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「世界を、止める…?」
ティナが鸚鵡返しに問えば、コスモスは深く頷いた。
「それは、ここへきて新たな空間が現れたことと関係しているのか?」
「新しく出現したのではありません」
「…?」
「元々この世界にあった空間なのです」
コスモスの説明によればこうだ。
この世界は元々様々な世界の断片の寄せ集まり。2年前の戦いの当時も、本当は10人が歩き回った空間の他にも様々なエリアが存在していたのだと言う。しかし、此処を実験場とした大いなる意思の力で制限が加えられていたのだ。限られた数の駒を動かすのに、あまりに広すぎるフィールドでは無駄が多い、ということらしい。既に過去の話とは言え駒扱いされるのは気分がよくないがそれは流すとして、つまり新たな空間が現れたと思ったのは、実際は新たな空間が出現したのではなく、制限が解除されて自分たちの行動範囲が広がったということなのだろう。10人が揃うまでは2年前と変わらなかったのは、コスモスが外部から働きかけてランダムな空間変異を起こり難くしていたことと、彼ら自身が新たな空間の存在など疑わず空間変異の際に目的地を定めて動いていたからなのだとコスモスは言った。
「それで、世界を止めて欲しいとは?」
「断片の寄せ集まりに過ぎないこの世界がそれでも一定の状態を保っていたのは、ここを実験場とした大いなる意思の力に依るもの。しかしあなたたちが時の鎖を断ち切って実験は終わりを告げ、大いなる意思はこの世界を放棄しました。制御する力を失ったこの世界は膨張し拡散しようとしているのです」
ただバラバラになるのであれば大した問題ではない。しかしこのままでは、吸引力を失った断片は次元の狭間を漂流し、次元の境界へと衝突してしまう。それによって引き起こされる事態は。
「衝突された次元…こことは違う世界、本来のあなたたちの世界に異変が起こってしまいます」
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「異変?」
「天変地異といったものなのか、それとも次元の捻じれが生じてしまうのか…異変の種類は様々。何が起こるとは言えません。確かなのは、何かしら異変が起こってしまう、ということだけなのです」
「それを阻止するには、この世界がバラバラになることを止めるしかないというわけか」
「でも、バラバラになる世界を止めるなんてどうやるのさ?」
オニオンの問いは尤もで、自分たちの世界に異変が起こるというならそれを止めるべく動くのは吝かではないが、具体的にどう動けばいいのかが皆目見当もつかない。
「貴女には、どうにかできるんじゃないのか?」
コスモスに向かってフリオニールが尋ねる。だがコスモスは静かに首を振った。
「蘇ったとはいえ、私は1度死してその世界から退場した身。もうそこへと戻ることは叶いません。こうして外部から働きかけるのが精いっぱいなのです」
こうやってあなたたちに語り掛けられる時間も長くはありません、とコスモスは続ける。
「でも、コスモスにもできないこと、私たちにできるの…?」
不安げなティナに、コスモスは確りと頷いた。
「あなたたちには、クリスタルがあります」
「…あ」
ティーダが何か思いついた、というように声を発する。仲間たちの視線がティーダに集中した。
「クリスタルはコスモスの力の欠片なんだよな?だったら、これ、コスモスに還したら、コスモスどうにか出来るんじゃないっスか?」
そういえばそうだ、と仲間たちの顔にも納得の表情が広がる。しかしコスモスはこれにも首を振った。
「確かに、クリスタルは元は私の力の欠片。けれど、それはあなたたちの想いに反応して生まれたものでもあるのです。それはもう、私の一部には戻りません」
だからこそ再びあなたたちを喚んだの、と調和の女神は言った。
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クリスタルはコスモスの力の欠片が召喚された戦士たち10人の想いに反応して具現化したもの。2年前、コスモスの死により消えかけた彼らを存えさせたのも、ただコスモスの遺した力のおかげなのではなく、云わばそれを大きく育てた彼ら自身の想いの強さがあってこそなのだと言う。
「イミテーションが出たのも、何か関係あんのか?」
「それは、文字通り主を失った駒。制御する者が消えた後も、徒に造り出され続けているのです」
