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A Day In The Life -26th.-




 アンジェリークのことを、護ってやりたいと思う。それは今も変わらない。
けれど、彼女の中にエリスを見ていることを、否定できない。
護ってやりたいと思う、その気持ちが、護ってやれなかったエリスへの想いも引き摺っていることを、アリオスは疾うに自覚している。それでも、彼女に惹かれる気持ちは止められなかった。アンジェリークは、あまりにもエリスに似過ぎていたのだ。
 歯止めのないまま、彼女に惹かれ、時間を過ごし、ますますアンジェリークにエリスの面影が重なり。けれど、アンジェリークとエリスは別人だ。だから誤魔化し続けていた。一体、自分はアンジェリークを見ているのか、エリスを見ているのか。
 だが、本当は。
それ以前に、気づかない振りをしていたことがある。
 自分は、オスカーとの関係をどうしたいのか。
アンジェリークと出逢ってから、オスカーとまともに会話する機会は極端に減った。触れ合うこともない。きちんと顔を見ることも無くなっていた。
 アンジェリークを初めて見た日。そのあまりにエリスとよく似た姿に、酷く狼狽した。記憶の底に沈めたものを突然引き上げられて、居ても立ってもいられなかった。浴びるどころか、浸かる程の酒を飲み、したたかに酔った勢いのまま、オスカーを無理に抱いた。
 黙ってたな、アイツ。
ソファに寝転んで、アリオスはその時のことを思い返す。
 あんな風に無理矢理行為に及んで、それを良しとするような男ではない。元々何をしても拮抗する二人だ。オスカーが本気で抗えば、泥酔状態だったアリオスを跳ね除けることなど造作もなかっただろう。
 だが、オスカーは黙ってアリオスを受け容れた。
到底愛撫とは呼べない乱暴な行為に、苦痛の声を噛み殺しながら、決して「やめろ」とは言わなかった。
翌日には、何でもないような顔していた。きっと、躰は悲鳴をあげていただろうに。
 いつだって、そうだった。
出逢ってから今まで、些細なことで子供の喧嘩じみた言い争いをしたりすることはよくあったが、オスカーとの会話で神経が逆撫でされたことなど皆無だ。アリオスが本当に触れて欲しくないと思っていることは、オスカーは何も訊かずに受け容れてくれていたのだ。アリオスが意識せずにいるうちに、オスカーは触れていいもの、触れてはいけないものを感じ取っていた。あの男はそれをいとも容易くやってのけたから、気づけばそれが自然になっていたのだ。アンジェリークに「魘されていた」と起こされるまで、意識せずにいたほど。
 初めて逢ったとき、オスカーはしばらくアリオスを凝視していた。
色違いの眸を好奇の目で見られることには慣れていたから、オスカーのその凝視にも特に何も思わなかった。珍しいとか、猫のようだとか、そんなことを言われるのだろうと思っていた。だが、彼は暫く黙って見つめていたかと思うと、ふっと笑ってこう言った。
 初めて見たが・・・。綺麗な色だな。
そのセリフに驚いたことを、今でも憶えている。
「何やってるんだ」
取りとめもなく思い返していると、オスカーがリビングのドアに凭れていた。
「・・・別に」
「お嬢ちゃんとどこか行かなくていいのか?」
「なんでだ?」
アリオスはソファから身を起こすと、オスカーを見つめた。
「お嬢ちゃん、明々後日帰るんだろう?」
「ああ、らしいな」
昨日、アンジェリークにそう告げられた。オスカーは恐らくレイチェルあたりに聞いたのだろう。
「だったら、もっと一緒にいたいんじゃないのか?」
 少なくとも、アンジェリークはそう思っているはずだ。
「そうだな」
「なら・・」
「オマエ、それでいいのか?」
オスカーをじっと見つめてアリオスは言った。
 彼女と一緒にいたい、そう思う気持ちはアリオスの中にもある。
けれど、今は考えなくてはならないのだ。
 自分はアンジェリークを見ているのか、エリスを見ているのか。
そして、自分が本当に心から欲しているのは誰なのかを。
 アンジェリークを庇ってエスカレーターを転げ落ちたあの時、途切れていく意識の中で思い描いたのは誰だったのか。誰の名を呼んだのか。
「それでいいって?」
オスカーは意味がわからない、というように首を傾げた。
「そのままの意味だ」
アリオスが、アンジェリークと共にいるということの意味。アンジェリークを選ぶということの意味。
「お前、お嬢ちゃんのこと大切に思ってるんだろう?」
オスカーがまるでからかうように微かに笑った。
「・・・」
「可愛らしいし、素直だし、正直お前みたいなひねくれ者には勿体無いくらいだと思うけどな。お嬢ちゃんもお前のことを好きなようだし。あの子、お前のことを話すとき、そりゃあ幸せそうに笑うんだぜ?ったく、俺が口説きたいくらいだ」
 俺の方がよっぽどいい男なのにな。
肩を竦め、オスカーは一気にまくし立てる。
「一昨日だって、庇われた所為で責任も感じてたんだろうが、お前の目が醒めるまでついていたいって、目の下に隈作ってまで言うんだ。お前がのうのうと寝てた所為だぞ」
「オスカー」
言葉を遮るように、アリオスは名を呼んだ。
だが、オスカーはそれを無視して続ける。
「なんなら、パリまで行ったらどうだ?どこにでもストーカーはいるだろうからな。ロンドンだけじゃなく、パリのレディたちにも安心を届けるってのはいいかもしれないぜ。お嬢ちゃんもお前といつでも会えるほうが喜ぶだろう」
「オスカー」
「ああ、悪い。オリヴィエと飲む約束をしてるんだ。夕飯作ってないから、お嬢ちゃんを誘ってどこか食べに行くんだな。なんならお嬢ちゃんの手料理をご馳走して貰うって手もあるが」
「オスカー!」
 キッチンは勝手に使ってくれ。たぶん今夜は帰らないから。
そう言いながらリビングを出て行こうとするオスカーを、強い口調で呼び止めると、オスカーは振り返ってアリオスを見た。
「なあアリオス。終わり、でいいじゃないか」
さらりとした口調だった。まるで、世間話をするかのような。こちらを見つめてそう告げるオスカーの口許には笑みさえ浮かんでいる。
「詳しくは知らないが、お前は昔何か大切なものを失って、今その穴を埋めてくれる何かを見つけたんだ。彼女はそういう存在なんだろう?だったら、迷わず彼女の手を取ればいいんだ。この二年間は・・・そうだな、ちょっとした暇潰しだな」
 自分とのことは、独りでいるには長すぎる時間を埋める為の暇潰しだったのだと、オスカーはそう言い切って見せる。
「だから、気にするなよ。お前らしくもない」
「オスカー・・・」
「時間に遅れちまう・・。じゃ、な」
 笑みを浮かべたまま頷いて見せると、オスカーはリビングのドアを閉めた。
「・・・」
一人残されたリビングで、アリオスは、閉じられたドアをただじっと見つめていた。



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