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A Day In The Life -11th.-




 人それぞれ、器用不器用、というものはある。凝り性かそうでないか、という性質の差もある。マメなタイプかどうか、というのも大きい。
優しい冷たいとか、明るい暗いとか、そういった感情的な性質とは別のところで、こういう性質の差は如何ともし難い。
 ソーホーの何でも屋、はそのすべての条件に於いて正反対のタイプだった。
つまり、器用でマメで凝り性のオスカーと、不器用で大雑把で拘らないアリオスである。
 アンタたち、よく一緒に生活してられるわね。
二人のタイプを熟知しているオリヴィエが何度か感心したように言ったことがある。
 オレも不思議だ・・・。
ぼんやりと記憶の中の問いかけにアリオスは返事をした。
 なんで、コイツはたかだか料理にこんなに凝るんだ??
食材の入った紙袋を持って歩きながら、アリオスは少し前を機嫌よく歩く相棒を見遣る。
 昨夜は、ヘヴンを出た後パブで酒を飲み、アパルトメントに戻ったのは深夜三時頃だったと思う。なんとなく昂揚した気分のまま、ベッドに縺れ込み抱き合った。眠りに就いたのはもう朝といってもいい時間だったはずだ。目を醒ましたのは正午前。こんな日は自堕落に過ごすに限る、とアリオスはシャワーを浴びた後、もう一度眠ろうと思っていた。
 思っていたのだが。
「アイリッシュシチューを作る。パンも焼くぞ」
 シャワーを浴びて出てくると、まだ眠っていたはずのオスカーがそう宣言して入れ替わりにシャワールームに消えた。突然それだけを告げられたアリオスにしてみれば「・・・は?」と間の抜けた返事をする以外何もリアクションのしようがない。冷たい水で喉を潤しながら、「アイツは寝惚けてたのか」と結論付けて寝室に戻ると、寝乱れたベッドはシーツが換えられ、整えられていた。
 こうなると寝惚けていた、という可能性は消えるが、作るというなら作らせておけばいい。アリオスが料理などできないことは、オスカーも充分承知しているのだから、別に手伝え、と言いたいわけではないのだろう。そう思ってベッドに潜りこもうとすると、後ろから湿ったタオルが投げつけられた。
「何寝ようとしてるんだ、すっとこどっこい」
 すっとこどっこいってなんだ、すっとこどっこいって・・。
アリオスがタオルを片手に振り返ると、ドアの傍に立ったオスカーが、髪から水滴を落としながら睨んでいた。
「オマエがメシに凝るのは勝手だけどな、オレは食える味で腹が膨れりゃいいんだよ。何しろって言うんだ」
湿ったタオルを放り返しながらアリオスが問うと、オスカーが眸を眇めた。
「決まってるだろ、買い出しだ」
 かくして、アリオスは怠惰な昼寝を諦めさせられたのである。
 ソーホーの胃袋、と呼ばれるべリックストリートは青果や野菜の露店が立ち並び、買い物客で賑わっていた。
「一通り買ったか・・・?」
「知るかよ」
「お前なぁ・・。もうちょっと楽しそうにしろよ」
「楽しくないのに楽しそうになんてできるか」
 お前が持てよな、と渡された紙袋を、なんだったら放り出したい気分でアリオスは溜息をついた。気分だけで、さすがに放り出しはしないが。なんといっても、この食材の半分は自分の胃袋に納まることは確かだ。
 アリオスが昼寝を渋々諦めたのも、不本意だが荷物持ちに甘んじているのも、ちゃんと理由があった。
 共同生活を始めたとき、一応の取り決めをしたことがある。
器用で家事全般をなんなくこなすオスカーと、そういったことは最低限しかしないアリオス。この場合最低限とは、お湯を沸かすとか、埃が積もったらおざなりに拭くとか、シーツは精々三ヶ月に一回取り替える、など本当に最低限の限界に挑戦するレベルであり、取り決めるまでもなく、自ずと役割は決まってしまう。オスカーも、自分が料理に凝るからと言って、それと同じレベルや拘りをアリオスに求める程愚かではなかったので、基本的に家事はこなしてやる、と宣言した。その代わり、買い出しくらいお前が行け、と。
