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「私がイデアと出逢い結婚した頃から、私達の生活が激変したことは先程の話の通りです。私はなんとか彼女を助けられないものかと、魔女に関する情報を集めました。結果としてイデアを助けることは叶いませんでしたが、その過程で私は魔女という存在についての1つの仮説に辿り着いたんですよ」
シドは穏やかな口調でそう語り始めた。
「最初に話した始祖の魔女ハインの伝説を思い出して下さい。人間に負けそうになり、ハインは人に半身を渡した。けれど実はハインに残った半身の力の方が大きくハインは人々の前から姿を眩ましてしまった。では、ハインが人に渡した半身とは何なんでしょう?」
シドはぐるりと9人を見回す。その姿はまさに学園長だ。
「魔女の力…だろ?」
授業で指された生徒のように答えたのはジタン。
「そう、魔女の力です。ですが、魔女の力とは一体何を指すのでしょう?強大な魔力でしょうか。確かにそれもあるでしょう。でもそれだけではないんじゃないかと私は思ったんです。ハインは自分が眠っている間に増え続け力をつけた人間を滅ぼそうとして失敗しました。そして負けたハインは仕方なく人々に自らの半身を分け与えた。決して自発的でも好意でも善意でもありません。素直にただ強大な力を分け与えたとは思えないと思いませんか?ハインは人を憎々しいものだと思っていた。どうにかして人の世に禍の種を巻いてやろうと思った。ハインはただ力を分けようだなんて思わなかった。ハインが人間に分け与えた半身の力は、一見するととても魅力的な、けれど呪いに満ちたものだったんじゃないでしょうか」
「呪い…?」
ティナが鸚鵡返しに口にして首を傾げる。
「そうです。私はね、ハインが人に与えた半身の力は、魔力と、不老不死の力じゃないかと思ってるんですよ」
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「不老不死の力…」
シドは両手を組んだ姿勢で続ける。
「魔女は…ああ、ここで言う『魔女』というのは、イデアやリノア、アルティミシアまで含めた歴代の『ハインの半身の力を継承した女性』のことですが、魔女の力を持ったまま死ねない。これも先程の話にありましたね?しかしここで誤解しないで欲しいんですが、魔女は死なないのではなく、死ねないだけだ、ということです」
その言葉にクエッションマークが浮かんだ表情で唸ったのはティーダだ。
「どう違うんスか…?」
「魔女は不老不死の存在ではない、ということです。考えても見てください。歴史上、悪しき魔女がその力を振るった例はいくつもあるんです。魔女が不老不死ならば、今もずっとその支配が続いているはずでしょう。19年前封印されたアデルが後継者を探して女児誘拐を繰り返していた理由は?子供たちに負けたアルティミシアが瀕死の状態でイデアに力を継承したのは何故ですか?」
魔女が不老不死ならば、後継者を探す必要などない。自らが君臨し続ければいい話だ。アルティミシアにしても、不老不死であれば力の継承などせずに傷を癒せばいいではないか。
「答えは簡単です。彼女たちは元々ただの人で、人の体と寿命しか持っていないからです。勿論、魔女になることで一般人よりは強靭になることはできるでしょう。彼女たちの使う魔法は我々が使える疑似魔法などとは比べ物にならない威力を持ってますからね。けれど根本的なことは変わりません。魔女といえど老いるし、致命傷があれば死ぬのです。ただ問題なのは、魔女の力自体には不老不死…まあ、これも絶対ではありませんが、少なくともただの人から見たら不老不死に思えるだけの力がある、ということです」
人の体と寿命しか持たない彼女たちは老いと死という生命の摂理からは逃れられない。しかし不老不死の力を身に宿しているが故に、その力に新たな器を見つけてやるまで無理矢理に生命を繋がれるのだ。そう、あの時間圧縮世界を彷徨った末イデアの前に現れたアルティミシアのように。本来なら疾うに事切れているはずの体を引き摺って、力を継承するために痛みと苦しみを味わい続けることになる。
「呪いと言うに相応しいと思いませんか?」
シドが溜息をつきながら言った。
