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Rhythm Red Beat Black

 
 
 
 テーブルの上に置かれた一枚のコイン。
「占ってくれないか」
ドサッと腰掛けた男はそう言った。
「面白いことを言う」
「占い師に占ってくれと言うことのどこが面白い?」
空間に渦巻く音に、いまにも掻き消されそうな会話。
 そのクラブには音が溢れていた。クラブの名は、ワールズエンド。
大音量で流れるビート。繰り返す波の如く途切れることのない、憑かれたように踊り、笑い、話す人々の声。
彼らは自分の周りの小さな世界のみを見つめ、フロアの奥にひっそりと佇む占い師になど気づく者はいない。
 占いなど、最早無駄だと誰もが知ってしまっているから。
終末の時は近いと、「コンダクター」が予見したのだ。
「もうすぐ世界が終わるというのに、未来を占ったところでどうにもなるまい?」
占い師は面倒な、とでも言いたげに客を見遣る。
「そう、世界は終わる。だがそれは今すぐじゃない。後一ヵ月あるんだからな。だったら明日のことくらい、占ってもいいだろう?」
客はそう言い、さあ、と占い師を促した。
 
 
 
 
 
 この世界は「コンダクター」によって導かれている。
それがどんな人物なのか、何処に住んでいるのか、極々限られた「スピーカー」の他は誰も知らない。
人々が知っているのは、「予見」という特殊な力を持った者だということだけだ。
その力が血脈によって受け継がれているものなのか、それとも突然発動する能力なのか、それを知る者もいない。
 その「コンダクター」が、近づく世界の終わりを予見した。
その予見が「スピーカー」によって伝えられてから、世界は二種の人に分かれた。
つまり、世界が終わるその日まで頑なに自らの日常を守って暮らしていこうとする者と、日常を放棄して恐怖を振り払うように刹那的な享楽へと走る者と。
 ワールズエンドは、後者が集う巨大なクラブだった。
クラヴィスはワールズエンドの片隅に陣取る占い師である。
「よく当たる」と評判で、つい先日までは水晶球の置かれた小さなテーブルの前には途切れることなく客が座っていたものだ。
だが、それも世界の終わりを知る前までの話。
今はもう、誰もフロアの片隅に座る占い師になど見向きもしない。
 何を占っても、未来はもう決まってしまっているのだから。
それでもクラヴィスはここに座り続けている。彼は、世界の終わりになど興味がない。恐怖もない。ただ、彼は自らの日常を淡々と続けているだけなのだ。ワールズエンドに居ながら、彼は刹那的な享楽とは無縁だった。
 
 
 
 
 
 テーブルの上に今夜も一枚のコインが置かれる。
「・・・またおまえか」
「貴重な客に向かって『また』はないだろう?」
「・・・物好きな男だ」
目の前に座る男を、クラヴィスは以前から知っていた。
 ワールズエンドのキングと称される、オスカーのいう名のこの青年がクラブに姿を見せると、彼の周りには人波が幾重にも出来上がり、それは途切れることを知らない。
尤も、オスカーが自在に気配を殺す術を心得ていて、彼が自分の意思一つで巧みに人の群れの中に姿を消してしまえることを、フロアの片隅からこのクラブを見ていたクラヴィスは知っていた。
現に今も、オスカーがフロアの片隅の占い師の前に座っていることに誰も気づいていない。
「物好きで結構。それを言うなら今更占いなど意味がないって自分で言いながらここに座ってるあんたも充分物好きだ」
肩を竦めてオスカーがそう言うと、クラヴィスもまたフッと笑みを零した。
「・・・確かに、な」
そうして、今夜は何を占うのかと、クラヴィスは水晶球に視線を移したのだった。
 
 
 
 
 
