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This Night




 降り出しそうだな・・・。
 広いキャンパスを横切りながら、オスカーは頭上を見上げた。日の暮れかけた、分厚い雲に覆われた空は薄暗く、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
「・・今日のこの寒さだと、うまく行けば雪か?」
ロンドンの冬は暖かい。緯度の高さから考えると意外だが、夏冬の気温差はあまり激しくないのだ。最低気温が零度以下になることなどまずない。だから当然、雪も滅多に降らない。
 だが、今夜はもしかしたら雪が降るかもしれない。
キャンパスに人はまばらだ。クリスマス休暇に入っているのだから当然なのだが。
オスカーにしても、休暇明けに提出のレポート資料を借りる為でなければわざわざ大学まで足を運んだりしなかった。
 オスカーの住むアパルトメントは大学に程近い所にある。一度荷物を置き、シャワーを浴びてから、もう少し厚手のコートを羽織って出かけようとオスカーは歩を早めた。
 今夜はケンブリッジサーカスに面したライムライトというクラブでクリスマスパーティーがある。クラブの常連であるオスカーにも勿論声がかかっていた。
 異様に張り切りそうだな、あの極楽鳥。
最近知り合いになった派手好きな友人のことを思い出し、オスカーは肩を竦める。
向こうも今夜のパーティーに来るはずだ。普段からオスカーの感覚では到底理解できない恰好をする男だから、今夜はさぞかし奇抜で派手な恰好で現れるだろう。
 ・・・サングラスかけてくか。
かなり真剣にそんなことを考えて、オスカーは借りてきた数冊の本を抱え直した。
キャンパスを出て、ガヴァーストリートを横切る。行き交う人々はみな、手に何かしら荷物を抱えていた。
それはケーキの箱だったり、花束だったり。大きなクマのぬいぐるみだったり。
 愛しい人と過ごす、クリスマスの夜。
今のオスカーには縁遠いものだ。
一人でロンドンへとやってきた。残念ながら、一緒にクリスマスの夜を過ごすような相手もいない。否、過ごそうと思えば今からでも一緒に過ごしてくれる女性はいるだろうが、そんなその場凌ぎをしたいと思うオスカーではない。
 その時、オスカーの目の前を何か白いものがひらっと落ちていった。
驚いて上を見れば、暗い空からちいさな雪が落ちてくる。
「ほんとに降りだしたな・・」
 こんな綺麗な雪のクリスマスを誰かと二人で過ごすなら、やはり本当に心から愛しいと思った相手と過ごしたい。今は、寂しい同類項たちと騒ぐクリスマスパーティーでいい。
「急ぐか・・」
オスカーはグッジストリートステーションの脇を走り抜けた。



 リージェンツパークをぶらぶらとし、モーニントンクレセントステーションからノーザンラインに乗ったアリオスは、ドアに寄り掛かって、変わり映えのしない外を眺めていた。
地下鉄なのだから外の風景など何も見えないが、車内は車内で家族連れが多く、煩くて敵わなかったのだ。
 そういや、クリスマスだったな・・。
自分にはあまりにも遠くなってしまったイベントなので、すっかり頭から抜け落ちていた。
 ケーキを囲んで談笑するような家族などいない。
アリオスにとって家族とは、記憶から抹消したい存在でしかなかった。
 肩を寄せ合って揺れる蝋燭の灯りを見つめるような恋人もいない。
誰よりも愛しいと思った相手は、二度触れることの叶わない存在になってしまった。
 下らないことではしゃいで夜を明かすような友人もいない。
アリオスは、他人と深く関わることを止めてしまった。誰かに心を許すということに、恐れすら抱いているのかもしれない。
 幸せなヤツらだ・・。
車内の乗客にちらっと視線を遣って、アリオスはそう思った。
 否定する気はない。その幸せがどれほど大切なものなのか、アリオスにもよくわかっている。
 けれど、その幸せがどれほど簡単に、脆く崩れ去ってしまうものなのかも、アリオスはよく知っていた。
 地下鉄がグッジストリートステーションに入る。扉が開くと、アリオスはさっと電車を降りた。
大英博物館の向かいにあるケニルワースというホテルのラウンジで人と会う約束があるのだ。ボディガードの依頼らしい。一駅先のトッテナムコートロードステーションの方が目的地に近いのだが、時間に余裕もあるし、少し歩くのもいいだろう。
 本当は、幸せそうな乗客でいっぱいの電車に、乗っていたくなかっただけなのかもしれないが。
 どうせ、外も同じなのにな。
地上へと上がる階段をゆっくりとした足取りで上りながらそんなことを考える。それでも、閉鎖された空間で一人孤独を噛み締めるよりは幾分マシだろう。
 アリオスが階段を上りきり、地上へと出たそのタイミングを見計らっていたように、何か白いものが空から降ってきた。
「ホワイトクリスマスってヤツか・・・。オレには関係ねぇが」
ポケットから煙草を取り出し、火をつけて呟いた。
それでも、雪は幸せそうな家族連れにも、恋人達にも、そして孤独な自分の上にも白く降り積もる。
 舞い落ちる雪を暫く眺めていたアリオスは、やがて雪の街へと歩き出した。


