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A Day In The Life -15th.-




 軋む躰に鞭打って、オスカーはそっと起き上がった。まだ外は暗く、陽が射しこんでくるまでにはもう暫く時間があるだろう。
暗闇に目が慣れてくるのを待って、隣りで眠るアリオスの顔を見下ろす。
 魘されているわけでもないのに、険しい寝顔。
とてもではないが抱き合った後、恋人を腕に抱いたまま眠る男の表情とは思えない、孤独な顔に見える。
 その顔を暫く眺めて、オスカーはそっと溜息をついた。手荒に抱かれた躰は、たったそれだけのことにさえ、微かに軋むような痛みを覚える。
 お前、人のこと何だと思ってるんだ。
冗談でならば幾らでも言えるセリフも、こんなときには口に出せない。
 昨日、レイチェルとアンジェリークが帰った後も、アリオスの様子は落ち着かなかった。
苛々と歩きまわり、「どうしたんだ」と問えば「何でもねぇ」とドカッとソファに腰掛ける。だが、十分も経たないうちにまた落ち着かない様子で立ち上がる。それをしばらく繰り返した後、「ちょっと出てくる」と外へ行き、アルコールの匂いを漂わせて帰ってきた時には既に日付は変わっていた。
 酒には滅法強い筈のアリオスの足元が、僅かにふらついているのを見て寝室まで支えてやったオスカーが、「ベッドは譲ってやるから、寝ちまえよ」と言い終わらないうちに、荒々しく抱き締められた。いつものような軽い言葉の応酬も何もない、ただのセックス。
 前後不覚寸前の男にいいようにされる趣味など、当然オスカーには皆無だったが、ここでアリオスを突き放してはいけない気がして好きにさせた。こちらの躰を全く慮らない、労わりの欠片もない行為はオスカーにとっては快楽とは程遠いもので、傍若無人に見えてもいつもはこちらのことも労わってくれてたんだな、と妙に醒めた頭で考えたりもした。
 喉が渇いていたが、ベッドから出るには腰にまわされたアリオスの手を外さないわけにはいかず、けれどそうすれば恐らくアリオスは目を醒ましてしまうだろう。
仕方ない、と静かに息を吐くとオスカーはもう一度ゆっくりとした動作でベッドに横になった。
 ぐっと近くなったアリオスの顔を見ているのが、ひどくつらいことに感じるのは何故だろう。
アリオスから視線を逸らし、天井を見つめながらオスカーは思う。
 エリスって、誰なんだ・・・?
なんの飾りもなく、直球でそう訊けたならすっきりするのだろうか。それとも、今まで上手くやってきたと思っていた二人の関係が壊れるのだろうか。
 ホントにお前は不器用なヤツだな。
過去の傷を見せて欲しいなどと言うつもりはないのだ。触れられたくないのなら、何食わぬ顔でそっとしておいてやるくらいの度量は持ち合わせているつもりだった。現在の恋人、という身分を盾に、隠そうとするものを無理矢理穿り返して曝け出させる趣味はない。
 触れられたくないのなら、隠しとおしてくれればいいのに。
なのに、不器用なこの男は中途半端な隠し方しかできないのだ。隠したいと思っているくせに、欠片をオスカーの前に落としていく。目の前に、恋人の過去の切れ端をちらつかされるこちらの身にもなって欲しいものだ。聖人君子ではあるまいし、そっとしておく度量は持ち合わせていても、その為には強い自制を要求される。誰だって、恋人の過去の何もかも、できることなら知りたいと思うのが当たり前なのだから。
 もしも、アリオスのこの不器用な隠し方が、何も訊かずにそっとしておいてやるオスカーに対する無意識の甘えなのだとしたら。
 随分性質の悪い男を好きになったもんだ、俺も。
はぐらかすような苦い笑みがオスカーの口許に浮かんですぐに消えた。
 初めて逢った頃は、こんなに不器用な男だとは思わなかった。アリオスの一見近寄りがたいクールな雰囲気は、この男の不器用な側面を隠すのにも役立っていたのだ。公園のベンチで目が合って、その、珍しい金と翠のオッドアイの美しさについ見入ったのがすべての始まり。その時はまさか、この自分が男に惚れるなんて思いもしなかったが。
 気が合って、強い酒も気兼ねなく飲める恰好の飲み友達になって。そうやって気を許すと少しずつ、アリオスの不器用な面も見えてきた。
 初めて抱き合ったとき、思いのほか優しい指先に内心随分と驚いた。それが、女性相手ならば経験豊富だが、抱かれるのは勿論、同性とそういった行為に及ぶのも初めてだったオスカーに対する気遣いであることは間違いなかった。もっと荒々しい抱き方をするのかと思っていた、と告げたオスカーに、「うるせぇ」とぶっきらぼうに返したアリオスが、実は照れたような、バツの悪そうな顔をしていたことを知っている。
 降ろしたブラインドの隙間からうっすらと光が射し込んできて、オスカーはもう一度アリオスの顔を見た。
 光を反射する銀の髪が何故だか遠く感じられる。すぐ目の前にあるはずなのに。
昨日まで、何よりも近くに感じていた体温が、こうして密着している今でさえ、作り物のように遠く感じるのは何故だろう。
 二年も一緒に暮らしていて、何度も魘される場面に遭遇しながら未だ明かされることのない悪夢の内容と、繕うことさえできないほど動揺した「エリス」という存在、そしてその「エリス」を彷彿とさせたのだろう、アンジェリークとの出逢い。
 いつか、俺に話したいと思う日が来るのか?
問えるものならそう問いたい。それとも、いつまでも、そ知らぬ顔をして逃げ道を作ってやればいいのだろうか。けれどそう思うよりも先に、自分に選択肢はないのだと、オスカーは知ってしまっていた。
 一度作ってやった逃げ道を、自らの手で断つような真似はできない。それは裏切りに他ならないと思うから。
 何があろうと、そ知らぬ顔で接してやる。まずは、射し込む光にもうすぐ目を醒ますだろうアリオスの為、疲れ果ててずっと眠り続けていた振りをする。昨夜の乱暴な行為に、ぎこちない謝罪を口にするだろう男に、いつものように軽口で返してやる。
 何気ない軽口の応酬。当たり前だったはずの昨日までの日常が、たった一晩でひどく遠くなったと感じることに、疲れたような笑みを浮かべ、オスカーは眸を閉じた。



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A Day In The Life -14th.-




 アリオスは偶に夢に魘される。
 それは同居生活を始めて幾らも経たないうちにオスカーの知るところとなった。けれど、どんな夢を見るのか、それはいつも同じ夢なのか、そういったことを訊いたことは一度もない。必要があれば自分から話すだろう。愛情を伴うパートナーとはいえ、相手の過去を逐一知りたがるような子供ではなかった。アリオスがオスカーに過去を話さないように、オスカーもアリオスに過去を話していない。別にそれで構わなかったのだ。
 だから、アリオスが魘されていれば、オスカーはそ知らぬ顔で起こしてやった。「魘されてたぞ」などとは言わない。「酒が飲みたくなった」「目が醒めたから付き合え」――あくまでオスカーの我儘で起こしたのだ、と伝えた。アリオスもわかっていながらそれに乗った。「ったく、人を巻き込むなよ」と。
 さて、今夜はどんな理由にしようか。
深夜、リビングのソファの傍に静かに立ったオスカーは、アリオスを見下ろしながら考えた。
眉間に皺を寄せて眠るアリオスの表情は痛々しい。早く起こしてやった方がいいだろう。
 オスカーは足でソファをドン、と蹴った。
「・・っ!」
瞬時に目を醒ますアリオスに、オスカーが笑って言う。
「喉渇いてな。どうも、グラタンの塩分過多だったみたいだ。お前もそろそろ喉が渇くだろうと、この俺の親切心で起こしてやったぜ」
 今頃セイランも喉が渇いて起きてるんじゃないか?
そんな軽口とともに、冷えたビールの缶を渡す。
「・・・メシに凝るなら、そのヘンの初歩的ミスはなくせよな」
起き上がって缶を受け取りながらアリオスが返した。
 そんなことはないと、知っていながら。
グラタンの塩加減など、大したミスではない。ホワイトソースに小さな一塊が余計に入ったところで、夜中に喉が渇いて起きる程の塩分過多になるわけがないのだ。現に、あのカネロニグラタンは、少し濃いと感じただけで、食べた人間の好みによっては丁度いい塩加減だと言うだろう。
「悪かったな。見てろ、今度はもっと美味いグラタン作ってやる」
 ビールを煽りながら、そうやって、何も訊かずに逃げ道を作ってくれるオスカーに、アリオスもまた、黙ってビールを煽った。

