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Carriage




 「・・・ッ」
 聖殿の大階段を降りた瞬間、右足首に走った痛みに思わず小さな呻きが洩れたのは、オスカーにとって油断以外の何物でもなかった。
そして、階段を降りたその先に、何故か擬似自閉症引きこもり癖の闇の守護聖が立っていたことは、オスカーにとって不運以外の何物でもなかった。
いや、一応二人は恋人、と呼べる仲ではあるのだが。
「・・・どうした」
「っっ!クラヴィス様っ」
忌々しげに自分の足首を見ていたオスカーに、恐らくは半径一メートル周囲に届くかすら疑わしい音量の声がかけられた。
慌てて顔を上げればすぐ傍にクラヴィスが立っている。
 ・・・・・階段を降りた時にはまだ、五メートルは先に立っていたはずなのに、瞬間移動でもしたのか、この人は。
この男なら有り得る、と思わずまじまじとクラヴィスを見つめてしまうオスカーである。
「どうしたと訊いている」
そんなオスカーの様子に構うことなくクラヴィスは問いを繰り返した。
「あ、いえ、大したことじゃないんですが・・」
そう言ってオスカーは事情を話す。
 先刻、廊下で足を滑らせて転びかけたメイドを抱きとめてやった際にほんの少し右足を捻ったのだ。捻挫、と大騒ぎするほどのことでもない。今日は歩くのに少し注意を要するが、邸に帰って湿布でも貼れば一晩で治るだろう。その程度だ。
 その程度なのだが。
「うわぁっ」
これがあの、宇宙一のプレイボーイ、強さを司る炎の守護聖の口から出たとは思えないほど情けない悲鳴があがった。
「何するんですか、貴方はっ!?」
「お姫様抱っこ」
「ぶっ・・」
思わず吹き出したオスカーに罪はないだろう。
 そう。横抱き、抱え上げ。
オスカーは突然、クラヴィスに抱き上げられたのだ。
 ・・・執務服だぞ?軽鎧だぞ?そんなもの着た男をどうしてこんな軽々と持ち上げられるんだ、この人はっ!?
 あまりの驚愕に、ぱくぱくと口を開閉させながらオスカーはそんな的外れのことを思っていた。が、すぐに我に返る。
「どこ行く気ですか、貴方は!降ろしてくださいって」
オスカーは遠慮がちにもがきながら抗議した。思い切り暴れると、クラヴィス諸共派手に転ぶ危険性があるのだ。それは避けたい。ただでさえ足首を痛めているのだからして。
「足を痛めているのだろう。動かさないほうがよい」
クラヴィスの言い分は尤もだ。尤もなのだが。
「だからって、貴方が姫抱きする必要がどこにあるって言うんですかーっ!」
オスカーの主張も尤もなのである。
だがクラヴィスはそれにあっさりと答えを返した。
「一度やってみたかったのでな」
 何の正当性も必然性もないその言葉に、敵う反論などあるだろうか。いや、ない。
「もう夕刻だ。執務は片付いているのだろう?邸まで送ってやろう」
ガックリと項垂れるオスカーにクラヴィスはそう言った。その表情が心なしか楽しそうなのは幻影ではないだろう。
 炎の守護聖をお姫様抱っこして歩く闇の守護聖。
その異様な光景に、聖殿から炎の私邸、更にはその主人の私室までの道程で、擦れ違う人々は守護聖、使用人、一般人を問わず皆慌てて道の両脇へと体を寄せた。さり気無く目を逸らし、まるで無機物のように一言も発しない。
 さながらモーゼの十戒である。
「明日から俺はどんな顔して出仕すればいいんですか・・・」
漸く辿り着いた私室のベッドの上に降ろされ、オスカーは憮然と呟いた。
 転ぶのが嫌だからとはいえ、なんだかんだ言って大人しくお姫様抱っこされたままだったのだから、この男も大概おめでたい。
「普段通りの顔でよかろう?」
「そりゃ、貴方は執務室に暗ぁく引き篭もってりゃいいんですから、気にもならないでしょうけどね。・・・で、この手はなんです?」
意外と器用に自分が身につけているマントや鎧を外していく手を、オスカーは思い切り剣呑な眼で見つめた。
「私の手だが?」
「ええ、貴方の手でしょうね、俺の手じゃありませんから。俺が訊いてるのは、その貴方の手がなんで俺を脱がそうとしてるか、なんですが?」
「仮にも恋人、という関係の二人が片方の私室、しかもベッドの上にいる目的など一つしかないと思わないのか・・・?」
珍しく長いセリフを吐くと、クラヴィスは当たり前のように動きを再開する。
その言葉にオスカーが呆れ返った、と言わんばかりに大袈裟に溜息をついた。
「貴方ね、なんで俺をわざわざあんっっな、恥かしいカッコで運んできたんです?怪我人相手に何しようってんですか」
「足に負荷を掛けなければいいだけの話だろう。お前が立ったままの方が好きだというのならば、それは難しいが」
「じゃあ、立ったままの方が好きです」
即答だった。
「そうか、では次の機会にはそうするとしよう」
「って、この、エロオヤジーっ!」
聞き捨てならないセリフである。
「オスカー」
低く囁くような静かな声音でクラヴィスが呼べば、びくっと竦むようにオスカーは見つめてくる。
「おまえは・・・手紙を出す時には切手を貼るだろう」
「当たり前でしょう」
 手紙の精霊さんに頼めばいい、という突っ込みは却下である。
「荷物を送るときには送料を払うだろう」
「そりゃあそうです」
 聖地に宅配業者がいるかどうかは不明だが。
「高速シャトルに乗れば運賃を払うだろう」
「払わなかったら犯罪でしょう」
 専ら次元回廊しか使っていないのではないだろうか。
「つまりは・・・そういうことだ」
「どーゆーことですかーっ!?・・・んんっ!」
これ以上煩く喚く口は、実力行使で塞いでしまえ。

こうして炎の私邸の夜は更けてゆき。
翌朝、お姫様抱っこの話を耳にした首座の守護聖から、オスカーはたっぷりお小言を受ける羽目に陥るのである。