以前有無を言わさず飛空挺改造を手伝わされたことを思い出し、エッジがそう言うと、何か言おうと口を開きかけたセシルとローザが結局何も言えずに曖昧に微笑んだ。シドの性格を考えて、かなり可能性の高い近未来図だと悟ったのだ。元々いずれは、と思っていたことだから、シドを止められるとは思えない。
だが、いくら異論はないとはいえ、そのまま流されるのも問題だと思ったらしいセシルが徐にローザに向き直る。照れを隠せず少し視線を彷徨わせた後、大切な彼女に手を差し出した。
「…なんだか突然だけど。僕と結婚してくれるかい?ローザ」
そのセシルの手に、白魚のような、と褒め讃えられた手が迷いなく乗せられる。
「貴方じゃなきゃ嫌よ」
ローザの潔い即答に「さすがローザ」とリディアが手を叩いた。成り行きで目の前で行われたプロポーズ劇にエッジは口笛で祝福すると、そっと、二人に対して複雑な感情を抱えていたはずの男を窺い見る。
 …?
視界に入れたカインの表情がエッジの想像したものとは違っていて違和感を覚えた。だが、何せ思考回路が全く被らない相手のことなので、そういうこともあるかと思いつつもなんだか妙に気に掛かる。
 魔導船の外には、青き星が迫っていた。



 普段は静かなミシディアの夜も、今夜ばかりは賑やかだった。…というよりも騒々しい。
月から帰還し、魔導船が眠りに就くのを見守った後、勝利の報告をするとそのまま広場で怒涛の宴会に突入したのだから当然だ。
 ほんの一口のワインで酔っ払ったパロムとポロムが花火代わりにプチメテオを乱発して長老の大目玉を喰らったり、その長老も実は酔っていて「メテオでは落ちてくるじゃろうが。見ておれ、花火とはこういうものじゃ」とホーリーを放ってみたり、続いて「ホーリーじゃちょっと派手さが足りないと思うわ」とさりげなくアルコール初体験だったリディアがフレアの乱れ打ちをしてみたり。
かなりの酒豪であることが判明したローザがワイン樽を運んでいた黒魔道士にホールドをかけて自分専用ワインを確保したり、ギルバートは足でリュートを弾くという高レベルな宴会芸を披露してみたり、ヤンが「見よ、我がファブールに伝わる伝説の秘拳・北斗神拳」などと言い出してみたり、シドが飛空挺の船首に波動砲をつけると計画してみたり、英雄として皆に酒を注がれて強かに酔っ払ったセシルは「みんな、僕についてきてくれるかな~?」「いいですとも~!」と月に残った兄が聞いたらまたダークマターに呑み込まれそうなパフォーマンスをしてみたり。
要は羽目を外しすぎて収拾がつかなくなった典型的な宴会の光景が繰り広げられていた。
「揃いも揃って酒癖悪ぃのばっか集まりやがって」
エッジはそうポヤきながら宿屋の扉を開ける。
酔ったローザの照準が狂ったホールドで身動きが取れなくなったところを双子と長老とリディアに因るプチメテオとホーリーとフレアの乱発合戦に巻き込まれ、吹き飛ばされた先では「今のシャウトすごくよかったよ。僕とロイヤルユニットを組まないか」とギルバートに勧誘され(「シャウトじゃねーよ、吹っ飛ばされて悲鳴あげたんだよ!」と一蹴した)ヤンには「エブラーナにも一子相伝の秘拳があると聞く…。どちらが本物かいざ勝負!」と襲われかけ(「忍術だよ!オッサンのわけわかんねぇ秘拳と一緒にすんな!」ととりあえず影縛りで難を逃れた)シドからはエブラーナ城移動要塞化計画を持ち掛けられ(多少心が揺れたが悲しげな顔で首を振る両親の顔が脳裏に浮かんで思い留まった)挙句の果てにセシルにがっちり肩を組まれて逃がして貰えずに「いいですとも~!」と一緒に叫ばされ(最後はエッジも自棄になった)、エッジは這う這うの体でその場を抜け出してきたのだった。
 あれは祝宴っつーより寧ろ阿鼻叫喚の地獄絵図だ…。
恐らく後一時間も経たない内に死屍累々の戦場の如き様相を呈しているだろう広場を想像して深々と溜息を吐く。宴会で貧乏籤を引くのは酒に呑まれなかった者だと相場は決まっているのだ。尤も、エッジには酒に呑まれてなどいられない事情があったのだが。
エッジは宴会に出払ってシンと静まり返った宿の階段を足音を立てずにそっと上る。