 結局朝まで飲んで、躰が欲するままに夢も見られない程ぐっすりと熟睡した二人が次に目を醒ました時、時計は既にアフタヌーンティーの頃を指していた。
「これじゃ朝昼晩兼用の食事だな」
「とりあえず、何か食わせてくれ・・・」
 昨日の塩加減のミスが悔しいのか、起きるなりメニューを考え始めたオスカーに、アリオスが言った。飲むだけ飲んで、まる半日以上何も食べ物を入れていない胃袋が、固形物が欲しいと切実に訴えている。
「ん、そうだな。じゃあクロックムッシュでも作るか」
 パンにハムとチーズを乗せて焼いただけのクロックムッシュとプレーンオムレツがリビングのテーブルに並んだのは、それから一〇分ほど経ってからだった。ディナーはダイニングで摂るが、ブレックファーストやランチはこうやって、リビングで行儀悪く寛ぎながら摂ることが多い。
「しかし、この時間に食べると、夕飯は軽いほうがいいか・・」
「凝ったメシ作るのは明日以降にまわしてくれ」
パンをコーヒーで流し込みながらアリオスが言う。それにオスカーも軽く頷いた。
「それじゃ、掃除だな」
「は?」
「最近リビングの掃除してないからな。埃も溜まってるし。仮にも、寝床の一つなんだ、清潔にしといた方がいいだろ?」
オスカーが皿を持って立ち上がりながら言った。コイツの思考は家事から離れないのか、とアリオスは思ったが、それは口にせず黙って頷いた。家事を任せっきりにしている人間の立場としては反論は命取りなのだった。
「この時間じゃ、洗濯してももう干せないからなあ・・。とりあえずブランケットは取り替えるか・・」
それに、オスカーがこうやって突然掃除だなどと言い出すのにはもっと別の理由がある。
 アリオスが夢を見たからだ。
そうやって、夢を魘された、という記憶すら追い出すように、掃除をする。次にこのソファで眠る時、夢を見るかもしれない、という不安を感じずに済むように。
「お前、邪魔」
ソファの脇のサイドテーブルに置かれたブランケットを取り替えながらオスカーがアリオスを追いやった。
 アリオスに掃除をさせないのは、遠慮や気遣いではなく、本当に邪魔だからだ。
一緒に暮らし始めた頃は、掃除くらいは、と手伝わせてみたりしたものだが、数回で諦めた。四角い部屋を丸く掃くような、そんな掃除の仕方しかしないのだ、アリオスは。
 無言で肩を竦めたアリオスが、ダイニングへ移動しようとした時だった。
耳に痛い、ひび割れたブザーが部屋に鳴り響いた。
「こんにちはっ!開いてから入ってきちゃいましたよ」
リビングに姿を見せたのはレイチェルだ。
「よう、お嬢ちゃん。珍しいな」
アパルトメントの前で会うことは偶にあるが、こうやってレイチェルが部屋を訪ねてくることは滅多にない。
「ほら、こないだ言ったじゃないですか。友達が来るから紹介するって」
「ああ、フランスから来るって言ってたな」
「別に、紹介して欲しくねぇ・・」
アリオスの呟きにオスカーが苦笑しながら、レイチェルを促した。
「で?ここに来てるのか?」
「あ、じゃあ呼びますね。・・・アンジェー!おいでよっ!」
「アンジェ・・・?」
 アンジェ、という名前に二人は反応する。まさか未来のバーリントン公爵夫人ではないだろうな、とリビングの入り口を凝視する。
だが、現れたのは、ふわふわと揺れる金の髪ではなく、さらさらと揺れる茶色の髪。
 アリオスの眸が、驚愕に見開かれた。
「紹介しまーす。ワタシの親友、アンジェリーク・コレットです」
レイチェルに紹介され、少女はぺこっと頭を下げた。
「エリス・・・」
呆然とアリオスの口から呟かれたその声は、隣りに立ったオスカーの耳にだけ届いた。



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A Day In The Life -13th.-




 元々「私立探偵」であったものが「何でも屋」になるにはそれなりの過程がある。
ソーホーの何でも屋にしても、最初から雑多な依頼を受けていたわけではないのだ。
元はボディーガードであったり、そういった「私立探偵」という言葉から想像し易いハードボイルドなイメージの依頼をこなしていた。何せ喧嘩の強さでも彼らに敵う者を見つけるのは、このロンドン中を探しても難しいだろう、というレベルであったので。
 そのハードボイルドな「私立探偵」がお嬢ちゃんのささやかな依頼までこなす「何でも屋」になったのは、偏に赤毛の女性賛美主義者の所為だ、と相棒の銀髪の男は思う。
 学園祭でダンスパーティーがあるという依頼人の娘に、ダンスを教えてやったり、ついでだから、とエスコートしてやったり。風邪をひいてしまって、というマダムに「熱で潤んだ貴女の眸は美しいですが、そんな貴女に無理をさせるなんて、神が許しても俺は許せません。どうぞなんなりとお申し付けください」と家事を引き受けてやったり。なまじ器用で大抵のことはこなせるものだから性質が悪い。アリオスが呆れて放っておいているうちに、気づけば「私立探偵」は「何でも屋」へと変わってしまっていたのである。
 本当に、無駄な程器用な男なのだ、オスカーは。
「どうだ、美味いだろ。ホワイトソースとミートソースからちゃんと作ったからな」
カネロニのグラタンを前に、オスカーが満足そうに言った。
「ホントに、こういうことにはとことん凝るね、キミは」
「嫌なら食わなくていいんだぜ?」
「別に嫌だなんて言ってないだろう?曲解するのは止めて欲しいね」
「・・・その前に、なんでオマエがここにいるんだ。」
カネロニをフォークで突き刺しながらのアリオスの問い掛けである。
 普段なら住人二人しかいないはずのダイニングでの夕食だが、今日はもう一人夕食を共にしている人物がいる。
「さっき、オスカーに招待されたのさ。ソースを作りすぎたから食べに来いってね」
 二つ隣りの部屋に住むセイランだった。詩人、画家として高い評価を受けているらしいが、芸術というもの自体に基本的に興味のない二人は、彼の作品がどれほどの高値で取り引きされているのか知らない。こんな古びたアパルトメントではなく大貴族並みの邸宅で暮らすことも可能だという話だが、そういった贅沢には何の興味も持たない人物である。
「ああ、それとも、折角の二人きりの食事を僕に邪魔されては迷惑だったかい?アリオス」
「いいや、まったく」
 勘の鋭いセイランには、二人の関係はバレている。
オリヴィエといい、リュミエールといい、クラヴィスといい、このセイランといい。
 なんで、嫌なタイプだけに知られるんだか。
そんな感想を持っている二人だが、そう言った勘が鋭いからこそ嫌なタイプなのだ、ということに気づいていない。
「美味しいけど、ちょっと塩味が濃くないかい?」
「バレたか。実は、ホワイトソース作るときに塩の塊が入っちまってな」
「確信犯の癖して、よく『美味いだろ』なんて自信たっぷりに訊けるね、キミも」
「煩いな。塩味濃いけど美味いって自分だって言ったじゃないか」
 嫌なタイプ、と言いつつも、オスカーはセイランと比較的仲がいい。軽いテンポで物を言い合える相手とは、なんだかんだ言って気が合うオスカーだ。
「だいたいな、こいつだったら、そんな塩加減なんて、絶対気づかないぜ」
オスカーがアリオスを指して断言する。
 どうでもいいが、フォークで人を指すのはよせ。
アリオスは無言で自分に向かうフォークをオスカーの方へ押し戻した。
「別に、塩加減くらいわかる」
人を味音痴のように言うな、とアリオスがカネロニを口に放り入れながら憮然と呟いた。
「塩が多少濃くても、食える味ならなんでもいいんだよ、オレは」
 食事に基本的に拘りのない男だということは承知していたが、時間をかけて作った料理を目の前にして、こうまでハッキリ言われるとオスカーの目が据わるのは仕方ない。
「なんだ、ヤキモチかい」
剣呑な雰囲気がテーブルを支配しつつある中、思いもかけない言葉で結論付けたのは、セイランだった。
「はぁ?」
思わず訊き返す声が揃った。今までの会話のどこからヤキモチなどという言葉が出てくるのか。
 だがセイランは、グラタン皿の中のカネロニを綺麗に食べるとフォークを置き、ナフキンで口を拭ってから立ち上がった。
「だって、僕がお邪魔してるから不機嫌なんだろう?アリオスは」
「何言ってやがる」
即答するとセイランが笑った。
「自覚ないのかい。キミは二人だけのテリトリーの中に僕が入ってきたから不機嫌なのさ。しかも、オスカーに誘われて来た僕がね。それで僕じゃなくて無意識にオスカーに突っかかるなんて、可愛いトコあるね、キミも」
 それじゃ、ご馳走様。
アリオスに反論するタイミングを与えずにセイランは出て行ってしまう。
残されたのは、微妙に口をぱくぱくさせているアリオスと、その様子を横目で窺うオスカー。
 そういえば、とオスカーは思う。
アリオスはリビング以外の部屋に他人を入れるのを嫌っていたような気がする。応接間を兼ねているリビングには時々人が来ることはあったが、それすらもあまり快く思ってはいない気配があった。本人に訊けば「んなことねぇ」と答えるだろうが。
 それが、テリトリー意識だったとは。
二人の居住空間に、他人を踏み込ませたくない、という意識。
そして、そのテリトリーの中でオスカーが他人と親しげにしている様子に不機嫌になったというのか。
「なんだよ」
バツが悪そうに、カネロニをフォークでメッタ刺しにしているアリオスが問うと、オスカーが意味ありげに笑って首を振った。
「いいや。とっとと食べろよな」
綺麗に食べ終えた自分の皿とセイランの皿をキッチンへと運ぶ。
その背中に不機嫌そうな声がかかった。
「言っとくけどな、セイランの言ったことを真に受けるなよ」
それでは、図星だと言っているようなものだと思うのだが。
「そうだな、お前は多少の塩加減なんて気にしないんだよな」
振り向かずに答えると、「そーだよ」と自棄になったように言うのが可笑しくて、オスカーは笑った。




