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WILD HEAVEN




 な、何だって言うんだ、一体っ!?
狭い路地を全力疾走するオスカーの心の声は疑問符でいっぱいだった。
角を曲がった所で適当な足場を見つけ、一気に民家の屋根へと駆け登る。姿勢を低くし、息を潜めて気配を消すと、眼下の通りを数人の男達が走って行った。
 物騒なことに、男達の手には銃器が握られている。
そして、その男達に追いかけられている、というのが現在のオスカーの状況である。
炎の守護聖ともあろう者が何故、あんな物騒な連中に追いかけられて街中を逃げ回らなければならないのか。
「・・・俺が教えて欲しいぜ、まったく」
思わず口から漏れた呟きが思いの外響いて、オスカーは慌てて口を噤んだ。
もう一度注意深く眼下の気配を探り、物騒な気配が消えたことを確認して通りへと飛び降りる。
「・・・やれやれ、だ」
片手を腰にあててオスカーは溜息をついた。
 とりあえず、ここにいては危険だ。先程の連中が戻ってくる可能性もある。
辺りをザッと見回すと、オスカーは繁華街に足を向けて歩き出した。
 オスカーが惑星シエルに降り立って最初の夜のことである。

 発端は、王立研究院からの報告書だった。
主星系からは少し離れた星系の中心惑星シエルにおいて、サクリアバランスに多少不自然な点が見えるという。
星系の中心惑星ともなれば、当然王立研究院も存在しており、そこからの報告には特に不審な点はなかった。不自然な点に気づいたのは聖地の研究院だが、その報告書にしても、備考として多少不自然な点が見受けられる、と記されていただけで守護聖の視察どころか要検討という位置付けすらされていなかった。現地の研究院から問題なしという報告が来ている以上、聖地の研究院が些細なことなのだと判断したのも無理はない。
宇宙には数多の星があり、サクリアのバランスが大きく崩れてしまっている星もある。シエル程度のほんの僅かなサクリアバランスの崩れならば自然に直る範疇であり、通常であれば守護聖が視察に出向くことなど有り得ない。
にも関わらずオスカーがシエルに降り立ったのは、シエルのサクリアバランスの崩れ方が炎のサクリアのみに集中していることを知ったからだった。
 時折、僅かな時間ではあるが、シエルは炎のサクリアを異様に求めた。
研究院のデータに残るかどうかわからない程のほんの短い時間でも、自らの持つ力を求められたオスカーの記憶にはしっかりと残る。
 大概の場合に於いて、炎のサクリアを異常に求めるというのは危険なことが多い。
特に、惑星シエルは文明的に成熟した惑星で、その文明レベルは主星と同程度である。しかも惑星の状態は至って良好で生活水準も高く、飢餓や貧困といった問題はない。
 そんな惑星が炎のサクリアを求めるとロクなことがない。
それはオスカーの守護聖としての経験から得た知識だった。
 満ち足りた環境に在る人々が炎のサクリアを求めるのは、生きるための強さを求めているのではない。他者を侵略する破壊の力を求めていることが圧倒的に多いのだ。
 だが、今回の場合は多少勝手が違う。何しろ、シエルは常に炎のサクリアを求めているわけではなく、思い出したかのように一瞬サクリアを求めるのだ。オスカーも今まで経験したことのないサクリアの求められ方に首を傾げざるを得なかった。
丁度、シエルと比較的近い同星系内の惑星で行われた王立派遣軍の視察が予定よりも大分早く終わったこともあり、オスカーは以前から気になっていたシエルへと足を運ぶことにした。非公式な視察なので星の小径は使わず、オスカーは旅行客に紛れて高速シャトルでシエルと入った。当然、同行の者もいない。オスカーにしてみれば普段のお忍びと変わらない、どちらかと言えば観光気分だった。
 だったのだが。
「・・・さて。どーする?」
力の抜け切った声でオスカーは呟いた。繁華街のバーになんとか腰を落ち着けた後のことである。
 武装した連中はまず間違いなくこの惑星の正規軍だろうと思われた。そんな連中に追われなければならないようなことをしでかした覚えは全くないのだが。何しろ、シエルに着いたのは今日の午後のことだ。初めて訪れた土地でいきなり軍隊に追われる程のことをしでかせと言う方が難題だろう。
 そう、軍隊。軍隊なのである。
オスカーを追っていたのは、国家の警察機構ではなく、正規軍なのだ。あまりに物騒すぎるではないか。
「なんだか、嫌な予感がするぜ・・」
そして、嫌な予感の的中率だけは哀しいほどの精度を誇るオスカーである。非常に不本意なことに、嫌な予感がして嫌なことが起こらなかったことなど皆無なのだ。
 しかし、こうして酒場で周囲の会話に耳を傾けていても、シエルに特に問題らしきものは見つからなかった。荒んだ様子も見受けられないし、とてもではないが炎のサクリアをそれほど欲している人々には見えない。
「だがなぁ・・・」
コトリ、と音を立ててオスカーは空のグラスをカウンターに置いた。
 この星に降り立った初日早々、軍隊に追われる羽目に陥ったオスカーは、お気楽な観光気分を返上させられた代わりに、観光気分ではすぐにはわからなかったであろう情報を得ることが出来たのである。
 つまり、表面上は何も問題がないように見えているのだとしても、この惑星には何かある、という情報を。

 うざってぇ。
そびえたつ高層ビル街を歩きながら、アリオスは忌々しげに頭上を見た。
見えるのは、ビルの合間に四角く切り取られた空。
水彩絵の具で塗ったような青い空は空気の冷たさを伝えてくる。
それは一見、何の変哲もない冬の空だ。
実際、多くの人々はこの空に何の異変も感じないだろう。この空気を感じ取れるのは極々限られた人間だけだ。
「・・・嫌な空気だ」
アリオスは首の辺りを摩りながらぼそっと呟いた。首を締め付けるようなものは身につけていないのに、息苦しいような気がしてならない。それは、十日ほど前にこの惑星に入ったときからなんとなく感じていたものだった。
 この惑星の空気には、なんとも言えない圧迫感がある。
