「えぇと、スコール…?」
フリオニールは戸惑い気味に目の前の相手に声を掛けた。
「なんだ?」
対するスコールは極々当たり前にそう返してきて、そうすると何か用があったわけでもないフリオニールは慌てて「なんでもない」と手を振るしかない。
「…ヘンなヤツだな」
スコールは追及するでもなくそう言って首を傾げた。
やっぱり、おかしい。
フリオニールはそう思う。何がおかしいって、スコールに決まっている。
用もなく声を掛けられて、それを追及もしなければ、機嫌を損ねもしないなんて。
なんというか仮にも恋人に対してこんな評価を下すのもどうかとは思うのだが、スコールは間違いなく気難しいタイプだ。普段は無表情というより不機嫌そうだし、二人きりの時はそれに拍車が掛かる。本当に不機嫌なわけではなくて、未だ恋人と二人きりという空間での身の置き方が掴めずに戸惑っているだけなのだと理解するまではフリオニールも相当焦ったものだった。
だが今のスコールは一体どうしたことだろう。
いつもは硬く引き結ばれている唇は錯覚でなければ花のように綻んでいるし、普段は凛と怜悧な視線も今は柔らかく潤んでさえいるように見える。
絶対に、おかしい。
フリニールはそう確信して、もう一度意を決してスコールに声を掛けた。
「スコール…何かあったのか?」
「…何もないが?」
不思議そうにそう答えて、それからスコールは恋人が酷く怪訝そうに自分を窺っている理由に気づいたらしい。
「本当に、何もないんだ。ただ…」
「ただ?」
「なんだか、すごく幸せな気持ちなんだ」
理由など判らない。ただ気づいたらとても幸せで満ち足りた気持ちになっていたのだとスコールは言う。
「アンタがここにいて、俺がここにいて、それだけのことが嬉しい」
そう口にするスコールの様子が本当に幸せに満ちていて、フリオニールはあれこれ考えることを止めた。
中々笑ってくれない恋人が、今こんなも幸せそうに微笑んでくれるのに、あれこれ考えることなんて何もない。
「スコール」
「なんだ?」
「傍に行っても?」
そう尋ねればスコールが両手を伸ばしてくれるから、フリオニールは迷わずその体を抱き締める。
恋愛沙汰に不慣れな者同士、いつもはこうして触れ合うのにももっと戸惑いや気恥ずかしさが付き纏うのに、今は素直に行動に移せる。気づけば、自分にも幸せな気持ちが伝染しているのかもしれないとフリオニールは思った。
スコールが言ったとおり、理由などなく、ただこの空間が幸せで、この時間が愛しい。
暫くそうして抱き合っていると、くいくい、と後ろ髪を引っ張られた。
それだけで、何を求められているのかが不思議なくらいよく解る。
フリオニールは一旦体を離すと、間近にあるスコールの眼を覗き込むようにして言った。
「…あいしてる」
言葉をそのまま贈るように、唇を重ねる。
今ここに満ちる幸せと、それを形作るすべてのものを。
あいしてる、あいしてる、あいしてる。
記事一覧
あいしてる
本来年末年始ってのは厳かに迎えるものなんだ
冬休みは夏休みに比べて短いながらも、この街に残る人の数は夏よりも少ない。帰りたくない事情を抱えている者すら帰らないわけにはいかない事情があったりするのが年末年始だ。1年の終わり、若しくは初めくらい、という心理が働くのかもしれない。
だからこの大晦日にこの街に残っているのは、よっぽど頑なに帰りたくない意志を貫いているか、帰る場所がないかのどちらかだ。
人通りのない閑散とした道路を歩きながら、スコールは白い息を吐き出した。住人の殆どが出払ってしまった寂しい街で、それでも24時間営業をしてくれるコンビニエンスストアには頭が下がる。まあ、ショッピングセンターが閉まっている以上、数少ないながらもここに残っている住人たちが挙って利用する事を考えたら掻きいれ時なのかもしれないが。
誰とも擦れ違う事もない道では、スコールの持つビニール袋の中で缶が擦れる音が必要以上に大きく響く。その音が少し耳障りだ、なんて思っていたから、後ろから掛けられた声に反応が遅れた。
「…え?」
多少間抜けた返事になったのは致し方ない。閑散としたこの時期、大晦日の夜に道で知り合いに声を掛けられるなんて事態、まるっきり想定していないのだ。
しかも、声を掛けてきた相手がこれまた想定外も甚だしい。
「アンタ…帰ってなかったのか」
夜だというのに何故か眩しいその男は、立ち止まったスコールの傍までゆったりと歩いてくると「君こそ」と返してきた。
「俺は別に帰るところもないからな」
「そうか…。それはすまないことを訊いた」
こういう時に家族はどうしただとか追及することもなくあっさり引き下がって謝るのがライトという男で、その点は非常に付き合い易い相手ではあるのだが。
「では、折角だから共に行こう」
「…は?」
こちらの事情を詮索しない代わりに、こちらの事情を全く考慮しないのもライトという男だった。
「行くって、何処にだ」
「来れば判る」
そりゃそうだろう、と内心ツッコミを入れつつ、スコールはライトに引き摺られるように歩き出す。別段予定があるわけでもなし、まあ構わないか、とスコールは納得することにした。
「アンタ…確かコーネリア出身だろう?帰らなくてよかったのか?」
「今年は休み明けに論文を提出せねばならなくてな。ここからコーネリアは往復で丸2日以上かかってしまうのでやめておくことにしたのだ」
高校生のスコールと違い、院生のライトは2月に入れば長期の春休みに入る。帰るのはそこにすることにした、と言いながらライトが連れてきたのは、大学の天文学部が管理する観測塔。
何を観測するのだとスコールが思えば、ライトは観測塔には入らず、その脇の駐車場へと入り足を止める。
「もう、始まっている」
「…何が?」
「聴こえるだろう?」
言われてみれば、確かに何処かからボーン、ボーンと何かを打つ音がしていた。
「『除夜の鐘』というものだそうだ」
大晦日の夜、日付が変わる前に107回、日付が変わった後に1回、計108回寺院の鐘を突き、1年の穢れや煩悩を払い新たな年の息災を祈るのだという。
この学園都市のある地域に伝わる風習らしいが、この街自体には寺院は存在しないので知らない者も多いのだ。観測塔は街の外れにあって周りに何もないので、近くの山村にある寺院の鐘の音が聞こえてくるのだとライトは言った。
「心の落ち着く、いい音だ」