 「コンダクター」の予見した終末が、あと二週間ほどに迫った夜。
何が面白いのかクラヴィスには全くわからなかったが、オスカーの訪問は毎晩続いていた。
 そして、今夜も。
「・・・よく飽きないものだ」
目の前に立った人影に、クラヴィスはそちらを見るでもなく呟いた。
だが、いつも遠慮なくテーブルの前の椅子に腰掛ける男が今夜は座ろうとしない。
訝しんでクラヴィスが見上げれば、オスカーはひょいと肩を竦めて見せる。
「折角だ。酒でも飲まないか?どうせ、俺の他に客なんていないんだ。場所を移しても困らないだろう?」
そう言うオスカーを暫くじっと見つめていたクラヴィスは、やがて音もなく立ち上がった。
 オスカーはクラヴィスをVIPルームに連れてきた。マジックガラスで仕切られたこの部屋は、外から覗くことの叶わない部屋である。
 琥珀の絨毯が敷かれたその部屋は、狂ったように踊り続ける人々がごった返すフロアとは打って変わって静かだった。
フロアに流れる音楽のリズムだけが伝わってくる。
「ワインで構わなかったか?」
「・・ああ」
革張りのソファに深く腰掛け、二人は暫く無言のまま紅玉色の酒を愉しんだ。
「終末ってのは・・・」
二杯目のグラスが空になる頃、オスカーがそう切り出す。
「世界の終わりってのは、どんな感じだと思う?」
「・・・別に」
クラヴィスの答えは短かった。
「別に?」
「終わりなど、何処にでも転がっているだろう」
終わりが死だと言うならば、取り立てて騒ぐほどのことでもないとクラヴィスは思っている。
 全員が死のうと、一人だけ死のうと、自分が死ぬことに変わりない。
 自分が死ぬ時が、自分にとっての世界の終わりなのだ。
「随分あっさりしてるな」
「それほどのことでもあるまい?」
「殆どのヤツらにはそれほどのことがあるから、こうなんだと思わないか?」
オスカーがガラスの向こうを指差す。そこにいるのは、迫り来る終末に怯えて目の前の享楽に必死に縋りつく人々。
「ここにいる者だけが全てでもないだろう」
クラヴィスはそう返した。
ワールズエンドに集う人々とは対極に位置するかのように、日常を守って暮らしている人々も多くいる。
「同じさ」
今度はオスカーが短く答える番だった。
「日常ってヤツに縋って、終わりを考えないようにしてる。このままずっと日常が続いていくと信じ込もうとしてるのさ」
足で軽くリズムを刻みながらそう言いきるオスカーの横顔が酷く醒め切っていて、クラヴィスはほんの僅かに眉根を寄せた。
 この横顔を、フロアの片隅から幾度となく見たことがある。
フロアの壁に凭れて一人踊る人々を眺めている時も、フロアの中央で多くの人々の視線を集めながらビートに身を任せている時も。あまつさえ、バーカウンターのスツールに腰掛けて、親しい友人たちと他愛無い話に興じている時でさえ、オスカーはふとした瞬間に酷く醒め切った横顔を覗かせる。
 それはいつもほんの一瞬で、よほど冷静に観察にしているのでなければ気づかないだろう。
常にフロアの片隅でワールズエンドを見ていたクラヴィスだからこそ気付き得たその横顔。
「おまえの言うとおりなのだとすれば・・・。私も、そしておまえも、その中の一人なのではないか?」
クラヴィスもまた、日常を送る者の一人である。そして、毎夜クラブに現れるオスカーもまた、変わらぬ日常に拘っている者に数えられるはず。
「終末を恐れてない人間は別だろう?」
オスカーはそう言って少し頬を歪めるように笑った。
「あんたがあまりにも普段と変わらずにあそこに座ってたから、興味を持ったんだ」
 あまりにも淡々と、あまりにも静かに。
フロアの片隅の定位置で、何の興味も無さそうにワールズエンドを眺めている占い師。
以前から存在は知っていた。時々視線を感じることもあった。
 知られている。
漠然とそう思っていた。
自分の中の醒め切った部分を、何故だかこの占い師には見透かされてしまっていると感じていた。
「おまえは、何に苛立っている?」
自嘲的にも見える笑みを浮かべるオスカーに、クラヴィスはそう訊ねた。
 唐突な質問だった。
しかし、問われたオスカーにはやはり、という諦めにも似た感慨があるだけだ。
「あんたは本当に優秀な占い師だ」
ほんの二週間前、初めて言葉を交わした相手の心の内を、なんて正確に突いてくるのか。
「なんで・・・。いや、止めておく」
肩を竦めてオスカーが首を振った。
「それよりも。世界が終わる瞬間までここで過ごすつもりか?」
「そう言うおまえも同じではないのか?」
「そうだな・・・。他に行くところもないしな」
その時、すっとクラヴィスの手が伸びてきて、オスカーの前髪を梳いた。
「・・・?」
「見た目よりも・・・柔らかいのだな」
「そんなこと知りたかったのか?」
いささか拍子抜けしたようにオスカーが問い返す。
「おまえは目立つのでな。自然興味も湧く」
 ワールズエンドに来る者の中で、この男ほど視線を惹く者はいない。