 祝宴は最初から大演芸大会だったわけではなく、勿論始まりは賑やかではあるものの和やかな宴だった。
事前の予想は見事に的中してシドがセシルとローザの結婚の話を持ち出し、それはこの青き星に平和が訪れたことの象徴のように全員の祝福を以て受け入れられた。エッジも人の輪の一番外側から口笛と拍手で二人を祝いながら、視線はずっと、斜め前方に立ってやはり同じように二人を祝福しているカインの横顔を凝視したままだった。
 魔導船で感じた違和感を、エッジはずっと拭えないでいる。
二人を見るカインの表情が、なんだか穏やか過ぎた気がしてならないのだ。
無論、エッジだってカインに今更羨望と嫉妬に藻掻き苦しめなどという気はないし、彼が複雑な感情の紆余曲折を経て二人の結婚を祝福できる心境になったというならそれは喜ばしいことだとも思う。しかし、何かが違うとエッジの勘が告げているのだ。祝福していないわけではない。けれどあの穏やかさはそれだけではない。
 そう、あれは…。
カインの表情を見てエッジが感じたのは郷愁に似たもの。連想したのは覚悟を決めて死地に赴く兵士。
二人を見るカインの表情は、二度と帰れないと判っている場所を心に刻もうとしているかのようだったのだ。
 とことん後ろ向きっつーか。寧ろ背面徒競走とかあったらぶっちぎりで一位だろ。
祝福の拍手に沸く広場で思わずそう呟いたのが二時間程前。
吹っ飛ばされたり叫んだりしながらも、常にカインが何処にいるのかだけは気に掛けていたエッジは、案の定誰に声掛けするでもなく宴会から抜け出していったカインの後を追ってこうして宿に戻ってきたのだった。
 あー、ったく、我ながらなんでこんなにメンドクサイ野郎に惚れたんだか。
自問しながらも、寧ろ面倒だからこそ惚れたんではなかろうかという気もしてきたエッジである。
足音も気配も消し去って廊下の一番奥の部屋の前に立つと軽く息を吐く。行くか待つか、一瞬迷った。
無意識に拳を握り締めていたことに気付いてエッジは苦笑する。珍しくも少し緊張しているのだ。
 神速果敢なエッジ様に、待つのは似合わねぇか。
心の内でそう呟き、握り締めた右の拳を左の掌に軽く当てる。その、ポスッと軽い音を合図にして、エッジは目の前の扉を勢いよく開けた。
「ども~」
緊張していた割になんとも軽い入り方だったが。
それでも、部屋の中にいた男は驚いたようにこちらを顔を向けた。
「突撃!隣りの晩御飯で~す」
「…何やってるんだ、あんたは」
呆れた、という表情を隠しもせずに部屋の中にいたカインがそう問うと、エッジは一瞬にして剣呑な空気を纏う。その空気を感じ取ったカインの表情にも僅かな緊張が走った。
「テメーこそ、何やってんだよ」
エッジの口から激昂を抑えた低い声が零れる。その声に、エッジの方へと向き直ったカインが小さく笑った。一瞬前の緊張を消し去って、とても穏やかに。
 そう、エッジがずっと違和感を感じていた、その穏やかさで。
「…訊かなくとも、解ってるんじゃないか?」
 カインは旅支度を整えていた。皆武装を解いて宴会に興じている状況で鎧を纏って移動するのは目立つと判断したのだろう、鎧や旅装のマントは出来得る限り小さく纏められてカインの足下に置かれている。
彼は、このまま何処かへと消えるつもりだったのだ。
「逃げんのかよ」
自分でも意外なほど冷静な声が出たな、とエッジは思う。実際、宴席から静かに抜け出したのを見た時から、カインの行動は不本意ながら予想していたので驚きはなかった。だが、驚きがなくとも沸々と湧き上がる苛立ちは現在進行形で量産中だ。最早苛立ちを通り越して完全に怒りに変わっている気がしなくもないが、とにかく「はいそうですか」と黙って消えさせてやる気は毛頭ない。
「…そう思ってくれて、構わん」
だが、エッジが強い気持ちで今ここに立っているように、カインもカインなりの強い決意があっての行動なのだろう。エッジが挑発に使った「逃げる」という言葉にも動じる様子を見せない。
 こいつは簡単には済まなさそうだ。
