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A Day In The Life -3rd.-




 昨日までの天気とは打って変わって明け方から降り出した雨は、降ったり止んだりを繰り返している。今日は一日薄曇りのままだろう。ロンドンの天気は変わり易いが、この時期は年間でも一番降雨量が多い。こんな天気の日は晴れ間は期待できない。
 ブラインド越しに眼下を行き来する傘の群れをしばらく眺めた後、アリオスはソファに腰掛けて新聞を広げた。特に目ぼしい記事もない。急を要する依頼もないし、今日は部屋で自堕落に過ごすことになりそうだった。
 もともとそんなに大きなアパルトメントではないから、当然この部屋も大して広いわけではない。部屋の間取りや広さは階と部屋の位置によって異なるが、最上階最奥角部屋のこの部屋には、キッチンダイニングとリビング、寝室が一つ。ファミリータイプではないことは勿論だか、ルームシェアにも向いているとは言い難い。にも関わらず、ここに部屋を借りたのは、ここから歩いて五分とかからない場所にある、バー・イタリアというカフェのカプチーノをオスカーが気に入ったからだった。
 住人が二人いるのに一つしかない寝室には、部屋の大きさと不釣合いなキングサイズのベッドが置いてある。何しろ部屋の住人は二人揃って平均を遥かに上回る身長の持ち主なので、どんなに部屋が狭くなろうと、このベッドだけは譲れなかったのである。しかも、一つのベッドに二人で眠ることもしばしばあるとなれば尚更だ。
 とはいえ、いつもいつも二人で眠るのはあまり愉快な想像でもないので、早い者勝ちで一人がベッドを取れば、あぶれた一人はリビングのソファを寝床とする。その為、ベッドの次に念入りに選んだのが、アリオスが今腰掛けているソファだった。
「・・・ああ、ちょっと急ぎでな・・・そう言うなって」
 携帯電話を片手にオスカーがリビングへと入ってくる。先程から電話を持ちっ放しだ。どうやら、話の内容はアンジェリークのピアスの件に関すること、恐らくは、昨日言っていた「見つけられなかった場合の手」についてのようだが、アリオスにはどうでもいいことだった。
「・・・わかってるさ。感謝するって言ってるだろ。・・・ったく、抜け目ないヤツだな」
携帯電話で話しながら、アリオスの背後に回ったオスカーが、ソファの背凭れに腰掛けた。空いている方の手で背凭れを掴む。その指先が、アリオスの肩先に触れた。
 電話をしながらどこかに浅く腰掛けるのはどうもオスカーの癖のようなものらしい。アリオスがソファの中央に陣取っているというのならともかく、寝床になる程度の大きさのラブソファには充分スペースがあるのだから、普通に座ればいいだろうに、どうやらそれでは落ち着かないようだ。
 元々、二人の出逢いのきっかけも、オスカーのこの癖だった。
アリオスが雑誌を広げつつ、デリで買ってきた遅い昼食を摂っていたベンチの背凭れに、やはりオスカーが携帯電話片手に腰掛けたのだ。今のようにオスカーの指先がアリオスの肩に触れて、それに反応して視線がぶつかった。それが出逢い。映画ではあるまいし、その一瞬で恋に落ちたわけではなかったが、あの時オスカーの指がアリオスの肩に触れなかったら、恐らく今こうしてはいなかっただろう。
 そんなことを思い出していると、アリオスの中に悪戯心が首を擡げてきた。悪戯、と言うには多少可愛げがなかったが。
 肩先に触れるオスカーの指に、そっと自らの指を絡ませた。爪の先から指の間、手の甲や手の平、手首あたりを丹念になぞる。携帯電話を耳に押し当てたまま、オスカーが驚いたようにアリオスを見るが、当のアリオスは涼しい顔をして新聞に目を落としたままだ。
視線は決して向けないのに、アリオスの指先は変わらず丹念にオスカーの手を行き来する。それはどう見ても愛撫としか呼べない、濃厚な空気を纏っていた。
「・・・あ、ああ、なんでもない」
 少しずつ、オスカーの気が削がれていく。電話の相手との会話に集中出来なくなってくる。
その様子を背後に感じながら、アリオスが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。新聞をテーブルに放り投げ、躰を捻ると、オスカーの指先を口に含む。オスカーが息を呑んだ。
「っ・・・、いや・・・ああ、頼んだ。・・っ・・気にするなって。そうだ。じゃあな」
電話の相手に不審に思われながら、オスカーは話を切り上げ、電話を切る。そうして、自分の左手を愛撫する男を見遣った。
「なんだ。もっと話しててもよかったんだぜ?」
物言いたげなオスカーの視線を受けて、白々しくアリオスが言った。
「お前、大人気ないな、とか思わないか?」
呆れたようなオスカーの声は、それでもアリオスに煽られた所為で僅かな熱を孕んでいる。
「別に。オマエが電話してたってオレは構わなかったぜ?勝手にするからな」
どうしようもない宣言に、オスカーが絶句した。
 こいつなら、本気でやる・・・。
二年弱の同居生活の中で、そんな諦めのような悟りのような、できればあまり辿り着きたくなかった境地に達してしまったオスカーは、溜息を一つ吐くとさっさと気分を切り替えた。
「どうする?」
見越したようにアリオスがニヤリと笑って問い掛ける。言葉は問いかけだが、こちらを見つめる視線は、既に答えを知っていると雄弁に語っていた。
 別に、抱き合うのは嫌いじゃない。まだ日の高い時間から、などと野暮なことをいう神経も持ち合わせていない。なにより、悔しいが、アリオスからこうやって求められることに喜びを感じている自分がいることを否定できない。
 ならば、素直に溺れよう。
「そうだな・・・。とりあえず」
背凭れに浅く腰掛けたまま、躰を捻り、アリオスにほうへ身を屈める。
「とりあえず、何だ?」
「指じゃなく、ちゃんとキスしようぜ」
言葉尻を飲み込むように、唇が重なる。
 電源を切られた携帯電話が、放物線を描いて向かいのソファに沈んだ。



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