 一緒に暮らすにあたって決めたのは、これとベッドは早い者勝ちという二点だけだった。
だけだったのだが。
取り決めが生きているのは、ベッドは早い者勝ち、という一点だけである。
「お前、ほんとに俺と会うまでどうやって生活してたのか謎だな」
 不愉快だ、と全身からオーラを発していながら、律儀にも紙袋を持ったまま後に続くアリオスを、オスカーは呆れたように振り返った。
「別にメシ作れなくても飢え死になんてしねぇからな」
 英国式ブレックファーストを楽しむ趣味もない。朝はカフェで一杯コーヒーでも流し込めばいいし、昼はデリでサンドイッチとちょっとした惣菜を買えば済んだ。夜はパブで酒と一緒にちょこちょこと何かつまんでいれば、それでいい。健康的とは程遠い生活を送っていたアリオスだった。
 買い物客で賑わうベリックストリートを抜けると、歩くスピードも途端に速くなる。元々アパルトメントからそんなに離れているわけでもないし、二人のコンパスの長さで歩けば、アパルトメントまでは一〇分ほどだ。
「だが。」
アパルトメントの前まで来て、オスカーが立ち止まった。
「俺の美味い料理を毎日食ってたら、元の生活なんて戻れないだろう?」
自信たっぷりの表情で勝ち誇ったようにオスカーが笑った。
 それは、自分と離れるなんてできないだろう?という問いかけでもあり。
 男は胃袋で捕まえる、という結婚の極意とまるで一緒だが、問い掛けたオスカーにも、問い掛けられたアリオスにも、まさか自分たちがそんな、結婚五年目倦怠期の主婦が平日昼間の喫茶店で未婚の友人に話して聞かせるような内容の会話を交わしている、という自覚は全くない。新婚三ヶ月の幸せ絶頂期のカップルのような気恥ずかしさは多少感じているにしても。
 オスカーの問い掛けに、アリオスが眉を顰める。
 そうだ、と答えるのも癪だが、否定すればオスカーの機嫌を確実に損ねて、両手で抱えた食材たちにありつけないのも自明だった。
「こんにちはーっ!」
さて、どう答えようか、とアリオスが悩んだところに、明るい声がかけられる。
このアパルトメントの三階に住むレイチェル・ハートという少女だった。
「ようお嬢ちゃん、日常生活能力に欠陥のある従兄殿のところかい?」
「そう。まーた帰ってこないんですよ。しょうがないからこのワタシが着替えを届けにね」
着替えが入ってパンパンに膨れたメッセンジャーバッグを肩にかけ、レイチェルがマウンテンバイクに足をかけた。
「気をつけてな。可愛らしいお嬢ちゃんに世話を焼いてもらえるエルンストは幸せだ」
「どーだか。研究のことしか頭にないから、このワタシの有り難味なんてぜーんぜん、わかってなさそうですけどね」
そうして、ペダルを漕ぎ出そうとしたレイチェルが動きを止めて、振り返る。
「今度、友達がフランスから遊びに来るんです。紹介しますねー!同じアパートに超カッコいい二人が住んでるって言ってあるんです」
それだけ言うと、ペコッと頭を下げ、走り去っていった。
「元気なお嬢ちゃんだな」
オスカーが言いながらアパルトメントに入ろうとするのを、アリオスが呼び止めた。
「なんだ?」
「さっきの答えな」
「さっきの・・?」
「オマエの作るメシは美味いと思う」
「・・・?」
不思議そうにこちらを見るオスカーを置いて、紙袋を抱え直したアリオスはさっさと中へと入っていってしまう。
「・・・答えになってないじゃないか、結局」
一瞬の沈黙の後、苦笑してオスカーも肩を竦めると、アパルトメントへと入っていった。



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