最初は大して気にならなかったその圧迫感は、昨夜あたりから急激にその度合いを増した。
「空気だけってわけじゃねぇみてぇだがな」
 昨夜から、あちこちで武装した軍人の姿を見掛ける。昨夜は明らかな軍服姿だったが、今日は私服姿でうろついていた。隠し持った銃に気づいたのはアリオスの戦闘能力故だろう。
 何かを探してやがる。
路地裏に目を光らせる私服姿の軍人の横を、そ知らぬ顔で通り過ぎながらアリオスはそう思う。
 彼らが警備や要人警護の為に駆り出されたわけではないことはすぐに知れた。何故なら私服姿の軍人たちは、何食わぬ顔で街中を歩き回っているからだ。警備に駆り出されたのであれば、持ち場を割り当てられ、そこから動くような真似はしないし、要人警護にしては数が多すぎる。
 警察じゃなくて軍隊が出てくるとは、随分とヤバいヤツを探してるらしいな。
ビルの谷間を抜け、メインストリートを見渡せば、通行人に紛れた軍人を何人も見つけられる。
彼らの醸し出す物騒な雰囲気を感じ取れてしまう身としては、あまり愉快な気もしなかったが、かといって自分に何か迷惑がかかっているわけでもない。この星の、発達した都会故の他人への無関心ぶりを居心地よく感じていたアリオスは、何でもいいからさっさと探し物を見つけて消えて欲しい、と思いながら雑踏の中に紛れていった。

 ますますヤバいことになっちまった・・・。
洗面所の鏡の前で、オスカーはらしくもなく頭を掻き毟った。
きつく閉めても閉まらない、イカれてしまった蛇口からポタポタと水滴が落ちている。壁には罅が入り、床は一歩ごとにキシキシと音を立てる。安さだけが取り得の、繁華街の裏手に面した宿だった。
 オスカーが惑星シエルに着いて、既に五日目の夜である。
この惑星に問題があることは別として、軍に追われるという事態に陥ったのは最初は何かの間違いだろう、くらいに思っていたが、どうやら本気で自分は第一級手配犯になっているらしい。
昼夜を問わず、物騒な空気を纏った男達が連日街をうろついている。この宿に身を潜めていられるのも時間の問題だろう。
 このままじゃマズイよなぁ・・・。
表面が傷ついて勝手に曇り硝子と化している鏡にかろうじて映る自分の顔を、しげしげと見つめてオスカーは思った。
 オスカーとしても動きたいのはやまやまなのだが、武装兵士にこう容赦なく追われていては身動きもままならない。
 ・・・ジュリアス様、お怒りだろうなぁ・・・。
聖地と連絡も取れない状態が続いている。
「いや、ジュリアス様がお怒りになってるならいいんだが・・・」
 聖地と外界の時間の流れの違いを考えると、恐らく、聖地ではまだ一日も経っていないだろう。予定を変えてシエルに行くことは伝えてあったが、オスカーと連絡が取れないことを不審に思うには至らないはずだ。
だいたい、普段から外界をお忍びで出歩いているオスカーであるから、ちょっと姿を眩ました所であまり心配されるとも思えない。狼少年ここに極まれり、である。
「だが、悠長なことも言ってられん・・」
なんとか聖地と連絡を取らなくてはならない。この惑星上で聖地と直接連絡をとれる設備があるのはただ一つ、聖地直轄の機関である王立研究院だけだ。
「それが問題なんだがな・・・」
 その王立研究院に、近づけないのだ。
そもそもオスカーが軍に追われる羽目に陥ったのも、シエルに着いてすぐに、報告を入れようと研究院に足を運んだからだった。研究院の敷地に入った途端、有無を言わさず銃口を向けられた。
 聖地直轄機関である王立研究院の敷地に一惑星の軍隊が武装状態で配備されているなど、普通では考えられない。
まして、実際はともかく、外見上はただ足を踏み入れただけの非武装の民間人にいきなり銃口を向け、あまつさえ手配犯扱いするなど、異常事態以外の何物でもない。
「あーあー」
ガックリと肩を落とし、大仰に溜息を吐いた時だった。
 階下が急に騒がしくなった。
低く詰問する声が僅かに聞こえてくる。足音はしないが、息を殺して狭い階段を上ってくる気配がする。
 見つかったか・・。
オスカーは素早く身なりを整えた。もともとほぼ身一つで来たので荷物はない。財布さえあれば、後はどうとでもなる。
 夜逃げだよな、これじゃ・・・。
窓を開け、下を覗き込みながら、内心でごちた。声を出すような真似はしない。幸い、眼下の裏道の見張り兵は裏口の前と大通りへの出入り口の2箇所だけだった。まさか、三階の窓から逃げ出すとは思われていないのだろう。
窓の下に樋があることを確認し、オスカーは窓を乗り越える。
 息を潜めて樋を渡り、手近な電灯を伝ってオスカーが地面に降り立つのと、つい先程までオスカーがいた部屋に銃を持った男たちが乱入して来たのはほぼ同時だった。

 その夜もアリオスは酒場にいた。アリオスが好む店は、繁華街の大通りに面したような店ではなく、裏通りの地下にあるような、小さなバーである。つまみは精々ナッツかクラッカーがあればいい程度、酒の種類も少ない、カウンターしかないような小さな店。そして、店員があれこれと話し掛けたりしてこない店であること。
 その点、アリオスが今いる店はすべての条件を満たしていた。お世辞にも綺麗とは言えない狭い店だが、ウォッカも常備されているし、カウンターの中にいるマスター、というよりもオヤジ、という表現がピッタリはまる店主は寡黙な男だった。何しろ、ここ数日この店に通っているが、マスターの声を聞いた回数など十回にも満たない。そんな店であるから、アリオスをして「やってけるのか?」と思う程、他の客と出くわすこともなかった。アリオスにしてみれば居心地がよかったが。
 だが、残念ながら今夜は乱入者がいた。
男が二人、乱暴に店内へと入ってきたのだ。背広を着て、サラリーマン風を装ってはいるが、彼らが纏う空気はかなり剣呑だ。
 ・・・軍人、か。
グラスを煽りながら、アリオスはちらっと男達を見てそう判断した。
どうやら相変わらず探し物は続いているらしい。
 これだけ軍人がうろついてる中を逃げ通してるってのはよっぽどのヤツだな。
そんなことを思ってアリオスは立ち上がった。
