記事一覧

A Day In The Life -1st.-




 ソーホーとコヴェントガーデンをわけるチャリングクロスロードを一本ソーホー側に入ったグリークストリートの中程、ソーホースクエアに程近い場所にそのアパルトメントはある。築三〇年は経っていそうな建物だが、レンガ造りの壁に蔦が絡まる様子はこの都市の雰囲気に合っていて、トッテナムコートロードステーションに近い地の利も手伝い、空き室があってもすぐに埋まる人気物件だ。
 その人気物件の最上階、五階の一番奥の部屋のドアに、小さな表札がかかっている。白いプラスチックの板に油性ペンで殴り書きされた文字は"Private Detectives." よく見るとその文字の下に乱雑に拭き消された"Anything is done"という文字の跡も見て取れる。「私立探偵」と「何でも屋」では随分意味合いも違ってくるが、二つの文字の筆跡が違うところを見ると、どうやらこの部屋の住人の見解の違いのようだった。
 天気はいいものの、空気がじんわりとまとわりついてくる様な湿度の高いある日の昼下がり。
 時代もののリフトがひび割れた音のチャイムを鳴らして最上階に止まった。次いでギシギシだかミシミシだかわからない、どちらにしろ利用者の不安を煽る様な音を立ててリフトの扉が開く。
 中から出てきた少女はきょろきょろと廊下を見回しながら歩を進め、やがて一番奥の部屋の前で立ち止まった。
「ここだわ・・」
呟きと一緒にギュッと握り締められた手の中にはクシャクシャになったメモ用紙。どうやら此処の住所が書かれているようだった。
 小さな表札の横にはシンプルなブザーがついている。少女は恐る恐るそれを押した。
途端、リフトのチャイムよりもひび割れた音が響き渡り、彼女は慌てて指を離した。
「なんなの、これ」
 必要以上に音量が大きい。これでは近所迷惑だろうに。
そんなことを思っていると、目の前のドアがガチャッと開かれた。
「・・・なんだ、ガキの悪戯か?」
中から出てきた長身の銀髪の男は彼女を一目見るなりそう言った。
「なっ・・・、ガキじゃありませんっ!」
瞬時に顔を真っ赤にして怒る少女に男が可笑しそうに笑う。
「わかったわかった。で?何の用だ」
鬱陶しそうに髪をかきあげながら問われ、彼女は窺うように言った。
「ここが何でも屋さんだって聞いて・・・」
そのセリフを聞いた途端、男はきびすを返してドアを閉じようとした。少女は慌ててドアを掴み、それを阻止する。
「ちょっ、なんで閉めるんですかっ!?」
「悪いが、何でも屋になった覚えはねぇんだよ」
「だって、この表札に書いてあるじゃないですかっ!」
「消してあるだろーが。別にオレが書いたわけじゃねぇ」
「じゃあ、書いた人出して下さいっ!」
「出掛けてていねぇよ」
「なら、待ってますからっ」
「邪魔だ」
「ここならどうにかしてくれるって聞いて来たのにっ!」
「誰だ、んな無責任なこと言いやがったのは」
 長閑な昼下がりに不釣合いなドアの引っ張り合いが繰り広げられていると、リフトのチャイムが鳴った。相変わらずギシギシと危険な音を立てて扉が開き、中から長身の赤毛の青年が出てくるが、ドアの攻防戦真っ最中の二人はそれに気づかない。否、銀髪の男の方は気づいているが、特に反応を示さなかっただけか。
 リフトから出てきた青年は、少女のすぐ後ろで立ち止まった。
「・・・可愛らしいお嬢ちゃん相手に、何やってるんだ、お前は」
少女の頭上高くで声が響く。彼女が驚いて振り返ると、赤毛の青年が彼女に向かって微笑んで見せた。
「まるでオレがこのガキ苛めてるみてぇな言い方はよせ」
不機嫌そうに銀髪の男が言う。
「ガキじゃないですってば!」
即座に反論する少女に、赤毛の青年が苦笑する。どうやら食料品の買い出しに出ていたらしく、焼きたてのパンやフルーツの入った紙袋を持ったまま肩を竦めると腰を折り、自分の肩の高さにも届かない少女と視線を合わせた。
「生憎、今この部屋はお嬢ちゃんを通せるような状態じゃないんだ。お嬢ちゃん、アイスクリームは好きか?」
唐突な質問に、彼女は首を傾げながら頷いた。
「それはよかった。ここから一五分程歩いたところに、ニールズコートビーチカフェって店がある。これからちょっと散歩がてら美味いアイスを食べに行くとしよう。」
 勿論、三人でな。
そう告げられたセリフに、「大の男が二人も行くか?アイスクリーム食いに・・・」と銀髪の男が呟いた。
 
 
 
