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百億の笑顔に隠されたたった1つの涙の雫




 普段の飄々とした態度からすると意外な程、カティスはなかなか情熱的な抱き方をする。
荒い息を吐き出しながら隣りに身を横たえる男を見てオスカーはぼんやりと思った。
尤も、普段の態度そのままに淡白に抱かれるのは御免なので、決してカティスの抱き方に不満があるわけではない。男性としての自尊心やらモラルを訴える理性やら、一応の柵となんとか折り合いをつけてこの男に抱かれることを選んだ以上、相手にもそれなりにわかり易い形で自分を求めて欲しい、と思っても罰は当たらないだろう。
にも関わらず情事後の気怠さの中、オスカーがそんなことを思ったのは、やはり単純に普段の態度との落差故、といったところか。
「なんだ…?」
焦点が合っているのかどうかわからない眸でじっと見つめられていることに気づいたカティスが少し掠れた声で問い掛ける。その声にも、常にはない男臭さのようなものが漂っていて無性に可笑しかった。
「いや…。あんたって、ベッドの上だと人格変わるタイプだったんだなあ、ってさ。今更ながらに思ってただけだ。」
 普段のカティスはあまりにも飄々としているから。
だから、こんな落差がとてつもなく新鮮に感じるのだろう。
「意外か?」
少し笑って返された科白に、オスカーは軽く頷いてみせた。
「普段のイメージとは全然違うって、自分でも思わないか?」
「じゃあ訊くが、お前さんから見た普段の俺は、一体どういうイメージなのかな?」
冗談めかした口調で投げられた質問に、少し考え込む。隣りから伸ばされた指先が、汗で湿った自分の髪をかきあげる心地よさに僅かに眸を眇めながら。
「笑顔、だな。」
「笑顔?」
 暫くして出された答えに、カティスが首を傾げた。鸚鵡返しに訊き返すことで説明を求める。
「ああ。あんた、いっつも笑ってる気がするぜ?」
 聖地に来て間もない頃は、薄気味悪く思ったほどだ。カティスはいつも笑顔でいるような気がする。快活な笑いの時もあれば、穏やかな微笑の時もある。困ったような苦笑いの時もあるけれど、笑顔の他を思い浮かべるのは難しい。
「あまり褒め言葉にも聞こえんな。それじゃまるっきり悩みのない脳天気な男みたいじゃないか。」
そう言いながらもやはり笑顔のままのカティスに、オスカーも笑う。
「脳天気というよりも、楽天家、ってイメージだな。でもそうか、あんたでも悩むことはあるんだな。」
 本気なわけではないが、あまりイメージが湧かないのも事実だ。
「おいおい、そりゃ随分と酷い言い草だな。」
「あんたが深刻そうな顔しないんだから仕方ないだろ。」
 そうだな、と苦笑しながらカティスは鼻の頭を掻いた。
「ガキの頃の話だが。自分がこうやって守護聖になるなんて思いもしなかった頃だ。聖地なんてものも知らない程小さな頃だが、好きな歌があってな。」
少し懐かしむ表情を視界の端に捉えながら、オスカーは何気ない顔で話を聞く。カティスの思い出話を聴くのは初めてだった。
「苦しい事も悲しい事もあるだろう。それでも挫けない。泣くよりも笑おう。そんな歌だった。その歌に、子供だった俺はいたく感じ入って、幼心に思ったわけだ。どんな時も泣くよりも笑おう、ってな。」
 尤も、子供の時分に思っていたよりも遥かに人生ってのは厳しいもんだがな、と天井を見つめながらカティスは続ける。
その横顔すら、僅かに口許が笑みを刻んでいて。
 オスカーは身を起こし、カティスの躰を跨ぐように正面から顔を見た。
「どうした?」
笑みを残したままの問いかけには答えず、オスカーはカティスの頬にそっと手を当てた。
「泣くよりも、笑おう、って?」
「ああ。その方が前向きだろう?」
剣を握る癖に細い指先が頬を撫でるのに任せ、カティスは穏やかに笑う。
「どんなに、苦しくても?」
「ああ。」
馬乗りになったまま、顔を近づけて問う。カティスは笑顔のままだ。
「悲しくても?」
「ああ。」
吐息が触れるほど、近づく。
 オスカーが今まで見てきたカティスの笑顔の中にも、そうやって涙を隠した笑顔があったのだろうか。
そう考えると、ツキン、と胸の奥が痛んだ。
「おいおい、お前さんがそんな切ない顔しなくともいいだろう?」
「うるさい。」
冗談めかして笑う男の唇に、噛み付くように口づける。
 そのまま何度も深く唇を合わせ、躰を反転させたカティスが今までとは逆にオスカーの上に馬乗りになった時には既に、折角整った息も再び荒くなっていた。
「お前さんにしちゃ随分荒っぽい誘い方だな?」
「あんたにムード作っても仕方ないだろ。」
それもそうか、とカティスは笑った。
その首に腕を伸ばしながらオスカーは思う。
 自分だけには辛い顔も、悲しい顔も見せて欲しい。
そんな言葉を言う気はない。
恋人と呼べる関係にあろうと、この男のポリシーに口を出す気はないからだ。
だから代わりに、オスカーは言った。
「あんたの笑顔、好きだぜ、カティス。」
たとえそれが、涙を隠した笑顔であったとしても。