男達は寡黙なマスターに、尋ね人がこの店に来たことがないかを確認している。
「背の高い�・�・�・。そう、その男と同じくらいの背の高さだ」
突然指を差されて、アリオスは否応なしに「探し物」の特徴を聞くことになった。
「目立つ容姿だから、目に付く筈だ。髪は真っ赤で、目はかなり色素の薄い青。左耳に金のピアス」
 ちょっと待て。
アリオスの動きが一瞬止まったが、すぐに自然な動きでカウンターに金を置くと、男達の脇を擦り抜ける。
狭い階段を上って路上へと出ると、建物と建物の間の狭い路地へと入り、壁に寄り掛かった。
ポケットから煙草を取り出し火をつけると、ふぅっと大きく煙を吐く。
「・・・別人ってことはないだろうな」
先程耳にした「探し物」の特徴を思い浮かべて、眉間に皺を寄せる。
 あんなのがそう、何人もいるわけねぇ。
緋色の髪と氷色の眸、左耳に黄金のピアス。自分と並ぶほどの長身の男。正規軍の大掛かりな捜索態勢から一週間近くもの間逃げ遂せるほどのサバイバル能力。それらを全て持ち合わせている男に、アリオスは一人だけ心当たりがあった。
「・・何やってんだ、アイツは?」
 アリオスの認識に間違いがなければ、その男は一惑星で正規軍相手に隠れんぼをしていられるような身分ではなかったはずである。というよりも、その男を相手にこんな物騒な隠れんぼを展開している惑星の方が、マズイのではないだろうか。あの探し方は、尊い身分の人間を保護する為、といった雰囲気では到底なかった。明らかに、手配犯に対するそれである。
「まあ・・・。正体隠してるってことも有り得るか」
 正体を隠しているにしても、軍に追われるとは随分と愉快なことをやらかしたらしい、とアリオスは短くなった煙草を靴先で揉み消す。
 聞き込みをしているとなると、恐らくはこの辺りで姿を確認したのだろう。駆り出されている人数を考えると、まだ遠くへは行っていないはずだ。
「知っちまったら気になるじゃねぇか」
 一体どんなヘマをやらかしたのか。
 もうそろそろまた逢いたいと思っていた、という本音は綺麗さっぱりと黙殺して、アリオスはそう呟いた。

 繁華街の表通りと裏通りを頻繁に出入りしながら、オスカーはこれからの行動を考えていた。
聖地と連絡を取るためには、なんとしても王立研究院に潜りこまなければならない。だがその前に、シエルの現状についても考えをまとめておきたい。まずは、落ち着ける場所を確保するのが先決だと思われた。
「・・それが難しいんだがな」
一向に捉まらない自分に業を煮やしたのか、とうとう軍だけの隠密の捜索活動から警察も動員しての聞き込み捜査に転換したらしい。繁華街を虱潰しに聞き込んでいるらしく、似顔絵が配られていないだけマシ、という状態に陥ってしまった。つまり、うかつに店に入ればすぐさま通報されること間違いなしなのである。
 このままひたすら歩き続けるってわけにもいかないしなぁ・・・。
このままでは寝ることすらままならない。それはどう考えても嬉しくない状況だった。
そんなことを考えていた所為だったのだろう、ほんの五メートル先にまで迫った私服姿の軍人に気づくのが遅れたのは。
「・・・っ」
 しまった・・っ!
内心で大きく舌打ちする。反射的に周囲を確認した。雑居ビルの合間の狭い路地。行ける、オスカーは瞬時に判断を下した。
向こうの視線もしっかりとこちらを捉えている。人ごみに紛れ、そ知らぬ顔をして通り過ぎるのは無理だ。
 そうなれば、取れる手段は一つだけ。
「前にルヴァが言ってたな・・・」
 確か、どこか辺境の惑星の古い時代の言葉だったと記憶している。諺、と呼ばれる先人の教訓らしい。
何の弾みでそんな話になったのかはすっかり頭から抜け落ちているが、その時教わった諺とやらはしっかり覚えている。
まさに今の自分の状況にピッタリだ。その諺とは。
「三十六計逃げるに如かずっ」
まるでそれがスタートの合図だったかのように、オスカーはほぼ直角に進路転換をし、路地へと逃げ込んだ。
相手が複数の場合、こういう狭い場所に逃げ込むに限る。一対多数という不利を軽減できるからだ。
 だがまあ問題は、一対多数なんてレベルじゃないってことなんだがな・・・。
入り組んだ路地を適当に走り抜けながら、オスカーはこの後の動きを考えている。
 こちらがたった一人なのに対して、相手は数十、下手をすれば数百単位の人員を動員してきており、尚且つ、オスカーはこの辺りの地理を把握していないという圧倒的に不利な状況にある。このまま路地を闇雲に走っていても、いずれ挟み撃ちにされるだろう。
 後ろから迫ってくる足音に舌打ちしながら、オスカーは角を曲がった。
「言った傍からこれだ・・」
道の向こうには大通りが見える。まず間違いなく待ち構えられているはずだ。しかし後ろにも追手は迫ってきている。
「平面方向に逃げ場がないとなると、垂直方向に行くしかないんだが・・・」
どこか適当な足場があれば三階建くらいの小さなビルならば屋上まで登れるのだが。
ざっと見てみるが目当てのものは見つからなかった。
そうしている間にも足音は近づいてくる。これが年貢の納め時、とかいうことなのかと軽く溜息を吐いた時だった。
 不意に横から伸びてきた手に腕を掴まれ、ビルの裏のデッドスペースに引きずり込まれる。
「な・・・っ!?」
完全に不意打ちだった。何よりも、この自分に気配を気づかせずに傍まで来られる人間がいると思わなかった。だが、次の瞬間驚きは更に大きくなる。
「助けてやろうか?」
 身動きが出来ないようガッチリとオスカーの躰を壁に抑えつけ、低く笑ってそう言ったのは。
「・・アリオス!」
「黙ってろよ。逃げてんだろ?」
「う・・・」
 なんでお前がここにいる、と問おうしたところを先に制され、オスカーは仕方なく口を噤んだ。
その様子にアリオスは笑うと、オスカーを引き摺るように街灯の光がほとんど届かない奥まで移動した。近くの店などから出された樽やビールケースが山積みにされたそこに、オスカーの躰を押し倒す。
「おいっ」
アリオスの行動に焦ったのは当然オスカーである。
 こんな所で盛るほどこいつはケダモノだったのかっ!?
