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A Day In The Life -11th.-




 人それぞれ、器用不器用、というものはある。凝り性かそうでないか、という性質の差もある。マメなタイプかどうか、というのも大きい。
優しい冷たいとか、明るい暗いとか、そういった感情的な性質とは別のところで、こういう性質の差は如何ともし難い。
 ソーホーの何でも屋、はそのすべての条件に於いて正反対のタイプだった。
つまり、器用でマメで凝り性のオスカーと、不器用で大雑把で拘らないアリオスである。
 アンタたち、よく一緒に生活してられるわね。
二人のタイプを熟知しているオリヴィエが何度か感心したように言ったことがある。
 オレも不思議だ・・・。
ぼんやりと記憶の中の問いかけにアリオスは返事をした。
 なんで、コイツはたかだか料理にこんなに凝るんだ??
食材の入った紙袋を持って歩きながら、アリオスは少し前を機嫌よく歩く相棒を見遣る。
 昨夜は、ヘヴンを出た後パブで酒を飲み、アパルトメントに戻ったのは深夜三時頃だったと思う。なんとなく昂揚した気分のまま、ベッドに縺れ込み抱き合った。眠りに就いたのはもう朝といってもいい時間だったはずだ。目を醒ましたのは正午前。こんな日は自堕落に過ごすに限る、とアリオスはシャワーを浴びた後、もう一度眠ろうと思っていた。
 思っていたのだが。
「アイリッシュシチューを作る。パンも焼くぞ」
 シャワーを浴びて出てくると、まだ眠っていたはずのオスカーがそう宣言して入れ替わりにシャワールームに消えた。突然それだけを告げられたアリオスにしてみれば「・・・は?」と間の抜けた返事をする以外何もリアクションのしようがない。冷たい水で喉を潤しながら、「アイツは寝惚けてたのか」と結論付けて寝室に戻ると、寝乱れたベッドはシーツが換えられ、整えられていた。
 こうなると寝惚けていた、という可能性は消えるが、作るというなら作らせておけばいい。アリオスが料理などできないことは、オスカーも充分承知しているのだから、別に手伝え、と言いたいわけではないのだろう。そう思ってベッドに潜りこもうとすると、後ろから湿ったタオルが投げつけられた。
「何寝ようとしてるんだ、すっとこどっこい」
 すっとこどっこいってなんだ、すっとこどっこいって・・。
アリオスがタオルを片手に振り返ると、ドアの傍に立ったオスカーが、髪から水滴を落としながら睨んでいた。
「オマエがメシに凝るのは勝手だけどな、オレは食える味で腹が膨れりゃいいんだよ。何しろって言うんだ」
湿ったタオルを放り返しながらアリオスが問うと、オスカーが眸を眇めた。
「決まってるだろ、買い出しだ」
 かくして、アリオスは怠惰な昼寝を諦めさせられたのである。
 ソーホーの胃袋、と呼ばれるべリックストリートは青果や野菜の露店が立ち並び、買い物客で賑わっていた。
「一通り買ったか・・・?」
「知るかよ」
「お前なぁ・・。もうちょっと楽しそうにしろよ」
「楽しくないのに楽しそうになんてできるか」
 お前が持てよな、と渡された紙袋を、なんだったら放り出したい気分でアリオスは溜息をついた。気分だけで、さすがに放り出しはしないが。なんといっても、この食材の半分は自分の胃袋に納まることは確かだ。
 アリオスが昼寝を渋々諦めたのも、不本意だが荷物持ちに甘んじているのも、ちゃんと理由があった。
 共同生活を始めたとき、一応の取り決めをしたことがある。
器用で家事全般をなんなくこなすオスカーと、そういったことは最低限しかしないアリオス。この場合最低限とは、お湯を沸かすとか、埃が積もったらおざなりに拭くとか、シーツは精々三ヶ月に一回取り替える、など本当に最低限の限界に挑戦するレベルであり、取り決めるまでもなく、自ずと役割は決まってしまう。オスカーも、自分が料理に凝るからと言って、それと同じレベルや拘りをアリオスに求める程愚かではなかったので、基本的に家事はこなしてやる、と宣言した。その代わり、買い出しくらいお前が行け、と。
 一緒に暮らすにあたって決めたのは、これとベッドは早い者勝ちという二点だけだった。
だけだったのだが。
取り決めが生きているのは、ベッドは早い者勝ち、という一点だけである。
「お前、ほんとに俺と会うまでどうやって生活してたのか謎だな」
 不愉快だ、と全身からオーラを発していながら、律儀にも紙袋を持ったまま後に続くアリオスを、オスカーは呆れたように振り返った。
「別にメシ作れなくても飢え死になんてしねぇからな」
 英国式ブレックファーストを楽しむ趣味もない。朝はカフェで一杯コーヒーでも流し込めばいいし、昼はデリでサンドイッチとちょっとした惣菜を買えば済んだ。夜はパブで酒と一緒にちょこちょこと何かつまんでいれば、それでいい。健康的とは程遠い生活を送っていたアリオスだった。
 買い物客で賑わうベリックストリートを抜けると、歩くスピードも途端に速くなる。元々アパルトメントからそんなに離れているわけでもないし、二人のコンパスの長さで歩けば、アパルトメントまでは一〇分ほどだ。
「だが。」
アパルトメントの前まで来て、オスカーが立ち止まった。
「俺の美味い料理を毎日食ってたら、元の生活なんて戻れないだろう?」
自信たっぷりの表情で勝ち誇ったようにオスカーが笑った。
 それは、自分と離れるなんてできないだろう?という問いかけでもあり。
 男は胃袋で捕まえる、という結婚の極意とまるで一緒だが、問い掛けたオスカーにも、問い掛けられたアリオスにも、まさか自分たちがそんな、結婚五年目倦怠期の主婦が平日昼間の喫茶店で未婚の友人に話して聞かせるような内容の会話を交わしている、という自覚は全くない。新婚三ヶ月の幸せ絶頂期のカップルのような気恥ずかしさは多少感じているにしても。
 オスカーの問い掛けに、アリオスが眉を顰める。
 そうだ、と答えるのも癪だが、否定すればオスカーの機嫌を確実に損ねて、両手で抱えた食材たちにありつけないのも自明だった。
「こんにちはーっ!」
さて、どう答えようか、とアリオスが悩んだところに、明るい声がかけられる。
このアパルトメントの三階に住むレイチェル・ハートという少女だった。
「ようお嬢ちゃん、日常生活能力に欠陥のある従兄殿のところかい?」
「そう。まーた帰ってこないんですよ。しょうがないからこのワタシが着替えを届けにね」
着替えが入ってパンパンに膨れたメッセンジャーバッグを肩にかけ、レイチェルがマウンテンバイクに足をかけた。
「気をつけてな。可愛らしいお嬢ちゃんに世話を焼いてもらえるエルンストは幸せだ」
「どーだか。研究のことしか頭にないから、このワタシの有り難味なんてぜーんぜん、わかってなさそうですけどね」
そうして、ペダルを漕ぎ出そうとしたレイチェルが動きを止めて、振り返る。
「今度、友達がフランスから遊びに来るんです。紹介しますねー!同じアパートに超カッコいい二人が住んでるって言ってあるんです」
それだけ言うと、ペコッと頭を下げ、走り去っていった。
「元気なお嬢ちゃんだな」
オスカーが言いながらアパルトメントに入ろうとするのを、アリオスが呼び止めた。
「なんだ?」
「さっきの答えな」
「さっきの・・?」
「オマエの作るメシは美味いと思う」
「・・・?」
不思議そうにこちらを見るオスカーを置いて、紙袋を抱え直したアリオスはさっさと中へと入っていってしまう。
「・・・答えになってないじゃないか、結局」
一瞬の沈黙の後、苦笑してオスカーも肩を竦めると、アパルトメントへと入っていった。



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A Day In The Life -10th.-




 私立探偵、と一口に言っても、扱う依頼は実に様々だ。特に二人の場合、アリオスにとっては非常に不本意なことに、「ソーホーの何でも屋」として認知されている為余計守備範囲は広くなる。それこそ、先日のアンジェリークの探し物のような依頼も、多くはないが少なくもない。
 だが、二人に舞い込む依頼の中で最も多いのが、ストーカー対応だ。ストーカー撃退に関しては成功率は百パーセント。彼らの特徴は、依頼を請けてから、解決までの時間が非常に短いことだ。一週間かかることはまずないという、ストーカー事件としては異例中の異例のスピードを誇る。
 チャリングクロスステーションから徒歩三分ほどのところにあるヘヴンというナイトクラブは、今夜も盛況だった。もう深夜と言ってもいい時刻だが、客はどんどん集まってくる。このクラブでは、一階のフロアでストイックに踊る人々を、二階で酒を片手に眺める。手相占いなどもある二階の方が、人がごった返していて耳を寄せないと隣りに座る人間との会話もままならないほどだった。
 ウォッカを煽りながらアリオスは一人で階下を眺めていた。否、本当は一人ではないのだが、とりあえずは一人でふらりと来た客、を装っている。入れ替わり立ち代わり、様々な人々がアリオスに誘いの言葉をかけてくるが、それらはすべて素っ気無く断った。誘いをかけてくるのに、女性よりも男性の方が圧倒的に多いのは、ここが実はゲイクラブだからだ。入場制限は設けられていないので、普通のクラブと同じように盛り上がっているが、ゲイの男性が多くいるのもまた事実である。アリオスのような人目を惹く男が一人で佇んでいれば、自ずと誘われる回数も多くなるというものだ。
 かったりぃ・・。
黙々と杯を重ねているイイ男、の胸中を語るとこんな身も蓋もない言葉がでてくる。
 赤毛の相棒ではあるまいし、女に誘われるのも煩いとしか思わない彼にとって、女どころか男にも誘われ続ける今の状況は、かなりの忍耐心を必要とされるのだ。
「到着」
 アリオスの脇をそ知らぬ顔で通り過ぎたオスカーが、一言耳元で依頼人とターゲットの到着を告げていった。
 本日の依頼もまた、ストーカー対応、だった。以前付き合っていた男がストーカーへと変貌した。なまじ以前付き合っていた分、被害者も出来れば警察沙汰にはしたくない、という思いもあり、事態はややこしくなるという、実によくあるパターンである。
 本来、ストーカー対策となれば被害者をガードし、ストーカーの動かぬ証拠を集めた後、代理人が加害者にそれをつきつけ、あらゆる法的手段をも辞さないと半ば脅しに近い勢いで説得するものだが、彼らのストーカー対策はそれとは全く異なる。
「よう」
 やがて姿を現した依頼人に、さながら親しい間柄であるかのようにアリオスは軽い挨拶をした。話がある、と依頼人に連れてこられたらしいターゲットの顔がひく、と引き攣る。
 ごった返す人の群れの中、さり気無くターゲットの後ろのスツールにはオスカーが座っていた。ほぼ百パーセント有り得ないが、仮にターゲットが逆上して依頼人に危害を加えようとしても、ターゲットをすぐに取り押さえられるように、である。
 役者が揃ったことを確認して、アリオスが軽く目配せして合図を送ると、依頼人はくるっと元恋人に向き直り、アリオスに腕を絡ませて宣言した。
「この人が、私の好きな人よ」

