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A Day In The Life -5th.-




 緯度の高いロンドンは、夏と言っても気温は二〇度を上回る程度で、変わり易い天候もあり、薄手の上着は必需品だ。今日も最高気温は二三度、天候は曇りである。そんな日の昼前、二人はブルームズベリスクエアにほど近い家の前にいた。
 昨日ヴィクトールから聞いておいた、アンジェリークの友達が厄介になっている家、である。
「極楽鳥の時も思ったがな」
オスカーが微かに笑いながら言った。
「ああ?」
それに対して興味がないのか不機嫌なのか、どちらとも取れるような生返事をアリオスが返す。
「こうなると、因縁ってヤツだな」
「オレは誰かに仕組まれてんじゃないかと疑いたくなったぜ」
アプローチを通り、玄関のベルを鳴らしながらアリオスが憮然と呟いた。
「俺たちを嵌めてもしょうがないだろ」
肩を竦めてオスカーが返す。もう一度ベルを鳴らすと、暫くして家の中からバタバタと足音が聞こえ、玄関の扉が開かれた。
「あ~、すみません、お待たせしてしまって。ちょっと書斎で本の整理をしていたもので~。おや、珍しい、貴方たちでしたか。お久しぶりですねぇ」
扉を開けた男が、二人を交互に見てのんびりと言う。
「よう、ルヴァ。相変わらず本に埋もれた生活してるみたいだな」
「ええ。世の中は常に新しい知識が生まれていますしねぇ。それに古い本も読み返す度にまた新たな発見があるんですよ~。知識の泉は広く深い。私もまだまだです」
一人満足気に頷いている男を見て、アリオスとオスカーは顔を見合わせて溜息をついた。
 ルヴァ・アシュル。ここから五〇〇メートル程離れた所にある、ロンドン大学のカレッジで思想・哲学の講義を受け持っている教授だが、研究室よりも図書館の地下書庫にいることの方が圧倒的に多い、典型的学者肌な人物である。教授としては年齢が異例に若く、研究室よりも図書館にいることが多い所為で、教授ではなく教授付きの研究生に間違われてばかりいる。
 この男、繋がりはさっぱり不明だが、何故だかオリヴィエと仲が良く、二人もオリヴィエ経由で知り合った。生活パターンも行動範囲も、恐らくは体内時計のスピードも全く合わないので、なかなか会うことがないのだが、それでも三ヶ月から半年に一回くらいは顔を会わせて食事を共にしたりする。そういえば、前回顔を会わせてから既に四ヶ月ほど経っていた。
「知識の泉へのダイビングはちょっと待ってくれよ」
苦笑交じりにオスカーがそう言うと、ルヴァは一瞬驚いたように目を丸くし、次いでポン、と手を打った。
「え?ああ、そうですねぇ。うーん、本のことを語るとつい我を忘れてしまいますねぇ。さあどうぞ入ってください。お茶を入れましょうね~」
 
 
 
 今地震が起こったら確実に死ぬ・・・。本気でそう思いたくなるほど本に覆い尽くされたリビングの壁は、それでも日々進化を遂げているようだった。書斎に移される本、そこに新たに収まる本。持ち主の他から見たら、結局は本だらけ、としか思えないのだが。
「しかし珍しいですねぇ、貴方たちが私を訪ねてきてくださるなんて」
湯呑をテーブルの上に置いたルヴァがそう笑う。日本通のルヴァが淹れてくれたのは、紅茶ではなく緑茶である。なんでも学会で日本に行った際、骨董市を覗いて買ってきたという湯呑はルヴァのお気に入りの品だった。
「まあな。済まないが、実のところ用があるのはルヴァじゃなくて、ここのお客の方なんだ。可愛らしいお嬢ちゃんたちがいるんだろう?」
「お客?ああ、ロザリアとアンジェリークのことですか~。ええ、今ちょっと出てますけどね。もうすぐ帰ってくると思いますよ」
壁にかかった時計を見ながら、相変わらず良く言えばのんびり、悪く言えば間延びした口調でルヴァは答える。
すると、美味くも不味くもない、といった表情で緑茶を啜っていたアリオスが口を開いた。
「なんで大貴族の婚約者とアンタの客が知り合いなんだ?」
「それはですねぇ。元々、バーリントン公爵家と親交があるのはカタルヘナ家、あ、ロザリアの家なんですけどね、そのカタルヘナ家の方なんですよ~。カタルヘナ家はフランスの旧伯爵家でして。代々親交があったわけです。アンジェリークは、そう言った意味では普通の家の子ですから」
「シンデレラストーリーってヤツか。」
ええ、まあ、とルヴァはお茶を啜る。
「と、なると。逆になんでアンタがその旧伯爵家の令嬢と知り合いなんだ?」
「いやぁお恥ずかしい・・・」
 まだ何も言ってないだろうが。
オスカーとアリオス、ほぼ同時の心の声だった。
だが、そんな二人の微妙に呆れた視線に気づく様子もなく、ルヴァは照れ続けている。
「ルヴァ・・・。ルヴァ?」
「え?ああ、すみません、またやってしまいました。どうも私はついつい自分の世界入ってしまいがちのようで~」
 ダメですねぇ。
我に返ったようなルヴァがふぅ、と溜息をついた。
「私は元々バーリントン子爵とお付き合いがありましてね。ロザリアとはその関係でお知り合いになったのですよ」
そこまでルヴァが言うと、賑やかな少女たちの声が聞こえてきた。
「ただいま戻りましたわ」
リビングの扉を開けながら二人の少女が入ってくる。アンジェリークと、もう一人勝気な感じの美少女が、その旧伯爵家令嬢・ロザリアなのだろう。
「あ・・・」
何でも屋の姿を見たアンジェリークが目を丸くして立ち止まった。
「よう、お嬢ちゃん。元気そうで何よりだ」
オスカーが片手を上げる。
「あの、見つかったんですか?」
「もしかして、この人たちが何でも屋さん?」
アンジェリークが二人にそう問い掛けるのを聞いて、ロザリアがアンジェリークに確認する。どうやらピアスの件は聞いているらしい。
「・・・何でも屋じゃねぇ、つーの」
ぼそっと呟いたアリオスのセリフは、隣りに座っているオスカーにしか届かなかった。
「うん、そう。この人たち」
「やっぱり貴方たちのことでしたか~。ソーホーの何でも屋と聞いていたのでそうじゃないかとは思ってたんですけどねぇ」
ルヴァがふむふむと頷く。それに、まあな、と肩を竦めて答え、オスカーはアンジェリークに告げた。
「残念ながら、まだ見つかってはいないんだ」
「そうですか・・」
アンジェリークが肩を落とした。その肩をロザリアが小突く。
「そう簡単に見つかるわけないでしょう。シャンとしなさいな」
「うん・・」
頷くものの、俯いたままのアンジェリークの髪が、くしゃっと掻き回された。
「心配すんな」
「アリオスさん・・・」
驚いてアンジェリークが顔を上げると、アリオスは既にリビングの扉を出ようとするところだった。
「オマエの大事なもんは、そこの赤毛の色男が何があろうと見つけるってよ」
ちゃっかりと責任逃れなせリフだが、それに気づく者は押し付けられたオスカーの他にはいなかった。
とはいえ、元々アリオスはオスカーにつき合わされているだけなのは事実なので、オスカーも特に否定はしない。
「そうさ。言ったろう?必ず二つ揃えて君の許へ届けると。だからお嬢ちゃんも約束して欲しいんだ」
言いながらソファから立ち上がり、アンジェリークの前に立つ。
「約束?」
「バーリントン子爵は君のことをとても心配していらっしゃるようだ。ちゃんと子爵に事情を話すと、約束してくれるな?お嬢ちゃん」
ルヴァとロザリアも、アンジェリークを見つめている。そうした方がいい、そう告げる視線を受けてアンジェリークはオスカーを見上げた。
「・・・はい」
そうして、ややぎこちなく、けれどしっかりと彼女は頷いたのだった。



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A Day In The Life -4th.-




 「アリオスじゃないか」
アリオスがそう声をかけられたのは、アパルトメントから五分も離れていない場所にあるフォイルズという本屋でだった。地下から四階まであるこの店は、一般書よりも専門書が豊富な、さながら図書館のような品揃えで、アパルトメントから近い便利さも手伝い、アリオスがよく足を運ぶ場所である。
「・・・ああ、アンタか」
手に取っていた本を棚に戻し、アリオスは声の主の方へ向き直った。
「今日は相棒は一緒じゃないんだな」
「ガキじゃあるまいし、野郎二人でいっつもつるんでたって仕方ねぇだろ」
「ははっ、それもそうだな」
アリオスの目の前まで来た男は、ネクタイを緩めながら笑う。
「アンタこそ、珍しいじゃねぇか。ニュースコットランドヤードがこんなところで油売ってていいのかよ、お忙しいウェイストン警視」
人の悪い笑みでそう呼んでやると、相手はあからさまに嫌そうな顔をした。
「頼むから、普通に呼んでくれないか。お前にそんな風に呼ばれると、なんだか悪いことが起きそうで落ち着かん」
どこまで本気で言っているのか、頭を掻きながらのセリフにアリオスも肩を竦める。
「人を犯罪者みたいに言うな、ヴィクトール」
 ヴィクトール・ウェイストン。ロンドン首都警察、通称ニュースコットランドヤードの警視である。未だ三十を越えたばかりだというのに、既に警視にまでなっていることからも、彼の有能ぶりが窺い知れた。がっしりとした体躯の偉丈夫で、年齢よりも若々しい外見なのに、年齢以上の風格を備えているように見える。今の様に、実年齢よりも必ず若く見られ、オスカーからは「若作り」などと不当な評価を受けているアリオスと並ぶと、実際以上の年齢差があるように見えた。実際は、三つしか違わないのだが。
 探偵業を始めた頃、偶然関わった事件の担当刑事がヴィクトールだった。私立探偵なんて胡散臭げな輩を敬遠する警察関係者が殆どの中で、彼は二人を信頼し、それ以来、必要があれば情報を遣り取りするようになっている。公的権力が踏み込んでは問題にされる領域、権力がなくては踏み込めない領域、互いのテリトリーの情報を必要な時だけ提供してもらう。尤も、そんな機会は滅多になかったが。
「犯罪者の方がよっぽどマシな気がするぞ。犯罪者は逮捕すれば済むからな。お前たちだとそうもいかん」
「厄介事持ち帰ってくるのはアイツだぜ。オレを一緒にするな」
「まあ、自分の事は見えないもの、と言うしなあ・・・」
「・・・どういう意味だ」
 どういう意味もなく、そういう意味である。厄介事に巻き込まれるのはオスカーもアリオスも似たり寄ったりだと言っていい。確かに、女性に優しい紳士ぶりが災いしてか、オスカーの方は自ら厄介事に首を突っ込んでくる傾向があるにはあるが。
「ははは、気にするな。つまらないことを気にしていると、器が小さくなるぞ」
アリオスの肩を叩きながらヴィクトールが笑う。ポンポン、というよりは、バシバシ、というほうがしっくりきそうな勢いで肩を叩かれたアリオスが、不機嫌そうに顔を顰めた。
「それにしても、何やってんだ、こんなトコで」
ウェストミンスターに位置するニュースコットランドヤードからここまで、約二キロ強。仕事の合間にちょっと散歩、という距離ではない。
「いや、そのな・・・。まあ、お前だから構わんか・・・」
「なんだよ」
うーん、と唸るように鼻の頭を掻いてヴィクトールが小声で告げた。
「ちょっと、素行調査、みたいなことをな」
「素行調査?容疑者のか」
「いや・・事件は全く関係ない」
「警察の、しかも警視が単なる一個人の素行調査してるって言うのか?」
「そうなるなぁ・・」
困ったように答えるヴィクトールに、アリオスは思いきり疑わしげな眼を向ける。
「そんな眼で見ないでくれ。別に俺の個人的なことじゃないぞ。頼まれ事だ」
「アンタも充分、厄介事抱え込んでるじゃねぇか」
呆れたアリオスの言葉にヴィクトールは苦笑するのみだ。
「まあ、そう言うな」
 実はな、と話し出された内容を聞くにしたがい、アリオスの眉間に僅かに皺が寄っていったことは、幸いヴィクトールには気づかれなかったようだった。
 
 
 