考えてみればそうかもしれない・・・、いや、クールな美剣士とか言われてたのはどーしたんだっ!
 そんな埒もないことを考えて口をパクパクさせているオスカーに、アリオスは人の悪い笑みを浮かべると覆い被さった。
「んんーっ!!」
 口づけ、などという生やさしいものではなかった。アリオスの舌がオスカーの口腔を思う様に蹂躙していく。
巧くオスカーの躰を抑えつけ、抵抗を許さないアリオスの手がオスカーのシャツを肌蹴させると、辺りが急に強い光に照らされた。
 瞬時にオスカーの躰が強張るが、アリオスはそれを気に止めた様子もなく、行為を続行する。
光は暫く二人を照らしていたが、やがて消えていった。
「・・はぁっ」
光と共に複数の足音がドタドタと遠ざかっていったのを確認して、アリオスがオスカーの唇を解放してやった時には、オスカーの息は完全に上がりきっていた。いきなりあんなディープキスをされれば当然である。
「な、んでここにっ」
抑えつける手を振り払うと存外あっさりとアリオスは身を起こした。
「そりゃこっちのセリフだぜ。お偉い守護聖様が、なんでこんなとこで軍に追われてる?」
「まあ、いろいろとな」
「なんだよ、助けてやったってのに恩知らずなヤツだな」
煙草に火をつけながらアリオスが肩を竦めると、息を整えたオスカーも立ち上がった。当然のようにアリオスのジャケットから煙草を一本取り出して咥えると、アリオスの煙草から直接火を移す。
「恩知らずも何も、こんな追われる程のことなのか、俺が訊きたいくらいだぜ、ホント」
「なんだ、なんかヤバイことやらかしたんじゃねぇのか?」
先程までオスカーを押し倒していたビールケースに腰掛けて、アリオスが首を傾げた。
「さあな。そんなことは、あいつらに訊いてくれ。まだその辺あちこちにいるだろうさ」
憮然と答えたオスカーはそれよりも、とアリオスの方へ向き直った。「何故おまえがここにいる?」
「あちこち放浪中なだけだ」
「じゃあ、俺が追われてることを何故知ってるんだ?」
「これだけ物騒な気配隠しもせずに軍隊が動いてれば嫌でも気づくだろーが。アイツらの『探し物』がアンタだって知ったのはついさっきさ」
 後は追手側の動きから適当に目星をつけて待っていただけだ。オスカーが自分の横を通り過ぎようとするのを。
「さすがにあれだけの組織相手じゃオマエも大変だろうと同情してやったんだよ」
 恩着せがましく言うな。
オスカーはジロリとアリオスを睨んだが、睨まれた方は何処吹く風である。
「助けてもらったのは・・・非っ常に、この上なく、物凄く不本意だが、一応、礼を言うが・・・」
「・・・オマエ、それで本気で礼を言ってるつもりか?」
「本気なわけないだろう」
呆れた眼でアリオスがオスカーを見ると、オスカーはアリオスににじり寄った。
「だがな、なんでいきなりこんなとこで押し倒されにゃならんのだ」
「路地裏で男と女がヨロシクヤッてるって思えばあれ以上踏み込んで来ねぇだろ。立ったままだとアンタはデカいからバレちまうし。それにライトが当たれば髪の色でバレる」
 その点、押し倒せば、遠目からでは体格もはっきりとは判別できないし、自分が覆い被さることでオスカーの顔は影となって髪の色も判らなくなる。
「・・・」
なんだか巧く言い包められているような気がしないでもないが、とりあえずオスカーはそれ以上の追求を諦めた。
 第一、いくら凌いだとはいえ、またいつ軍人なり警察官なりが来るかわからないのである。早急に立ち去るべきだった。
 と言っても、行く当てがあればこんなとこで逃げ回る羽目に陥ったりしないんだがな。
思わず夜空を見上げて溜息を一つ。
「ああ、星が綺麗だなあ」などと思っていると、アリオスが立ち上がってさっさと歩き出した。数歩進んだ所で空を見上げたままのオスカーを振り返る。
「何やってんだ。行くぜ?」
「行くって何処に」
「オレが泊まってるホテル。アンタは非常階段から入れよな。フロントに顔見られたらマズイだろ」
「・・・何階だ?」
「六階」
オスカーの肩ががっくりと下がった。

 疲れた・・・。
熱めのシャワーを全身に浴びながら、オスカーはしみじみと溜息を吐いた。
 百十四段の階段を上って疲れないわけがない。しかも普通に上るのではなく、人目を忍んで音を立てないように注意しながら、だ。
だいたい、元々自分がいた安宿から出る際も三階からの脱出であったし、そのあとは腰を落ち着けることも出来ずに繁華街を歩き続け、挙句の果てに裏道の追いかけっこをこなした、最後の駄目押しの百十四段である。
アリオスが泊まっているという部屋に辿り着いた時にはヘトヘトだった。
 とりあえず、シャワー浴びさせてくれ。
オスカーが室内に入って最初のセリフがそれだった。アリオスは無言で呆れたように肩を竦めるとシャワールームを指差した。
「あー、生き返るー」
頭からシャワーを浴び、思わずそんな言葉が口を衝いて出たその時。
 曇り硝子のドアが突然開けられた。
「うわっ」
オスカーが驚いてそちらを見れば、アリオスが上半身裸で立っている。
「んなに驚くなよ」
クッと笑うと、濡れるのも構わずアリオスが入ってきた。狭いシャワールームでは逃げ場もない。
「お前、それは盛りすぎだろっ」
「なんだよ、さっきのキスだけで終わりのつもりだったのか?」
オスカーを壁に追い詰めて、アリオスが愉しげに言う。
「ヘトヘトだって言わなかったか、俺は」
「んなこと、知ったこっちゃねぇな」
「・・ッ」
躰を密着させて、深く唇を貪る。舌で歯列をこじ開け、オスカーの舌を引き出すように絡ませた。アリオスを押し戻そうと二人の間で突っ張ろうとしているオスカーの両腕が、やがて力をなくすまで。
 アリオスの片手がオスカーの下肢を割る。
「ちゃんと感じてるじゃねぇか」
喉の奥で笑いながら言われたセリフに、オスカーはムッとしたようにアリオスを見た。
「これで勃たなかったら俺は不感症だろーが」
 するならとっととしろ、とオスカーが不貞腐れ気味に言うのにまた笑い、アリオスは手をゆっくりと動かす。
「はぁ・・」
深く吐き出された息は熱い。
黄金色のピアスごと、オスカーの耳たぶを舌で嬲る。
「ァ・・ッ」
アリオスが少し躰の位置をずらした時、鋭い声が上がった。
明らかに性感を煽られて上がった声だったが、特に何かした覚えのないアリオスが訝しげに少し躰を離すと、またも声が上がる。
 原因はすぐに知れた。
「これか・・」
人の悪い笑みを浮かべてアリオスはそれを空いた手に持った。するとまたビクビクとオスカーの躰が跳ねる。
