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A Day In The Life -5th.-




 緯度の高いロンドンは、夏と言っても気温は二〇度を上回る程度で、変わり易い天候もあり、薄手の上着は必需品だ。今日も最高気温は二三度、天候は曇りである。そんな日の昼前、二人はブルームズベリスクエアにほど近い家の前にいた。
 昨日ヴィクトールから聞いておいた、アンジェリークの友達が厄介になっている家、である。
「極楽鳥の時も思ったがな」
オスカーが微かに笑いながら言った。
「ああ?」
それに対して興味がないのか不機嫌なのか、どちらとも取れるような生返事をアリオスが返す。
「こうなると、因縁ってヤツだな」
「オレは誰かに仕組まれてんじゃないかと疑いたくなったぜ」
アプローチを通り、玄関のベルを鳴らしながらアリオスが憮然と呟いた。
「俺たちを嵌めてもしょうがないだろ」
肩を竦めてオスカーが返す。もう一度ベルを鳴らすと、暫くして家の中からバタバタと足音が聞こえ、玄関の扉が開かれた。
「あ~、すみません、お待たせしてしまって。ちょっと書斎で本の整理をしていたもので~。おや、珍しい、貴方たちでしたか。お久しぶりですねぇ」
扉を開けた男が、二人を交互に見てのんびりと言う。
「よう、ルヴァ。相変わらず本に埋もれた生活してるみたいだな」
「ええ。世の中は常に新しい知識が生まれていますしねぇ。それに古い本も読み返す度にまた新たな発見があるんですよ~。知識の泉は広く深い。私もまだまだです」
一人満足気に頷いている男を見て、アリオスとオスカーは顔を見合わせて溜息をついた。
 ルヴァ・アシュル。ここから五〇〇メートル程離れた所にある、ロンドン大学のカレッジで思想・哲学の講義を受け持っている教授だが、研究室よりも図書館の地下書庫にいることの方が圧倒的に多い、典型的学者肌な人物である。教授としては年齢が異例に若く、研究室よりも図書館にいることが多い所為で、教授ではなく教授付きの研究生に間違われてばかりいる。
 この男、繋がりはさっぱり不明だが、何故だかオリヴィエと仲が良く、二人もオリヴィエ経由で知り合った。生活パターンも行動範囲も、恐らくは体内時計のスピードも全く合わないので、なかなか会うことがないのだが、それでも三ヶ月から半年に一回くらいは顔を会わせて食事を共にしたりする。そういえば、前回顔を会わせてから既に四ヶ月ほど経っていた。
「知識の泉へのダイビングはちょっと待ってくれよ」
苦笑交じりにオスカーがそう言うと、ルヴァは一瞬驚いたように目を丸くし、次いでポン、と手を打った。
「え?ああ、そうですねぇ。うーん、本のことを語るとつい我を忘れてしまいますねぇ。さあどうぞ入ってください。お茶を入れましょうね~」
 
 
 