ライトの隣りに立って、スコールも耳を鐘の音に集中させる。金属質でありながら低く鈍いその音は、不思議な程耳に心地よかった。
「来年も、心豊かな年になるといい」
「…そうだな」
そうして2人は、じっと穢れを払う神聖な音に耳を傾け続けた。
「ここからならばご来迎も拝めるのだ」
「………いやちょっと待て、アンタこの場で後何時間立ち尽くす気だ!?」
冬休み明け、年末年始はどうだったと訊かれて「足が棒になった」とスコールは答えたと言う。
Last Christmas
クリスマスだ、とはしゃぎ出したのはティーダだった。
クリスマス、というものが何だか解らない仲間たちに、「白い髭の太っ腹なじーちゃんが世界中の子供たちにプレゼント配ってくれる日ッス」という説明になっているんだかなってないんだか微妙な回答をし、「クリスマスの前日がクリスマス・イブ!友達とパーティーしたり、家族でご馳走食べたり、あとはなんと言っても恋人同士でイチャイチャするッス!」と付け足し、更に「今日はイブだから、皆でパーティーしよう!」と言い放った。
そもそもの切っ掛けは、スコールの腕時計だ。
この異世界に於いて時間や日付の概念はないに等しく、つい先刻まで十時を差していた時計が一瞬目を離した隙に何故か八時半を差していた、なんてことも珍しくなく、時計はこの世界では全く役に立たない。それでも、元の世界の記憶が殆どなくても身に着いた習慣は消えず、レザージャケットの袖を少し捲くり左腕に嵌めた腕時計を見てしまうことが時々あった。
偶々スコールが腕時計を見た時に傍にティーダがいて、そして偶々、スコールの腕時計のカレンダーが十二月二十四日を示していた。それが切っ掛けだった。
ティーダの提案に予想通りというか、バッツとジタンが嬉々として食いつき、なし崩しにパーティーになった。勿論、飾り付けもご馳走もこんな世界では用意などできないが、いつもより食材を多く使って料理の種類を増やすくらいはできる。「メリー・クリスマス」と乾杯すればそれだけでちょっとしたパーティー気分になれるのだ。
いつも以上に賑やかな夕食を終え、後片付けとテントの設営も済ませたところで、ティーダに「イブの夜っつったら、恋人たちのイチャラブタイム!」と力任せに背中を押され、四つあるテントの内の一つへと勢いで突っ込んだら、そこにいたのは驚いてこちらを見るフリオニールだった。
そして状況は今に至る。
隣りに座って、落ち着かない様子のフリオニールにこっそり溜息を吐いた。
「…フリオニール」
「な、なんだ…?」
「落ち着け」
恋人、と呼べる関係になったのはつい最近で互いにまだ多分に照れがある。そんな時にこんなシチュエーションを提供されても戸惑うだけだ。だいたい、薄々気づいてはいたが、やはり仲間たちに知られていたか、というのもどうにも気恥ずかしい。
イブの夜に二人きりのテント。そのお膳立ての意味が解らないほど鈍くもないが、それこそ心の準備というヤツが必要なのだ。
「…すまん」
自分の挙動不審振りを顧みたのか、フリオニールが隣りに項垂れた。その様子が可笑しくてスコールが微かに笑うと、フリオニールはハッとスコールの方を見て、それからその浅黒い肌を真っ赤にする。
「おまえ、反則だ…」
「…なにが?」
「滅多に笑ってくれないのに、こんなときに笑うなんて…」
フリオニールはそう言うと、顔を赤らめたままスコールの向かいへと移動した。彼の右手を手に取り、いつも嵌めている黒いグローブを外すと色白の手が現れる。浅黒い肌のフリオニールの手に包まれていると、スコールの手の白さが際立って見えた。
「クリスマスって俺のところにはなかったから初めて知ったが、その…恋人同士が盛り上がる日、なんだろ?スコールと、そういう日を過ごせて、本当によかったと思うんだ」
戦いの連続の殺伐とした世界で、心の底から愛しいと思える相手と出逢えたこと、その相手からも想って貰えること、周囲の人達がそれを祝福してくれていること、すべてが奇跡的で、すべてに感謝したい。
真剣な眸でそう告げるフリオニールに、自然とスコールも真っ直ぐに彼を見つめて口を開いた。
「俺も、アンタとクリスマスが過ごせてよかった…」
デタラメな動きをする時計が偶々指し示した日付であっても、雪も降らなければツリーもケーキもプレゼントもなくても、自分たちにとって今夜は間違いなくクリスマス・イブで、そしてきっと一番想い出に残るクリスマスになる。
刻一刻とカオスとの戦いが近づいている今を考えれば、たぶん、もう一度クリスマスを共に過ごせはしないだろう。勝っても負けても、その先にあるのは別れだ。
「スコール…」
俯いてしまったスコールの頬にフリオニールの手が添えられる。
その手に促されるように顔を上げたスコールがその眼をそっと伏せたら、後は無言だった。
「ん…、ぁっ」
体内で蠢くフリオニールの節くれだった指の動きに合わせて、スコールの口から声が洩れる。初めのうちに感じた痛みはもう殆どない。互いにこういったことは不得手で、スコールの方はなんとなく知識として同性同士の体の繋げ方は知っていたものの、フリオニールにそういう知識が豊富だとは到底思えず、だからひっそりとかなりの痛みを覚悟していたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「も、いい、から…っ」
存分に解され、散々中の感じる部分を擦られてスコールが限界を訴えるとフリオニールが心配そうに言う。
「でも、よく慣らさないとスコールがツライって…」
どう見てもそのテの知識が殆どなさそうなフリオニールに、教えを施した仲間がいるらしい。たぶん、受け入れる側に負担が大きいからとにかくよく慣らすようにとでも教えたのだろう。けれど経験がないフリオニールには、どこまでいけばよく慣らしたことになるのか判らないのだ。
結果として、スコールは「これ以上されたら気が狂う」と思うほど焦らされることになった。
「へ、いきだ、から…、んんんっ」
アンタが欲しい、と切れ切れに伝えられると、フリオニールは自身にグンと熱が集まることを感じる。今までだって、自身には大した愛撫は加えられていないのに、スコールの媚態を眼にしているだけでそこは大きく熱を持っていた。
長く形のいい足を片方自分の肩へと引っ掛けて、フリオニールは自身をスコールの内へとゆっくり沈めていく。指とは違う質量にスコールの体が反り返るが、彼は痛いとも嫌だとも言わなかった。
