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祭りの本番はあっという間

 
 
 

 十一月某日。快晴。
早朝から駆けずり回るドタバタとした足音や、笑い声や怒鳴り声が混然一体となってその場を包んでいる。
どこからか美味そうな匂いも漂ってきた。
そんな中、「本部」と看板の掛けられた教室だけはシンと鎮まり返り、ピンと張り詰めた緊張の糸が目に見えるような様子を保っている。そこにいる顔ぶれは年齢にもばらつきがあり、制服私服入り混じっているが共通しているのは左上腕につけられた「本部・全学連」と書かれた腕章だ。
「この日の為に入念な準備をしてきた…。滞りなく今日を終える為に、皆の力を貸してくれ」
教壇に立った人物の、なんだかエラク物々しい言葉に、その場に集う全員が真剣な表情で頷くと、教室を出ていく。残ったのは数人。そのうちの一人が時計を見上げ、先程の言葉の主にこう告げた。
「時間だ」
「一斉放送を」
頷いた一人が携帯電話でどこかに指示を飛ばす。すぐさま、敷地内にピンポンパンポーン、とお馴染みのチャイムが響き渡った。
するとあちこちから湧き上がる歓声と拍手の中、放送はこうアナウンスする。
『ただいまより、ディシディア学園合同学園祭、開場します』
 
 
 
 ディシディア学園都市。
幼稚園から大学院に至るまで教育機関が集まり、学生・教員その他関係者が住む一大学園都市であるここは、首都から電車で三時間近く掛かる距離があり、周辺は田舎の田園風景の中にあって突如として大きな建物が出現する言わば陸の孤島だ。ショッヒングセンターや映画館などの娯楽施設もあるこの都市の中だけで関係者の日常生活は完結しており、勿論、非関係者がわざわざこの辺境の地へと来ることも普段はまずない。
だが、そんな陸の孤島にも、年に一度だけ一般客が押し寄せる日がある。それが、合同学園祭だ。
通常、ディシディア学園では幼稚園・小学校・中学・高校・大学と別個にイベントを開催するが、学園祭だけは合同で開催される。一般客が来る為個別開催では面倒が多いからだ。毎年十一月最初の週末に開催され、土曜は関係者のみの内覧会や生徒の家族も都市の就業者であることが殆どの幼稚園・小学校の発表会の類が行われる。一般客が入るのは日曜のみで、この日がメインだと言っていい。学生たちも年に一度のお祭りに心血を注いでいる。
その学園祭の実行委員会として運営の中心を担うのが、全校学生会連合だ。学生会、というのは所謂生徒会で、中学・高校・大学に存在している。合同学園祭開催にあたり、学生会も合同で実行委員会として組織されるのだ。例年、大学学生会会長が全学連会長として働くことが多いが、今年はその優秀さとカリスマ性で高校学生会会長が全学連会長になった、と話題になった。
 メインの出入り口となる大学正門から模擬店の並ぶ広場までアプローチは花で飾られ、広場中央にも見事な花のモニュメントが出現している。
「見事なものだな…」
「あ、ライト。中々いい出来だろう?」
モニュメントを見上げて感心した様子の青年に、近づいてきた人物が声を掛けた。
「これは君の作か?フリオニール」
「園芸部の力作だ」
「…その園芸部の正規部員は君だけだったような気がするのだが…」
 本来部員数が足りずに正規部活動とは認可されない筈の園芸部だが、中学時代からひたすらコツコツ地道に学園敷地内の花壇の手入れをし続けるフリオニールの姿が高校時代に学園新聞に取り上げられ、署名運動が起こって特別に正規部活動として園芸部が認められたという経緯は学園内では結構有名な話だ。フリオニールが大学へ進学するとそのまま園芸部も大学の正規部活動として認可された。当のフリオニールは署名してくれるなら園芸部に入ってくれればいいのに、と至極尤もな感想を抱いていたことを多くの学生は知らない。
「正規部員は俺だけでも、手伝ってくれるヤツはいるよ」
「そうか」
「ライトは、今日はどこか目的が?」
フリオニールは三つ年上の知り合いにそう尋ねる。
今年大学院に進学したこの知り合いは、サークルに入ったりもしていないから学園祭は気楽に楽しめる身分だったはずだ。
「今年は例年にも増して大規模イベントがあるようだからな。恙無く運営されているか気になって見て回ろうかと…」
「…もう運営側から解放されたんだからもうちょっと気楽にしてもいいと思うぞ…」
学園祭を楽しもうという意思がないらしいライトにフリオニールが苦笑する。
「気になるものは仕方があるまい」とフリオニールに軽く挨拶してお祭り騒ぎの人ごみの中へと歩き去っていくライトの背中は、ピンと張って眩しい。
 その、あまりに威厳に満ち溢れた様子から入学したての大学一年時より大学学生会会長に選出され丸四年采配を振るい、勿論全学連でも会長を務め続けた彼を、学生たちはプレジデント・オブ・ライト、光の会長と呼ぶ。大学院へと進学して学生会からは引退しても、光の会長は健在ということか。
「これは凄いプレッシャーだろうなあ」
フリオニールが呟いたところへ、まだ開場して間もないというのに既に模擬店の焼きそばやホットドッグを胸に抱えた友人が近づいて来た。
「フリオ、なんか食う?」
「いや…。バッツ、買い込み過ぎじゃないか?」
「このキャベツ焼きはボコたちにやろうと思ってさ」
学科は違うが一般教養科目の講義で一緒になることが多く仲良くなったバッツは、獣医学科飼育のチョコボをこよなく愛する男だ。
「今ライトとすれ違ったけど、あいつは1人で回るのか?」
「…恙無く学園祭が運営されているか気になるから見て回るんだそうだ」
「もうさ、光の会長、全学連の終身名誉会長とかでよくね?」
 折角のお祭りなのに、よくやるよなあ。
ホットドッグを頬張りながら言うバッツにフリオニールも頷いて、それにしても、とバッツを見た。
「今そんなに食べたら昼飯入らないだろ」
「昼飯食ってる時間ないじゃん」
「…なんでだ?」
バッツは驚いた様子を隠さず言った。
「え、フリオ、忘れてたのかよ。ブリッツのチケット、ティーダがわざわざ取ってくれただろ」
「……あ」
そうだ、学園祭のイベントの中でもメインの一つに数えられているブリッツボールの親善試合。競争率の高いそのチケットを、「見に来いよな」と同じ寮生でブリッツボールチームのエースであるティーダがわざわざ取ってくれたのだった。今朝まで掛かった花のモニュメントの仕上げに集中していてすっかり忘れていた。チケットは財布に入っているから問題ない。ここでバッツに会ってよかった。
「バッツ」
「ん?」
「焼きそば、くれ」
試合が始まれば白熱して食べている余裕などないだろう。
「ほいよ」
フリオニールに気前よく焼きそばのパックを渡してバッツは笑った。
 おれっていい友達だ、と。
 