イミテーションも湧いて出るわけではなく、どこかで造り出された存在だから、そのどこか、を見つけ出して止めればいい。言葉にすると簡単そうな話だが、何の手掛かりもないのだから骨の折れる仕事だ。
「それで、クリスタルの力でこの世界を止められるのは確かなのか?」
「絶対、とは言えません」
それもあなたたちに懸かっています、とコスモスは言った。
彼らの手許にある10のクリスタル。その力でこの世界の10箇所に楔を打って下さい、と女神は続ける。クリスタルに宿る女神の力、調和と秩序を司るその力が、無秩序に拡散しようとしているこの世界を一定の状態に保ち、他の次元への衝突を防ぐだろう、と。
しかしその10箇所が何処なのかは判らない。そして本当にクリスタルがそれだけの力を発揮できるのかも判らない。すべてはクリスタルを託された彼ら10人の心の強さに影響される。
「難しいお願いだと解っているけれど、この世界と、あなたたちの世界を救えるとしたらあなたたちしかいないの」
光のスクリーンが不自然に揺れる。あまり時間がないというのは本当のようだった。
「待って、コスモス」
ティナがコスモスに駆け寄るように仲間たちの前に出る。胸に手を当て、言いあぐねるように視線を彷徨わせた後、必死な様子でこう訴えた。
「わたし……わたし、もう戦えないの」
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「どういうことなの?ティナ」
やはりと言うべきか、ティナの言葉に最も速く反応を示したのはオニオン。
「わたし、もう魔導は使えないの」
ティナの世界では魔導の根源となる力が失われ、魔法を扱える者はもういないのだという。魔力に優れ、その力で以て2年前の戦いを乗り切ったティナだが、魔法を使えなければ戦力にはなれない。
「ほんとは2年前にもその状態だったはずなんだけど、あの時は何故か魔法が使えて…。でも、今は何も感じないの。これじゃ、みんなの足手纏いになる…」
「そんなことないよ!」
オニオンがティナの傍で胸を張った。
「コスモスは、この世界を止める為に僕達を喚んだんだ。戦うためじゃないよ。イミテーションの相手ならティナの分も僕がするから大丈夫。言ったでしょ、僕が守る、って」
2年前の言葉を持ち出すオニオンに、ティナの表情も少し解れる。あの時はティナよりも小さく、見下ろしていたはずの少年はこの2年の間に成長し、今ではほんの少しだけ見上げなくては目線が合わない。
「ネギだけじゃないぜ」
レディを守るのは男の本分だろ、とジタンも胸を叩いた。
「ありがとう」
ティナが微笑んで頷くと、今度は素朴な疑問をバッツが口にする。
「でも、なんで2年前は魔法使えたんだろうな?」
隣りに立っていたフリオニールも「何故だろうな?」と首を傾げた。
「それも、大いなる意思の制御に依るもの」
実験にはコスモスとカオスの戦力を均等にすることが必要だったため、この世界独自のシステムを構築して「駒」の能力に制限を加えたのだ。彼らが本来の世界にいる時に出来たことが出来なかったり、逆に出来なかったことが出来たりしたのはその所為だったのだという。
「今のこの世界には制限がありません。あなたたちは、本来のあなたたちの戦い方が出来るはず」
そこまで言うと、コスモスの姿が急激に薄れる。
「コスモス!」
「…頼ってばかりでごめんなさい。どうか…お願いね」
消えかけた光のスクリーンから最後に聞こえたのは、コスモスのそんな言葉だった。
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光が消え、クリスタルがそれぞれの手に収まると仲間たちは焚き火を囲んで次の行動を話し合う。
「手掛かりは何もなし…。ま、クリスタルを探せって言われたときとおんなじだと思えばいいよな!」
当てのない旅が得意、と言ってのける生粋の旅人であるバッツの言葉は前向きで明るい。
「1人1箇所ずつ楔を打ち込むか…。てことは…」
「……」
嫌な予感がする、とスコールが眉間に皺を寄せたが、それに気づかず、ジタンはバッツに向かって言い放つ。
「どっちが先に楔を打ち込むか競争だな!」
「おーし、今度もおれが勝つ!」
「何言ってんだよバッツ、クリスタル見つけたのはオレの方が先だろ!」
「いいや、おれの方が早かったね」
「……(少しは成長したらどうなんだ…。それとも変わらないことが美徳だとでも言うのか?)」
額に手を当てて溜息を吐いたスコールを尻目に、ティーダも手を挙げた。