すべてを収めきると、柔らかい肉がフリオニールを刺激する。耐えられずにフリオニールが腰を動かせば、絡みつくように受け入れてくれる。
「ん、ぁ…あ、あ…くっ、ん…っ」
声を抑えようと自分の手の甲を口許に押し当てる様がいじらしく、フリオニールはその手を掴んでどけさせると、代わりにキスでその声を吸い取った。
本当は聴いていたいけれど、こんな簡素なテントでは防音も何もあったものではない。
仲間たちは解っていて、少し距離を開けてテントを設営してそっとしておいてくれているが、万が一にも声が届いてしまったら、互いに気恥ずかしいに決まっているし、スコールは相当な照れ屋だから、盛大に拗ねられそうだ。
合わさった唇の隙間からくぐもった声が洩れ出る。行き場をなくしたスコールの手が縋るものを求めて彷徨うから、フリオニールはその手に自分の手を重ねてぎゅっと握り締めた。白いスコールの指と浅黒いフリオニールの指が絡み合う。このままどこもかしこも混ざり合って離れられなくなってしまえたらいいのに。
どんどん募る想いに突き動かされるように二人の間で生まれる熱は昂り、やがて真っ白に爆ぜた。
抱き締めてくれる手が優しくて、なんだか胸がいっぱいになった。
スコールはそっと、自分を抱き締めたまま眠りに就いたフリオニールの寝顔を見つめる。
フリオニールの世界にはクリスマスなんて習慣はなかったと言っていたから、きっとこれがフリオニールにとっての唯一のクリスマスの記憶になるだろう。
スコールの世界にはクリスマスという習慣は存在しているが、自分が今までその日をどう過ごしてきたのか記憶はない。けれどこの先、元の世界へと戻っても、クリスマスを誰かと過ごすことはないだろう。クリスマスという言葉から想い出すのは、ずっと、フリオニール唯一人だ。それはいつか別れなければならない恋人への、ほんのささやかな想いの証だ。
メリー・クリスマス、フリオニール。
声に出さずにそう呼び掛けて、スコールは彼の腕の中でそっと目を閉じた。
白く染まる熱
自分と彼の体が繋がっている、と思うと不思議な気がした。
自分を組み敷く逞しい腕の持ち主は、いつもと同じように涼しい顔をしているようで、そうじゃない。彼の顎から自分の胸へとポタッと落ちる汗の滴がそれを物語っている。
ライトはなにもかもが眩しい。
ぼんやりとそう思った。硬質な肌の色も、怜悧な髪の色も、自分と見つめあう眸の色さえ、どこもかしこも色素が薄くて眩しくて綺麗だった。手を伸ばして、ライトの二の腕から掌までをなぞる。掌まで辿り着いた自分の手は、その大きな手にぎゅっと握り取られた。こうしてピタリと合わせていても、決して彼の白さと混じり合えない自分の色。
「どうした?」
問う声には、いつもと同じ落ち着きと、いつもにはない熱があって、ああこれは自分だけが知っているものだな、なんて優越感に少しだけ浸ってみる。本当は、そんな余裕ないのだけれど。
「…ラ、イト」
「辛くないか?」
真顔でそんなことを聞いてくる男が可笑しい。
辛くないか?辛いに決まってる。アンタだって辛いだろう?
「も…いい、から…痛くない、から」
握られた手をぎゅっと握り返して、空いている手を相手の首に回して、動いてくれと強請る。
そうしないと、いつまでだってこの男は自分の体を気遣って動こうとしないのだ。初めてこうして抱き合った時など、慣れない痛みに強張りが解けない自分を見て、あろうことか自分の中から出て行ってしまったくらいなのだ。ちょっと痛いくらい、いくらだって我慢するというのに!
「ん…、ぁっ」
自分の中を抉る熱に、自然と声が洩れる。自分と決して混じらない色を持つ、この眩しくて綺麗な男の、それでもコイツも確かにただの人なのだと思わせてくれる欲の塊が、自分の中にあることが嬉しい、なんてちょっと異常かもしれない。
「スコール…」
少しだけ掠れ気味の声。その声で呼ばれると、余計感じるのだと彼は知っているだろうか。
「あ、あ、ん、ああっ」
どこもかしこも白くて眩しくて綺麗なライト。こんなにピタリと体を合わせても、決して混じり合わない自分の色。
口づけを強請りながら、体の中に注ぎ込まれる熱に、内側から彼と同じ色に染まったらいいのに、と思った。
他人の不幸は時と場所を選ばない
建物の外に出ると、太陽はだいぶ西に傾いていた。真夏といっても、あと1ヶ月もすると秋分だ。確実に日は短くなっている。
マンションまでの大して遠くもない道程を歩きながら溜息が出た。これは、仕方ない。昼過ぎからこっちの出来事を思い返す。もう1度溜息が出た。誰だって同じ状況になれば溜息の1つや2つ出るだろう。
教育機関が集まりその関係者が生活するここは所謂学園都市、というやつで、幼稚園児から大学院生に至るまでの多くの学生や教職員らが暮らしている。親もこの都市で仕事に従事している場合を除き、中学までは完全な寮形態だが、高校以上になると学生向けのマンモス団地のようなマンションを借りることも可能で、スコールはそちらを選択したタイプだ。ここで暮らす人々の為に日常生活必需品を扱うショッピングセンターや映画館などの娯楽施設も一通り揃ってはいるが、逆に言うと、ここは地理的に隔絶された場所なので、基本的にこの学園都市内しか行動できる場所がない。今のような長期休暇に入れば、多くの者がこぞって帰省や旅行でここから飛び出していく。この時期ここに残っているのは、帰れないか帰りたくない事情がある者ばかりだ。だから、今日のようなことも、珍しくはない。
2日ほど前から、おかしいな、とは思っていたのだ。自室の窓から斜め左方向に見える同じようなマンションのベランダ。微妙な角度の差で、右隣に住む大学生の部屋からは見えない位置だ。左隣からは見えるだろうが、夏休みに入って、スコールの部屋から左はどの部屋も主が帰省中だった。
布団が、ずっと干しっ放しだ。最初は取り込み忘れたのかと思った。次に、干したまま友人宅にでも遊びに行ってそのまま泊まりこんでるのかと思った。今日になってもそのままなのを見て、とうとう諦めて警察に電話した。案の定、部屋の主は自殺していた。
通報者として警察で一応の事情聴取をされ、尤も、警察の方も慣れたもので、随分こちらを労わってくれたのだが、やはり気が重いものは重い。はぁ、と3度目の溜息が出た。
マンションに着いて、自分の部屋の前まで来ると、デニムのポケットから鍵を取り出す。ガチャガチャと音を立てて鍵穴に差し込むと、隣りの部屋のドアが前触れもなく開いた。
