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それはもう引き返せない渦 2




 目の前が、真っ赤に染まった気がした。
クラウドの耳に届いたのは、悲痛なまでの叫び。一瞬、頭が目の前の状況を理解する事を拒否した。
数メートル先に揺れる長い銀髪は、確かに自分が追い、因縁を断ち切るべき男のもの。
では、その体越しに見えるのは?悲痛な叫びを発したのは?
「…スコ、ール…?」
それは確かに、この世界で出逢った大切な存在。
「いいところに来たな、クラウド」
銀髪の男から発せられる、心の底から愉快そうな声音に、不覚にも体に震えが走った。それは、目の前の光景から導き出される答えを認めたくない心の怯えだったのかもしれない。
「セフィロス…」
バスターソードに手を掛けながら、因縁深い相手の名を呼ぶ。呼ばれたセフィロスは、背後のクラウドの不穏な気配に気づいているだろうに、慌てる様子もなくゆっくりと身を起こした。ビリビリと電撃の如く目に見えるかのようなクラウドの殺気を泰然とその背に受けたまま身繕いするその姿には、今この場の支配者が自分であることを確信している余裕がある。
 男の向こうに倒れたままのスコールは気を失っているらしかった。
セフィロスの動きに合わせて揺れる長い髪やコートの向こうに見え隠れする力を失った体。乱雑に衣服を乱され剥き出しにされた胸や下肢を見れば、遠目にもそこで何が行われたのかを察するのは容易い。知らず、バスターソードを握る手に軋みそうな程力が込められる。背後のクラウドのそんな様子をまるで克明に見て取ったかのように、セフィロスが口を開いた。
「なかなかいい声で啼く獣だ。お前が仕込んだのか?」
「貴様…っ!」
怒りの衝動のまま、バスターソードを振りかぶり距離を縮めようとしたクラウドの動きは、振り返ったセフィロスが身の丈を越える長い愛刀を無造作に持った動きに止められる。
その鋭い白刃の輝きが捉えるのは、意識を失い力なく横たわるスコールの無防備に晒された首筋。刀を構えてすらいないセフィロスは、けれど確かにほんの僅かな腕の動きでクラウドの大切な者を奪い去れる位置にいた。
「くくっ、怒りの表情は人形にしては良く出来ているな」
「俺は、あんたの人形なんかじゃない」
「私の導きを享受するだけの存在が、大した口を利くものだ」
嘲笑にも見える表情を浮かべたセフィロスがほんの僅かに腕を引くと、鋭い刃が横たわるスコールの首にピタリと寄せられる。無造作でありながら薄皮一枚だけを切り裂く精緻な動きによって、白い首筋に、つ、と赤い一線が現れた。それでもスコールが目を覚ます気配は微塵もない。黒革のジャケットのおかげで目立たなかったが、よく見れば捲り上げられたシャツやジャケットのファーが赤く染まっている。右肩辺りに怪我を負っているようだった。傭兵という生業故に元来他人の気配、とりわけ殺気には瞬時に反応するスコールが凶器を急所に押し当てられて尚覚醒しないのは、その怪我に因る失血の所為なのだろう。
「そいつに触れるな」
愛用の大剣を構え直し、クラウドはいつでも跳躍できる姿勢を取る。スコールの怪我に気づいたおかげで、少しだけ普段の冷静さを取り戻すことができた。今は怒りの衝動に任せてセフィロスを倒すことよりも、一刻も早くスコールの状態を診ることの方が先決。その為にはいつでもスコールの命を奪える位置に立つセフィロスをそこから離さなければならない。怒りに任せたままでは、間合いとタイミングを読み違える。
「ほう…」
 自分と同じ人工的な青さを湛えた双眸に滾っていた怒りの焔が鎮まり、無機質にも見える冷静さを取り戻したことにセフィロスは驚嘆とも落胆ともとれる息を零した。つまらない。人形が紛い物の怒りに我を忘れる様を愉しむつもりだったというのに。
 明らかに興を削がれた様子のセフィロスに対し、クラウドは警戒を怠らない。元よりセフィロスは決着をつけるべき相手であって興味を満足させてやる意思などこちらには微塵もないのだ。しかも現状でセフィロスの興味を満たすということは、即ちスコールがその為に有用な駒であると実証するようなもの。これ以上、自分たちの因縁に彼を巻き込むわけにはいかない。