「オレも競争参加するッス!」
「お、新たなライバル登場だ」
「全然変わんないよね、3人とも。ちょっとは大人になったら?」
「なんだよネギ、お前も参加するか~?」
「嫌だよ、そんな子供っぽい競争」
「とかなんとか言って、実はビリになんのが嫌なんだろ~?」
「なっ!馬鹿言わないでよ、負けるわけないだろ!」
「じゃ、ネギも参加な」
「いいよ、後で泣き見てもしらないからね!」
「お前たち、遊びじゃないんだから…」
「真剣だぜ、オレたちは。な?バッツ」
「そ。真剣に楽しむのが旅の基本だ」
「のばらも参加するッスよ!」
「ええ!?俺もか!?…というより、のばらって呼ぶな!」
頭を抱えそうな様子で溜息を連発しているスコールの横で、あっという間に競争参加者は5人に膨れ上がる。
「楽しそうでいいね」
セシルとティナは微笑ましくその様子を見ているし、クラウドと、意外なことにライトもこの騒ぎを止めようとは思っていないらしい。スコールも同じ境地でいられればよかったのだが、残念ながら、彼にはそういかない事情があった。事の発端がバッツとジタンである以上。
「勿論、スコールも参加するよな!」
ほら、来た。
「…いや、俺は…」
「絶対負けないからな~!」
こういう場合問答無用で巻き込まれるのだ。2年前に何度も経験したそれが、やっぱり繰り返されるのか、とスコールはもう1度最大級の溜息を吐いたのだった。
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一通り騒ぎが落ち着いたところで、ライトは腕を組んで改めて思案する。これから自分たちはどう行動すべきだろう。
「1つだけ決まってるのは、目的地を定めて歩かない、ってことだよね」
そうセシルが言う。
制限が解除されたこの世界がどれ程の広さを持っているのかは判らないが、とにかく歩き回らなくては楔を打つ場所、というものも判らないだろう。その場所へ行けば自ずとクリスタルが反応するものなのかどうかも定かではないが、そこに辿り着けばどうにかなるのだと信じて往くしかない。
「問題は、分かれて動くか全員で動くか、だな」
クラウドの言葉にライトも頷いた。
2年前、クリスタルを求めてこの世界を歩いた際は、カオス側との総力戦に敗れ散り散りに飛ばされたところからのスタートだったから必然的に複数のグループに分かれての行動になったが、今回は選択権は自分たちにある。10箇所に楔を打ち込む、とすれば分かれて行動した方が効率的か。しかし。
「全員で行動しよう」
ライトはそう決断する。
フリオニール達の話からすると、イミテーションは数だけ多く1体1体の力は大したことないようだが、それがすべてかどうか現時点では判らない。ティナのように最早戦闘力を持たない者もいるし、不測の事態に備え互いにフォローできるよう纏まって行動すべきだろう。分かれて行動するのは暫く世界を歩いてみて危険はないと判断できてからでもいいはずだ。
「了解ッス」
ライトの決断に仲間たちは同意を示す。
「おっしゃ、じゃあ食事の準備しようぜ」
ジタンが意地でも放すまいと死守してきた食材を指差した。
「しっかり食べて、寝て、明日から動き出すってことでいいよな」
バッツの言葉に、全員頷いたのだった。
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翌日から、ひたすら移動する日々が始まった。最初は、まだ完全には自在に体を動かす感覚を取り戻していないスコールを慮ってゆっくりと、まるで散歩のように。スコールが完全に復調してからは、主に一部の者たちがピクニックで走り回るが如く。
目的地を定めず動けば、お馴染みの空間変異は次々と2年前には全く知ることのなかった場所へと10人を連れて行った。そこは、全員が全く心当たりのない場所であることもあったが、大概の場合、誰かの世界の断片であることの方が多かった。
1度、クラウドの世界の断片であるらしい、ゴールドソーサーと呼ばれる屋内型遊戯施設に出た時などは、遊園地、というものを初めて見た連中が黙っているわけもなく、バッツやジタンは本来の目的などそっちのけで遊び出し、オニオンもティナの手を引っ張ってあちこち回り、いつもは手綱を握る側であるはずのフリオニールやセシルまで目を輝かせていた。元々遊園地を知っているはずのティーダも一緒になってはしゃぎまわっていたとか、さりげなくクラウドがスノーボードゲームから離れなかったとか、何故かライトが延々と観覧車に乗り続けていたとか、「俺は子供の引率係か」とスコールが眉間にそれはそれは深い皺を寄せる光景が展開された。