色とりどりに光を跳ね返すミラーボールの輝きの下でさえ、尚鮮烈な緋色の髪と。
抑えられた照明の薄暗さの中にあっても、冴え冴えと見る者を射抜く氷色の眸と。
野生の肉食獣を彷彿とさせる、無駄のない、しなやかな躰つきと。
 それは、万事に関心のないクラヴィスにすら、興味を抱かせるほど。
「なんだ、早く言えばよかったのに。・・・ああ」
オスカーは驚いたような、不思議そうな、そんな曖昧な表情を覗かせて僅かに首を傾げた。
「そういえば聞いてなかったな、あんたの名前。俺はオスカー。あんたの名は?」
「・・・クラヴィス」
クラヴィスがそう答えると同時に、オスカーがクラヴィスに躰を寄せる。
「で?他に知りたかったことは?」
悪戯を仕掛けるかのようにオスカーが笑った。
 見る者の背筋をぞくっと粟立たせるような、色香が漂う笑みだった。女のように色を引いているわけでもないのに、その口許は息を呑むほどに艶かしい。
 ワールズエンドのキングが色事に長けることは、クラヴィスも知っている。実際、オスカーが美女の腰を抱き濃厚なキスを交している場面も、何度か見たことがあった。
 その時、自分は何を思ったのだろう?
クラヴィスはそれを思い出す。
 冴え冴えとした氷の眸が甘く煌く様を、もう少し間近で見てみたいと思った。
 華やかな微笑を形作るその唇は、触れると甘いのだろうかと考えもした。
 関わりあいになることなど有り得ないだろうと思っていた。自分から近づいていこうと思ったことはなかったが、触れてみたいとは、思っていた。
「知りたかったのは・・・」
 クラヴィスのすぐ近くで、触れてみたいと思っていた男がこちらを見つめている。
 悪戯めいた笑みは、クラヴィスが何を思っているのか予測がついていると言っているようだ。そして、それを許すと氷色の眸が雄弁に語りかけてくる。
「おまえの唇は、触れると甘いのだろうか」
「確かめてみるか?」
オスカーがそう促す。
「おまえは、同性も相手にするような者には見えなかったが」
ふとした疑問を口にすると、オスカーはくくっと吹きだした。
「勿論。だが、それだけの興味を持てる相手なら、拘りはしないさ」
そのセリフに、クラヴィスはオスカーの躰を抱き寄せる。
まるで、幾度も抱いたことがあるかのように、至極自然な動作で。
「私はおまえにそれだけの興味を抱かれたということか」
「だから言っただろ?興味を持ったんだって」
そう笑う唇を、クラヴィスは自らのそれで塞いだ。
 唇を甘噛みし、やがて薄く開いたその内へと舌を忍ばせる。
何度も角度を変えて合わされる唇の合間に、絡み合う舌が見え隠れして淫猥な音を立てた。
オスカーは自ら着ていたシャツのボタンを外すとクラヴィスの膝を跨ぐ。
マジックガラス越しに入ってくるフロアの色とりどりの照明が、オスカーの躰を彩った。
 しなやかな、野生の獣の躰。
遠くで眺めていた時もそう感じていたが、こうして眼前に晒された裸の上半身の、その美しさにクラヴィスは深い満足感を覚えた。
 飽きもせず口づけを交わしながら、クラヴィスの指がオスカーの首筋から綺麗に浮き出た鎖骨をなぞり、張りのある胸筋と滑らかな肌の感触を愉しんだ後、薄く色づいた胸の突起を摘む。まだ柔らかいそこを、まるで子供が玩具に夢中になるように幾度も摘んだり引っ掻いたりを繰り返すうちに、やがてそこはぷつりと硬く勃ちあがった。触れていない方の突起もまた、刺激された性感に硬さを見せ始めている。
「残念かもしれぬな・・」
ようやく一旦唇を解放したクラヴィスが、オスカーの胸を見てそう呟いた。
「・・な、にが?」
荒くなった息を継ぐせいで不自然な言葉の途切れ方でオスカーがそう尋ねる。
「この明かりでは、色が見えぬ。・・・美しく色づいているだろう、ここが」
「ん・・っ」
言いながらキュッと固くなった突起を弾かれて、オスカーの口から甘い息が洩れた。
 クラブはどこも薄暗い。VIPルームもオレンジ色のライトによって淡く照らされているだけで、本来の色を見ることは叶わない。
「無口な男だと思っていたら、意外と恥ずかしいセリフを真顔で言える男なんだな、クラヴィス」
それでも、そう言って笑うオスカーの氷碧の眸は尚鮮烈に眼に映る。
「別に、思ったことを口にするだけだ・・・」
「まあいいさ。無言でただヤられるよりはいい」
 オスカーがクラヴィスの首元に唇を寄せ、喉のなだらかな隆起を柔らかく愛撫しながらそう言った。
その唇はやがて降りていき、クラヴィスのシャツのボタンを歯で器用に外していく。
「・・・慣れているな」
胸元に暖かい息がかかるくすぐったさに眼を眇めながら、クラヴィスが吐息のように呟いた。
「言っとくが、男相手にこんなことするのは初めてだぜ?・・・だが、どうせヤルならより卑猥な方が興奮するだろう?」
「確かにな・・・」
 クラヴィスの手がオスカーの胸から更に下へと降りていき、ベルトのバックルを外す。ボトムのジッパーを下ろし、アンダーウェアごと、雑に引き摺り下ろした。