 ソーホーの何でも屋、のストーカー対策は、彼らにしか出来ない対策である。普通の男がやっても効果がない。
「ったく、なんでこの店なんだ」
「彼女がよく遊びに来るって言ってたんだから仕方ないだろ」
 依頼人の行動範囲で、人の多い場所。これが絶対条件なのだ。相手の生活パターンを把握しているのがストーカー。それまで依頼人の行動範囲に現れたことのない男を急に相手役に仕立てても、ストーカーに疑われるだけだ。だから依頼人が頻繁に行く場所で一番人の多い所を設定する。ごった返すの人の群れの中での依頼人の行動は、いくらストーカーといえどもすべてを把握できているわけではないから、見たこともない男が突然現れてもそんなに不自然ではなく、ストーカーもあまり疑わないのだ。
「ゲイクラブに遊びに来るな」
「俺に言うなよ」
 相手役は、依頼人の好みであったり、コイントスで決める。今回はアリオスが負けたのだった。
 別に恋人を装わなくてもいい。依頼人が「この人が好き」と宣言するだけでいいのだ。それだけで大抵のストーカーは諦める。一九〇センチ近い長身、十人いれば十人が振り返る美形。それだけで、とてもではないが太刀打ちなどできないと項垂れる。
 「僕はキミのことなら何でも知っている。僕よりキミを愛してるヤツはいない。キミは僕といてこそ幸せなんだ。」そんなストーカー特有の恩着せがましい主張も、「男は顔よ」というホストクラブ通いでもしていそうなセリフにバッサリと斬り捨てられた。「後をつけられようが、盗聴されようが、殴られようが、これだけの美形だったら許せるわ」と、言われた方がギョッとするようなセリフを吐いた女性もいる。稀に、高学歴のインテリやスポーツ選手経験を持つ者など、自分に何らかの自信を持つ者が「外見だけの男なんてすぐに飽きる」と憤るが、それに対しても「この人と勝負して勝てば、ヨリを戻してもいい」という言葉に引っかかって敢え無く撃退された。
 ある者は冷静に論破され、ある者はテニスで負け、ある者はダーツで負け。
勿論乱闘沙汰になったこともあるが、二人にしてみればその方が手っ取り早くて有り難かった。インテリな論争やテニスやダーツよりも、殴り合いの方が一分かからず勝敗が決するからである。
 本日のターゲットは、ストーカーとしては初期段階であったこともあって、あっさりと片付いた。根が深いと暫くは警戒を要することもあるが、今回は問題ないだろう。依頼人はうっとりと二人を見つめながら何度も礼を言った。こういう時は即払いの報酬を受け取ったら、すぐに別れるのが基本だ。そうしないと、今度は依頼人が二人のストーカーもどきになりかねないからである。
「ま、いいじゃないか、随分モテてたようだし?」
 男にもな。
笑いながらオスカーがからかう。
「嬉しくもなんともねーよ」
心底嫌そうにアリオスがウォッカを煽った。
 ここがゲイクラブであるが故か、先程まであれだけ頻繁にかけられた誘いも、二人で飲み始めた途端、さっぱりかからなくなった。
 それはつまり、そう見られている、ということで。
なんとも複雑な気持ちになるのは否めない。二人がそういう関係であるのは事実だから否定しようもない、のではあるが。
「とっとと、出ようぜ」
グラスを置くとアリオスは立ち上がった。飲むならもう少し落ち着ける場所で飲みたい。
「お前も矛盾したヤツだな」
苦笑しながらオスカーも立ち上がった。
 性別のモラル、という点ではアリオスの方が余程垣根は低い。プラトニックで朧気な恋愛感情から、躰を伴う関係までのボーダーを越えてきたのはアリオスの方で、同性、というハードルを高く捉えていたのは寧ろ、徹底した女性賛美主義者であるオスカーの方だったというのに。
「・・・」
 アリオスは不意に立ち止まると、振り返ってオスカーの首の後ろに手を回した。そのまま引き寄せて、思う存分唇を貪った。
 いくらゲイクラブ、とは言っても、周りの客は唖然とする。いきなりディープキスをされたオスカーも呆然である。
「テメェが偶々男だった、ってだけだろーが」
 唇を離してそれだけ言うと、アリオスはすたすたと出口に向かってしまう。
呆然としたオスカーだが、やがてクツクツと笑い始めた。
 好きになった相手が偶々同性だった、なんて陳腐なセリフをあの男が言うとは。
つまりそれは、オスカーというパーソナリティーを好きになったのだと、そう言っているわけで。綺麗事、という感は否めないが、言われれば嬉しいものでもある。
「ちょっと待て、置いてくな」
 このまま笑っていると確実にアリオスの機嫌が下降するとは思いつつも、噛み殺せない笑いをわざとらしい咳払いで誤魔化しながら、オスカーも出口へと向かった。



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A Day In The Life -9th.-




 天気予報では今日は珍しく三〇度近くまで気温があがる、と言っていた。
気温は高いが風があるため、窓を開けておくと丁度いい。一日中晴れ、という予報を見たオスカーが、昨夜先にベッドを占領したアリオスを蹴り起こし、はりきってシーツを洗濯した為、現在アリオスは不機嫌な様子でリビングのソファにだらりと横になっている。
「いい歳して何不貞腐れてるんだ、お前は」
向かいの一人掛けのソファに座り、雑誌に視線を落としていたオスカーが不意に顔をあげ、呆れた様子で声をかけた。
「気持ちよく寝てるところを蹴り起こされりゃ、誰だって機嫌悪いに決まってるだろーが」
全く以てその通りなのだが、上機嫌のオスカーには通用しない。
「こんないい天気なんだ。寝て終わるなんて勿体無いだろ?」
「起きたって別に何にもしてねぇだろ」
「なら天気がいいからこそ出来る事、何かするか?」
 ローン・テニスとかな。
オスカーが部屋の片隅に置かれたラケットを指差す。
「遠慮しとくぜ」
アリオスはぶっきらぼうに短く答えて眠る体勢を取った。それを見てオスカーが小さく笑う。
 オスカーが上機嫌なのは、何も天気がいいからだけではない。ここ一週間ほどの懸案事項、アンジェリークのピアスの件が、昨日思惑通りに大団円を迎えたからだった。