「おかえり」
言葉と共に顔を出したのは隣人のクラウドで、彼はひょいひょいとスコールを手招きすると自室に招き入れた。
「大変だったな」
クラウドが出先から帰ってきたとき、向かいのマンションの前にパトカーが数台停まっていて、その光景はこの都市では偶に見掛けるものだったから「ああ、またか」と思っていたら、その中の1台に年下の隣人が乗っていくのを見つけた。状況を覚って、帰りを待っていたのだ。誰が見たって、楽しいものじゃないのは確かだから。
ほら、と用意していたらしい冷たい麦茶を差し出され、素直に受け取った後、スコールは首を傾げた。
「アンタにしては随分気が利くな…」
そのセリフに、気分を害した様子もなく(というより、自分が元来気の利かないタイプだという自覚を持っている)クラウドは、「お前こそ、忘れてるのか?」と訊き返してきた。
「何を?」
「今日はあんたの誕生日だろ?人のは憶えてたくせに、自分のは忘れてたのか」
人にプレミアムビールを押し付けるように渡していったのは、ほんの2週間前の話なのに。
「あ…」
忘れていたわけではない。今朝起きた時くらいまでは特に感慨はないものの自分の誕生日だということくらいは憶えていた。それが昼過ぎからのゴタゴタですっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「・・・ま、偉そうに言ってもプレゼントは特にない。スマン」
貧乏学生に金銭的余裕がないのは勿論、スコールが喜びそうなものが思い浮かばなかったのだ。まさか未成年にビールというわけにもいくまい。
「何か要望があれば、出来る範囲で答えるが?」
向こう1週間のゴミ出しとか、金が掛からず体力で賄えることならプレミアムビールの礼も兼ねて応えようというつもりでクラウドが提案するとスコールは「いや、別にいい」と言い掛けて、それから僅かに逡巡した。
「なんだ?言ってみろよ」
「…今晩、泊めてもらってもいいか?」
「そんなことでいいのか?」
「ああ」
狭いワンルームマンションだが、一応ベッドの他に布団を敷ける程度のスペースはあるし、予備の布団も使える状態にある。「構わない」と言えば、スコールの顔にほっと安堵の色が広がった。
「この部屋からだと、見えないから」
「・・・あー、あれか」
本日の疲れの原因となった向かいのマンションの1室。さすがにあれが視界に入る位置で眠るのは気が滅入るのだろう。
「お疲れさん」と肩を叩いてやる。しかし、こんなことがプレゼント代わりで本当にいいのだろうかとクラウドは一瞬考えて、まあ本人がいいと言ってるんだからいいか、とあっさり納得することにした。
けれど、せめてものプレゼントだ。クラウドは心を込めて言ってやることにした。
「誕生日おめでとう、スコール」
風呂上がりに1杯のビール
夏真っ盛り。暑いわ蒸してるわ、蒸し暑いわ暑いわで、要はとにかく暑い日々。
幸いなのは、今が休みの真っ只中で、宿題を見て見ぬ振りしている小・中・高までと違い、前期試験とレポートの提出を終えた大学生はどれだけだらだらしていようが一向に問題ないということだ。
コンビニで買ってきた弁当で夕食を済ませ、たまにはいいかもしれない、と風呂に湯を張ってみた。
暑い季節に熱い風呂に浸かってどっと汗をかいて、水でさっと流す。なんともいえない爽快感に、毎日は面倒だが週1くらいなら風呂を沸かすことにしようか、なんて考えていると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
時計を見れば午後10時。
誰だこんな時間に人様の家を訪ねてくるとは。勧誘だったら問答無用で警察に通報してやる。人をチョコボ呼ばわりする悪友だったら有無を言わさず3発ほどぶん殴った後に布団で簀巻きにしてベランダから吊り下げてやる。
そんなことを考えながら、大した広さもない部屋を横切り、玄関のドアを開ければ、そこに立っていたのは、4つ年下の隣人。
「スコール…?どうかしたのか?」
こいつから訪ねてくるとは珍しい。そう思って問い掛けると「別に」と相変わらず可愛げのない答えが返ってきた。
「これ、アンタにやる」
グイッと突き出された手にぶら下がっているのはコンビニのレジ袋。中を見れば、数本の缶ビール。思わず眉がひくりと動いた。
これは、発泡酒でも第3でも第4でもない、正真正銘のビール!しかも、このパッケージは、プ、プレミアムピール…!!
苦学生とは言わないが、生活費を仕送りに頼らない貧乏学生の身には手が出せないそれに、ふらふらと手を伸ばしそうになるのを寸でで止める。
未成年がコンビニでビール、と思うが、コイツの見た目じゃ身分証の提示を求められることもなかったのだろうと納得した。
しかし、何故突然スコールはビールをくれようなどと思ったのだ。
全く見当がつかずにいると、それを察したのだろうスコールがえらく不機嫌そうにビニール袋を手に押し付けてきた。
「自分の誕生日くらい、憶えておけ…!」
そのまま、脱兎の勢いで自室に戻っていったスコールの姿を見送って、バタン!と大きな音を立ててスコールの部屋のドアが閉まる音で、漸く合点がいく。
「…そういえば誕生日だったか、俺」
手の中のプレミアムビールを見る。
あの他人に無関心な態度を取りたがるスコールが、わざわざプレゼントを持ってきてくれるなんて。
…プレゼントがビール、という辺りがロマンも色気もないが、現実主義のスコールらしい。確かにコレほど確実に相手が喜ぶと判っているプレゼントもないだろう。
とりあえず、風呂上りの1杯を、窓を開けたベランダで愉しむとしよう。
風呂上りに夜風に吹かれてプレミアムビールを1杯。これ以上の幸せがこの世にあるか?いや、ない。
「あー、美味い」という心の底からの呟きは、同じく窓を開けている隣人の耳にも届く事だろう。
ありがとう、スコール。お前のおかげで、今年はいい誕生日になったよ。
無自覚な爆弾
気づけば独りでふらりと何処かへ消えてしまっていたスコールが、最近はあまり姿を眩まさない。
皆無とはいかないが、頻度はかなり下がった。どういった心境の変化か、と観察してみると、姿を眩まさない、というだけで、仲間の輪から外れて離れていることに変わりはないと気付く。