 
 
 バッツが大量のキャベツ焼きを抱えて意気揚々と獣医学科棟のチョコボファームへの道を歩いていると、進行方向から見知った顔がやってくるのが見える。
「あれ、ティナ、どうしたんだ?」
フリオニールの園芸部の手伝いで知り合ったティナは高校三年。家庭部に所属する彼女は今頃模擬店の喫茶室で大忙しのはずなのだが。
「下拵えで出た端物をエサに使ってもらおうと思って持ってきた帰りなの」
「お、サンキュ。ボコ達も今日はエサがいっぱいで喜んでるな」
「今日はたくさん働くんだものね」
獣医学科が学園祭で行うチョコボ乗り体験イベントは、子供を中心に毎年大人気の企画だ。チョコボを飼育している施設は少なく、その頭の良さと愛くるしさに魅せられた子供が、この体験を機にディシディア学園大学獣医学科を目指す、という例もある。
「ティナはこれから喫茶室か?」
「うん。あと一時間くらいは。その後はブリッツを見に行くわ」
「大丈夫なのか?お昼時って掻き入れ時だろ?」
「ティーダがチケットをくれたって言ったら、それは見に行けってわたしのシフトを調整してくれたの。わたしは夕方と片付け担当」
プラチナチケットとも言うべきブリッツボールのチケットを、学園が誇るエース自ら渡してくれたと言ったら皆が融通を利かせてくれたのだ。
「そっか。よかったな~」
「バッツは?」
「おれもボコたちに差し入れ」
キャベツ焼きの山を見てティナも納得したように頷いた。
「バッツも試合見に行くんでしょう?」
「おう、あんな試合のチケット取れるなんて普通じゃありえないもんな!」
「ジタンがくやしがってた」
「あー、あいつ、演劇部のリハがあるから見られないんだっけ」
ブリッツボールの親善試合が終わると、今度は大講堂でもう一つのメインイベントである演劇部の公演がある。演劇部所属の友人の名をティナが出すと、バッツも残念だよなあ、と同意する。
「でも、ティーダも演劇部は見られないってくやしがってたから仕方ないよね」
試合で体力を消耗する上、試合後の軽いミーティングなどもあるティーダもまた、試合終了後間もなく始まる演劇部公演は見られないのだ。
「ちなみに、演劇部のチケットは?」
演劇部の公演も人気が高く、特に今年は客演を招いての公演なので競争率は跳ね上がった。
「ジタンがくれたわ」
「おれも」
 こういう時にはコネって有り難い、と二人は笑った。
 