 「バーリントン子爵?」
 絶妙のタイミングを逃さないよう、キッチンでエスプレッソメーカーと睨みあいを続けているオスカーが、視線を向けることなくアリオスに訊き返す。
「いずれ、バーリントン公爵になるがな」
ダイニングテーブルに肘をついてその様子を見ているアリオスは、面倒そうに頷いた。
「あのガキ、バーリントン子爵の若き婚約者らしいぜ」
昼間、ヴィクトールから聞いた話をオスカーにしてやる。
 ヴィクトールは、以前から面識のあったバーリントン子爵から相談を受け、未来の公爵夫人の素行調査紛いのことをしていたのだという。とはいっても、別に本当に彼女の素行が問題なのではない。
「一緒にフランスから来た友達が厄介になってるトコに暫く泊まる、って出て行っちまったんだとさ。あんまり突然で、しかもその二、三日前から落ち込んだ様子であちこち出掛けてたんで子爵様は心配したってわけだ」
 ヴィクトールから真顔で、「どうも三日程前に、ここの近くのアイスクリームショップで店に不釣合いな男二人といるのを見掛けたって情報があってな」と言われた時には笑うしかなかったぜ、とアリオスは続けた。
「その友達が厄介になってるトコ、ってのを心配はしてないのか」
「それがな」
疲れたように続けられたセリフに、オスカーは黙ってエスプレッソをカップに注いだ。次いでミルクを入れた鍋を火からおろす。そのまま、僅かな話題転換を行った。
「・・・一緒にいると失くしたことを子爵に気づかれるんじゃないかって不安になったんだな」
 可哀想に、とフォームミルクを泡立てながらオスカーが呟くと、アリオスが思い切り呆れた溜息をついた。
「あのなあ・・・。あのガキが可哀想とか言ってる場合じゃねえだろ。イギリス屈指の大貴族のお出ましだぜ?わかってんのか、オマエは」
 だが、オスカーはあっさりと頷いてみせる。きめ細かな泡のフォームミルクをエスプレッソに注ぎ、力作のカプチーノの出来上がりに満足そうだ。
「そうだな。バーリントン公爵が関わってるとなったら、尚更、お嬢ちゃんの名誉の為、ピアスを探し出してやらなきゃな」
 やっぱりそう来るか・・・。
わかってはいたが、やはりどこまでも全世界の女性の味方な発言に、アリオスはがっくりと肩を落とした。




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A Day In The Life -3rd.-




 昨日までの天気とは打って変わって明け方から降り出した雨は、降ったり止んだりを繰り返している。今日は一日薄曇りのままだろう。ロンドンの天気は変わり易いが、この時期は年間でも一番降雨量が多い。こんな天気の日は晴れ間は期待できない。
 ブラインド越しに眼下を行き来する傘の群れをしばらく眺めた後、アリオスはソファに腰掛けて新聞を広げた。特に目ぼしい記事もない。急を要する依頼もないし、今日は部屋で自堕落に過ごすことになりそうだった。
 もともとそんなに大きなアパルトメントではないから、当然この部屋も大して広いわけではない。部屋の間取りや広さは階と部屋の位置によって異なるが、最上階最奥角部屋のこの部屋には、キッチンダイニングとリビング、寝室が一つ。ファミリータイプではないことは勿論だか、ルームシェアにも向いているとは言い難い。にも関わらず、ここに部屋を借りたのは、ここから歩いて五分とかからない場所にある、バー・イタリアというカフェのカプチーノをオスカーが気に入ったからだった。
 住人が二人いるのに一つしかない寝室には、部屋の大きさと不釣合いなキングサイズのベッドが置いてある。何しろ部屋の住人は二人揃って平均を遥かに上回る身長の持ち主なので、どんなに部屋が狭くなろうと、このベッドだけは譲れなかったのである。しかも、一つのベッドに二人で眠ることもしばしばあるとなれば尚更だ。
 とはいえ、いつもいつも二人で眠るのはあまり愉快な想像でもないので、早い者勝ちで一人がベッドを取れば、あぶれた一人はリビングのソファを寝床とする。その為、ベッドの次に念入りに選んだのが、アリオスが今腰掛けているソファだった。
「・・・ああ、ちょっと急ぎでな・・・そう言うなって」
 携帯電話を片手にオスカーがリビングへと入ってくる。先程から電話を持ちっ放しだ。どうやら、話の内容はアンジェリークのピアスの件に関すること、恐らくは、昨日言っていた「見つけられなかった場合の手」についてのようだが、アリオスにはどうでもいいことだった。
「・・・わかってるさ。感謝するって言ってるだろ。・・・ったく、抜け目ないヤツだな」
携帯電話で話しながら、アリオスの背後に回ったオスカーが、ソファの背凭れに腰掛けた。空いている方の手で背凭れを掴む。その指先が、アリオスの肩先に触れた。
 電話をしながらどこかに浅く腰掛けるのはどうもオスカーの癖のようなものらしい。アリオスがソファの中央に陣取っているというのならともかく、寝床になる程度の大きさのラブソファには充分スペースがあるのだから、普通に座ればいいだろうに、どうやらそれでは落ち着かないようだ。
 元々、二人の出逢いのきっかけも、オスカーのこの癖だった。
アリオスが雑誌を広げつつ、デリで買ってきた遅い昼食を摂っていたベンチの背凭れに、やはりオスカーが携帯電話片手に腰掛けたのだ。今のようにオスカーの指先がアリオスの肩に触れて、それに反応して視線がぶつかった。それが出逢い。映画ではあるまいし、その一瞬で恋に落ちたわけではなかったが、あの時オスカーの指がアリオスの肩に触れなかったら、恐らく今こうしてはいなかっただろう。
 そんなことを思い出していると、アリオスの中に悪戯心が首を擡げてきた。悪戯、と言うには多少可愛げがなかったが。
 肩先に触れるオスカーの指に、そっと自らの指を絡ませた。爪の先から指の間、手の甲や手の平、手首あたりを丹念になぞる。携帯電話を耳に押し当てたまま、オスカーが驚いたようにアリオスを見るが、当のアリオスは涼しい顔をして新聞に目を落としたままだ。
視線は決して向けないのに、アリオスの指先は変わらず丹念にオスカーの手を行き来する。それはどう見ても愛撫としか呼べない、濃厚な空気を纏っていた。
「・・・あ、ああ、なんでもない」
 少しずつ、オスカーの気が削がれていく。電話の相手との会話に集中出来なくなってくる。
その様子を背後に感じながら、アリオスが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。新聞をテーブルに放り投げ、躰を捻ると、オスカーの指先を口に含む。オスカーが息を呑んだ。
「っ・・・、いや・・・ああ、頼んだ。・・っ・・気にするなって。そうだ。じゃあな」
電話の相手に不審に思われながら、オスカーは話を切り上げ、電話を切る。そうして、自分の左手を愛撫する男を見遣った。
「なんだ。もっと話しててもよかったんだぜ?」
物言いたげなオスカーの視線を受けて、白々しくアリオスが言った。
「お前、大人気ないな、とか思わないか?」
呆れたようなオスカーの声は、それでもアリオスに煽られた所為で僅かな熱を孕んでいる。
「別に。オマエが電話してたってオレは構わなかったぜ?勝手にするからな」
どうしようもない宣言に、オスカーが絶句した。
 こいつなら、本気でやる・・・。
二年弱の同居生活の中で、そんな諦めのような悟りのような、できればあまり辿り着きたくなかった境地に達してしまったオスカーは、溜息を一つ吐くとさっさと気分を切り替えた。
「どうする?」
見越したようにアリオスがニヤリと笑って問い掛ける。言葉は問いかけだが、こちらを見つめる視線は、既に答えを知っていると雄弁に語っていた。
 別に、抱き合うのは嫌いじゃない。まだ日の高い時間から、などと野暮なことをいう神経も持ち合わせていない。なにより、悔しいが、アリオスからこうやって求められることに喜びを感じている自分がいることを否定できない。
 ならば、素直に溺れよう。
「そうだな・・・。とりあえず」
背凭れに浅く腰掛けたまま、躰を捻り、アリオスにほうへ身を屈める。
「とりあえず、何だ?」
「指じゃなく、ちゃんとキスしようぜ」
言葉尻を飲み込むように、唇が重なる。
 電源を切られた携帯電話が、放物線を描いて向かいのソファに沈んだ。



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A Day In The Life -2st.-




 昨日に比べると大分湿度が低く、過ごし易い陽気である。
 私立探偵だか何でも屋だか、当人たちの間でも決着がついていないらしい二人が動き出したのは、昼過ぎからだった。
 アンジェリークが行ったというルートを一つ一つ辿り、目ぼしい場所に見当をつけ、捜す。地道な作業だが、探し物が探し物だけに最も確実な方法と言えた。当然、使用した交通機関には遺失物として届けられていないか確認済みである。
「で、あのガキがその日最後に行ったのが、ここなわけか・・」
心底嫌そうにアリオスが言った。
 ロンドン中心部から少し離れたチェルシーの一角、スローンスクエアからキングスロード沿いに五〇メートル程歩いた所に、一件の店がある。ヴィヴィアン・ウェストウッドに代表されるパンクファッションが生まれた街に相応しく、ここも店の外観からして、かなりの弾け方だった。
「どう見たって、あのガキの服の趣味とはかけ離れてるじゃねぇか」
「物珍しかったんだろ」
打ちっ放しのコンクリートにショッキングピンクのペンキで"cominciando di sogno"と書かれた店の看板を眺めながら、二人はどうでもいい会話を続けた。
「コレ、なんて意味だったか覚えてるか」
「イタリア語で夢の始まり、とか言ってた気がするがな」
「・・・悪夢の始まりじゃねぇか」
「悪夢だろうと、夢は夢だから間違っちゃいないんだろ」
 いつまでも店の前に立っていても仕方ないのだが、入るのを躊躇しているのには訳がある。何度か来た事はある店なので、決してその派手な外観の所為で嫌がっているわけではない。否、嫌と言えば嫌であるが、この際それは大した問題ではないのだ。外観よりも更に派手なこの店のオーナーを、二人はよく知っていたのである。
 どちらが先に足を踏み入れるか、互いに譲り合っていると、中から勢いよく扉が開けられた。ガラスの扉である。店の前で不毛な譲り合いをする二人の姿など、最初からこの店の主人の目に入っていたのだ。勿論、それは二人も承知のことではあったのだが。
「ったく、デカイ図体の男が二人揃って店の前に立ち塞がんないでくれるっ!?営業妨害で訴えるわよっ!?」
 北欧フィンランドの出身だという、元々は淡い金色の筈の長い髪は一部がピンクに染められている。言葉遣いも外見も女性のようだが、正真正銘男性である。
「オマエのそのカッコの方を、精神的苦痛で訴えたいくらいだ、オレは・・・」
アリオスがぼそっと口にする。それに苦笑しながらオスカーが声をかけた。
「よう、オリヴィエ。相変わらず見事な極楽鳥っぷりだな」
「ふん、アンタたちも相変わらずみたいじゃない~?」
オリヴィエと呼ばれた店の主は、人の悪い笑みを浮かべて答えた。オリヴィエ・ヴァールルースというのが、彼の名前である。
 元々はオスカーとオリヴィエが友人だったのだ。同年齢で、後から聞けば同じ大学に通っていたらしい彼らは、だが大学のキャンパスではなく深夜のクラブで知り合った。何しろ互いに目立つ容姿の持ち主であったから、時折顔を出すクラブでも互いの噂は聞き及んでいて、偶然出逢った時には、誰に言われずともすぐに噂の人物であるとわかったという。
お互い非常に癖のあるキャラクターながら、気が合うことはすぐに知れてそこから腐れ縁とも言うべき付き合いが続いている。
「ま、入ってよ。お茶くらいなら出してあげるよ~ん」
 アンタ達に酒なんて出したら飲み尽くされるから絶対出してやらないけどね。
そう言いながら、店の奥へと消えていくオリヴィエの後に、二人は続いた。
 
 
 