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A Day In The Life -12th.-




 天気は快晴とはいかないが、雨が降る心配もなさそうな午後。
キュキュッと、滑り止めのついたシューズが芝を踏みしめる音と、スパーン、スパーン、とボールが弾かれる音が規則的に響く。
 リージェンツパークのテニスコートではプロ顔負けの試合が繰り広げられていた。その、レベルの高い白熱した試合に、すぐ近くのリージェンツ大学の学生や、クィーンメアリーズガーデンを散策にきた市民も思わず足を止める。
 白熱した試合を繰り広げているのは、何でも屋二人である。
 三セットマッチで現在は佳境の三セット、十二ゲーム目。既にフォーティーオールでタイブレークに縺れ込んでいるが、なかなか二点の差はつかない。いい加減、プレイヤーの息も上がりきっていた。
 一点リードしているアリオスが、渾身の力でスマッシュを放つ。
オスカーのラケットが、僅かのところでボールを逃した。これでようやくゲームセットだ。いつの間にか増えていた見物人の間から拍手が起こる。ウィンブルドンもかくや、という試合にブラボー、という声も上がったほどだ。
 だが、本人達にはそんな拍手に応える余裕もなく、コート脇のベンチまでくると力尽きたように座り込んだ。大きく胸が上下して、とにかく肺に空気を送り込もうと必死だ。
「凄かったです!やっぱりお二人に頼んで正解でした!」
二人にタオルを手渡しながら興奮したように喋るのは、ランドルフ・フォート、通称ランディである。リージェンツ大学の一年だが、ハイスクールの頃から、二人とは顔見知りだった。
 オスカーとアリオスが、健康的にテニスで汗を流すことになったのは、この日の朝、ランディが一人の友人を連れてきたことに因る。
「こんなに間近であんなに白熱した試合を見られるなんて思いませんでした。ありがとうございます」
 褐色の肌の少年が丁寧に頭を下げた。これがランディの連れて来た友人、である。
短期の留学生としてリージェンツ大学にやってきたティムカという少年は、なんでも小国とは言え、中央アジアに位置する国の皇太子なのだそうだ。短期留学の間、ランディの家にホームステイしているのだと言う。そういえば、ランディはサーの称号を持つ家柄だったな、と二人はすっかり忘れていたことを思い出した。
 そのティムカが自国へと帰る日も近い。そこでランディが何かやりたいことはないかと尋ねたところ、「テニスの試合を間近で見てみたい」と希望された。自国ではテニスはマイナーなスポーツで、ハイレベルな試合を見ることは叶わないのだという。そういえば、この短期留学の間、ティムカは様々なスポーツの観戦に行っていた。しかし、もう少し早く言ってくれればいいものを、ウィンブルドンが終わった直後のこの時期、大きな試合は望めない。大学のクラブ戦ならばあるかもしれないが、どうせならばもっと白熱した試合を見せてやりたい、とランディは考えた。
 そこで登場願ったのが、ソーホーの何でも屋、だったわけだ。
二人がテニスをしているところなどランディも見たことはなかったのだが、二人の身体能力と運動神経がとにかく人間離れして凄い、というよりも凄まじい、という域に達していることは承知していたし、スポーツやゲームでは何をやっても勝負がつかない、と以前オスカーが苦笑していたのを知っていたので、二人ならばきっと、ティムカを満足させられるような試合を繰り広げてくれるだろうと踏んだのだった。
「・・満足頂いて何よりだ・・」
スポーツドリンクをゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ後、まだゼーゼーと整わない息の中、なんとかオスカーが言った。
「ほんと凄いですよ、二人とも。プロのプレイヤーにだって今すぐなれるのに、勿体無いなあ・・・何でも屋だなんて」
 その何でも屋、に依頼しておいてよくも言う。
「・・何でも屋、じゃねぇっつーの」
整わない息の中、それでもアリオスが言うが、どう考えても何でも屋、としか言いようのない依頼でこれだけ真剣に試合しておきながら言っても、全く説得力のないセリフである。
「でも、本当に、こんなにハイレベルな試合を観戦できて感激しています。僕の国は競技人口も少ないテニス後進国ですし、あんな試合、二度と見られるかどうか・・・。ランディも、本当にありがとうございます」
 本国へ戻れば王位を継ぐことが決まっているティムカは、これから先、こんな風に気軽に外へと足を運ぶこともできなくなる。そんな悲哀を感じる言葉にランディが、ティムカの手を力いっぱい握り締めて言い募った。
「お礼なんていいよ。俺たち、友達じゃないか。いつだって、遊びに来てくれていいんだ。お忍びだっていいさ。俺がちゃんと護衛になるからさ!」
「ランディ・・・。ありがとう」
 緑豊かなリージェンツパークで、何故か突然夕日に染まる砂浜がバックに見えるような、そんな青春真っ只中な光景を目の前で繰り広げられて、ベンチに座った二人はスポーツドリンクを持つ手を止めたまま呆然と少年たちを見上げた。
「テニスの試合だって、いつだって、やってくれるよ!」
 勝手に約束するな・・・。
ランディの言葉に二人は思った。
 今回は、もうすぐ自国へ帰るティムカへの同情もあって引き受けてやったが、本来は本気でスポーツの試合を二人でするなど、御免被りたいのだ。理由は簡単、今の状態を見れば明らかだ。
 とにかく、体力を極限まで消耗するまで勝負がつかないのである。
こんなに互角なのもある意味奇跡だろうが、プロのプレイヤーではあるまいし、そこまでしてスポーツをする趣味はない。
 スポーツに限らず、ダーツやビリヤードをしても、勝負はなかなかつかないが、それはあくまで遊びであるし、ここまで体力を消耗することもないからいいのだが。
 今日はアパルトメントに帰ったら、そのまま睡眠をとることになるだろう。食欲すら湧かない。
「次に来た時は、一緒にロッククライミングしよう。楽しいんだ」
「僕にできるでしょうか?」
「大丈夫さ!難しいことなんてないから」
そんな二人の疲れきった様子に構うことなく、相変わらず夕日が背景のドラマは続いていて。
 オスカーとアリオスは、顔を見合わせて溜息をついた。