 
 
 ブリッツボールは非常に人気のあるスポーツだが、なにしろ設備が特殊で設置にも維持にも他のスポーツの倍以上の金額を要する。それ故にブリッツボールはプロリーグとアマリーグしか存在しない。他のスポーツのように学校単位でチームなどできないからだ。ディシディア学園ブリッツボール部も中学から大学院までの混合チームである。
そのディシディアブリッツボール部は現在アマリーグ三連覇中の強豪チームで、毎年学園祭ではプロチームを招聘しての親善試合を行っている。今年はプロリーグ王者にして最も人気のあるザナルカンドエイブスを招聘したからその観戦チケットはネットオークションで定価の三十倍の値がついたという。
 ブリッツスタジアムの地下、選手控え室を覗き込んだティナは目的の人物を見つけてにっこり笑った。
「ティーダ、今大丈夫?」
「ティナじゃないっスか。ミーティングも終わったし、へーき。なんかあった?」
 ブリッツボールチームのエース、ティーダは高校二年。一学年下で校内では接点がないが、ティナがよく手伝いをしている園芸部のフリオニールと同じ寮生で仲が良いということで知り合った相手だ。
「試合前じゃ食べないかもしれないけど…差し入れ、持って来たの」
はい、とティナが手渡したタッパーを受け取り、中を見たティーダの顔がパッと輝く。
「これ、家庭部のビーフシチューじゃないっスか!」
 ビーフシチューは家庭部が毎年出している喫茶室の中でも圧倒的人気を誇るメニューで、毎年開場と同時に在校生が食券の買占めに走る為一般客に出回ることはまずない幻のメニューだ。当然、朝からミーティングやウォーミングアップで時間が取られるブリッツボール部のティーダも噂に聞くだけで食べられたことはない。
「皆が、持って行っていいって言ってくれたの」
「うわ、マジ嬉しいっス。これを食べられる日がくると思わなかったぁ」
感涙に咽び泣きそうな様子でティーダが言うと、ティナも良かった、と微笑んだ。
「チケットくれたお礼に、と思って。試合、頑張ってね」
「任せといてくれよ。あのオヤジには絶対勝つ!」
ティーダの並々ならぬ意気込みは当然で、親善試合の対戦相手であるザナルカンドエイブスのエースにして最も人気のあるスタープレイヤーであるところのジェクトは、ティーダの父だ。ブリッツのスタープレイヤー、ジェクトの息子がアマリーグトップチームのエースだという話はブリッツファンには有名で、滅多に見られない親子対決に、益々チケットの価値が上がったのは言うまでもない。
「応援してるね」
「ありがと、ティナ。これ、有り難くいただくっス!」
満面の笑みのティーダに釣られるようにティナも笑みを浮かべて、もう一度「頑張ってね」と言うと彼女は控え室を後にした。
 
 
 