 「ごめんなさいっ!」
しばらく言葉を捜していたらしいアンジェリークは結局、テーブルに額をぶつけそうな勢いで謝罪の言葉を口にした。
「私・・・私、ジュリアス様に頂いたピアス・・・片方失くしちゃったんですっ!」
深く頭を下げたまま、堰を切ったようにアンジェリークは話し始める。金色の髪が食べかけのアップルパイにつきそうで、面倒臭そうながらもさり気無くアリオスが皿の位置を動かした。
「ジュリアス様が前に、お母さまの形見だって見せてくださった時からすごく憧れてて。下さるって言われた時は、ほんっとうに嬉しくて。ほんとにほんとに、嬉しかったんです。大切にしようって思ったんです。嘘じゃありません」
 言いながら、ぎゅっとテーブルクロスを握り締めるものだから、テーブルの上のカトラリーがカチャカチャと音をたてる。
「すごくいいものだってわかってたし、絶対に代わりなんてないものだって、気をつけなきゃいけないって思ってたのに、私ったら、どうしても着けてみたくて。そしたら、気がついたら片方失くなってて・・・。本当に、ごめんなさいっ!折角ジュリアス様が下さったのに・・」
更に握り締める手に力が入った所為でアンジェリークの方へ引っ張られそうになるクロスを、オスカーが苦笑しながらそっと押さえた。
「それで、何でも屋さんにお願いして・・・」
 「何でも屋」という言葉にアリオスが嫌そうに目を眇めたことに気づいたのは、向かいに座っているオスカーだけである。
「ルヴァのところへ行ったのも、それが原因なのだな?」
静かに確認するジュリアスに、アンジェリークがこくんと頷いた。
 それを見て、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。アンジェリークは呆れられたに違いないと思っているが、そうではなく、安心した為だというのは傍で見ているオスカーとアリオスには一目瞭然である。
「顔を上げてくれ、アンジェリーク」
 落ち着いた、優しい声だった。
ゆっくりとアンジェリークが顔を上げると、ジュリアスが苦笑していた。
「そなたは、そんな些細なことで私をこんなにも心配させていたのだな。らしいと言えばらしいが・・・」
 責めているのでも呆れているのでもないことは、さすがにアンジェリークにも伝わった。
「あの、怒ってらっしゃらないんですか・・・?」
恐る恐る尋ねる婚約者に、ジュリアスは僅かに笑って首を振ってみせる。
「形あるものはいつかは必ず失われるものだ。失くしたにせよ、壊れたにせよ、な。確かに、あれは母の形見だ。想い出もある。だが、私はあのピアスに想い出を記憶しているわけではないのだ。ピアスが失われても、別に想い出が私の中から失われたわけではない」
 それよりも、おまえに何かあったのではないかと思うことの方がよほどつらい。
その言葉に、アンジェリークの眸から大粒の涙が零れた。
 女性の涙は絶対阻止、が信条のオスカーだが、この涙は別次元である。口を挟むなんて野暮なお節介はしない。
「今日は、ルヴァの所ではなく、私と共に邸に帰るな?」
優しい確認に、アンジェリークが何度も頷いた。
 これが映画だったら、周囲の客から拍手が起こりそうなハッピーエンドである。
「それじゃ、結果報告といこうか」
それを待っていたオスカーが口を開いた。ハッピーエンドを、更に完璧なハッピーエンドにする為の行程がまだ残っているのだ。
「残念だが、俺たちにはピアスは見つけられなかった」
その言葉に、アンジェリークが肩を落とした。
「やっぱり・・・そうですよね」
 無理なお願いしてすみませんでした。
アンジェリークがそう頭を下げようとするのをオスカーは遮った。
「おいおい、ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん。俺は約束したはずだぜ?」
片目を瞑り、悪戯でもするかのようにオスカーが笑う。
「必ず、君の許に二つピアス揃えるってな」
「でも、見つからなかったって・・」
「見つかるわけがねぇんだよ。・・・持ち主が持ち歩いてんだからな」
アリオスが足を組みながら呆れたように告げた。
「え・・?」
「お嬢ちゃん、鏡を持ってるかい?」
唐突なオスカーの質問に、アンジェリークが首を傾げる。指示を求める様に見回すと、向かいに座ったジュリアスの視線が、ともかく言うとおりにしてみればいい、と言っていた。
「持ってます。ポーチについてて・・」
 バッグから小さなバニティタイプのポーチを取り出す。ポーチを開けると確かに中に鏡がついている。
「済まないが、中身を全部出してみてくれないか。」
「はい」
言われるままに、中身を出していく。脂取り紙、リップクリーム、折りたたみ式ブラシ、ニキビ用の塗り薬・・・その他諸々。
「それ、逆さにして振ってみろ」
ポーチの中が空になったのを見て、アリオスが指示した。
「逆さに・・・・・・・・えぇーっ!?」
 周囲の客が再び振り返った。アンジェリーク、とジュリアスが嗜める。アンジェリークが慌てて口を押さえた。
 簡単だった。
アンジェリークがポーチを逆さにして振った途端、内ポケットからテーブルの上に落ちたのは、紛れもなく探し物のピアス。
 クラヴィスの占い通り、探し物は持ち主の傍で鏡と共に眠っていたのである。
「私、またやっちゃったの・・・?」
呆然と呟くアンジェリークに、オスカーが告げた。
「約束は、確かに果たしたぜ?お嬢ちゃん」

 その後の、顔を真っ赤にして謝り倒すアンジェリークの姿を思い出してオスカーはクス、と笑みを零した。あれでは、子爵もこの先大変だろう。彼女に非の打ち所のないレディを求めるのは一生無理に違いない。だが、本音と建前が交錯する社交界に於いて、アンジェリークはきっと誰もに愛される公爵夫人になるだろう。その前に"h"の発音だけは、練習したほうがいいかもしれないが。
 オスカーは読んでいた雑誌を閉じると時計を見た。二時を少しまわっている。これからコーヒーを淹れて一息入れたら、日光をいっぱいに受けたシーツとブランケットを取り込んでベッドメイキングをしよう。当然、今夜のベッドは自分が占拠するつもりだ。干したてのシーツの気持ちよさを譲ってやるほど、オスカーはお人好しではないのだ。向かいのソファで眠る同居人には、なんならこのまま存分に眠り続けてもらってもいい。
 オスカーはマガジンラックに雑誌を放り入れると、コーヒーを淹れるべく立ちあがった。



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A Day In The Life -8th.-




 そうだな、三時頃がいい。悪いが来て貰えるかい、お嬢ちゃん。
昼前にルヴァの家にかかってきた電話でオスカーからそう言われたアンジェリークは、ほぼ三時ぴったりにアパルトメントを訪れた。
 相変わらずリフトのチャイムの音はひび割れ、扉もギシギシと音を立てる。前に来た時よりも遥かに確固とした足取りで一番奥の部屋の前まで来た少女は、片耳を塞ぎながらブザーを押した。ブザーの音も変わらず大きい。
「やあ、お嬢ちゃん。本当なら迎えに行くべきなんだが、悪かったな」
前回よりも早く扉は開いた。中から出てきたのはオスカーだ。
「いいんです、全然。・・・なんだか、今日は二人とも雰囲気が違うのね」
オスカーと、続いて現れたアリオスの姿を見て、アンジェリークが首を傾げる。
 そうなのだ。初めて会った時も、先日ルヴァの家を訪ねて来た時も、洗いざらしのシャツやニット、ボトムもジーンズなどラフな服装をしていた二人が、今日はきちっと糊の利いたシャツにスラックス姿なのだった。緩めてはいるがタイもしているし、タイピンもつけている。手にはジャケットも持っていた。
「いい男は何を着ても似合うだろう?」
不躾なほど二人を見つめるアンジェリークに、オスカーが笑ってみせる。
「バカなこと言ってねぇで、行こうぜ」
呆れ顔のアリオスがアンジェリークの横をすり抜けた。
「バカなこととは失礼なヤツだな。・・・まあいい。時間も丁度いいしな」
腕時計をちら、と見て玄関の扉に鍵をかけたオスカーが、「行こうか、お嬢ちゃん」とアンジェリークを促す。
「え?あの、ピアスのことで私を呼んだんじゃ・・・?」
てっきり部屋に入って話を聞くものだと思っていたアンジェリークが驚いて、二人を交互に見上げると。
「もちろん。だが、その前に」
芝居がかった仕草でジャケットに腕を通したオスカーが、彼女に手を差し出した。
「優雅にアフタヌーンティーと洒落込むことにしようか」

