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Happy Happy Greeting




 ジリリリリリン。
リビングに置かれたやけに古めかしい旧式の電話機が、その姿に似つかわしい古めかしいベルを鳴らす。
ソファに腰掛けて雑誌を読んでいたアリオスは面倒そうに辺りを見回した。
いつもなら愛想のいい声で電話に出るはずの相棒がいつの間にかいない。壁に掛かったこちらは最新式の電波時計を見ると、長針と短針が真上を指して重なっている。電話が鳴っていることよりも、こんな時間に相棒が何も言わずに姿を消していることに眉を顰めながら、アリオスは仕方なく片手を伸ばして受話器を取り上げた。
『すぐ傍にあるんだから、ワンコールで出ろよな。反射神経鈍ってるんじゃないか?』
アリオスが電話に出た途端耳に流れ込んできたのは、先刻まで忙しそうにキッチンに立っていたオスカーの声だった。
「…おかけになった電話は現在使われておりません」
『ここで切ったらお前は二度とメシにありつけないと思え』
「……今度は一体なんだ?」
家事の達人である相棒に胃袋を握られているアリオスは、仕方なく電話機に戻そうとした受話器を耳に当てた。
『バルコニーから下見てみろよ』
「バルコニーってオマエな…」
バルコニーは寝室の外である。アリオスは溜息を吐くと電話機を片手に持ち上げ、バルコニーまで出た。コードレスなどという便利な電話機ではないので、コードがかなり必死に頑張っている。小さなバルコニーから外を眺めるのにはギリギリだ。
 そうして、下を眺めれば、アパルトメントの外で携帯電話を片手にこちらを見上げているオスカーと眼が合う。
『ハッピーニューイヤー』
眼下のオスカーが笑いを滲ませながら口を開くと、耳元にその声が聞こえてくるのが不思議といえば不思議な感覚だった。
「…もしかして、ただそれだけの為に外出たのか、アンタ」
『普通に言うんじゃつまらないだろ』
 つまらないとかいうモンでもないんじゃねぇか?
そうは思ったもののそれを口に出すと確実にまた胃袋の危機に陥るのでアリオスは別のことを口にした。
「気が済んだならとっとと上がって来いよ。寒いだろ」
『お前がそんな優しい言葉かけてくれるとは珍しいな』
「バカ、オレが寒いんだよ」
オスカーのからかうような声音に、間髪入れずに答えたアリオスの言葉は素っ気無い。
尤も、シャツ1枚で真冬の真夜中に外に出ていればこの男でなくとも寒いに決まっている。
『俺だって寒いのは一緒なんだがな』
「知るか。オマエは自分の好きで出てんだろ。…ああ、なんなら」
『…?』
眼下のオスカーが首を軽く傾げたのを見ながらアリオスはまるですぐ隣りで囁くかのように言ってやる。
「戻って来たらオレが暖めてやろうか?」
セクシャルな空気を纏ったアリオスの科白だったが、悲しい哉、タイミングが悪かったと言うべきか。
『ダメだな。お節料理をまだ作り終えてない』
 オマエは何処の専業主婦だ。
アリオスが思わずガックリと突っ込みを入れたくなったのは無理もないだろう。
 先日、久々に食事を共にした日本通のルヴァに日本の年末年始の様子を教えられたオスカーは、その足で日本のお節料理のレシピ本を購入し、日本風の年末年始の過ごし方を実践することにしたらしい。
 実は3時間程前に年越し蕎麦なるものも食べさせられたアリオスである。
「…なんでもいいから、オレはもう中入るぜ」
料理に真剣になっている時のオスカーに逆らうとロクなことがないと体験済みのアリオスは肩を竦めると踵を返そうとした。
『ちょっと待て』
それを電話越しの声が止める。
「ああ?」
仕方なくアリオスがもう一度バルコニーの手摺から下を覗けば。
『…今年もよろしく』
悪戯でも仕掛けたような笑顔と酷く耳に心地いい柔らかい声音。
アリオスは鬱陶しげに前髪を掻き上げてから一つ息を吐くと、相棒を見遣りながら口を開いた。
「…お互いにな」