強大な魔力は一見魅力的だ。しかし、人に与えられたその力が結局この世界に何を齎しただろう。力に取り憑かれた魔女による支配は人々に恐怖を植え付け、その恐怖は罪のない魔女への迫害となり、迫害は魔女の世界への憎悪となって悪しき魔女を生み出す。どれが始まりとも終わりとも言えない悲劇の繰り返しだ。しかも、その元凶である魔女の力は衰えることも消え去ることもなく、そして1つの状態を永続させずに人々の間に継承を余儀なくして愚かな悲劇を繰り返させる。
それはまさしく始祖の魔女ハインの人に対する呪いだろう。
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「話を進めましょうか。ハインが世界に残した半身の力について考えた私は、次の疑問にぶつかりました。では、ハインに残った半身の力とは何なのだろう、とね」
人に与えた半身の力が魔力と不老不死の力だとすれば、ハインに残った半身の力とは何か。しかも伝承を信じるならばハインに残った力は人に渡した半身の力よりも強かったという。
「それはね、『器』なんじゃないかと思ったんです」
「器?」
「始祖の魔女ハインは不老不死だったと言われています。そしてハインはその魔力と不老不死の力を人に渡して呪いとした。何故不老不死の力が呪いとなり得たんでしょうか。それは、先程言ったように人の体がその力に対応しきれないからです。逆に言えば、ハインは不老不死の力に対応できる、身に宿る魔力を最大限発揮できる体…そのとてつもない大きな力を留めておける『器』を持っていたんじゃないでしょうか」
シドはそこで一息吐くと、どんな物事にも言えることですが、と続ける。
「汎用と専用では専用の方が明らかに効果が高いものです。例えば同じ楽器を鳴らしても、普通の部屋で鳴らすのと、専用の音楽ホールで鳴らすのでは音の響き方が違いますね。同じナイフを使っても、素人が使うのと戦闘訓練を受けた兵士が使うのでは、切れ味が違います。先程のジャンクションの話にしてもそうです。ジャンクション専用領域を持ったスコールと、他のSeeDでは同じG.F.をジャンクションしても威力が違う。同じことが、魔女の力にも言えるのではないかと私は考えたんですよ。そう考えれば、ハインに残った半身の力の方が大きかった、というのも頷けます。仮に魔力を均等に分けたとしても、本来『器』ではない人が揮う力と、『器』を持つハインが揮う力では差が出て当然だった…。魔女の力は、力そのものだけでなく、その力が宿る体…『器』の役割も大きいのです」
「器の役割、か…」
ハインが人の世に掛けた呪いも、魔女の力に見合った器がなければ真の威力を発揮できずに持て余すしかないことを見越して掛けたものだ。
「勿論、これらは全て私の推測でしかありませんが、この考え方でいけば、ハインの半身の力の継承者が女性限定であることも説明できます。男性よりも女性の方が力の器として適していた、もしくは男性の体には仮初の宿主になれるだけのキャパシティがなかった、ということでしょう。もし魔女の力が力そのものだけに意味があり、器である宿主の体の役割などないのだとしたら、男性の継承者がいてもおかしくないはずですからね」
「でも、スコールは魔女の力を継承したんでしょう?」
オニオンの疑問は尤もだ。その理由を解明するはずのシドの仮説だが、今まで聞いた時点では、スコールが魔女の力を継承できない理由にはなっても、継承できる理由にはなり得ない。
「そうです。大丈夫、ちゃんと説明しますよ。次の疑問に移りましょう」
オニオンに向かって頷いた後、シドは右手の人差し指を立てて次の話題を提示する。
「人に半身の力を渡して姿を眩ましたハインは、一体その後どうしたのでしょうか?」
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ハインは半身を人に分け与え、しかし実はハインに残った半身の方が力が大きく、ハインは人の手から逃れ姿を眩ました。伝承が残るのはそこまでで、それ以降のハインの動向を伝える話はない。
「どこかに隠れてるんじゃないのか?」
「姿を消してから千年以上の時が流れているのに?そんなにも長い間、しかも、技術文明が進歩し世界中人が行けない場所はなくなったどころか宇宙にまで出て行く技術を持ち、地下に通信ケーブルを張り巡らせている現代に於いてまで、世界のどこかに姿を隠している、というのはちょっと非現実的ですね」
「それもそうだよなぁ…」
フリオニールとバッツが顔を見合わせて唸る。なんだか授業を受けている気分だ。