エッジは胸中でそう呟く。怒鳴って宥めて、そんなことが通用する相手ではないし、無論力づくでどうこうできることでもない。下手にこちらが感情に任せて激昂すれば容易く逃げられるだろうし、ここはエッジにとって一番苦手な忍耐と自制が必要とされるようだった。
「アイツらに…セシルとローザに何も言わない気か?」
惚れている身としては悔しいが、カインの気を惹くのに最も効果があるはずの二人の名を挙げる。だがカインは苦く笑って僅かに首肯した。
「あいつらは、優しいからな」
 彼らは優しいから、だから自分が消えると知れば引き止めずにはいられないだろう。
どうにもならないことを妬んで、僻んで、それを取り繕って善き幼馴染を装い続け、挙句装い切ることもできずに裏切り傷つけた自分を、許し受け容れてくれた優しい人たち。きっと彼らはこれからも、彼らの一番近くに自分の居場所を作ってくれる。その場所の居心地の好さを、それを心苦しく感じることを、いっそのこと断罪してくれたらどんなに気が楽になるかと考えてしまう自分の卑屈さを、自覚しているからこそ、カインは彼らの傍から離れようとしている。それでも彼らにそれを告げれば、優しい彼らは引き留めずにはいられないし、自分はきっとそれに甘えてしまうのだ。
言外にそう匂わせたニュアンスを正確に読み取ってエッジは眉を寄せる。
 やっぱ一発ぶん殴っていいか…?
それはもう容赦なく、躊躇なく、渾身の力で殴り飛ばしてやりたいと本気で思った。
ふと、最後の戦いに赴く前にローザが言った科白が脳裏に蘇る。
 カインったら全然解ってないのよ、私たちだって彼を大切に思っているんだってこと。
ああ本当にな、と記憶の中の彼女にエッジは答えた。
正確に言うならば、カインは自分が大切に思われていること自体は解っている。ただそれが自己評価に全く結びついていないのだ。セシルやローザがカインを大切に思うのは、彼らが優しいからであり、決して自らに人を惹きつけるものがあるからだとは思わない。カインが二人を大切に思うのは決してただの幼馴染だからではなく、彼らの人格を愛しているからこそなのに、それを自分には当て嵌められない。
 自己否定もここまでくると立派な病気だ、とエッジは思う。
今度の戦いで洗脳され裏切ったからというだけでここまでにはならないだろう。こうなってくると寧ろ自己否定がコイツのアイデンティティなんじゃないのか?と半ば真剣にエッジが思ってしまうほどそれは根深い。どうしてそこまで、と考えて気づいた。
 カインの自己否定は、自己防衛の裏返しだ、と。
誰かの一番になりたかったと言ったカイン。実質、それは彼の大切な幼馴染の、若しくは大切な主君の、と言ってよかっただろう。そしてそれは彼には得られない位置だった。自分が求める評価を他人から与えられないとき、人はどうするだろう。自分の望むものを与えられている者に対して嫉妬を募らせる場合。自分を評価しない相手を「価値の解らない愚か者」として切り捨てる場合。だがカインはどちらの心理状態にもなり得なかった。否、嫉妬は確かにしたのだろう。後にそれが闇に付け入られる隙となったのだから。だが、嫉妬の対象となるはずの相手もまたカインにとっては大切な相手だった。嫉妬の炎を燃え上がらせるには、カインは相手のことを認めすぎていて、自分を一番にしてくれない相手を切り捨てるには、カインは彼らのことを大切にし過ぎていた。だから彼は望むものを与えてくれない相手から離れられない自分の心の平穏を守るためにも、こう思ったのだ。
 自分には彼らに愛されるような価値など何もないのだから仕方ないのだ、と。
恐らく事ある毎に自分に言い聞かせてきたのだろうその諦念は、いつしかカインの意識の深層に定着してしまったのだろう。
 ま、離れるってのはある意味いいことなんだとは思うんだがな。
