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面と向かい合って、二人きり。後は口を開くだけ。




 月の地下渓谷は呆れるほどに広く深い。
おまけに隠し通路・転移装置の多用や構造上意味があるのか不明な造りが多い上、生息するモンスターは一つとして例に漏れず強力とくれば、たとえ平坦な一本道であったしても踏破にはそれなりに要するだろう労苦が、相当な加速度で膨れ上がることは必然だった。
 その日も、魔物を寄せ付けない聖結界を見つけた時点で無理をせず休息をとることにしたセシル達一行がコテージを設置し終えると、カインが周囲の警戒がてら水を汲んでくるとその場を後にしようとした。
「僕も行くよ。一人じゃ危険だ」
セシルがそれに続き、エッジも腰を浮かしかけたところでカインがそれを止める。
「王子様は残っててくれ。ローザとリディアだけにするわけにはいかん」
「・・・おう」
聖結界が張られている一帯は魔物が近寄れないから心配はいらないのだが、月の魔物の全容が判っているわけではないし、万が一という場合のこともあると言われれば否定もできず、エッジは浮かしかけた腰を再び下ろした。
 ぜってぇ避けられてるよな・・・。
はぁ、と思わず溜息を吐きながらエッジは項垂れる。
月に着いてからというもの、戦闘中はともかく、こうして休息を取る段階になるとさりげなくカインに避けられている気がしてならない。
 やっぱアレは拙かった・・・か。そりゃそーだよな。
魔導船の中での告白は、自分で冷静に思い返してみても、勢いというか成り行きというかなし崩しというか行き当たりバッタリというか、要は後先何も考えていなかったとしか言いようがない。
 寧ろ告白っつーより喧嘩吹っ掛けたっつー方がしっくりくるぜ。
バカ野郎はないだろう、バカ野郎は・・・と自分でも後で我に帰って呆れたが、言ってしまったものは取り返し不可能だ。これからどうするかを考えた方が賢明というものだろう。
 つっても、具体案なんか何も思い浮かばねぇよ。
はぁ、と更に大きな溜息を吐いて頭を抱えたエッジの様子を見ていた女性陣からくすくすと声が上がる。
エッジが顔を上げると、焚き火を囲んでエッジの両サイドにローザとリディアが陣取り、エッジを覗き込んでいた。
「幼馴染の経験から言うとね」
「へ?」
ローザの唐突な言葉にエッジが思わず間の抜けた相槌を返すと、バロン一の呼び声も高い美しい白魔道士は悪戯っぽく笑って言葉を続ける。
「面倒見がいいのに自分のことは放っちゃうから、こっちから突っ込んでいかないと何にも進展しないわよ」
「・・・はい?」
まったく話が読めずエッジがきょとんとローザを見返すと、そのエッジの腕をリディアがちょんちょんと突付いた。
「エッジ、あたしたちがどうやって月までついてきたと思ってる?」
「どうやってってそりゃ・・・」
 月に向かう前に下船させたはずの彼女たちは、いざ月で魔導船を降りようとした段階で姿を現した。「降りた振りをして隠れていた」とそう言って。確かに自分達はブリッジでローザとリディアを説得し、それに応じて彼女たちが渋々とタラップを降りていったところまでしか確認していなかった。二人はタラップを降り、船外へは出ずに船内下層に身を隠していたのだろう。だがそれが一体なんだというのだ。
「あたしたちね、船の下の階の、端っこの方に隠れたの。その方がブリッジから遠いし、見つかりにくいと思って」
リディアの言葉にエッジもそれはそうだろうなと納得する。が、次の瞬間ピタッと動きを止めた。
「・・・下層の、端??」
恐る恐るといった態で訊き返すエッジに、リディアも少しばつが悪そうに頷く。
