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A Day In The Life -22th.-




 トッテナムコートロードはロンドン大学が面していることもあり、ここに通う学生や職員が多く行き交う通りだ。
 オスカーはその通りを、ロンドン大学に向かって歩いていた。偶々、知り合いに行き会ったついでである。
「なんでオメーも来るんだよ」
「面白いからに決まってるだろう」
「オレは見世物じゃねぇっ!」
「ムキになるなよ、坊や」
「坊やじゃねぇっつってんだろ」
「そうやって脹れっ面するから坊やなんだろ」
 オスカーの隣りを歩いているのは、ゼフェル・レンという少年だ。ルヴァのところに下宿しているので、オスカーとも顔見知りだった。まだ十七歳だが、飛び級でロンドン大学の電子工学カレッジに通っている、らしい。
らしい、というのは、彼があまり勤勉とは言い難い学生だからだ。講義を受けているよりも研究室にいることのほうが多い。
 そのゼフェルとオスカーが一緒に歩いているのは、先刻、アパルトメントに向かおうとするゼフェルと行き会ったからだった。
ゼフェルの目的の人物が入れ違いで大学に向かったことを知っていたオスカーがそれを教えてやると、ゼフェルはオスカーを捕まえて真剣な顔で訊いた。
「女の機嫌を直すにはどうしたらいい?」と言われた時には、ゼフェルには悪いが吹き出しそうになったものだ。
 ゼフェルが会いに行こうとしていたアパルトメントに住む人物、とはレイチェルである。
優秀な従兄に劣らず才媛である彼女は、やはり飛び級でゼフェルと同じ電子工学カレッジに通う学生なのだった。
 昨日、研究の工程に関することで些細な言い争いをしたのだという。そういえば、昨夜はレイチェルが研究室に呼び出されたと言っていたな、とオスカーは思い出した。てっきりエルンストの世話焼きで行ったのかと思っていたのだが。昨夜のことを思うと、ずるずると思考が深みに嵌って行きそうで、オスカーは意識的に思考をシャットアウトした。
「あいつのやり方だとまわりくどいんだよ。だからそう言っただけなのによ」
「そりゃ、研究過程を記録する為なんだろ。どうせお前はそういうものに見向きもしないからな。お嬢ちゃんの言うとおりだぜ。お前、研究はきちっと記録して発表しなきゃ認められないんだってわかってるのか?」
「わーってるよ、そんくらい!」
「じゃあ、彼女の言い分も尤もだってわかるだろうが」
「・・・あー、わかったよ。だからって、あんな怒ることねぇだろーによ」
 女ってのはどーしてああ面倒くせぇんだよ、と言いながらもバツの悪そうな表情のゼフェルが可笑しい。
「そんなんじゃ、お嬢ちゃんに厭きられるぞ。あの子みたいな美人で才媛なら、すぐに他の男が名乗りを挙げるだろうからな」
大学の門をくぐって、遺伝子研究室の方へと足を向けながら、核心をついてみる。
「お前、お嬢ちゃんのことが好きなんだろう?」
 反応は顕著だった。
「ばっ、バカなこと言ってんじゃねーよっ!なんっっっで、オレがあんなのを!」
「どうでもいいが、エライ注目集めてるぞ」
 通りすがりの学生たちが、急に大声を張り上げたゼフェルを何事かと見ている。
笑いを噛み殺しながらそう指摘してやると、不貞腐れたように横を向いた。
「怒るなよ、坊や」
「うるせー。笑ってんじゃねーよ」
「わかったわかった」
「ったく、バカにしやがって」
 そうではない。
どちらかといえば、羨ましいのだ。
 こんな風に、感情を素直に表に出せたらどんなにかラクだっただろう、と。
きっと、収拾もつかないほどの大喧嘩になるか、一気に壊れてしまうかどちらかだと思うが、それでも、今のように一歩ずつ断崖に向かって歩いていくような生活に比べればマシだったのかもしれない。
 もう、後戻りは出来ないけれど。

 「これは珍しい御仁だ」
遺伝子研究室を訪ねると、研究棟の前で白衣姿の二人の人物と出会った。
「ちょっとこいつの付き添いでな」
「誰も、んなもん頼んでねえっつーの」
「そっちこそ珍しいじゃないか、研究室の外にいるなんて。なあ、ロキシー」
「いやあ、この研究バカを無理矢理連れ出して遅い昼食を摂ってきたところさ」
白衣のうちの一人、ロキシーと呼ばれた研究員はおどけた様子で言った。
「ゼフェルさん・・・電子工学研究室にいたんじゃなかったんですか」
そしてもう一人が、レイチェルの困った従兄、エルンストだった。
「なんだよ、オレが外行ってちゃいけねぇのかよ」
「いえ、そんなことはないのですが・・」
エルンストが眼鏡の位置を直しながら言い淀む。
「じゃあ擦れ違いだねぇ」
ロキシーが顎に手を当てて呟いた。神妙そうな顔をしているが、その口許が笑っていることにオスカーは気づいた。
「なんだよ」
ゼフェルが苛々したように訊くと、ロキシーがにっこり笑う。
「レイチェル嬢がね、電子工学研究室に行くってさっきね。なんでもゼフェル君に用があるとかなんとか言ってたと思うんだが・・」
 完全に擦れ違いだねぇ。でも、走っていけば間に合うかもねぇ。
オスカーから見ても、このロキシーという男は研究員などという肩書きが詐欺に見えるほど食えない男だった。
「なっ・・・!」
 早く言えよ、そーゆーことはっ!
怒るように言い捨てて、ゼフェルが全力で走り出す。
「頑張れよ、少年」
とりあえず、オスカーは後姿に声をかけてやった。
「一体何が・・・?」
状況を把握できていないのはエルンストだけである。
「お前も、もうそろそろしっかり者の従妹に頼らず生活できるようにならなきゃな」
エルンストの肩にポン、と手を乗せてオスカーが忠告してやった。
「な・・・」
「いやぁ、レイチェル嬢のことだから、まとめて面倒見てくれるかもしれないぞ」
「一体、なんのことですか・・・?」
 研究以外のことにはとにかく疎い男が、わけがわからず二人の男を交互に見比べていた。



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