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A Day In The Life -19th.-




 オスカーはその日、一人でふらりと外を歩いていた。
部屋で二人で過ごす時間が、つらかったからだ。どこかセリフでも読んでいるかのような会話も、重い沈黙も。
 二人で部屋で時間を過ごして、言葉を交わさないことなどよくあった。互いに雑誌を読んでいたり、思い思いのことをして過ごしていたのだ。それでも、そこにあったのは沈黙ではなく静寂だった。ほんの数日前までは、気づけば時間は流れていたが、今は時計の針が一秒一秒刻むのをじっと息を殺して待っているような、そんな息苦しさがあった。
 シャフツベリーアベニューの端にあるフルーズという雑貨屋を覗いて出てくると、オスカーは通りの向こうから歩いてくる人物に気づいた。向こうもこちらに気づいたのか足を止める。
「あら、何でも屋さんではありません?」
「これはこれは、ルヴァの大事なお嬢ちゃん。ご機嫌はどうかな?」
「おかげさまで、大変よろしくてよ」
ルヴァの家で一度会った、ロザリア・デ・カタルヘナだった。日傘を差して歩く姿が旧伯爵家の令嬢らしい雰囲気を湛えている。
「今日はお一人なのね」
「男が二人でずっと行動しているほうが好きかい?」
「ふふ、それもそうですわね」
「さて。折角出会ったんだ。俺としては、美しいお嬢ちゃんにコーヒーの一杯でも奢らせて頂きたいんだが。コーヒーはお嫌いかな?」
オスカーがそう言うと、ロザリアはいいえ、と首を振った。
「では、ご一緒しましょう」
恭しく一礼するとオスカーは歩き出した。

 出会った場所から一〇〇メートルほどの所にあるモンマス・コーヒー・ハウスはテーブルが五つしかないこじんまりとした店だ。店の二階で挽いているコーヒーは、様々な種類が揃っている。好きなコーヒーを選び、それを自家製の小さなチョコレートと一緒に楽しむのがこの店のスタイルだった。
 コーヒーのほろ苦い香りが鼻腔を擽る。
「おっちょこちょいなお嬢ちゃんは元気かい?」
「ええ。すっかり元気ですわ。ピアスの一件はほんとに呆れましたけど」
 今はバーリントン邸に戻って相変わらず淑女になりきれない生活を送っているらしい。
「ジュリアス様も苦労なさいますわ」
 まあ、渋い顔をなさっていてもあの方にはそれが幸せなんですけれど。
コーヒーカップをソーサーに戻しながにロザリアが言うと、オスカーが苦笑した。
「バーリントン子爵と元々知り合いだったのは君のほうだった、と聞いたが」
「そうですわ。ジュリアス様とは小さな頃からお知り合いです。アンジェリークは三年前にジュリアス様が私の家にいらした時に紹介したんですわ」
 春先のガーデンパーティーで、おそらくは運命的とも言える出逢いの場に、ロザリアは立ち会った。親友が、一目で恋に落ちたことは彼女の目には明らかだった。
「だからそれからは、私がロンドンへ行く時は必ずあの子を一緒に連れていきますの。ジュリアス様がパリへいらっしゃる時は、必ず家に呼びますし」
積極的に親友の恋の成就に一役買ってやった、ということなのだろう。
「だが・・・。失礼かもしれないが、元々は君が子爵の婚約者になる予定だったんじゃないのかな」
 家柄の点で言っても、ロザリアならば申し分ない。バーリントン家のような大貴族が、極々一般の家庭の娘を迎え入れると決まるまでは紆余曲折があったに違いない。
「ええ、仰る通り。でも、私は、ルヴァ様に出逢ってしまいましたから。すべては丸く収まっておりますの」
 子爵は普通の少女を愛し、婚約者になるはずだった旧伯爵家の令嬢は優秀なんだか違うのか、今一つ判別のつかない学者を好きになった。当事者同士がタッグを組んで身分違いの二大ロマンスを成就させたのだろう。
「子爵よりルヴァ、ねぇ・・」
コーヒーカップに口をつけながら、オスカーは考え込むように呟いた。ルヴァの人間的な魅力はオスカーも充分承知しているが、あの子爵と並べば、普通はどうしても子爵の方に目が行くだろう。
「ジュリアス様のことは尊敬しておりますわ。小さな頃からあの方は私の目標でしたし、これからもあの方は私の道標です。でも、護りたい、と思うのはルヴァ様ですわ」
「護りたい・・・?」
「恋人って、そういうものではありません?相手を護って、護られて」
 ロザリアの言葉が、響く。
自分はどうだろう、とオスカーは思った。
 アリオスのことを、護ってやりたいと、思っているのだろうか。
意識したことなどなかった。自分たちは恋人、というよりも相棒、という言葉の方がしっくりくると思っていたが、そこに紛うことなき愛情が存在するのも確かだ。安心して背中を預けられるような、そんな相手だと思っていた。相手の強さを認めてもいる。けれど、時折見せるその不器用な面を、護ってやりたいと、そう思ったことはなかったか。
 夢に魘される男を、そ知らぬ顔で起こしてやっていたのも。
 今も、明らかに茶色の髪の少女に惹かれていることに気づきながら、何も言わずに男の感情の整理がつくのを待っていてやっているのも。
すべては、アリオスの不器用で繊細な面を傷つけたくないと、護りたいと、感じていたからではなかったのか。
「ルヴァ様に伺いましたけど、貴方は恋愛のエキスパート、なんでしょう?こんな話は今更でしたわね」
「いや。とても興味深い話だったよ、お嬢ちゃん」
「その、お嬢ちゃん、というのはできればやめて頂きたいですけれど・・」
 カフェを出ると、ロザリアは日傘を差し、コヴェントガーデンの方へと足を向けた。
五、六歩進んだところで振り返る。
「よくわかりませんけれど、元気をお出しになってね、何でも屋さん」
 どこか沈んだ空気を気づかれたらしい。
女性にそんな心配をされるようでは失格だな、と苦笑しながらオスカーは頷いた。



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