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A Day In The Life -11th.-




 人それぞれ、器用不器用、というものはある。凝り性かそうでないか、という性質の差もある。マメなタイプかどうか、というのも大きい。
優しい冷たいとか、明るい暗いとか、そういった感情的な性質とは別のところで、こういう性質の差は如何ともし難い。
 ソーホーの何でも屋、はそのすべての条件に於いて正反対のタイプだった。
つまり、器用でマメで凝り性のオスカーと、不器用で大雑把で拘らないアリオスである。
 アンタたち、よく一緒に生活してられるわね。
二人のタイプを熟知しているオリヴィエが何度か感心したように言ったことがある。
 オレも不思議だ・・・。
ぼんやりと記憶の中の問いかけにアリオスは返事をした。
 なんで、コイツはたかだか料理にこんなに凝るんだ??
食材の入った紙袋を持って歩きながら、アリオスは少し前を機嫌よく歩く相棒を見遣る。
 昨夜は、ヘヴンを出た後パブで酒を飲み、アパルトメントに戻ったのは深夜三時頃だったと思う。なんとなく昂揚した気分のまま、ベッドに縺れ込み抱き合った。眠りに就いたのはもう朝といってもいい時間だったはずだ。目を醒ましたのは正午前。こんな日は自堕落に過ごすに限る、とアリオスはシャワーを浴びた後、もう一度眠ろうと思っていた。
 思っていたのだが。
「アイリッシュシチューを作る。パンも焼くぞ」
 シャワーを浴びて出てくると、まだ眠っていたはずのオスカーがそう宣言して入れ替わりにシャワールームに消えた。突然それだけを告げられたアリオスにしてみれば「・・・は?」と間の抜けた返事をする以外何もリアクションのしようがない。冷たい水で喉を潤しながら、「アイツは寝惚けてたのか」と結論付けて寝室に戻ると、寝乱れたベッドはシーツが換えられ、整えられていた。
 こうなると寝惚けていた、という可能性は消えるが、作るというなら作らせておけばいい。アリオスが料理などできないことは、オスカーも充分承知しているのだから、別に手伝え、と言いたいわけではないのだろう。そう思ってベッドに潜りこもうとすると、後ろから湿ったタオルが投げつけられた。
「何寝ようとしてるんだ、すっとこどっこい」
 すっとこどっこいってなんだ、すっとこどっこいって・・。
アリオスがタオルを片手に振り返ると、ドアの傍に立ったオスカーが、髪から水滴を落としながら睨んでいた。
「オマエがメシに凝るのは勝手だけどな、オレは食える味で腹が膨れりゃいいんだよ。何しろって言うんだ」
湿ったタオルを放り返しながらアリオスが問うと、オスカーが眸を眇めた。
「決まってるだろ、買い出しだ」
 かくして、アリオスは怠惰な昼寝を諦めさせられたのである。
 ソーホーの胃袋、と呼ばれるべリックストリートは青果や野菜の露店が立ち並び、買い物客で賑わっていた。
「一通り買ったか・・・?」
「知るかよ」
「お前なぁ・・。もうちょっと楽しそうにしろよ」
「楽しくないのに楽しそうになんてできるか」
 お前が持てよな、と渡された紙袋を、なんだったら放り出したい気分でアリオスは溜息をついた。気分だけで、さすがに放り出しはしないが。なんといっても、この食材の半分は自分の胃袋に納まることは確かだ。
 アリオスが昼寝を渋々諦めたのも、不本意だが荷物持ちに甘んじているのも、ちゃんと理由があった。
 共同生活を始めたとき、一応の取り決めをしたことがある。
器用で家事全般をなんなくこなすオスカーと、そういったことは最低限しかしないアリオス。この場合最低限とは、お湯を沸かすとか、埃が積もったらおざなりに拭くとか、シーツは精々三ヶ月に一回取り替える、など本当に最低限の限界に挑戦するレベルであり、取り決めるまでもなく、自ずと役割は決まってしまう。オスカーも、自分が料理に凝るからと言って、それと同じレベルや拘りをアリオスに求める程愚かではなかったので、基本的に家事はこなしてやる、と宣言した。その代わり、買い出しくらいお前が行け、と。
 一緒に暮らすにあたって決めたのは、これとベッドは早い者勝ちという二点だけだった。
だけだったのだが。
取り決めが生きているのは、ベッドは早い者勝ち、という一点だけである。
「お前、ほんとに俺と会うまでどうやって生活してたのか謎だな」
 不愉快だ、と全身からオーラを発していながら、律儀にも紙袋を持ったまま後に続くアリオスを、オスカーは呆れたように振り返った。
「別にメシ作れなくても飢え死になんてしねぇからな」
 英国式ブレックファーストを楽しむ趣味もない。朝はカフェで一杯コーヒーでも流し込めばいいし、昼はデリでサンドイッチとちょっとした惣菜を買えば済んだ。夜はパブで酒と一緒にちょこちょこと何かつまんでいれば、それでいい。健康的とは程遠い生活を送っていたアリオスだった。
 買い物客で賑わうベリックストリートを抜けると、歩くスピードも途端に速くなる。元々アパルトメントからそんなに離れているわけでもないし、二人のコンパスの長さで歩けば、アパルトメントまでは一〇分ほどだ。
「だが。」
アパルトメントの前まで来て、オスカーが立ち止まった。
「俺の美味い料理を毎日食ってたら、元の生活なんて戻れないだろう?」
自信たっぷりの表情で勝ち誇ったようにオスカーが笑った。
 それは、自分と離れるなんてできないだろう?という問いかけでもあり。
 男は胃袋で捕まえる、という結婚の極意とまるで一緒だが、問い掛けたオスカーにも、問い掛けられたアリオスにも、まさか自分たちがそんな、結婚五年目倦怠期の主婦が平日昼間の喫茶店で未婚の友人に話して聞かせるような内容の会話を交わしている、という自覚は全くない。新婚三ヶ月の幸せ絶頂期のカップルのような気恥ずかしさは多少感じているにしても。
 オスカーの問い掛けに、アリオスが眉を顰める。
 そうだ、と答えるのも癪だが、否定すればオスカーの機嫌を確実に損ねて、両手で抱えた食材たちにありつけないのも自明だった。
「こんにちはーっ!」
さて、どう答えようか、とアリオスが悩んだところに、明るい声がかけられる。
このアパルトメントの三階に住むレイチェル・ハートという少女だった。
「ようお嬢ちゃん、日常生活能力に欠陥のある従兄殿のところかい?」
「そう。まーた帰ってこないんですよ。しょうがないからこのワタシが着替えを届けにね」
着替えが入ってパンパンに膨れたメッセンジャーバッグを肩にかけ、レイチェルがマウンテンバイクに足をかけた。
「気をつけてな。可愛らしいお嬢ちゃんに世話を焼いてもらえるエルンストは幸せだ」
「どーだか。研究のことしか頭にないから、このワタシの有り難味なんてぜーんぜん、わかってなさそうですけどね」
そうして、ペダルを漕ぎ出そうとしたレイチェルが動きを止めて、振り返る。
「今度、友達がフランスから遊びに来るんです。紹介しますねー!同じアパートに超カッコいい二人が住んでるって言ってあるんです」
それだけ言うと、ペコッと頭を下げ、走り去っていった。
「元気なお嬢ちゃんだな」
オスカーが言いながらアパルトメントに入ろうとするのを、アリオスが呼び止めた。
「なんだ?」
「さっきの答えな」
「さっきの・・?」
「オマエの作るメシは美味いと思う」
「・・・?」
不思議そうにこちらを見るオスカーを置いて、紙袋を抱え直したアリオスはさっさと中へと入っていってしまう。
「・・・答えになってないじゃないか、結局」
一瞬の沈黙の後、苦笑してオスカーも肩を竦めると、アパルトメントへと入っていった。



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A Day In The Life -10th.-




 私立探偵、と一口に言っても、扱う依頼は実に様々だ。特に二人の場合、アリオスにとっては非常に不本意なことに、「ソーホーの何でも屋」として認知されている為余計守備範囲は広くなる。それこそ、先日のアンジェリークの探し物のような依頼も、多くはないが少なくもない。
 だが、二人に舞い込む依頼の中で最も多いのが、ストーカー対応だ。ストーカー撃退に関しては成功率は百パーセント。彼らの特徴は、依頼を請けてから、解決までの時間が非常に短いことだ。一週間かかることはまずないという、ストーカー事件としては異例中の異例のスピードを誇る。
 チャリングクロスステーションから徒歩三分ほどのところにあるヘヴンというナイトクラブは、今夜も盛況だった。もう深夜と言ってもいい時刻だが、客はどんどん集まってくる。このクラブでは、一階のフロアでストイックに踊る人々を、二階で酒を片手に眺める。手相占いなどもある二階の方が、人がごった返していて耳を寄せないと隣りに座る人間との会話もままならないほどだった。
 ウォッカを煽りながらアリオスは一人で階下を眺めていた。否、本当は一人ではないのだが、とりあえずは一人でふらりと来た客、を装っている。入れ替わり立ち代わり、様々な人々がアリオスに誘いの言葉をかけてくるが、それらはすべて素っ気無く断った。誘いをかけてくるのに、女性よりも男性の方が圧倒的に多いのは、ここが実はゲイクラブだからだ。入場制限は設けられていないので、普通のクラブと同じように盛り上がっているが、ゲイの男性が多くいるのもまた事実である。アリオスのような人目を惹く男が一人で佇んでいれば、自ずと誘われる回数も多くなるというものだ。
 かったりぃ・・。
黙々と杯を重ねているイイ男、の胸中を語るとこんな身も蓋もない言葉がでてくる。
 赤毛の相棒ではあるまいし、女に誘われるのも煩いとしか思わない彼にとって、女どころか男にも誘われ続ける今の状況は、かなりの忍耐心を必要とされるのだ。
「到着」
 アリオスの脇をそ知らぬ顔で通り過ぎたオスカーが、一言耳元で依頼人とターゲットの到着を告げていった。
 本日の依頼もまた、ストーカー対応、だった。以前付き合っていた男がストーカーへと変貌した。なまじ以前付き合っていた分、被害者も出来れば警察沙汰にはしたくない、という思いもあり、事態はややこしくなるという、実によくあるパターンである。
 本来、ストーカー対策となれば被害者をガードし、ストーカーの動かぬ証拠を集めた後、代理人が加害者にそれをつきつけ、あらゆる法的手段をも辞さないと半ば脅しに近い勢いで説得するものだが、彼らのストーカー対策はそれとは全く異なる。
「よう」
 やがて姿を現した依頼人に、さながら親しい間柄であるかのようにアリオスは軽い挨拶をした。話がある、と依頼人に連れてこられたらしいターゲットの顔がひく、と引き攣る。
 ごった返す人の群れの中、さり気無くターゲットの後ろのスツールにはオスカーが座っていた。ほぼ百パーセント有り得ないが、仮にターゲットが逆上して依頼人に危害を加えようとしても、ターゲットをすぐに取り押さえられるように、である。
 役者が揃ったことを確認して、アリオスが軽く目配せして合図を送ると、依頼人はくるっと元恋人に向き直り、アリオスに腕を絡ませて宣言した。
「この人が、私の好きな人よ」