「ふ・・・っ」
冷たい手に自身を包まれて、クラヴィスの胸元に寄せたオスカーの唇から溜息とも喘ぎともつかない息が溢れる。
 胸への刺激ですでに勃ち上がりかけていたソレは、クラヴィスの手に包まれて見る見る反応を示していく。
自分だけが愛撫されるのは納得がいかないのか、オスカーもまたクラヴィスの下肢へと手を伸ばし、クラヴィスのそれを愛撫し始めた。
 いつしか、二人の息は熱く荒くなっていき。
だがその息遣いも、蜜を零し始めた欲望を扱く卑猥な音も、マジックガラスの向こうから聞こえてくる激しいビートに掻き消されて。
「もう、いい・・・」
クラヴィスが自らを愛撫するオスカーの手を外させた。
「?」
熱に浮かされたような眸でオスカーがクラヴィスに視線を遣る。
「おまえの乱れる姿で私は充分なのでな・・」
「ぁ・・んっ」
言葉と同時に一際強く扱いてやると、喉が引き攣れたような悲鳴が上がった。
「一度吐き出しておけ・・・」
「勝手なこと・・・ッ」
言うな、と続けようとしたオスカーの声は、空いた手でグイ、と頭を引き寄せられ唇を貪られて消えた。
 洩れ出る声さえも逃さないとでもいうようにきつく舌を絡め、オスカーの口腔を貪るクラヴィスの手が、オスカー自身に更に激しい愛撫を加える。オスカーのソレが零す蜜が滑りとなってクラヴィスの手の動きをスムーズにしていた。
「・・・ッ」
合わさった唇から僅かにくぐもった声が聞こえる。同時に、オスカーはクラヴィスの手に精を放ったが、クラヴィスはオスカーの唇を解放しようとはしなかった。
 息苦しさからオスカーの手がクラヴィスを押し戻そうと動くが、それを、背を強く抱き寄せることで封じると、クラヴィスは滑りを纏った指をオスカーの後孔へと忍ばせる。
固く閉ざされたそこをクラヴィスは少しずつ少しずつ解していった。いっそ、処女を扱うような労りで以て丹念に愛撫する。オスカーの手に刺激され、またその媚態に煽られたクラヴィス自身はこれ以上ない程怒張していたが、事を急いてオスカーの躰を必要以上に傷つけるつもりはなかった。
 これはただの性欲処理ではないのだ。肉の交わりだけが欲しいのではない。
ただ躰を合わせ、快楽を得るのではあれば、相手など幾らでも探せる。何も慣れない同性の躰で性欲を満たす必要などない。現に、ガラス一枚隔てた向こうには、刹那の享楽を貪欲に求める人々が踊り続けている。求めれば、柔らかな躰を提供する女はすぐに見つけられるだろう。
 しかし、二人は二人だからこそ抱き合う気になったのだ。
クラヴィスはオスカーだからこそ触れてみたいと望み、オスカーもまたクラヴィスだからこそその手が自分に触れることを許したのだった。
 やがてクラヴィスの指がオスカーの身の内に沈められた。
「くっ・・ふ・・・んっ」
鼻にかかったような甘い喘ぎがクラヴィスの耳を愉しませる。
 宥めるように決して急くことなく、クラヴィスはオスカーの内部を解していく。指を増やし、同時にもう片方の手でオスカー自身を愛撫することで痛みを和らげてやる。
 オスカーもまた、先ほどクラヴィスによって外された手を再びクラヴィス自身へと添えて刺激を与える。上半身を屈めて、唇でクラヴィスの胸元を愛撫した。
「・・よいか?」
端から合意の上での行為にも関わらず、そう訊ねてくるクラヴィスの妙な律儀さがオスカーには可笑しい。
「はやく、くれ・・・ッ」
だから、耳許で、殊更劣情を刺激するかのように囁くことで答えてやる。
 初めて自分の躰の内に同性を迎え入れる衝撃は、オスカーが予想していたよりは酷くなかった。
それが、丹念に労るように指で解されていたからなのは間違いない。
「ぁ・・・」
怒張したモノを根元まで受け容れて、さすがにすぐに躰を動かすことができずにいるオスカーの息が少し落ち着くのをクラヴィスが静かに待っていると、不意にオスカーの躰がびくっとしなった。
「ん・・ぁ・・っ」
オスカーの躰は小刻みにしなり、内に咥え込んだクラヴィスを締め付ける。それはそのままクラヴィスにも快感となって伝わる。
 最初はオスカーのその変化の原因がわからぬまま、深い快楽に身を委ねていたクラヴィスだが、やがて小刻みに襲う快楽の元に思い当たった。
「あれ、か・・・」
クラヴィスは自分の背後をちらっと見遣った。
 フロアに流れる曲が、変わったのだ。
今までよりも激しい音。その重低音のビートが震動となって二人に熱をもたらしている。
「あぁっ」
クラヴィスはわざとリズムの裏をとってオスカーを突き上げた。
「・・クラ、ヴィス・っ」
「・・すべて、忘れるほどに乱れるがいい」
そう囁いて、クラヴィスはオスカーの胸にひとつ痕を残す。
 残された時間は少ない。
この終末の時に、自暴自棄の享楽ではなく、心を伴う深い快楽に溺れられる相手と出逢えた奇跡を深く強く味わいたい。
そんな想いを胸に、更に強い悦楽を得ようと、二人は行為に没頭した。
 