「うん。下層の、端」
「念の為に訊いておくけどよ、それはどっちの端だ?」
「うーん、後ろの方、かな?」
えへへ、とリディアが笑うのに、エッジは力尽きたようにがっくりと項垂れた。その隣りでローザが謳うように決定的な科白を口にする。
「『好きだ!好きだ好きだ好きだ、世界で一番愛してる!コレで満足か、バカ野郎!』」
「のわぁぁぁっっっ」
意味不明な叫び声を上げて耳を塞いだエッジを誰も責められまい。
「乱暴だけど結構情熱的な告白よね」
「いやいやローザちゃん、それもうイジメだから。ヤメテ、お願いだからヤメテクダサイ」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
ね、とローザとリディアが顔を見合わせて笑う。
 当事者は恥ずかしいに決まってんだろ!とエッジは半眼で二人を見るが、彼女たちは何処吹く風だ。
「全部聞いてたのか?」
それだけは確認しておかなければ、とエッジはそう訊いた。
「ううん。そんなに近くに隠れてたわけじゃないもん。エッジが怒鳴るから聞こえたんだよ」
リディアの返答に、胸を撫で下ろす。その様子にローザが尋ねた。
「あら、もっと恥ずかしい愛の告白でもしてたの?」
「ちげーよ」
 エッジ自身は別に全て聞かれていても構わない。一番聞かれたくなかった科白を聞かれてしまえば今更だ。
だがカインはどうだろう。
 アイツは、あんな弱音聞かれたくないだろうさ。
エッジはそう思う。エッジの推測でしかないが、カインが自分に弱音を漏らしたのは、自分がカインの裏切りを責めたからなのだろう。自分を信じきってくれている相手に、弱音を吐ける性格ではないのだ、きっと。
 あー、やっぱ今の状態なんとかしねぇとな。
折角築いたカインが心情を吐露できる相手、というポジションがこのままでは危うい。エッジとしては元々成就するとは思っていなかった恋愛であるし、この立ち位置だけは死守したいところなのだ。惚れた相手の弱音を吐き出させて護ってやりたいと思うのが男だろう。相手も男ではあるが。
そこまで考えて、エッジは今この場で最も突っ込むべき疑問に行き当たった。
「つーかよ、なんでオマエら皆揃ってフツーに受け入れてんの?」
 仲間内の同性間で恋愛沙汰なんて、普通はもっと拒否反応が出て然るべきだろう。「汚らわしい」だとか「気持ち悪い」だとか。言われたらそれなりに傷つくが驚きはしない。
だが逸早くエッジの感情に気づいていたらしいセシルは止めないどころか発破をかける始末だし、ローザとリディアも嫌悪の感情を顕著にするどころか何やら好意的な気配すらする。
それとも何か、エブラーナでは異端だったがバロンは同性愛がオープンなお国柄だとでも言うのだろうか。
「そうね・・・慣れかしら?」
しばらく「うーん」と悩んでいたローザが言ったのがそれだった。
「慣れ?」
「そう。カインが男の人に言い寄られるの、昔は結構あったし」
「らしいな」
「えー、そうなの?」
セシルから話を聞いていたエッジがローザの言葉に相槌を打つと、そんなことは初耳のリディアが声を上げる。それに笑ってローザが頷いた。
「そうよ。だって、あの顔じゃない?」
「そっか・・・。そうだよね。あたしも初めて見た時びっくりしたもん」
 カインに面と向かって「綺麗」だの「美人」だの散々言って構っても、やんわり苦笑されるだけで済んだのは偏にリディアのキャラクターのおかげだろう。エッジがそんなことしようものなら間違いなくいきなり槍で突かれること請け合いだ。