 ソーホーの何でも屋、のストーカー対策は、彼らにしか出来ない対策である。普通の男がやっても効果がない。
「ったく、なんでこの店なんだ」
「彼女がよく遊びに来るって言ってたんだから仕方ないだろ」
 依頼人の行動範囲で、人の多い場所。これが絶対条件なのだ。相手の生活パターンを把握しているのがストーカー。それまで依頼人の行動範囲に現れたことのない男を急に相手役に仕立てても、ストーカーに疑われるだけだ。だから依頼人が頻繁に行く場所で一番人の多い所を設定する。ごった返すの人の群れの中での依頼人の行動は、いくらストーカーといえどもすべてを把握できているわけではないから、見たこともない男が突然現れてもそんなに不自然ではなく、ストーカーもあまり疑わないのだ。
「ゲイクラブに遊びに来るな」
「俺に言うなよ」
 相手役は、依頼人の好みであったり、コイントスで決める。今回はアリオスが負けたのだった。
 別に恋人を装わなくてもいい。依頼人が「この人が好き」と宣言するだけでいいのだ。それだけで大抵のストーカーは諦める。一九〇センチ近い長身、十人いれば十人が振り返る美形。それだけで、とてもではないが太刀打ちなどできないと項垂れる。
 「僕はキミのことなら何でも知っている。僕よりキミを愛してるヤツはいない。キミは僕といてこそ幸せなんだ。」そんなストーカー特有の恩着せがましい主張も、「男は顔よ」というホストクラブ通いでもしていそうなセリフにバッサリと斬り捨てられた。「後をつけられようが、盗聴されようが、殴られようが、これだけの美形だったら許せるわ」と、言われた方がギョッとするようなセリフを吐いた女性もいる。稀に、高学歴のインテリやスポーツ選手経験を持つ者など、自分に何らかの自信を持つ者が「外見だけの男なんてすぐに飽きる」と憤るが、それに対しても「この人と勝負して勝てば、ヨリを戻してもいい」という言葉に引っかかって敢え無く撃退された。
 ある者は冷静に論破され、ある者はテニスで負け、ある者はダーツで負け。
勿論乱闘沙汰になったこともあるが、二人にしてみればその方が手っ取り早くて有り難かった。インテリな論争やテニスやダーツよりも、殴り合いの方が一分かからず勝敗が決するからである。
 本日のターゲットは、ストーカーとしては初期段階であったこともあって、あっさりと片付いた。根が深いと暫くは警戒を要することもあるが、今回は問題ないだろう。依頼人はうっとりと二人を見つめながら何度も礼を言った。こういう時は即払いの報酬を受け取ったら、すぐに別れるのが基本だ。そうしないと、今度は依頼人が二人のストーカーもどきになりかねないからである。
「ま、いいじゃないか、随分モテてたようだし?」
 男にもな。
笑いながらオスカーがからかう。
「嬉しくもなんともねーよ」
心底嫌そうにアリオスがウォッカを煽った。
 ここがゲイクラブであるが故か、先程まであれだけ頻繁にかけられた誘いも、二人で飲み始めた途端、さっぱりかからなくなった。
 それはつまり、そう見られている、ということで。
なんとも複雑な気持ちになるのは否めない。二人がそういう関係であるのは事実だから否定しようもない、のではあるが。
「とっとと、出ようぜ」
グラスを置くとアリオスは立ち上がった。飲むならもう少し落ち着ける場所で飲みたい。
「お前も矛盾したヤツだな」
苦笑しながらオスカーも立ち上がった。
 性別のモラル、という点ではアリオスの方が余程垣根は低い。プラトニックで朧気な恋愛感情から、躰を伴う関係までのボーダーを越えてきたのはアリオスの方で、同性、というハードルを高く捉えていたのは寧ろ、徹底した女性賛美主義者であるオスカーの方だったというのに。
「・・・」
 アリオスは不意に立ち止まると、振り返ってオスカーの首の後ろに手を回した。そのまま引き寄せて、思う存分唇を貪った。
 いくらゲイクラブ、とは言っても、周りの客は唖然とする。いきなりディープキスをされたオスカーも呆然である。
「テメェが偶々男だった、ってだけだろーが」
 唇を離してそれだけ言うと、アリオスはすたすたと出口に向かってしまう。
呆然としたオスカーだが、やがてクツクツと笑い始めた。
 好きになった相手が偶々同性だった、なんて陳腐なセリフをあの男が言うとは。
つまりそれは、オスカーというパーソナリティーを好きになったのだと、そう言っているわけで。綺麗事、という感は否めないが、言われれば嬉しいものでもある。
「ちょっと待て、置いてくな」
 このまま笑っていると確実にアリオスの機嫌が下降するとは思いつつも、噛み殺せない笑いをわざとらしい咳払いで誤魔化しながら、オスカーも出口へと向かった。



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A Day In The Life -9th.-




 天気予報では今日は珍しく三〇度近くまで気温があがる、と言っていた。
気温は高いが風があるため、窓を開けておくと丁度いい。一日中晴れ、という予報を見たオスカーが、昨夜先にベッドを占領したアリオスを蹴り起こし、はりきってシーツを洗濯した為、現在アリオスは不機嫌な様子でリビングのソファにだらりと横になっている。
「いい歳して何不貞腐れてるんだ、お前は」
向かいの一人掛けのソファに座り、雑誌に視線を落としていたオスカーが不意に顔をあげ、呆れた様子で声をかけた。
「気持ちよく寝てるところを蹴り起こされりゃ、誰だって機嫌悪いに決まってるだろーが」
全く以てその通りなのだが、上機嫌のオスカーには通用しない。
「こんないい天気なんだ。寝て終わるなんて勿体無いだろ?」
「起きたって別に何にもしてねぇだろ」
「なら天気がいいからこそ出来る事、何かするか?」
 ローン・テニスとかな。
オスカーが部屋の片隅に置かれたラケットを指差す。
「遠慮しとくぜ」
アリオスはぶっきらぼうに短く答えて眠る体勢を取った。それを見てオスカーが小さく笑う。
 オスカーが上機嫌なのは、何も天気がいいからだけではない。ここ一週間ほどの懸案事項、アンジェリークのピアスの件が、昨日思惑通りに大団円を迎えたからだった。

 「ごめんなさいっ!」
しばらく言葉を捜していたらしいアンジェリークは結局、テーブルに額をぶつけそうな勢いで謝罪の言葉を口にした。
「私・・・私、ジュリアス様に頂いたピアス・・・片方失くしちゃったんですっ!」
深く頭を下げたまま、堰を切ったようにアンジェリークは話し始める。金色の髪が食べかけのアップルパイにつきそうで、面倒臭そうながらもさり気無くアリオスが皿の位置を動かした。
「ジュリアス様が前に、お母さまの形見だって見せてくださった時からすごく憧れてて。下さるって言われた時は、ほんっとうに嬉しくて。ほんとにほんとに、嬉しかったんです。大切にしようって思ったんです。嘘じゃありません」
 言いながら、ぎゅっとテーブルクロスを握り締めるものだから、テーブルの上のカトラリーがカチャカチャと音をたてる。
「すごくいいものだってわかってたし、絶対に代わりなんてないものだって、気をつけなきゃいけないって思ってたのに、私ったら、どうしても着けてみたくて。そしたら、気がついたら片方失くなってて・・・。本当に、ごめんなさいっ!折角ジュリアス様が下さったのに・・」
更に握り締める手に力が入った所為でアンジェリークの方へ引っ張られそうになるクロスを、オスカーが苦笑しながらそっと押さえた。
「それで、何でも屋さんにお願いして・・・」
 「何でも屋」という言葉にアリオスが嫌そうに目を眇めたことに気づいたのは、向かいに座っているオスカーだけである。
「ルヴァのところへ行ったのも、それが原因なのだな?」
静かに確認するジュリアスに、アンジェリークがこくんと頷いた。
 それを見て、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。アンジェリークは呆れられたに違いないと思っているが、そうではなく、安心した為だというのは傍で見ているオスカーとアリオスには一目瞭然である。
「顔を上げてくれ、アンジェリーク」
 落ち着いた、優しい声だった。
ゆっくりとアンジェリークが顔を上げると、ジュリアスが苦笑していた。
「そなたは、そんな些細なことで私をこんなにも心配させていたのだな。らしいと言えばらしいが・・・」
 責めているのでも呆れているのでもないことは、さすがにアンジェリークにも伝わった。
「あの、怒ってらっしゃらないんですか・・・?」
恐る恐る尋ねる婚約者に、ジュリアスは僅かに笑って首を振ってみせる。
「形あるものはいつかは必ず失われるものだ。失くしたにせよ、壊れたにせよ、な。確かに、あれは母の形見だ。想い出もある。だが、私はあのピアスに想い出を記憶しているわけではないのだ。ピアスが失われても、別に想い出が私の中から失われたわけではない」
 それよりも、おまえに何かあったのではないかと思うことの方がよほどつらい。
その言葉に、アンジェリークの眸から大粒の涙が零れた。
 女性の涙は絶対阻止、が信条のオスカーだが、この涙は別次元である。口を挟むなんて野暮なお節介はしない。
「今日は、ルヴァの所ではなく、私と共に邸に帰るな?」
優しい確認に、アンジェリークが何度も頷いた。
 これが映画だったら、周囲の客から拍手が起こりそうなハッピーエンドである。
「それじゃ、結果報告といこうか」
それを待っていたオスカーが口を開いた。ハッピーエンドを、更に完璧なハッピーエンドにする為の行程がまだ残っているのだ。
「残念だが、俺たちにはピアスは見つけられなかった」
その言葉に、アンジェリークが肩を落とした。
「やっぱり・・・そうですよね」
 無理なお願いしてすみませんでした。
アンジェリークがそう頭を下げようとするのをオスカーは遮った。
「おいおい、ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん。俺は約束したはずだぜ?」
片目を瞑り、悪戯でもするかのようにオスカーが笑う。
「必ず、君の許に二つピアス揃えるってな」
「でも、見つからなかったって・・」
「見つかるわけがねぇんだよ。・・・持ち主が持ち歩いてんだからな」
アリオスが足を組みながら呆れたように告げた。
「え・・?」
「お嬢ちゃん、鏡を持ってるかい?」
唐突なオスカーの質問に、アンジェリークが首を傾げる。指示を求める様に見回すと、向かいに座ったジュリアスの視線が、ともかく言うとおりにしてみればいい、と言っていた。
「持ってます。ポーチについてて・・」
 バッグから小さなバニティタイプのポーチを取り出す。ポーチを開けると確かに中に鏡がついている。
「済まないが、中身を全部出してみてくれないか。」
「はい」
言われるままに、中身を出していく。脂取り紙、リップクリーム、折りたたみ式ブラシ、ニキビ用の塗り薬・・・その他諸々。
「それ、逆さにして振ってみろ」
ポーチの中が空になったのを見て、アリオスが指示した。
「逆さに・・・・・・・・えぇーっ!?」
 周囲の客が再び振り返った。アンジェリーク、とジュリアスが嗜める。アンジェリークが慌てて口を押さえた。
 簡単だった。
アンジェリークがポーチを逆さにして振った途端、内ポケットからテーブルの上に落ちたのは、紛れもなく探し物のピアス。
 クラヴィスの占い通り、探し物は持ち主の傍で鏡と共に眠っていたのである。
「私、またやっちゃったの・・・?」
呆然と呟くアンジェリークに、オスカーが告げた。
「約束は、確かに果たしたぜ?お嬢ちゃん」