 アンジェリークからこの店の名前を聞いた時から予想していたことだが、やはり、彼女に「何でも屋」を教えたのはオリヴィエだった。
「だってさ、ピアスが落ちてなかったか、って尋ねてきてさ、なかったって言ったらもう、そりゃあ落ち込んじゃってさ。背景に雨雲背負ってんじゃないかってくらいなんだもん。放っておくのも可哀想じゃない~」
ティーカップをソーサーに戻しながら、オリヴィエが言う。
「だからさ、アンタたちのこと教えたわけよ。ここに何でも屋がいるから、頼んでみなって。きっとどーにかしてくれるよ~ってさ」
「何でも屋になった覚えはねぇよ」
オリヴィエとアリオスが顔を会わせると必ず、この遣り取りが行われる。
「いいじゃないの。結局オスカーに付き合って働かされてるんだしさ。面倒事は御免だ、とか言いながらアンタも弱いわよねぇ、アリオス」
毎回行われる不毛な遣り取りだが、毎回アリオスが押し黙って終わる。どだい、口でオリヴィエに勝てるわけがないのだ。
「ま、いい加減諦めるのね~相棒だか恋人だか、まあそのヘンは知らないけど、とにかくパートナーにオスカーを選んじゃったら、無理よ。このタラシが女の頼みを断れるわけないんだから」
 オスカーとアリオスが出逢ったときには既にオスカーの悪友という地位を確立していたオリヴィエは、二人の関係を知っている。はっきり言われたことも尋ねたこともないが、人の機微に聡いオリヴィエは、二人の間に流れる空気から彼らの関係を敏感に嗅ぎ取った。
常識から逸脱した二人の関係を知っても、だからと言って特に態度を変えるわけでもなく、精々からかいの種が増えた程度にしか思わない辺りが、オリヴィエの度量の広さであり、それ故に、会えば憎まれ口しか叩かないながらも彼らは良好な関係を続けている。
「おい、極楽鳥。誰がタラシだ、失礼なヤツだな。俺は女性の曇った顔を見たくないだけだぜ」
不本意な言われ様に眉を顰めてオスカーが訂正を入れた。
「はいはい、何とでも言ってな。・・・それで、どーなのよ?」
声のトーンを落とし、オリヴィエが尋ねる。
「どうも何も、あんな小さなモン、見つかるわけねぇだろうが」
 鬱陶し気に髪をかきあげてアリオスが言う。苛々していると髪をかきあげたり、くしゃくしゃとかきまわすのがアリオスの癖だった。
「どーすんのよ。アンタのことだからまた、『必ず二つ揃えて見せる』とか何とか約束しちゃってるんでしょ、アンジェちゃんに」
 オスカーの性格をしっかり把握しているオリヴィエの鋭い指摘だった。オリヴィエは、オスカーに何か策があるのだろうと、確信している。女性との約束を破り、その眸を曇らせてしまうなど、この男のプライドが許すはずが無いのだ。毎度、無茶な依頼や厄介事だと不機嫌そうにしながら、アリオスが渋々オスカーにつきあってやるのも、女性からの依頼に限ってはオスカーがそのプライドに賭けて絶対に成し遂げると知っているからである。
無論、先刻のオリヴィエの指摘通り、それだけではないのも事実だが。
「ん、まあな。見つけられなかった場合の手は打ってあるさ」
自信たっぷりに笑うオスカーを見て、オリヴィエの視線はアリオスへと移された。
その視線を受けて、アリオスもさあな、と首を振った。オスカーが打った手を、アリオスも聞いていないのだ。というより、最初から聞く気もなかった、という方が正しい。
 アリオスに言わせれば、どうしようもない依頼を受けたのはオスカーで、自分はそれにつきあってやっているに過ぎない。しかし、子供とは言え女からの依頼である以上、オスカーがどうにかするだろう。仮にどうにもならなかったとしても、それは自分の知ったことではない。
 そんな二人を交互に見比べて、オリヴィエが降参のジェスチャーをした。
「ま、アンタがそんだけ自信持ってるなら、なんとかなるんでしょ。・・・ちょっと、いつまでも寛いでないでくれる?用が済んだらさっさと帰んなさいよ、探偵さん」



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A Day In The Life -1st.-




 ソーホーとコヴェントガーデンをわけるチャリングクロスロードを一本ソーホー側に入ったグリークストリートの中程、ソーホースクエアに程近い場所にそのアパルトメントはある。築三〇年は経っていそうな建物だが、レンガ造りの壁に蔦が絡まる様子はこの都市の雰囲気に合っていて、トッテナムコートロードステーションに近い地の利も手伝い、空き室があってもすぐに埋まる人気物件だ。
 その人気物件の最上階、五階の一番奥の部屋のドアに、小さな表札がかかっている。白いプラスチックの板に油性ペンで殴り書きされた文字は"Private Detectives." よく見るとその文字の下に乱雑に拭き消された"Anything is done"という文字の跡も見て取れる。「私立探偵」と「何でも屋」では随分意味合いも違ってくるが、二つの文字の筆跡が違うところを見ると、どうやらこの部屋の住人の見解の違いのようだった。
 天気はいいものの、空気がじんわりとまとわりついてくる様な湿度の高いある日の昼下がり。
 時代もののリフトがひび割れた音のチャイムを鳴らして最上階に止まった。次いでギシギシだかミシミシだかわからない、どちらにしろ利用者の不安を煽る様な音を立ててリフトの扉が開く。
 中から出てきた少女はきょろきょろと廊下を見回しながら歩を進め、やがて一番奥の部屋の前で立ち止まった。
「ここだわ・・」
呟きと一緒にギュッと握り締められた手の中にはクシャクシャになったメモ用紙。どうやら此処の住所が書かれているようだった。
 小さな表札の横にはシンプルなブザーがついている。少女は恐る恐るそれを押した。
途端、リフトのチャイムよりもひび割れた音が響き渡り、彼女は慌てて指を離した。
「なんなの、これ」
 必要以上に音量が大きい。これでは近所迷惑だろうに。
そんなことを思っていると、目の前のドアがガチャッと開かれた。
「・・・なんだ、ガキの悪戯か?」
中から出てきた長身の銀髪の男は彼女を一目見るなりそう言った。
「なっ・・・、ガキじゃありませんっ!」
瞬時に顔を真っ赤にして怒る少女に男が可笑しそうに笑う。
「わかったわかった。で?何の用だ」
鬱陶しそうに髪をかきあげながら問われ、彼女は窺うように言った。
「ここが何でも屋さんだって聞いて・・・」
そのセリフを聞いた途端、男はきびすを返してドアを閉じようとした。少女は慌ててドアを掴み、それを阻止する。
「ちょっ、なんで閉めるんですかっ!?」
「悪いが、何でも屋になった覚えはねぇんだよ」
「だって、この表札に書いてあるじゃないですかっ!」
「消してあるだろーが。別にオレが書いたわけじゃねぇ」
「じゃあ、書いた人出して下さいっ!」
「出掛けてていねぇよ」
「なら、待ってますからっ」
「邪魔だ」
「ここならどうにかしてくれるって聞いて来たのにっ!」
「誰だ、んな無責任なこと言いやがったのは」
 長閑な昼下がりに不釣合いなドアの引っ張り合いが繰り広げられていると、リフトのチャイムが鳴った。相変わらずギシギシと危険な音を立てて扉が開き、中から長身の赤毛の青年が出てくるが、ドアの攻防戦真っ最中の二人はそれに気づかない。否、銀髪の男の方は気づいているが、特に反応を示さなかっただけか。
 リフトから出てきた青年は、少女のすぐ後ろで立ち止まった。
「・・・可愛らしいお嬢ちゃん相手に、何やってるんだ、お前は」
少女の頭上高くで声が響く。彼女が驚いて振り返ると、赤毛の青年が彼女に向かって微笑んで見せた。
「まるでオレがこのガキ苛めてるみてぇな言い方はよせ」
不機嫌そうに銀髪の男が言う。
「ガキじゃないですってば!」
即座に反論する少女に、赤毛の青年が苦笑する。どうやら食料品の買い出しに出ていたらしく、焼きたてのパンやフルーツの入った紙袋を持ったまま肩を竦めると腰を折り、自分の肩の高さにも届かない少女と視線を合わせた。
「生憎、今この部屋はお嬢ちゃんを通せるような状態じゃないんだ。お嬢ちゃん、アイスクリームは好きか?」
唐突な質問に、彼女は首を傾げながら頷いた。
「それはよかった。ここから一五分程歩いたところに、ニールズコートビーチカフェって店がある。これからちょっと散歩がてら美味いアイスを食べに行くとしよう。」
 勿論、三人でな。
そう告げられたセリフに、「大の男が二人も行くか?アイスクリーム食いに・・・」と銀髪の男が呟いた。
 
 
 
 銀髪の男の呟き通り、パステルカラーの店に頭二つは抜き出た長身の男が二人もいる様は人目を引いた。よりによって窓際のテーブルに陣取ったものだから、店内だけでなく外の通りからも興味津々の視線が突き刺さる。辟易した銀髪の男はわざとらしく音を立ててアメリカンコーヒーを飲んでみるが、この「おやつの時間」の提案者とトリプルアイスに目を輝かせている少女には全く通用しなかった。
「ここのアイスは美味いだろう?お嬢ちゃん」
「はいっ!でも奢って貰っちゃってよかったんですか・・・?えーと・・・」
「ああ、まだ名乗ってなかったな。俺はオスカー。で、こっちの無愛想な若作りがアリオスだ。」
「若作りは余計だ」
不機嫌そうに在らぬ方を向いてコーヒーを啜っているわりに、ツッコミ所は外さない男である。
「あの、私はアンジェリーク。アンジェリーク・リモージュです」
丁寧にスプーンでアイスクリームを掬いながら、少女はそう名乗った。
「アンジェリーク、か。お嬢ちゃんにピッタリの名前だな」
 ふわふわと揺れる金の髪といい、美味しそうにアイスを頬張る姿といい、その姿は、さながら無邪気な天使そのものだ。
「で?そのフランス人のガキがどうして、わざわざロンドンまで来てオレ達に何の用だ」
放っておくと、あと一〇分は続くに違いない女性賛美主義者のセリフを断ち切って、アリオスは不機嫌度三割増の声で言い放った。
「え、どうしてフランスから来たってわかっちゃうの・・・」
明らかにフランス名前であるが、それだけならフランス系イギリス人ということも有り得る。
「hの発音に無理がある」
 フランス人が外国語をマスターする上で最初に引っかかり、そして最後まで引っ掛かり易いのが、"h"の発音だ。
極端に言えば、この発音がいかに自然かどうかでフランス語を母国語としている人間かそうでないかの区別はつくと言ってもいい。
 いっつも先生に注意されるのよね。やっぱり私、語学ってダメ・・。
ぶつぶつと独り言で自分の発音を反省するアンジェリークに、アリオスは溜息をついた。
 この調子では話を進めるのに一々脱線しそうである。
忍耐心というものとはかなり縁遠い性格のアリオスは、また在らぬ方を眺めてコーヒーを啜り出した。「オマエが進めろ」という赤毛の相棒への意思表示である。
 その様子に肩を竦めてオスカーが切り出した。ちなみにこちらは、ちゃんとアンジェリークにつきあってアイスクリームを食べている。一番シンプルなバニラアイスの、当然シングルではあるが。
「お嬢ちゃんの発音は、これから直していけばいいことさ。それよりも、俺たちに何か頼みがあるんだろう?」
そう促すと、アンジェリークは神妙な顔で頷いた。
「見つけて欲しいものがあるんです・・・」
 
 
 
 アリオスの予想通り、一々脱線とその度の軌道修正を繰り返した結果、アンジェリークの話は三〇分程に及んだ。普通に筋道だてて話せば五分もあれば済む話である。
 要約すると話はこうだ。
五日前、ロンドンの知人の所へ遊びに来た彼女はその知人からピアスを貰った。その知人の想い出の品だというそれは、以前から彼女が着けてみたいと思っていたもので、当然彼女は、本人曰く「もう一生フルーツパフェが食べられなくてもいい」と思うほど喜んだ。想い出の品というだけでなく、小振りだが質の良い宝石が使われたピアスは普段使いには向いていないとわかっていたが、一昨日、「一日だけ」と彼女はそれを身につけ、出掛けてしまった。
「で、案の定、気づいた時には片方が失くなっていた、と」
「・・・その日行った処、全部捜してみたんですけど、見つからなくて」
 これなんです、とバッグから取り出して、テーブルの上に置かれた、片方だけのピアス。
粒は小さいが透明度の高い上質なダイヤとルビーで飾られたそれは、キャッチまでいれても直径が精々二センチ弱といったところか。
「こんな小さな、しかも何処で落としたかもわからないモンを捜せって?無茶言うな」
確かにその通りであるが、直球過ぎて身も蓋もないアリオスの断言に、アンジェリークは項垂れた。
「やっぱり、そうですよね・・・」
だが、大きな眸に涙を溜めながら「ごめんなさい、無理なこと言って」とピアスをしまおうとしたアンジェリークの手よりも先に、オスカーの手がそれを取った。
「おいおい、誰も依頼を断るなんて言ってやしないぜ?お嬢ちゃん」
オスカーは悪戯っぽく片目を瞑り、手にしたピアスを揺らしてみせる。
 出やがった・・・。
アリオスは片手で額を押さえた。アパルトメントの部屋の前で、アンジェリークを帰す前にオスカーがリフトから降りてきたのを見た瞬間から、たぶんこうなるだろうと諦めてはいたのだが。
「お嬢ちゃんに、曇った顔は似合わないからな。君の笑顔の為なら俺たちは努力を惜しまないさ。」
 勝手に「俺たち」にするな・・・。
そうツッコミを入れたいが、言ったところでこの状態に突入したオスカーに何を言った所で無駄な労力を費すだけなので、敢えてアリオスは沈黙を守った。
「それじゃあ・・・」
アンジェリークの顔がぱっと輝く。
それを満足そうに見て、オスカーが断言した。
「必ず、このピアスを二つ揃えて君の許へと届けよう。だから、悲しい顔などしないでくれ、天使の名を持つ可愛らしいお嬢ちゃん」
 隣りで額に片手をあてたまま、アリオスが深々と溜息をついた。