 学園祭運営本部があるのは大学の工学部棟で、ここは救護室や拾遺物保管所など、事務的な用途に使われているスペースの為一般客が殆ど入ってくることなく静かなものだ。廊下をパタパタと忙しなく行き来していた高校生が、擦れ違ったライトに会釈する。今年は運営側とは関係がなくなったはずのライトなのだが、光の会長と呼ばれた彼がこの場にいることに誰も違和感を抱いていないのだ。
 本部と書かれた看板を一瞥して、ライトは教室の扉に手を掛ける。中を見て、ほんの少しだけ眼を見開いた。
「君はひとりなのか」
広い教室はガランとしていて、そこには高校の制服を纏った少年が一人窓際に立っているだけだった。何故か共通の知人が多いので互いに見知った顔だ。
「本部に実行委員が揃っている必要はないだろう」
「しかし有事の際に迅速に対応できねば本部の意味がないのではないか?」
ライトも昨年までは学園祭当日は本部に殆ど詰めていたが、一人ではなく、他にも全学連のメンバーが数人待機していたものだ。
「各エリアに支部スペースを作って待機させている。携帯があれば即時性も確保できるし情報の共有もできる」
 高校学生会会長が選ばれたと話題になった今年の全学連会長であるスコールは、真っ直ぐライトを見つめ返してそう言った。二人の視線がバチバチと音を立ててぶつかるようだ。それは剣呑と言っても過言ではない雰囲気だった。
「だが、現場の判断では手に負えない案件もあるだろう。トラブルが重なることだって有り得る。負担を分ける相手を置いておくべきではないか?」
ライトがそう言えば、スコールは一度眼を伏せた後、再び鋭い視線でライトを見据える。
「此処まで上がってくるようなトラブルは俺が俺の権限で以て対処する。去年までのやり方がどうであろうと、俺は俺の道を貫くだけだ」
それに対してライトもまた強い視線でスコールを見た。
「出来るのか。君ひとりの力で」
 第三者がその場にいれば間違いなく、なんで学園祭の運営方法くらいでこんな決闘みたいな空気になってるのか、と頭を抱えるに違いない光景がそこに展開されたのだった。
 
 
 
 控え室に帰ってくるなり、ティーダはベンチに倒れこんだ。
「あー…メッチャくやしい!」
 ディシディアブリッツボール部とザナルカンドエイブスの親善試合は僅差でザナルカンドエイブスに軍配が上がった。さすがはプロ王者としか言いようがないが、そこに僅差で喰らいついたディシディアブリッツボール部もアマ王者の面目躍如と言ったところで、両チームは互いの健闘を称え合い、白熱した試合展開に観客も歓声に沸いた。学園祭のメインイベントとしてはこれ以上ないと言っていいのだが。
「あんのオヤジ、次会ったら叩きのめす!」
試合前のセレモニーに始まり、試合後のインタビューに至るまで繰り広げられた親子喧嘩に両チームメンバーも観客も盛り上がったが、終始父であるジェクトにからかわれ続けたティーダ一人だけは不機嫌極まりない。
「荒れてるね、ティーダ」
ベンチに寝そべったティーダを覗き込むように掛けられた声に、ティーダは頭に被っていたタオルを外す。そこには、年上の友人がこちらに向かって穏やかに笑い掛けていた。
「セシル、来てくれたんだ」
「勿論だよ」
 大学進学と共に寮から学生向けマンションへと移ったセシルは、寮生時代には三つ年下のティーダの家庭教師役を務めてくれた相手だ。ティーダが中学での成績をそこそこに保っていられたのは偏にセシルが根気よく優しく時には泣きそうな程厳しく教えてくれたからに他ならない。
「フリオとかは?」
「きみが不機嫌だろうから、触らぬ神に祟りなしだって。大講堂に行っちゃったよ」
「うわ、ひでぇ。友達甲斐ないぞー!のばらー!」
力の抜けた声でこの場に姿を見せなかったフリオニールへの文句を言った後、ティーダは勢いよくベンチの上に起き上がった。
「いい試合だったよ。ジェクトさんに負けたのはくやしいだろうけど、よく頑張ったと思うな」
 アマチュアがプロに肉迫するということの凄さを、もっと誇ってもいいと思うよ、とセシルが宥めてくれて、ティーダはようやくムシャクシャする心を落ち着ける。
「サンキュ、セシル」
「どういたしまして」
「セシルも演劇部見に行くんだろ?時間、大丈夫っスか?」
控え室の壁に掛かった時計を見てティーダが問えば、セシルもそちらを見た。
「そろそろ行かないと、かな」
開演まではまだ余裕があるが、ジタンの控え室にも顔を出すつもりだから、そろそろ行かないとまずいだろう。その言葉にティーダも頷く。
「オレはこの後ミーティングだから行けないけど、がんばれってジタンに言っといて」
「オーケイ。伝えておくよ」
もう一度ありがとな、と言うティーダに、セシルも笑って頷いて出て行った。
 