 その後の、顔を真っ赤にして謝り倒すアンジェリークの姿を思い出してオスカーはクス、と笑みを零した。あれでは、子爵もこの先大変だろう。彼女に非の打ち所のないレディを求めるのは一生無理に違いない。だが、本音と建前が交錯する社交界に於いて、アンジェリークはきっと誰もに愛される公爵夫人になるだろう。その前に"h"の発音だけは、練習したほうがいいかもしれないが。
 オスカーは読んでいた雑誌を閉じると時計を見た。二時を少しまわっている。これからコーヒーを淹れて一息入れたら、日光をいっぱいに受けたシーツとブランケットを取り込んでベッドメイキングをしよう。当然、今夜のベッドは自分が占拠するつもりだ。干したてのシーツの気持ちよさを譲ってやるほど、オスカーはお人好しではないのだ。向かいのソファで眠る同居人には、なんならこのまま存分に眠り続けてもらってもいい。
 オスカーはマガジンラックに雑誌を放り入れると、コーヒーを淹れるべく立ちあがった。



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A Day In The Life -8th.-




 そうだな、三時頃がいい。悪いが来て貰えるかい、お嬢ちゃん。
昼前にルヴァの家にかかってきた電話でオスカーからそう言われたアンジェリークは、ほぼ三時ぴったりにアパルトメントを訪れた。
 相変わらずリフトのチャイムの音はひび割れ、扉もギシギシと音を立てる。前に来た時よりも遥かに確固とした足取りで一番奥の部屋の前まで来た少女は、片耳を塞ぎながらブザーを押した。ブザーの音も変わらず大きい。
「やあ、お嬢ちゃん。本当なら迎えに行くべきなんだが、悪かったな」
前回よりも早く扉は開いた。中から出てきたのはオスカーだ。
「いいんです、全然。・・・なんだか、今日は二人とも雰囲気が違うのね」
オスカーと、続いて現れたアリオスの姿を見て、アンジェリークが首を傾げる。
 そうなのだ。初めて会った時も、先日ルヴァの家を訪ねて来た時も、洗いざらしのシャツやニット、ボトムもジーンズなどラフな服装をしていた二人が、今日はきちっと糊の利いたシャツにスラックス姿なのだった。緩めてはいるがタイもしているし、タイピンもつけている。手にはジャケットも持っていた。
「いい男は何を着ても似合うだろう?」
不躾なほど二人を見つめるアンジェリークに、オスカーが笑ってみせる。
「バカなこと言ってねぇで、行こうぜ」
呆れ顔のアリオスがアンジェリークの横をすり抜けた。
「バカなこととは失礼なヤツだな。・・・まあいい。時間も丁度いいしな」
腕時計をちら、と見て玄関の扉に鍵をかけたオスカーが、「行こうか、お嬢ちゃん」とアンジェリークを促す。
「え?あの、ピアスのことで私を呼んだんじゃ・・・?」
てっきり部屋に入って話を聞くものだと思っていたアンジェリークが驚いて、二人を交互に見上げると。
「もちろん。だが、その前に」
芝居がかった仕草でジャケットに腕を通したオスカーが、彼女に手を差し出した。
「優雅にアフタヌーンティーと洒落込むことにしようか」

 チャリングクロスロードに出て、ブラック・キャブを拾う。行き先はメイフェア地区、アルバマールストリートに面したブラウンズ・ホテル。ロンドンの中でも、豪華で格式のある一流ホテルのうちの一つだ。
 ホテルの正面玄関の前に止まったキャブからオスカーにエスコートされて降り立つと、アンジェリークは不安げな面持ちでオスカーを見上げた。婚約者と一緒にこういった格式のある店に来たことは何度かあるが、いまだ一度たりとも満足に淑女らしく振る舞えた試しがないのだ。自分のそそっかしさは筋金入りだと、自他共に認める彼女である。尤も、そのそそっかしさが、多くの人にとっては微笑ましく、また婚約者にとってはひどく愛おしいものに映ることを、彼女は気づいていない。
「そんな不安そうにしないでくれ、お嬢ちゃん。アフタヌーンティーを楽しむだけさ」
安心させるように、オスカーが肩を竦めておどけた調子で告げる。
 恭しくドアボーイが開けた扉をくぐり、ロビーへと足を踏み入れた三人は真っ直ぐにティールームに向かった。予約を入れてあるのか、すでに席が用意されている。
「実はもう一人ゲストを呼んであるんだが、到着はもう少しあとだろう。先にいただくとしようか。お嬢ちゃん、好きな紅茶は?」
「あ、ミルクティー・・・」
「茶葉のご指名はあるかい?」
アンジェリークが首を振ると、オスカーは向かいに座ったアリオスを見た。
「アッサム」
短く答えるアリオスに、オスカーが笑って、緊張した様子を隠せない少女に告げた。
「こいつは妙なとこで好みがうるさいんだ」
言いながら軽く手を上げて給仕を呼んだオスカーが注文を済ませて暫くすると、ウェッジウッドのティーセットとマッピンアンドウェッブのカトラリーがテーブルに並べられる。
明らかに緊張の度合いが増したアンジェリークだったが、次いでアンティークのワゴンに乗せられた銀の三段トレイを目にした瞬間、パッと顔が明るくなった。
 トレイに乗せられたケーキをじっくりと見たアンジェリークはアップルパイとピラミッド・ウォールナッツ・ガナッシュを選んだ。甘い物があまり得意でない男二人はそれぞれスモークサーモンのサンドイッチとプレーンなスコーンを選ぶ。
 嬉しそうにミルクティーとケーキを口に運ぶアンジェリークと、満足そうにそれを見るオスカーの会話が弾んだ。
 二〇分程経っただろうか。
 アンジェリークが、アップルパイを半分ほど食べた頃だった。それまで黙っていたアリオスが不意にティールームの入り口の方を見遣り、オスカーに顎で指し示した。入り口に姿を現した人物を確認したオスカーが、そんなことには全く気づいていないアンジェリークに声をかける。
「お嬢ちゃん、もう一人のゲストが到着したようだ」
「え・・・?」
その言葉に促され、アンジェリークが入り口に目を向けた。
「・・・!!」
 次の瞬間、彼女はガタッと立ち上がった。アフタヌーンティーを楽しんでいた他の客が一瞬何事かと振り返るが、そこは格式あるティールーム、すぐになんでもないように視線が戻される。
 迷いもなく、こちらに向かって歩いてくる人物。他のテーブルの客の中には、彼に向かって軽い目礼をする者もある。
「ジュリアス様・・・」
呆然とアンジェリークが呟いた。
 ジュリアス・バーリントン子爵。いずれ父の爵位を継ぎ、バーリントン公爵となる人物で、噂の、アンジェリークの婚約者である。ロイヤルファミリーとも血縁がある、イギリス屈指の大貴族の一人だ。
 テーブルの前まで来たジュリアスが、驚きに固まっているアンジェリークを真っ直ぐに見つめて口を開く。
「アンジェリーク・・・。心配していたのだぞ」
厳しい口調ながら、本当に心配していたことが窺える声だった。
「ごめんなさい・・」
俯いてか細い声で謝る少女に、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。それから気づいたように、少女の両脇に陣取る男たちに視線を向ける。
「わざわざご足労願い恐縮です、バーリントン子爵。急なお誘いで申し訳ありませんでした」
 オスカーが立ち上がり、挨拶した。アンジェリークの向かいの椅子を勧める。
「今朝電話をくれたのはそなただな。・・・あの電話の後、ルヴァから聞いた。事情はよく知らぬが、アンジェリークの為、そなたたちが力を貸してくれたのだとか。礼を言おう。ミスター・ホウエンシュタイン、ミスター・アルヴィース」
その言葉に咽たのが、アリオスだ。
「色々動いたのはコイツの方で、別にオレは何もしてねぇよ。そのミスター・・ってのは止めてくれ。アリオスでいい」
大貴族を前に、無礼極まりない口調だが、ジュリアスは特に気分を害した風でもなくアリオスに向かって頷いた。オスカーの方にも向き直って尋ねる。
「そなたもそう呼んだほうがいいのか?」
「そうですね。オスカー、と呼ばれたほうが気分的にしっくり来ます」
「承知した」
ジュリアスが頷いたのを確認して、さて、とオスカーが座りなおした。
「勿論、あなた方をここまで連れ出したのは、アフタヌーンティーを楽しむためだけではありません。彼女から受けた依頼の結果報告の為です」
 ノリにノッてやがる・・・。
ティーカップを口に運びながら、アリオスは心の中で呟いた。基本的に手の込んだことが好きなオスカーは、この、映画にでも出てきそうなシチュエーションを大いに楽しんでいるようだった。
「一体、彼らに何を頼んだというのだ、アンジェリーク?」
その問いに、アンジェリークがびくっと肩を揺らした。
 真面目で不器用な人なんだな・・。
ジュリアスの言葉を聞いてオスカーが下した人物評である。
 ジュリアスの声に責めるような厳しさはない。俯いたまま自分の方を見ようとしないアンジェリークに対する愛情と、それ故の心配が滲み出ている。けれど、言葉の表面だけを見れば厳しい言い方であり、その声に滲むものまで感じ取れというのは、予測外の出来事に不安と困惑でいっぱいになっている少女には酷な話だった。
「お嬢ちゃん」
 ここは助け舟を出してやらねばならないだろう。自分が傍にいながら、このまま彼女に涙を流させるなど、オスカーのプライドが許すはずもない。
「子爵は君をとても心配してらっしゃるだけさ。恐がることなんて何もない。約束しただろう?」
まるであやすような優しい言葉に促され、アンジェリークが顔をあげた。正面でじっと自分を見つめるジュリアスに向かって、恐る恐る口を開く。
「あの、ジュリアス様。あの・・・・実は・・・」