エッジはそう思う。セシルとローザは「ずっとカインの心遣いに甘えてきた」と言っていたが、エッジの見るところ、誰よりカインが二人の存在に依存してきたと言っていい。「自分には愛される価値がない」と自己否定して自衛を図った彼は、二人を支え守ることに自身の存在意義を見出したのだろう。だがその意義も、今度の戦いでの裏切りでカインには信じられなくなってしまった。今のカインは、自分がいる意味が解らず自信を失っている。このまま大切な幼馴染二人の傍にいれば、おそらく彼の自信はある程度の修復はされるだろうが、それでは「自分には愛される価値がない」と思い込んだ根本的な自己否定は改善されないままだ。ならば一度二人から離れ、彼らから自身を切り離して見つめ直すことはカインにとって、そして彼を大切に思う周りの人間にとって必要なことだろう。
 だからって誰にも何にも言わずに消えていいって話にゃなんねーだろ。
エッジは内心で唸った。セシルとローザから一度離れる、その為にバロンを出る、告げれば引き留められ離れ難くなるから二人には黙っていなくなる、それはいい。だが誰にも何も言わずにいなくなる必要はないだろう。というより寧ろオレに黙って消えるとは一体どういう了見だ、というのがエッジの偽らざる本音である。
そこまで思って、キィン、と唐突にエッジの頭の奥が冷えた。今まで抑えていた苛立ちが嘘のように鎮まり、努力しなくても冷静な思考が脳内を駆け巡り始める。
 そうだ、何故カインはオレにまで黙って消えようとしたんだ?
戦いが終わったらエッジの告白に対する答えを考える、その約束をよもやカインが忘れるとは思えない。そしてカインの性格を考えれば、一度交わした約束を何も言わずに反故にするということも考え難い。
疑問の答えは自ずと導きだされる。つまり、カインはエッジにも隠しておきたい何かがある、ということだ。
そしてそれは今まで自分たちの間であった遣り取りを思えば、間違いなくエッジの告白に対する答えに他ならないだろう。
 あとはなんで隠しておきたいか、だな。
エッジは腕組みしながら考える。それを見ているカインも微動だにしない。ここで無理に出て行こうとすればエッジが騒ぎ立ててカインの出奔が皆に知れることになるのは明らかだからだ。とりあえず実力行使に出られる心配だけはないのでエッジは目まぐるしく脳内を駆け巡る思考を整理することに専念できた。
 カインは何故答えを保留にしたまま消えようとしたのか。
自分との関係が気まずくなるのを嫌ってか、とも思ったがそれはないと断言できた。どうせ姿を消すつもりなら、そんなことを気にする必要などない。寧ろ黙って消えることで仲間たち全員との関係が気まずいものになる可能性だって十二分にあることはカインも承知の上だろう。
 振られるエッジのことを気遣って、という可能性も考えてみるがそれも説得力に欠けた。曖昧な態度のまま答えを保留にして消えるなんて、この潔い男がするはずもない。過去に受けた告白で、答えが決まっていながらすぐに答えなかった自分自身を「卑しい」と蔑んだカインが、この期に及んでそんな真似をするわけがないのだ。だいたい、エッジの見立てではどう見ても勝率八割。振られる可能性の方が低いと踏んでいるというのに。
 フツー、告られてオッケーだったらそれでハッピーエンドの大団円だよな。
少なくともエッジの感覚ではそうなのだが、カインは一体何を問題視したのか。
 自らの保身に走る男でも、約束を反故にするような男でもないはずのカインが、敢えてその信条を曲げてまでエッジに黙って消えようとする理由。それは確実に、エッジのことを考えてに違いない。自惚れでも何でもなく、カインとはそういう人間なのだとエッジは知っている。だからこそ自分がこんなにも真剣に好きになったのだから。
 考えろ。思い出せ。絶対に何か切っ掛けがあるはずだ。
自分自身にそう檄を飛ばしてエッジは自らの記憶を浚い出す。
告白の答えを考える、そう約束したときは何も気に掛けることなどなかったはずだ。もしその時点でカインが何か憂慮する事項に思い当たっていたなら端から約束などしないだろう。そしてそこからゼロムスを倒すまでの間はそんなことを考える余裕などなかった。広場での大宴会の最中も、カインは上手く被害が及ばない位置で阿鼻叫喚の図を眺めていたし、恐らくその時には既に誰にも黙って消えることを決めていただろう。つまり戦いに勝利してから青き星に戻ってくるまでの短い間にカインにとって無視できないエッジについての何か、があったのだ。
 何があった?