それでも偶に本当に何処かへ出て行ってしまうこともまだあって、けれどそんな時はスコールがリーダーであるライトにだけ、一言声を掛けて行くということにも気付いた。スコールはライトを苦手に思っている節があったから、これは大層な進歩だ。
一体どんな心境の変化があったのだろう。本人に訊いても絶対に答えてくれないだろうと踏んで、事情を知る可能性が高い人物、つまりはスコールが声を掛けていく相手であるライトに尋ねてみた。
「彼は私の頼みを聞いてくれた、それだけのことだ」
案の定、あっさりと返ってきた答え。しかし、簡潔過ぎて事情はさっぱり掴めない。
「スコールに、何を頼んだんだい?」
「あまり、目の届かない処には行かないようにと」
それは団体行動に於いて極々当たり前の要請だったが、あのスコールがよくもあっさりその頼みを聞き入れたものだと感心する。そのままを口にすれば、ライトは不思議そうな顔をした。
「特に、嫌がる様子もなかったが?」
「うん、だからそれが珍しいなって思って。参考までに訊くけど、一体なんて言って彼を納得させたんだい?」
「君の姿が見えないと私が落ち着かないので、どうか私の為に私の目の届く処にいて欲しいと」
思わずまじまじと見つめてしまう。
「…そう、言ったの?」
「ああ。何かおかしなことを言っただろうか?」
おかしくはないが、それは普通に聞けば殆ど告白と同義だ。言ったライトは全く理解していないようだが、言われたスコールはさぞかし戸惑ったことだろう。今はこの場にいないスコールにこっそり同情する。
「そんな風に言われたら、さすがの彼も無碍にはできないだろうね」
というより、誰だって戸惑うだろう。そんな告白紛いの頼み方をされたら。
そう思って、少し自覚を促そうとしての言葉だったのだが。
「私は私の正直な気持ちを言っただけなのだが…」
その言葉に引っ掛かった。これはもしかしてもしかするんじゃないか。
「スコールの姿が見えないと落ち着かない?」
「彼の強さは承知しているのだが…。知らぬうちに傷を負うのではないかと、な。私の目の届く処にいてくれれば、彼の盾になることだって出来るだろう?」
「ねぇ、ライト、それって…」
そう言い掛けたところで、ライトの視線が動いた。それに倣って同じ方向を見れば、近辺のイミテーションの掃討に行っていたスコール達が帰ってきたところだった。共に掃討に赴いていたバッツとジタンがしきりにスコールに向かって何か言っているようだが、スコールは聞く耳を持っていないようだ。
無言のままライトが動く。一緒について行けば、バッツとジタンもこちらに気づいて声を掛けてきた。
「もう、あんた達からも言ってくれよ」
「どうしたんだい?」
問い掛ければ、スコールがあからさまに面倒そうに顔を逸らす。これは自分に分が悪いと思っているときの態度だ。
「スコール、怪我してんのに、ケアルもポーションも要らないって聞かなくてさ!」
その言葉に真っ先にライトが反応した。やはりこの反応は。
「怪我を負ったのか?」
「…大した傷じゃない」
「でも血ぃ出てんじゃん!」
スコールの言葉に被せるようにジタンが言えば、ライトの眉が寄る。
スコールが僅かに左手を隠すような動きをしたのは見逃さなかったので「左手?」と訊けば観念したように左手を出してきた。黒革のグローブを外せば掌から血が流れている。
「グローブ越しだから表面が切れただけだ」
確かに深い傷ではないようだが、逆手とはいえ掌が切れていては色々不便だろうと、バッツとジタンが回復させようとするのを、断固拒否してきたというわけか。仲間の手を煩わせるのが嫌いなスコールらしい。
「掌の傷って大した事なくても痛いだろ?大人しく回復しようぜ?」
「ケアルやポーションを使う程の傷じゃない。…舐めとけば治る」
「またそんなこと言って!」
舐めとけば治る。それはよく使う慣用表現で、決してスコールも自分の傷を舐めようなんて思っていなかったはずだ。しかし。
「…そうか」
そう低く呟いたライトのとった行動に、全員動きが止まった。
スコールの左手を取ったライトが、その傷を舐めたのだ。
「…アンタ!」
珍しく狼狽えた様子を隠さずスコールが声を荒げると、しっかりとその左手を掴んだままのライトが全く頓着していない様子で顔を上げる。
「私は君に傷を負って欲しくない。無理な願いと承知している。だが、君に傷が残るのは耐えられない」
「…っ」
ああ、もうこれは間違いない、と確信する。
「……自分で手当てするっ」
顔を紅く染めたスコールがライトの手を振り解いてコテージに駆け込んでしまうのは当然として。
「なあなあ、セシル」
バッツとジタンが突いてくる。
「どう聞いても、どう見ても、告白としか思えないんだけどさ」
「うん、僕もそう思うよ」
苦笑しながら答えれば、バッツとジタン、二人が「だよなあ」と同時に呆れたような溜息を吐いた。
「…私は、彼を怒らせるようなことを言っただろうか?」
相変わらず不思議そうなライトに、いや、と首を振る。
そしてとりあえず、今後もこの無自覚さに振り回されるだろうスコールに、深く同情したのだった。
spineus cunae
フロアの中央に大きく陣取る螺旋階段の所為で、満月の光は不思議な形に拡散して内部を照らす。
シン、と静まり返った城内にゆらゆらと揺れる影。それがこの常夜の城の変わらぬ光景だ。
時が流れていないような錯覚さえ覚えるこの空間こそが、魔女の居城だった。
常ならば、魔女が一人静かに佇むこの城に、今は魔女の他にもう一つの影がある。
白いファーがついた黒革の服、胸元に光る銀の獅子。
調和の神に召喚された、魔女を屠る者・・・スコール・レオンハート。
しかし、本来魔女を鋭く見据えている筈の双眸の焦点は合わず、その表情は虚ろだ。自分の足で立っていることの方が不思議に思えるくらい、その姿は頼りなかった。
「やっと…手に入れた」
長い爪で肌を傷つけないよう、繊細な動きで以て魔女・アルティミシアの手がスコールの顔に触れる。長い前髪をかきあげ、額に走る傷痕をなぞり、目許に揺れる睫の淡い影を辿り、未だ青年になりきらない頬を撫ぜ、小さな息を零す薄い唇を擽って、その手は顎を通り首へと当てられた。ほんの僅かな力を込めて喉に当てられた指先に、息苦しさからスコールの眼が微かに眇められるがそれだけだ。表情は虚ろなまま、魔女の手を止めようなどとは微塵も考えていないことが見て取れる。
「おまえはもう、私のもの」