「軽いからかい程度なら日常茶飯事と言っていいくらいだったし、本気になってた人も知ってるもの。なんて言うか、カインて性格はとても男らしいけど、いつでも涼しげで汗臭さとかそういう男臭さとは無縁じゃない?だから余計本気になられ易いみたいで。見ているこっちも、あんまり意識しないのよね、同性だからどうこうって」
 いやそれは気にしておけよ、とエッジは内心で突っ込んだが、気にされたらされたで自分が変態呼ばわりされるだけなので黙っておく。その隣りでリディアが「それに」と付け足した。
「エッジとカインてなんだかいいコンビだし」
「オレらが?」
「だって、カインはあたしにはあんなに打ち解けて話してくれないわ」
 リディアにも、それはカインの罪悪感に因るものだということは解っている。セシルとカインはリディアに対して同じ罪悪感を抱いているが、彼女が子供の姿の内から共に旅をして色々と話す機会もあったセシルにはリディアに対して父か兄のような肉親に近い感情が生まれたのに対して、カインには罪悪感だけが残ってしまった。
「ねぇ、エッジ」
神妙な顔になってしまったリディアを見て、ローザは落ち着いた声でエッジに話し掛ける。
「カインは私やセシルのこと、そうねリディアのことも大切に思ってくれているわ。でもだからこそ、彼は私たちを気遣ってばかりで自分のことを労ろうともしない。カインったら全然解ってないのよ、私たちだって彼を大切に思っているんだってこと」
 確かにローザが好きになったのはセシルだが、それがそのままカインを何とも思っていないということにはならない。恋愛感情がなくても、ローザにとってカインは兄代わりであり大切な幼馴染なのだ。小さな頃からずっと、セシルには言えないことでもカインには話してきた。きっとセシルも自分には言わないことをカインには話してきたのだろう。もしかしたら、それがカインを余計苦しめてしまったのかもしれないけれど。
「エッジなら、カインのこと有無を言わさず振り回してくれそうなんだもの。応援してるのよ?」
 あんま褒め言葉に聞こえねぇんだけどよ・・・。
釈然としない気持ちでエッジは曖昧に頷いた。
 別にエッジはカインを自分のペースで振り回したいと思っているわけではないのだが、どうやらカインの幼馴染たちは彼を振り回してほしいらしい。つまりは「押せ押せ」ということである。
「ちゃんと二人でお話しする時間作れるよう、あたし達協力するね!」
リディアが屈託なく宣言した。
 道を踏み外そうとしている仲間を止めようってヤツはいねぇのか。
引き返すつもりなど失せた道とはいえ、なんだか納得がいかないエッジだった。



 そこからはもう、一種の戦いだったと言っていい。
当事者でありながら傍観者になったエッジはそう思う。
エッジとカインを二人にしようとするローザやリディアと、二人になることを避けるカインと。セシルは一応傍観の立場を取っていたが、いざとなればローザ側に付くのは目に見えており。
青き星の存亡が懸かっているこの時に、その命運を託された者たちの間で下らなくも真剣な駆け引きが展開され、見ていたエッジはいっそ休息など取らずにレッドドラゴン連戦でもしていた方が余程気楽なのではないかと思うほど精神の消耗を強いられた。外野が乗り気の恋愛沙汰など滅多な覚悟でするものではないと、新たな人生の教訓を学んだ気分だ。
 そうして、恋愛沙汰に於いて乗り気の女性陣に敵う者などいるはずもなく。
エッジは見事(といってもエッジ本人は何の努力もしなかったのだが)、カインと面と向かい合って二人きり、後は口を開くだけ、という状況を手に入れたのだった。
 しかし気拙い。
無言で焚き火を見つめるカインは口を開く意思など全くなさそうである。
 ・・・オレってそんな嫌われたわけ?
