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A Day In The Life -8th.-




 そうだな、三時頃がいい。悪いが来て貰えるかい、お嬢ちゃん。
昼前にルヴァの家にかかってきた電話でオスカーからそう言われたアンジェリークは、ほぼ三時ぴったりにアパルトメントを訪れた。
 相変わらずリフトのチャイムの音はひび割れ、扉もギシギシと音を立てる。前に来た時よりも遥かに確固とした足取りで一番奥の部屋の前まで来た少女は、片耳を塞ぎながらブザーを押した。ブザーの音も変わらず大きい。
「やあ、お嬢ちゃん。本当なら迎えに行くべきなんだが、悪かったな」
前回よりも早く扉は開いた。中から出てきたのはオスカーだ。
「いいんです、全然。・・・なんだか、今日は二人とも雰囲気が違うのね」
オスカーと、続いて現れたアリオスの姿を見て、アンジェリークが首を傾げる。
 そうなのだ。初めて会った時も、先日ルヴァの家を訪ねて来た時も、洗いざらしのシャツやニット、ボトムもジーンズなどラフな服装をしていた二人が、今日はきちっと糊の利いたシャツにスラックス姿なのだった。緩めてはいるがタイもしているし、タイピンもつけている。手にはジャケットも持っていた。
「いい男は何を着ても似合うだろう?」
不躾なほど二人を見つめるアンジェリークに、オスカーが笑ってみせる。
「バカなこと言ってねぇで、行こうぜ」
呆れ顔のアリオスがアンジェリークの横をすり抜けた。
「バカなこととは失礼なヤツだな。・・・まあいい。時間も丁度いいしな」
腕時計をちら、と見て玄関の扉に鍵をかけたオスカーが、「行こうか、お嬢ちゃん」とアンジェリークを促す。
「え?あの、ピアスのことで私を呼んだんじゃ・・・?」
てっきり部屋に入って話を聞くものだと思っていたアンジェリークが驚いて、二人を交互に見上げると。
「もちろん。だが、その前に」
芝居がかった仕草でジャケットに腕を通したオスカーが、彼女に手を差し出した。
「優雅にアフタヌーンティーと洒落込むことにしようか」

