記事一覧

A Day In The Life -7th.-




 キングサイズのベッドで先に目を醒ましたのはアリオスだった。しっかりと、オスカーの腰を抱いて眠っていた自分に苦笑する。確か、昨夜は機嫌を損ねたらしいオスカーに、「一緒に寝るだけだ、触るな」と言われて「別にかまわねぇよ」と答えたはずだったのだが。眠りに落ちたときは、自分の躰はオスカーに触れていなかったはずだったが、習慣なのか本能なのか、眠っている間にしっかりと密着していたようである。
 昨夜、ソファで寝る宣言をしていたはずのオスカーは、結局シャワーを浴びた後寝室にやってきた。同じベッドで寝るからといって必ずしも抱き合うわけではない。別に盛りのついた歳でもないし、たまにはこうやって互いの体温を感じながら眠る日もあるのだ。
 日はだいぶ高い所にあった。時計を見れば午後一時をまわっている。そんなに遅くに寝たわけでもないのに、随分とたっぷり睡眠をとってしまったらしい。
 アリオスはのろのろと起き出した。オスカーを起こそうか迷ったが、別に時間に追われているわけでもなし、そのままにしておく。どうせ、アリオスが動き出した気配で直に目を醒ますだろう。
 バスルームで顔を洗い、キッチンで水を飲んでいると、オスカーが起き出して来た。
「よう」
水の入ったグラスを掲げて挨拶すると、オスカーは、ああ、と生返事をした。寝すぎて眠いのか、眠気を払うように首を回すと、なんとなく辺りを見回して尋ねる。
「朝飯・・・もう昼か。どうする?」
「さすがに腹は減ってるな」
「だが、今のこの部屋にすぐに食べられそうなモンは置いてないぞ。今日買い出しに行くつもりだったからな」
パン一枚すらない。冷蔵庫の中は空に近い。とりあえずは、外に出るために着替えた方がよさそうだった。
「出掛けがてら、腹ごしらえしてこうぜ。買い出しは帰りでいい」
アリオスがシャツに腕を通しながら言う。
「出掛けるって一体、何処行く気だ、アリオス」
「あのガキのピアス、本物見つけたいんだろ?」
「・・?」
 オスカーにつき合わされている、というスタンスを崩さなかったアリオスが自分からアンジェリークのピアスの件を口にするのが意外で、訝しげに見つめるとアリオスが行く先を告げた。
「我らがホームズの所へ行くとしようぜ」
その行き先に、オスカーが思いきり嫌そうな顔をする。
「あの非科学的の極致みたいなのの、どこがホームズなんだ」
「当たるんだから、いいじゃねぇか」
 とっとと着替えろ、と急かすアリオスに、オスカーは渋々とサマーニットに手を伸ばした。

 アパルトメントの近くにあるポロというレストランで遅めの昼食を摂った後、トッテナムコートロードからセントラルラインに乗り、ボンドストリートでジュビリーラインに乗り換えて一駅。ベイカーストリートステーションから歩いて五分ほどの所に、目的地はあった。すぐ近くにはベイカーストリート二二一b番地、本物のシャーロック・ホームズ博物館がある。
「珍しい。特に、オスカー、貴方がいらっしゃるなんて」
「別に、来たくて来たんじゃない」
二人を迎え入れた人物の言葉に、憮然とオスカーが返す。
 ここの家主であるリュミエール・テュラムは、オスカーの大学時代の知り合いである。友人、というと本人が否定するが、傍から見れば友人の部類に入るだろう。オスカーとアリオスの関係を知っている数少ない人物の一人でもある。オスカーは相性が悪いと敬遠しているが、実際会えば然程仲が悪いようには見えない。学生時代から絵画や音楽に才能を示した彼は、この家で居候の世話を焼きながら、絵を描いたり、近所の子供たちにハープを教えたりして暮らしていた。リュミエールの描く風景画は人気が高く、近々画集も出るらしい。
「いないわけねぇだろうが、ホームズはいるか?リュミエール」
 アリオスが確認する。そう、いないわけがないのだ、特に昼間は。日光を浴びたら砂のように崩れていくのではないかと疑いたくなるほど、昼間は出歩かない男がここのもう一人の住人なのだった。
「ホームズ?・・クラヴィスさんのことですか。誰かと思いました」
「別にノストラダムスでも構わねぇけどな。場所柄、ホームズの方が合ってるだろ。二階か?」
「ええ。どうぞ上がっていてください。紅茶をお持ちしますよ」
そう言って一階奥のキッチンへと消えるリュミエールに、オスカーが尋ねた。
「起きてるんだろうな?」
「さあ・・・。先ほどまでは起きてらっしゃいましたよ」
その答えに、オスカーは嫌そうに溜息をついた。

