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A Day In The Life -4th.-




 「アリオスじゃないか」
アリオスがそう声をかけられたのは、アパルトメントから五分も離れていない場所にあるフォイルズという本屋でだった。地下から四階まであるこの店は、一般書よりも専門書が豊富な、さながら図書館のような品揃えで、アパルトメントから近い便利さも手伝い、アリオスがよく足を運ぶ場所である。
「・・・ああ、アンタか」
手に取っていた本を棚に戻し、アリオスは声の主の方へ向き直った。
「今日は相棒は一緒じゃないんだな」
「ガキじゃあるまいし、野郎二人でいっつもつるんでたって仕方ねぇだろ」
「ははっ、それもそうだな」
アリオスの目の前まで来た男は、ネクタイを緩めながら笑う。
「アンタこそ、珍しいじゃねぇか。ニュースコットランドヤードがこんなところで油売ってていいのかよ、お忙しいウェイストン警視」
人の悪い笑みでそう呼んでやると、相手はあからさまに嫌そうな顔をした。
「頼むから、普通に呼んでくれないか。お前にそんな風に呼ばれると、なんだか悪いことが起きそうで落ち着かん」
どこまで本気で言っているのか、頭を掻きながらのセリフにアリオスも肩を竦める。
「人を犯罪者みたいに言うな、ヴィクトール」
 ヴィクトール・ウェイストン。ロンドン首都警察、通称ニュースコットランドヤードの警視である。未だ三十を越えたばかりだというのに、既に警視にまでなっていることからも、彼の有能ぶりが窺い知れた。がっしりとした体躯の偉丈夫で、年齢よりも若々しい外見なのに、年齢以上の風格を備えているように見える。今の様に、実年齢よりも必ず若く見られ、オスカーからは「若作り」などと不当な評価を受けているアリオスと並ぶと、実際以上の年齢差があるように見えた。実際は、三つしか違わないのだが。
 探偵業を始めた頃、偶然関わった事件の担当刑事がヴィクトールだった。私立探偵なんて胡散臭げな輩を敬遠する警察関係者が殆どの中で、彼は二人を信頼し、それ以来、必要があれば情報を遣り取りするようになっている。公的権力が踏み込んでは問題にされる領域、権力がなくては踏み込めない領域、互いのテリトリーの情報を必要な時だけ提供してもらう。尤も、そんな機会は滅多になかったが。
「犯罪者の方がよっぽどマシな気がするぞ。犯罪者は逮捕すれば済むからな。お前たちだとそうもいかん」
「厄介事持ち帰ってくるのはアイツだぜ。オレを一緒にするな」
「まあ、自分の事は見えないもの、と言うしなあ・・・」
「・・・どういう意味だ」
 どういう意味もなく、そういう意味である。厄介事に巻き込まれるのはオスカーもアリオスも似たり寄ったりだと言っていい。確かに、女性に優しい紳士ぶりが災いしてか、オスカーの方は自ら厄介事に首を突っ込んでくる傾向があるにはあるが。
「ははは、気にするな。つまらないことを気にしていると、器が小さくなるぞ」
アリオスの肩を叩きながらヴィクトールが笑う。ポンポン、というよりは、バシバシ、というほうがしっくりきそうな勢いで肩を叩かれたアリオスが、不機嫌そうに顔を顰めた。
「それにしても、何やってんだ、こんなトコで」
ウェストミンスターに位置するニュースコットランドヤードからここまで、約二キロ強。仕事の合間にちょっと散歩、という距離ではない。
「いや、そのな・・・。まあ、お前だから構わんか・・・」
「なんだよ」
うーん、と唸るように鼻の頭を掻いてヴィクトールが小声で告げた。
「ちょっと、素行調査、みたいなことをな」
「素行調査?容疑者のか」
「いや・・事件は全く関係ない」
「警察の、しかも警視が単なる一個人の素行調査してるって言うのか?」
「そうなるなぁ・・」
困ったように答えるヴィクトールに、アリオスは思いきり疑わしげな眼を向ける。
「そんな眼で見ないでくれ。別に俺の個人的なことじゃないぞ。頼まれ事だ」
「アンタも充分、厄介事抱え込んでるじゃねぇか」
呆れたアリオスの言葉にヴィクトールは苦笑するのみだ。
「まあ、そう言うな」
 実はな、と話し出された内容を聞くにしたがい、アリオスの眉間に僅かに皺が寄っていったことは、幸いヴィクトールには気づかれなかったようだった。
 
 
 
 「バーリントン子爵?」
 絶妙のタイミングを逃さないよう、キッチンでエスプレッソメーカーと睨みあいを続けているオスカーが、視線を向けることなくアリオスに訊き返す。
「いずれ、バーリントン公爵になるがな」
ダイニングテーブルに肘をついてその様子を見ているアリオスは、面倒そうに頷いた。
「あのガキ、バーリントン子爵の若き婚約者らしいぜ」
昼間、ヴィクトールから聞いた話をオスカーにしてやる。
 ヴィクトールは、以前から面識のあったバーリントン子爵から相談を受け、未来の公爵夫人の素行調査紛いのことをしていたのだという。とはいっても、別に本当に彼女の素行が問題なのではない。
「一緒にフランスから来た友達が厄介になってるトコに暫く泊まる、って出て行っちまったんだとさ。あんまり突然で、しかもその二、三日前から落ち込んだ様子であちこち出掛けてたんで子爵様は心配したってわけだ」
 ヴィクトールから真顔で、「どうも三日程前に、ここの近くのアイスクリームショップで店に不釣合いな男二人といるのを見掛けたって情報があってな」と言われた時には笑うしかなかったぜ、とアリオスは続けた。
「その友達が厄介になってるトコ、ってのを心配はしてないのか」
「それがな」
疲れたように続けられたセリフに、オスカーは黙ってエスプレッソをカップに注いだ。次いでミルクを入れた鍋を火からおろす。そのまま、僅かな話題転換を行った。
「・・・一緒にいると失くしたことを子爵に気づかれるんじゃないかって不安になったんだな」
 可哀想に、とフォームミルクを泡立てながらオスカーが呟くと、アリオスが思い切り呆れた溜息をついた。
「あのなあ・・・。あのガキが可哀想とか言ってる場合じゃねえだろ。イギリス屈指の大貴族のお出ましだぜ?わかってんのか、オマエは」
 だが、オスカーはあっさりと頷いてみせる。きめ細かな泡のフォームミルクをエスプレッソに注ぎ、力作のカプチーノの出来上がりに満足そうだ。
「そうだな。バーリントン公爵が関わってるとなったら、尚更、お嬢ちゃんの名誉の為、ピアスを探し出してやらなきゃな」
 やっぱりそう来るか・・・。
わかってはいたが、やはりどこまでも全世界の女性の味方な発言に、アリオスはがっくりと肩を落とした。




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