アルティミシアの指はスコールの喉から鎖骨の窪みへと滑り、胸元の獅子のペンダントで止まった。
「私の邪魔をする者を、その牙で噛み殺す獅子」
言葉と共に、アルティミシアの唇がスコールの喉元に寄せられる。先程指先で触れた場所をなぞるように紅い唇が辿っていく。ひくり、とスコールの喉が震える様子を感じ取り、魔女の唇が弧を描いた。
アルティミシアの手がスコールの両肩を軽く押すと、それだけで力を失ったように獅子は床に座り込む。低い位置に来た彼の頬を、両手でそっと包むと魔女は体を屈めてその耳元で囁いた。まるで愛の言葉のように。
「伝説のSeeDは、もういない」
再びひくり、とスコールの体が跳ねる。その様子に、魔女の眼に剣呑な光が宿った。額を合わせ、至近距離で見つめながら口を開く。
「魔女に刃向かう伝説のSeeDは、もう、世界のどこにも、いない」
「伝説の…SeeD…」
初めてスコールの口から音が洩れた。自分が何を言っているのかも解らない様子で、まるで幼子のようにたどたどしく。
「もう…いない…」
アルティミシアの顔にはっきりと笑みが浮かぶ。
「そう。いい子ね、スコール」
まるで母のような優しい声音。けれどその眸に宿る光は猛禽のよう。
「今のおまえは、魔女の騎士」
「魔女の…騎士…。俺は…魔女の…」
「魔女を守る、騎士」
耳元で、頭の中に直接吹き込むように何度も囁く。
おまえは魔女の騎士。魔女を守る者。魔女の為に生きる獅子。
おまえの腕は魔女に仇為す愚か者を葬る剣。おまえの命は魔女に降る矢を防ぐ盾。
おまえの眼に映るのは私だけ。おまえの声が紡ぐのは私の名。おまえの耳に届くのは私の声。
「さあ、眼を閉じて…。愛し子よ」
頬を包む両手の親指が、スコールの目蓋をそっと下ろした。
「おまえの世界は閉じられた。光のない、暗闇の中に、一人ぼっちで立たねばならない、おまえは可哀想な子…」
「…ひと、り…ぼっち…」
たどたどしい声に怯えが混ざる。アルティミシアの笑みはますます深くなる。
「でも大丈夫。ほら、私がいるでしょう?」
怯える獅子の額の傷に口付けて、魔女は謳う。
「暗闇の中に、私がいることを感じるでしょう?何も見えなくても、私の姿だけは思い描けるでしょう?私の声だけは、聴こえるでしょう?」
「……感、じる…」
「そう。私だけがおまえの拠り所。私だけが、おまえの感じ取れるもの。ね?寂しくないでしょう?」
「寂しく、ない…」
「さあ、立ち上がりなさい。私のスコール」
頬から手を離し、首筋から顎にかけてを撫で上げるようにして促す。スコールは魔法に掛かったかのようにフラフラと立ち上がった。
「ちょうどいいわ」
アルティミシアが、スコールの胸に寄り添うように体を預ければ、彼の腕がさも当然のように魔女の腰を抱く。
「近くに、コスモスの駒が来ている」
それは先日まで確かにスコールの仲間だった者たち。けれど今はもう。
「眼を開けて、スコール。そして、私の邪魔をするあの者どもを、斬り捨てていらっしゃい」
愉悦を滲ませた声に促され、スコールの眼がゆっくりと開けられた。
魔女から体を離し、しっかりとした足取りで歩いていくスコールの右腕に、ガンブレードが握られる。
「行っていらっしゃい。私の騎士」
アルティミシアの声を背に、城の外へと向かうスコール。
その双眸は、不思議な事に魔女に似た金色の煌きを宿していた。
いつか野に咲く花になる日まで
たぶん、きっかけなんてとても些細なもので、気がついたらとても好きだった。
遠くで揺れる、尾のような長い銀髪をこっそり眼で追う。動きに合わせて揺れる長い髪が、まるで銀色のリボンのようだ、とぼんやり思った。
フリオニールは、クラウドを相手に手合わせをしている。こうやって俺がその姿を眼で追っていることなど、気づくはずもない。
気付かれても、いけない。
アイツを見つめるのは遠くから、気づかれない場所から、と決めている。傍にいる時は出来得る限り素気なく、無駄口も叩かない。幸い、元来無口で無愛想な俺は、誰にそういう態度を取ったところで「スコールはこういうヤツだから」で済ませてもらえた。
だって、近くで見つめたらきっと、気づかれてしまう。
「無表情で何を考えているのか判らない」筈の自分は、心を許した仲間たちにとっては「眼は口ほどに物を言う」らしい。ならば、こんな風に抑えきれない気持ちなど、近くで見つめたらすぐさま伝わってしまうに違いない。だから、気づかれないように、覚られないように、遠くにいる時だけ、と決めた。
「伝えないのかい?」
以前、セシルにそう言われたことがある。フリオニールに覚られないことだけを考えて神経を使った所為なのか、それとも温和で仲間皆に気を配るセシルの性質故なのかは判らないが、セシルにはいつの間にか自分の気持ちを知られていた。
「…同性だぞ」
短く返した俺にアイツは柔らかく笑って「それをどう取るか決めるのは相手だよ」と言った。「フリオニールはそれで態度が変わるような人じゃないよ」とも。
黙って首を振った俺に、深追いすることなく「どうするかはスコールの決めることだから、僕はもう何も言わないけど」と引き下がったセシルは、言葉通り、以来その話題を俺に振ったことはない。ただ時々、気遣うような眼で俺を見るだけだ。
セシルの言うように、仮に俺が想いを伝えたとして、フリオニールは同性だからと言って俺を蔑んだり避けたりはしないだろう。きっと、真摯に考え答えてくれる。俺も、それだけが理由だったら、気持ちに決着をつけるためにも、アイツに伝えたかもしれない。けれど。
自分と、アイツとでは、決定的に違うものがある。
正確に言うならば、自分と、フリオニールを含め仲間たちの間には、見えない一線がある。
俺には、アイツと、アイツらと、同じ夢は見られない。
のばらの咲く平和な世界を作るのが夢だと言ったフリオニール。それはいつしか仲間の夢になった。戦いのない、花の咲き乱れる平和な世界。それをこの世界に、そしてそれぞれを待つ本来の世界に実現すること。
迷いのない眼で、希望に満ちた表情で、決意を滲ませた声で、その夢を語るアイツに、俺は何も言えない。
何故なら、俺は、傭兵、だから。
傭兵の生きる世界と、平和な世界は対極に位置する。平和な世界に傭兵など必要ないからだ。軍人ならば、兵士ならば、平和な世界に存在し得る。属した組織を守る為の牽制の力として存在が許されるだろう。
けれど金で雇われてただ任務遂行の為に主義も主張もなく戦う傭兵は。