 チャリングクロスロードに出て、ブラック・キャブを拾う。行き先はメイフェア地区、アルバマールストリートに面したブラウンズ・ホテル。ロンドンの中でも、豪華で格式のある一流ホテルのうちの一つだ。
 ホテルの正面玄関の前に止まったキャブからオスカーにエスコートされて降り立つと、アンジェリークは不安げな面持ちでオスカーを見上げた。婚約者と一緒にこういった格式のある店に来たことは何度かあるが、いまだ一度たりとも満足に淑女らしく振る舞えた試しがないのだ。自分のそそっかしさは筋金入りだと、自他共に認める彼女である。尤も、そのそそっかしさが、多くの人にとっては微笑ましく、また婚約者にとってはひどく愛おしいものに映ることを、彼女は気づいていない。
「そんな不安そうにしないでくれ、お嬢ちゃん。アフタヌーンティーを楽しむだけさ」
安心させるように、オスカーが肩を竦めておどけた調子で告げる。
 恭しくドアボーイが開けた扉をくぐり、ロビーへと足を踏み入れた三人は真っ直ぐにティールームに向かった。予約を入れてあるのか、すでに席が用意されている。
「実はもう一人ゲストを呼んであるんだが、到着はもう少しあとだろう。先にいただくとしようか。お嬢ちゃん、好きな紅茶は?」
「あ、ミルクティー・・・」
「茶葉のご指名はあるかい?」
アンジェリークが首を振ると、オスカーは向かいに座ったアリオスを見た。
「アッサム」
短く答えるアリオスに、オスカーが笑って、緊張した様子を隠せない少女に告げた。
「こいつは妙なとこで好みがうるさいんだ」
言いながら軽く手を上げて給仕を呼んだオスカーが注文を済ませて暫くすると、ウェッジウッドのティーセットとマッピンアンドウェッブのカトラリーがテーブルに並べられる。
明らかに緊張の度合いが増したアンジェリークだったが、次いでアンティークのワゴンに乗せられた銀の三段トレイを目にした瞬間、パッと顔が明るくなった。
 トレイに乗せられたケーキをじっくりと見たアンジェリークはアップルパイとピラミッド・ウォールナッツ・ガナッシュを選んだ。甘い物があまり得意でない男二人はそれぞれスモークサーモンのサンドイッチとプレーンなスコーンを選ぶ。
 嬉しそうにミルクティーとケーキを口に運ぶアンジェリークと、満足そうにそれを見るオスカーの会話が弾んだ。
 二〇分程経っただろうか。
 アンジェリークが、アップルパイを半分ほど食べた頃だった。それまで黙っていたアリオスが不意にティールームの入り口の方を見遣り、オスカーに顎で指し示した。入り口に姿を現した人物を確認したオスカーが、そんなことには全く気づいていないアンジェリークに声をかける。
「お嬢ちゃん、もう一人のゲストが到着したようだ」
「え・・・?」
その言葉に促され、アンジェリークが入り口に目を向けた。
「・・・!!」
 次の瞬間、彼女はガタッと立ち上がった。アフタヌーンティーを楽しんでいた他の客が一瞬何事かと振り返るが、そこは格式あるティールーム、すぐになんでもないように視線が戻される。
 迷いもなく、こちらに向かって歩いてくる人物。他のテーブルの客の中には、彼に向かって軽い目礼をする者もある。
「ジュリアス様・・・」
呆然とアンジェリークが呟いた。
 ジュリアス・バーリントン子爵。いずれ父の爵位を継ぎ、バーリントン公爵となる人物で、噂の、アンジェリークの婚約者である。ロイヤルファミリーとも血縁がある、イギリス屈指の大貴族の一人だ。
 テーブルの前まで来たジュリアスが、驚きに固まっているアンジェリークを真っ直ぐに見つめて口を開く。
「アンジェリーク・・・。心配していたのだぞ」
厳しい口調ながら、本当に心配していたことが窺える声だった。
「ごめんなさい・・」
俯いてか細い声で謝る少女に、ジュリアスがほぅ、と息を吐いた。それから気づいたように、少女の両脇に陣取る男たちに視線を向ける。
「わざわざご足労願い恐縮です、バーリントン子爵。急なお誘いで申し訳ありませんでした」
 オスカーが立ち上がり、挨拶した。アンジェリークの向かいの椅子を勧める。
「今朝電話をくれたのはそなただな。・・・あの電話の後、ルヴァから聞いた。事情はよく知らぬが、アンジェリークの為、そなたたちが力を貸してくれたのだとか。礼を言おう。ミスター・ホウエンシュタイン、ミスター・アルヴィース」
その言葉に咽たのが、アリオスだ。
「色々動いたのはコイツの方で、別にオレは何もしてねぇよ。そのミスター・・ってのは止めてくれ。アリオスでいい」
大貴族を前に、無礼極まりない口調だが、ジュリアスは特に気分を害した風でもなくアリオスに向かって頷いた。オスカーの方にも向き直って尋ねる。
「そなたもそう呼んだほうがいいのか?」
「そうですね。オスカー、と呼ばれたほうが気分的にしっくり来ます」
「承知した」
ジュリアスが頷いたのを確認して、さて、とオスカーが座りなおした。
「勿論、あなた方をここまで連れ出したのは、アフタヌーンティーを楽しむためだけではありません。彼女から受けた依頼の結果報告の為です」
 ノリにノッてやがる・・・。
ティーカップを口に運びながら、アリオスは心の中で呟いた。基本的に手の込んだことが好きなオスカーは、この、映画にでも出てきそうなシチュエーションを大いに楽しんでいるようだった。
「一体、彼らに何を頼んだというのだ、アンジェリーク?」
その問いに、アンジェリークがびくっと肩を揺らした。
 真面目で不器用な人なんだな・・。
ジュリアスの言葉を聞いてオスカーが下した人物評である。
 ジュリアスの声に責めるような厳しさはない。俯いたまま自分の方を見ようとしないアンジェリークに対する愛情と、それ故の心配が滲み出ている。けれど、言葉の表面だけを見れば厳しい言い方であり、その声に滲むものまで感じ取れというのは、予測外の出来事に不安と困惑でいっぱいになっている少女には酷な話だった。
「お嬢ちゃん」
 ここは助け舟を出してやらねばならないだろう。自分が傍にいながら、このまま彼女に涙を流させるなど、オスカーのプライドが許すはずもない。
「子爵は君をとても心配してらっしゃるだけさ。恐がることなんて何もない。約束しただろう?」
まるであやすような優しい言葉に促され、アンジェリークが顔をあげた。正面でじっと自分を見つめるジュリアスに向かって、恐る恐る口を開く。
「あの、ジュリアス様。あの・・・・実は・・・」



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A Day In The Life -7th.-




 キングサイズのベッドで先に目を醒ましたのはアリオスだった。しっかりと、オスカーの腰を抱いて眠っていた自分に苦笑する。確か、昨夜は機嫌を損ねたらしいオスカーに、「一緒に寝るだけだ、触るな」と言われて「別にかまわねぇよ」と答えたはずだったのだが。眠りに落ちたときは、自分の躰はオスカーに触れていなかったはずだったが、習慣なのか本能なのか、眠っている間にしっかりと密着していたようである。
 昨夜、ソファで寝る宣言をしていたはずのオスカーは、結局シャワーを浴びた後寝室にやってきた。同じベッドで寝るからといって必ずしも抱き合うわけではない。別に盛りのついた歳でもないし、たまにはこうやって互いの体温を感じながら眠る日もあるのだ。
 日はだいぶ高い所にあった。時計を見れば午後一時をまわっている。そんなに遅くに寝たわけでもないのに、随分とたっぷり睡眠をとってしまったらしい。
 アリオスはのろのろと起き出した。オスカーを起こそうか迷ったが、別に時間に追われているわけでもなし、そのままにしておく。どうせ、アリオスが動き出した気配で直に目を醒ますだろう。
 バスルームで顔を洗い、キッチンで水を飲んでいると、オスカーが起き出して来た。
「よう」
水の入ったグラスを掲げて挨拶すると、オスカーは、ああ、と生返事をした。寝すぎて眠いのか、眠気を払うように首を回すと、なんとなく辺りを見回して尋ねる。
「朝飯・・・もう昼か。どうする?」
「さすがに腹は減ってるな」
「だが、今のこの部屋にすぐに食べられそうなモンは置いてないぞ。今日買い出しに行くつもりだったからな」
パン一枚すらない。冷蔵庫の中は空に近い。とりあえずは、外に出るために着替えた方がよさそうだった。
「出掛けがてら、腹ごしらえしてこうぜ。買い出しは帰りでいい」
アリオスがシャツに腕を通しながら言う。
「出掛けるって一体、何処行く気だ、アリオス」
「あのガキのピアス、本物見つけたいんだろ?」
「・・?」
 オスカーにつき合わされている、というスタンスを崩さなかったアリオスが自分からアンジェリークのピアスの件を口にするのが意外で、訝しげに見つめるとアリオスが行く先を告げた。
「我らがホームズの所へ行くとしようぜ」
その行き先に、オスカーが思いきり嫌そうな顔をする。
「あの非科学的の極致みたいなのの、どこがホームズなんだ」
「当たるんだから、いいじゃねぇか」
 とっとと着替えろ、と急かすアリオスに、オスカーは渋々とサマーニットに手を伸ばした。

 アパルトメントの近くにあるポロというレストランで遅めの昼食を摂った後、トッテナムコートロードからセントラルラインに乗り、ボンドストリートでジュビリーラインに乗り換えて一駅。ベイカーストリートステーションから歩いて五分ほどの所に、目的地はあった。すぐ近くにはベイカーストリート二二一b番地、本物のシャーロック・ホームズ博物館がある。
「珍しい。特に、オスカー、貴方がいらっしゃるなんて」
「別に、来たくて来たんじゃない」
二人を迎え入れた人物の言葉に、憮然とオスカーが返す。
 ここの家主であるリュミエール・テュラムは、オスカーの大学時代の知り合いである。友人、というと本人が否定するが、傍から見れば友人の部類に入るだろう。オスカーとアリオスの関係を知っている数少ない人物の一人でもある。オスカーは相性が悪いと敬遠しているが、実際会えば然程仲が悪いようには見えない。学生時代から絵画や音楽に才能を示した彼は、この家で居候の世話を焼きながら、絵を描いたり、近所の子供たちにハープを教えたりして暮らしていた。リュミエールの描く風景画は人気が高く、近々画集も出るらしい。
「いないわけねぇだろうが、ホームズはいるか?リュミエール」
 アリオスが確認する。そう、いないわけがないのだ、特に昼間は。日光を浴びたら砂のように崩れていくのではないかと疑いたくなるほど、昼間は出歩かない男がここのもう一人の住人なのだった。
「ホームズ?・・クラヴィスさんのことですか。誰かと思いました」
「別にノストラダムスでも構わねぇけどな。場所柄、ホームズの方が合ってるだろ。二階か?」
「ええ。どうぞ上がっていてください。紅茶をお持ちしますよ」
そう言って一階奥のキッチンへと消えるリュミエールに、オスカーが尋ねた。
「起きてるんだろうな?」
「さあ・・・。先ほどまでは起きてらっしゃいましたよ」
その答えに、オスカーは嫌そうに溜息をついた。