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A Day In The Life -7th.-




 キングサイズのベッドで先に目を醒ましたのはアリオスだった。しっかりと、オスカーの腰を抱いて眠っていた自分に苦笑する。確か、昨夜は機嫌を損ねたらしいオスカーに、「一緒に寝るだけだ、触るな」と言われて「別にかまわねぇよ」と答えたはずだったのだが。眠りに落ちたときは、自分の躰はオスカーに触れていなかったはずだったが、習慣なのか本能なのか、眠っている間にしっかりと密着していたようである。
 昨夜、ソファで寝る宣言をしていたはずのオスカーは、結局シャワーを浴びた後寝室にやってきた。同じベッドで寝るからといって必ずしも抱き合うわけではない。別に盛りのついた歳でもないし、たまにはこうやって互いの体温を感じながら眠る日もあるのだ。
 日はだいぶ高い所にあった。時計を見れば午後一時をまわっている。そんなに遅くに寝たわけでもないのに、随分とたっぷり睡眠をとってしまったらしい。
 アリオスはのろのろと起き出した。オスカーを起こそうか迷ったが、別に時間に追われているわけでもなし、そのままにしておく。どうせ、アリオスが動き出した気配で直に目を醒ますだろう。
 バスルームで顔を洗い、キッチンで水を飲んでいると、オスカーが起き出して来た。
「よう」
水の入ったグラスを掲げて挨拶すると、オスカーは、ああ、と生返事をした。寝すぎて眠いのか、眠気を払うように首を回すと、なんとなく辺りを見回して尋ねる。
「朝飯・・・もう昼か。どうする?」
「さすがに腹は減ってるな」
「だが、今のこの部屋にすぐに食べられそうなモンは置いてないぞ。今日買い出しに行くつもりだったからな」
パン一枚すらない。冷蔵庫の中は空に近い。とりあえずは、外に出るために着替えた方がよさそうだった。
「出掛けがてら、腹ごしらえしてこうぜ。買い出しは帰りでいい」
アリオスがシャツに腕を通しながら言う。
「出掛けるって一体、何処行く気だ、アリオス」
「あのガキのピアス、本物見つけたいんだろ?」
「・・?」
 オスカーにつき合わされている、というスタンスを崩さなかったアリオスが自分からアンジェリークのピアスの件を口にするのが意外で、訝しげに見つめるとアリオスが行く先を告げた。
「我らがホームズの所へ行くとしようぜ」
その行き先に、オスカーが思いきり嫌そうな顔をする。
「あの非科学的の極致みたいなのの、どこがホームズなんだ」
「当たるんだから、いいじゃねぇか」
 とっとと着替えろ、と急かすアリオスに、オスカーは渋々とサマーニットに手を伸ばした。

 アパルトメントの近くにあるポロというレストランで遅めの昼食を摂った後、トッテナムコートロードからセントラルラインに乗り、ボンドストリートでジュビリーラインに乗り換えて一駅。ベイカーストリートステーションから歩いて五分ほどの所に、目的地はあった。すぐ近くにはベイカーストリート二二一b番地、本物のシャーロック・ホームズ博物館がある。
「珍しい。特に、オスカー、貴方がいらっしゃるなんて」
「別に、来たくて来たんじゃない」
二人を迎え入れた人物の言葉に、憮然とオスカーが返す。
 ここの家主であるリュミエール・テュラムは、オスカーの大学時代の知り合いである。友人、というと本人が否定するが、傍から見れば友人の部類に入るだろう。オスカーとアリオスの関係を知っている数少ない人物の一人でもある。オスカーは相性が悪いと敬遠しているが、実際会えば然程仲が悪いようには見えない。学生時代から絵画や音楽に才能を示した彼は、この家で居候の世話を焼きながら、絵を描いたり、近所の子供たちにハープを教えたりして暮らしていた。リュミエールの描く風景画は人気が高く、近々画集も出るらしい。
「いないわけねぇだろうが、ホームズはいるか?リュミエール」
 アリオスが確認する。そう、いないわけがないのだ、特に昼間は。日光を浴びたら砂のように崩れていくのではないかと疑いたくなるほど、昼間は出歩かない男がここのもう一人の住人なのだった。
「ホームズ?・・クラヴィスさんのことですか。誰かと思いました」
「別にノストラダムスでも構わねぇけどな。場所柄、ホームズの方が合ってるだろ。二階か?」
「ええ。どうぞ上がっていてください。紅茶をお持ちしますよ」
そう言って一階奥のキッチンへと消えるリュミエールに、オスカーが尋ねた。
「起きてるんだろうな?」
「さあ・・・。先ほどまでは起きてらっしゃいましたよ」
その答えに、オスカーは嫌そうに溜息をついた。

 この家の居候の部屋は昼でも暗い。
 ベイカーストリートの占い師、と言えば、ロンドンではかなりの評判だ。とにかく当たる。著名人もお忍びでやって来る、と専らの噂だった。
 その占い師にはジプシーの血が流れている、という話だが、詳しくは二人も知らない。
「相変わらず、暗いな・・」
 オスカーが呆れた様に呟いた。視線の先には、アリオス曰く「我らがホームズ」がいる。
 カーテンの引かれた薄暗い部屋で静かに椅子に腰掛けている姿は、確かに神秘的だった。尤も、オスカーなどに言わせれば、辛気臭いだけ、ということになるのだが。
「おまえたちか・・・」
闇に溶け込むような、淡々とした静かな口調である。それがまた、この男の神秘的なムードを高めているらしい。
「相変わらず怪しげで何よりだぜ、クラヴィス」
「フッ・・・、おまえたちも変わらぬようだな・・・」
 水晶球を見つめながら言うものだから、まるでそこに何か映ってでもいるかのようでぞっとしない。
「座ったらいかがです?紅茶も入りましたし」
トレイにティーカップを乗せてきたリュミエールがそう促した。
 オスカーもアリオスも、基本的には占いなど信じてはいない。アリオス曰く「見えねぇモンを信じてられるほど暇じゃねぇ」ということになる。にも関わらず、こうやって時折クラヴィスの許を訪ねる理由はただ一つ。
 どんなに非科学的であろうと、納得いかなかろうと、とにかくクラヴィスの占いは当たってしまうのである。
「求めるものは鏡と共に眠っている・・・」
 クラヴィスが唐突に言った。二人に告げているのか、ただの呟きなのか、判別がつかないが、恐らく、ピアスの件だろう。
「・・・・・・理解不能だ」
オスカーが首を振る。
 こちらが用件を切り出す前に、いつもクラヴィスはこうして答えを口にするのだ。非科学的以外の何物でもない。理解の範疇を超えている。
「別に理解する必要ねぇよ」
アリオスが軽く言った。
 必要なのは、クラヴィスの言うことは当たる、という事実。深く考えることはすまい。というよりも、深く考えると不幸になる気がする。人生、謎のままにしておいた方がいいこともある、とクラヴィスと知り合ってから肝に銘じたアリオスである。
「しかし、鏡と言ってもなあ・・」
 鏡など、至る所にある。場所を特定するには余りにも大雑把過ぎるヒントだろう。
「求めるものは、主人の傍を離れていない」
それだけ言うと、クラヴィスは立ち上がり、カウチに横になってしまった。
「少し、眠る」
「はい。おやすみなさいませ」
クラヴィスの言葉にあっさりとリュミエールが答えた。
「ちょっと待てって」
オスカーが慌てて声をかけると、リュミエールに制される。
「眠ると言ってらっしゃるのに、無粋な真似をしてはいけませんよ」
 だから、こいつとは合わないんだ・・・。
オスカーががっくりと肩を落とした。それを横目で見ながら、代わりにアリオスが問う。
「おい、これだけ答えろ、クラヴィス。主人の傍ってのは、金髪のガキが、ずっと持ってるってことなのか?」
「そう・・・かも知れぬし、違うかも知れぬな・・・。どちらにしろ、私には関係のないことだ・・」
そうして、あっという間に眠りの世界へと旅立ってしまう。
 なんの答えにもなっていない言葉に、二人は窺うように顔を見合わせた。