数時間前の記憶を必死で遡る。幸いなことに青き星に戻ってくるまでの間、カインが単独行動を取ったことはなかった。絶対に自分の記憶の中に答えはあるはず。魔導船の中での穏やかな会話の間、月の地下渓谷を脱するまでの道中、何か変わったことはなかったか。普段のカインとは違う何か。
 ………あ?
記憶を丁寧に遡っていたエッジの思考が、一箇所で引っ掛かった。そう、あれはゼロムスに勝利したすぐ後、帰途に就こうとした時のこと。
 あのラブラブ光線か!
決してそんなものではないのだが、エッジの中ではそう名付けられた僅かな遣り取りを思い返す。考え込むというよりは、まるでその時初めて見たかのようにエッジを凝視していたカイン。間違いない。きっとあの時に違いない。あの時、彼は自分に対する何か「考慮すべきこと」に思い当たったのだ。そして考慮した結果、カインは黙って消えようとした。
 あの時、何をしてたっけか。
カインの視線に気づく直前の行動を思い出す。ゴルベーザとフースーヤを見送り、「みんなのところへ帰ろう」と歩き出して、そして。
 リディアが話し掛けてきたんだよな。そうだ、オレにはエブラーナのヤツらも待ってるって…。…!!
エッジは顔に出さないまま、内心で息を呑んだ。次いで、ギリ、と奥歯を噛み締める。
 カインが一体何を思い、何を気遣ったのか、この瞬間、エッジは正確に理解した。
全く以てカインらしい気遣いと言うべきなのか。先のことまで考えて行動できる彼は、そして自分の幸福をあっさりと諦めてしまえる彼は、恐らくそれに思い当たった時点で決めてしまったに違いない。
 エッジが。自分に真剣に告白してきた相手が。
エドワード・ジェラルダインという男が、エブラーナという一国の王であるという事実を、エッジの親しみ易さ故に普段仲間たちが忘れてしまっている事実を、改めて認識したのだ、カインは。
そして、王である以上当然負うべき責務を思ったのだろう。即ち、子を作り血統を残すという義務を。
 竜騎士は世襲だと言う。
幼い頃から飛竜に慣れ親しみ、飛竜との間に信頼関係を築かなければ竜騎士となることは難しく、それには生まれ持っての資質が大きく影響するからだと言うが、だからこそ血統を残すということが重要視される。バロンでも有数の由緒ある竜騎士の家系に生まれたというカインは、血統を残すというその意味を解り過ぎるくらいよく解っているのだろう。それが一国の王家ともなれば尚更。
 ったく、いらん気回しやがって…!
エッジは内心で歯噛みした。実際のところ、決して要らない気ではないのだが、エッジの心情としてはカインの憂慮は要らない気以外の何物でもないのだ。
エッジの中でとっくに答えは出ているのだから。
 こちらの動向を無言のまま窺っているカインとの距離を、こちらも無言のままエッジは一気に詰める。そのまま左腕を伸ばして胸倉を掴めば、殴られることも覚悟していたのだろうカインが身を固くするが、しかしエッジはカインの予想とは裏腹に、腕を前方へと押し出した。
「え…?」
殴る為に引き寄せられることを想定していた体は、想定と正反対の突き放す動きにあっさりと従って後ろのベッドへと仰向けに倒れこむ。
「いいかカイン、よーく聞けよ」
カインの上に馬乗りになって、エッジは口を開いた。
「オレはな、嫁さん貰う気なんぞこれっぽっちもねぇんだよ」
そのセリフに、カインの顔がさっと青褪める。自分の憂慮がエッジに正確に読み取られてしまった事を覚ったのだろう。だがすぐさま表情を改めると、強い視線で見上げてきた。
「お前、自分の立場を解っていて言っているのか?」
「おうよ、こっちは生まれたときから王族なんてやってんだ。テメェに言われるまでもなく十分承知してらぁ」
エッジは得意気にすら見える表情でそう答える。
実際、エッジだって十分考えたのだ。考えた結果は、「どーにかなる」だった。
「どうにかってお前な…」
「なるんだよ、王家なんてもんは」
 そう簡単に御家断絶なんてことにはならないのだ、一国の王家ともなれば。