イミテーションと遭遇することも数回あったが、数だけは辟易するほど多いものの、特に危なげなく撃退することができるレベルのものばかりで、概ね彼らの道中は安泰と言っていい。後は早く1つ目の楔を打つ場所が判明することを願うばかりだ。何しろ、クリスタルの力を育てる、その力で楔を打つ、と言っても具体的に一体何をすればいいのかさっぱり判らないのだ。とにかく1つ目の楔を打たない限りは効果的な具体策も採りようがない。
そろそろ何かしら次の展開が起こって欲しいと思い始めていた頃だった。
その日3度目の空間変異。
彼らの目の前に現れたのは、どこかの洞窟らしき景色。ここは自分の知っている場所ではないな、と仲間たちが首を振る中、
「雪原の洞窟だ…」
呟いたのはフリオニールだった。
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「ここはフリオニールの世界の断片なんだね」
「ああ…」
フリオニールは辺りを見回しながら頷いた。記憶の中にある景色とそっくりそのままというわけではないが、それはこの世界のどの空間にも言えることで、この世界に集まっているのは飽く迄も元の世界を写し取った断片に過ぎない、ということなのだろう。
「とりあえずここも歩き回ってみようぜ」
ジタンがさっさと歩き出す。仲間たちもそれぞれのペースで歩き出すが、洞窟という地形の都合上、縦に長い隊列になるのは致し方ない。敵に襲われた時のことを考えると、望ましくない隊列だが、そういう時に限って敵というのは現れるものなのだ。
「また、たくさん来ちゃったなあ」
のんびりと言いながらも油断なく剣を構えたセシルの後ろで、同じく剣を手にしたライトが指示を飛ばす。
「走れっ」
狭い洞窟内で一方からイミテーションの大群に襲われても、全員が応戦することはできない。精々3・4人がいいところで、後の者は敵とは反対方向に走って少しでも広いスペースを確保するしかないのだ。
「走るのはいいけど、のばら~、この先行き止まりだったりしないっすよね!?」
「だからのばらって呼ぶなよ…。記憶通りなら行き止まりじゃないはずだが…」
「だが?」
「大階段だったと思う…」
「うわぁっ」
フリオニールの言葉と、そのフリオニールを振り返りながら先頭を走っていたティーダがその大階段で足を踏み外したのはほぼ同時。
「平気か!?」
「よっと。こんくらい平気ッスよ」
それでもプロスポーツ選手の身体能力は伊達ではないのか、うまく着地を決めたティーダが勢いに任せて階段を降りていく。フリオニールは立ち止まって体を壁に寄せ、仲間たちの方を見た。その横をクラウドが駆け降りる。
「さあ、こっちだ!」
ティナとオニオンがフリオニールの横を通り過ぎ、続いてバッツとジタン。イミテーションの相手の為に残ったセシル、ライト、スコールの3人が心配だが、彼らの強さならばまず問題ないだろう。幅の狭く長い洞窟に密集するイミテーション相手ならば、特にスコールのブラスティングゾーンが凄まじく効果的に違いない。
そう考えてフリオニールも階段を駆け降りる。が、後数段で降りきる、というところで背後で突然大きな音が響いて驚いて振り返った。
「どっから出てきたんだよ、あんなもん」
ジタンが驚いたというよりは唖然とした様子で呟く。それもそのはずで、どう見たって先刻までは何もなかったはずの空間から、階段の幅ギリギリの丸い大岩が出現し、彼ら目掛けて転がり落ちてくるのだ。
だが、それ自体は階段を降り切ってしまっていれば容易に避けられるもので、誰も不安など抱いていなかったのに。
「フリオ!」
後数段を残して背後を、迫り来る大岩を振り返ったまま、何故かフリオニールが動かない。
「ヨーゼフ…」
フリオニールの口から洩れた呟きは誰にも聴こえなかった。
「何ボーッとしてんのっ!?」
大岩がフリオニールを押し潰す寸前、オニオンが彼の背に飛びつくように引き倒した。そのオニオンの腕を掴み、バッツが2人を階段脇の道へと自身も倒れこむように引っ張る。
「フリオ!ネギ!バッツ!!」
大岩が壁に激突する凄まじい音と、ティーダの叫びと、ティナの悲鳴が同時に響いた。
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「では、岩を砕いた時には既に彼らの姿はなくなっていたのだな?」
ライトが確認の為に聞いた話を反芻する。