 
 
 大講堂にあるいくつかの出入り口のうち、関係者口と張り紙が貼られたそこへセシルが近づいていくと、全学連の腕章をつけた学生に止められた。今年の演劇部の公演はジドールのオペラハウスで歌姫と名高いマリアを客演に迎えている為警備も厳しくなっているのだ。これは楽屋に顔を出すのは無理かな、と思いつつセシルが学生証を見せて用件を伝えると、存外あっさりと通される。
「ジタン、いるかい?」
楽屋の入り口で顔だけ覗かせれば、既に衣装を纏った年下の知り合いが芝居掛かった一礼をして迎えてくれた。
「これはこれはセシル殿。ご機嫌麗しゅう」
「あはは、そんな衣装を着て言われると、ちょっとどこかに迷い込んだみたいな気になるね」
「全然本気に聞こえないんだけど?」
セシルが笑うと、冗談めかして拗ねてみせる。演劇部の看板役者のジタンは高校一年で、セシルはバッツ経由で知り合った。バッツとジタンが知り合った経緯は知らないが、二人とも恐ろしく学園内に顔が広いから、幾らでも接点はあったのだろう。
「フリオとバッツとクラウドもさっき来てくれたぜ」
「ああ、三人とも触らぬ神に祟りなし、でティーダのところには顔出さなかったからね」
「負けたんだって?すげぇ接戦だったって聞いたけど」
 あー見たかったなぁ、とジタンが言えば、ティーダも演劇部見たがってたよ、とセシルが伝える。
 全国大会上位常連のディシディア学園中学高校演劇部の公演は、美術や音楽に大学芸術学部の学生の協力を得て行われることもありレベルが高いと評判だ。中でも高校一年にして主役を張るジタンの演技力はどこぞのプロダクションからスカウトが来ただとか、まことしやかに囁かれている程だった。
「それにしても客演にあのマリアだなんてよく来てくれたね」
「前に、カジノ船ブラックジャックの観劇イベントに招待された時にさ、マリアもいたんだよ。で、レディに優しいオレはすっかり気に入られて連絡先教えて貰ってたってわけ」
「抜け目ないねぇ」
「レディに優しくするのは世界のジョーシキ!」
胸を張るジタンに、はいはいと頷いたセシルは不思議そうに首を傾げる。
「だけどそのわりにここまであっさり通してもらえたけど、平気なのかい?」
「ああ、マリアの楽屋はこっちの通路からは舞台通らないと行けないんだ。関係者口で全学連が警備に立ってるのはカモフラージュだよ。不審者とか熱狂的なファンがいるとも限らないからって運営本部からそういう指示が出たんだ」
 外部から有名人を客演として迎えるにあたり、今年は運営本部である全学連ともかなりの協議を重ねたのだ。
「今年はブリッツも凄かったし、全学連も大変だろうね」
「来場者数も記録更新確実だって話だぜ」
そうだろうね、と相槌を打ったセシルは手許の腕時計に視線を落とし、そろそろお暇するよ、と口にした。
「楽しみに観させて貰うから」
「ああ。力作だから、期待しててくれよな」
親指を立てて自信満々に言うと、ジタンはセシルが楽屋を後にするの見送った。
 
 
 