 
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 昼過ぎから降りだした雪は、どうやらロンドンには珍しく本降りになったようだった。
「ホワイトクリスマスだな。やはりこういう夜は美しく装ったレディと語り明かしたいものなんだが・・」
「なんでもいいから、早くメシにしろっての」
「お前な、何にもしてない癖して態度デカすぎじゃないか?」
「オレはローストチキンが食いたいとも、ブッシュドノエルが食いたいとも言ってねぇよ」
 ダイニングのテーブルには蝋燭が置かれ、こんがりと焼けたローストチキンと、オニオングラタンスープ、シーザーサラダにフランスパン、そしてブッシュドノエルが所狭しと並べられていた。
 全部作りやがった、コイツ・・・。
感心していいのか呆れていいのか、最早アリオスにもわからない。
「食いたくないなら、構わないが?」
オスカーの眼が微妙に据わった。
 食事、延いては家事に関しては絶対にオスカーに逆らってはいけないとわかっていても、思わず口に出しては、毎回オスカーの機嫌を損ねるアリオスである。
「・・・食ベサセテイタダキマス」
それは棒読み以外の何物でもなかったが、オスカーは満足そうに頷いた。
「しかし、ケーキまで作るか?つーか、誰が食うんだよ。オマエだって、甘い物別に好きじゃねぇだろ」
「お前」
オスカーの答えは短い。
「なんでオレがこんな甘ったるいモンを・・」
「意外と嫌いじゃないだろ?」
「・・・」
 嫌いではない・・・らしい。自分でもよくわかっていなかったのだが。勿論、甘いだけの菓子は苦手だったが、甘すぎなければ自分でも驚くほどあっさりと食べられるということに最近気づいた。そして当然、オスカーの作るケーキはそれを考慮してかなり甘さを控えてある。
 だからって、コレ全部を食えってか。
まじまじとブッシュドノエルを凝視するアリオスの様子にオスカーは堪らない、といった態で笑い出した。
「全部食えとは言ってないだろ。俺も食うさ、勿論」
 座れよ、とアリオスを促す。
窓の外には、うっすらと白くなり始めた建物の屋根と、静かに降り続ける雪が見える。
「そういえば、何年か前にも、クリスマスに雪が降ったな」
 あの頃の自分は、まさかこんな風にクリスマスを過ごす相手が出来るなんて思ってもいなかった。
 相手が男ってだけで、完全に予測の範疇外だからな。
ワインのコルクを抜きながら、オスカーは苦笑した。
それでも、あの時のクリスマスよりも、今年のクリスマスの方が幸せだと断言できる。
「そういや、そんな年もあったな・・・」
 その頃の自分は、独りで生きていくと信じていた。幸せなクリスマスなど、二度と過ごすことなどないと思っていた。
 こんな脳天気な会話できるようになるとは思ってなかったぜ。
アリオスは軽く溜息を吐く。
食事一つにこんな応酬を繰り広げることになるなんて、思いもよらなかった。
それでも、今ならば、幸せそうな乗客でいっぱいの電車にも乗っていられる。
「それじゃ、食うとするか。やっぱり、メリークリスマス、かな」
「挨拶なんてどうでもいいじゃねぇか」
「お前な、人が折角ここまで完璧にクリスマスディナーを作ってやったのに、それくらい付き合おうって気は起きんのか」
「あー、わかったわかった。挨拶すりゃいいんだろ、挨拶すりゃ」
 挨拶でもなんでもするから、いい加減食べさせて欲しい、というのがアリオスの心情である。何しろ、夜は腕を揮うからランチは早めにな、というオスカーの所為で、かれこれ八時間は何も食べていないのだ。
「・・・投げやりな言い方だが・・・。ま、お前じゃそれが限界だろうしな」
笑いながらオスカーがグラスを手にする。アリオスもそれに倣った。
 音もしないほど軽くグラスを触れ合わせ。
 幸せな夜と、そしてそれを与えてくれた相手に。
「メリークリスマス」