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A Day In The Life -6th.-




 その日、オスカーが訪れたのはオックスフォードサーカスからピカデリーサーカスに向かってリージェントストリート沿いに少し歩いた所にある店だった。「大龍商店」と漢字で書かれた看板は、この通りを歩く殆どの人々には読めないが、親しみやすく入り易い店構えと、何故こんなものまで?と時々首を傾げたくなるような品揃えの豊富さが人気を呼び、"Big Dragon"の愛称で賑わっている店だ。
 店に入ると迷わず"staff only"となっている奥のリフトに乗り込む。最上階のボタンを押すと、アパルトメントのリフトとは比べものにならないスムーズさでリフトは動き出した。
 リン、とベルが鳴ってリフトの扉が開く。オスカーは右手に座る受付嬢に甘い笑みを送ると、"President‘s Office"とプレートのついた正面の扉を遠慮なく開けた。
「よう、若社長。邪魔するぜ」
「オスカーさん、時間ぴったりやな」
重厚なデスクに向かっていたこの部屋の主は、オスカーの姿を認めると立ち上がった。
「自分は社長業で忙しいんだから時間厳守しろと言ったのはお前だろう、チャーリー」
 チャールズ・ウォン。一九九七年に中国へと返還された香港生まれのイギリス人である。彼が経営するこの店も�、生まれ育った香港の雰囲気を意識して造られた。尤もチャーリーはこの店の社長だけでなく、ウォングループという大企業体の総帥という肩書きも持っており、バービカンの中心部に自社の高層ビルを所有しているが、この店は本人の趣味を強く前面に押し出している為居心地がいいのか、ここの社長室を拠点として日々の仕事をこなしているようだった。
「オスカーさんがそれをちゃんと守ってくらはるなんて思ってなかったんですわ、ホンマ言うと」
 失礼な言い草である。
ジロリ、と冷たい眼で見るとチャーリーは「すんませんって」と謝りながら応接ソファを勧めた。言葉では謝っていても笑顔なのだから、あまり言葉に信憑性はない。
「ま、怒らんといてください。ご注文の品はちゃんと出来上がってますよって」
そう言ってテーブルの上に小さな箱を置く。
 箱から出てきたのは、片耳だけのピアスだった。上質のダイヤとルビー、まさしくアンジェリークの探し物である。
「で、こっちがお借りしてた本物ですわ」
コト、と隣りにピアスが置かれた。二つ並ぶと、最初から対であったように見える。長年愛用されてきたピアスと、デザインを同じくした未使用のピアスの筈だが、まるで同じ時間を経てきたように見えた。
「さすがチャーリー、いい職人知ってるな」
感嘆を隠さずに、オスカーが言った。じっくりと二つのピアスを見比べるが、どちらが見劣りするということもない。
 これが、オスカーの「見つからなかった場合の手」だった。何処で落としたのかもわからない小さなピアスという探し物を請け負ったその日のうちに、短期間で最高の仕事をしてくれる職人と、本物と同レベルの宝石を手配して貰う様、あらゆる方面に顔が利くチャーリーに頼んだのだ。
「そりゃもう、職人さんには直々によぉくお願いしときましてん。そない満足して貰えたら頼まれ甲斐もあったっちゅーもんです。ほんなら、約束通り、こないだ負けた分はチャラですよって」
 偶々パブで出会った時に、プールで勝負をした。その時はオスカーの圧勝となり、いずれ負け分は払う、ということになっていた。だが、勿論友人同士の他愛もない賭けであって、とてもではないがこのピアスの製作代金を賄えるような額ではない。
「いいのか?別に払うぜ?」
「ええですよって。その、アンジェちゃん、でしたっけ?女の子の笑顔の為、俺も一肌脱ぐっちゅーことでね。オスカーさんと友達づきあいしとると、どうも影響受けて女性にどんどん甘くなってきよるんですわ~」
 そうまで言うものを、無理に金を払うなど野暮なことはオスカーもしない。まして相手は大財閥の総帥、たいして痛い出費でもないのだろう。ここはその心意気をありがたく受け取るべきなのだ。
「じゃあ、遠慮なく貰ってくぜ。本当は、コレを使わないで済むといいんだがな」
 本物が見つかるのなら、その方がいいに決まっている。
「使わんで済んだんやったら、それはそれで構いやしませんから。リフォームっちゅーことで別のアクセサリーでもなんでも作れますし」
太っ腹な社長の言葉にオスカーが軽く手を上げて、謝意を示す。
「あ、でもそのアンジェちゃんにも、うちの店、薦めるのは忘れんといてくださいよ」
どんなメディアに広告を打っても敵わない効果が、口コミにはある。
「わかったよ。それぐらいは言っておくさ」
 気前がいいのか商魂逞しいのか、いまひとつ判別のつかないチャーリーの言葉にオスカーが笑って答えた。
 
 
 
 白い煙がゆっくり立ち昇る。
 ソーホーは繁華街だ。レストランやナイトクラブが多いこの街は夜が更けていくほど活気に満ちてくる。
 オスカーは寝室から出られる小さなバルコニーで眼下の賑わいを見ていた。短くなった煙草を灰皿へと投げ入れる。
「おい、シャワー、空いたぜ」
先にシャワールームを占拠したアリオスが、ガシガシと髪を拭きながら声をかけた。
「ああ、サンキュ」
下を見たまま答えるオスカーの横にアリオスが並んだ。
「なんだよ、何かあるか?」
「いや、別に何も。なんとなく見てただけだ」
新たな煙草を咥え、マッチを擦る。ボゥ、と起こった火がオスカーの顔を照らした。
「嘘つけ。オマエがこういう時は、何か気にかかることがあるじゃねぇか」
アリオスが呆れたように言う。二年も共に暮らしていれば、些細な行動パターンから相手の状態も見えてくるというものだ。
「いや、お嬢ちゃんのピアスがな・・」
「本物じゃねえにしても、ほぼ本物に近いものは出来たんだから問題ねぇたろ」
オスカーの手から煙草を奪ってゆっくりと紫煙を吸い込む。
「だが、できれば本物を返してやりたいじゃないか。第一、想い出の品、っていうのが気にかかる。もしかしたらお嬢ちゃんも知らない、何か傷があったりしたかもしれないだろ?」
 アンジェリークは婚約者に事情を話すと約束した。だから当然、オスカーは本物ではないことがバレたりするのを心配しているわけではない。たとえ本物が戻らなくても、ピアスを必死に捜した、アンジェリークの気持ちこそが大切なのであって、もしも婚約者がその気持ちを汲めないような男なら、一生を共にするなど諦めたほうがいい。
 だが、想い出の品、というのはいくら一見してわからないものであっても、やはり特別な何かがあるはず。それを贈った子爵の為にも、贈られたアンジェリークの為にも、できれば本物を戻してやりたい。
 しかし、本物のピアスは見つからない。遺失物として届けられてもいないし、質屋や宝石店に売られてもいないようだ。一粒石やリングのピアスならまだしも、小さいながらフォーマルに通用するデザインのピアスなど、片耳だけ持っていてもあまり意味はないだろうに。
「んなこと、オマエがそこまで考えてやることじゃねぇよ。ったく、オマエ、結構お人好しだよな」
アリオスがオスカーの髪をグシャグシャと掻き乱した。
「あのな、お人好しとはなんだ。お前と違って俺は優しいんだよ」
ムッとしたようにオスカーが言う。
「それがお人好しなんじゃねぇか」
ククッ、と笑ってやると、オスカーは不機嫌そうに踵を返した。
「シャワー、浴びてくる。ベッドは譲ってやるからとっとと寝ちまえ」
それに対してアリオスはニヤリと笑って返す。
「待っててやるから一緒に寝ようぜ」
返答は、無言だった。



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