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A Day In The Life -14th.-




 アリオスは偶に夢に魘される。
 それは同居生活を始めて幾らも経たないうちにオスカーの知るところとなった。けれど、どんな夢を見るのか、それはいつも同じ夢なのか、そういったことを訊いたことは一度もない。必要があれば自分から話すだろう。愛情を伴うパートナーとはいえ、相手の過去を逐一知りたがるような子供ではなかった。アリオスがオスカーに過去を話さないように、オスカーもアリオスに過去を話していない。別にそれで構わなかったのだ。
 だから、アリオスが魘されていれば、オスカーはそ知らぬ顔で起こしてやった。「魘されてたぞ」などとは言わない。「酒が飲みたくなった」「目が醒めたから付き合え」――あくまでオスカーの我儘で起こしたのだ、と伝えた。アリオスもわかっていながらそれに乗った。「ったく、人を巻き込むなよ」と。
 さて、今夜はどんな理由にしようか。
深夜、リビングのソファの傍に静かに立ったオスカーは、アリオスを見下ろしながら考えた。
眉間に皺を寄せて眠るアリオスの表情は痛々しい。早く起こしてやった方がいいだろう。
 オスカーは足でソファをドン、と蹴った。
「・・っ!」
瞬時に目を醒ますアリオスに、オスカーが笑って言う。
「喉渇いてな。どうも、グラタンの塩分過多だったみたいだ。お前もそろそろ喉が渇くだろうと、この俺の親切心で起こしてやったぜ」
 今頃セイランも喉が渇いて起きてるんじゃないか?
そんな軽口とともに、冷えたビールの缶を渡す。
「・・・メシに凝るなら、そのヘンの初歩的ミスはなくせよな」
起き上がって缶を受け取りながらアリオスが返した。
 そんなことはないと、知っていながら。
グラタンの塩加減など、大したミスではない。ホワイトソースに小さな一塊が余計に入ったところで、夜中に喉が渇いて起きる程の塩分過多になるわけがないのだ。現に、あのカネロニグラタンは、少し濃いと感じただけで、食べた人間の好みによっては丁度いい塩加減だと言うだろう。
「悪かったな。見てろ、今度はもっと美味いグラタン作ってやる」
 ビールを煽りながら、そうやって、何も訊かずに逃げ道を作ってくれるオスカーに、アリオスもまた、黙ってビールを煽った。

 結局朝まで飲んで、躰が欲するままに夢も見られない程ぐっすりと熟睡した二人が次に目を醒ました時、時計は既にアフタヌーンティーの頃を指していた。
「これじゃ朝昼晩兼用の食事だな」
「とりあえず、何か食わせてくれ・・・」
 昨日の塩加減のミスが悔しいのか、起きるなりメニューを考え始めたオスカーに、アリオスが言った。飲むだけ飲んで、まる半日以上何も食べ物を入れていない胃袋が、固形物が欲しいと切実に訴えている。
「ん、そうだな。じゃあクロックムッシュでも作るか」
 パンにハムとチーズを乗せて焼いただけのクロックムッシュとプレーンオムレツがリビングのテーブルに並んだのは、それから一〇分ほど経ってからだった。ディナーはダイニングで摂るが、ブレックファーストやランチはこうやって、リビングで行儀悪く寛ぎながら摂ることが多い。
「しかし、この時間に食べると、夕飯は軽いほうがいいか・・」
「凝ったメシ作るのは明日以降にまわしてくれ」
パンをコーヒーで流し込みながらアリオスが言う。それにオスカーも軽く頷いた。
「それじゃ、掃除だな」
「は?」
「最近リビングの掃除してないからな。埃も溜まってるし。仮にも、寝床の一つなんだ、清潔にしといた方がいいだろ?」
オスカーが皿を持って立ち上がりながら言った。コイツの思考は家事から離れないのか、とアリオスは思ったが、それは口にせず黙って頷いた。家事を任せっきりにしている人間の立場としては反論は命取りなのだった。
「この時間じゃ、洗濯してももう干せないからなあ・・。とりあえずブランケットは取り替えるか・・」
それに、オスカーがこうやって突然掃除だなどと言い出すのにはもっと別の理由がある。
 アリオスが夢を見たからだ。
そうやって、夢を魘された、という記憶すら追い出すように、掃除をする。次にこのソファで眠る時、夢を見るかもしれない、という不安を感じずに済むように。
「お前、邪魔」
ソファの脇のサイドテーブルに置かれたブランケットを取り替えながらオスカーがアリオスを追いやった。
 アリオスに掃除をさせないのは、遠慮や気遣いではなく、本当に邪魔だからだ。
一緒に暮らし始めた頃は、掃除くらいは、と手伝わせてみたりしたものだが、数回で諦めた。四角い部屋を丸く掃くような、そんな掃除の仕方しかしないのだ、アリオスは。
 無言で肩を竦めたアリオスが、ダイニングへ移動しようとした時だった。
耳に痛い、ひび割れたブザーが部屋に鳴り響いた。
「こんにちはっ!開いてから入ってきちゃいましたよ」
リビングに姿を見せたのはレイチェルだ。
「よう、お嬢ちゃん。珍しいな」
アパルトメントの前で会うことは偶にあるが、こうやってレイチェルが部屋を訪ねてくることは滅多にない。
「ほら、こないだ言ったじゃないですか。友達が来るから紹介するって」
「ああ、フランスから来るって言ってたな」
「別に、紹介して欲しくねぇ・・」
アリオスの呟きにオスカーが苦笑しながら、レイチェルを促した。
「で?ここに来てるのか?」
「あ、じゃあ呼びますね。・・・アンジェー!おいでよっ!」
「アンジェ・・・?」
 アンジェ、という名前に二人は反応する。まさか未来のバーリントン公爵夫人ではないだろうな、とリビングの入り口を凝視する。
だが、現れたのは、ふわふわと揺れる金の髪ではなく、さらさらと揺れる茶色の髪。
 アリオスの眸が、驚愕に見開かれた。
「紹介しまーす。ワタシの親友、アンジェリーク・コレットです」
レイチェルに紹介され、少女はぺこっと頭を下げた。
「エリス・・・」
呆然とアリオスの口から呟かれたその声は、隣りに立ったオスカーの耳にだけ届いた。



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