 
 
 
 
 情事の後の気怠さのまま、だらりとソファに身を預けているオスカーが宙を見つめたままぽつりと呟いた。
「俺が何に苛立ってるのかって、訊いたな。クラヴィス」
「・・ああ」
すっかり生温くなった酒を口に運びながらクラヴィスは答える。
「・・・なんで、誰も疑わないんだ」
 苛立ちと、哀しみと、諦めと。
醒め切った横顔が意味するものを、クラヴィスは理解した。
「終末を、か」
無言でオスカーは頷く。
「コンダクターの予見は外れることがない。・・・それは歴史が証明している」
 少なくともこの世界の記録が残されている限りは、「コンダクター」の予見によって世界が導かれてきたのは疑いようがない。
「今まで外れなかったからって、次が外れない保証がどこにある?」
 何処で生まれ何処で育ち、どんな生活を送っているのかもわからない。
 その力が血統によって受け継がれているものなのか、それとも偶発的に覚醒する能力なのかもわからない。
 予見とは、何か儀式を行った上でされるものなのか、それともある時突然神の宣旨のように頭に浮かぶものなのかもわからない。
 そんな得体の知れない者の言うことを、人はどうしてそこまで無条件に受け容れられるのか。
 世界が終わる、という究極の予見を提示されて尚、誰もそれに疑問を抱かない。
 誰一人として、「そんなことは嘘だ」と言い出さない。
「世界が終わるんだぜ?こうやって何事もなく暮らしてるこの世界が突然終わるって言われたんだ。信じられないのが当たり前じゃないのか?」
裸の上半身を起こし、オスカーがクラヴィスを見つめる。
その視線を真っ直ぐ受け止めて、クラヴィスは逆に問い返した。
「だがおまえは終末が来ると思っているように見えるが?」
 オスカーの態度は終末が来ることを受け容れている者のそれに見える。にも拘らず、オスカーが何故こんなにも苛立ちを見せるのか、クラヴィスにはわからない。
「・・・ああ。俺は・・」
その後に続いた言葉は、クラヴィスには聞き取れなかった。
 オスカーは息を一つ吐くと、軽く頭を振って立ち上がる。
「無駄だな、こんな話。つまらない話に付き合わせて悪かった」
「構わぬ・・・」
その答えにオスカーは肩を竦めると皺のよったシャツを羽織った。
「スタッフ用のシャワールームがある。使うだろ?」
クラヴィスも頷くと立ち上がった。
 