「んんーっ!」
手に持ったそれを、もう片方の手の中で脈打つモノに向けてやれば、面白いように反応した。
「・・おもしれぇ」
シャワーヘッドを動かすと、それに合わせてオスカーの躰も跳ねる。
「やめっ、たの、むからっ」
 刺激が強すぎて堪らないらしい。
「いいじゃねぇか、感じてんだろ?」
 どこのエロオヤジだ、馬鹿野郎。
そう叫びたいが、口から出てくるのは恥ずかしくなるような喘ぎ声ばかり。
そうしているうちに、アリオスの指がオスカーの奥へと伸ばされた。お湯で充分湿った其処は、久々の行為の割にはすんなりと指を受け容れる。
「ふ・・っ、ぁ・ぁぁ」
内部をまさぐる指の数が増えると、さすがにオスカーの表情に苦痛が表れたが、それも、最も感じる場所を見つけることですぐに悦楽に取って代わった。
「ア、リ・・オスッ」
「なんだよ、限界か?」
 熱く艶を孕んだ声で自分の名を呼ぶことが、オスカーの最大の譲歩であることを知っているアリオスは、指を引き抜くとオスカーの片足を抱え上げて怒張した自身を秘部へと押し当てると、殊更ゆっくりと貫いていった。
「ぁあっ」
「すげー、締め付け」
「んっ」
アリオスが耳元で囁く声にすら、感じる。
 こんなに強い快楽を味わうのは、アリオスに抱かれる時だけだ。
勿論、女性を抱くのと男性に抱かれるのでは全く違うのは当然なのだが、女性を抱くとき、オスカーはここまで快楽に貪欲にはならない。理性をなくしたことなどないし、ここまでの愉悦を感じたこともない。女性を抱くときは、常に自分の快楽よりも、女性を満足させることを重視している所為なのかもしれないが。女性とのセックスで物足りなさを感じたことはないのだが、こうやってアリオスに抱かれると、まるで自分が本当の悦楽を何も知らなかったのではないかという気にさえなってくる。
 アリオスが大きく腰を使う。躰の中をぐちゃぐちゃに掻き回されるような感覚に、目が眩みそうだ。
「あ・・・んんっ」
「オスカー・・・」
 けれど何よりも感じるのは、こんな時に自分の名を呼ぶ、アリオスの声だ。
「んーっ、ぁぁっ」
 ああ、この声が好きだ・・。
霞みそうな頭でそんなことを思いながら、オスカーは精を放ち。
「・・っ」
その一際強い締め付けに、アリオスもまた、オスカーの中で果てた。

 結局シャワールームで二回、ベッドへと移って三回、汗と体液を洗い流す為入ったシャワールームでもう一回抱き合った彼らは、太陽が完全に昇りきる頃、漸く眠りに就いた。
眠りに就いたのが朝なのだから、当然目を醒ましたのは昼過ぎ、日が落ちるのが早くなっているこの季節では既に西日が射し込もうかという時刻だった。
 追われているというのに緊張感のない男達である。
豪気なのか図太いのか、恐らくは後者だろう。
「・・・腰痛ぇ」
目が醒めて、ベッドの上で上半身を起こしたオスカーの最初のセリフである。
それでも、ベッドで眠れた分マシだったのだろう。何しろ、狭いビジネスホテルのシングルルームである。規格外の男が二人眠れるようなベッドサイズなわけがなく、久しぶりに抱き合った、その躰の負担を考慮してかアリオスがベッドを譲ってくれたのだった。
そのアリオスは、硬いソファで横になっている。
「こっちだって躰が痛ぇよ」
ぐるっと首を回して肩を鳴らすと、アリオスが髪をかきあげながら呟いた。
「さて・・・。どうするかな」
上半身を起こしたものの、それ以上動く気にもなれず、オスカーはぼうっと天井を見上げる。
 どうするも何も、どうにかして王立研究院へと行き、聖地に連絡を入れなければならないのだが。
「厳重警戒態勢だろうしな・・」
何の苦労もなく入るのは絶対に無理そうだった。
「いきなり中まで入るようなルートがあれば・・・って、アリオス、お前、魔導は?」
 一緒にいる男が恐ろしい程便利な力を持っていることを失念していた。考えてみれば、アリオスはいつだってその力を使って突然オスカーの前に現れているというのに。
だが、アリオスの答えは簡潔だった。
「使えねぇ」
「お前、ケチ臭いこと言うな。それぐらい協力してくれたっていいだろうが」
「違ぇよ。マジで使えねぇんだ」
そう言って肩を竦めたアリオスを、思わず凝視してオスカーは問い掛ける。
「使えないって、力が消えたってことか?」
「いいや。オマエ、何にも感じないか?」
人差し指を上に向け、アリオスは問い返した。
「もしかして、このシールドみたいなヤツの所為なのか」
 オスカーも気づいてはいた。上から覆い被さるような、抑えつけるようなこの惑星の空気。
「全く使えねぇわけじゃないが・・・。使うにはかなりの精神集中が必要だし、それでも、オマエを連れてってやるようなのは無理だな」
 何の為にこんなことしてんのかは知らねぇが。
アリオスがそう付け加えると、オスカーは指先を顎にあて、自らの考えを整理するように話し出した。
「これは俺の推測だが・・・。このシールドが抑えてるのは、サクリアだ」
 この惑星のサクリアが抑圧状態にあることは、シエルを彷徨っているうちにわかった。道理で一見何の問題もなく感じるわけだ。上から抑えて表面を均しているような状態なのである。表面上は過不足なく見えるというわけだ。
「それでなんで魔導まで使えなくなるんだ」
 サクリアと魔導の力はまったく別の性質の力であり、アリオスの疑問は尤もである。
「とばっちり、じゃないかと思う。・・サクリアを制御できる技術が出来たなんて話聞いたこともないしな。たぶん、未知のエネルギーを感知して抑えてるんだろう」
 つまり、サクリアと魔導の区別など出来ていないというわけだ。わかっているのは、惑星上に存在する生体エネルギーなどといった既知のものではないということだけ。
「で?それを抑えてこの惑星は何をしようってんだ?」
 アリオスの知っている限りでは、サクリアというものは、この宇宙の根源的エネルギーなのだという。惑星にとっても、惑星上に暮らす人々にとっても、そのバランスを崩せば死を招くものなのだと。
「『セブンス・ヘヴン』だそうだ」
「なんだそれ」
 ここ数日、オスカーは捜索の目から逃れながらも情報収集という名目の飲酒を怠っていなかった。繁華街から離れなかったのは、身の隠し易さは勿論だが、情報収集をし易いという点もあったからだ。
繁華街には様々な人間が出入りし、そして一様に酔えば皆口が軽くなる。ぽろっと重要な情報を聞かせてくれることもあった。その上、相手が女性であれば、オスカーに引き出せない情報はないと言って過言ではない。