思わず自問するエッジだが、考えてみればいくら周囲が妙に理解を以て協力しても、本人に理解があるかどうかは別問題だ。寧ろ、さんざん同性にからかわれたり言い寄られたりした経験があるのなら、男に告白されるなんて虫唾が走る事態だった可能性も十分有り得る。況してやその相手がそれなりに信頼していた相手ならば余計、裏切られたと感じるかもしれない。
 しかもその直前がまた、いいカンジで信頼度アップ!つー雰囲気だったしなぁ。
信頼させておいて告白とは、まるで下心があっての行動だったように見えるのではないかと不安になる。いや、下心がなかったわけではないのだが、それだけがすべてだったわけでもないのだ。それを誤解されるとキツイな、とエッジは思う。
とはいえ、悲観要素ばかりに思い当たって頭を抱え込みたい衝動に駆られつつも、けれど希望も否定しきれない。
 拒絶されている、とは感じないのだ。
確かに避けられはした。漸く話す機会を得た今もこうして無言を貫かれてはいる。しかしカインの纏う空気からはあからさまな嫌悪は感じない。とりあえず兜を被ったまま顔も見せてくれないということもない。今だって無言なのをいいことにカインの美貌を鑑賞し放題だ。視線を向けられるだけで嫌だとか、そういうことはないらしい。そこに希望を見出してしまうのはエッジの自惚れだろうか。
 とにもかくにも、ここで無言のまま過ごしても意味はない。時間は限られているし、不快な思いをさせたのなら謝りたいし、何よりこのまま何の進展もないままでいるのはエッジの性格上我慢できないのだ。
「・・・あのよ」
暫し悩んで、結局沈黙を破る最初の一声は何の変哲もないものになった。
「・・・」
返答はなく、カインはちら、とエッジに視線を向けただけだった。
 あー、挫けそう。
思わず心のうちで諦めそうになるが、そんなことをしようものなら、あの異様に乗り気な外野陣にどれだけ責められるか分かったものではないことに思い当たり、エッジはもう一度意を決した。
「なんつーか・・・その、こないだの、話なんだけどよ」
「・・・ああ」
今度は返事があって心底ほっとする。さてこの後をどう続けようかと考えて、まずは謝ることにした。
「なんか色々、悪かった」
「色々」をどこまで言及していいのかわからないから、とりあえず大雑把に言ってみたのだが。
「・・・色々ってなんだ」
やはり、カインはそのまま流してはくれなかった。
これはもう、ちゃんと言葉にするべきだとエッジは姿勢を正す。
「最初に言っとくけどよ、こないだ話したこと、あれは全部嘘じゃねえ。いざっつー時オマエを斬る覚悟があるのもオマエを好きだっつったのも、全部本当だ。それは誤解しないで欲しいんだよ」
その上で、とエッジはカインに向けて頭を下げた。エッジには見えないが、カインの眸が僅かに瞠られる。
「いきなりあんなこと言って、キスもしちまったし、怒鳴ったし、いや、オレも『バカ野郎!』はねーなと後で思ったんだよ。それと・・・その、気持ち悪いとか思ったなら、不愉快な思いさせて悪かった」
更に深く頭を下げる。それが誠意の証になるのかは判らなかったが、せめて相手からいいと言われるまで下げておこうとエッジがそのままの姿勢でいると、覚悟していたよりも遙かに早くカインの口は開かれた。
「顔を上げろ。あんたに殊勝な態度取られると調子が狂う」
 どうしてコイツはこう一言多いかね?
思わず内心で呟きながらエッジは頭を上げる。とりあえず、嫌悪されているわけではなさそうだ。
「別に、あんたのことを気持ち悪いとは思ってない。・・・驚きはしたが」
 そりゃそうだろうな、とエッジも頷くと、カインが続ける。
「言われたことを疑ってるわけでもない。王子様が俺に謝るようなことは何もない」
その言葉にエッジは安堵した。が、そうするとどうしても疑問が出てくる。
「でもよ、オマエ、オレを避けてたよな・・・?」
どう見てもカインはエッジを避けていたし、だからこそ女性陣との攻防があったわけで、それは偶然で気のせいです、では片づけられない。
 そもそも、だ。
避けられているという状況の打開策ばかりに気を取られていたから思い至らなかったが、よくよく考えるとカインがエッジを避けるという消極的行動に出たこと自体が腑に落ちない気がしてくる。
 セシルの話では、相手が本気だと判ればたとえ相手が同性であっても無碍にできないのがカインだという。本気を冗談にして流したりはしないというのは、相手が本気だと認めれば断るにしても誠意を以て対応するということだろう。
だいたい、「遠慮なく俺を斬るがいい」と言い切る潔さを持つカインが、相手を避けるとは信じ難い。
確かに、エッジは青き星の運命を賭した戦いに共に赴く仲間で、断って距離を置くといった真似が出来ないから今までの例には倣えないのかもしれないが、それでもカインの性格なら「ゼムスを倒すまではそういったことは考えられない」くらいのことは言ってもよさそうである。
 なんか、考えたら納得がいかねぇ。
悩んだオレの時間を返せ、などという気は全くないが、何も言わずに避けられた理由くらいは知りたい。
「オマエは優しいから相手の本気を冗談にして流したりしないってセシルが言ってたぜ?」
そうエッジが告げると、カインは一瞬眼を見開き、次いですっと視線を逸らした。
 あれ?オレなんかトラップ踏んだか?