 この家の居候の部屋は昼でも暗い。
 ベイカーストリートの占い師、と言えば、ロンドンではかなりの評判だ。とにかく当たる。著名人もお忍びでやって来る、と専らの噂だった。
 その占い師にはジプシーの血が流れている、という話だが、詳しくは二人も知らない。
「相変わらず、暗いな・・」
 オスカーが呆れた様に呟いた。視線の先には、アリオス曰く「我らがホームズ」がいる。
 カーテンの引かれた薄暗い部屋で静かに椅子に腰掛けている姿は、確かに神秘的だった。尤も、オスカーなどに言わせれば、辛気臭いだけ、ということになるのだが。
「おまえたちか・・・」
闇に溶け込むような、淡々とした静かな口調である。それがまた、この男の神秘的なムードを高めているらしい。
「相変わらず怪しげで何よりだぜ、クラヴィス」
「フッ・・・、おまえたちも変わらぬようだな・・・」
 水晶球を見つめながら言うものだから、まるでそこに何か映ってでもいるかのようでぞっとしない。
「座ったらいかがです?紅茶も入りましたし」
トレイにティーカップを乗せてきたリュミエールがそう促した。
 オスカーもアリオスも、基本的には占いなど信じてはいない。アリオス曰く「見えねぇモンを信じてられるほど暇じゃねぇ」ということになる。にも関わらず、こうやって時折クラヴィスの許を訪ねる理由はただ一つ。
 どんなに非科学的であろうと、納得いかなかろうと、とにかくクラヴィスの占いは当たってしまうのである。
「求めるものは鏡と共に眠っている・・・」
 クラヴィスが唐突に言った。二人に告げているのか、ただの呟きなのか、判別がつかないが、恐らく、ピアスの件だろう。
「・・・・・・理解不能だ」
オスカーが首を振る。
 こちらが用件を切り出す前に、いつもクラヴィスはこうして答えを口にするのだ。非科学的以外の何物でもない。理解の範疇を超えている。
「別に理解する必要ねぇよ」
アリオスが軽く言った。
 必要なのは、クラヴィスの言うことは当たる、という事実。深く考えることはすまい。というよりも、深く考えると不幸になる気がする。人生、謎のままにしておいた方がいいこともある、とクラヴィスと知り合ってから肝に銘じたアリオスである。
「しかし、鏡と言ってもなあ・・」
 鏡など、至る所にある。場所を特定するには余りにも大雑把過ぎるヒントだろう。
「求めるものは、主人の傍を離れていない」
それだけ言うと、クラヴィスは立ち上がり、カウチに横になってしまった。
「少し、眠る」
「はい。おやすみなさいませ」
クラヴィスの言葉にあっさりとリュミエールが答えた。
「ちょっと待てって」
オスカーが慌てて声をかけると、リュミエールに制される。
「眠ると言ってらっしゃるのに、無粋な真似をしてはいけませんよ」
 だから、こいつとは合わないんだ・・・。
オスカーががっくりと肩を落とした。それを横目で見ながら、代わりにアリオスが問う。
「おい、これだけ答えろ、クラヴィス。主人の傍ってのは、金髪のガキが、ずっと持ってるってことなのか?」
「そう・・・かも知れぬし、違うかも知れぬな・・・。どちらにしろ、私には関係のないことだ・・」
そうして、あっという間に眠りの世界へと旅立ってしまう。
 なんの答えにもなっていない言葉に、二人は窺うように顔を見合わせた。



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A Day In The Life -6th.-




 その日、オスカーが訪れたのはオックスフォードサーカスからピカデリーサーカスに向かってリージェントストリート沿いに少し歩いた所にある店だった。「大龍商店」と漢字で書かれた看板は、この通りを歩く殆どの人々には読めないが、親しみやすく入り易い店構えと、何故こんなものまで?と時々首を傾げたくなるような品揃えの豊富さが人気を呼び、"Big Dragon"の愛称で賑わっている店だ。
 店に入ると迷わず"staff only"となっている奥のリフトに乗り込む。最上階のボタンを押すと、アパルトメントのリフトとは比べものにならないスムーズさでリフトは動き出した。
 リン、とベルが鳴ってリフトの扉が開く。オスカーは右手に座る受付嬢に甘い笑みを送ると、"President‘s Office"とプレートのついた正面の扉を遠慮なく開けた。
「よう、若社長。邪魔するぜ」
「オスカーさん、時間ぴったりやな」
重厚なデスクに向かっていたこの部屋の主は、オスカーの姿を認めると立ち上がった。
「自分は社長業で忙しいんだから時間厳守しろと言ったのはお前だろう、チャーリー」
 チャールズ・ウォン。一九九七年に中国へと返還された香港生まれのイギリス人である。彼が経営するこの店も�、生まれ育った香港の雰囲気を意識して造られた。尤もチャーリーはこの店の社長だけでなく、ウォングループという大企業体の総帥という肩書きも持っており、バービカンの中心部に自社の高層ビルを所有しているが、この店は本人の趣味を強く前面に押し出している為居心地がいいのか、ここの社長室を拠点として日々の仕事をこなしているようだった。
「オスカーさんがそれをちゃんと守ってくらはるなんて思ってなかったんですわ、ホンマ言うと」
 失礼な言い草である。
ジロリ、と冷たい眼で見るとチャーリーは「すんませんって」と謝りながら応接ソファを勧めた。言葉では謝っていても笑顔なのだから、あまり言葉に信憑性はない。
「ま、怒らんといてください。ご注文の品はちゃんと出来上がってますよって」
そう言ってテーブルの上に小さな箱を置く。
 箱から出てきたのは、片耳だけのピアスだった。上質のダイヤとルビー、まさしくアンジェリークの探し物である。
「で、こっちがお借りしてた本物ですわ」
コト、と隣りにピアスが置かれた。二つ並ぶと、最初から対であったように見える。長年愛用されてきたピアスと、デザインを同じくした未使用のピアスの筈だが、まるで同じ時間を経てきたように見えた。
「さすがチャーリー、いい職人知ってるな」
感嘆を隠さずに、オスカーが言った。じっくりと二つのピアスを見比べるが、どちらが見劣りするということもない。
 これが、オスカーの「見つからなかった場合の手」だった。何処で落としたのかもわからない小さなピアスという探し物を請け負ったその日のうちに、短期間で最高の仕事をしてくれる職人と、本物と同レベルの宝石を手配して貰う様、あらゆる方面に顔が利くチャーリーに頼んだのだ。
「そりゃもう、職人さんには直々によぉくお願いしときましてん。そない満足して貰えたら頼まれ甲斐もあったっちゅーもんです。ほんなら、約束通り、こないだ負けた分はチャラですよって」
 偶々パブで出会った時に、プールで勝負をした。その時はオスカーの圧勝となり、いずれ負け分は払う、ということになっていた。だが、勿論友人同士の他愛もない賭けであって、とてもではないがこのピアスの製作代金を賄えるような額ではない。
「いいのか?別に払うぜ?」
「ええですよって。その、アンジェちゃん、でしたっけ?女の子の笑顔の為、俺も一肌脱ぐっちゅーことでね。オスカーさんと友達づきあいしとると、どうも影響受けて女性にどんどん甘くなってきよるんですわ~」
 そうまで言うものを、無理に金を払うなど野暮なことはオスカーもしない。まして相手は大財閥の総帥、たいして痛い出費でもないのだろう。ここはその心意気をありがたく受け取るべきなのだ。
「じゃあ、遠慮なく貰ってくぜ。本当は、コレを使わないで済むといいんだがな」
 本物が見つかるのなら、その方がいいに決まっている。
「使わんで済んだんやったら、それはそれで構いやしませんから。リフォームっちゅーことで別のアクセサリーでもなんでも作れますし」
太っ腹な社長の言葉にオスカーが軽く手を上げて、謝意を示す。
「あ、でもそのアンジェちゃんにも、うちの店、薦めるのは忘れんといてくださいよ」
どんなメディアに広告を打っても敵わない効果が、口コミにはある。
「わかったよ。それぐらいは言っておくさ」
 気前がいいのか商魂逞しいのか、いまひとつ判別のつかないチャーリーの言葉にオスカーが笑って答えた。
 
 
 
 白い煙がゆっくり立ち昇る。
 ソーホーは繁華街だ。レストランやナイトクラブが多いこの街は夜が更けていくほど活気に満ちてくる。
 オスカーは寝室から出られる小さなバルコニーで眼下の賑わいを見ていた。短くなった煙草を灰皿へと投げ入れる。
「おい、シャワー、空いたぜ」
先にシャワールームを占拠したアリオスが、ガシガシと髪を拭きながら声をかけた。
「ああ、サンキュ」
下を見たまま答えるオスカーの横にアリオスが並んだ。
「なんだよ、何かあるか?」
「いや、別に何も。なんとなく見てただけだ」
新たな煙草を咥え、マッチを擦る。ボゥ、と起こった火がオスカーの顔を照らした。
「嘘つけ。オマエがこういう時は、何か気にかかることがあるじゃねぇか」
アリオスが呆れたように言う。二年も共に暮らしていれば、些細な行動パターンから相手の状態も見えてくるというものだ。
「いや、お嬢ちゃんのピアスがな・・」
「本物じゃねえにしても、ほぼ本物に近いものは出来たんだから問題ねぇたろ」
オスカーの手から煙草を奪ってゆっくりと紫煙を吸い込む。
「だが、できれば本物を返してやりたいじゃないか。第一、想い出の品、っていうのが気にかかる。もしかしたらお嬢ちゃんも知らない、何か傷があったりしたかもしれないだろ?」
 アンジェリークは婚約者に事情を話すと約束した。だから当然、オスカーは本物ではないことがバレたりするのを心配しているわけではない。たとえ本物が戻らなくても、ピアスを必死に捜した、アンジェリークの気持ちこそが大切なのであって、もしも婚約者がその気持ちを汲めないような男なら、一生を共にするなど諦めたほうがいい。
 だが、想い出の品、というのはいくら一見してわからないものであっても、やはり特別な何かがあるはず。それを贈った子爵の為にも、贈られたアンジェリークの為にも、できれば本物を戻してやりたい。
 しかし、本物のピアスは見つからない。遺失物として届けられてもいないし、質屋や宝石店に売られてもいないようだ。一粒石やリングのピアスならまだしも、小さいながらフォーマルに通用するデザインのピアスなど、片耳だけ持っていてもあまり意味はないだろうに。
「んなこと、オマエがそこまで考えてやることじゃねぇよ。ったく、オマエ、結構お人好しだよな」
アリオスがオスカーの髪をグシャグシャと掻き乱した。
「あのな、お人好しとはなんだ。お前と違って俺は優しいんだよ」
ムッとしたようにオスカーが言う。
「それがお人好しなんじゃねぇか」
ククッ、と笑ってやると、オスカーは不機嫌そうに踵を返した。
「シャワー、浴びてくる。ベッドは譲ってやるからとっとと寝ちまえ」
それに対してアリオスはニヤリと笑って返す。
「待っててやるから一緒に寝ようぜ」
返答は、無言だった。