 衣装を脱いでメイクを落とすと達成感がじわじわとジタンの中に広がっていく。
鳴りやまない拍手の中カーテンコールをするときの興奮。客席の顔が皆笑顔であることを確認したときの満足感。あれは一度経験したら病み付きになる。
演劇部の年間予定の中にいくつか大きなイベントはあるが、規模や予算の点からも最も力を入れているのがこの学園祭公演だ。それをやり遂げた達成感は何とも言えない。
 制服に着替えたジタンが伸びをしていると、楽屋のドアを開けて中学の制服を纏った少年が顔を覗かせた。
「あ、お疲れ様。ジタン、外出られる?」
「よっ、ネギ。どうした?」
 ネギ、と呼ばれた少年の左上腕には全学連の腕章がつけられている。今年中学に入学した彼は一年ながら中学学生会のメンバーなのだ。オニオン、という名からジタンなどからネギと呼ばれている。ちなみに、玉葱だとかタマだとか色々呼ばれることには本人も慣れているというか諦めているので反応しないが、変な名前、と言うと烈火の如く怒るので禁句だ。なんでも、オニオンを含め小型機墜落事故で奇跡的に助かったものの孤児となった四人の赤ん坊を最初に引き取って里親探しに奔走してくれた人物がつけた名前らしく、他の三人にもそれぞれポテト、ラディッシュ、キャロットと野菜の名がついているのだという。野菜のチョイスは「煮物料理に必須」というよく解らない基準でされたものらしい。
彼は男子寮女子寮共同で行われる入寮オリエンテーションの際にティナと仲良くなり、そこからジタンも知り合いになった。
「マリアさんがお帰りになるよ。挨拶するでしょ?」
全学連のメンバーとして、オニオンはマリア用の出入り口や通路の巡回その他諸々を担当していたのだ。
「後夜祭までいりゃいいのになあ」
「そこまでこっちの仕事増やさないでよ」
げんなりした様子でオニオンが言うところを見ると、やはり有名人が来たことで小さなトラブルは頻発していたらしい。
「で、ネギが持ち場離れて大丈夫なんだろうな?」
「通用口の前まで車をつけてあるよ」
「マジ?よく車通れたな」
ジタンが驚いたように言った。
ついでに言えば敷地内は車両乗り入れ禁止のはずだが、特例ということか。
「遠回りだけど駐車場から大学農学部菜園と小学校校舎の脇を抜けてくると入れるんだよ。あの辺りは立ち入り禁止区域にしてあるから」
「おお、用意周到~」
「僕の独断じゃなくて会長の指示」
「さすがスコール」
口笛を吹いて称賛すると、オニオンがそれはいいから早く、とジタンを促す。
「早くしないとマリアさん帰っちゃうよ」
「レディを待たせちゃまずいな。ネギはこれで仕事終わりなのか?」
「本部に腕章返却したら自由時間」
 大学学生会と高校学生会のメンバーはほぼ終日拘束されるが、中学学生会メンバーは早めに担当業務が切り上げられ自由時間が与えられているのだ。
「じゃあ急ぐとすっか」
「うわ、いきなり駆けださないでよ!」
狭い通路を器用に駆けていくジタンの後を追って、オニオンも駆けだした。
 
 
 
 模擬店と客でごった返す道をオニオンは小走りで擦り抜けていく。学園の敷地の大部分を使って開催される学園祭だから移動も一苦労だ。大講堂は高校校舎に近いところで、運営本部のある大学工学部棟は大学の敷地の中でも端の方だから、移動には大学の敷地をほぼ横切らなくてはならない。
 時間ないのにな。
オニオンは真っ直ぐには進めない状況に焦りながら思う。本部に腕章を返却したら取って返して高校校舎内の家庭部の喫茶室へ行くのだ。今ならティナがいるはず。折角彼女が「食べに来てね」と幻のビーフシチューの食券をくれたのに、喫茶室のラストオーダーまでもう時間がない。この混雑の中、本部へ行って帰ってきたら間に合うかどうか。
「…ニオン、オニオン」
人混みの中から名を呼ばれた気がしてオニオンが振り返ると、そこにはティナを経由して知り合ったフリオニールを更に経由しての知り合い、クラウドが立っていた。
「ああ、クラウド、えっと、あのごめん、僕急いでるんだ」
そう言って踵を返そうとするオニオンをクラウドが止める。
「待て。全学連の仕事は終わったのか?」
「うん、だから本部に腕章返しに行くんだよ。ほんとに急いでるんだ、いい?」
半ば苛々とした様子を隠さないオニオンに苦笑いしながら、だから待て、とクラウドは再び言うと右手を差し出した。
「…なに?」
「腕章、本部に返すだけでいいんだろう?ついでだ。返しといてやる」
「え?」
「拾遺物担当に知り合いがいてな。この辺の支部スペースに届けられたものを纏めて運んで来いと扱き使われてる最中なんだ」
言われてみれば確かにクラウドは片手に紙袋をいくつか持っている。拾遺物保管所は本部と同じ大学工学部棟にあるから、まさしくついで、なのだろう。
「いいの?」
「腕章返すくらいなら、な」
「じゃあ…お願いします」
オニオンが左腕の腕章を外し、それをクラウドの手に渡す。
「確かに返しておく。急いでるんだろ?行け」
「うん、ありがとう!」
嬉しさを隠さずに駆けていくオニオンを見送って、クラウドは荷物を抱え直した。扱き使われていると言っても、この労働は後夜祭の缶ビール一本に化ける約束である。
この程度の労働がビールに化けるのであれば安いものだ。
既に意識を半分程冷えたビールに飛ばしながら、クラウドは西日の中を歩き出した。
 
