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A Day In The Life -27th.-




 ブザーが鳴り響いたのは、午後三時近くのことだった。
明け方まで酒を片手に自問自答を続けていたアリオスだが、知らないうちにソファでそのまま眠ってしまっていたらしい。
 大音量で響き渡るひび割れた音のブザーが止むと、バタン、と玄関の扉が開けられる音がした。無用心だが、鍵をかけずに眠ってしまったのだろう。
 遠慮のない足音の主はすぐにリビングのドアを勢いよく開けて現れた。
「は~い、アリオス。鍵かかってなかったから勝手に入ってきちゃったよ~ん」
目覚めの第一声としては絶対に聞きたくなかった声だった。
「・・・何の用だ、オリヴィエ」
「あら~、こんな時間にお目覚め?優雅なんだか怠惰なんだかわかんない生活送ってるわね、相変わらず」
 オリヴィエは向かいのソファにどさっと腰を下ろすとオーバーアクションで足を組んだ。
「二〇分待ったげるから、シャワー浴びて着替えてらっしゃい。楽しく二人でお食事に出かけるわよ」
 軽い言葉とは裏腹に、その声には剣呑な響きが含まれていた。
 
 
 
 アパルトメントから三分ほどの所にある、ゲイ・ハサーというハンガリー料理のレストランで遅めの昼食を摂ってセイランが自室のある五階に戻ってくると、二つ隣りの部屋の前に一人の少女が佇んでいた。
「何でも屋に用ってわけじゃなさそうだね」
 他人に干渉するのもされるのも嫌いなセイランが彼女に声をかけたのは、彼女があまりにも沈んだ顔で立っていたからだった。
 彼女のことは、二つ隣りの部屋の住人の片割れと一緒にいるところを何度か見掛けたことがある。
だが、数度見掛けたそのすべての時において、彼女はもっと幸せそうな笑みを湛えていた。
「あ、はい・・」
声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。驚いたように顔を上げ、彼女は頷いた。
「アリオスに・・。会いに来たんですけど」
「いなかったのかい?」
「いたんですけど・・。出かけるところでした」
 すごく華やかな・・・たぶん男の人だと思うんですけど、その人と一緒に。
そのセリフで、オリヴィエが来ていたのだな、とわかる。セイランはオリヴィエとも顔見知りだった。
「それで、そんな沈んだ顔してたってわけかい?アリオスにだって色々都合もあるだろうに」
「あ、違うんです。一緒に出かけたかったのは本当だけど、それがダメだったからってわけじゃなくて・・」
 上手く言葉にできないらしく、彼女はそう言うと俯いた。
その様子にセイランは溜息をついた。お節介を焼くのは趣味ではないのだが。
「生憎僕は銘柄なんてものに拘る性格じゃなくてね」
「え?」
唐突な言葉に、彼女は首を傾げてセイランを見る。
「高かろうと安かろうと美味しいのならそれでいいのさ」
「えっと・・」
「お茶くらいなら出せるけど?」
 インスタントだから、キミが高級志向だっていうならオススメはしないけれどね。
その言葉に彼女は少し迷ったあと、頷いた。
 
 
 
 「さっきの子が、噂のアンジェちゃんってわけかー」
レスタースクエアステーションのすぐ近くにあるコーク&ボトルというワインバーに腰を落ち着けると、オリヴィエは早々に話を切り出した。
「別に噂にはなってねぇだろうが」
「オスカーに聞いたのよ」
「そういえば、オマエ、アイツと飲んでたんじゃなかったのか?」
昨日、オスカーはそう言っていたはずだ。
「飲んだわよ。だからこーしてワタシがアンタんとこ来たんじゃない。朝まで飲んで、寝床も提供してやったから、あのバカ、まだ眠ってるんじゃないの~?こっちは睡眠不足もいいとこよ、まったく」
 手早く注文を済ますと、オリヴィエはふっと真剣な顔になった。
「で?」
覗き込むようなその視線に、鬱陶しげに髪をかきあげるとアリオスはオリヴィエを見返す。
「何が言いたい」
「アンタはどうするつもりなのかと思ってね」
にやりと笑ってオリヴィエはそう言った。だが、その視線は表情を裏切って鋭い。
「・・・何処まで知ってるんだ、オマエは」
「知らないわよ」
「?」
「アンジェリークって子が現れて、そりゃあ可愛らしくて素直ないい子で、アンタはその子をすごく気に入ってる。アイツが話したのはそれだけよ」
 それだって、随分酔いが回ってからやっと話したんだけどね。
運ばれてきたハムとチーズのパイを食べながらオリヴィエはそう言った。
「どっからそれだけ言葉が出て来るんだってくらい口の減らないヤツだけど・・・。でも、アイツ、自分のことは喋ろうとしないの、知ってるでしょ」
 そうなのだ。オスカーは饒舌でありながら、自身のことはほとんど話さない。それすらも、深く付き合ってみないとわからないほど、彼は巧みに会話の舵を取る。
 だから、オスカーは「終わりにしよう」と言ったことも当然話していないのだ。恐らくは普段と変わらない様子で朝まで飲み明かしたのだろう。
「だったら、オマエはなんでオレのとこに来たんだ、オリヴィエ」
「孤独だったから」
「・・」
「昼過ぎに喉が乾いて目が覚めて、叩き起こしてやろうかと思ってオスカーの様子見たのよ。アイツはまだ眠っててさ。そしたらなんか・・・。上手く言えないんだけどね、すごく孤独に見えたのよ、あのバカが」
 自分の勘の良さには絶対の自信を持っているオリヴィエは、その直感に従って行動することを即座に決めた。オスカーが孤独に見えるということは、その原因はきっとアリオスにある。明け方近くになってオスカーが言った、アリオスが気に入っているという少女が二人の間の楔となっているに違いない。
「オスカーがさ、アンタに惚れたんだって気づいた時ね、そりゃあ驚いたよ、ワタシ。だってアイツの女好きはよぉく知ってたからね。でもね、だからわかったのよ。あの徹底した女好きでプライドの高いアイツが、そういうハードルを越えるほど、アンタのことを好きになったんだって」
「オリヴィエ」
「あのバカ、笑っちゃうけど、結構健気なトコあるからさ。そこまで好きになった相手のこと最優先しちゃうんだよねぇ。女の子のことも優先しちゃうけど」
 あんな態度デカい癖して、実は自分のことは後回しってんだから可笑しいったらありゃしない。
言葉と裏腹に大して可笑しそうでもなくオリヴィエは言い募る。
「アリオス。ワタシはアンタのこと、結構いい飲み友達だと思ってるけどね」
アリオスが無言でオリヴィエを見遣った。
「でも、アンタと知り合う前からあのバカはワタシの悪友なのよ。しかも悔しいことに、結構大事なね」
オリヴィエはワイングラスを回しながら笑う。アリオスから視線を外さずに。
「べっつに、別れるな、なんてバカなこと言わないわよ。アンタがそのアンジェちゃんを選ぶってんならそれでもいいわ。けどね」
そこでグラスを置いて、オリヴィエは静かに告げた。
「アイツだけが犠牲を払うような終わり方だけはやめて」



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