なんだか訊いてはいけないことを訊いてしまった雰囲気に、エッジが密かに焦っているとカインが口を開く。
「優しさなんかじゃないさ。俺が、卑しいだけだ」
「・・・へ?」
場違いな言葉を聞いた気がして思わず間の抜けた相槌が出た。今の話の流れでどこをどうしたら「卑しい」という形容詞が出てくるのか、エッジにはさっぱり解らない。
「わりぃ、もうちょい解り易く言って貰えるか」
「・・・本当に優しいだとか誠実だとか言うのなら、好きだと言われたその場ではっきりと断ればいいんだ。その気もないのに相手を気遣う振りをして時間を稼ぐなんて、卑しいだろう」
案外あっさりとカインは説明したが、それでもまだ卑しいという言葉の真相には遠い。
 とりあえず、今までカインが告白されても即答しないタイプだったということは判明した。ということはやっぱりオレも振られ路線か、とエッジは思い、しかしそれが何故カインにとって時間稼ぎになるのかがさっぱり見当がつかない。それこそが、カインが自らを「卑しい」と貶める理由なのだろうに。
「えーとよ、なんかよくわかんねぇけど、思いもしなかったヤツから告白されて即答できないってのは別にフツーだと思うぜ?卑しいって、そりゃちょっとオマエ、言い過ぎなんじゃねーの?」
エッジがそう言うと、カインがフッと笑った。
「王子様は人が好いな」
 コイツ、もっと素直に笑うことできねぇのかな。
カインの顔を見てそう思う。カインは意外とよく笑うが、それは戦意を高揚させる為であったり自嘲的なものであったりすることが多く、あまり幸せそうな笑顔とはいえない。折角美しい顔をしているのだから、きっと微笑めばさぞかし目の保養になるだろうと思うと勿体ない。
 ここで「オレがオマエの笑顔を引き出してやる!」とか言っても、野郎同士じゃ寒いだけだしなぁ。
やはり同性相手というのは勝手が違うとしみじみ思いながら、エッジはカインに言葉の続きを促した。
「どーゆー意味だよ」
「・・・くだらない自己満足だ」
「オマエ、もうちょっとちゃんと説明しろよ」
 カインという男は基本的に言葉の絶対数が少ないのだ。要点を纏めて端的に示すのは得意そうだから、きっと士官学校のレポートなどの成績は上々だっただろうな、と予測がつく。その代わり、親密な意思疎通を図るには絶対的に言葉が不足している。
小さい頃から「若はもう少し言葉を慎みなされ」と爺のお小言を食らってきた自分とは正反対だな、とエッジが考えながらカインの反応を待っていると、カインが座り込んだ自らの足下に視線を落として言葉を紡ぎ出した。
「いちばんに、思ってもらえるのが心地よかった。・・・まるっきり幼い子供の思考だ。自分は応える気がないくせに、相手には自分のことを想っていて欲しくて答えを先延ばしにしたんだ。優しいんでも誠実なんでもない。利己的で卑しいだろう」
自嘲に歪んだ顔を見られるのが嫌で、カインは左手で顔を覆った。
 もう遥か遠いことのように思えるバロン城をセシルと共に出立したあの朝から、事態はいつも己の予想だにしない方向へ転がっていく。一生隠し通すと固く誓っていた自分の醜さや弱さに引き摺られ、よりによって自らの大切な者達を傷つけて醜態を曝し、今また一つ己の卑しさをこうして露呈している。
 単純な話だ。
誰かの一番になりたかった。
 セシルにとって一番大切なのはローザ。ローザが想っているのはセシル。
 セシルと共に庇護を受けたバロン王が先に呼ぶのもいつもセシル。
自分の大切な人たちにとって、自分はいつも二番手で、最初に名を呼ばれることはない。
当然だった。セシルとローザは愛し合う者であり、バロン王はセシルにとっては父代わりだったが、カインにとっては後見人だったのだから。