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 それを愛と呼ぶには、あまりにも殺伐とした感情だと思う。
愛というものが、どれだけ自分を癒してくれたか、オレは知ってる。
 独占欲。
それが一番近い言葉か。
オレに愛を教えてくれた女に感じたような、彼女とよく似た女に感じるような。
そんな、無条件に守りたいと思う感情じゃなく。
 逆に、傷つけたいとすら思う、その強烈な感情。
仲間のフリをしていたときも、敵として対峙したときも。それは確実にオレの中に存在して。
それを感じ取っていたのか、それとも別の理由からなのか、アイツもまた、オレを激しく意識していた。
それはやっぱり、好意なんかじゃない。たぶん、アイツの戦闘能力の高さ故の本能的な危険察知だったんだろう。事実、アイツは最初から最後までオレを完全には信用しなかった。
 だから、こうして、今も。
アイツのオレを見る眼は、他の連中とは比べものにならない程醒めてるが。
突き放すような冷たい光は、確かにオレだけを見つめてる。
誰よりも正確に、オレを捉え、そして射抜く。
 ひとつ、教えてやろうか。
アンタは連中の誰よりも、オレを信用してないが。
オレは連中の誰よりも、アンタを信用してるぜ?
 記憶のないオレにアイツは正確に事実を伝えた。コイツならそうすると、記憶もないくせに無条件に確信できる程には、オレはアイツを信じてる。
 腹立たしいことにオレを無理矢理目覚めさせた、黒い力に支配されてる時ですら。奥底に閉じ込められた意識はそれでもアイツを感じてた。
迷いなく向けられた剣に。容赦なく射抜く視線に。
笑い出したいくらい、感じた。
愛である必要なんかない。
あの男の眸に。記憶に。心に。
消えない痕を灼きつけられればそれでいい。
 わかってるか?
今この瞬間、オレの思考のすべてを支配してるのは他ならぬアンタなんだぜ?
自分が消えようとしている今、オレは真正面に立つ女じゃなく、ただオマエのことだけを考えてる。
 勘違いするなよ。これは愛情なんかじゃない。
オレ自身を飲み込んでしまいそうな程に膨れ上がった独占欲。
その欲望の赴くまま、オレはオマエに消えることのない傷をつける。
別にオレは、後生大事に想い出を抱えていて欲しいわけじゃねぇ。
そんなもの、こっちから願い下げだ。
オレが欲しいのは、アンタがどんなに必死になって消そうとしても、どんなにみっともなく足掻いても、決して消えることのない傷痕。
どんなに時が経っても、忘れ去ることのできない痛み。
オマエがオレをどう思おうと知ったことじゃない。
憎んでくれた方がいいくらいだ。その分、オレがつけた傷痕が深くなる。
 さあ、オレを見ろ。
オマエの目の前で消えていく、オレの姿を。一瞬たりとも眼を逸らさずに。
オレのどんな些細な動きも見逃すな。
消え去る最後の瞬間。声など出さず。本当に微かな動きで。
鋭く冷たいオマエの視線を心地よく感じながら。
オマエに消えない傷痕を残す為。
オレはその名を口にしよう。

 オスカー、と。


終わりが見えている日々だから、まるで終わりなどないかのように時を刻もう。




 終わりが見えている日々だから、まるで終わりなどないかのように時を刻もう。

たわいもない会話をしながら程よく冷えた白を味わって、手土産に持ってきたとっておきの赤を味わう。
一杯のグラスを賭けてのナインボールは俺の勝利に終わった。
次のグラスを賭けて挑んだポーカーは、さすがと言うべきかクィーンに愛されたオスカーに軍配が上がる。
アルコールが適度にまわり、いつもにも増して陽気になったところで軽いキスを繰り返した。
「ガキみたいだな」
ソファに腰掛けた俺に、自分の方こそ子供のようにしがみついたオスカーがそう笑う。
「何が?」
「あんたの体温」
アルコールがまわってくると、まるで普段と変わらないような確りした滑舌の割に、やけにセリフのセンテンスが短くなるのはこの男の酒癖だった。
 確かに、アルコールがまわって火照った体はまるで子供の体温のように暖かい。
「やれやれ・・・。そう言うお前さんも、子供みたいな体温だが・・。そうか」
軽く背中を撫でると眼を閉じて気持ちよさそうにする様は、さながら猫だ。いや、猫というには大きすぎるから、豹くらいか、それともライオンか? ・・・まあ、猫科の肉食獣に変わりはないが。
言葉を止めたこちらを訝しんで、その猫科の動物は眼を開けてこちらを見た。
「なんだよ?」
「いや、お前さんも、出会った頃はまだこれくらいの体温だったな、と」
尤も、そんな時期はすぐに終わったが。オスカーが聖地へとやって来たのは、丁度少年から青年への過渡期の終わり頃だったんだろう。
「ふん、あんたは、出会った時から老けてたぜ」
身を起こして不貞腐れたように言う様子は、それこそ子供そのものだ。
他の連中には見せることのない、子供じみた甘えが滲む。
 そういえば、初めのうちは何かって言うと、俺のことを親父呼ばわりしてたな、こいつは。
その癖、今は自分がゼフェルにオッサン呼ばわりされると一々怒るんだから呆れるぞ。
 持参したとっておきの赤の、その最後の一口がオスカーの口許へと運ばれる。
なだらかなその喉の隆起をぼんやりと眺めた。
「明日は・・お前さん、どこか視察を頼まれていたっけな」
「・・・ああ。サクリアが乱れる星が頻発してるからな」
 宇宙にガタがきている。もうどうしようもないほどに。
だから視察の依頼も、時を選ばない。そしてそれに文句を言うわけにもいかない。この宇宙の安定を維持することこそが、守護聖というものの存在意義なんだからな。
守護聖としてそれなりに長い年月を過ごしてきた俺はそれを充分理解していたし、今や首座の片腕となったオスカーもまた、それは承知している。だから、余計なことを言う気はない。
俺はゆっくりと立ち上がると、扉に向けて歩き出した。
 どうやら、お前さんを甘やかしてやれるのも、ここまでみたいだな。
「・・帰るのか?」
「お前さん、明日は早いんだろう?あんまり夜更かしはいかんぞ、坊や」
お前さんが俺を親父呼ばわりする度に、よくこう言ってからかった。
「誰が坊やだ」
オスカーの返事は変わらない。今も昔も。・・・それでいい。
「それじゃ、またな」
軽い別れの挨拶をして。
「・・カティス」
僅かばかりの戸惑いの滲んだ声で呼び止められた。ふむ。お前さん、まだまだだな。
「なんだ?」
扉を開ける手を止めて、振り返って訊ねれば。
「いや・・・。なんでもない。またな、オヤジ」
前の瞬間の戸惑いはどこへ消えたのか、ニヤリと笑う青年がいた。
「お前さん、三十前の男を捕まえてオヤジはないだろう?」
「ふん、オヤジはオヤジだ」
何度繰り返されたかわからない応酬。
 今度こそ、扉を開ける。
「・・まあ、いいさ」
振り返りもせずに軽く手を振って。
「それじゃあな、オスカー」
後ろ手に扉を閉めた。

 まるで終わりなどないかのように時を刻もう。

 明日の朝、守護聖としての任を果たした俺は聖地を出る。


WILD HEAVEN




 な、何だって言うんだ、一体っ!?
狭い路地を全力疾走するオスカーの心の声は疑問符でいっぱいだった。
角を曲がった所で適当な足場を見つけ、一気に民家の屋根へと駆け登る。姿勢を低くし、息を潜めて気配を消すと、眼下の通りを数人の男達が走って行った。
 物騒なことに、男達の手には銃器が握られている。
そして、その男達に追いかけられている、というのが現在のオスカーの状況である。
炎の守護聖ともあろう者が何故、あんな物騒な連中に追いかけられて街中を逃げ回らなければならないのか。
「・・・俺が教えて欲しいぜ、まったく」
思わず口から漏れた呟きが思いの外響いて、オスカーは慌てて口を噤んだ。
もう一度注意深く眼下の気配を探り、物騒な気配が消えたことを確認して通りへと飛び降りる。
「・・・やれやれ、だ」
片手を腰にあててオスカーは溜息をついた。
 とりあえず、ここにいては危険だ。先程の連中が戻ってくる可能性もある。
辺りをザッと見回すと、オスカーは繁華街に足を向けて歩き出した。
 オスカーが惑星シエルに降り立って最初の夜のことである。

 発端は、王立研究院からの報告書だった。
主星系からは少し離れた星系の中心惑星シエルにおいて、サクリアバランスに多少不自然な点が見えるという。
星系の中心惑星ともなれば、当然王立研究院も存在しており、そこからの報告には特に不審な点はなかった。不自然な点に気づいたのは聖地の研究院だが、その報告書にしても、備考として多少不自然な点が見受けられる、と記されていただけで守護聖の視察どころか要検討という位置付けすらされていなかった。現地の研究院から問題なしという報告が来ている以上、聖地の研究院が些細なことなのだと判断したのも無理はない。
宇宙には数多の星があり、サクリアのバランスが大きく崩れてしまっている星もある。シエル程度のほんの僅かなサクリアバランスの崩れならば自然に直る範疇であり、通常であれば守護聖が視察に出向くことなど有り得ない。
にも関わらずオスカーがシエルに降り立ったのは、シエルのサクリアバランスの崩れ方が炎のサクリアのみに集中していることを知ったからだった。
 時折、僅かな時間ではあるが、シエルは炎のサクリアを異様に求めた。
研究院のデータに残るかどうかわからない程のほんの短い時間でも、自らの持つ力を求められたオスカーの記憶にはしっかりと残る。
 大概の場合に於いて、炎のサクリアを異常に求めるというのは危険なことが多い。
特に、惑星シエルは文明的に成熟した惑星で、その文明レベルは主星と同程度である。しかも惑星の状態は至って良好で生活水準も高く、飢餓や貧困といった問題はない。
 そんな惑星が炎のサクリアを求めるとロクなことがない。
それはオスカーの守護聖としての経験から得た知識だった。
 満ち足りた環境に在る人々が炎のサクリアを求めるのは、生きるための強さを求めているのではない。他者を侵略する破壊の力を求めていることが圧倒的に多いのだ。
 だが、今回の場合は多少勝手が違う。何しろ、シエルは常に炎のサクリアを求めているわけではなく、思い出したかのように一瞬サクリアを求めるのだ。オスカーも今まで経験したことのないサクリアの求められ方に首を傾げざるを得なかった。
丁度、シエルと比較的近い同星系内の惑星で行われた王立派遣軍の視察が予定よりも大分早く終わったこともあり、オスカーは以前から気になっていたシエルへと足を運ぶことにした。非公式な視察なので星の小径は使わず、オスカーは旅行客に紛れて高速シャトルでシエルと入った。当然、同行の者もいない。オスカーにしてみれば普段のお忍びと変わらない、どちらかと言えば観光気分だった。
 だったのだが。
「・・・さて。どーする?」
力の抜け切った声でオスカーは呟いた。繁華街のバーになんとか腰を落ち着けた後のことである。
 武装した連中はまず間違いなくこの惑星の正規軍だろうと思われた。そんな連中に追われなければならないようなことをしでかした覚えは全くないのだが。何しろ、シエルに着いたのは今日の午後のことだ。初めて訪れた土地でいきなり軍隊に追われる程のことをしでかせと言う方が難題だろう。
 そう、軍隊。軍隊なのである。
オスカーを追っていたのは、国家の警察機構ではなく、正規軍なのだ。あまりに物騒すぎるではないか。
「なんだか、嫌な予感がするぜ・・」
そして、嫌な予感の的中率だけは哀しいほどの精度を誇るオスカーである。非常に不本意なことに、嫌な予感がして嫌なことが起こらなかったことなど皆無なのだ。
 しかし、こうして酒場で周囲の会話に耳を傾けていても、シエルに特に問題らしきものは見つからなかった。荒んだ様子も見受けられないし、とてもではないが炎のサクリアをそれほど欲している人々には見えない。
「だがなぁ・・・」
コトリ、と音を立ててオスカーは空のグラスをカウンターに置いた。
 この星に降り立った初日早々、軍隊に追われる羽目に陥ったオスカーは、お気楽な観光気分を返上させられた代わりに、観光気分ではすぐにはわからなかったであろう情報を得ることが出来たのである。
 つまり、表面上は何も問題がないように見えているのだとしても、この惑星には何かある、という情報を。

 うざってぇ。
そびえたつ高層ビル街を歩きながら、アリオスは忌々しげに頭上を見た。
見えるのは、ビルの合間に四角く切り取られた空。
水彩絵の具で塗ったような青い空は空気の冷たさを伝えてくる。
それは一見、何の変哲もない冬の空だ。
実際、多くの人々はこの空に何の異変も感じないだろう。この空気を感じ取れるのは極々限られた人間だけだ。
「・・・嫌な空気だ」
アリオスは首の辺りを摩りながらぼそっと呟いた。首を締め付けるようなものは身につけていないのに、息苦しいような気がしてならない。それは、十日ほど前にこの惑星に入ったときからなんとなく感じていたものだった。
 この惑星の空気には、なんとも言えない圧迫感がある。
最初は大して気にならなかったその圧迫感は、昨夜あたりから急激にその度合いを増した。
「空気だけってわけじゃねぇみてぇだがな」
 昨夜から、あちこちで武装した軍人の姿を見掛ける。昨夜は明らかな軍服姿だったが、今日は私服姿でうろついていた。隠し持った銃に気づいたのはアリオスの戦闘能力故だろう。
 何かを探してやがる。
路地裏に目を光らせる私服姿の軍人の横を、そ知らぬ顔で通り過ぎながらアリオスはそう思う。
 彼らが警備や要人警護の為に駆り出されたわけではないことはすぐに知れた。何故なら私服姿の軍人たちは、何食わぬ顔で街中を歩き回っているからだ。警備に駆り出されたのであれば、持ち場を割り当てられ、そこから動くような真似はしないし、要人警護にしては数が多すぎる。
 警察じゃなくて軍隊が出てくるとは、随分とヤバいヤツを探してるらしいな。
ビルの谷間を抜け、メインストリートを見渡せば、通行人に紛れた軍人を何人も見つけられる。
彼らの醸し出す物騒な雰囲気を感じ取れてしまう身としては、あまり愉快な気もしなかったが、かといって自分に何か迷惑がかかっているわけでもない。この星の、発達した都会故の他人への無関心ぶりを居心地よく感じていたアリオスは、何でもいいからさっさと探し物を見つけて消えて欲しい、と思いながら雑踏の中に紛れていった。