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A Day In The Life -5th.-




 緯度の高いロンドンは、夏と言っても気温は二〇度を上回る程度で、変わり易い天候もあり、薄手の上着は必需品だ。今日も最高気温は二三度、天候は曇りである。そんな日の昼前、二人はブルームズベリスクエアにほど近い家の前にいた。
 昨日ヴィクトールから聞いておいた、アンジェリークの友達が厄介になっている家、である。
「極楽鳥の時も思ったがな」
オスカーが微かに笑いながら言った。
「ああ?」
それに対して興味がないのか不機嫌なのか、どちらとも取れるような生返事をアリオスが返す。
「こうなると、因縁ってヤツだな」
「オレは誰かに仕組まれてんじゃないかと疑いたくなったぜ」
アプローチを通り、玄関のベルを鳴らしながらアリオスが憮然と呟いた。
「俺たちを嵌めてもしょうがないだろ」
肩を竦めてオスカーが返す。もう一度ベルを鳴らすと、暫くして家の中からバタバタと足音が聞こえ、玄関の扉が開かれた。
「あ~、すみません、お待たせしてしまって。ちょっと書斎で本の整理をしていたもので~。おや、珍しい、貴方たちでしたか。お久しぶりですねぇ」
扉を開けた男が、二人を交互に見てのんびりと言う。
「よう、ルヴァ。相変わらず本に埋もれた生活してるみたいだな」
「ええ。世の中は常に新しい知識が生まれていますしねぇ。それに古い本も読み返す度にまた新たな発見があるんですよ~。知識の泉は広く深い。私もまだまだです」
一人満足気に頷いている男を見て、アリオスとオスカーは顔を見合わせて溜息をついた。
 ルヴァ・アシュル。ここから五〇〇メートル程離れた所にある、ロンドン大学のカレッジで思想・哲学の講義を受け持っている教授だが、研究室よりも図書館の地下書庫にいることの方が圧倒的に多い、典型的学者肌な人物である。教授としては年齢が異例に若く、研究室よりも図書館にいることが多い所為で、教授ではなく教授付きの研究生に間違われてばかりいる。
 この男、繋がりはさっぱり不明だが、何故だかオリヴィエと仲が良く、二人もオリヴィエ経由で知り合った。生活パターンも行動範囲も、恐らくは体内時計のスピードも全く合わないので、なかなか会うことがないのだが、それでも三ヶ月から半年に一回くらいは顔を会わせて食事を共にしたりする。そういえば、前回顔を会わせてから既に四ヶ月ほど経っていた。
「知識の泉へのダイビングはちょっと待ってくれよ」
苦笑交じりにオスカーがそう言うと、ルヴァは一瞬驚いたように目を丸くし、次いでポン、と手を打った。
「え?ああ、そうですねぇ。うーん、本のことを語るとつい我を忘れてしまいますねぇ。さあどうぞ入ってください。お茶を入れましょうね~」
 
 
 
 今地震が起こったら確実に死ぬ・・・。本気でそう思いたくなるほど本に覆い尽くされたリビングの壁は、それでも日々進化を遂げているようだった。書斎に移される本、そこに新たに収まる本。持ち主の他から見たら、結局は本だらけ、としか思えないのだが。
「しかし珍しいですねぇ、貴方たちが私を訪ねてきてくださるなんて」
湯呑をテーブルの上に置いたルヴァがそう笑う。日本通のルヴァが淹れてくれたのは、紅茶ではなく緑茶である。なんでも学会で日本に行った際、骨董市を覗いて買ってきたという湯呑はルヴァのお気に入りの品だった。
「まあな。済まないが、実のところ用があるのはルヴァじゃなくて、ここのお客の方なんだ。可愛らしいお嬢ちゃんたちがいるんだろう?」
「お客?ああ、ロザリアとアンジェリークのことですか~。ええ、今ちょっと出てますけどね。もうすぐ帰ってくると思いますよ」
壁にかかった時計を見ながら、相変わらず良く言えばのんびり、悪く言えば間延びした口調でルヴァは答える。
すると、美味くも不味くもない、といった表情で緑茶を啜っていたアリオスが口を開いた。
「なんで大貴族の婚約者とアンタの客が知り合いなんだ?」
「それはですねぇ。元々、バーリントン公爵家と親交があるのはカタルヘナ家、あ、ロザリアの家なんですけどね、そのカタルヘナ家の方なんですよ~。カタルヘナ家はフランスの旧伯爵家でして。代々親交があったわけです。アンジェリークは、そう言った意味では普通の家の子ですから」
「シンデレラストーリーってヤツか。」
ええ、まあ、とルヴァはお茶を啜る。
「と、なると。逆になんでアンタがその旧伯爵家の令嬢と知り合いなんだ?」
「いやぁお恥ずかしい・・・」
 まだ何も言ってないだろうが。
オスカーとアリオス、ほぼ同時の心の声だった。
だが、そんな二人の微妙に呆れた視線に気づく様子もなく、ルヴァは照れ続けている。
「ルヴァ・・・。ルヴァ?」
「え?ああ、すみません、またやってしまいました。どうも私はついつい自分の世界入ってしまいがちのようで~」
 ダメですねぇ。
我に返ったようなルヴァがふぅ、と溜息をついた。
「私は元々バーリントン子爵とお付き合いがありましてね。ロザリアとはその関係でお知り合いになったのですよ」
そこまでルヴァが言うと、賑やかな少女たちの声が聞こえてきた。
「ただいま戻りましたわ」
リビングの扉を開けながら二人の少女が入ってくる。アンジェリークと、もう一人勝気な感じの美少女が、その旧伯爵家令嬢・ロザリアなのだろう。
「あ・・・」
何でも屋の姿を見たアンジェリークが目を丸くして立ち止まった。
「よう、お嬢ちゃん。元気そうで何よりだ」
オスカーが片手を上げる。
「あの、見つかったんですか?」
「もしかして、この人たちが何でも屋さん?」
アンジェリークが二人にそう問い掛けるのを聞いて、ロザリアがアンジェリークに確認する。どうやらピアスの件は聞いているらしい。
「・・・何でも屋じゃねぇ、つーの」
ぼそっと呟いたアリオスのセリフは、隣りに座っているオスカーにしか届かなかった。
「うん、そう。この人たち」
「やっぱり貴方たちのことでしたか~。ソーホーの何でも屋と聞いていたのでそうじゃないかとは思ってたんですけどねぇ」
ルヴァがふむふむと頷く。それに、まあな、と肩を竦めて答え、オスカーはアンジェリークに告げた。
「残念ながら、まだ見つかってはいないんだ」
「そうですか・・」
アンジェリークが肩を落とした。その肩をロザリアが小突く。
「そう簡単に見つかるわけないでしょう。シャンとしなさいな」
「うん・・」
頷くものの、俯いたままのアンジェリークの髪が、くしゃっと掻き回された。
「心配すんな」
「アリオスさん・・・」
驚いてアンジェリークが顔を上げると、アリオスは既にリビングの扉を出ようとするところだった。
「オマエの大事なもんは、そこの赤毛の色男が何があろうと見つけるってよ」
ちゃっかりと責任逃れなせリフだが、それに気づく者は押し付けられたオスカーの他にはいなかった。
とはいえ、元々アリオスはオスカーにつき合わされているだけなのは事実なので、オスカーも特に否定はしない。
「そうさ。言ったろう?必ず二つ揃えて君の許へ届けると。だからお嬢ちゃんも約束して欲しいんだ」
言いながらソファから立ち上がり、アンジェリークの前に立つ。
「約束?」
「バーリントン子爵は君のことをとても心配していらっしゃるようだ。ちゃんと子爵に事情を話すと、約束してくれるな?お嬢ちゃん」
ルヴァとロザリアも、アンジェリークを見つめている。そうした方がいい、そう告げる視線を受けてアンジェリークはオスカーを見上げた。
「・・・はい」
そうして、ややぎこちなく、けれどしっかりと彼女は頷いたのだった。