「ああ。確かに3人は岩の向こう側に避けた。間一髪だったが間に合っていたのは確かだ」
クラウドが頷きながらそう返した。
イミテーションを片付けて先に行かせた仲間と合流すべくライト、セシル、スコールの3人が大階段を降りてきたとき、そこにいたのはクラウド、ティーダ、ティナ、ジタンの4人だった。そして何かあったのかと事情を尋ねて今に至る。
「岩で道が塞がれてたって声くらいは聞こえるし、何も言わずにヤツらがどっか行っちまうなんてありえないよな」
ジタンが両腕を組んで首を捻る横で、セシルやティナも困惑気味に頷いた。
「とりあえずは、ここで様子を見てみるしかないんじゃないのか?」
そう言ったのはスコールで、それに全員が同意して、彼らがいたはずの方向を見遣った。
一方で、その行方不明3人組はといえば。
「どうすればいいんだよ…?」
「おれに訊かれてもなあ…」
オニオンとバッツが小声で互いを突きあう。2人の前には、未だ呆然とした様子のフリオニール。
迫り来る大岩を前に何故か動かないフリオニールを咄嗟に2人の連携で助けたまではよかったのだ。岩が階段を縦線とするT字路の壁に突き当たり派手な轟音を立てるのも、その向こうから微かにティーダが自分たちの名を呼んだのも聞こえた。なのに、土埃が漸く治まって立ち上がり辺りを見回した彼らの目には、あるべき景色が映らなかった。
「なあネギ、異世界喚ばれて更に異世界飛ばされるって、アリ?」
「…ナシ、って言いたいけど、空間変異のレアバージョンみたいなものかもしれないよ」
「それにしたって、いつもと違いすぎないか?」
そうなのだ、彼らがいるのは、酷く暗い空間だった。何処に光源があるのか判らないが辛うじて互いの姿は見えている。しかし、見える範囲には何もなく、物音1つ聞こえない。
「とにかく、出来る事からやってみたほうがいいと思うんだ。…フリオに、しゃんとして貰わなきゃ」
オニオンの視線がフリオニールへと向けられる。バッツも同感、と頷いてフリオニールに近づいた。
「…フリオニール~?聞こえてるかー?おーい?のばら~?」
フリオニールの顔の前でひらひらと手を振りつつ声を掛け続けること数十秒。漸くフリオニールの視線がバッツに合う。
「バッツ……オニオンも、どうした?」
「それはこっちのセリフ!そっちこそどうしたって言うのさ?僕とバッツが助けに入らなかったらフリオは大岩に押し潰されてたんだよ?」
オニオンに言われて思い出したらしい、フリオニールがすまん、と俯く。
「まあ、無事だったからいいってことで!な?」
バッツが明るくフォローを入れ、それから少しだけ表情を改めた。
「でも、ほんとにいきなりどうしたんだ?さっきまでおまえ普通だっただろ?」
その問いに、バッツの後ろでオニオンもうんうんと頷いている。フリオニールは答えあぐねていたようだが、やがてこう言った。
「見たことある、シーンだったんだ」
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フリオニールの世界で、彼が経験した戦い。その道中、雪原の洞窟で倒した敵の最後の足掻きで発動した大岩の仕掛け。それを食い止め、フリオニール達を逃がし、彼らに娘を頼むと言い残して死んだ仲間がいた。
「ヨーゼフっていう、頑固そうな男で、義理堅くて、娘のネリーのことを可愛がってて…」
フリオニールの言葉に力はない。当時のことを思い出せばそれも当然だ。
「まるっきり、あの時の光景と一緒で…。ヘンだな。岩が迫ってるのに、ヨーゼフの姿が見えた気がしたんだ」
そうしたら、迫ってくるはずの岩が止まって見えたのだとフリオニールは言った。
「自分にもっと力があればって、後悔してるの?」
「そのときのこと吹っ切れてないのか?」
オニオンとバッツが問う。仲間の死、というものに、彼らも思うところがあるのだろう。
「そうじゃない。そうじゃないんだ。ヨーゼフだけじゃなくて、旅の途中で俺達を先に行かせる為に死んだ奴らは他にもいて…。でも、あいつらに託された想いは果たした。それに、だからこそ俺は夢を持った」
「のばらの咲く世界?」
「ああ。あいつらがどんなに崇高な想いでその身を犠牲にしたんだとしても、ネリーのように哀しみを抱えていかなきゃいけない人がいる。そんなことが2度と起きないように、平和な世界を作りたい」
それは、フリオニールが仲間の犠牲という事実を受け止め乗り越えたからこそ持てた夢。
「でも…、あ、ゴメン、気を悪くしないで欲しいんだけど…」
オニオンが言い難そうに前置きする。