 この家の居候の部屋は昼でも暗い。
 ベイカーストリートの占い師、と言えば、ロンドンではかなりの評判だ。とにかく当たる。著名人もお忍びでやって来る、と専らの噂だった。
 その占い師にはジプシーの血が流れている、という話だが、詳しくは二人も知らない。
「相変わらず、暗いな・・」
 オスカーが呆れた様に呟いた。視線の先には、アリオス曰く「我らがホームズ」がいる。
 カーテンの引かれた薄暗い部屋で静かに椅子に腰掛けている姿は、確かに神秘的だった。尤も、オスカーなどに言わせれば、辛気臭いだけ、ということになるのだが。
「おまえたちか・・・」
闇に溶け込むような、淡々とした静かな口調である。それがまた、この男の神秘的なムードを高めているらしい。
「相変わらず怪しげで何よりだぜ、クラヴィス」
「フッ・・・、おまえたちも変わらぬようだな・・・」
 水晶球を見つめながら言うものだから、まるでそこに何か映ってでもいるかのようでぞっとしない。
「座ったらいかがです?紅茶も入りましたし」
トレイにティーカップを乗せてきたリュミエールがそう促した。
 オスカーもアリオスも、基本的には占いなど信じてはいない。アリオス曰く「見えねぇモンを信じてられるほど暇じゃねぇ」ということになる。にも関わらず、こうやって時折クラヴィスの許を訪ねる理由はただ一つ。
 どんなに非科学的であろうと、納得いかなかろうと、とにかくクラヴィスの占いは当たってしまうのである。
「求めるものは鏡と共に眠っている・・・」
 クラヴィスが唐突に言った。二人に告げているのか、ただの呟きなのか、判別がつかないが、恐らく、ピアスの件だろう。
「・・・・・・理解不能だ」
オスカーが首を振る。
 こちらが用件を切り出す前に、いつもクラヴィスはこうして答えを口にするのだ。非科学的以外の何物でもない。理解の範疇を超えている。
「別に理解する必要ねぇよ」
アリオスが軽く言った。
 必要なのは、クラヴィスの言うことは当たる、という事実。深く考えることはすまい。というよりも、深く考えると不幸になる気がする。人生、謎のままにしておいた方がいいこともある、とクラヴィスと知り合ってから肝に銘じたアリオスである。
「しかし、鏡と言ってもなあ・・」
 鏡など、至る所にある。場所を特定するには余りにも大雑把過ぎるヒントだろう。
「求めるものは、主人の傍を離れていない」
それだけ言うと、クラヴィスは立ち上がり、カウチに横になってしまった。
「少し、眠る」
「はい。おやすみなさいませ」
クラヴィスの言葉にあっさりとリュミエールが答えた。
「ちょっと待てって」
オスカーが慌てて声をかけると、リュミエールに制される。
「眠ると言ってらっしゃるのに、無粋な真似をしてはいけませんよ」
 だから、こいつとは合わないんだ・・・。
オスカーががっくりと肩を落とした。それを横目で見ながら、代わりにアリオスが問う。
「おい、これだけ答えろ、クラヴィス。主人の傍ってのは、金髪のガキが、ずっと持ってるってことなのか?」
「そう・・・かも知れぬし、違うかも知れぬな・・・。どちらにしろ、私には関係のないことだ・・」
そうして、あっという間に眠りの世界へと旅立ってしまう。
 なんの答えにもなっていない言葉に、二人は窺うように顔を見合わせた。



01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 31.5