本来自分を一番に考えてくれるはずの家族を亡くして以来、思うだけ無駄だと諦めていた願いだった。成長して大人になれば、そんなことを寂しいとは思わなくなる。たとえ一番ではなくても、自分の大切な人たちも自分を大切に思ってくれている。それで充分だとカインは思っていたのだ。それが自分自身に対するただの虚勢だったのだと気づいたのは、士官学校へ入学して初めて告白された時だった。
 自分が同性に真剣に想いを寄せられているという事態に驚いたカインは、即答できずに時間をくれと言った。それまで自分が存在すら意識していなかった、しかも同性の相手からの真剣な告白に、その時は本当にただどう対応すればいいのか解らなかったからだったのだが、数日のうちにカインは自分の欺瞞に気づいた。
 相手の意識の常に一番最初に自分がいる。いつも自分のことを想っている。自分はその状態を手放すのが惜しいのだ。自分の周囲の人間に求めて得られず諦めたそれが、図らずも自分の許に転がってきた。それは思っていた以上にカインの自意識を刺激し、同時にそれを自覚したが故に自己嫌悪を齎したのだった。
「本当に、救い難いな俺は・・・」
力のない呟きが洩れる。
 エッジに「好きだ」と言われ、それがどうやら本気らしいと理解したとき、カインの中に生まれたのは今までの比ではない満足感と、罪悪感と、そして混乱だった。理由は明白だ。エッジが今までの例とは一線を画す存在、要は仲間の一人だからだ。これほど身近な存在が、あれだけの罪を犯した自分を想ってくれる。それは自分の中にある「愛されたい」という子供のような我儘をひどく満足させ、だが自分の罪を鑑みたとき途方もない罪悪感を生んだ。そうして、カインはどうしたらいいか解らなくなった。
今までだったら、自己満足と自己嫌悪の折り合いをどうにかつけて、少し時間を貰った後ではっきりと拒絶していた。元々殆ど知らない、今後も大して付き合いがあるわけでもない相手からの告白であることが多かったから、拒絶したところで関係に影響はなかった。だが今度は違う。エッジは戦いに赴く仲間であり、そして何より、いざという時は斬る覚悟まで示してくれたエッジに、カインが「嫌われたくない」と思ったのだった。
自分の罪を考えたら受け入れるなんて到底無理で、けれど拒絶してもう二度と軽口も叩けないような関係になったらと思うと思いきることもできなくて、自分でも情けないと思いながらエッジを避けることしかできなかった。
「・・・呆れたか?」
苦く笑ったカインがそうエッジに問う。
「呆れた」
短く答えるエッジに、カインがそうだろうなと髪を掻きあげた時。
 ドン、と音がしそうな勢いで頭を抱え込まれてカインは眸を見開く。
自分がすぐ傍で膝立ちになったエッジの胸に抱え込まれているのだと状況を理解するのに時間がかかった。
「いやもう、ホンット呆れたわ。オマエ、バッカじゃねーの?」
「なっ」
「正真正銘の大バカだわな。バカインとかでいんじゃね?」
たぶん、「バカ」なんて言われたことないんだろうな、と思いつつエッジは遠慮なく言ってやることにした。
 だってバカはバカだ。
愛されたいと思って何が悪いのだ。大切な人が自分に振り向いてくれなければ寂しいと思って当然だ。それまで意識したことのない他人にでも、「好きだ」と言われれば気分が浮かれるのが人というものだろう。
それを卑しいだなんて、コイツは一体自分にどれだけのレベルを求めてるんだと頭の中を覗きたくなる。
本当に卑しいのなら、その気もないのに気のある素振りを見せてもっと事態を長引かせるだろう。
それに。
 断ったら、それですっぱり何とも思われなくなるって、どこのお子様だよオイ。