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A Day In The Life -4th.-




 「アリオスじゃないか」
アリオスがそう声をかけられたのは、アパルトメントから五分も離れていない場所にあるフォイルズという本屋でだった。地下から四階まであるこの店は、一般書よりも専門書が豊富な、さながら図書館のような品揃えで、アパルトメントから近い便利さも手伝い、アリオスがよく足を運ぶ場所である。
「・・・ああ、アンタか」
手に取っていた本を棚に戻し、アリオスは声の主の方へ向き直った。
「今日は相棒は一緒じゃないんだな」
「ガキじゃあるまいし、野郎二人でいっつもつるんでたって仕方ねぇだろ」
「ははっ、それもそうだな」
アリオスの目の前まで来た男は、ネクタイを緩めながら笑う。
「アンタこそ、珍しいじゃねぇか。ニュースコットランドヤードがこんなところで油売ってていいのかよ、お忙しいウェイストン警視」
人の悪い笑みでそう呼んでやると、相手はあからさまに嫌そうな顔をした。
「頼むから、普通に呼んでくれないか。お前にそんな風に呼ばれると、なんだか悪いことが起きそうで落ち着かん」
どこまで本気で言っているのか、頭を掻きながらのセリフにアリオスも肩を竦める。
「人を犯罪者みたいに言うな、ヴィクトール」
 ヴィクトール・ウェイストン。ロンドン首都警察、通称ニュースコットランドヤードの警視である。未だ三十を越えたばかりだというのに、既に警視にまでなっていることからも、彼の有能ぶりが窺い知れた。がっしりとした体躯の偉丈夫で、年齢よりも若々しい外見なのに、年齢以上の風格を備えているように見える。今の様に、実年齢よりも必ず若く見られ、オスカーからは「若作り」などと不当な評価を受けているアリオスと並ぶと、実際以上の年齢差があるように見えた。実際は、三つしか違わないのだが。
 探偵業を始めた頃、偶然関わった事件の担当刑事がヴィクトールだった。私立探偵なんて胡散臭げな輩を敬遠する警察関係者が殆どの中で、彼は二人を信頼し、それ以来、必要があれば情報を遣り取りするようになっている。公的権力が踏み込んでは問題にされる領域、権力がなくては踏み込めない領域、互いのテリトリーの情報を必要な時だけ提供してもらう。尤も、そんな機会は滅多になかったが。
「犯罪者の方がよっぽどマシな気がするぞ。犯罪者は逮捕すれば済むからな。お前たちだとそうもいかん」
「厄介事持ち帰ってくるのはアイツだぜ。オレを一緒にするな」
「まあ、自分の事は見えないもの、と言うしなあ・・・」
「・・・どういう意味だ」
 どういう意味もなく、そういう意味である。厄介事に巻き込まれるのはオスカーもアリオスも似たり寄ったりだと言っていい。確かに、女性に優しい紳士ぶりが災いしてか、オスカーの方は自ら厄介事に首を突っ込んでくる傾向があるにはあるが。
「ははは、気にするな。つまらないことを気にしていると、器が小さくなるぞ」
アリオスの肩を叩きながらヴィクトールが笑う。ポンポン、というよりは、バシバシ、というほうがしっくりきそうな勢いで肩を叩かれたアリオスが、不機嫌そうに顔を顰めた。
「それにしても、何やってんだ、こんなトコで」
ウェストミンスターに位置するニュースコットランドヤードからここまで、約二キロ強。仕事の合間にちょっと散歩、という距離ではない。
「いや、そのな・・・。まあ、お前だから構わんか・・・」
「なんだよ」
うーん、と唸るように鼻の頭を掻いてヴィクトールが小声で告げた。
「ちょっと、素行調査、みたいなことをな」
「素行調査?容疑者のか」
「いや・・事件は全く関係ない」
「警察の、しかも警視が単なる一個人の素行調査してるって言うのか?」
「そうなるなぁ・・」
困ったように答えるヴィクトールに、アリオスは思いきり疑わしげな眼を向ける。
「そんな眼で見ないでくれ。別に俺の個人的なことじゃないぞ。頼まれ事だ」
「アンタも充分、厄介事抱え込んでるじゃねぇか」
呆れたアリオスの言葉にヴィクトールは苦笑するのみだ。
「まあ、そう言うな」
 実はな、と話し出された内容を聞くにしたがい、アリオスの眉間に僅かに皺が寄っていったことは、幸いヴィクトールには気づかれなかったようだった。
 
 
 
 「バーリントン子爵?」
 絶妙のタイミングを逃さないよう、キッチンでエスプレッソメーカーと睨みあいを続けているオスカーが、視線を向けることなくアリオスに訊き返す。
「いずれ、バーリントン公爵になるがな」
ダイニングテーブルに肘をついてその様子を見ているアリオスは、面倒そうに頷いた。
「あのガキ、バーリントン子爵の若き婚約者らしいぜ」
昼間、ヴィクトールから聞いた話をオスカーにしてやる。
 ヴィクトールは、以前から面識のあったバーリントン子爵から相談を受け、未来の公爵夫人の素行調査紛いのことをしていたのだという。とはいっても、別に本当に彼女の素行が問題なのではない。
「一緒にフランスから来た友達が厄介になってるトコに暫く泊まる、って出て行っちまったんだとさ。あんまり突然で、しかもその二、三日前から落ち込んだ様子であちこち出掛けてたんで子爵様は心配したってわけだ」
 ヴィクトールから真顔で、「どうも三日程前に、ここの近くのアイスクリームショップで店に不釣合いな男二人といるのを見掛けたって情報があってな」と言われた時には笑うしかなかったぜ、とアリオスは続けた。
「その友達が厄介になってるトコ、ってのを心配はしてないのか」
「それがな」
疲れたように続けられたセリフに、オスカーは黙ってエスプレッソをカップに注いだ。次いでミルクを入れた鍋を火からおろす。そのまま、僅かな話題転換を行った。
「・・・一緒にいると失くしたことを子爵に気づかれるんじゃないかって不安になったんだな」
 可哀想に、とフォームミルクを泡立てながらオスカーが呟くと、アリオスが思い切り呆れた溜息をついた。
「あのなあ・・・。あのガキが可哀想とか言ってる場合じゃねえだろ。イギリス屈指の大貴族のお出ましだぜ?わかってんのか、オマエは」
 だが、オスカーはあっさりと頷いてみせる。きめ細かな泡のフォームミルクをエスプレッソに注ぎ、力作のカプチーノの出来上がりに満足そうだ。
「そうだな。バーリントン公爵が関わってるとなったら、尚更、お嬢ちゃんの名誉の為、ピアスを探し出してやらなきゃな」
 やっぱりそう来るか・・・。
わかってはいたが、やはりどこまでも全世界の女性の味方な発言に、アリオスはがっくりと肩を落とした。




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A Day In The Life -3rd.-




 昨日までの天気とは打って変わって明け方から降り出した雨は、降ったり止んだりを繰り返している。今日は一日薄曇りのままだろう。ロンドンの天気は変わり易いが、この時期は年間でも一番降雨量が多い。こんな天気の日は晴れ間は期待できない。
 ブラインド越しに眼下を行き来する傘の群れをしばらく眺めた後、アリオスはソファに腰掛けて新聞を広げた。特に目ぼしい記事もない。急を要する依頼もないし、今日は部屋で自堕落に過ごすことになりそうだった。
 もともとそんなに大きなアパルトメントではないから、当然この部屋も大して広いわけではない。部屋の間取りや広さは階と部屋の位置によって異なるが、最上階最奥角部屋のこの部屋には、キッチンダイニングとリビング、寝室が一つ。ファミリータイプではないことは勿論だか、ルームシェアにも向いているとは言い難い。にも関わらず、ここに部屋を借りたのは、ここから歩いて五分とかからない場所にある、バー・イタリアというカフェのカプチーノをオスカーが気に入ったからだった。
 住人が二人いるのに一つしかない寝室には、部屋の大きさと不釣合いなキングサイズのベッドが置いてある。何しろ部屋の住人は二人揃って平均を遥かに上回る身長の持ち主なので、どんなに部屋が狭くなろうと、このベッドだけは譲れなかったのである。しかも、一つのベッドに二人で眠ることもしばしばあるとなれば尚更だ。
 とはいえ、いつもいつも二人で眠るのはあまり愉快な想像でもないので、早い者勝ちで一人がベッドを取れば、あぶれた一人はリビングのソファを寝床とする。その為、ベッドの次に念入りに選んだのが、アリオスが今腰掛けているソファだった。
「・・・ああ、ちょっと急ぎでな・・・そう言うなって」
 携帯電話を片手にオスカーがリビングへと入ってくる。先程から電話を持ちっ放しだ。どうやら、話の内容はアンジェリークのピアスの件に関すること、恐らくは、昨日言っていた「見つけられなかった場合の手」についてのようだが、アリオスにはどうでもいいことだった。
「・・・わかってるさ。感謝するって言ってるだろ。・・・ったく、抜け目ないヤツだな」
携帯電話で話しながら、アリオスの背後に回ったオスカーが、ソファの背凭れに腰掛けた。空いている方の手で背凭れを掴む。その指先が、アリオスの肩先に触れた。
 電話をしながらどこかに浅く腰掛けるのはどうもオスカーの癖のようなものらしい。アリオスがソファの中央に陣取っているというのならともかく、寝床になる程度の大きさのラブソファには充分スペースがあるのだから、普通に座ればいいだろうに、どうやらそれでは落ち着かないようだ。
 元々、二人の出逢いのきっかけも、オスカーのこの癖だった。
アリオスが雑誌を広げつつ、デリで買ってきた遅い昼食を摂っていたベンチの背凭れに、やはりオスカーが携帯電話片手に腰掛けたのだ。今のようにオスカーの指先がアリオスの肩に触れて、それに反応して視線がぶつかった。それが出逢い。映画ではあるまいし、その一瞬で恋に落ちたわけではなかったが、あの時オスカーの指がアリオスの肩に触れなかったら、恐らく今こうしてはいなかっただろう。
 そんなことを思い出していると、アリオスの中に悪戯心が首を擡げてきた。悪戯、と言うには多少可愛げがなかったが。
 肩先に触れるオスカーの指に、そっと自らの指を絡ませた。爪の先から指の間、手の甲や手の平、手首あたりを丹念になぞる。携帯電話を耳に押し当てたまま、オスカーが驚いたようにアリオスを見るが、当のアリオスは涼しい顔をして新聞に目を落としたままだ。
視線は決して向けないのに、アリオスの指先は変わらず丹念にオスカーの手を行き来する。それはどう見ても愛撫としか呼べない、濃厚な空気を纏っていた。
「・・・あ、ああ、なんでもない」
 少しずつ、オスカーの気が削がれていく。電話の相手との会話に集中出来なくなってくる。
その様子を背後に感じながら、アリオスが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。新聞をテーブルに放り投げ、躰を捻ると、オスカーの指先を口に含む。オスカーが息を呑んだ。
「っ・・・、いや・・・ああ、頼んだ。・・っ・・気にするなって。そうだ。じゃあな」
電話の相手に不審に思われながら、オスカーは話を切り上げ、電話を切る。そうして、自分の左手を愛撫する男を見遣った。
「なんだ。もっと話しててもよかったんだぜ?」
物言いたげなオスカーの視線を受けて、白々しくアリオスが言った。
「お前、大人気ないな、とか思わないか?」
呆れたようなオスカーの声は、それでもアリオスに煽られた所為で僅かな熱を孕んでいる。
「別に。オマエが電話してたってオレは構わなかったぜ?勝手にするからな」
どうしようもない宣言に、オスカーが絶句した。
 こいつなら、本気でやる・・・。
二年弱の同居生活の中で、そんな諦めのような悟りのような、できればあまり辿り着きたくなかった境地に達してしまったオスカーは、溜息を一つ吐くとさっさと気分を切り替えた。
「どうする?」
見越したようにアリオスがニヤリと笑って問い掛ける。言葉は問いかけだが、こちらを見つめる視線は、既に答えを知っていると雄弁に語っていた。
 別に、抱き合うのは嫌いじゃない。まだ日の高い時間から、などと野暮なことをいう神経も持ち合わせていない。なにより、悔しいが、アリオスからこうやって求められることに喜びを感じている自分がいることを否定できない。
 ならば、素直に溺れよう。
「そうだな・・・。とりあえず」
背凭れに浅く腰掛けたまま、躰を捻り、アリオスにほうへ身を屈める。
「とりあえず、何だ?」
「指じゃなく、ちゃんとキスしようぜ」
言葉尻を飲み込むように、唇が重なる。
 電源を切られた携帯電話が、放物線を描いて向かいのソファに沈んだ。



