建物の外に出ると、太陽はだいぶ西に傾いていた。真夏といっても、あと1ヶ月もすると秋分だ。確実に日は短くなっている。
マンションまでの大して遠くもない道程を歩きながら溜息が出た。これは、仕方ない。昼過ぎからこっちの出来事を思い返す。もう1度溜息が出た。誰だって同じ状況になれば溜息の1つや2つ出るだろう。
教育機関が集まりその関係者が生活するここは所謂学園都市、というやつで、幼稚園児から大学院生に至るまでの多くの学生や教職員らが暮らしている。親もこの都市で仕事に従事している場合を除き、中学までは完全な寮形態だが、高校以上になると学生向けのマンモス団地のようなマンションを借りることも可能で、スコールはそちらを選択したタイプだ。ここで暮らす人々の為に日常生活必需品を扱うショッピングセンターや映画館などの娯楽施設も一通り揃ってはいるが、逆に言うと、ここは地理的に隔絶された場所なので、基本的にこの学園都市内しか行動できる場所がない。今のような長期休暇に入れば、多くの者がこぞって帰省や旅行でここから飛び出していく。この時期ここに残っているのは、帰れないか帰りたくない事情がある者ばかりだ。だから、今日のようなことも、珍しくはない。
2日ほど前から、おかしいな、とは思っていたのだ。自室の窓から斜め左方向に見える同じようなマンションのベランダ。微妙な角度の差で、右隣に住む大学生の部屋からは見えない位置だ。左隣からは見えるだろうが、夏休みに入って、スコールの部屋から左はどの部屋も主が帰省中だった。
布団が、ずっと干しっ放しだ。最初は取り込み忘れたのかと思った。次に、干したまま友人宅にでも遊びに行ってそのまま泊まりこんでるのかと思った。今日になってもそのままなのを見て、とうとう諦めて警察に電話した。案の定、部屋の主は自殺していた。
通報者として警察で一応の事情聴取をされ、尤も、警察の方も慣れたもので、随分こちらを労わってくれたのだが、やはり気が重いものは重い。はぁ、と3度目の溜息が出た。
マンションに着いて、自分の部屋の前まで来ると、デニムのポケットから鍵を取り出す。ガチャガチャと音を立てて鍵穴に差し込むと、隣りの部屋のドアが前触れもなく開いた。
「おかえり」
言葉と共に顔を出したのは隣人のクラウドで、彼はひょいひょいとスコールを手招きすると自室に招き入れた。
「大変だったな」
クラウドが出先から帰ってきたとき、向かいのマンションの前にパトカーが数台停まっていて、その光景はこの都市では偶に見掛けるものだったから「ああ、またか」と思っていたら、その中の1台に年下の隣人が乗っていくのを見つけた。状況を覚って、帰りを待っていたのだ。誰が見たって、楽しいものじゃないのは確かだから。
ほら、と用意していたらしい冷たい麦茶を差し出され、素直に受け取った後、スコールは首を傾げた。
「アンタにしては随分気が利くな…」
そのセリフに、気分を害した様子もなく(というより、自分が元来気の利かないタイプだという自覚を持っている)クラウドは、「お前こそ、忘れてるのか?」と訊き返してきた。
「何を?」
「今日はあんたの誕生日だろ?人のは憶えてたくせに、自分のは忘れてたのか」
人にプレミアムビールを押し付けるように渡していったのは、ほんの2週間前の話なのに。
「あ…」
忘れていたわけではない。今朝起きた時くらいまでは特に感慨はないものの自分の誕生日だということくらいは憶えていた。それが昼過ぎからのゴタゴタですっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「・・・ま、偉そうに言ってもプレゼントは特にない。スマン」
貧乏学生に金銭的余裕がないのは勿論、スコールが喜びそうなものが思い浮かばなかったのだ。まさか未成年にビールというわけにもいくまい。
「何か要望があれば、出来る範囲で答えるが?」
向こう1週間のゴミ出しとか、金が掛からず体力で賄えることならプレミアムビールの礼も兼ねて応えようというつもりでクラウドが提案するとスコールは「いや、別にいい」と言い掛けて、それから僅かに逡巡した。
「なんだ?言ってみろよ」
「…今晩、泊めてもらってもいいか?」
「そんなことでいいのか?」
「ああ」
狭いワンルームマンションだが、一応ベッドの他に布団を敷ける程度のスペースはあるし、予備の布団も使える状態にある。「構わない」と言えば、スコールの顔にほっと安堵の色が広がった。
「この部屋からだと、見えないから」
「・・・あー、あれか」
本日の疲れの原因となった向かいのマンションの1室。さすがにあれが視界に入る位置で眠るのは気が滅入るのだろう。
「お疲れさん」と肩を叩いてやる。しかし、こんなことがプレゼント代わりで本当にいいのだろうかとクラウドは一瞬考えて、まあ本人がいいと言ってるんだからいいか、とあっさり納得することにした。
けれど、せめてものプレゼントだ。クラウドは心を込めて言ってやることにした。
「誕生日おめでとう、スコール」