実際、一昨日の夜バーで飲んだ、シエル政府の事務官で現在は秘書室勤務だという女性はオスカーに有用な情報を教えてくれた。
「『セブンス�・ヘヴン』ってのは、この辺りの惑星に広く流布している伝承に基づく表現だそうだ。伝承に出てくる天国は六階層に分かれていて『セブンス�・ヘブン』は第七天国、つまり、その六階層の更に上、最高天ってことらしい」
「その最高天がなんだって言うんだ」
煙草を咥えながらアリオスが続きを促す。
「シエルはその『セブンス・ヘヴン』になるんだそうだ」
「は?」
 事の発端はシエルの大統領に、軍部出身の男が就任したことにあるらしい。軍部の発言力は日増しに大きくなり、現在ではすっかり軍事政権と化しているという。そしてその軍事政権が打ち立てた理想が「セブンス・ヘヴン」というわけだ。「聖地の支配から脱却し、更なる飛躍と発展を。シエルを聖地を凌駕する最高天に」というスローガンらしいが、つまるところ、周辺惑星への軍事侵攻と植民地化を狙っているのだ。その話を聞いて、オスカーは爆発的に増える炎のサクリアへの望みの背景が理解できた。
「随分物騒な天国もあったもんだぜ」
「だが、そのままでいたら当然聖地から介入される。そこで開発されたのがあのシールドってことなんだろうな」
 聖地はサクリアバランスで星の状態を知る。逆を言えば、サクリアバランスさえ誤魔化していれば聖地からの介入を防げるのだ。シエルも含め、この周辺の惑星には王立派遣軍の駐屯地もないので、惑星上にある王立研究院さえ制圧すれば直接報告が聖地にされることもない。
 時々急激に、抑えている筈の炎のサクリアへの望みを感じたのは、シールドのシステム上の問題らしかった。いわばシールドの張替えのようなものが必要らしく、その張替えの際にシールドが消滅する時間ができるということらしい。
「その僅かな時間の誤魔化しは、王立研究院を制圧すれば出来ることだしな」
 現地の研究院から「異常なし」という報告が為されれば、そんな僅かな乱れは問題視されないと踏んだのだろうし、事実、問題視されなかったのだ。ただ一人、炎の守護聖を除いては。
「そこへ、ある日突然旅行者が研究院に入ろうとしたんで軍がその身柄を拘束しようとしたってわけか?」
ふうっと、紫煙を吐きは出してアリオスが言葉を繋ぐ。それにオスカーが不愉快そうに頷いた。
「ああ。最初は不審者を取り締まるってことだったんだろ。旅行者の口からシエルの王立研究院は軍に占領されてるなんて話が漏れたらマズいしな」
 だが、それだけだったら、あそこまで大規模な捜索態勢になるわけがない。旅行者であれば、いずれ高速シャトルを使って帰らなければならないのだから、宇宙空港を張っていればそれで済む。
 それで済まなかったのは、旅行者の正体が実は炎の守護聖――シエルが干渉を恐れている聖地の、その中枢を担う一人――であると知ったからだろう。きっと、聖地の研究院から連絡が入ったに違いない。「炎の守護聖様がそちらに向かわれたが、もう到着なさったか?」といった連絡が。そこで炎の守護聖の外見の特徴を聞けば、それが既に研究院を訪れた旅行者であることはすぐにわかったはずだ。
「俺が研究院に行く前にそれを知っていれば、誤魔化しも出来ただろうが、向こうにしてみりゃ不幸なことに俺は既に軍と追いかけっこをしちまってたからな。そうなると残された道はただ一つ」
「何が何でもオマエを捕まえて、不慮の事故に遭って貰う、か」
「そのとーり」
頭を掻きながら、抑揚のない声でオスカーが肯定する。
「これからどうするか、だな・・・」
 サクリアが抑えられている以上、サクリアを放出することで聖地にいる女王や守護聖たちに直接異変を伝えるという最終手段も使えない。このまま連絡がつかなければいずれ不審に思って人が派遣されてくるだろうが、それでは時間がかかりすぎる。逃げ続けるにも限界があるのだ。
 深い溜息を零しながら、雑に髪を掻き毟るオスカーに、アリオスはとりあえず、と声をかけて立ち上がった。
「どうでもいいから、腹減った」

 何しろ、顔が割れている手配犯がいるのでどこか店に入って食事、
という真似が出来ない。
仕方ないのでアリオスが買ってきたファーストフードを、人気のない路地裏で食べるという、この上なく侘しい食事になった。
「お前でもハンバーガー買えるんだなぁ」
「・・・喧嘩売ってんのか」
「酒飲んでるイメージしかないんだ、お前には」
 山積みのビールケースに腰掛けて、そんな会話を交しながらハンバーガーに齧り付く。アリオスが買ってきたのはハンバーガーを四つにホットコーヒーを二つ。バーガーの種類を変えるだとか、ポテトを買うだとか、そういったことを一切しないところがアリオスらしくてオスカーは苦笑するしかない。
 そんなことを考えてる場合じゃないんだが。
軽く息を吐いてオスカーはコーヒーを飲んだ。ファーストフードの薄いコーヒーはあまり好みではないのだが、贅沢を言っていられる場合でもない。
「このまま、逃げ続けてるわけにもいかないしな・・」
「なんなら、本気で逃げちまうか?」
「え?」
アリオスの言葉の意味が掴めずに思わず見返すと、アリオスがニヤリと笑ってオスカーを見た。
「本気で、全部からな。この惑星だけじゃない、この宇宙から。オマエを囲ってる全てのものからだ」
「・・・アリオス」
どう返せばいいものか言葉に詰まっていると、アリオスがククッと肩を揺らした。
「冗談だ。んな本気に取るなよ、ガキじゃあるまいし」
「笑えない冗談言ってる場合か」
オスカーもそれに合わせて言葉を返す。
 冗談で済ますには、アリオスの視線は真剣だったし、自分の心も一瞬揺れた。けれど、それには気づかなかった振りをして。
「さて、と」
空のカップやラップをダストシュートに投げ込むと、表通りへと歩き出す。
 表通りへと出る直前に、客らしき酔っ払いに絡まれる女性がいたのが切っ掛けだった。
女性が困っているのに黙って見過ごすなどという真似を、「全宇宙の女性の恋人」を自認するオスカーができる筈もなく。
アリオスが呆れた顔で溜息を吐いたのには構わず、酔っ払いを退散させた。そこまではよかったのだが。
「チョコレート色の眸のレディ、怪我はないか?」
 コイツ、自分の置かれてる状況わかってるんだろうな・・・。
こんな時にまで口説きモードに入るこの男の神経の図太さに、アリオスがこのまま置いていってしまおうかと思ったその時。
 人ごみの向こうに、剣呑な視線を見つけた。それも複数。
 ヤバいっ!
