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A Day In The Life -10th.-




 私立探偵、と一口に言っても、扱う依頼は実に様々だ。特に二人の場合、アリオスにとっては非常に不本意なことに、「ソーホーの何でも屋」として認知されている為余計守備範囲は広くなる。それこそ、先日のアンジェリークの探し物のような依頼も、多くはないが少なくもない。
 だが、二人に舞い込む依頼の中で最も多いのが、ストーカー対応だ。ストーカー撃退に関しては成功率は百パーセント。彼らの特徴は、依頼を請けてから、解決までの時間が非常に短いことだ。一週間かかることはまずないという、ストーカー事件としては異例中の異例のスピードを誇る。
 チャリングクロスステーションから徒歩三分ほどのところにあるヘヴンというナイトクラブは、今夜も盛況だった。もう深夜と言ってもいい時刻だが、客はどんどん集まってくる。このクラブでは、一階のフロアでストイックに踊る人々を、二階で酒を片手に眺める。手相占いなどもある二階の方が、人がごった返していて耳を寄せないと隣りに座る人間との会話もままならないほどだった。
 ウォッカを煽りながらアリオスは一人で階下を眺めていた。否、本当は一人ではないのだが、とりあえずは一人でふらりと来た客、を装っている。入れ替わり立ち代わり、様々な人々がアリオスに誘いの言葉をかけてくるが、それらはすべて素っ気無く断った。誘いをかけてくるのに、女性よりも男性の方が圧倒的に多いのは、ここが実はゲイクラブだからだ。入場制限は設けられていないので、普通のクラブと同じように盛り上がっているが、ゲイの男性が多くいるのもまた事実である。アリオスのような人目を惹く男が一人で佇んでいれば、自ずと誘われる回数も多くなるというものだ。
 かったりぃ・・。
黙々と杯を重ねているイイ男、の胸中を語るとこんな身も蓋もない言葉がでてくる。
 赤毛の相棒ではあるまいし、女に誘われるのも煩いとしか思わない彼にとって、女どころか男にも誘われ続ける今の状況は、かなりの忍耐心を必要とされるのだ。
「到着」
 アリオスの脇をそ知らぬ顔で通り過ぎたオスカーが、一言耳元で依頼人とターゲットの到着を告げていった。
 本日の依頼もまた、ストーカー対応、だった。以前付き合っていた男がストーカーへと変貌した。なまじ以前付き合っていた分、被害者も出来れば警察沙汰にはしたくない、という思いもあり、事態はややこしくなるという、実によくあるパターンである。
 本来、ストーカー対策となれば被害者をガードし、ストーカーの動かぬ証拠を集めた後、代理人が加害者にそれをつきつけ、あらゆる法的手段をも辞さないと半ば脅しに近い勢いで説得するものだが、彼らのストーカー対策はそれとは全く異なる。
「よう」
 やがて姿を現した依頼人に、さながら親しい間柄であるかのようにアリオスは軽い挨拶をした。話がある、と依頼人に連れてこられたらしいターゲットの顔がひく、と引き攣る。
 ごった返す人の群れの中、さり気無くターゲットの後ろのスツールにはオスカーが座っていた。ほぼ百パーセント有り得ないが、仮にターゲットが逆上して依頼人に危害を加えようとしても、ターゲットをすぐに取り押さえられるように、である。
 役者が揃ったことを確認して、アリオスが軽く目配せして合図を送ると、依頼人はくるっと元恋人に向き直り、アリオスに腕を絡ませて宣言した。
「この人が、私の好きな人よ」

