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A Day In The Life -6th.-




 その日、オスカーが訪れたのはオックスフォードサーカスからピカデリーサーカスに向かってリージェントストリート沿いに少し歩いた所にある店だった。「大龍商店」と漢字で書かれた看板は、この通りを歩く殆どの人々には読めないが、親しみやすく入り易い店構えと、何故こんなものまで?と時々首を傾げたくなるような品揃えの豊富さが人気を呼び、"Big Dragon"の愛称で賑わっている店だ。
 店に入ると迷わず"staff only"となっている奥のリフトに乗り込む。最上階のボタンを押すと、アパルトメントのリフトとは比べものにならないスムーズさでリフトは動き出した。
 リン、とベルが鳴ってリフトの扉が開く。オスカーは右手に座る受付嬢に甘い笑みを送ると、"President‘s Office"とプレートのついた正面の扉を遠慮なく開けた。
「よう、若社長。邪魔するぜ」
「オスカーさん、時間ぴったりやな」
重厚なデスクに向かっていたこの部屋の主は、オスカーの姿を認めると立ち上がった。
「自分は社長業で忙しいんだから時間厳守しろと言ったのはお前だろう、チャーリー」
 チャールズ・ウォン。一九九七年に中国へと返還された香港生まれのイギリス人である。彼が経営するこの店も�、生まれ育った香港の雰囲気を意識して造られた。尤もチャーリーはこの店の社長だけでなく、ウォングループという大企業体の総帥という肩書きも持っており、バービカンの中心部に自社の高層ビルを所有しているが、この店は本人の趣味を強く前面に押し出している為居心地がいいのか、ここの社長室を拠点として日々の仕事をこなしているようだった。
「オスカーさんがそれをちゃんと守ってくらはるなんて思ってなかったんですわ、ホンマ言うと」
 失礼な言い草である。
ジロリ、と冷たい眼で見るとチャーリーは「すんませんって」と謝りながら応接ソファを勧めた。言葉では謝っていても笑顔なのだから、あまり言葉に信憑性はない。
「ま、怒らんといてください。ご注文の品はちゃんと出来上がってますよって」
そう言ってテーブルの上に小さな箱を置く。
 箱から出てきたのは、片耳だけのピアスだった。上質のダイヤとルビー、まさしくアンジェリークの探し物である。
「で、こっちがお借りしてた本物ですわ」
コト、と隣りにピアスが置かれた。二つ並ぶと、最初から対であったように見える。長年愛用されてきたピアスと、デザインを同じくした未使用のピアスの筈だが、まるで同じ時間を経てきたように見えた。
「さすがチャーリー、いい職人知ってるな」
感嘆を隠さずに、オスカーが言った。じっくりと二つのピアスを見比べるが、どちらが見劣りするということもない。
 これが、オスカーの「見つからなかった場合の手」だった。何処で落としたのかもわからない小さなピアスという探し物を請け負ったその日のうちに、短期間で最高の仕事をしてくれる職人と、本物と同レベルの宝石を手配して貰う様、あらゆる方面に顔が利くチャーリーに頼んだのだ。
「そりゃもう、職人さんには直々によぉくお願いしときましてん。そない満足して貰えたら頼まれ甲斐もあったっちゅーもんです。ほんなら、約束通り、こないだ負けた分はチャラですよって」
 偶々パブで出会った時に、プールで勝負をした。その時はオスカーの圧勝となり、いずれ負け分は払う、ということになっていた。だが、勿論友人同士の他愛もない賭けであって、とてもではないがこのピアスの製作代金を賄えるような額ではない。
「いいのか?別に払うぜ?」
「ええですよって。その、アンジェちゃん、でしたっけ?女の子の笑顔の為、俺も一肌脱ぐっちゅーことでね。オスカーさんと友達づきあいしとると、どうも影響受けて女性にどんどん甘くなってきよるんですわ~」
 そうまで言うものを、無理に金を払うなど野暮なことはオスカーもしない。まして相手は大財閥の総帥、たいして痛い出費でもないのだろう。ここはその心意気をありがたく受け取るべきなのだ。
「じゃあ、遠慮なく貰ってくぜ。本当は、コレを使わないで済むといいんだがな」
 本物が見つかるのなら、その方がいいに決まっている。
「使わんで済んだんやったら、それはそれで構いやしませんから。リフォームっちゅーことで別のアクセサリーでもなんでも作れますし」
太っ腹な社長の言葉にオスカーが軽く手を上げて、謝意を示す。
「あ、でもそのアンジェちゃんにも、うちの店、薦めるのは忘れんといてくださいよ」
どんなメディアに広告を打っても敵わない効果が、口コミにはある。
「わかったよ。それぐらいは言っておくさ」
 気前がいいのか商魂逞しいのか、いまひとつ判別のつかないチャーリーの言葉にオスカーが笑って答えた。
 