 
 
 
 
 ワールズエンドの夜は続いた。
 大音量で流れる音楽。リズムを取りながら下らない話に大袈裟に笑い、躰に響くビートに任せて一心不乱に踊り続ける。
 毎夜、オスカーはクラヴィスの許を訪れ、そのまま腰掛ける日もあればVIPルームへと誘う日もあった。
一度VIPルームへと足を踏み入れれば、二人は貪欲に求め合い、夜が明けるまで互いの躰を感じあう。
 オスカーは饒舌な男で、他愛もない話をよくしたが、終末についての話が出ることはなかった。けれど時々、酒を飲みながらあの醒め切った横顔でフロアで踊る人々を眺めていた。
 そして、「コンダクター」が予見した、終末の日。
 ワールズエンドには相変わらず音楽が流れている。激しいリズムとビートのエンドレスリピート。
しかし昨夜までと確実に違うのは、ワールズエンドに集う人の数だ。昨夜までの混雑が嘘のように、今夜はフロアにまばらにしか人がいない。最後の夜を、殆どの人々は愛する者の手をとって震えながら過ごしているのだ。
 その夜もいつもと変わらずフロアの片隅の定位置に座ったクラヴィスは、フロアの向こう、バーカウンターのスツールに目的の人物を見つけて静かに立ち上がる。
スツールに腰掛け、バーテンダーの消えたカウンターでカクテルグラスを回している男は、最後の夜もまた、醒め切った横顔を見せていた。
「オスカー」
クラヴィスが名を呼ぶと、フロアを彷徨っていた視線が引き戻される。
「初めてだな、あんたが自分から来るなんて」
悪戯でも仕掛けたかのように笑うその顔は、いつものまま。
「ワールズエンド最後のオリジナルカクテルさ。名前をつけてくれって頼まれたんでつけてやったんだが、その所為で誰も飲もうとしなかった。バーテンに悪いことしたな」
「なんという名をつけた?」
「タイム・トゥ・カウントダウン」
オスカーは苦笑しながらグラスの中身を煽るとスツールから立ち上がった。
「場所を、移そうか?」
その言葉にクラウィスは黙って頷いた。
 
 
 
 
 