 銀髪の男の呟き通り、パステルカラーの店に頭二つは抜き出た長身の男が二人もいる様は人目を引いた。よりによって窓際のテーブルに陣取ったものだから、店内だけでなく外の通りからも興味津々の視線が突き刺さる。辟易した銀髪の男はわざとらしく音を立ててアメリカンコーヒーを飲んでみるが、この「おやつの時間」の提案者とトリプルアイスに目を輝かせている少女には全く通用しなかった。
「ここのアイスは美味いだろう?お嬢ちゃん」
「はいっ!でも奢って貰っちゃってよかったんですか・・・?えーと・・・」
「ああ、まだ名乗ってなかったな。俺はオスカー。で、こっちの無愛想な若作りがアリオスだ。」
「若作りは余計だ」
不機嫌そうに在らぬ方を向いてコーヒーを啜っているわりに、ツッコミ所は外さない男である。
「あの、私はアンジェリーク。アンジェリーク・リモージュです」
丁寧にスプーンでアイスクリームを掬いながら、少女はそう名乗った。
「アンジェリーク、か。お嬢ちゃんにピッタリの名前だな」
 ふわふわと揺れる金の髪といい、美味しそうにアイスを頬張る姿といい、その姿は、さながら無邪気な天使そのものだ。
「で?そのフランス人のガキがどうして、わざわざロンドンまで来てオレ達に何の用だ」
放っておくと、あと一〇分は続くに違いない女性賛美主義者のセリフを断ち切って、アリオスは不機嫌度三割増の声で言い放った。
「え、どうしてフランスから来たってわかっちゃうの・・・」
明らかにフランス名前であるが、それだけならフランス系イギリス人ということも有り得る。
「hの発音に無理がある」
 フランス人が外国語をマスターする上で最初に引っかかり、そして最後まで引っ掛かり易いのが、"h"の発音だ。
極端に言えば、この発音がいかに自然かどうかでフランス語を母国語としている人間かそうでないかの区別はつくと言ってもいい。
 いっつも先生に注意されるのよね。やっぱり私、語学ってダメ・・。
ぶつぶつと独り言で自分の発音を反省するアンジェリークに、アリオスは溜息をついた。
 この調子では話を進めるのに一々脱線しそうである。
忍耐心というものとはかなり縁遠い性格のアリオスは、また在らぬ方を眺めてコーヒーを啜り出した。「オマエが進めろ」という赤毛の相棒への意思表示である。
 その様子に肩を竦めてオスカーが切り出した。ちなみにこちらは、ちゃんとアンジェリークにつきあってアイスクリームを食べている。一番シンプルなバニラアイスの、当然シングルではあるが。
「お嬢ちゃんの発音は、これから直していけばいいことさ。それよりも、俺たちに何か頼みがあるんだろう?」
そう促すと、アンジェリークは神妙な顔で頷いた。
「見つけて欲しいものがあるんです・・・」
 
 
 
 アリオスの予想通り、一々脱線とその度の軌道修正を繰り返した結果、アンジェリークの話は三〇分程に及んだ。普通に筋道だてて話せば五分もあれば済む話である。
 要約すると話はこうだ。
五日前、ロンドンの知人の所へ遊びに来た彼女はその知人からピアスを貰った。その知人の想い出の品だというそれは、以前から彼女が着けてみたいと思っていたもので、当然彼女は、本人曰く「もう一生フルーツパフェが食べられなくてもいい」と思うほど喜んだ。想い出の品というだけでなく、小振りだが質の良い宝石が使われたピアスは普段使いには向いていないとわかっていたが、一昨日、「一日だけ」と彼女はそれを身につけ、出掛けてしまった。
「で、案の定、気づいた時には片方が失くなっていた、と」
「・・・その日行った処、全部捜してみたんですけど、見つからなくて」
 これなんです、とバッグから取り出して、テーブルの上に置かれた、片方だけのピアス。
粒は小さいが透明度の高い上質なダイヤとルビーで飾られたそれは、キャッチまでいれても直径が精々二センチ弱といったところか。
「こんな小さな、しかも何処で落としたかもわからないモンを捜せって?無茶言うな」
確かにその通りであるが、直球過ぎて身も蓋もないアリオスの断言に、アンジェリークは項垂れた。
「やっぱり、そうですよね・・・」
だが、大きな眸に涙を溜めながら「ごめんなさい、無理なこと言って」とピアスをしまおうとしたアンジェリークの手よりも先に、オスカーの手がそれを取った。
「おいおい、誰も依頼を断るなんて言ってやしないぜ?お嬢ちゃん」
オスカーは悪戯っぽく片目を瞑り、手にしたピアスを揺らしてみせる。
 出やがった・・・。
アリオスは片手で額を押さえた。アパルトメントの部屋の前で、アンジェリークを帰す前にオスカーがリフトから降りてきたのを見た瞬間から、たぶんこうなるだろうと諦めてはいたのだが。
「お嬢ちゃんに、曇った顔は似合わないからな。君の笑顔の為なら俺たちは努力を惜しまないさ。」
 勝手に「俺たち」にするな・・・。
そうツッコミを入れたいが、言ったところでこの状態に突入したオスカーに何を言った所で無駄な労力を費すだけなので、敢えてアリオスは沈黙を守った。
「それじゃあ・・・」
アンジェリークの顔がぱっと輝く。
それを満足そうに見て、オスカーが断言した。
「必ず、このピアスを二つ揃えて君の許へと届けよう。だから、悲しい顔などしないでくれ、天使の名を持つ可愛らしいお嬢ちゃん」
 隣りで額に片手をあてたまま、アリオスが深々と溜息をついた。



01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 31.5