「私の仮説はこうです。始祖の魔女ハインは、疾うの昔に死んでいる」
シドはそこで言葉を区切った。
「繰り返しになりますが、ハインは人に不老不死の力を渡しました。けれど、その力に耐え得る器を持たない人は、不老不死になることはなく、力の継承を余儀なくされた。逆にハインの場合はこういうことが起こります。ハインは不老不死になれる器を持っていた。しかし、その器を生かす力を人に渡してしまったが故に、ハインの命は有限になった」
「待って下さい。それでは、ハインは自分の死を覚悟してまで世界に呪いを掛けたということですか?」
セシルが驚いたように問う。それに対し、シドは「そうですね」とあっさり肯定した。
「話としては珍しいことではありません。寓話などにもよくあるでしょう?自分の命や魂を代償に悪魔と契約、といった類の話が。同じことですよ」
「そこまで人間が憎かったのかしら…」
「恐らく最も大きな理由は、ハインが人に負けたからです。魔女の力は人から見ればとてつもなく強大ですが、絶対ではありません。子供たちがアルティミシアを倒したように。19年前、レウァール大統領たちがクーデターを成功させアデルを封印したように、ね。ハインの力は私たちの知る魔女を遥かに凌駕するものだったはずですが、それでも魔女には持ち得ない力によって負けたんです」
「魔女には持ち得ない力?」
「数の力です。絶対的な数の優位は時に圧倒的な能力差をも覆すものなんですよ。当時の人々がどうやってハインを追い詰めたのかは判りませんが、数の優位性を常に保ち続けるよう知恵を絞ったはずです。魔女として完全な力を持っていた時ですら人に負けたハインは、魔力の半分を渡してしまえばリベンジを図ることが更に難しいことくらい解っていたでしょう。ならば、せめて人に安穏とした繁栄など与えてやるものかと呪いを掛けた…。数で負けたハインが、自分の眷属を作って対抗しようとした、という考え方もありますが、姿を隠して以降、2度と歴史に現れない、複数の魔女が手を組んだといった記録もないことから、ほぼ可能性はゼロだと思っていいでしょうね」
そう言ってシドは冷めたコーヒーを1口啜った。
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シドは「こんなにたくさん話すことなんて滅多にないから喉が乾きますねぇ」と言って笑った後、さて、と再び話に戻る姿勢になった。
「ハインが命を代償に呪いを掛けたと言っても、勿論すぐに死んだわけではありません。無限、もしくは無限に近い時間を与えられていた寿命が、先が見える程度の有限になった、人並みになったという話ですからね。ハインはその身を隠し寿命が尽きるその時まで生きたはずです。ではいったいどこで?どうやって?」
強大な魔力は保っていても、時と共に衰えていく体を抱え、それまでのように人の手が届かない場所で身を隠して生きるのは無理がある、とシドは言う。
「私はね、ハインは人の中に紛れたんだと思うんですよ」
「人の、中…?」
「少数ではあっても、ハインを支持…というより崇拝する人々がいたはずです。思い出して下さい。ハインは世界を創り人を創った始祖の魔女なんですよ?たまたまこの世界では『魔女』という呼び方になりましたが、まるっきり神と言っていい存在です。恐らくハインが人を創った当初、人々はハインを神として崇めていたことでしょう。ですが、ハインが長い眠りに就き、人口が増えていくに従いハインの存在は伝承の登場人物にしか過ぎなくなり、相対的にハインを崇める人々は少数派となってしまった…。宗教と言って差し支えないでしょう。ハインが目覚めた時、ハインは単なる1宗教の神にされてしまっていたのです。ハインにしてみれば怒り心頭といったところだったでしょうね。まあそれはさておき、有限の命となったハインは、自分を崇拝する一派に匿われ、彼らが形成する集落の中で敬われ、崇められて生きたんだと考えています。ハイン1人でどこか人の手の届かない場所で生きるよりも、そちらの方が合理的です」
自分を崇拝する人々に囲まれたハインの暮らしはそれこそ上げ膳据え膳だったはず、と付け加えたシドは、更に続ける。
