記事一覧

A Day In The Life -9th.-




 天気予報では今日は珍しく三〇度近くまで気温があがる、と言っていた。
気温は高いが風があるため、窓を開けておくと丁度いい。一日中晴れ、という予報を見たオスカーが、昨夜先にベッドを占領したアリオスを蹴り起こし、はりきってシーツを洗濯した為、現在アリオスは不機嫌な様子でリビングのソファにだらりと横になっている。
「いい歳して何不貞腐れてるんだ、お前は」
向かいの一人掛けのソファに座り、雑誌に視線を落としていたオスカーが不意に顔をあげ、呆れた様子で声をかけた。
「気持ちよく寝てるところを蹴り起こされりゃ、誰だって機嫌悪いに決まってるだろーが」
全く以てその通りなのだが、上機嫌のオスカーには通用しない。
「こんないい天気なんだ。寝て終わるなんて勿体無いだろ?」
「起きたって別に何にもしてねぇだろ」
「なら天気がいいからこそ出来る事、何かするか?」
 ローン・テニスとかな。
オスカーが部屋の片隅に置かれたラケットを指差す。
「遠慮しとくぜ」
アリオスはぶっきらぼうに短く答えて眠る体勢を取った。それを見てオスカーが小さく笑う。
 オスカーが上機嫌なのは、何も天気がいいからだけではない。ここ一週間ほどの懸案事項、アンジェリークのピアスの件が、昨日思惑通りに大団円を迎えたからだった。