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A Day In The Life -2st.-




 昨日に比べると大分湿度が低く、過ごし易い陽気である。
 私立探偵だか何でも屋だか、当人たちの間でも決着がついていないらしい二人が動き出したのは、昼過ぎからだった。
 アンジェリークが行ったというルートを一つ一つ辿り、目ぼしい場所に見当をつけ、捜す。地道な作業だが、探し物が探し物だけに最も確実な方法と言えた。当然、使用した交通機関には遺失物として届けられていないか確認済みである。
「で、あのガキがその日最後に行ったのが、ここなわけか・・」
心底嫌そうにアリオスが言った。
 ロンドン中心部から少し離れたチェルシーの一角、スローンスクエアからキングスロード沿いに五〇メートル程歩いた所に、一件の店がある。ヴィヴィアン・ウェストウッドに代表されるパンクファッションが生まれた街に相応しく、ここも店の外観からして、かなりの弾け方だった。
「どう見たって、あのガキの服の趣味とはかけ離れてるじゃねぇか」
「物珍しかったんだろ」
打ちっ放しのコンクリートにショッキングピンクのペンキで"cominciando di sogno"と書かれた店の看板を眺めながら、二人はどうでもいい会話を続けた。
「コレ、なんて意味だったか覚えてるか」
「イタリア語で夢の始まり、とか言ってた気がするがな」
「・・・悪夢の始まりじゃねぇか」
「悪夢だろうと、夢は夢だから間違っちゃいないんだろ」
 いつまでも店の前に立っていても仕方ないのだが、入るのを躊躇しているのには訳がある。何度か来た事はある店なので、決してその派手な外観の所為で嫌がっているわけではない。否、嫌と言えば嫌であるが、この際それは大した問題ではないのだ。外観よりも更に派手なこの店のオーナーを、二人はよく知っていたのである。
 どちらが先に足を踏み入れるか、互いに譲り合っていると、中から勢いよく扉が開けられた。ガラスの扉である。店の前で不毛な譲り合いをする二人の姿など、最初からこの店の主人の目に入っていたのだ。勿論、それは二人も承知のことではあったのだが。
「ったく、デカイ図体の男が二人揃って店の前に立ち塞がんないでくれるっ!?営業妨害で訴えるわよっ!?」
 北欧フィンランドの出身だという、元々は淡い金色の筈の長い髪は一部がピンクに染められている。言葉遣いも外見も女性のようだが、正真正銘男性である。
「オマエのそのカッコの方を、精神的苦痛で訴えたいくらいだ、オレは・・・」
アリオスがぼそっと口にする。それに苦笑しながらオスカーが声をかけた。
「よう、オリヴィエ。相変わらず見事な極楽鳥っぷりだな」
「ふん、アンタたちも相変わらずみたいじゃない~?」
オリヴィエと呼ばれた店の主は、人の悪い笑みを浮かべて答えた。オリヴィエ・ヴァールルースというのが、彼の名前である。
 元々はオスカーとオリヴィエが友人だったのだ。同年齢で、後から聞けば同じ大学に通っていたらしい彼らは、だが大学のキャンパスではなく深夜のクラブで知り合った。何しろ互いに目立つ容姿の持ち主であったから、時折顔を出すクラブでも互いの噂は聞き及んでいて、偶然出逢った時には、誰に言われずともすぐに噂の人物であるとわかったという。
お互い非常に癖のあるキャラクターながら、気が合うことはすぐに知れてそこから腐れ縁とも言うべき付き合いが続いている。
「ま、入ってよ。お茶くらいなら出してあげるよ~ん」
 アンタ達に酒なんて出したら飲み尽くされるから絶対出してやらないけどね。
そう言いながら、店の奥へと消えていくオリヴィエの後に、二人は続いた。
 
 
 
 アンジェリークからこの店の名前を聞いた時から予想していたことだが、やはり、彼女に「何でも屋」を教えたのはオリヴィエだった。
「だってさ、ピアスが落ちてなかったか、って尋ねてきてさ、なかったって言ったらもう、そりゃあ落ち込んじゃってさ。背景に雨雲背負ってんじゃないかってくらいなんだもん。放っておくのも可哀想じゃない~」
ティーカップをソーサーに戻しながら、オリヴィエが言う。
「だからさ、アンタたちのこと教えたわけよ。ここに何でも屋がいるから、頼んでみなって。きっとどーにかしてくれるよ~ってさ」
「何でも屋になった覚えはねぇよ」
オリヴィエとアリオスが顔を会わせると必ず、この遣り取りが行われる。
「いいじゃないの。結局オスカーに付き合って働かされてるんだしさ。面倒事は御免だ、とか言いながらアンタも弱いわよねぇ、アリオス」
毎回行われる不毛な遣り取りだが、毎回アリオスが押し黙って終わる。どだい、口でオリヴィエに勝てるわけがないのだ。
「ま、いい加減諦めるのね~相棒だか恋人だか、まあそのヘンは知らないけど、とにかくパートナーにオスカーを選んじゃったら、無理よ。このタラシが女の頼みを断れるわけないんだから」
 オスカーとアリオスが出逢ったときには既にオスカーの悪友という地位を確立していたオリヴィエは、二人の関係を知っている。はっきり言われたことも尋ねたこともないが、人の機微に聡いオリヴィエは、二人の間に流れる空気から彼らの関係を敏感に嗅ぎ取った。
常識から逸脱した二人の関係を知っても、だからと言って特に態度を変えるわけでもなく、精々からかいの種が増えた程度にしか思わない辺りが、オリヴィエの度量の広さであり、それ故に、会えば憎まれ口しか叩かないながらも彼らは良好な関係を続けている。
「おい、極楽鳥。誰がタラシだ、失礼なヤツだな。俺は女性の曇った顔を見たくないだけだぜ」
不本意な言われ様に眉を顰めてオスカーが訂正を入れた。
「はいはい、何とでも言ってな。・・・それで、どーなのよ?」
声のトーンを落とし、オリヴィエが尋ねる。
「どうも何も、あんな小さなモン、見つかるわけねぇだろうが」
 鬱陶し気に髪をかきあげてアリオスが言う。苛々していると髪をかきあげたり、くしゃくしゃとかきまわすのがアリオスの癖だった。
「どーすんのよ。アンタのことだからまた、『必ず二つ揃えて見せる』とか何とか約束しちゃってるんでしょ、アンジェちゃんに」
 オスカーの性格をしっかり把握しているオリヴィエの鋭い指摘だった。オリヴィエは、オスカーに何か策があるのだろうと、確信している。女性との約束を破り、その眸を曇らせてしまうなど、この男のプライドが許すはずが無いのだ。毎度、無茶な依頼や厄介事だと不機嫌そうにしながら、アリオスが渋々オスカーにつきあってやるのも、女性からの依頼に限ってはオスカーがそのプライドに賭けて絶対に成し遂げると知っているからである。
無論、先刻のオリヴィエの指摘通り、それだけではないのも事実だが。
「ん、まあな。見つけられなかった場合の手は打ってあるさ」
自信たっぷりに笑うオスカーを見て、オリヴィエの視線はアリオスへと移された。
その視線を受けて、アリオスもさあな、と首を振った。オスカーが打った手を、アリオスも聞いていないのだ。というより、最初から聞く気もなかった、という方が正しい。
 アリオスに言わせれば、どうしようもない依頼を受けたのはオスカーで、自分はそれにつきあってやっているに過ぎない。しかし、子供とは言え女からの依頼である以上、オスカーがどうにかするだろう。仮にどうにもならなかったとしても、それは自分の知ったことではない。
 そんな二人を交互に見比べて、オリヴィエが降参のジェスチャーをした。
「ま、アンタがそんだけ自信持ってるなら、なんとかなるんでしょ。・・・ちょっと、いつまでも寛いでないでくれる?用が済んだらさっさと帰んなさいよ、探偵さん」



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