エブラーナの忍術は一子相伝の技。王家には代々の王にだけ伝わる技があり、エッジも技の継承という重要性は重々承知している。だが、それは何も実子である必要などない、とも思っている。恐らく、これから正式に王位に就けば、間をおかずに結婚話も持ち上がるようになるだろう。だが今自分が心惹かれているのは目の前の男であり、しかもその熱はちょっとやそっとで鎮まりそうにはない。そんな状態で妻を娶るなんて真似、たとえ思春期の少年のような理想論と笑われても、エッジはしたくないしする気もないのだ。無論、王としての責任も理解しているから、血統の存続を巡って何らかの争いが起こり得る状況になれば、そんなことは言っていられないかもしれない。全く気は進まないが最終手段としては、王妃を迎え入れるのではなく、子を為す義務を承知している女性を複数娶るということも有り得る。
両親は王族には珍しい恋愛結婚だった上、割とすぐに丈夫な男子(つまりエッジだ)が誕生したから父王が側室を迎えることはなかったが、どの国でも王家が一夫多妻なのは珍しい事ではない。
 ま、その心配はねぇと思うけどよ。
エッジはそう考えている。父は母一筋だったが、その先代たるエッジの祖父は中々の漁色家で王妃の他に複数の側室を娶っていた。非常に豪快で裏表のない性格の人で、誰か一人を極端に寵愛することもなく、王妃(エッジの祖母はこの人だ)は側室たちの敬意を集めながら非常に穏便且つ円滑に取り仕切っていたという。時には、女性陣が和やかにお喋りに興じて主たる祖父が輪の外に放って置かれる、などという光景も度々あったのだそうだ。そのおかげか、父を始めとして子供も複数いたが、後継争いのようなものは全く起こらなかったらしい。「それもこれも先王の人好きのするご性格と、先王妃のご人格の素晴らしさ故にございますぞ」とは、その頃から王家に仕えている爺の弁である。
その祖父の複数いる子供たちやその家族も、今回の戦いで殆どが民を守る為に命を落としてしまったが、幸いなことに、末の娘はエブラーナが襲撃された当時、身重だったので真っ先に避難させられていた。そして、あの洞窟アジトの中で彼女は男の子を産んだ。エッジにとっては従弟に当たる子供だ。悲愴感の漂うあの洞窟暮らしの中で、皆に笑顔を齎してくれた赤ん坊だった。男子のみが王位継承権を持つエブラーナでは、現時点でエッジに次ぐ王位継承権を持つその子を自分の後継とすることに、異議を挟む者がいるとは思えない。
「オレは生まれたときからエブラーナの王子だ」
エッジは押さえつけていたカインの上からどいて、ベッドの上で胡坐を掻きながら念を押すようにそう言った。自分を押さえていた重しが外れたカインが上体を起こして怪訝な顔をする。それはさっきも聞いた、とその表情が如実に語っていた。
「だからオレはエブラーナの為に出来ることはする」
政治なんて自分の柄じゃないと思いはしても、それが生まれ持った自分の責任なのであれば国の為に最大限の努力をする覚悟は疾うに出来ているのだ。
「だが、オレは国の為に自分のすべてを捨てる気なんてねぇんだよ。出来ることはする。妥協できることであれば妥協もする。けどな、絶対に譲れないと思ったことは何があっても譲る気はない」
きっぱりと言い切ったエッジは、どこか眩しそうにこちらを見るカインの胸倉を再び掴む。このタイミングでそういう行動に出られるとは思っていなかったカインの切れ長の眸が驚きに僅かに丸くなった。
「テメェはどうも人の話をちゃんと理解してないみたいだからな。いいか、もう一度言うから今度はちゃんと理解しろよ」
 正確には理解していないのではなくて、理解した上で先まで読んで勝手に配慮してくれるから性質が悪いのだが、そこまで言うのもなんだしな、とエッジは言葉を端折る。
「オレはオマエが好きなんだ。カイン・ハイウィンドって野郎に自分でも馬鹿じゃないかって思うくらい惚れてんだよ!他の女なんて抱こうとも思わねぇんだ、文句あるかっ!?」
喧嘩上等、と背後に文字を背負っていそうな気勢でエッジは言葉を紡ぎ出した。実は後で「あれは勢いつけすぎだった」とあまり思い出したくない過去の一つに数えられることになるのを、本人は知らない。
「お前は…」
半ば呆然とした様子のカインの口が開く。
「ああ?」
「お前は、喧嘩腰の告白しか出来ないのか」
 今解った。コイツはセシルにも劣らない天然だ…!