 ますますヤバいことになっちまった・・・。
洗面所の鏡の前で、オスカーはらしくもなく頭を掻き毟った。
きつく閉めても閉まらない、イカれてしまった蛇口からポタポタと水滴が落ちている。壁には罅が入り、床は一歩ごとにキシキシと音を立てる。安さだけが取り得の、繁華街の裏手に面した宿だった。
 オスカーが惑星シエルに着いて、既に五日目の夜である。
この惑星に問題があることは別として、軍に追われるという事態に陥ったのは最初は何かの間違いだろう、くらいに思っていたが、どうやら本気で自分は第一級手配犯になっているらしい。
昼夜を問わず、物騒な空気を纏った男達が連日街をうろついている。この宿に身を潜めていられるのも時間の問題だろう。
 このままじゃマズイよなぁ・・・。
表面が傷ついて勝手に曇り硝子と化している鏡にかろうじて映る自分の顔を、しげしげと見つめてオスカーは思った。
 オスカーとしても動きたいのはやまやまなのだが、武装兵士にこう容赦なく追われていては身動きもままならない。
 ・・・ジュリアス様、お怒りだろうなぁ・・・。
聖地と連絡も取れない状態が続いている。
「いや、ジュリアス様がお怒りになってるならいいんだが・・・」
 聖地と外界の時間の流れの違いを考えると、恐らく、聖地ではまだ一日も経っていないだろう。予定を変えてシエルに行くことは伝えてあったが、オスカーと連絡が取れないことを不審に思うには至らないはずだ。
だいたい、普段から外界をお忍びで出歩いているオスカーであるから、ちょっと姿を眩ました所であまり心配されるとも思えない。狼少年ここに極まれり、である。
「だが、悠長なことも言ってられん・・」
なんとか聖地と連絡を取らなくてはならない。この惑星上で聖地と直接連絡をとれる設備があるのはただ一つ、聖地直轄の機関である王立研究院だけだ。
「それが問題なんだがな・・・」
 その王立研究院に、近づけないのだ。
そもそもオスカーが軍に追われる羽目に陥ったのも、シエルに着いてすぐに、報告を入れようと研究院に足を運んだからだった。研究院の敷地に入った途端、有無を言わさず銃口を向けられた。
 聖地直轄機関である王立研究院の敷地に一惑星の軍隊が武装状態で配備されているなど、普通では考えられない。
まして、実際はともかく、外見上はただ足を踏み入れただけの非武装の民間人にいきなり銃口を向け、あまつさえ手配犯扱いするなど、異常事態以外の何物でもない。
「あーあー」
ガックリと肩を落とし、大仰に溜息を吐いた時だった。
 階下が急に騒がしくなった。
低く詰問する声が僅かに聞こえてくる。足音はしないが、息を殺して狭い階段を上ってくる気配がする。
 見つかったか・・。
オスカーは素早く身なりを整えた。もともとほぼ身一つで来たので荷物はない。財布さえあれば、後はどうとでもなる。
 夜逃げだよな、これじゃ・・・。
窓を開け、下を覗き込みながら、内心でごちた。声を出すような真似はしない。幸い、眼下の裏道の見張り兵は裏口の前と大通りへの出入り口の2箇所だけだった。まさか、三階の窓から逃げ出すとは思われていないのだろう。
窓の下に樋があることを確認し、オスカーは窓を乗り越える。
 息を潜めて樋を渡り、手近な電灯を伝ってオスカーが地面に降り立つのと、つい先程までオスカーがいた部屋に銃を持った男たちが乱入して来たのはほぼ同時だった。

 その夜もアリオスは酒場にいた。アリオスが好む店は、繁華街の大通りに面したような店ではなく、裏通りの地下にあるような、小さなバーである。つまみは精々ナッツかクラッカーがあればいい程度、酒の種類も少ない、カウンターしかないような小さな店。そして、店員があれこれと話し掛けたりしてこない店であること。
 その点、アリオスが今いる店はすべての条件を満たしていた。お世辞にも綺麗とは言えない狭い店だが、ウォッカも常備されているし、カウンターの中にいるマスター、というよりもオヤジ、という表現がピッタリはまる店主は寡黙な男だった。何しろ、ここ数日この店に通っているが、マスターの声を聞いた回数など十回にも満たない。そんな店であるから、アリオスをして「やってけるのか?」と思う程、他の客と出くわすこともなかった。アリオスにしてみれば居心地がよかったが。
 だが、残念ながら今夜は乱入者がいた。
男が二人、乱暴に店内へと入ってきたのだ。背広を着て、サラリーマン風を装ってはいるが、彼らが纏う空気はかなり剣呑だ。
 ・・・軍人、か。
グラスを煽りながら、アリオスはちらっと男達を見てそう判断した。
どうやら相変わらず探し物は続いているらしい。
 これだけ軍人がうろついてる中を逃げ通してるってのはよっぽどのヤツだな。
そんなことを思ってアリオスは立ち上がった。
男達は寡黙なマスターに、尋ね人がこの店に来たことがないかを確認している。
「背の高い�・�・�・。そう、その男と同じくらいの背の高さだ」
突然指を差されて、アリオスは否応なしに「探し物」の特徴を聞くことになった。
「目立つ容姿だから、目に付く筈だ。髪は真っ赤で、目はかなり色素の薄い青。左耳に金のピアス」
 ちょっと待て。
アリオスの動きが一瞬止まったが、すぐに自然な動きでカウンターに金を置くと、男達の脇を擦り抜ける。
狭い階段を上って路上へと出ると、建物と建物の間の狭い路地へと入り、壁に寄り掛かった。
ポケットから煙草を取り出し火をつけると、ふぅっと大きく煙を吐く。
「・・・別人ってことはないだろうな」
先程耳にした「探し物」の特徴を思い浮かべて、眉間に皺を寄せる。
 あんなのがそう、何人もいるわけねぇ。
緋色の髪と氷色の眸、左耳に黄金のピアス。自分と並ぶほどの長身の男。正規軍の大掛かりな捜索態勢から一週間近くもの間逃げ遂せるほどのサバイバル能力。それらを全て持ち合わせている男に、アリオスは一人だけ心当たりがあった。
「・・何やってんだ、アイツは?」
 アリオスの認識に間違いがなければ、その男は一惑星で正規軍相手に隠れんぼをしていられるような身分ではなかったはずである。というよりも、その男を相手にこんな物騒な隠れんぼを展開している惑星の方が、マズイのではないだろうか。あの探し方は、尊い身分の人間を保護する為、といった雰囲気では到底なかった。明らかに、手配犯に対するそれである。
「まあ・・・。正体隠してるってことも有り得るか」
 正体を隠しているにしても、軍に追われるとは随分と愉快なことをやらかしたらしい、とアリオスは短くなった煙草を靴先で揉み消す。
 聞き込みをしているとなると、恐らくはこの辺りで姿を確認したのだろう。駆り出されている人数を考えると、まだ遠くへは行っていないはずだ。
「知っちまったら気になるじゃねぇか」
 一体どんなヘマをやらかしたのか。
 もうそろそろまた逢いたいと思っていた、という本音は綺麗さっぱりと黙殺して、アリオスはそう呟いた。

 繁華街の表通りと裏通りを頻繁に出入りしながら、オスカーはこれからの行動を考えていた。
聖地と連絡を取るためには、なんとしても王立研究院に潜りこまなければならない。だがその前に、シエルの現状についても考えをまとめておきたい。まずは、落ち着ける場所を確保するのが先決だと思われた。
「・・それが難しいんだがな」
一向に捉まらない自分に業を煮やしたのか、とうとう軍だけの隠密の捜索活動から警察も動員しての聞き込み捜査に転換したらしい。繁華街を虱潰しに聞き込んでいるらしく、似顔絵が配られていないだけマシ、という状態に陥ってしまった。つまり、うかつに店に入ればすぐさま通報されること間違いなしなのである。
 このままひたすら歩き続けるってわけにもいかないしなぁ・・・。
このままでは寝ることすらままならない。それはどう考えても嬉しくない状況だった。
そんなことを考えていた所為だったのだろう、ほんの五メートル先にまで迫った私服姿の軍人に気づくのが遅れたのは。
「・・・っ」
 しまった・・っ!
内心で大きく舌打ちする。反射的に周囲を確認した。雑居ビルの合間の狭い路地。行ける、オスカーは瞬時に判断を下した。
向こうの視線もしっかりとこちらを捉えている。人ごみに紛れ、そ知らぬ顔をして通り過ぎるのは無理だ。
 そうなれば、取れる手段は一つだけ。
「前にルヴァが言ってたな・・・」
 確か、どこか辺境の惑星の古い時代の言葉だったと記憶している。諺、と呼ばれる先人の教訓らしい。
何の弾みでそんな話になったのかはすっかり頭から抜け落ちているが、その時教わった諺とやらはしっかり覚えている。
まさに今の自分の状況にピッタリだ。その諺とは。
「三十六計逃げるに如かずっ」
まるでそれがスタートの合図だったかのように、オスカーはほぼ直角に進路転換をし、路地へと逃げ込んだ。
相手が複数の場合、こういう狭い場所に逃げ込むに限る。一対多数という不利を軽減できるからだ。
 だがまあ問題は、一対多数なんてレベルじゃないってことなんだがな・・・。
入り組んだ路地を適当に走り抜けながら、オスカーはこの後の動きを考えている。
 こちらがたった一人なのに対して、相手は数十、下手をすれば数百単位の人員を動員してきており、尚且つ、オスカーはこの辺りの地理を把握していないという圧倒的に不利な状況にある。このまま路地を闇雲に走っていても、いずれ挟み撃ちにされるだろう。
 後ろから迫ってくる足音に舌打ちしながら、オスカーは角を曲がった。
「言った傍からこれだ・・」
道の向こうには大通りが見える。まず間違いなく待ち構えられているはずだ。しかし後ろにも追手は迫ってきている。
「平面方向に逃げ場がないとなると、垂直方向に行くしかないんだが・・・」
どこか適当な足場があれば三階建くらいの小さなビルならば屋上まで登れるのだが。
ざっと見てみるが目当てのものは見つからなかった。
そうしている間にも足音は近づいてくる。これが年貢の納め時、とかいうことなのかと軽く溜息を吐いた時だった。
 不意に横から伸びてきた手に腕を掴まれ、ビルの裏のデッドスペースに引きずり込まれる。
「な・・・っ!?」
完全に不意打ちだった。何よりも、この自分に気配を気づかせずに傍まで来られる人間がいると思わなかった。だが、次の瞬間驚きは更に大きくなる。
「助けてやろうか?」
 身動きが出来ないようガッチリとオスカーの躰を壁に抑えつけ、低く笑ってそう言ったのは。
「・・アリオス!」
「黙ってろよ。逃げてんだろ?」
「う・・・」
 なんでお前がここにいる、と問おうしたところを先に制され、オスカーは仕方なく口を噤んだ。
その様子にアリオスは笑うと、オスカーを引き摺るように街灯の光がほとんど届かない奥まで移動した。近くの店などから出された樽やビールケースが山積みにされたそこに、オスカーの躰を押し倒す。
「おいっ」
アリオスの行動に焦ったのは当然オスカーである。
 こんな所で盛るほどこいつはケダモノだったのかっ!?
考えてみればそうかもしれない・・・、いや、クールな美剣士とか言われてたのはどーしたんだっ!
 そんな埒もないことを考えて口をパクパクさせているオスカーに、アリオスは人の悪い笑みを浮かべると覆い被さった。
「んんーっ!!」
 口づけ、などという生やさしいものではなかった。アリオスの舌がオスカーの口腔を思う様に蹂躙していく。
巧くオスカーの躰を抑えつけ、抵抗を許さないアリオスの手がオスカーのシャツを肌蹴させると、辺りが急に強い光に照らされた。
 瞬時にオスカーの躰が強張るが、アリオスはそれを気に止めた様子もなく、行為を続行する。
光は暫く二人を照らしていたが、やがて消えていった。
「・・はぁっ」
光と共に複数の足音がドタドタと遠ざかっていったのを確認して、アリオスがオスカーの唇を解放してやった時には、オスカーの息は完全に上がりきっていた。いきなりあんなディープキスをされれば当然である。
「な、んでここにっ」
抑えつける手を振り払うと存外あっさりとアリオスは身を起こした。
「そりゃこっちのセリフだぜ。お偉い守護聖様が、なんでこんなとこで軍に追われてる?」
「まあ、いろいろとな」
「なんだよ、助けてやったってのに恩知らずなヤツだな」
煙草に火をつけながらアリオスが肩を竦めると、息を整えたオスカーも立ち上がった。当然のようにアリオスのジャケットから煙草を一本取り出して咥えると、アリオスの煙草から直接火を移す。
「恩知らずも何も、こんな追われる程のことなのか、俺が訊きたいくらいだぜ、ホント」
「なんだ、なんかヤバイことやらかしたんじゃねぇのか?」
先程までオスカーを押し倒していたビールケースに腰掛けて、アリオスが首を傾げた。
「さあな。そんなことは、あいつらに訊いてくれ。まだその辺あちこちにいるだろうさ」
憮然と答えたオスカーはそれよりも、とアリオスの方へ向き直った。「何故おまえがここにいる?」
「あちこち放浪中なだけだ」
「じゃあ、俺が追われてることを何故知ってるんだ?」
「これだけ物騒な気配隠しもせずに軍隊が動いてれば嫌でも気づくだろーが。アイツらの『探し物』がアンタだって知ったのはついさっきさ」
 後は追手側の動きから適当に目星をつけて待っていただけだ。オスカーが自分の横を通り過ぎようとするのを。
「さすがにあれだけの組織相手じゃオマエも大変だろうと同情してやったんだよ」
 恩着せがましく言うな。
オスカーはジロリとアリオスを睨んだが、睨まれた方は何処吹く風である。
「助けてもらったのは・・・非っ常に、この上なく、物凄く不本意だが、一応、礼を言うが・・・」
「・・・オマエ、それで本気で礼を言ってるつもりか?」
「本気なわけないだろう」
呆れた眼でアリオスがオスカーを見ると、オスカーはアリオスににじり寄った。
「だがな、なんでいきなりこんなとこで押し倒されにゃならんのだ」
「路地裏で男と女がヨロシクヤッてるって思えばあれ以上踏み込んで来ねぇだろ。立ったままだとアンタはデカいからバレちまうし。それにライトが当たれば髪の色でバレる」
 その点、押し倒せば、遠目からでは体格もはっきりとは判別できないし、自分が覆い被さることでオスカーの顔は影となって髪の色も判らなくなる。
「・・・」
なんだか巧く言い包められているような気がしないでもないが、とりあえずオスカーはそれ以上の追求を諦めた。
 第一、いくら凌いだとはいえ、またいつ軍人なり警察官なりが来るかわからないのである。早急に立ち去るべきだった。
 と言っても、行く当てがあればこんなとこで逃げ回る羽目に陥ったりしないんだがな。
思わず夜空を見上げて溜息を一つ。
「ああ、星が綺麗だなあ」などと思っていると、アリオスが立ち上がってさっさと歩き出した。数歩進んだ所で空を見上げたままのオスカーを振り返る。
「何やってんだ。行くぜ?」
「行くって何処に」
「オレが泊まってるホテル。アンタは非常階段から入れよな。フロントに顔見られたらマズイだろ」
「・・・何階だ?」
「六階」
オスカーの肩ががっくりと下がった。

