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A Day In The Life -15th.-




 軋む躰に鞭打って、オスカーはそっと起き上がった。まだ外は暗く、陽が射しこんでくるまでにはもう暫く時間があるだろう。
暗闇に目が慣れてくるのを待って、隣りで眠るアリオスの顔を見下ろす。
 魘されているわけでもないのに、険しい寝顔。
とてもではないが抱き合った後、恋人を腕に抱いたまま眠る男の表情とは思えない、孤独な顔に見える。
 その顔を暫く眺めて、オスカーはそっと溜息をついた。手荒に抱かれた躰は、たったそれだけのことにさえ、微かに軋むような痛みを覚える。
 お前、人のこと何だと思ってるんだ。
冗談でならば幾らでも言えるセリフも、こんなときには口に出せない。
 昨日、レイチェルとアンジェリークが帰った後も、アリオスの様子は落ち着かなかった。
苛々と歩きまわり、「どうしたんだ」と問えば「何でもねぇ」とドカッとソファに腰掛ける。だが、十分も経たないうちにまた落ち着かない様子で立ち上がる。それをしばらく繰り返した後、「ちょっと出てくる」と外へ行き、アルコールの匂いを漂わせて帰ってきた時には既に日付は変わっていた。
 酒には滅法強い筈のアリオスの足元が、僅かにふらついているのを見て寝室まで支えてやったオスカーが、「ベッドは譲ってやるから、寝ちまえよ」と言い終わらないうちに、荒々しく抱き締められた。いつものような軽い言葉の応酬も何もない、ただのセックス。
 前後不覚寸前の男にいいようにされる趣味など、当然オスカーには皆無だったが、ここでアリオスを突き放してはいけない気がして好きにさせた。こちらの躰を全く慮らない、労わりの欠片もない行為はオスカーにとっては快楽とは程遠いもので、傍若無人に見えてもいつもはこちらのことも労わってくれてたんだな、と妙に醒めた頭で考えたりもした。
 喉が渇いていたが、ベッドから出るには腰にまわされたアリオスの手を外さないわけにはいかず、けれどそうすれば恐らくアリオスは目を醒ましてしまうだろう。
仕方ない、と静かに息を吐くとオスカーはもう一度ゆっくりとした動作でベッドに横になった。
 ぐっと近くなったアリオスの顔を見ているのが、ひどくつらいことに感じるのは何故だろう。
アリオスから視線を逸らし、天井を見つめながらオスカーは思う。
 エリスって、誰なんだ・・・?
なんの飾りもなく、直球でそう訊けたならすっきりするのだろうか。それとも、今まで上手くやってきたと思っていた二人の関係が壊れるのだろうか。
 ホントにお前は不器用なヤツだな。
過去の傷を見せて欲しいなどと言うつもりはないのだ。触れられたくないのなら、何食わぬ顔でそっとしておいてやるくらいの度量は持ち合わせているつもりだった。現在の恋人、という身分を盾に、隠そうとするものを無理矢理穿り返して曝け出させる趣味はない。
 触れられたくないのなら、隠しとおしてくれればいいのに。
なのに、不器用なこの男は中途半端な隠し方しかできないのだ。隠したいと思っているくせに、欠片をオスカーの前に落としていく。目の前に、恋人の過去の切れ端をちらつかされるこちらの身にもなって欲しいものだ。聖人君子ではあるまいし、そっとしておく度量は持ち合わせていても、その為には強い自制を要求される。誰だって、恋人の過去の何もかも、できることなら知りたいと思うのが当たり前なのだから。
 もしも、アリオスのこの不器用な隠し方が、何も訊かずにそっとしておいてやるオスカーに対する無意識の甘えなのだとしたら。
 随分性質の悪い男を好きになったもんだ、俺も。
はぐらかすような苦い笑みがオスカーの口許に浮かんですぐに消えた。
 初めて逢った頃は、こんなに不器用な男だとは思わなかった。アリオスの一見近寄りがたいクールな雰囲気は、この男の不器用な側面を隠すのにも役立っていたのだ。公園のベンチで目が合って、その、珍しい金と翠のオッドアイの美しさについ見入ったのがすべての始まり。その時はまさか、この自分が男に惚れるなんて思いもしなかったが。
 気が合って、強い酒も気兼ねなく飲める恰好の飲み友達になって。そうやって気を許すと少しずつ、アリオスの不器用な面も見えてきた。
 初めて抱き合ったとき、思いのほか優しい指先に内心随分と驚いた。それが、女性相手ならば経験豊富だが、抱かれるのは勿論、同性とそういった行為に及ぶのも初めてだったオスカーに対する気遣いであることは間違いなかった。もっと荒々しい抱き方をするのかと思っていた、と告げたオスカーに、「うるせぇ」とぶっきらぼうに返したアリオスが、実は照れたような、バツの悪そうな顔をしていたことを知っている。
 降ろしたブラインドの隙間からうっすらと光が射し込んできて、オスカーはもう一度アリオスの顔を見た。
 光を反射する銀の髪が何故だか遠く感じられる。すぐ目の前にあるはずなのに。
昨日まで、何よりも近くに感じていた体温が、こうして密着している今でさえ、作り物のように遠く感じるのは何故だろう。
 二年も一緒に暮らしていて、何度も魘される場面に遭遇しながら未だ明かされることのない悪夢の内容と、繕うことさえできないほど動揺した「エリス」という存在、そしてその「エリス」を彷彿とさせたのだろう、アンジェリークとの出逢い。
 いつか、俺に話したいと思う日が来るのか?
問えるものならそう問いたい。それとも、いつまでも、そ知らぬ顔をして逃げ道を作ってやればいいのだろうか。けれどそう思うよりも先に、自分に選択肢はないのだと、オスカーは知ってしまっていた。
 一度作ってやった逃げ道を、自らの手で断つような真似はできない。それは裏切りに他ならないと思うから。
 何があろうと、そ知らぬ顔で接してやる。まずは、射し込む光にもうすぐ目を醒ますだろうアリオスの為、疲れ果ててずっと眠り続けていた振りをする。昨夜の乱暴な行為に、ぎこちない謝罪を口にするだろう男に、いつものように軽口で返してやる。
 何気ない軽口の応酬。当たり前だったはずの昨日までの日常が、たった一晩でひどく遠くなったと感じることに、疲れたような笑みを浮かべ、オスカーは眸を閉じた。



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