だがセフィロスにしても、クラウドが今自分の足元に横たわる若い獅子の為に必死になっていることは当然理解している。そう、敢えて言うならば、セフィロスが思っていた以上にクラウドにとってスコールが大切な存在であったという確認の場になっただけだ。ならばいずれこの獣は、人形により深い絶望を贈る道具となってくれるだろう。
「今日のところはここまでにしておこう。また会おう、クラウド」
 その時にはより深い絶望に嘆き狂う様を見せてくれ。
不穏な言葉を残し、闇に融けるようにセフィロスは姿を消していく。
完全に闇の気配が消えた事を感じると、バスターソードを握る手にどっと重みが増した気がした。それで自分が酷く緊張していたことを知る。知らず詰めていた息を吐き出すと愛剣をしまい、クラウドはスコールの元へと走った。
「…っ」
 固く閉ざされた瞼、青白い頬、噛み締めすぎて血の滲んだ唇。
気を失ってなお、苦悶に歪む表情を見て、クラウドの手にぐっと力が込められる。
 悔いるのは、後だ。
自身にそう言い聞かせ、クラウドはスコールのジャケットを慎重な動きで脱がせた。右の鎖骨の下辺りに刺し貫かれた傷が現れる。幸い骨に異常はなく、内臓や動脈も傷ついてはいないようだった。
「ケアル」
回復魔法を何回か唱えると、傷口はなんとか塞がる。とりあえずこれでこれ以上失血する恐れはなくなった。しかしクラウドに扱える初級回復魔法だけでは完全な回復には至らない。既に流れ出た血液が戻るわけでもなく、早くベースキャンプに戻って高位の回復魔法を使える仲間に頼むなり、ポーションを使うなりして傷の完全な治療と体力の回復を図らなくてはならないだろう。
 だが。
クラウドは乱れたスコールの衣服を申し訳程度に直してやりながら思案する。
 このままキャンプに戻れば、スコールの身に何が起こったのか仲間たちに知れることになる。スコールにとってそれは、ただでさえ傷つけられた矜持を更に傷つけることになるだろう。
キャンプに戻る前に、水場で陵辱の痕を流さなくてはならない。遠回りになるが仕方ない、とクラウドはスコールの体を抱え上げようとした。しかし、その動きが不意に止まる。
 グローブを嵌めた指でそっと青白い頬を撫でる。そこに微かに残っていたのは、涙の痕。
それは生理的な涙だったのかもしれない。普通に考えればきっとそうだ。スコールはそのプライドの高さ故に、こんな状況に屈して感情的な涙を流すことを決して自分に許しはしないはずだ。
けれどクラウドには、この涙の痕がスコールの心の痛みの表れに見えて仕方がない。そしてそれは、この場に現れたクラウドに放たれた悲痛な叫びと共に、クラウドを責める杭になる。
 自分がスコールを愛した所為で、彼を因縁の渦に巻き込んでしまった。
クラウドもスコールも、コスモスに召喚され、カオスに召喚された者と戦う為にこの世界に存在する戦士である以上、スコールがセフィロスと相見える機会は当然ある。実際何度か戦っていたはずだし、怪我を負ったことだってあった。だがそれはあくまでも相対する神に召喚された戦士として、に過ぎない。本音で言えば怪我などして欲しくないと思いはするが、それは互いに思うことであるし、それでスコールが戦場に赴くことを止めたりはしない。それは戦士としての彼を侮辱することに他ならないからだ。
しかし今回は明らかに状況が違う。セフィロスは相対する陣営の戦士としてスコールの元へ現れたのではなく、断ち切れない因縁を持つクラウドを揺さぶる為にスコールを襲ったのだ。クラウドがスコールを愛したから、ただ戦って傷つけるのではなく陵辱という形を取った。
誇り高く、そして繊細な彼の心に大きな傷跡を残した。ただ、クラウドを苦しめる為だけに。
「…すまない」
ぽつり、と零れた言葉は意識を失ったままのスコールに届くはずもなく。
もう一度青白い頬を撫で、乱れた前髪を払ってやると、クラウドはスコールの体を抱え上げ歩き出した。

腕に掛かる力ない体の重み以上の重苦しさを、その胸の内に抱えながら。