アリオスは瞬時に身を翻した。女性相手に甘い言葉を囁いている男の腕を掴んで。
「逃げるぞっ!」
「ちょ・・っ、じゃあな、レディ」
走り出しながらも、女性への挨拶だけは忘れないオスカーはある意味尊敬に値するかもしれない。
「オマエな、少しは状況考えろっ」
「レディが困ってるのに見過ごせるかっ」
 裏通りを全力で走り抜けながらも、そんな会話を交わす。後ろであちこちから短い悲鳴が聞こえるのは、彼らを追う人間達が通行人にぶつかっているからだろう。追手側の人数も多ければ通行客の人数も多いので悲鳴の合唱が巻き起こっている。
「つーか、いい加減手を離せっ」
 アリオスの方が確実に足が速いというのならともかく、走るスピードにほぼ差がないのに腕を掴まれていては走りにくくて敵わない。
「離したらオマエまた一々女に引っ掛かるだろーがっ」
 だが、アリオスの言う事も尤もである。二人は通行人にぶつかるようなことはなかったが、今腕を離せば、ぶつかりそうになった女性が「きゃっ」と声を上げる度、オスカーの走るスピードは遅くなるだろう。
「どーするんだよ、これから。炎の守護聖様は」
「・・・行くか。逃げ回るのも飽きたしな」
 飽きたとかいう問題じゃないんじゃないのか?
アリオスは内心でそう思ったが、それは言わずに、代わりに訊ねる。
「どっちだ」
「そりゃあ・・」
アリオスが掴んでいたオスカーの腕を離した。ちらっと、横に視線を流せば、同じように自分を見るオスカーの視線とぶつかる。
「アタマだな」
声が重なった。
こういう時に議論を必要としない相手はありがたかった。

 バイクの低いエンジン音が静まり返った官庁街に響き渡る。
誰がどう見ても、否、誰が見なくても立派な無断借用だったが、その責任はアリオスに被って貰おう、などと酷い事をオスカーは考えていた。元々、バイクを拝借しようと言い出したのはアリオスであるし、運転しているのもアリオスだ。
やがて視線の先に、物々しく軍人に警備された建物が見えてくる。
 さすがに、まさか守護聖が乗り込んで来るとは思っていなかったのだろう、王立研究院ほどの厳戒態勢ではないようだった。
 無論、その方がこちらとしてもやり易い。
「行くぜ」
アリオスが短く告げる。
アクセルを全開にし、更に低い唸り声をエンジンが上げると、スピードを緩めることなく突っ込んでいった。車体がバウンドし、銃を構える軍人たちの鼻先を掠めていく。
「死人は出すなよ、死人はっ!」
荒っぽいアリオスの運転に、思わずそんな文句が出た。
「うるせぇな」
「後で色々責任問われるのは俺なんだーっ」
 聖地に帰還した後のジュリアスのお小言を想像すると蒼醒めるオスカーである。
 アリオスの荒っぽい運転で、一気に建物の玄関を打ち破り、正面の階段を登ったところでバイクは止まった。玄関の扉と平行に、つまり階段を塞ぐように止めることで階下からの増員が出来にくくする。ほんの僅かな時間稼ぎにしかなりはしないが。
 ここから先は徒歩強行軍である。
異変に飛び出てきたものの、あまりの異常事態に銃を構えることも忘れて呆然としている軍人に飛び掛かると手にしていたサブマシンガンと腰に携帯している拳銃を頂いた。暴れられると面倒なので鳩尾に一発拳を叩き込むことも忘れない。
 軍人が呆然とするのも無理はなかった。
一体誰が、夜更けにたった二人でバイクに乗って大統領官邸に突入して来るなどと思うのだろう。
「なあ、アリオス。お前、銃って扱えるか?」
「拳銃は二、三度撃ったことはあるが・・。アンタは?」
「俺も似たようなもんだ。ま、ストッパー外しておいて、後はトリガー引けばなんとかなるだろ」
 オスカーがなんともアバウトで恐ろしいことをさらりと口にすると、銃声が響き渡った。
咄嗟に左右の壁に背を張り付け、様子を伺う。
 前方向からの銃撃。
二人の視線が一瞬交差する。軽く頷くと、一気に走り出した。
オスカーが拳銃のトリガーを引くと、前方の兵士が倒れる。
「死人は出さないんじゃなかったのか?」
「死んではないだろ、たぶん」
「・・・いいのかよ、そんなんで」
そう言ったアリオスの頬を、後ろから弾丸が掠めた。
 アリオスはくるりと振り返ると、サブマシンガンのトリガーを引いて左右に銃口を振る。マシンガンなど持ったことのない人間にしては、遠慮のない見事な撃ちっぷりである。
「楽しそうだな、これ」
拳銃で前方の兵士を的確に撃ち抜いてるオスカーも、片手に持ったサブマシンガンに心惹かれたらしい。
 銃器は撃った後の反動が激しく、手許がぶれ易い。初心者には狙ったところに撃つなどという芸当は普通できないものなのだが、剣で鍛えられた腕の筋肉が、ここでしっかりと役立っているようだ。
 倒れ付す兵士たちのところまで来ると、一応死人がいないことだけを確認する。一人の身を起こして、拳銃をこめかみに突きつけた。
「大統領は何処にいる?」
低く訊ねる声と鋭い氷碧の視線は、まだ若い兵士を震え上がらせるには充分なようだった。