 
 
 拾遺物保管所で運んできた物の整理を、更にビール一本追加を餌に手伝わされた後、オニオンから預かった腕章を手にクラウドが運営本部の扉を開けると、中にいたスコールがこちらを見た。
「なんでアンタが…」
「オニオンの腕章を預かってきたんだが。お前、一人なのか?」
 確か昼間にも同じ事を訊かれた、とスコールの眉間に皺が一本増える。まさか昼間に光の会長とスコールの間にそんな遣り取りがあったことなど知る由もないクラウドは、機嫌を損ねるような質問でもないだろうと首を傾げつつ腕章を手渡した。
「無事に終わりそうで良かったな」
「ああ」
 大学生のクラウドと、高校からの編入組で高校二年のスコールでは学園内での接点は皆無だが、マンションの隣人であるクラウドは、ここ最近のスコールの帰りが高校生にしては随分遅かったことを知っている。学園祭を円滑に運営・実施する為にあちこちと打ち合わせを重ねてきたのだろう。
「お前、今日一日ずっと本部詰めだったのか?」
「ああ」
「一人で?」
「…まあ、だいたいは」
「昼飯は?ちゃんと食えたのか?」
「……」
ほぼ一人で本部詰めだったのなら食事も儘ならないだろうと思ってクラウドが訊けば、案の定ばつが悪そうに視線を逸らされた。
 高校生なんて、いくら食べても腹が減る年頃だろうに、どうもスコールは食に興味を殆ど示さないのだ。確か低血圧で起きてから暫く経たないと胃が食べ物を受け付けないと話していた憶えがあるから、下手すると朝食だってまともに食べていないのかもしれない。
 クラウドは手近な椅子に腰を下ろすと携帯電話を弄り始める。
「…何故ここに居座る」
スコールが訝しげにこちらを見るが、それには答えずクラウドは逆に質問した。
「後夜祭は基本的に有志が運営するから全学連は精々撤収の指示出すくらいで仕事はなかったはずだな?」
「…ああ。本祭が閉場して一般客が学園内に残ってないことを確認するまでがこっちの管轄だが、それが?」
しかしクラウドはスコールの問いには答えようとせず、相変わらず視線は携帯電話の画面へと向いている。その態度にスコールが文句の一つも口にしようすると、タイミング悪くスコールの携帯電話がメールの着信を知らせた。
スコールは届いた内容を確認し、全学連のメーリングリストを使ってメンバー全員に指示を出す。
メールを送り終えたスコールが顔を上げた時、閉場を告げるチャイムが学園内に鳴り響いた。
 
 
 