 
 
 白い煙がゆっくり立ち昇る。
 ソーホーは繁華街だ。レストランやナイトクラブが多いこの街は夜が更けていくほど活気に満ちてくる。
 オスカーは寝室から出られる小さなバルコニーで眼下の賑わいを見ていた。短くなった煙草を灰皿へと投げ入れる。
「おい、シャワー、空いたぜ」
先にシャワールームを占拠したアリオスが、ガシガシと髪を拭きながら声をかけた。
「ああ、サンキュ」
下を見たまま答えるオスカーの横にアリオスが並んだ。
「なんだよ、何かあるか?」
「いや、別に何も。なんとなく見てただけだ」
新たな煙草を咥え、マッチを擦る。ボゥ、と起こった火がオスカーの顔を照らした。
「嘘つけ。オマエがこういう時は、何か気にかかることがあるじゃねぇか」
アリオスが呆れたように言う。二年も共に暮らしていれば、些細な行動パターンから相手の状態も見えてくるというものだ。
「いや、お嬢ちゃんのピアスがな・・」
「本物じゃねえにしても、ほぼ本物に近いものは出来たんだから問題ねぇたろ」
オスカーの手から煙草を奪ってゆっくりと紫煙を吸い込む。
「だが、できれば本物を返してやりたいじゃないか。第一、想い出の品、っていうのが気にかかる。もしかしたらお嬢ちゃんも知らない、何か傷があったりしたかもしれないだろ?」
 アンジェリークは婚約者に事情を話すと約束した。だから当然、オスカーは本物ではないことがバレたりするのを心配しているわけではない。たとえ本物が戻らなくても、ピアスを必死に捜した、アンジェリークの気持ちこそが大切なのであって、もしも婚約者がその気持ちを汲めないような男なら、一生を共にするなど諦めたほうがいい。
 だが、想い出の品、というのはいくら一見してわからないものであっても、やはり特別な何かがあるはず。それを贈った子爵の為にも、贈られたアンジェリークの為にも、できれば本物を戻してやりたい。
 しかし、本物のピアスは見つからない。遺失物として届けられてもいないし、質屋や宝石店に売られてもいないようだ。一粒石やリングのピアスならまだしも、小さいながらフォーマルに通用するデザインのピアスなど、片耳だけ持っていてもあまり意味はないだろうに。
「んなこと、オマエがそこまで考えてやることじゃねぇよ。ったく、オマエ、結構お人好しだよな」
アリオスがオスカーの髪をグシャグシャと掻き乱した。
「あのな、お人好しとはなんだ。お前と違って俺は優しいんだよ」
ムッとしたようにオスカーが言う。
「それがお人好しなんじゃねぇか」
ククッ、と笑ってやると、オスカーは不機嫌そうに踵を返した。
「シャワー、浴びてくる。ベッドは譲ってやるからとっとと寝ちまえ」
それに対してアリオスはニヤリと笑って返す。
「待っててやるから一緒に寝ようぜ」
返答は、無言だった。



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