 「ごめんなさいっ!」
しばらく言葉を捜していたらしいアンジェリークは結局、テーブルに額をぶつけそうな勢いで謝罪の言葉を口にした。
「私・・・私、ジュリアス様に頂いたピアス・・・片方失くしちゃったんですっ!」
深く頭を下げたまま、堰を切ったようにアンジェリークは話し始める。金色の髪が食べかけのアップルパイにつきそうで、面倒臭そうながらもさり気無くアリオスが皿の位置を動かした。
「ジュリアス様が前に、お母さまの形見だって見せてくださった時からすごく憧れてて。下さるって言われた時は、ほんっとうに嬉しくて。ほんとにほんとに、嬉しかったんです。大切にしようって思ったんです。嘘じゃありません」
 言いながら、ぎゅっとテーブルクロスを握り締めるものだから、テーブルの上のカトラリーがカチャカチャと音をたてる。
「すごくいいものだってわかってたし、絶対に代わりなんてないものだって、気をつけなきゃいけないって思ってたのに、私ったら、どうしても着けてみたくて。そしたら、気がついたら片方失くなってて・・・。本当に、ごめんなさいっ!折角ジュリアス様が下さったのに・・」
更に握り締める手に力が入った所為でアンジェリークの方へ引っ張られそうになるクロスを、オスカーが苦笑しながらそっと押さえた。
「それで、何でも屋さんにお願いして・・・」
 「何でも屋」という言葉にアリオスが嫌そうに目を眇めたことに気づいたのは、向かいに座っているオスカーだけである。
「ルヴァのところへ行ったのも、それが原因なのだな?」
静かに確認するジュリアスに、アンジェリークがこくんと頷いた。
 それを見て、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。アンジェリークは呆れられたに違いないと思っているが、そうではなく、安心した為だというのは傍で見ているオスカーとアリオスには一目瞭然である。
「顔を上げてくれ、アンジェリーク」
 落ち着いた、優しい声だった。
ゆっくりとアンジェリークが顔を上げると、ジュリアスが苦笑していた。
「そなたは、そんな些細なことで私をこんなにも心配させていたのだな。らしいと言えばらしいが・・・」
 責めているのでも呆れているのでもないことは、さすがにアンジェリークにも伝わった。
「あの、怒ってらっしゃらないんですか・・・?」
恐る恐る尋ねる婚約者に、ジュリアスは僅かに笑って首を振ってみせる。
「形あるものはいつかは必ず失われるものだ。失くしたにせよ、壊れたにせよ、な。確かに、あれは母の形見だ。想い出もある。だが、私はあのピアスに想い出を記憶しているわけではないのだ。ピアスが失われても、別に想い出が私の中から失われたわけではない」
 それよりも、おまえに何かあったのではないかと思うことの方がよほどつらい。
その言葉に、アンジェリークの眸から大粒の涙が零れた。
 女性の涙は絶対阻止、が信条のオスカーだが、この涙は別次元である。口を挟むなんて野暮なお節介はしない。
「今日は、ルヴァの所ではなく、私と共に邸に帰るな?」
優しい確認に、アンジェリークが何度も頷いた。
 これが映画だったら、周囲の客から拍手が起こりそうなハッピーエンドである。
「それじゃ、結果報告といこうか」
それを待っていたオスカーが口を開いた。ハッピーエンドを、更に完璧なハッピーエンドにする為の行程がまだ残っているのだ。
「残念だが、俺たちにはピアスは見つけられなかった」
その言葉に、アンジェリークが肩を落とした。
「やっぱり・・・そうですよね」
 無理なお願いしてすみませんでした。
アンジェリークがそう頭を下げようとするのをオスカーは遮った。
「おいおい、ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん。俺は約束したはずだぜ?」
片目を瞑り、悪戯でもするかのようにオスカーが笑う。
「必ず、君の許に二つピアス揃えるってな」
「でも、見つからなかったって・・」
「見つかるわけがねぇんだよ。・・・持ち主が持ち歩いてんだからな」
アリオスが足を組みながら呆れたように告げた。
「え・・?」
「お嬢ちゃん、鏡を持ってるかい?」
唐突なオスカーの質問に、アンジェリークが首を傾げる。指示を求める様に見回すと、向かいに座ったジュリアスの視線が、ともかく言うとおりにしてみればいい、と言っていた。
「持ってます。ポーチについてて・・」
 バッグから小さなバニティタイプのポーチを取り出す。ポーチを開けると確かに中に鏡がついている。
「済まないが、中身を全部出してみてくれないか。」
「はい」
言われるままに、中身を出していく。脂取り紙、リップクリーム、折りたたみ式ブラシ、ニキビ用の塗り薬・・・その他諸々。
「それ、逆さにして振ってみろ」
ポーチの中が空になったのを見て、アリオスが指示した。
「逆さに・・・・・・・・えぇーっ!?」
 周囲の客が再び振り返った。アンジェリーク、とジュリアスが嗜める。アンジェリークが慌てて口を押さえた。
 簡単だった。
アンジェリークがポーチを逆さにして振った途端、内ポケットからテーブルの上に落ちたのは、紛れもなく探し物のピアス。
 クラヴィスの占い通り、探し物は持ち主の傍で鏡と共に眠っていたのである。
「私、またやっちゃったの・・・?」
呆然と呟くアンジェリークに、オスカーが告げた。
「約束は、確かに果たしたぜ?お嬢ちゃん」

 その後の、顔を真っ赤にして謝り倒すアンジェリークの姿を思い出してオスカーはクス、と笑みを零した。あれでは、子爵もこの先大変だろう。彼女に非の打ち所のないレディを求めるのは一生無理に違いない。だが、本音と建前が交錯する社交界に於いて、アンジェリークはきっと誰もに愛される公爵夫人になるだろう。その前に"h"の発音だけは、練習したほうがいいかもしれないが。
 オスカーは読んでいた雑誌を閉じると時計を見た。二時を少しまわっている。これからコーヒーを淹れて一息入れたら、日光をいっぱいに受けたシーツとブランケットを取り込んでベッドメイキングをしよう。当然、今夜のベッドは自分が占拠するつもりだ。干したてのシーツの気持ちよさを譲ってやるほど、オスカーはお人好しではないのだ。向かいのソファで眠る同居人には、なんならこのまま存分に眠り続けてもらってもいい。
 オスカーはマガジンラックに雑誌を放り入れると、コーヒーを淹れるべく立ちあがった。



01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 31.5