 嵐のような一日だった、とスコールは思う。
朝から言葉通りの本部詰めで一歩たりとも外へ出なかったのに、どっと疲れた気がする。
 メインのイベント会場や各エリアに運営支部スペースを設け、全学連のメンバーを少人数チームに分けて配置する。各チームには大学・高校・中学学生会メンバーをほぼ均等に割り振った上で大学学生会メンバーをチームリーダーにしてある程度の権限を委譲し、現場で迅速に対応できる体制を整えた。その意図は概ね功を奏し、スムーズな運営が出来た方だと思う。
だが、全国的人気のブリッツチームの招聘や、有名な歌姫の客演といった例年よりも大規模なイベントがあったこともあり、トラブルの数も例年以上でスコールも日中は頻繁に対応に追われることとなった。正直、もう少しのんびり出来ると考えていたのだが。
 元々学生会自体入る気なんてなかったのに、気づいたら推薦されて何故自分がと思っているうちに会長に就任させられていた。全学連にしても、例年は大学学生会会長が会長になるのが暗黙の了解だと話に聞いていたのに、どうしてだか自分を除くメンバー全員の賛成で以って異例の会長にさせられたときは、これは実は自分に対する嫌がらせなんじゃなかろうかとスコールは真剣に疑ったものだ。
 挙句に眩しいヤツには絡まれる。
昼間の遣り取りを思い出してスコールは溜息を吐いた。
相手の性格からして、本人にそんなつもりがないことはスコールも理解しているのだが、スコールから見れば「絡まれた」としか言いようがない、と思っている。
 しかしとりあえず大仕事は終わったのだ。まだ明日以降会計報告の作成など事務処理は残っているが、そんなものは淡々と進めていけるものだから大した苦ではない。これでやっと日常生活が戻ってくる。後夜祭で盛り上がる高校校舎前の広場の隅で、スコールが疲れを吐き出すようにもう一度息を吐いた時。
「スコール」
背後から掛けられた声に、思わず更に溜息を吐きそうになった。
 今度は何だ。
そう思いつつ振り返れば、そこには今さっき思い出していた眩しいヤツ、光の会長ことライトが立っている。
「…随分な荷物だな」
振り返ったスコールの腕に抱えられているものを見て、ライトが感心したように口を開いた。
「これはクラウドが…ああ、いや、バッツか?アイツらが食べろって無理矢理渡していったんだ」
「なるほど」
 結局一般客の退出確認が終わり運営本部が一旦解散するまで本部に居座ったクラウドに、有無を言わさず後夜祭会場まで連れて来られたスコールは、そこで待ち受けていたらしいバッツにホットドッグやクレープや、とにかく手当たり次第閉場間際でもまだ買うことのできた模擬店の食料とお茶のペップボトルを渡されたのだ。どうもクラウドがメールでバッツに食料を確保するよう依頼していたらしい。その二人は「ビールが呼んでいる」と何処かへ行ってしまった。
「食べるにも限度ってものがあるだろ…」
どう考えても処理しきれない量の食料を見て眉を寄せると、伸びてきた手がホットドッグを取った。
「一つ頂こう」
威風堂々としたライトがホットドッグに噛りつく図というのは中々見られるものではないな、と思いながらスコールもクレープに食いついた。なんだかんだ言って腹は減っているのだ。クラウドやバッツの心遣いは有り難かった。
「しかし彼らは何故君にこんなに食べ物を?」
「…俺が昼飯を食べ損ねたからだ」
 昼間の遣り取りがあった以上、ライト相手にトラブル対応に追われていて食事の時間も取れなかったと言うのは癪に障らないでもなかったが、ここで下手に嘘を吐いて誤魔化すのも意地を張っているようで子供っぽいだけだ。出来得る限り素っ気無く簡潔に答えたスコールに、ライトは特に変わった様子もなく、そうか、と返した。
あまりにライトが反応を示さないものだから、スコールの方がつい要らぬ付け足しまで口にしてしまう。
「もっと余裕があるつもりだったんだ」
そこで初めてライトが反応した。
「何故だ?」
「え?」
 何故って、何が?ああ、「何故余裕があるつもりだったのか」ってことか?見通しが甘いとでも説教したいのか。
頭の中で色々邪推して、しかし実際予想よりも余裕がなくなったのだし見通しが甘いと言われても仕方ないと諦めてスコールは口を開く。
「支部にメンバーを分けてある程度の権限も渡してたからな。大抵のことは彼らなら充分対処できる。俺のところまで持ち込まれるトラブルは正直少ないと考えていた」
 さあ、見通しが甘いと嘲笑いたいなら嘲笑え、と半ば自棄気味にスコールがライトを見ると、予想に反してライトは穏やかな表情でスコールを見つめていた。
「私は、君を誤解していたようだ」
「…?」
 誤解?何が?とスコールの頭の中で疑問符が渦巻く。
「君が本部に一人で詰めていたのは、君が同じ全学連のメンバーの力を評価していないからだと思っていた。だが、逆だったのだな。君は彼らの力を信頼していたからこそ、本部には自分一人が保険として詰めていれば大丈夫だと判断したのだな」
「他人を評価なんて出来るほど俺が何かできるわけじゃない」
あっさりと、何を当たり前のことを言っているんだと言いたげな様子でスコールが答えれば、ライトは緩く笑って目を伏せた。
「そうだな。当たり前だったな」
そう言って、食べかけのホットドッグにまた齧り付く。スコールも同じように食べかけのクレープを消化することに専念した。
 無言の二人の背後で、後夜祭恒例の花火が上がった。素人が扱える市販のものだが、会場は盛り上がる。
 
 
 
年に一度の祭りが、無事に終わろうとしていた。