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A Day In The Life -20th.-




 その日、オスカーがアパルトメントに程近いソーホースクエアで彼女と出会ったのは、ただの偶然だった。
ベリックストリートで食料を買い込み、アパルトメントに帰る途中だった。ソーホースクエアはアパルトメントのすぐ前と言ってもいいほどの近さで、同じアパルトメントで生活している二人が会うのも、自然といえば自然だ。
「・・あ、こんにちは」
アンジェリークはオスカーに気づくと、はにかむように微笑んでぺこりと会釈した。
「お嬢ちゃん、どうしたんだ?レイチェルは?」
「エルンストさんが帰ってこないから、着替えを届けに。もうすぐ帰ってくると思うんですけど、一人でお部屋にいても寂しいなって。ちょっと外に出てきたんです」
 買い物ですか?と尋ねられ、そろそろ冷蔵庫の中が空っぽなんだ、と肩を竦めて見せる。
「お嬢ちゃんはロンドンは初めてなのか?」
「はい。だから毎日色んなところ見たり。昨日もアリオスにノッティンヒルまで連れて行ってもらいました」
 アリオス、と名を口にするときの、彼女のどこか幸せそうな微笑。大きな眸のきらきらとした輝き。彼女はアリオスに恋をしている、と一目でわかってしまう。
 なんて、幸せそうなのだろう、と他人事のようにオスカーは思った。
「それは、よかったな。君みたいに可愛らしいお嬢ちゃんの案内役ならあいつも本望だろうな」
 自分でも不思議なくらい、すらすらと言葉がでてくることが無性に可笑しかった。
「そんなこと・・・あ、レイチェル」
頬を赤らめてはにかむアンジェリークが、通りの向こうからマウンテンバイクに乗ってくる親友の姿に気づき、手を振った。
「それじゃあ、またな、お嬢ちゃん」
「あ、はい。」
ぽん、とアンジェリークの肩を叩き、オスカーはアパルトメントへと足を向けた。

 夕食を摂った後の静かな時間。
シャワールームから出てきたオスカーは、ソファで雑誌を捲っているアリオスに声をかけた。
「空いたぜ」
「ああ・・」
 二、三日前の落ち着かない様子と打って変わって、アリオスの様子は以前と変わらないように見える。
「今日な」
濡れた髪を手荒く拭きながら、オスカーは何気なく言った。
「ん?」
雑誌から視線を逸らさずに、アリオスが先を促す。
「下で、茶色の髪のお嬢ちゃんに会った」
「・・ふぅん。」
視線は上げられない。けれど、ページを捲る指が一瞬動きを止めた。それで充分だった。
「可愛らしいよな。お前にいろいろ連れて行って貰ったって喜んでたぜ?」
「行きてぇって、アイツが言ったんだよ」
「こーんな、無愛想な案内役のどこがいいんだか。俺に言ってくれれば、女の子の好きそうな場所、もっと案内してやるのにな」
「悪かったな、無愛想で」
 アリオスが憮然と言う。オスカーがその様子に軽く笑った。
「まあ、お前がそんなことしてやるだけでも奇跡だしな。あんな可愛いお嬢ちゃんと一緒だと楽しいんだろ」
冗談のような口調の、実は真剣な問いかけだと、アリオスは気づいただろうか。
「バーカ、オマエと一緒にするな」
「バカとは失礼なヤツだな。だいたい、一緒にするなってお前、俺を何だと思ってるんだ??」
 どうして、こんなに軽く話せるのだろう。
まるで癖になっているようだ。気づけば、アリオスを直球で問い詰められなくなっている自分がいる。この男の為に、逃げ道を作ってやるのが当たり前になっている。
 アリオスの為に逃げ道を作ってやればやるほど、オスカーの退路は断たれていくのに。
まるで、断崖に向かって歩いているようでぞっとしない。
「女といれば無条件に楽しそうなのはオマエだろ」
「あのなあ・・」
 なあ、アリオス。お前、俺の方を見もしないんだな。
機械的に手を動かして髪を拭きながら、オスカーは心の中でそう語りかける。
 久しぶりに、ぎこちなさのない日常の会話が戻ってきたと、アリオスはそう思っているのかもしれない。だからこそ、雑誌から目も上げずに、テンポよく言葉を返すのだろう。
「ったく。お嬢ちゃんには、こんな可愛げの欠片もない態度取ってないだろうな?」
「アイツはオマエほど可愛げのないこと言わないからな。それに」
「それに?まだ何かあるのか」
「オマエと違って、素直に言葉をそのまま受け取るからな。下手すりゃ泣かれちまう」
 アリオスの口許に、困ったような、それでいて愛しげな笑みが一瞬浮かんだのを、オスカーは見逃さなかった。
「なんだか・・・、護ってやりたくなるんだよ、アイツ見てると」
 恋人って、そういうものではありません?相手を護って、護られて。
昨日のロザリアの言葉が蘇る。
「そりゃ悪かったな。どーせ素直に言葉を受け取らないからな、俺は」
「どう考えたって、オマエを護りたい、なんて思えねぇもんな」
「護られるほどの可愛げはないさ。当たり前だろ」
 まるで条件反射のように言葉を紡ぎながら、すべてが他人事のように遠く感じる。髪を拭く手も、言葉を発する口も、まるで自分の躰ではないようだ。
 俺は、一体お前にとってなんだったんだろうな。
機械のように会話を交わしながら、オスカーはぼんやりとそんなことを考えた。
 二年も生活を共にしていて、そんな基本的なことを何も知らなかったのだと。
今更気づいても、もう、遅いのかもしれない―――――。



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