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眠りの使者




 カタン、と小さな音がして、カティスは窓を見た。
「やれやれ…」
窓の外に立つ人物を認めると、鍵を開けてやる。
「散々飲んで、それでも平気で2階のベランダまで上がって来れるお前さんの運動神経には感心するがな」
カティスの言葉に窓から入ってきたオスカーは軽く肩を竦めると、クッションの程よく効いたソファにだらりと横になった。
「おいおい、いきなりその態度はないだろ」
「何かくれ」
態度を改める様子もなく、横になったままオスカーはそう要求する。
「ったく。態度のデカいヤツだな」
苦笑しつつ、カティスは部屋の一部を占領するワインラックへと足を向けた。
 酒好きのカティスとオスカーが共に飲むのはよく見られる光景だ。
自身がワイン造りの名手であり、聖地一のワインコレクターでもあるカティスの邸をオスカーが訪れることも珍しくはない。
だが、こんな風に他所で散々飲んだ後に不法侵入してくるとなると話は別だ。滅多にあることではない。
…けれど、これが初めてというわけでもない。

 炎のサクリアを大量に送った日。

 炎のサクリアは他の8つのサクリアと微妙に性質を異にする。強さを司り、軍事延いては破壊・浄化・創造を象徴する炎のサクリアは、送ることよりも引き上げることの方が圧倒的に多い。そうやって、大規模な戦争が起こることを防ぐのだ。
だが、稀に炎のサクリアを送らなくてはならない場合もある。それも、大量に。
それが、惑星をリセットする時だ。それはウィルスの蔓延であったり、星自体の疲弊であったり、理由は様々だが、惑星上の全ての文明・生態系を一掃し、星の状態をリセットする時、破壊と浄化の力をもつ炎のサクリアが大量に注がれる。時には、惑星上に存在する生命すらもリセットの対象として。
 自らの力が、全てを無に還す力であっても、オスカーがそれを否定したことはない。
ただ淡々と、自らの責務として炎のサクリアを惑星に注ぐ。けれど、そうやって惑星をリセットした日は、いつもこうやって、聖地を抜け出して飲み歩き、最後にカティスの所へやってくるのだ。

 だから、カティスは眠らずに待っている。

 必ず、オスカーが自分の所へ来るとわかっているからこそ、どんなに遅くなっても眠らずに、彼が来るのを待っている。
カーテンを開けて、部屋の明りが見えるように。
きっと、カティスの私室に明りが灯っていないと、オスカーはここまで来ようとはしないだろうから。
そして、とっておきのワインを用意しておくのだ。
「遅い」
 1本のワインを片手に戻ると、オスカーは相変わらずソファに寝そべったまま文句を言った。
「悪い。そう、急ぐな」
大して気にした風でもなく、カティスはグラスにワインを注ぐ。
 途端に広がる甘く芳醇な香り。
深紅の液体の入ったグラスを渡してやると、オスカーは目を閉じて香りを楽しみ、次いでゆっくりと口に含んだ。
 あまりアルコールの強くない、甘口のワイン。
まろやかな口当たりは散々強い酒を飲んできた躰に、ひどく優しく感じられる。
「ん、美味い…」
目を閉じたまま満足そうに呟くと、オスカーは空になったグラスを差し出した。
「もっとくれ」
「はいはい」
苦笑しいしい、カティスはワインを注ぐ。そして、グラスを渡そうとして、止まる。

 傍若無人な不法侵入者は、既にあえかな寝息をたてていた。

「…ったく。困ったヤツだな」
手にしたグラスとオスカーを見比べて、カティスはグラスの中身を飲み干すと、床に座りこんだ。そっと、緋い髪を梳いてやる。
「…出来過ぎってのも、問題だぞ」

 強さを司る守護聖であるが故に、弱さを見せられないオスカー。
彼は炎の守護聖として申し分なく優秀だ。
誰もが彼に常に強く在ることを期待する。そしてその期待を裏切らないだけの強さが確かにオスカーにはある。
けれど、守護聖である前に人である以上、弱さも存在するのに。
自分にどんな苦痛を強いても、彼は期待に応え続ける。それがカティスには哀しく映って仕方がない。そして、何よりも愛しくて仕方がない。
だから、オスカーがこうやって少しだけ弱さを垣間見せる時を大切にしている。精一杯、甘やかしてやる。
「いつまでこうして、おまえを甘やかしてられるんだろうな…」
 いつか必ず別れなくてはならない時がくる。それは明日かもしれないし、ずっと先のことかもしれない。
 自分がいなくなったら、彼はどこで眠るのだろう。誰が、眠らせてやれるのだろう。
 独りで、眠れない夜を過ごすのだろうか。

 だからせめて。
ちら、とカティスはテーブルに置いたワインボトルを見て小さく笑った。
 ヒュプノス。
主星からは遠い惑星の神話に登場する眠りの神の名前だ。
眠りを誘うワインに相応しかろうと名づけた。
 ワイン造りの名手であるカティスが、ただ彼の為だけに作ったワイン。
カティスはそっとオスカーにくちづけ、目を閉じて呟いた。

「飲みきれないくらい、造って置いていってやるさ」


 いつか、自分がいなくなっても。
 誰も、彼の傍にいなかったとしても。
 哀しいほど強く在り続ける彼に、優しい眠りが訪れるように。