この期に及んで最初にそこを突っ込むのか、とエッジはがっくり項垂れるが、すぐさま「悪いか」と開き直った。
「オマエ相手に花束でも渡して告白しろってか?」
「いらん。気色悪い」
 即答かよ、とエッジは心の中で突っ込んだが、かと言って「そうしてくれ」と言われた日には恥ずかしさで憤死すること間違いないので表面上は何も言わずに済ませる。
そして次の瞬間、エッジはポカンと口を開けた。
「俺には…これで十分だ」
そんな言葉とともに、視線を伏せたカインが確かに微笑んでいた。きっと本人も意識していないに違いない、そんな微かな笑み。
自嘲の色も、寂寥の影も見えない、いつかエッジが「さぞかし目の保養になるだろう」と思った微笑が、そこにあった。しかも、現実は想像の数倍上を行く威力だ。相手が男であろうが関係ない。「花が綻ぶような微笑」とは、まさしくこれを指すのだろう。
 バッカ、余計惚れちまうだろーが!
そんな八つ当たりに近い感慨を抱いたエッジを誰も責められまい。
 エッジは掴んでいたカインの胸倉を放してベッドから立ち上がると、ごそごそと自分の服を探り始めた。目当ての物を見つけると、それをぐいっとカインの手に押し付ける。
「…?これは、ひそひ草、か?」
ダムシアン特産のこの花が持つ不思議な力は、カインもよく知っている。
「ああ。ギルバートの懐からパクってきた」
「…お前、やっぱり忍じゃなくて泥…」
「黙れ」
いつにない強い口調でカインの言葉を遮ると、エッジは腕を組んで未だベッドに腰掛けたままのカインを見下ろした。
「三ヶ月だ」
「え?」
「三ヶ月、待っててやる」
 今ここで、カインを引き止めるような真似はしない。これからカインが選ぼうとしている道は、確かにカインにとって必要な時間なのだから。
けれど、このまま行方知らずになんてなられてたまるか。
「自分がどこにいるのか、三ヶ月以内にオレに知らせろ。そしたら、会いに行く」
「…知らせなかったら?」
その質問にエッジは踏ん反り返った。そんな切り返しは予測済みなのだ。
「きっかり三ヶ月過ぎても連絡寄越さないでみろ。エブラーナの国力を挙げて大捜索してやる」
 公私混同?上等じゃねーか。探索任務は忍の得意分野だぜ?
そう言ってニヤリと笑えば、カインが呆れたように溜息を吐く。先刻の微笑もよかったが、やはりこういう表情の方がコイツらしくていいかもな、とエッジが思っていると、カインが立ち上がった。折角見下ろしてやって気分が良かったのに悔しいが仕方ない。
カインは足許に纏めてあった荷物を拾い上げると、渡された花を大切に仕舞う。そのままエッジの横を通り過ぎ、扉を開けたところで振り返った。真っ直ぐな金髪が揺れる背を見ていたエッジと正面から視線がぶつかる。
「ところで王子様」
「王子様言うなっつーの。…なんだ?」
カインが、少し照れたような、若しくは少し不機嫌そうな、何とも判断のつきにくい微妙な表情で口を開いた。
「俺は、あんたの告白に答えを言った覚えはまるでないんだが」
 オマエ、今更それ言うか。
エッジは内心で苦笑する。
どうやら、カインは自分に思考を読み解かれて先手先手で主導権を握られたことがお気に召さなかったらしい。だがそうは言っても、直接言葉にして答えを聞くまでもなく、今までの態度で一目瞭然ではないか。そうでなかったらあの微笑はなんだったと言うのだ。何の為にエブラーナの後継問題にまで配慮したのだオマエは、ととりあえず小一時間程問い詰めてやりたいが、それは次に会う機会に回すことにする。代わりに、エッジはひょいと肩を竦めて笑って見せた。
「何言ってるの?オマエもオレの事好きでしょ」