 チャリングクロスロードに出て、ブラック・キャブを拾う。行き先はメイフェア地区、アルバマールストリートに面したブラウンズ・ホテル。ロンドンの中でも、豪華で格式のある一流ホテルのうちの一つだ。
 ホテルの正面玄関の前に止まったキャブからオスカーにエスコートされて降り立つと、アンジェリークは不安げな面持ちでオスカーを見上げた。婚約者と一緒にこういった格式のある店に来たことは何度かあるが、いまだ一度たりとも満足に淑女らしく振る舞えた試しがないのだ。自分のそそっかしさは筋金入りだと、自他共に認める彼女である。尤も、そのそそっかしさが、多くの人にとっては微笑ましく、また婚約者にとってはひどく愛おしいものに映ることを、彼女は気づいていない。
「そんな不安そうにしないでくれ、お嬢ちゃん。アフタヌーンティーを楽しむだけさ」
安心させるように、オスカーが肩を竦めておどけた調子で告げる。
 恭しくドアボーイが開けた扉をくぐり、ロビーへと足を踏み入れた三人は真っ直ぐにティールームに向かった。予約を入れてあるのか、すでに席が用意されている。
「実はもう一人ゲストを呼んであるんだが、到着はもう少しあとだろう。先にいただくとしようか。お嬢ちゃん、好きな紅茶は?」
「あ、ミルクティー・・・」
「茶葉のご指名はあるかい?」
アンジェリークが首を振ると、オスカーは向かいに座ったアリオスを見た。
「アッサム」
短く答えるアリオスに、オスカーが笑って、緊張した様子を隠せない少女に告げた。
「こいつは妙なとこで好みがうるさいんだ」
言いながら軽く手を上げて給仕を呼んだオスカーが注文を済ませて暫くすると、ウェッジウッドのティーセットとマッピンアンドウェッブのカトラリーがテーブルに並べられる。
明らかに緊張の度合いが増したアンジェリークだったが、次いでアンティークのワゴンに乗せられた銀の三段トレイを目にした瞬間、パッと顔が明るくなった。
 トレイに乗せられたケーキをじっくりと見たアンジェリークはアップルパイとピラミッド・ウォールナッツ・ガナッシュを選んだ。甘い物があまり得意でない男二人はそれぞれスモークサーモンのサンドイッチとプレーンなスコーンを選ぶ。
 嬉しそうにミルクティーとケーキを口に運ぶアンジェリークと、満足そうにそれを見るオスカーの会話が弾んだ。
 二〇分程経っただろうか。
 アンジェリークが、アップルパイを半分ほど食べた頃だった。それまで黙っていたアリオスが不意にティールームの入り口の方を見遣り、オスカーに顎で指し示した。入り口に姿を現した人物を確認したオスカーが、そんなことには全く気づいていないアンジェリークに声をかける。
「お嬢ちゃん、もう一人のゲストが到着したようだ」
「え・・・?」
その言葉に促され、アンジェリークが入り口に目を向けた。
「・・・!!」
 次の瞬間、彼女はガタッと立ち上がった。アフタヌーンティーを楽しんでいた他の客が一瞬何事かと振り返るが、そこは格式あるティールーム、すぐになんでもないように視線が戻される。
 迷いもなく、こちらに向かって歩いてくる人物。他のテーブルの客の中には、彼に向かって軽い目礼をする者もある。
「ジュリアス様・・・」
呆然とアンジェリークが呟いた。
 ジュリアス・バーリントン子爵。いずれ父の爵位を継ぎ、バーリントン公爵となる人物で、噂の、アンジェリークの婚約者である。ロイヤルファミリーとも血縁がある、イギリス屈指の大貴族の一人だ。
 テーブルの前まで来たジュリアスが、驚きに固まっているアンジェリークを真っ直ぐに見つめて口を開く。
「アンジェリーク・・・。心配していたのだぞ」
厳しい口調ながら、本当に心配していたことが窺える声だった。
「ごめんなさい・・」
俯いてか細い声で謝る少女に、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。それから気づいたように、少女の両脇に陣取る男たちに視線を向ける。
「わざわざご足労願い恐縮です、バーリントン子爵。急なお誘いで申し訳ありませんでした」
 オスカーが立ち上がり、挨拶した。アンジェリークの向かいの椅子を勧める。
「今朝電話をくれたのはそなただな。・・・あの電話の後、ルヴァから聞いた。事情はよく知らぬが、アンジェリークの為、そなたたちが力を貸してくれたのだとか。礼を言おう。ミスター・ホウエンシュタイン、ミスター・アルヴィース」
その言葉に咽たのが、アリオスだ。
「色々動いたのはコイツの方で、別にオレは何もしてねぇよ。そのミスター・・ってのは止めてくれ。アリオスでいい」
大貴族を前に、無礼極まりない口調だが、ジュリアスは特に気分を害した風でもなくアリオスに向かって頷いた。オスカーの方にも向き直って尋ねる。
「そなたもそう呼んだほうがいいのか?」
「そうですね。オスカー、と呼ばれたほうが気分的にしっくり来ます」
「承知した」
ジュリアスが頷いたのを確認して、さて、とオスカーが座りなおした。
「勿論、あなた方をここまで連れ出したのは、アフタヌーンティーを楽しむためだけではありません。彼女から受けた依頼の結果報告の為です」
 ノリにノッてやがる・・・。
ティーカップを口に運びながら、アリオスは心の中で呟いた。基本的に手の込んだことが好きなオスカーは、この、映画にでも出てきそうなシチュエーションを大いに楽しんでいるようだった。
「一体、彼らに何を頼んだというのだ、アンジェリーク?」
その問いに、アンジェリークがびくっと肩を揺らした。
 真面目で不器用な人なんだな・・。
ジュリアスの言葉を聞いてオスカーが下した人物評である。
 ジュリアスの声に責めるような厳しさはない。俯いたまま自分の方を見ようとしないアンジェリークに対する愛情と、それ故の心配が滲み出ている。けれど、言葉の表面だけを見れば厳しい言い方であり、その声に滲むものまで感じ取れというのは、予測外の出来事に不安と困惑でいっぱいになっている少女には酷な話だった。
「お嬢ちゃん」
 ここは助け舟を出してやらねばならないだろう。自分が傍にいながら、このまま彼女に涙を流させるなど、オスカーのプライドが許すはずもない。
「子爵は君をとても心配してらっしゃるだけさ。恐がることなんて何もない。約束しただろう?」
まるであやすような優しい言葉に促され、アンジェリークが顔をあげた。正面でじっと自分を見つめるジュリアスに向かって、恐る恐る口を開く。
「あの、ジュリアス様。あの・・・・実は・・・」



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