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A Day In The Life -16th.-




 風は少し強いが、天気はいい午後。
一階でリフトを降りたアリオスの足がぴたっと止まった。
 アリオスの視線の先、アパルトメントのエントランスで話しているのは、レイチェルと、茶色の髪の少女―――アンジェリークだ。
 視線が、アンジェリークに吸い寄せられる。逸らそうと思っても躰が自分の意思に従わない。何食わぬ顔で横を通り過ぎようと思っても、まるで縫い止められたように足が動かない。
 アイツとは別人だ。
頭の中で何度もそう唱えるが、重なった面影は離れない。今も自分の中に鮮明に残る面影が、実体を伴ったかのように。
「あ、アリオスさん!」
話し込んでいたレイチェルがこちらに気づいて手を振った。それが待っていたかのように、動かなかった足も自然に動き出す。
「よう。なにマジな顔して話しこんでんだ?」
声をかけずに通り過ぎるわけにもいかず、アリオスは二人の前で立ち止まった。
「ね、レイチェル。気にしなくていいから、早く行った方が・・」
「うーん・・・。あ!ねぇアリオスさん、アンジェのこと、頼んでもいいですか?」
「レイチェル!」
アンジェリークが困ったようにレイチェルの腕を掴むが、レイチェルは「だいじょーぶ」とその手を押し戻した。
「どういうことだ?」
「アンジェの行きたいトコ連れて行こうと思ってたのに、あの研究バカの従兄が帰ってこないんです。没頭すると時間の感覚なんてなくなるのしょっちゅうだし、放っておけばいいんだけど、迎えに来て、帰らせてくれって電話来ちゃって」
 レイチェルの従兄、エルンストはロンドン大学のカレッジで遺伝子研究の側面からバイオエシックスの研究員をしている。大学側からは教授の椅子を提示されたが、本人が固辞したため、教授待遇の研究員という肩書きになっていた。本人はそういった肩書きには何の執着も持たない、よく言えば勤勉、悪く言えば研究バカで、研究室に篭って寝食を忘れることも多々ある男である。時々度を越しそうになるとこうやって、レイチェルのところへ研究仲間から電話がかかってくるのだ。
「だから、アリオスさん、アンジェに付き合ってあげてもらえませんか?」
「レイチェル!私は一人でも平気だから・・・。アリオスさんにも迷惑だし・・」
「かまわねぇよ」
 アンジェリークの言葉を遮るように、アリオスは答えていた。
自分でも内心驚きを隠せない。考えるよりも先に、言葉が口をついて出たのだ。
オスカーではあるまいし、いつもであれば、「ガキの面倒なんて御免だ」と無下に断っていたに違いないのに。
「やった!それじゃ、アリオスさん、アンジェをよろしくーっ!」
「ちょっと、レイチェル!」
マウンテンバイクに飛び乗ってレイチェルが行ってしまうと、そこに残ったのは二人だけ。
「あの・・・」
「で?ドコ行きたいって?」
 ごめんなさい、レイチェルが勝手に・・・。と続くはずだったセリフを遮ってアリオスは尋ねた。
「えっと・・。イングリッシュ・テディベアってお店に・・」
どうにも困った様子でアンジェリークが告げるのも無理はない。イングリッシュ・テディベアは、その名の通り、テディベアの専門店なのだ。出逢ったばかりのアンジェリークにも、そこがアリオスとは無縁の店だと断言できるだろう。案内を頼むのも気が引けて当然だった。
 さすがにアリオスも言葉に詰まる。通りすがりに目に入るので、店の場所は知っている。が、自分には一生縁のない店だろうと思っていたのも確かだ。すべてのテディベアがハンドメイドなので、一つとして同じ顔、性格のものがない、とオスカーが言っていたのを思い出す。あの男は女に頼まれて連れて行ってやったりしたことがあるのだろう。自分と違って、女に頼まれればそういうことを厭わない男であるし。
「あ、やっぱり、いいです。また今度レイチェルに頼めばいいんだし・・・」
アンジェリークがそう言おうとした矢先、アリオスが歩き出した。
「アリオスさん??」
アリオスが顔だけちらっと振り返る。
「行きてぇんだろ。ついて来いよ」
「・・ありがとうございます!」
ぱっと表情を明るくさせて、アンジェリークが後に続いた。

 リージェントストリート沿いにあるイングリッシュ・テディベアは、アパルトメントから三〇分程歩いた所にある。
ガラス張りで、中にテディベアや関連グッズが所狭しと並んでいる様子が目に入ると、アリオスは一瞬足を止めたが、すぐに覚悟したようにアンジェリークにつきあって中に入ってやった。
女性客が多いが、中にはプレゼントにする為なのか、ちらほらと男性客もいてアリオスはアンジェリークに気づかれないよう、そっと息を吐いた。
 一体々々、丁寧にテディベアを見て回っていたアンジェリークは、やがてそのうちの一体を抱き上げた。振り返り、アリオスにそれを見せる。
「なんか、アリオスさんみたい」
「オレ?」
アンジェリークが差し出したテディベアをしげしげと見つめる。白いクマの眼は左右の色が微妙に違っていて、それが自分のオッドアイのようだと言いたいのだろうと思った。
「ああ、眼か・・。珍しいからな」
「そうじゃなくて。この子の性格、照れ屋でぶっきらぼう、でも優しいって」
 アリオスさんも、そうでしょ?
アンジェリークがそう笑いかけるのに、アリオスはとりあえず苦笑しておいた。ぶっきらぼうはともかく、照れ屋で優しい、などと自分を評価したことはなかったのだが。
「でも、そうね、眼か・・・。でも、アリオスさんの眼の色のほうがずっと綺麗」
 テディベアと見比べて、アンジェリークがアリオスに微笑みかける。
「ホントに、綺麗な色の眸。私、好きだな、アリオスさんの眼」
 本当に綺麗な色ね。私、貴方の眸が好きよ。
アリオスの記憶の中の声と、アンジェリークの声が重なった。
 エリス・・・!
心の中で、面影に呼びかける。脳裏に浮かぶ面影は、そのまま目の前のアンジェリークへと重なった。別人だと、そうわかっていても止まらない。ただ顔が似ているだけではない、彼女のすべてが懐かしい記憶を呼び覚ます。
「アリオスでいい・・・」
「え?」
「アリオスさん、なんて呼ばなくていいって言ってるんだ。呼びつけでかまわねぇよ、アンジェ」
 親しく言葉を交わしたのは今日が初めてだというのに、アリオスが少女をアンジェ、と愛称で呼ぶことがどれだけ異例のことなのか、アンジェリークは知らない。
だから彼女はただ、嬉しそうに頷いて答えるだけだ。
「わかったわ、アリオス」と。



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