「構わないさ、言ってくれ」
「うん。…でも、ここでそうやって幻を見たっていうのはさ、フリオの中にまだ何か蟠りがあるってことなんじゃないかと思うんだ」
「その蟠りを消したら、それが本当に乗り越えた事になる、ってことか」
「推測だけど、ね」
オニオンが珍しく自信なさそうに言った。2年経っても生意気そうな言動は相変わらずだが、決して無神経ではないオニオンは、フリオニールの心の傷とも言うべき過去の出来事に言及することに躊躇いがあるのだろう。
「蟠り…」
フリオニールは考え込む。自身では乗り越えたと思っていた仲間の犠牲。
彼らに託された想いを受け止め、そしてその念願を果たして世界は平和になった。そして2度とあんなことが繰り返されないよう、生き残った人々が笑顔で日々を送れるよう、今もフリオニールは努力している。きっと、ヨーゼフも、それだけではない、あの旅の途中で散っていった、スコット王子やシドや、ミンウにリチャードたちも、今の世界を見て、そしてフリオニールの夢を知って、喜んでいるはずだ。
なのに、一体どんな蟠りがあるというのだろう。自身の心のことなのに、フリオニールには見当がつかない。
「言いたいこととか、ないのか?」
バッツがそう助言をくれる。
「言いたいこと…」
「…そういう時ってさ、大抵突然だったりするだろ?そんなことになるなんて考えてもなくて、だけど突然仲間がいなくなる」
そう言うバッツにも、同じような経験があるのかもしれない、とフリオニールは思った。バッツの眼に真剣で哀惜に満ちた色が浮かんでいたからだ。
彼らに言いたいこと。それはなんだろう。
皇帝を倒し、世界は平和になったこと?
彼らが愛した人達は皆、元気に暮らしていること?
そうじゃない。そんなことはきっと言わなくとも彼らには伝わっているはずだ。
そんなことではなくて、彼らに言えなくて、けれど1番言いたかったことは…。
「…ばかやろう」
無意識に、ポロリと言葉が出た。オニオンとバッツが訝しげにフリオニールを見る。
「格好つけて、後は頼むと勝手に言いたいことだけ言って、後に残された者がどんな想いをするのか解ってないわけじゃないだろうに、都合よく無視して。ふざけるなっ!」
段々とトーンの上がっていく声は、最後には怒鳴り声に近かった。普段そこまで声を荒げることをしないフリオニールには珍しいと言っていい。
「俺は、許さないからなっ!」
そうだ、こう言いたかった。勿論、彼らの犠牲で今の自分があるのは承知していて、感謝もしている。彼らの犠牲がなくては、皇帝を倒すことは為し得なかった。そう、自分を納得させていたけれど。
「自分の1番大切な人達を哀しませたお前たちを、英雄だなんて、思ってやらんからな!」
本当は、打倒皇帝の立役者と人々が賞賛してくれた自分などよりも、彼らの方が遥かに英雄と呼ぶに相応しいと思っているが、フリオニールは敢えてそう言った。
その時、フリオニールの前に出現したクリスタルが眩い光を放った。
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「なんでクリスタルが…」
突然のクリスタルの出現に驚く3人。しかし、眩く輝いているのは紛れもなくフリオニールのクリスタルだ。
「クリスタルは、僕たちの心の強さに影響される…」
オニオンが呟く。
「それって僕たちの心の動きにクリスタルが反応するってことだよね」
「じゃあ、これはフリオの心に反応してるってことか?」
「わかんないけど…。でも、フリオが無意識にずっと溜め込んでた想いを吐き出す事で、なんて言うんだろ、心の中が整理できたらその分、クリスタルも綺麗になるんじゃないかな」
「自分の心ん中を掃除すると、クリスタルも磨かれるってことか」
バッツの表現にオニオンが頷いた。2人の会話を聞きながら、フリオニールはその眩い光を食い入るように見つめている。
ずっと、尊い犠牲を払ってくれた仲間たちに対して、責めるような事を考えてはいけないと、無意識に思っていたのかもしれない。彼らの行動で哀しむ人達がいる、そんな人がもう2度と生まれないようにと夢を抱いたことで、乗り越えたつもりでいたけれど、それだけじゃいけなかったのだ。ちゃんと怒ってやるべきだったのだ。いつの間にか犠牲を払ってくれた彼らを神聖視していたのかもしれない。でもそうではないのだ。だって彼らは大切な仲間だ。ちゃんと自分の想いを伝えるべきだったのだ。たとえ、彼らの姿が見えなくても。