 疲れた・・・。
熱めのシャワーを全身に浴びながら、オスカーはしみじみと溜息を吐いた。
 百十四段の階段を上って疲れないわけがない。しかも普通に上るのではなく、人目を忍んで音を立てないように注意しながら、だ。
だいたい、元々自分がいた安宿から出る際も三階からの脱出であったし、そのあとは腰を落ち着けることも出来ずに繁華街を歩き続け、挙句の果てに裏道の追いかけっこをこなした、最後の駄目押しの百十四段である。
アリオスが泊まっているという部屋に辿り着いた時にはヘトヘトだった。
 とりあえず、シャワー浴びさせてくれ。
オスカーが室内に入って最初のセリフがそれだった。アリオスは無言で呆れたように肩を竦めるとシャワールームを指差した。
「あー、生き返るー」
頭からシャワーを浴び、思わずそんな言葉が口を衝いて出たその時。
 曇り硝子のドアが突然開けられた。
「うわっ」
オスカーが驚いてそちらを見れば、アリオスが上半身裸で立っている。
「んなに驚くなよ」
クッと笑うと、濡れるのも構わずアリオスが入ってきた。狭いシャワールームでは逃げ場もない。
「お前、それは盛りすぎだろっ」
「なんだよ、さっきのキスだけで終わりのつもりだったのか?」
オスカーを壁に追い詰めて、アリオスが愉しげに言う。
「ヘトヘトだって言わなかったか、俺は」
「んなこと、知ったこっちゃねぇな」
「・・ッ」
躰を密着させて、深く唇を貪る。舌で歯列をこじ開け、オスカーの舌を引き出すように絡ませた。アリオスを押し戻そうと二人の間で突っ張ろうとしているオスカーの両腕が、やがて力をなくすまで。
 アリオスの片手がオスカーの下肢を割る。
「ちゃんと感じてるじゃねぇか」
喉の奥で笑いながら言われたセリフに、オスカーはムッとしたようにアリオスを見た。
「これで勃たなかったら俺は不感症だろーが」
 するならとっととしろ、とオスカーが不貞腐れ気味に言うのにまた笑い、アリオスは手をゆっくりと動かす。
「はぁ・・」
深く吐き出された息は熱い。
黄金色のピアスごと、オスカーの耳たぶを舌で嬲る。
「ァ・・ッ」
アリオスが少し躰の位置をずらした時、鋭い声が上がった。
明らかに性感を煽られて上がった声だったが、特に何かした覚えのないアリオスが訝しげに少し躰を離すと、またも声が上がる。
 原因はすぐに知れた。
「これか・・」
人の悪い笑みを浮かべてアリオスはそれを空いた手に持った。するとまたビクビクとオスカーの躰が跳ねる。
「んんーっ!」
手に持ったそれを、もう片方の手の中で脈打つモノに向けてやれば、面白いように反応した。
「・・おもしれぇ」
シャワーヘッドを動かすと、それに合わせてオスカーの躰も跳ねる。
「やめっ、たの、むからっ」
 刺激が強すぎて堪らないらしい。
「いいじゃねぇか、感じてんだろ?」
 どこのエロオヤジだ、馬鹿野郎。
そう叫びたいが、口から出てくるのは恥ずかしくなるような喘ぎ声ばかり。
そうしているうちに、アリオスの指がオスカーの奥へと伸ばされた。お湯で充分湿った其処は、久々の行為の割にはすんなりと指を受け容れる。
「ふ・・っ、ぁ・ぁぁ」
内部をまさぐる指の数が増えると、さすがにオスカーの表情に苦痛が表れたが、それも、最も感じる場所を見つけることですぐに悦楽に取って代わった。
「ア、リ・・オスッ」
「なんだよ、限界か?」
 熱く艶を孕んだ声で自分の名を呼ぶことが、オスカーの最大の譲歩であることを知っているアリオスは、指を引き抜くとオスカーの片足を抱え上げて怒張した自身を秘部へと押し当てると、殊更ゆっくりと貫いていった。
「ぁあっ」
「すげー、締め付け」
「んっ」
アリオスが耳元で囁く声にすら、感じる。
 こんなに強い快楽を味わうのは、アリオスに抱かれる時だけだ。
勿論、女性を抱くのと男性に抱かれるのでは全く違うのは当然なのだが、女性を抱くとき、オスカーはここまで快楽に貪欲にはならない。理性をなくしたことなどないし、ここまでの愉悦を感じたこともない。女性を抱くときは、常に自分の快楽よりも、女性を満足させることを重視している所為なのかもしれないが。女性とのセックスで物足りなさを感じたことはないのだが、こうやってアリオスに抱かれると、まるで自分が本当の悦楽を何も知らなかったのではないかという気にさえなってくる。
 アリオスが大きく腰を使う。躰の中をぐちゃぐちゃに掻き回されるような感覚に、目が眩みそうだ。
「あ・・・んんっ」
「オスカー・・・」
 けれど何よりも感じるのは、こんな時に自分の名を呼ぶ、アリオスの声だ。
「んーっ、ぁぁっ」
 ああ、この声が好きだ・・。
霞みそうな頭でそんなことを思いながら、オスカーは精を放ち。
「・・っ」
その一際強い締め付けに、アリオスもまた、オスカーの中で果てた。

 結局シャワールームで二回、ベッドへと移って三回、汗と体液を洗い流す為入ったシャワールームでもう一回抱き合った彼らは、太陽が完全に昇りきる頃、漸く眠りに就いた。
眠りに就いたのが朝なのだから、当然目を醒ましたのは昼過ぎ、日が落ちるのが早くなっているこの季節では既に西日が射し込もうかという時刻だった。
 追われているというのに緊張感のない男達である。
豪気なのか図太いのか、恐らくは後者だろう。
「・・・腰痛ぇ」
目が醒めて、ベッドの上で上半身を起こしたオスカーの最初のセリフである。
それでも、ベッドで眠れた分マシだったのだろう。何しろ、狭いビジネスホテルのシングルルームである。規格外の男が二人眠れるようなベッドサイズなわけがなく、久しぶりに抱き合った、その躰の負担を考慮してかアリオスがベッドを譲ってくれたのだった。
そのアリオスは、硬いソファで横になっている。
「こっちだって躰が痛ぇよ」
ぐるっと首を回して肩を鳴らすと、アリオスが髪をかきあげながら呟いた。
「さて・・・。どうするかな」
上半身を起こしたものの、それ以上動く気にもなれず、オスカーはぼうっと天井を見上げる。
 どうするも何も、どうにかして王立研究院へと行き、聖地に連絡を入れなければならないのだが。
「厳重警戒態勢だろうしな・・」
何の苦労もなく入るのは絶対に無理そうだった。
「いきなり中まで入るようなルートがあれば・・・って、アリオス、お前、魔導は?」
 一緒にいる男が恐ろしい程便利な力を持っていることを失念していた。考えてみれば、アリオスはいつだってその力を使って突然オスカーの前に現れているというのに。
だが、アリオスの答えは簡潔だった。
「使えねぇ」
「お前、ケチ臭いこと言うな。それぐらい協力してくれたっていいだろうが」
「違ぇよ。マジで使えねぇんだ」
そう言って肩を竦めたアリオスを、思わず凝視してオスカーは問い掛ける。
「使えないって、力が消えたってことか?」
「いいや。オマエ、何にも感じないか?」
人差し指を上に向け、アリオスは問い返した。
「もしかして、このシールドみたいなヤツの所為なのか」
 オスカーも気づいてはいた。上から覆い被さるような、抑えつけるようなこの惑星の空気。
「全く使えねぇわけじゃないが・・・。使うにはかなりの精神集中が必要だし、それでも、オマエを連れてってやるようなのは無理だな」
 何の為にこんなことしてんのかは知らねぇが。
アリオスがそう付け加えると、オスカーは指先を顎にあて、自らの考えを整理するように話し出した。
「これは俺の推測だが・・・。このシールドが抑えてるのは、サクリアだ」
 この惑星のサクリアが抑圧状態にあることは、シエルを彷徨っているうちにわかった。道理で一見何の問題もなく感じるわけだ。上から抑えて表面を均しているような状態なのである。表面上は過不足なく見えるというわけだ。
「それでなんで魔導まで使えなくなるんだ」
 サクリアと魔導の力はまったく別の性質の力であり、アリオスの疑問は尤もである。
「とばっちり、じゃないかと思う。・・サクリアを制御できる技術が出来たなんて話聞いたこともないしな。たぶん、未知のエネルギーを感知して抑えてるんだろう」
 つまり、サクリアと魔導の区別など出来ていないというわけだ。わかっているのは、惑星上に存在する生体エネルギーなどといった既知のものではないということだけ。
「で?それを抑えてこの惑星は何をしようってんだ?」
 アリオスの知っている限りでは、サクリアというものは、この宇宙の根源的エネルギーなのだという。惑星にとっても、惑星上に暮らす人々にとっても、そのバランスを崩せば死を招くものなのだと。
「『セブンス・ヘヴン』だそうだ」
「なんだそれ」
 ここ数日、オスカーは捜索の目から逃れながらも情報収集という名目の飲酒を怠っていなかった。繁華街から離れなかったのは、身の隠し易さは勿論だが、情報収集をし易いという点もあったからだ。
繁華街には様々な人間が出入りし、そして一様に酔えば皆口が軽くなる。ぽろっと重要な情報を聞かせてくれることもあった。その上、相手が女性であれば、オスカーに引き出せない情報はないと言って過言ではない。
実際、一昨日の夜バーで飲んだ、シエル政府の事務官で現在は秘書室勤務だという女性はオスカーに有用な情報を教えてくれた。
「『セブンス�・ヘヴン』ってのは、この辺りの惑星に広く流布している伝承に基づく表現だそうだ。伝承に出てくる天国は六階層に分かれていて『セブンス�・ヘブン』は第七天国、つまり、その六階層の更に上、最高天ってことらしい」
「その最高天がなんだって言うんだ」
煙草を咥えながらアリオスが続きを促す。
「シエルはその『セブンス・ヘヴン』になるんだそうだ」
「は?」
 事の発端はシエルの大統領に、軍部出身の男が就任したことにあるらしい。軍部の発言力は日増しに大きくなり、現在ではすっかり軍事政権と化しているという。そしてその軍事政権が打ち立てた理想が「セブンス・ヘヴン」というわけだ。「聖地の支配から脱却し、更なる飛躍と発展を。シエルを聖地を凌駕する最高天に」というスローガンらしいが、つまるところ、周辺惑星への軍事侵攻と植民地化を狙っているのだ。その話を聞いて、オスカーは爆発的に増える炎のサクリアへの望みの背景が理解できた。
「随分物騒な天国もあったもんだぜ」
「だが、そのままでいたら当然聖地から介入される。そこで開発されたのがあのシールドってことなんだろうな」
 聖地はサクリアバランスで星の状態を知る。逆を言えば、サクリアバランスさえ誤魔化していれば聖地からの介入を防げるのだ。シエルも含め、この周辺の惑星には王立派遣軍の駐屯地もないので、惑星上にある王立研究院さえ制圧すれば直接報告が聖地にされることもない。
 時々急激に、抑えている筈の炎のサクリアへの望みを感じたのは、シールドのシステム上の問題らしかった。いわばシールドの張替えのようなものが必要らしく、その張替えの際にシールドが消滅する時間ができるということらしい。
「その僅かな時間の誤魔化しは、王立研究院を制圧すれば出来ることだしな」
 現地の研究院から「異常なし」という報告が為されれば、そんな僅かな乱れは問題視されないと踏んだのだろうし、事実、問題視されなかったのだ。ただ一人、炎の守護聖を除いては。
「そこへ、ある日突然旅行者が研究院に入ろうとしたんで軍がその身柄を拘束しようとしたってわけか?」
ふうっと、紫煙を吐きは出してアリオスが言葉を繋ぐ。それにオスカーが不愉快そうに頷いた。
「ああ。最初は不審者を取り締まるってことだったんだろ。旅行者の口からシエルの王立研究院は軍に占領されてるなんて話が漏れたらマズいしな」
 だが、それだけだったら、あそこまで大規模な捜索態勢になるわけがない。旅行者であれば、いずれ高速シャトルを使って帰らなければならないのだから、宇宙空港を張っていればそれで済む。
 それで済まなかったのは、旅行者の正体が実は炎の守護聖――シエルが干渉を恐れている聖地の、その中枢を担う一人――であると知ったからだろう。きっと、聖地の研究院から連絡が入ったに違いない。「炎の守護聖様がそちらに向かわれたが、もう到着なさったか?」といった連絡が。そこで炎の守護聖の外見の特徴を聞けば、それが既に研究院を訪れた旅行者であることはすぐにわかったはずだ。
「俺が研究院に行く前にそれを知っていれば、誤魔化しも出来ただろうが、向こうにしてみりゃ不幸なことに俺は既に軍と追いかけっこをしちまってたからな。そうなると残された道はただ一つ」
「何が何でもオマエを捕まえて、不慮の事故に遭って貰う、か」
「そのとーり」
頭を掻きながら、抑揚のない声でオスカーが肯定する。
「これからどうするか、だな・・・」
 サクリアが抑えられている以上、サクリアを放出することで聖地にいる女王や守護聖たちに直接異変を伝えるという最終手段も使えない。このまま連絡がつかなければいずれ不審に思って人が派遣されてくるだろうが、それでは時間がかかりすぎる。逃げ続けるにも限界があるのだ。
 深い溜息を零しながら、雑に髪を掻き毟るオスカーに、アリオスはとりあえず、と声をかけて立ち上がった。
「どうでもいいから、腹減った」