 既に慣れ親しんだ感があるVIPルームに入ると、クラヴィスはオスカーの手を引き寄せ、荒々しく抱き締めた。まるで砂漠の旅人がオアシスを見つけたかのように激しい口づけを施す。
「んっ・・・」
深く口づけながら、オスカーのシャツを引き裂くように乱暴に脱がす。今までの情交に於いて、オスカーがこういった荒々しい行為を演出することはあったが、クラヴィスがここまで能動的に仕掛けてきたことなどない。およそクラヴィスらしくない荒々しさである。
 クラヴィスがようやくオスカーの唇を解放した時には、オスカーの息は完全に上がりきり、力の抜けた躰をクラヴィスに預けていた。
「おまえに、訊きたいことがある・・・」
晒された白い首筋を尖らせた舌でなぞり、クラヴィスはそう切り出す。
「なん、だ・・・?」
荒い息の下、オスカーが自らの首筋に顔を埋める男を見た。
「おまえが見た終末とは・・どんなヴィジョンなのだ?」
 瞬間、オスカーがクラヴィスを引き離すべく腕を突っ張ろうとする。だがクラヴィスはそれを許さなかった。渾身の力でオスカーの躰を抱きすくめる。
「なに、言って・・・っ」
「コンダクターは、おまえなのだろう?」
 それはクラヴィスの確信だった。
最初からそう考えれば、あの醒め切った横顔の理由もすべてが納得がいった。
「コンダクター」の予見を誰も疑わないことに怒りさえ感じていながら、彼自身は予見を信じているという、矛盾。
 「だがおまえは終末が来ると思っているように見えるが?」そう問うたクラヴィスにオスカーが返した言葉。「・・・ああ。俺は・・」激しいビートに掻き消され、クラヴィスの耳まで届かなかった、そこに続いた言葉。声は聞こえなかった。だが、唇の動きは見えた。
 あの時、オスカーはこう言ったのだ。「見てしまったから」と。
 信じているのでも、聞いたのでもない。見た、と彼は言った。
この世界中で、終末を「見て」しまえたのはただ一人、世界の終わりを予見した「コンダクター」のみ。つまり、それを「見てしまった」と言うオスカーこそが、「コンダクター」本人なのだということになる。
「なにバカなことを・・・」
蒼褪めた顔でオスカーが笑おうとする。
「バカなことかどうか、それはおまえが知っている・・・」
 囁く吐息とともにクラヴィスは愛撫を再開した。
オスカーの躰を後ろから抱きかかえる様にソファに座る。首筋から肩口、背中へと唇を滑らせ、冷たい手で胸から脇腹にかけてを柔らかく撫でていく。
先ほどまでの荒々しさとは打って変わった優しい愛撫に、オスカーは知らずほぅ、と息を吐いた。
 それは性感を煽り快楽を得るための行為ではなかった。
 文字通りの、情交。情を交える為の優しい愛撫。
「話すといい・・・。おまえが見たものを」
クラヴィスの声は静かだった。
 オスカーが「コンダクター」本人なのだろうと思ったその日から、クラヴィスの中のオスカーに対する感情は次第に変化していった。
 目を惹く存在への興味から始まったそれは、抗い難い強烈な艶により情欲へと変わり、そしてその内面に思いを馳せたとき、確かな愛しさを伴った。
「・・このちから能力はお袋から継いだんだ」
やがてオスカーの口からクラヴィスの推測を肯定する言葉が吐き出された。
「終末を見たのは、ずっと前だ。この能力は自分でコントロールできるわけじゃない。見たいと思って見えるものでもないし、・・・見たくなくても、勝手に見える」
 あんたみたいに、水晶球でも使うならまだコントロールのしようもあるのにな、とオスカーは苦く笑う。
「そうか・・・」
 確実に迫ってくる終わりを、自分一人の胸の内に抱える日々は、どれだけ孤独だったろうと思う。そして、その予見をいつ明らかにするか、悩んだに違いない。
「真っ白になるぜ?」
クラヴィスの腕に背を預けて、横から窺うようにオスカーが言った。
「それがなんなのかはわからない。ただ、世界は強烈な光に晒されて真っ白になる」
 その光が収まった後、世界がどうなっているのかはオスカーにも見えなかった。それは恐らく、オスカー自身の時も終わってしまうからだろう。
「死体は残るのか・・・それとも、跡形もなくすべてが消え去るのか、俺にはわからない」
 もうすぐ、運命の時が訪れる。
 世界を白く包む光が迫ってくる。
「新たな始まりなのかもしれぬな・・・」
オスカーの耳の後ろにひとつ口づけを落したクラヴィスはそう呟いた。
「始まりか・・・。世界の終わりが、か?」
 世界の終わり、それは確かな予見だった。
光に白く包まれたその光景が終末なのだと、何かがオスカーの脳裏に確かに告げたのだ。
「世界は終わり、そしてまた新たな世界が始まるのかもしれぬ・・・」
「それはどんな世界なんだろうな」
クラヴィスの漆黒の髪を一房指に絡ませて、オスカーは眸を閉じる。
「たとえば。・・『コンダクター』のいない世界」
クラヴィスがそう告げると、オスカーは薄く眼を開けて笑った。クラヴィスが初めて見る、穏やかな横顔だった。
「いいな、それ」
 先を知る者のいない、導く者のいない、混沌とした世界。もう一度、人々が自らの力で以て築き上げていく世界。
 終わりの向こうに、そんな世界が始まればいい。
「一ヶ月前、あんたに声をかけて正解だったな、クラヴィス」
「そうか・・」
「ああ。・・・・・もうすぐだ」
「そうだな・・」
それきり、二人は互いの体温を感じながら沈黙を守った。
 
 
 
 
 
 そうして。
 世界を。人々を。ワールズエンドを。
 強烈な眩い光が、白く染め上げていった。