エッジは心底呆れていた。カインが危惧した呆れ方とは全く違っているけれど。
きっと、今までカインに告白した人間は、今でもカインのことを好きなはずだ。カインの側にどんな意図があったとしても、彼らから見ればカインは誠実に答えてくれたとしか感じなかっただろうし、そんな相手のことを、断られたからと言って嫌いになったりはしない。
そんなことも解らないなんて、呆れるしかないではないか。
「・・・王子様」
「なんだよ、バカイン」
う、とカインが言葉に詰まったのがわかってエッジは笑った。
「テメーはもうちょっと、オレに抱き締められとけ」
少し腕に力を込めるとカインが身動いだが、やがて諦めたように大人しくなる。
それを感じながら、エッジはこれからのことを考えていた。
 路線変更だなあ、こりゃ。
振られるのが当然で、それでも仲間として近しいポジションを確保できればいいなんて悠長に考えていたけれど、それでは駄目だということがよく解った。放っておいたら自家中毒でどんどん自分を追い詰めていくだろうこの男に、そんな生温いことは言っていられない。放っておけばどんどん落ちていくというのなら、無理矢理自分が引き上げるまでだ。なんだかエラく理解のある彼の幼馴染たちにも「押せ押せで行け」と言われていることだし。
 それになんか・・・脈アリっぽいし?
カインは意識していないようだが、「拒絶して嫌われたくない」というのはどう否定的に解釈しても脈があるようにしか思えない。エッジにしてみると「なんでそーなんのかねぇ」といった気もするが、自分自身に対して否定的で厳しいカインだから、それがエッジへの好意ではなく自身の甘えとして認識されてしまうようだ。
 だったらオレが変えていけばいいってか。
今までは負け戦だと思っていたから消極的にもなったが、これからは積極的に行かせてもらうことにする。幸い周囲の協力もあるし、本人の脈もある。元来積極的な性質のエッジには願ったり叶ったりだ。
とはいえ、最終決戦直前の今、あまり話を急に進めるわけにもいかないのだが。
「あのよ、カイン」
エッジが漸く体を離してカインを覗きこむと、「なんだ」と応えながらもカインが視線を逸らす。落ちてくる前髪が邪魔して見難いが、頬が薄ら赤く染まっていた。
 お、照れてやがる。
そんな些細な反応も見られることが嬉しくて上機嫌でエッジは続けた。
「とりあえず、すぐに答えろとか言わねぇからさ。ゼムスのヤローをぶっ潰した後でいい。だからオマエもオレとのオツキアイってヤツ、ちゃんと考えてみてくれよ。な?」
それは暗に、その為には罷り間違ってもゼムスとの戦いで命を犠牲にしたりするなという意味も込めての科白だった。
カインの方もそれを読み取ったのだろう、表情を改めて(それでも頬の赤味が完全には消え去っていなかったが)頷いてみせる。
「・・・わかった」
その言葉に、エッジは大きく伸びをしながら立ち上がった。
「おっしゃ、んじゃゼムスの野郎をぶっ飛ばしに行くとすっか~」
 そろそろ、エッジとカインを二人きりにすべく「月の地下渓谷観光」などととんでもない理由をつけて辺りの哨戒に行った外野陣も戻ってくる。そうすれば、最後の戦いは目の前だ。
「調子に乗って足手纏いになるなよ、王子様」
同じように立ち上がったカインがそうエッジに声を掛ける。
 お、いつもの調子に戻ったじゃねぇか。
しおらしいのもいいが、やはりこの方がしっくりくるな、と思いながらエッジは横目でカインを見た。
「バカヤロ、このエッジ様に向かって何言ってやがる。テメェこそ足引っ張んなよな」
「アンタと一緒にするな」
 やっぱムカツクかもコイツ。
半分本気で思いながら、エッジは意識を最後の戦いへと向けたのだった。