 何しろ、顔が割れている手配犯がいるのでどこか店に入って食事、
という真似が出来ない。
仕方ないのでアリオスが買ってきたファーストフードを、人気のない路地裏で食べるという、この上なく侘しい食事になった。
「お前でもハンバーガー買えるんだなぁ」
「・・・喧嘩売ってんのか」
「酒飲んでるイメージしかないんだ、お前には」
 山積みのビールケースに腰掛けて、そんな会話を交しながらハンバーガーに齧り付く。アリオスが買ってきたのはハンバーガーを四つにホットコーヒーを二つ。バーガーの種類を変えるだとか、ポテトを買うだとか、そういったことを一切しないところがアリオスらしくてオスカーは苦笑するしかない。
 そんなことを考えてる場合じゃないんだが。
軽く息を吐いてオスカーはコーヒーを飲んだ。ファーストフードの薄いコーヒーはあまり好みではないのだが、贅沢を言っていられる場合でもない。
「このまま、逃げ続けてるわけにもいかないしな・・」
「なんなら、本気で逃げちまうか?」
「え?」
アリオスの言葉の意味が掴めずに思わず見返すと、アリオスがニヤリと笑ってオスカーを見た。
「本気で、全部からな。この惑星だけじゃない、この宇宙から。オマエを囲ってる全てのものからだ」
「・・・アリオス」
どう返せばいいものか言葉に詰まっていると、アリオスがククッと肩を揺らした。
「冗談だ。んな本気に取るなよ、ガキじゃあるまいし」
「笑えない冗談言ってる場合か」
オスカーもそれに合わせて言葉を返す。
 冗談で済ますには、アリオスの視線は真剣だったし、自分の心も一瞬揺れた。けれど、それには気づかなかった振りをして。
「さて、と」
空のカップやラップをダストシュートに投げ込むと、表通りへと歩き出す。
 表通りへと出る直前に、客らしき酔っ払いに絡まれる女性がいたのが切っ掛けだった。
女性が困っているのに黙って見過ごすなどという真似を、「全宇宙の女性の恋人」を自認するオスカーができる筈もなく。
アリオスが呆れた顔で溜息を吐いたのには構わず、酔っ払いを退散させた。そこまではよかったのだが。
「チョコレート色の眸のレディ、怪我はないか?」
 コイツ、自分の置かれてる状況わかってるんだろうな・・・。
こんな時にまで口説きモードに入るこの男の神経の図太さに、アリオスがこのまま置いていってしまおうかと思ったその時。
 人ごみの向こうに、剣呑な視線を見つけた。それも複数。
 ヤバいっ!
アリオスは瞬時に身を翻した。女性相手に甘い言葉を囁いている男の腕を掴んで。
「逃げるぞっ!」
「ちょ・・っ、じゃあな、レディ」
走り出しながらも、女性への挨拶だけは忘れないオスカーはある意味尊敬に値するかもしれない。
「オマエな、少しは状況考えろっ」
「レディが困ってるのに見過ごせるかっ」
 裏通りを全力で走り抜けながらも、そんな会話を交わす。後ろであちこちから短い悲鳴が聞こえるのは、彼らを追う人間達が通行人にぶつかっているからだろう。追手側の人数も多ければ通行客の人数も多いので悲鳴の合唱が巻き起こっている。
「つーか、いい加減手を離せっ」
 アリオスの方が確実に足が速いというのならともかく、走るスピードにほぼ差がないのに腕を掴まれていては走りにくくて敵わない。
「離したらオマエまた一々女に引っ掛かるだろーがっ」
 だが、アリオスの言う事も尤もである。二人は通行人にぶつかるようなことはなかったが、今腕を離せば、ぶつかりそうになった女性が「きゃっ」と声を上げる度、オスカーの走るスピードは遅くなるだろう。
「どーするんだよ、これから。炎の守護聖様は」
「・・・行くか。逃げ回るのも飽きたしな」
 飽きたとかいう問題じゃないんじゃないのか?
アリオスは内心でそう思ったが、それは言わずに、代わりに訊ねる。
「どっちだ」
「そりゃあ・・」
アリオスが掴んでいたオスカーの腕を離した。ちらっと、横に視線を流せば、同じように自分を見るオスカーの視線とぶつかる。
「アタマだな」
声が重なった。
こういう時に議論を必要としない相手はありがたかった。

 バイクの低いエンジン音が静まり返った官庁街に響き渡る。
誰がどう見ても、否、誰が見なくても立派な無断借用だったが、その責任はアリオスに被って貰おう、などと酷い事をオスカーは考えていた。元々、バイクを拝借しようと言い出したのはアリオスであるし、運転しているのもアリオスだ。
やがて視線の先に、物々しく軍人に警備された建物が見えてくる。
 さすがに、まさか守護聖が乗り込んで来るとは思っていなかったのだろう、王立研究院ほどの厳戒態勢ではないようだった。
 無論、その方がこちらとしてもやり易い。
「行くぜ」
アリオスが短く告げる。
アクセルを全開にし、更に低い唸り声をエンジンが上げると、スピードを緩めることなく突っ込んでいった。車体がバウンドし、銃を構える軍人たちの鼻先を掠めていく。
「死人は出すなよ、死人はっ!」
荒っぽいアリオスの運転に、思わずそんな文句が出た。
「うるせぇな」
「後で色々責任問われるのは俺なんだーっ」
 聖地に帰還した後のジュリアスのお小言を想像すると蒼醒めるオスカーである。
 アリオスの荒っぽい運転で、一気に建物の玄関を打ち破り、正面の階段を登ったところでバイクは止まった。玄関の扉と平行に、つまり階段を塞ぐように止めることで階下からの増員が出来にくくする。ほんの僅かな時間稼ぎにしかなりはしないが。
 ここから先は徒歩強行軍である。
異変に飛び出てきたものの、あまりの異常事態に銃を構えることも忘れて呆然としている軍人に飛び掛かると手にしていたサブマシンガンと腰に携帯している拳銃を頂いた。暴れられると面倒なので鳩尾に一発拳を叩き込むことも忘れない。
 軍人が呆然とするのも無理はなかった。
一体誰が、夜更けにたった二人でバイクに乗って大統領官邸に突入して来るなどと思うのだろう。
「なあ、アリオス。お前、銃って扱えるか?」
「拳銃は二、三度撃ったことはあるが・・。アンタは?」
「俺も似たようなもんだ。ま、ストッパー外しておいて、後はトリガー引けばなんとかなるだろ」
 オスカーがなんともアバウトで恐ろしいことをさらりと口にすると、銃声が響き渡った。
咄嗟に左右の壁に背を張り付け、様子を伺う。
 前方向からの銃撃。
二人の視線が一瞬交差する。軽く頷くと、一気に走り出した。
オスカーが拳銃のトリガーを引くと、前方の兵士が倒れる。
「死人は出さないんじゃなかったのか?」
「死んではないだろ、たぶん」
「・・・いいのかよ、そんなんで」
そう言ったアリオスの頬を、後ろから弾丸が掠めた。
 アリオスはくるりと振り返ると、サブマシンガンのトリガーを引いて左右に銃口を振る。マシンガンなど持ったことのない人間にしては、遠慮のない見事な撃ちっぷりである。
「楽しそうだな、これ」
拳銃で前方の兵士を的確に撃ち抜いてるオスカーも、片手に持ったサブマシンガンに心惹かれたらしい。
 銃器は撃った後の反動が激しく、手許がぶれ易い。初心者には狙ったところに撃つなどという芸当は普通できないものなのだが、剣で鍛えられた腕の筋肉が、ここでしっかりと役立っているようだ。
 倒れ付す兵士たちのところまで来ると、一応死人がいないことだけを確認する。一人の身を起こして、拳銃をこめかみに突きつけた。
「大統領は何処にいる?」
低く訊ねる声と鋭い氷碧の視線は、まだ若い兵士を震え上がらせるには充分なようだった。
 こんなことジュリアス様にバレたら・・・、想像もつかん。
卒倒されてしまうかもしれない・・と内心冷や汗を流しながらやっているとは思えない、堂に入ったテロリストぶりである。
「早くしろよ」
背後からの攻撃に対応するため、こちらに背を向けているアリオスが苛々とした口調で促す。オスカーが持っていたサブマシンガンまで手にして、二丁拳銃ならぬ二丁マシンガンだ。死人を出すなというオスカーの言葉を考慮して、銃口は足のあたりに向いている。
「こっ、この一番奥っ」
「サンキュ」
兵士の躰を離すとオスカーは立ち上がった。持っていたサブマシンガンをアリオスに取られたので、倒れた兵士たちの持っていたマシンガンを新たに手にする。
「行くぞ」
「先行ってろ。こっち片付けてから行く」
「頼む」
アリオスにその場を任せるとオスカーは走り出した。
 有無を言わさずマシンガンのトリガーを引きっ放しで突っ込んでいけば、一番奥の部屋まですぐだった。
 施錠はされているが、そんなものはマシンガンの乱射の前には一秒ともたない。鍵を壊すと、オスカーは扉と壁の境に沿ってマシンガンのトリガーを引いた。蝶番が壊され、支えるものがなくなった重厚な扉は、単に壁の隙間に嵌った厚い板に過ぎない。二枚の扉を思い切り蹴り飛ばせば、それは部屋の中へと倒れていく。
 バタン、と大きな音と共に、部屋の中から複数の悲鳴が上がった。
ダメ押しでマシンガンを床に向けて乱射すれば、部屋の中に待機していた兵士達は最早敵ではなかった。
「なんだ、片付いちまったのか?」
アリオスがそう言いながら後ろから近づいて来た。
「そっちも片付いたのか」
「ああ」
部屋の中の兵士達が恐怖に慄いた目で二人を見ている。
「さて、と」
オスカーはわざとらしく部屋をぐるりと見回し、中央の革張りの椅子に腰掛けたまま、凍りついている男に視線を合わせた。
「大統領閣下?」
 恭しく確認する声すら恐ろしい。
大統領は声も出ないのか、小刻みに頷くだけだ。
「シエルに来てからこっち、随分熱烈な歓迎を受けまして」
そう言うオスカーの口許は笑っているが眼が全く笑っていない。
口調は丁寧だが、声は真冬の海よりも冷たかった。
 ストレス溜まってたんだな・・・。
芝居がかったオスカーの様子に、アリオスはこっそり溜息を吐く。
 逃亡生活を強いられた恨みは恐怖にして返す、と言ったところなのだろう。
「どうやら私をお捜しのようなので、こちらから伺いました」
そこまで言って、オスカーの口許から笑みが消えた。
「炎の守護聖であるこの俺に、こんなふざけた真似してくれた代償は、きっちりと払って貰うぜ?」