「俺は、お前たちのしたことを、そう簡単に許してはやらんからな。…いつか、お前たちに再び逢えた暁には、まず説教してやるから覚悟しとけよ。それから…」
光の向こうに、懐かしい仲間たちの姿が見える。彼らは「覚悟しておく」というように苦笑いしていた。たとえそれが自分の眼に映る幻だとしても構わない。きっと伝わっていると、何故か信じられるのだ。
「それから、それでもやっぱり、お前たちを仲間と呼べることを、誇りに思うよ」
まるでその言葉が合図だったかのように、クリスタルから一条の光が伸びた。光は矢のように真っ直ぐに暗闇へと突き刺さる。
パリン、とガラスが割れるような音を彼らは確かに聞いた。バラバラと暗闇の世界が崩れていくのが判る。
「フリオニール!バッツ!オニオン!」
暗闇の壁が崩れたそこでは、この異世界の仲間たちが驚いた様子でこちらを見ていた。
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クリスタルの光は真っ直ぐに、一見何もないただの空間に突き刺さり、やがて消える。
だが10人には漠然とその光こそが楔なのだと感じ取ることができた。
一体何が起こったのかと説明を求められ、起こった出来事と彼らの推測を仲間たちに話す3人。
「心の蟠りを解消することが楔を打つことに繋がる、か…」
「俺の場合はそうだった、というだけだから、全員が当て嵌まるのかは判らないぞ」
フリオニールの言葉に、全員が唸ってしまう。1つ目の楔が打てれば、具体的な行動指針も出来るかと思っていたのだが、どうもそうはいかないようだった。
「やっぱり、あちこち移動するしかないんスかね~?」
「それしかねぇよなぁ、やっぱり。…て、あれ?」
「どうした?ジタン」
何か疑問を感じたらしいジタンにクラウドが声を掛ける。と、ジタンはビシッとフリオニールを指差した。
「俺がどうかしたか?」
突然指差されて訳が判らないフリオニールが驚き気味に訊くと、ジタンが大きく頷く。
「てことは、フリオが1番乗りで勝ちってことだ」
「あ、ほんとだ」
「なんだよ、乗り気じゃない振りして勝ち掻っ攫うとかずるいっスよ」
「お前たちな…」
フリオニールが苦笑いしながら歩く後ろで、今度は俺が勝つ云々とまた賑やかな会話が始まる。
結局歩き回るしか打開策はないようだが、フリオニールの件でとりあえずは、楔を打つべき場所に出れば何かしら起こるのだろうという推測だけは立てられた。本当は競争も何も、ランダムに起こる空間変異で出た場所次第なのだから、全くの運でしか勝敗は決まらないのだが、そんなことはバッツたちも承知の上でじゃれているのだろう。
それからまた暫くは、無作為にあちこちを移動する日々が続いた。
その日、最初の空間変異でやってきたのは、広大な森だった。
「…ムーアの大森林だ」
そう言ったのはバッツで、一行は彼に案内されるまま、森の中心部までやってくる。
「エクスデスってさ、ここの木だったんだぜ」
バッツはそう言うと懐かしそうに辺りを見回した。
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「…で、なんでまたこうなっちゃうわけ?」
オニオンがうんざりしたように言う。
「運が悪かった…から、か、な…」
フリオニールがははは、と乾いた笑いを浮かべる。
「今度はおれの番ってことなのかなあ」
バッツは他人事のように呟く。
何処に光源があるのか判らない薄ぼんやりとした空間には憶えがある。フリオニールが楔を打った時と同じだ。…暗闇に取り残された面子まで。
「僕、しばらくはフリオとバッツには近づかないことにするよ」
オニオンが恨めしそうに言った。
ムーアの大森林を写し取った世界で、バッツが彼の世界の思い出を語っていると、突然火の手が上がったのだ。導火線を辿るように10人目掛けて迫った炎を左右に分かれ避けた結果、気づいたらバッツとフリオニールとオニオンは何だか見覚えのある暗闇に居たというわけだ。
「しかし今回はどうすればいいか何となく見当はついてるんだし、な?」
フリオニールが宥めるように言うと、オニオンの視線がバッツへと移る。
「いや、て言われても、おれの蟠りなんて別にないぜ?」
「ないと思っててもきっとあるんだよ。ていうか、なくても作って、さっさとこっから出してよ」
「オニオン、お前無茶ことを言うな…」
フリオニールが苦笑いする横で、バッツは懸命に考えこんでいる。
「俺のときみたいに…誰かに何か言いたかったこととか、ないのか?」
「うーん…」
