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A Day In The Life -18th.-




 「でね、夜になったら、ムーンライト・シンデレラが咲くんだよ。いい香りがするでしょう?」
昨日から降り続いた雨も昼前には上がり、多少湿度は高いものの、やがて見事な青空が顔を覗かせた。
 昼過ぎに部屋を訪ねてきたレイチェルに引っ張り出され、アリオスはアンジェリークと午後を過ごしている。
 「レイチェルが、勝手に呼びに行っちゃって・・・ごめんなさい」とアンジェリークは謝ったが、アリオスは「別にかまわねぇよ」の一言で済ませた。本当に嫌ならば、絶対に外に出てやるような男ではないのだ。自分の肩ほどの身長もない彼女の頭をくしゃくしゃと撫でてやると「子供じゃないんだから」とアンジェリークは拗ねたように言った。どちらかと言うと内気で大人しい彼女が、アリオスの前では快活な顔を見せることに、アリオスは自分でも気づかないうちに満足していた。
 その無意識の満足は、快活な顔のほうがより、記憶の中の面影に重なるからだ、ということを、当然アリオスは自覚していない。
 どこへ行くんだ、と尋ねたアリオスに、アンジェリークはハイドパークに程近い一軒の家に行くのだと告げた。
 昨年の夏休みに彼女の家にショートステイをした少年が住んでいるのだという。ユーロトンネルが出来てからは鉄道でもロンドン・パリ間はユーロスターで三時間、飛行機を使えばたった一時間という近さになったが、十代の彼らにとってはそう簡単に行き来できる距離でもない。飛行機でもユーロスターでも、チケット代は彼らには痛い出費となるからだ。
 そんなわけでアンジェリークは昨年の夏以来、時々電話やメールを遣り取りしていた少年の家を訪ねることにしたのだ。何度も話に聞いた、自慢の庭を見せてもらう約束なのだという。
 正直アリオスはガーデニングに何の興味も知識も持ち合わせていないが、渋ることなくアンジェリークにつきあってやることにした。「興味ねぇな」などと一言言おうものなら、彼女の表情が一瞬にして曇ってしまうことを知っていたからだった。
「この花って夜の間だけ咲くのよね?」
「そう。だからムーンライト・シンデレラ、って言うんだけどね。毎年花をつけるわけじゃないし、この花を見るのは結構大変だけど楽しみなんだ」
「今年は咲くのね。ホント、いい香りがする・・」
 ね、アリオス?と同意を求められてアリオスは短く頷いた。
「じゃ、今度はローズガーデンだよ」
 そう言って二人を案内するのは、マルセル・ナッシュ。ガーデニングが趣味の、アンジェリークの友人である。尤も、イギリスは国民総ガーデナーと言われる程ガーデニングが盛んな国であるから、ガーデニングが趣味の少年、というのも決して珍しいわけではなかった。
「いろんな薔薇があるけど・・。今は、イングリッシュローズを中心にローズガーデンを作ってるんだ」
白い蔓薔薇のアーチをくぐると、咲き乱れる花の香りがする。
「これも、薔薇なのか」
花々を一瞥してアリオスが言うと、マルセルがうん、と頷いた。
「お花屋さんで花束にしてもらうような薔薇とはイメージが違うから、詳しくない人は薔薇だってわからないんだけど。これも薔薇なんだよ。可愛いでしょ」
アンジェリークが一つ一つの薔薇を丁寧に見て回る。これはジェーン・オースチン、それはスイート・ジュリエット、とマルセルが隣りで薔薇の名前を教えていた。
 薔薇どころか、花というもの全般に疎いアリオスは、確かに言われなければこれが薔薇だなんて一生気づかなかったに違いない。
 薔薇というと、緋い、華やかな花を思い出す。たった一輪だけでも、自然とその場の中心に収まるような、凛として鮮やかな花。ときどき、ダイニングのテーブルにも一輪飾られていた。
 それはそのまま、赤毛の相棒のイメージと重なる。
「きっとアリオスさんが薔薇、って思ってるのは、剣弁咲きとか高芯咲きのハイブリッドティー系なんだと思うな」
 そんな専門用語を言われても何のことやらさっぱり、というアリオスに、ちょっと待ってて、と言ってマルセルが持ってきたのは、一本の深紅の薔薇。
「花束にしてあげたいって、頼まれてて、さっき切ったんだけど・・。こんなイメージでしょ?アリオスさんの思う薔薇って」
「綺麗・・」
アンジェリークもその薔薇を見て感嘆の声をあげた。
 中心が高く、外へ反るように広がる緋色のビロードのような花弁。まさしく、アリオスがイメージしていたのはこういう薔薇だった。
「これはね、日本作出の薔薇で"乾杯"って言うんだ。綺麗だよね」
言いながら、マルセルは持ってきたその一輪を、アンジェリークに渡す。
「アンジェにあげる」
「ありがとう」
パッと顔を輝かせて、アンジェリークが一輪の薔薇を大切そうに持った。
「綺麗な花だね?」
そう同意を求められ、アリオスは「そうだな・・・」と一言答えた。
 確かに美しい花だと思った。けれど、彼女が持つにはイメージが違いすぎる。彼女にはもっと可憐な、たとえばこのローズガーデンに咲いているような薔薇の方が似合う。こんな華麗な薔薇が似合うのは・・・。
 共に暮らしていながら、何故かひどく遠くなってしまったように感じる相手を、アリオスは思い出していた。

 昼間、レイチェルに夜はアデルフィシアターにミュージカルを見に行くからそれまでには帰って来いと念を押されていた為、時間を見計らってアパルトメントに帰ると、エントランスの前にレイチェルが待っていた。
楽しかった?などと、尋ねてくる親友に頷いた後、アンジェリークがアリオスを振り返る。
「つきあってくれて、ありがとう。楽しかった」
「大したことじゃねぇよ」
「また、つきあってもらってもいい?」
「ああ」
ポンポン、と軽く頭を叩いてやると、アンジェリークが嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、またね、アリオス」
「気をつけてけよ」
うん、と幸せそうに頷いて、レイチェルと一緒に歩いていくアンジェリークと、それを自覚のないままひどく柔らかな眼差しで見送ってやるアリオス。
 その様子を、部屋の窓からそっとオスカーが見下ろしていた。



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