 大統領による命令で王立研究院は長い占領から解放された。
オスカーはすぐさま聖地に連絡を入れ、シエルには暫く王立派遣軍が駐屯することになった。
 大統領は更迭されて軍部の発言権も一気に縮小した。
シエルの新聞は夜間の大統領官邸襲撃事件を大きく報じたが、それが守護聖自らによって引き起こされた事件であることは当然報じられなかった。
「今回は済まなかったな。おかげで助かったぜ」
オスカーはひどく素直にアリオスに対して謝辞を述べた。
「珍しいな、オマエがんな素直に礼言うの」
 なんか隠してることでもあんのか?と訊くアリオスに、オスカーはいや別に、と首を振る。
「失礼なヤツだな。今回のことは俺の執務に関わることだし、巻き込んで悪かったと思うから言ってるんだろ」
 本当は、バイクの無断借用はともかく、官邸襲撃、必要以上のマシンガンの乱射まで、聖地に報告する際に、全てアリオスの所為にしたからだとは口が裂けても言えない話である。
「ま、いいけどな。アンタがどういう報告した所で、オレにはどうでもいいことだ」
紫煙を燻らせながらアリオスはそう言ってちら、と横目でオスカーを見遣った。
 バレてる・・・。
オスカーの背中を冷や汗が伝う。ここはそのまま素知らぬ振りをしよう。
「ところで、お前、これからどうするんだ?」
 やや強引な気がしなくもないが、自然といえば自然な話題転換だった。
「別に。適当に何処か行くさ」
「そうか・・・」
 考えてみると、アリオスと「別れの挨拶」というものをあまりしたことがなかったことに気づく。こんなに長い時間一緒に行動するのも初めてではないだろうか。いつもは一晩抱き合って、別れるだけだ。
 改めて別れの挨拶をするとなると何を言っていいのかわからない。
「じゃ、オレは行くぜ?」
「あ、ああ・・」
 結局上手い言葉が見つからずに、ただ頷いたオスカーの心情に気づいているのか、アリオスがニヤリと笑って付け足した。
「今回の礼は、今度たっぷりしてくれるんだろ。期待してるぜ」
 そして耳元で。
「丸一日は離してやらねぇから、覚悟しとけよ」
「な・・・っ」
 絶句するオスカーを尻目に、アリオスはすっと姿を消した。
残されたのは、片手で口許を覆った炎の守護聖一人。
「・・・・・・洒落にならん」
そんな言葉が、溜息と一緒にオスカーの口を突いて出たのだった。


±0




 聖殿の廊下を歩いていたら、頭上から花瓶が落ちて来た。
階上で掃除をしていたメイドが蒼褪めた顔で「申し訳御座いません」と連発したが、特に怪我もない。粉々に割れた花瓶を一瞥するとそのまま歩き去った。

 昼食に出てきたヴィシソワーズを食べていたら、中に砂利が入っていた。
シェフが慌てて飛んできて、テーブルに額を打ち付けんばかりに謝ったが、別に食べたところで死ぬものでもなし、砂利を捨てると、そのまま食べ続けた。

 午後の惰眠を貪ろうと横になったら、何かが窓を派手に壊して飛んできた。
「おっ、わりぃわりぃ」と言いながらゼフェルがメカチュピを回収しに来たが、割れたガラスには見向きもせずに去っていった。…特に寝るのに問題ない。

 さて、眠ろうかと思ったら、叩き壊さんばかりに元気に扉が開かれた。
「すみません、ゼフェルがまたメカチュピ暴走させたって聞いて」と明るく爽やかにランディがやってきて、勝手に色々話しながらガラスを片付けていった。…何故ランディ?

 今度こそ眠ろうと眼を閉じたら、いきなり何かに突かれた。
「ダメだよ、チュピったら!」そう言いながらマルセルが入ってきて、「ごめんなさい。お詫びに…」と花を飾っていった。…どうやら小鳥に突かれたらしい。

 なんだか眠る気が削がれた…と思っていたら、ポロン、とハープの音がした。
「午後の音楽を奏でに参りました」とリュミエールが言うので、丁度いいかと一曲頼んだ。結局リュミエールは五曲奏でていった。…しかしいつの間に来たのだろう。

 再び襲ってきた睡魔に身を委ねようとしたら、視覚的目覚ましがやってきた。
「ちょっとー、この石見てくんない~?」とオリヴィエが持ってきた宝石を鑑てやると、お礼だと言って白檀の香を置いていった。…別に宝石鑑定士ではないのだが。

 どうも眠れそうにないので仕方ない、と散歩に出たら、本の山とぶつかった。
「あ~、すみません。前が見えなかったもので~」というルヴァと、何故かそのまま立ち話に付き合わされた。…本の角がぶつかったらしい。額にたんこぶが出来ている。

 執務室の前まで戻ったら、隣人に待ち構えられていた。
「まったく、そなたはいつもいつも…以下略」と延々とジュリアスの小言が続く。立ったままだと熟睡もできない。…もしかして、今日は運が悪いのだろうか。

 早々に執務を切り上げ邸で寛いでいたら、テラスから侵入者が来た。
「なんですか、その意外そうな顔は」
オスカーはそう言うと、テーブルにワインと花束を置く。確か、この男は視察で聖地を留守にしていたように記憶していたのだが、何故ここにいるのだろう。
「貴方、もしかして本気で忘れてるんですか?」
さも呆れた、とオスカーは首を振った。
「誕生日でしょう、貴方の」
すっかり忘れていた。
「人が、なんとか日付が変わらないうちに帰ろうと、必死になって視察をこなして来たってのに、肝心の貴方が自分の誕生日を憶えていないんじゃ、俺は一体何の為に必死になったんだか。・・・まあ、それも貴方らしいと言えば貴方らしいんでしょうけどね」
そう笑う相手を抱き寄せた。
 誕生日だと言う割に。
朝から酷く運のない一日だったような気がするが、これで、差し引きゼロだろう。
「貴方が生まれてきたことに、感謝を」


Carriage




 「・・・ッ」
 聖殿の大階段を降りた瞬間、右足首に走った痛みに思わず小さな呻きが洩れたのは、オスカーにとって油断以外の何物でもなかった。
そして、階段を降りたその先に、何故か擬似自閉症引きこもり癖の闇の守護聖が立っていたことは、オスカーにとって不運以外の何物でもなかった。
いや、一応二人は恋人、と呼べる仲ではあるのだが。
「・・・どうした」
「っっ!クラヴィス様っ」
忌々しげに自分の足首を見ていたオスカーに、恐らくは半径一メートル周囲に届くかすら疑わしい音量の声がかけられた。
慌てて顔を上げればすぐ傍にクラヴィスが立っている。
 ・・・・・階段を降りた時にはまだ、五メートルは先に立っていたはずなのに、瞬間移動でもしたのか、この人は。
この男なら有り得る、と思わずまじまじとクラヴィスを見つめてしまうオスカーである。
「どうしたと訊いている」
そんなオスカーの様子に構うことなくクラヴィスは問いを繰り返した。
「あ、いえ、大したことじゃないんですが・・」
そう言ってオスカーは事情を話す。
 先刻、廊下で足を滑らせて転びかけたメイドを抱きとめてやった際にほんの少し右足を捻ったのだ。捻挫、と大騒ぎするほどのことでもない。今日は歩くのに少し注意を要するが、邸に帰って湿布でも貼れば一晩で治るだろう。その程度だ。
 その程度なのだが。
「うわぁっ」
これがあの、宇宙一のプレイボーイ、強さを司る炎の守護聖の口から出たとは思えないほど情けない悲鳴があがった。
「何するんですか、貴方はっ!?」
「お姫様抱っこ」
「ぶっ・・」
思わず吹き出したオスカーに罪はないだろう。
 そう。横抱き、抱え上げ。
オスカーは突然、クラヴィスに抱き上げられたのだ。
 ・・・執務服だぞ?軽鎧だぞ?そんなもの着た男をどうしてこんな軽々と持ち上げられるんだ、この人はっ!?
 あまりの驚愕に、ぱくぱくと口を開閉させながらオスカーはそんな的外れのことを思っていた。が、すぐに我に返る。
「どこ行く気ですか、貴方は!降ろしてくださいって」
オスカーは遠慮がちにもがきながら抗議した。思い切り暴れると、クラヴィス諸共派手に転ぶ危険性があるのだ。それは避けたい。ただでさえ足首を痛めているのだからして。
「足を痛めているのだろう。動かさないほうがよい」
クラヴィスの言い分は尤もだ。尤もなのだが。
「だからって、貴方が姫抱きする必要がどこにあるって言うんですかーっ!」
オスカーの主張も尤もなのである。
だがクラヴィスはそれにあっさりと答えを返した。
「一度やってみたかったのでな」
 何の正当性も必然性もないその言葉に、敵う反論などあるだろうか。いや、ない。
「もう夕刻だ。執務は片付いているのだろう?邸まで送ってやろう」
ガックリと項垂れるオスカーにクラヴィスはそう言った。その表情が心なしか楽しそうなのは幻影ではないだろう。
 炎の守護聖をお姫様抱っこして歩く闇の守護聖。
その異様な光景に、聖殿から炎の私邸、更にはその主人の私室までの道程で、擦れ違う人々は守護聖、使用人、一般人を問わず皆慌てて道の両脇へと体を寄せた。さり気無く目を逸らし、まるで無機物のように一言も発しない。
 さながらモーゼの十戒である。
「明日から俺はどんな顔して出仕すればいいんですか・・・」
漸く辿り着いた私室のベッドの上に降ろされ、オスカーは憮然と呟いた。
 転ぶのが嫌だからとはいえ、なんだかんだ言って大人しくお姫様抱っこされたままだったのだから、この男も大概おめでたい。
「普段通りの顔でよかろう?」
「そりゃ、貴方は執務室に暗ぁく引き篭もってりゃいいんですから、気にもならないでしょうけどね。・・・で、この手はなんです?」
意外と器用に自分が身につけているマントや鎧を外していく手を、オスカーは思い切り剣呑な眼で見つめた。
「私の手だが?」
「ええ、貴方の手でしょうね、俺の手じゃありませんから。俺が訊いてるのは、その貴方の手がなんで俺を脱がそうとしてるか、なんですが?」
「仮にも恋人、という関係の二人が片方の私室、しかもベッドの上にいる目的など一つしかないと思わないのか・・・?」
珍しく長いセリフを吐くと、クラヴィスは当たり前のように動きを再開する。
その言葉にオスカーが呆れ返った、と言わんばかりに大袈裟に溜息をついた。
「貴方ね、なんで俺をわざわざあんっっな、恥かしいカッコで運んできたんです?怪我人相手に何しようってんですか」
「足に負荷を掛けなければいいだけの話だろう。お前が立ったままの方が好きだというのならば、それは難しいが」
「じゃあ、立ったままの方が好きです」
即答だった。
「そうか、では次の機会にはそうするとしよう」
「って、この、エロオヤジーっ!」
聞き捨てならないセリフである。
「オスカー」
低く囁くような静かな声音でクラヴィスが呼べば、びくっと竦むようにオスカーは見つめてくる。
「おまえは・・・手紙を出す時には切手を貼るだろう」
「当たり前でしょう」
 手紙の精霊さんに頼めばいい、という突っ込みは却下である。
「荷物を送るときには送料を払うだろう」
「そりゃあそうです」
 聖地に宅配業者がいるかどうかは不明だが。
「高速シャトルに乗れば運賃を払うだろう」
「払わなかったら犯罪でしょう」
 専ら次元回廊しか使っていないのではないだろうか。
「つまりは・・・そういうことだ」
「どーゆーことですかーっ!?・・・んんっ!」
これ以上煩く喚く口は、実力行使で塞いでしまえ。

こうして炎の私邸の夜は更けてゆき。
翌朝、お姫様抱っこの話を耳にした首座の守護聖から、オスカーはたっぷりお小言を受ける羽目に陥るのである。