戦うのに大義も正義も必要としない傭兵は、戦いの中でしか生きられない。
傭兵として生きる道を選んだのは自分。今更、それ以外の道を生きる自分の姿など想像することもできない俺は、フリオニールの夢を壊す存在にしかなれないと、自分自身が誰よりもよく解っているから、ただ遠くから見つめることしかできない。
皮肉なものだ、と思う。
照れくさそうに、それでも強い眸で夢を語るフリオニールが印象的で、キラキラと輝いて見えて、その姿にいつの間にか惹かれていたのに、自分はその輝きを曇らす存在にしかならないなんて。
「争いは、なくならないかもしれない」
フリオニールがそんなことを言ったことがある。確か野営の見張りに就いていた時のことだと思う。無表情を装い無言を貫く俺に、何故突然そんなことをアイツが言い出したのかは解らない。もしかしたら、一度としてアイツの夢への賛同の言葉を口にしたことのない自分に対し、アイツも何か思うところがあったのかもしれない。それは決して自分がアイツに抱くような想いとは重ならないけれど。
「それでも、花を散らさない為に、花を見る人の笑顔を守るために、俺は全力を尽くそうと思うんだ。たとえ力及ばず花が散らされたとしても、何度だって植える。育ててみせる。それを見てくれる人たちの為に」
そうか、と答えることしか出来なかった。フリオニールならば言葉通り、全力を傾けて生きていくのだろうと思った。その姿はきっと、キラキラと輝いて、眩しいくらい心に焼きつくのだ。
その姿を、見ていられたらいいのに。
アイツに、想い返されたいなどと思ってはいない。ただ、アイツの見る夢を、自分も見られたらいいのに。
アイツの望む世界を、同じように望める自分だったらよかったのに。
ほんやりとした思考の淵から現実へと意識を戻せば、相変わらず続く手合わせの中で、銀色の長い髪が光を弾きながら揺れている。
俺に望めるのは。
俺は無意識に胸のペンダントを握った。何より強い、自らの目指すもの。戦い続ける自分が望む強さ。
俺がアイツの為に願えるものは、アイツの夢の実現。アイツの世界が花で咲き乱れるよう祈ること。そして、できれば。
全ての争いを、この身に引き受ける事ができればいい。無理な願いだと解ってはいるけれど、本当にそう思うのだ。
争いがなくならないというのなら、アイツの世界で起こる争いまで、俺の世界で引き受けられればいい。
戦い続ける道を往くと決めた自分が、遠い世界で、アイツの夢の実現の手助けになれたのなら。
剣を振るい、硝煙の匂いを纏い、荒れた大地や瓦礫の中に立ち、時には草花を踏み躙るかもしれない自分から流れる血が、汗が、遠い世界でフリオニールが慈しむ花の中のたった一輪の糧になれたなら。
きっと、伝えることのないこの想いも、報われる。
そう、信じるくらいは、いいだろう?
視界に揺れる銀色のリボンに触れたいなんて望まない。アイツに想われたいなんて望まない。戦い続ける覚悟ならとっくに出来てる。だから。
傍にいてはアイツの夢を壊す存在にしかなれない俺も、遠くでなら、アイツの夢の糧になれると、信じていたい。
いつか、野に咲く花になれると。
大人の事情と子供の事情
この世界は様々な世界の断片を繋ぎ合せた寄せ集めの世界なので、歩いていたらいきなり全く違う景色に出くわす、というのは日常茶飯事だ。月の渓谷を歩いていたら突然星の体内に出て真っ逆さまに落ちたとか、次元城の足場が消えて落ちると思ったらガレキの塔のビーカーの中に出たとか、そういった話は枚挙に暇がない。空間の変異のタイミングはまさしく神のみぞ知る、と言ったところだが、どの場所に出るのかは比較的自らの意思も反映される傾向があるらしい、とは興味本位にあちこち歩き回って実験してみたというバッツの見解だ。行き先を何も考えていないと自分に最も因縁が深い場所に出易いらしい、というのはバッツと一緒になって実験したジタンの意見で、どんなに思っても混沌の果てに出る確率はゼロ、逆に秩序の聖域は百パーセントでこれは調和と混沌、どちらの神に召喚されたかで真逆の結果になるのではないかと言ったのは、やはり一緒になって歩き回ったティーダだった。
話を聞いた時にはなんて物好きな、と思ったものだったが、彼らが自らの足で実験した結果は中々正確で、こうして独りで歩くのに役立っている。
今も、秩序の聖域を出て幾らも歩かないうちに願った通りの場所に出た。
打ち捨てられて崩れたスタジアムのようなこの場所が、何故夢の終わり、と呼ばれるのかスコールは知らない。元の世界でのこの場所の記憶を持っているらしいティーダが、いつもの快活な彼とは程遠い曖昧な表情で「夢の終わりは、夢の終わり、ッスよ」と呟いて以来、誰もそのことについて訊ねることはしなかったからだ。元の世界での記憶を殆ど持っていない自分には理解し得ない複雑な思いがあるのだろうと、スコールも気に留めなかった。
「なんだぁ?まぁた来たのか」
けれど、今になって気に掛かる。この場所は、この男にとっても夢の終わりなのだろうかと。
「…アンタこそ、またいるんだな」
ジェクト。ティーダの実父にして混沌の神の陣営に身を置く敵。なのに闇の気配を微塵も感じさせない男。
単独行動を好むスコールが、空間の変異で偶々この場所に飛ばされた時出逢ったのが始まりで、仲間の実験によりある程度自分の意思で行動できることが判って以来、この場所に来ると度々ジェクトに会うようになった。何か思い入れがあるのか、座ってじっと景色を眺めていることが多い。息子のティーダがどちらかと言うとこの場所を避けたがるのと対照的だ。一度そう言ったら、「あいつぁ、まだまだガキだからな」と男は苦く笑った。
「ん?んなとこに突っ立ってねぇで兄ちゃんも座れや」
ポン、と隣りを叩かれてここに座れと促される。敵である筈の男は出逢った当初からこの調子で、警戒を露わにするスコールの様子など一向に気にしていないようだった。それに素直に従ってしまう自分も大概おかしい、と思いながら毎回男の隣りに腰掛けてしまうのは何故だろう。
「ティーダは、相変わらずだ」
ジェクトとの共通点なんて何もなくて、何を話せばいいのか皆目見当もつかない。元々口下手で無口なスコールに気の利いた会話などできるはずもなく、かといって態々ここまで訪れていながら何も言わないのも憚られて、結局毎回スコールはジェクトにとって最大の関心事項にしてスコールが与えられる唯一の情報を伝えている。