 ソーホーの何でも屋、のストーカー対策は、彼らにしか出来ない対策である。普通の男がやっても効果がない。
「ったく、なんでこの店なんだ」
「彼女がよく遊びに来るって言ってたんだから仕方ないだろ」
 依頼人の行動範囲で、人の多い場所。これが絶対条件なのだ。相手の生活パターンを把握しているのがストーカー。それまで依頼人の行動範囲に現れたことのない男を急に相手役に仕立てても、ストーカーに疑われるだけだ。だから依頼人が頻繁に行く場所で一番人の多い所を設定する。ごった返すの人の群れの中での依頼人の行動は、いくらストーカーといえどもすべてを把握できているわけではないから、見たこともない男が突然現れてもそんなに不自然ではなく、ストーカーもあまり疑わないのだ。
「ゲイクラブに遊びに来るな」
「俺に言うなよ」
 相手役は、依頼人の好みであったり、コイントスで決める。今回はアリオスが負けたのだった。
 別に恋人を装わなくてもいい。依頼人が「この人が好き」と宣言するだけでいいのだ。それだけで大抵のストーカーは諦める。一九〇センチ近い長身、十人いれば十人が振り返る美形。それだけで、とてもではないが太刀打ちなどできないと項垂れる。
 「僕はキミのことなら何でも知っている。僕よりキミを愛してるヤツはいない。キミは僕といてこそ幸せなんだ。」そんなストーカー特有の恩着せがましい主張も、「男は顔よ」というホストクラブ通いでもしていそうなセリフにバッサリと斬り捨てられた。「後をつけられようが、盗聴されようが、殴られようが、これだけの美形だったら許せるわ」と、言われた方がギョッとするようなセリフを吐いた女性もいる。稀に、高学歴のインテリやスポーツ選手経験を持つ者など、自分に何らかの自信を持つ者が「外見だけの男なんてすぐに飽きる」と憤るが、それに対しても「この人と勝負して勝てば、ヨリを戻してもいい」という言葉に引っかかって敢え無く撃退された。
 ある者は冷静に論破され、ある者はテニスで負け、ある者はダーツで負け。
勿論乱闘沙汰になったこともあるが、二人にしてみればその方が手っ取り早くて有り難かった。インテリな論争やテニスやダーツよりも、殴り合いの方が一分かからず勝敗が決するからである。
 本日のターゲットは、ストーカーとしては初期段階であったこともあって、あっさりと片付いた。根が深いと暫くは警戒を要することもあるが、今回は問題ないだろう。依頼人はうっとりと二人を見つめながら何度も礼を言った。こういう時は即払いの報酬を受け取ったら、すぐに別れるのが基本だ。そうしないと、今度は依頼人が二人のストーカーもどきになりかねないからである。
「ま、いいじゃないか、随分モテてたようだし?」
 男にもな。
笑いながらオスカーがからかう。
「嬉しくもなんともねーよ」
心底嫌そうにアリオスがウォッカを煽った。
 ここがゲイクラブであるが故か、先程まであれだけ頻繁にかけられた誘いも、二人で飲み始めた途端、さっぱりかからなくなった。
 それはつまり、そう見られている、ということで。
なんとも複雑な気持ちになるのは否めない。二人がそういう関係であるのは事実だから否定しようもない、のではあるが。
「とっとと、出ようぜ」
グラスを置くとアリオスは立ち上がった。飲むならもう少し落ち着ける場所で飲みたい。
「お前も矛盾したヤツだな」
苦笑しながらオスカーも立ち上がった。
 性別のモラル、という点ではアリオスの方が余程垣根は低い。プラトニックで朧気な恋愛感情から、躰を伴う関係までのボーダーを越えてきたのはアリオスの方で、同性、というハードルを高く捉えていたのは寧ろ、徹底した女性賛美主義者であるオスカーの方だったというのに。
「・・・」
 アリオスは不意に立ち止まると、振り返ってオスカーの首の後ろに手を回した。そのまま引き寄せて、思う存分唇を貪った。
 いくらゲイクラブ、とは言っても、周りの客は唖然とする。いきなりディープキスをされたオスカーも呆然である。
「テメェが偶々男だった、ってだけだろーが」
 唇を離してそれだけ言うと、アリオスはすたすたと出口に向かってしまう。
呆然としたオスカーだが、やがてクツクツと笑い始めた。
 好きになった相手が偶々同性だった、なんて陳腐なセリフをあの男が言うとは。
つまりそれは、オスカーというパーソナリティーを好きになったのだと、そう言っているわけで。綺麗事、という感は否めないが、言われれば嬉しいものでもある。
「ちょっと待て、置いてくな」
 このまま笑っていると確実にアリオスの機嫌が下降するとは思いつつも、噛み殺せない笑いをわざとらしい咳払いで誤魔化しながら、オスカーも出口へと向かった。



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