 今地震が起こったら確実に死ぬ・・・。本気でそう思いたくなるほど本に覆い尽くされたリビングの壁は、それでも日々進化を遂げているようだった。書斎に移される本、そこに新たに収まる本。持ち主の他から見たら、結局は本だらけ、としか思えないのだが。
「しかし珍しいですねぇ、貴方たちが私を訪ねてきてくださるなんて」
湯呑をテーブルの上に置いたルヴァがそう笑う。日本通のルヴァが淹れてくれたのは、紅茶ではなく緑茶である。なんでも学会で日本に行った際、骨董市を覗いて買ってきたという湯呑はルヴァのお気に入りの品だった。
「まあな。済まないが、実のところ用があるのはルヴァじゃなくて、ここのお客の方なんだ。可愛らしいお嬢ちゃんたちがいるんだろう?」
「お客?ああ、ロザリアとアンジェリークのことですか~。ええ、今ちょっと出てますけどね。もうすぐ帰ってくると思いますよ」
壁にかかった時計を見ながら、相変わらず良く言えばのんびり、悪く言えば間延びした口調でルヴァは答える。
すると、美味くも不味くもない、といった表情で緑茶を啜っていたアリオスが口を開いた。
「なんで大貴族の婚約者とアンタの客が知り合いなんだ?」
「それはですねぇ。元々、バーリントン公爵家と親交があるのはカタルヘナ家、あ、ロザリアの家なんですけどね、そのカタルヘナ家の方なんですよ~。カタルヘナ家はフランスの旧伯爵家でして。代々親交があったわけです。アンジェリークは、そう言った意味では普通の家の子ですから」
「シンデレラストーリーってヤツか。」
ええ、まあ、とルヴァはお茶を啜る。
「と、なると。逆になんでアンタがその旧伯爵家の令嬢と知り合いなんだ?」
「いやぁお恥ずかしい・・・」
 まだ何も言ってないだろうが。
オスカーとアリオス、ほぼ同時の心の声だった。
だが、そんな二人の微妙に呆れた視線に気づく様子もなく、ルヴァは照れ続けている。
「ルヴァ・・・。ルヴァ?」
「え?ああ、すみません、またやってしまいました。どうも私はついつい自分の世界入ってしまいがちのようで~」
 ダメですねぇ。
我に返ったようなルヴァがふぅ、と溜息をついた。
「私は元々バーリントン子爵とお付き合いがありましてね。ロザリアとはその関係でお知り合いになったのですよ」
そこまでルヴァが言うと、賑やかな少女たちの声が聞こえてきた。
「ただいま戻りましたわ」
リビングの扉を開けながら二人の少女が入ってくる。アンジェリークと、もう一人勝気な感じの美少女が、その旧伯爵家令嬢・ロザリアなのだろう。
「あ・・・」
何でも屋の姿を見たアンジェリークが目を丸くして立ち止まった。
「よう、お嬢ちゃん。元気そうで何よりだ」
オスカーが片手を上げる。
「あの、見つかったんですか?」
「もしかして、この人たちが何でも屋さん?」
アンジェリークが二人にそう問い掛けるのを聞いて、ロザリアがアンジェリークに確認する。どうやらピアスの件は聞いているらしい。
「・・・何でも屋じゃねぇ、つーの」
ぼそっと呟いたアリオスのセリフは、隣りに座っているオスカーにしか届かなかった。
「うん、そう。この人たち」
「やっぱり貴方たちのことでしたか~。ソーホーの何でも屋と聞いていたのでそうじゃないかとは思ってたんですけどねぇ」
ルヴァがふむふむと頷く。それに、まあな、と肩を竦めて答え、オスカーはアンジェリークに告げた。
「残念ながら、まだ見つかってはいないんだ」
「そうですか・・」
アンジェリークが肩を落とした。その肩をロザリアが小突く。
「そう簡単に見つかるわけないでしょう。シャンとしなさいな」
「うん・・」
頷くものの、俯いたままのアンジェリークの髪が、くしゃっと掻き回された。
「心配すんな」
「アリオスさん・・・」
驚いてアンジェリークが顔を上げると、アリオスは既にリビングの扉を出ようとするところだった。
「オマエの大事なもんは、そこの赤毛の色男が何があろうと見つけるってよ」
ちゃっかりと責任逃れなせリフだが、それに気づく者は押し付けられたオスカーの他にはいなかった。
とはいえ、元々アリオスはオスカーにつき合わされているだけなのは事実なので、オスカーも特に否定はしない。
「そうさ。言ったろう?必ず二つ揃えて君の許へ届けると。だからお嬢ちゃんも約束して欲しいんだ」
言いながらソファから立ち上がり、アンジェリークの前に立つ。
「約束?」
「バーリントン子爵は君のことをとても心配していらっしゃるようだ。ちゃんと子爵に事情を話すと、約束してくれるな?お嬢ちゃん」
ルヴァとロザリアも、アンジェリークを見つめている。そうした方がいい、そう告げる視線を受けてアンジェリークはオスカーを見上げた。
「・・・はい」
そうして、ややぎこちなく、けれどしっかりと彼女は頷いたのだった。



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