「兄ちゃんも毎回律儀だねぇ」
ジェクトも毎回苦笑しながらその報告を聞くが、その声に隠しきれない安堵の色があることくらい、スコールは承知している。
「気にしているくせによく言う」
「ま、否定はしねぇけどよ」
こういう時に大らかに肯定してしまえるのが、男の余裕であり、話していて心地よいと感じる部分だ。多少のことではびくともしない安心感。大抵のことは笑って受け止めてしまえる度量。押し付けがましさなどなく、極々自然にそういったものを感じさせるジェクトの傍は、スコールにとって居心地のいい場所だった。
「でもま、こんな別嬪さんが通ってくるってだけでも十分だぜぇ?」
遠慮なく髪を掻き回されても、嬉しくはないが不思議と怒りは湧かない。同じことを、仲間の誰かにされようものなら即座にガンブレードを突き付けるところだ。
「やめろ」
止めなければいつまでも頭を撫でられそうで、スコールはジェクトの腕を掴む。筋肉が隆々とした腕は決して小さい方ではないスコールの手でも余りある太さだ。自らの太いとは言い難い腕と比べてスコールがなんとなく憮然とした面持ちになれば、それに気づいたジェクトが笑う。
「兄ちゃん、細ぇからなあ。うちのガキと比べても細ぇだろ」
思っていてもそれを言うな、ということを平気で口にするジェクトを見ると、血は争えない、という言葉を実感する。この親にしてあの息子あり、と思うと同時に、どこか頭の奥がツキン、と痛んだ。
ジェクトといると時々感じる痛みだ。思い出せない記憶の向こうから、何かが主張してくる。
「アンタといると…」
思わず口をついて出た呟きに、ジェクトが「ん?」とスコールの顔を見た。
「…たぶん、アンタは俺の知ってる誰かに似てるんだと思う」
思い出せない元の世界の記憶の中にいる、誰か。
要らないことをうっかり口に出すところ、闇の気配を微塵も感じさせないところ、なにより大抵のことを笑って受け止められるところ。ジェクトに似た誰かが、自分の記憶の中にいる。
「なんだぁ?ジェクト様はその誰かさんの身代わりってことかい。寂しいねぇ」
「…あ、いや…、…すまない」
自分が誰かの身代わりだと言われて良い気持ちになる者などいない。不用意に口に出してしまった言葉の持つ意味に気づいてスコールが目を伏せれば、「気にすんな」とジェクトが苦笑する。
「身代わりくれぇで丁度いいって。じゃないとヤバイからなあ」
「え?」
繋がりが理解できない科白に、スコールが思わず顔を上げれば、隣りに座ってるジェクトの大きな手がすっぽりと顔を包むように頬に添えられた。
「兄ちゃん、顔ちっちぇえなあ」
間近で覗き込むように言われて、その近さに驚く。鋭いわけでもなく、かと言って冗談めかしているわけでもなく、どこか苦さを湛えた視線から目を逸らせないでいると、ふっと笑われた。
「こんな美人に熱心に会いに来られちゃ、本気になっちまいそうだろ」
掠れたような低い声で囁かれて、ほんの一瞬距離がゼロになる。見た目のイメージ通り高い体温を伴った、少し肉厚のジェクトの唇が自分のそれと触れ合ったのだと理解するのに数秒必要だった。
「おいおい、固まってねぇで突き飛ばすとか殴りかかるとか何かあんだろぉ?」
胸に抱え込まれ、ポンポンと頭を叩かれる。あまりに見事に固まってしまったスコールの様子に苦笑いしているようだ。まるで子供をあやすような仕草に、体に入っていた力が抜けた。
「…殴られたいような言い方だな」
そう言い返せば、「だから、本気になっちまうとヤバイっつってんだろうが」と呆れたように笑われる。その間も、スコールをあやすような仕草は止まらない。
子供扱いされている、と思うのに、それを嫌だと感じない。この腕の温かさに言い様のない安堵を感じる。さっき触れた唇も。
「…別に、嫌じゃなかった」
あやすような動きが、その言葉で止まる。
「ったく、参ったねぇ」
腕の中に軽く抱き締めていた華奢な体を解放して、ジェクトはガシガシと頭を掻いた。
本気になったら拙いも何も、こんな無防備に受け入れられたら、逆に手を出し難い。いくら大人びているとはいえ、自分の息子と同い年の少年に「嫌ではない」と言われて「はいそうですか」と先に進める程、ジェクトは若くないのだ。豪放で自分勝手な性格だと言われても、それなりの年月を歩んできた大人としての自覚がある。
「兄ちゃん、警戒心強ぇのに、なんだってオレに懐いちまったかね」
まるで野良猫か何かのような言われ様にスコールの眉間に皺が寄った。その様子に、そういや獅子も猫科か、などと思いながらジェクトはもう一度スコールの髪を乱暴に掻き回す。
牙を見せてあまり無防備に懐くと危険だ、と警戒を促したつもりだったのに、寧ろその牙を折られてしまった感が否めない。とりあえずは当面、この若獅子に噛み付いてしまう心配はなくなった、と安堵すべきなのだろうか。
「俺が懐いたんじゃない…」
言いながらスコールが自分の髪を搔き回すジェクトの手を掴んだ。自分の胸の前辺りまでその手を下ろしてくると、空いたもう一方の手も添えて、両手でぎゅっとジェクトの大きな手を握る。
「アンタのこの手が、懐かせたんだ」
遠慮なく触れてくるこの大きく温かい手が、ちっぽけな自分の警戒心を溶かしてしまったに違いない。たとえ思い出せない誰かの記憶が作用しているにしても、今のスコールが安堵し受け入れているのはジェクトの手であることに変わりはないのだから。
「兄ちゃん、そりゃ殺し文句だ」
苦笑しながらジェクトは握られていない方の手を顎に遣る。自分の所為だと言われてしまうとは思わなかった。
目の前の獅子と称される少年を改めて見る。
額に大きく走る傷痕すら欠点にはなり得ない美しい顔と、鍛えてはいるものの華奢な体つき。同い年のはずの息子に比べて遥かに大人びた雰囲気。
これが、もっと男らしい厳つい容姿だったり、息子のような快活で子供じみた雰囲気を持っていたりすれば、父親代わりを演じるだけで済む話だったのに。
とりあえず、折られてしまった牙がまた鋭く伸びるまではこの奇妙な逢瀬を続けてもいい。けれど、牙が伸びたその時には。
「二度も止まれる程枯れてねぇぞ、ジェクト様は」
つい口に出した呟きに、何を言っているんだ、という顔でスコールがこちらを見た。だからあまり無防備になるな、と思いながら、ジェクトは今一度、スコールの髪をくしゃくしゃにしてやる。
「大人ってのは切ねぇな、って話だよ」