 こんなことジュリアス様にバレたら・・・、想像もつかん。
卒倒されてしまうかもしれない・・と内心冷や汗を流しながらやっているとは思えない、堂に入ったテロリストぶりである。
「早くしろよ」
背後からの攻撃に対応するため、こちらに背を向けているアリオスが苛々とした口調で促す。オスカーが持っていたサブマシンガンまで手にして、二丁拳銃ならぬ二丁マシンガンだ。死人を出すなというオスカーの言葉を考慮して、銃口は足のあたりに向いている。
「こっ、この一番奥っ」
「サンキュ」
兵士の躰を離すとオスカーは立ち上がった。持っていたサブマシンガンをアリオスに取られたので、倒れた兵士たちの持っていたマシンガンを新たに手にする。
「行くぞ」
「先行ってろ。こっち片付けてから行く」
「頼む」
アリオスにその場を任せるとオスカーは走り出した。
 有無を言わさずマシンガンのトリガーを引きっ放しで突っ込んでいけば、一番奥の部屋まですぐだった。
 施錠はされているが、そんなものはマシンガンの乱射の前には一秒ともたない。鍵を壊すと、オスカーは扉と壁の境に沿ってマシンガンのトリガーを引いた。蝶番が壊され、支えるものがなくなった重厚な扉は、単に壁の隙間に嵌った厚い板に過ぎない。二枚の扉を思い切り蹴り飛ばせば、それは部屋の中へと倒れていく。
 バタン、と大きな音と共に、部屋の中から複数の悲鳴が上がった。
ダメ押しでマシンガンを床に向けて乱射すれば、部屋の中に待機していた兵士達は最早敵ではなかった。
「なんだ、片付いちまったのか?」
アリオスがそう言いながら後ろから近づいて来た。
「そっちも片付いたのか」
「ああ」
部屋の中の兵士達が恐怖に慄いた目で二人を見ている。
「さて、と」
オスカーはわざとらしく部屋をぐるりと見回し、中央の革張りの椅子に腰掛けたまま、凍りついている男に視線を合わせた。
「大統領閣下?」
 恭しく確認する声すら恐ろしい。
大統領は声も出ないのか、小刻みに頷くだけだ。
「シエルに来てからこっち、随分熱烈な歓迎を受けまして」
そう言うオスカーの口許は笑っているが眼が全く笑っていない。
口調は丁寧だが、声は真冬の海よりも冷たかった。
 ストレス溜まってたんだな・・・。
芝居がかったオスカーの様子に、アリオスはこっそり溜息を吐く。
 逃亡生活を強いられた恨みは恐怖にして返す、と言ったところなのだろう。
「どうやら私をお捜しのようなので、こちらから伺いました」
そこまで言って、オスカーの口許から笑みが消えた。
「炎の守護聖であるこの俺に、こんなふざけた真似してくれた代償は、きっちりと払って貰うぜ?」

 大統領による命令で王立研究院は長い占領から解放された。
オスカーはすぐさま聖地に連絡を入れ、シエルには暫く王立派遣軍が駐屯することになった。
 大統領は更迭されて軍部の発言権も一気に縮小した。
シエルの新聞は夜間の大統領官邸襲撃事件を大きく報じたが、それが守護聖自らによって引き起こされた事件であることは当然報じられなかった。
「今回は済まなかったな。おかげで助かったぜ」
オスカーはひどく素直にアリオスに対して謝辞を述べた。
「珍しいな、オマエがんな素直に礼言うの」
 なんか隠してることでもあんのか?と訊くアリオスに、オスカーはいや別に、と首を振る。
「失礼なヤツだな。今回のことは俺の執務に関わることだし、巻き込んで悪かったと思うから言ってるんだろ」
 本当は、バイクの無断借用はともかく、官邸襲撃、必要以上のマシンガンの乱射まで、聖地に報告する際に、全てアリオスの所為にしたからだとは口が裂けても言えない話である。
「ま、いいけどな。アンタがどういう報告した所で、オレにはどうでもいいことだ」
紫煙を燻らせながらアリオスはそう言ってちら、と横目でオスカーを見遣った。
 バレてる・・・。
オスカーの背中を冷や汗が伝う。ここはそのまま素知らぬ振りをしよう。
「ところで、お前、これからどうするんだ?」
 やや強引な気がしなくもないが、自然といえば自然な話題転換だった。
「別に。適当に何処か行くさ」
「そうか・・・」
 考えてみると、アリオスと「別れの挨拶」というものをあまりしたことがなかったことに気づく。こんなに長い時間一緒に行動するのも初めてではないだろうか。いつもは一晩抱き合って、別れるだけだ。
 改めて別れの挨拶をするとなると何を言っていいのかわからない。
「じゃ、オレは行くぜ?」
「あ、ああ・・」
 結局上手い言葉が見つからずに、ただ頷いたオスカーの心情に気づいているのか、アリオスがニヤリと笑って付け足した。
「今回の礼は、今度たっぷりしてくれるんだろ。期待してるぜ」
 そして耳元で。
「丸一日は離してやらねぇから、覚悟しとけよ」
「な・・・っ」
 絶句するオスカーを尻目に、アリオスはすっと姿を消した。
残されたのは、片手で口許を覆った炎の守護聖一人。
「・・・・・・洒落にならん」
そんな言葉が、溜息と一緒にオスカーの口を突いて出たのだった。