あるといえばあるし、ないといえばない。かつて過ごした戦いの日々の記憶を思い返しながらバッツは首を捻った。
フリオニールと同じように、バッツにも、自分たちに後を託して逝ってしまった者たちがいる。けれど、フリオニールと違いバッツは、とっくに彼らの行動に対する怒りは言葉にしたし、消化もした。それに、ガラフにゼザにケルガー、彼らは道半ばにして斃れたというよりは、人生の終盤に於いて彼ら自身が自らの最期の在り方を選択した結果だという印象を持っていた。
「言いたい事……聞きたいこと?」
そうだ、自分が言いたいのではなく、聞きたい相手ならいた。
「おやじ…」
「え?」
フリオニールとオニオンが聞き返す。
「おれ、おやじに会いたいんだ」
バッツはそう言った。
98
バッツの物心がついた頃には既に頻繁に旅に出ていた父親。母親が亡くなってからは、バッツも一緒に旅してまわった。旅の心得も、野宿に必要な知識も、剣の扱いも、すべて父であるドルガンから教わったものだ。たった2人で世界中を長年に渡り旅するのだ、普通の家庭の父と息子よりも、遥かに多くのことを話したと思う。けれど、父が何故旅して廻るのか、教えてもらうことはなかった。何故旅をしようと思ったのかと訊いたことなら何度かあるけれど、父は具体的なことは何も答えてくれなかった。
父であるドルガンが、ガラフ達の仲間であり暁の4戦士と呼ばれる内の1人だったのだと聞いた時の驚きと言ったらなかった。
「おやじ、どう思ってたんだろうって、訊きたかったんだ」
世界を旅して廻れ、と言い残して死んだドルガンは、息子であるバッツに後を託すつもりでいたのだろう。しかしだったら何故、もっと具体的に教えてくれなかったのだろう。知っていたら、絶対に何かが出来たなどと己惚れるつもりはないが、もっと犠牲を少なくできた可能性も否定できない。火・水・風・土の4つのクリスタルがある意味を理解していれば、エクスデスの封印が解かれずに済ませられたかもしれない。そうすれば、命を落とさずに済んだ人たちがいる。
「なんで、言ってくれなかったんだよ?頼んだぞって、言ってくれたら、おれ…」
バッツは言う。いつの間にか、何もなかったはずの空間に父親の姿が見えているのだ。それはバッツの思い込みによる幻のようでいて、そうではない。絶対に、バッツが1番会いたいと思った相手はここにいる。何故だどうしてだと訊かれても答えられないが、ここはそういう空間なのだ、と感じる。
けれど、ドルガンは黙ったままだ。ただすまなそうにバッツを見るだけで言葉を発しようとはしない。
やはり、答えてはくれないのか。
本来の世界とは違う世界にエクスデスを封印したことに責任を感じ、自ら故郷に戻る道を諦め封印を見守ることを自らの責務とした父が何故、はっきりと自分に託すことなく逝ってしまったのか。
それはバッツの中でずっと燻っていた疑問だったのに。父の想いを自分はちゃんと受け止めてやれたのだろうかと、気になっていた。
「少しだけ、想像できる気がするよ」
オニオンが言う。
「俺もだ」
フリオニールも頷く。
フリオニールもオニオンも、孤児で実の親の顔を知らないが、血縁がないことなど感じないくらい彼らを慈しんでくれた養い親がいる。彼らの表情や眼差しを思い返したら、きっとバッツの父親だって同じだろうと想像できた。
「子供にさ、重荷を背負わせたくないって、親だったら皆思うんじゃないかな」
オニオンは育ての親であるトパパやニーナの顔を思い浮かべる。「わしらのことは気にせずに、お前の進みたいと思う道を選びなさい」と、そう言ってくれた育て親。
「バッツの親父さんも、複雑だったんじゃないか?」
フリオニールもそう言った。世界を思えば息子に後を託し責務を負わせるしかない。しかし1人の親として、自らの子供として生まれ着いてしまったが故に本人には何の責任もないはずの重荷を背負わせて子供の人生の選択幅を狭めてしまうのはあまりにも心苦しい。
2つの想いに揺れた結果が「世界を旅して廻れ」だったのだろう。何事もなければそのまま自由に生きて欲しいと、そう願っていたのではないか。
「そう…なのかな。おれは、おやじの想いを、ちゃんと受け止められたか?」
バッツの言葉に、暗闇に浮かんで見える父が顔を綻ばせた。
当たり前だ、バッツ。息子が己の残してしまった荷物を引継ぎ、果たせなかった大義を果たしてくれた。親としてこんなに嬉しいことはない。
ドルガンの声が、バッツの胸に響く。
「そっか。だったら、いいんだ」
穏やかな声でバッツがそう言ったとき、胸の前に現れたクリスタルが眩い輝きを放った。