記事一覧

霜降ル月ノ或ル日ノ話。




 「よう」
まるで、散歩の途中で偶然ばったり出くわしたかのように。
無造作に、気負いもなく。その男は突然、炎の執務室に現れた。
「なっ、な、なななっ、なななな・・・っ」
常識の範疇を遥かに超えた突飛な登場方法に、挨拶された側は言うべき科白もまともな言葉にならず、口をぱくぱく開けてしまう。
さすがにびっくりした。というか、状況が把握できない。
そういえば、以前にもこんな風に現れたことがあった、などと思い出す余裕も当然、ない。
だがしかし。目の前の男は、自分の登場方法にかなりの難があったことなどお構いなく、平然と、デカイ態度でのたまった。
「頼むから、わかる言葉をしゃべってくれ」
ご丁寧にも、片手で自分の額を押さえ、片手でこちらに向かってひらひらと手を振るジェスチャーつき。
そのあまりの言い草に、部屋の主はTPOなどすっかり忘れて絶叫した。
「おまえの所為だろうがーーっっ!!」
壁も扉も分厚く防音効果バッチリの執務室でよかった。そうでなければ確実に大騒ぎになったに違いない。



 何もない空間に突然姿を現すなどという、マジシャン顔負けの離れ業をやってのけた男は、ある意味、本物の「魔術師」だった。なにせ、「魔導」という、通常この宇宙には存在し得ない力を有しているのだから。
 その魔術師は、応接用のソファで我が物顔で寛ぎ、優雅にコーヒーなんぞ飲んでいる。
「おまえ、自分がどーゆー立場で、ここがどこで、更に俺がどーゆー立場なのか、わかってるんだろうな・・・?」
執務机に肘をつき、呆れた溜息で部屋の主であるオスカーが問えば、不法侵入者はカップをテーブルに置いてすらすらと答えてみせた。
「オレは元侵略者で恩赦済みの前科1犯、ここは聖地で、アンタは炎の守護聖様、だろ」
「・・・その前科1犯が、よりによってこの聖地の警備を任されてる俺のところへ一体何の用だ、アリオス」
そう、アリオス。本人が言った通り、かつてはこの宇宙を侵略し、聖地を陥落させ、女王を幽閉した男。
姿を偽り、仲間と信じた者たちを裏切った男。そして転生を果たした今、一概に仲間とも言い切れない微妙な位置にいる男である。少なくとも、かつて女王試験に協力した者たちのように、時々この聖地を訪れて歓談するような、そんな間柄ではないことは確かだ。
 オスカーは、この男と親しくないわけではなかった。どちらかというと、いや、まず間違いなく、仲間内の誰よりも、オスカーはアリオスと親しかったと言っていい。ぶっちゃけた話、幾度か躰を重ねたこともある仲である。そこに恋愛感情が伴ったか、と問われれば、その答えは未だオスカーの中では出されていないのだが。
「目が醒めたらな、カレンダーが目に入った」
「・・・は?」
それが、オスカーの問いの答えとどう繋がるのか、唐突にアリオスは切り出した。
「オマエ、白き極光の惑星で寝た時のこと憶えてるか?」
「・・・・・・はぁぁ??」
更に強引な話題転換である。「寝た時のこと」などと言われて照れも焦りもしないあたり、さすがオスカーといった観もあるが、しかしこの脈絡不明な話の流れにはついていけないようだ。
「『万が一にも、次にお前が誕生日を迎える時に一緒にいたら、しょうがないから祝ってやる』って言っただろ、オマエ」
「・・・言った・・・か・・・?」
手を口元に当てて、はたと考える。言われてみれば、そんなことを言ったような気もする。別に大して意味のある言葉ではなかった。所謂寝物語、情事後のピロートークに過ぎなかったのだから。たまたま、誕生日の話になっただけだ。話の前後も覚えていない。誕生日なんて祝ってもらった記憶などないとアリオスが言うから、軽い気持ちでオスカーは「祝ってやる」と言ったのだ。それから然程時間を空けず、アリオスはオスカーの前に皇帝として姿を現すこととなったので、当然、そんな話はうやむやに立ち消えた。
「言ったさ。で、約束を果たして貰おうかと思ってな」
アリオスにしても、そんな約束の範疇にも数えられないような会話を、後生大事に憶えていたわけではない。
はっきりいえば、綺麗さっぱり忘れていた。けれど、偶然目にしたカレンダーが忘れ去っていた自分の誕生日を示しているのに気づいたとき、ふ、と緋い髪の男と交わした会話を思い出したのだった。
 顔を見たい、声を聴きたい、とそう思った。
「約束を果たすって言ったってなあ・・・。『ハッピーバースデー』とでも言って欲しいのか?お前が?」
記念日とかそういったものには露程の興味も示さない男だったと思うから、オスカーは意外そうな顔を隠さず言った。
「随分と意外そうだな」
 当たり前である。
この男が、記憶の隅に追いやられていたような、そんな会話の為にわざわざあんな突飛な方法でやって来るなんて、思いもよらないではないか。
「まあ、オマエににこやかに『おめでとう』なんて言われたいわけじゃねぇから安心しな。別に大してめでたいことだとも思わねぇしな」
 誕生日も、遠く小さな約束も。きっかけにはなったが、結局は口実に過ぎない。
「じゃあ、何して欲しいって言うんだ」
「キス、しようぜ」
なんでもないことのように、さらりと言った。
「・・・」
 躰を重ねたことは何度もあったが、キスを交わしたことはなかった。そこに甘い感情があったわけではない。
けれど、何もなかったわけでもない。二人にとって、お互いは最も近くて遠い存在だった。共通する部分の多い二人はお互いが最大の理解者であり、そうでありながら辿ってきた道と選択は正反対だった。お互いに思うところは多分にあったが、それには触れずに築いた関係だったと言っていい。言外にそれを証明するかのように、抱き合いながらもキスはしなかった。
「・・・アリオス」
アイスブルーの視線が、問い掛ける。
今まで適当に誤魔化していた感情の答えを、求めていくつもりなのか、と。
「なあ、キスしようぜ、オスカー」
それがアリオスの返答だった。
アリオスの中でだって、答えなどまだ出ていない。これが恋愛感情なのかなんて、訊かれても今は答えようが無い。
けれど、放っておいたその答えを、探してみてもいいと思っている。
「なあ・・・」
執務机に片手をついて促せば、オスカーはふう、と溜息をつき。
「・・・いいだろう」
迷いを断ち切るように軽く首を振った後、口元に笑みさえ刻んでそう答えた。
 アリオスの手がオスカーの頬に添えられる。
唇が触れる寸前、オスカーが笑った。
「まあ、しょうがないからとりあえず言っといてやるよ。『誕生日おめでとう』」
アリオスもまた、口の端を持ち上げ見慣れた笑みを見せる。
「一応、『サンキュ』と答えておくぜ」
そうして、初めて交わした始まりのキスは。
思いの外、甘く、優しかった。