「自分を崇め献身的に世話をする人々は、ハインの眼には非常に好ましく映ったと思います。世界の大多数の人に対する憎悪の分、余計に好ましく感じたでしょうね。何故ならその少数の人々こそが、本来ハインが創った『人』の姿なんですから。そしてハインは、世界に呪いとして半身を分けたのとは逆に、もう一方の半身を自分を崇める少数の人々に残してやろうと考えたんじゃないかと思うんですよ」
伝承を見る限り、元々ハインは自分が疲れたから代わりに働く人を創って自分は寝てしまえ、だとか、起きたら人が増えすぎていたから数の抑制の為に子供を殺してしまえ、だとか、非常に感情的・短絡的に考えるタイプだ。自分の思い通りにならない大多数の人間への憎しみと相俟って、自分が想定した本来人の在るべき姿を実践するその少数の人々に、大きく情を動かされるのは必至だっただろう。
そこまで説明したシドは「ではここで問題です」と9人を見回した。
「ハインに残った半身が、人に与えた半身…不老不死の力の対となる器だと言いましたが、その器とは具体的に言うと何でしょう?」
そう言うシドの表情はまるっきりクイズ番組の司会者のそれだ。残念ながら解答者である9人のうちクラウドとティーダを除く7人にはクイズ番組という物自体が解らないのでそんな連想をしようがないが、それでもシドが妙に愉しそうなのは見て取った。
ちなみに、「はいはい、オレ解るぜ~」と観客席からフライングで答えようとしたラグナは、有無を言わさずウォードの手で口を塞がれた。
「器ってそりゃ、体、だろ?」
ジタンが答えれば、「もっと具体的にですよ」とシドが返す。暫く首を捻っていた9人だが、やがてふと思い当たった、というようにクラウドが顔を上げた。
「血…血脈か」
「ほぼ正解ですね」
シドは軽く拍手するジェスチャーをすると、こう続ける。
「もっと具体的に言うならば、器とはハインの遺伝子…DNAです」
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バッツが口を開く。
「…いでんし?でぃーえぬえー?…って、何だ?」
最後の「何だ?」は顔を完全にクラウドに向けての問い掛けだ。
お前達、解らない言葉は何でもかんでも俺に訊けばいいと思ってるだろう。
クラウドが内心で溜息を吐いていることなど露知らず…恐らく知っていても気にしなかっただろうが、仲間8人の視線がクラウドに突き刺さる。
「DNAはデオキシリボ核酸の略で…ああ、化学的なことは訊くなよ、俺だって知らない。生物の遺伝情報を担う物質だ。遺伝子とも呼ばれている。正確にはDNAと遺伝子では微妙な定義の差があるらしいが、どんな差かなんて知らないし、今の仮説でも気にしなくていいんだろう?」
「そうですね。必要ありません」
「とにかく、細胞…と言って解るか?あらゆる生物を構成しているものだが、その中に含まれている、生物を構築する根本的な情報を持った因子のことだと思っておけばいい。親と顔が似たり、血縁者と同じ体質になったりするのはその遺伝情報の所為だ」
「おれ達もみんな持ってるってことか?」
「ああ。髪の色、肌の色、眼の色、そういうものも全部DNAが情報を持っていて、それで決まる」
クラウドの言葉に、いまいちビンときていない様子で自分の手や足を見ていた彼らだが、とりあえず納得したらしい。「で?」とシドに続きを促した。
「ハインは半身の力を自分を崇拝する人々に残してやることにした…。遺伝子を残す…つまりは子を生すということです。人々の中から最も優れた者を選んだのか、それとも、ロマンチックに考えるならば、有限の命となって情緒的にも人に近づいたハインが自らの周りで世話を焼いてくれる男性と恋に落ちたのかもしれません。どちらにせよ、ハインは身篭り、出産した…。恐らく、その血脈を絶やさぬよう、厳命したと思います。折角残した遺伝子が、途中で消滅しては意味がないですからね」
「どうして?」
「ハインの遺伝子は器だからです。器に湛える力がなくては意味がない。ハインが人に渡した半身…不老不死の力は、人から人へと継承されていくものです。継承を繰り返していく内に、いつかハインの遺伝子を持つ者に辿り着くまで、血脈を絶やしてはならない…。かといって、憎き人にその力が渡るのは避けたい。ハインはこう厳命したんじゃないでしょうか。決して血脈を絶やしてはならない。決してその血脈を外に出してはならない、とね」
そこまで言うと、シドは自分の胸のポケットから、幾重にも折り畳まれた古い紙を取り出した。
「ここまでの仮説を立てた私は、ではハインの遺伝子を持つ人々が暮らすのは何処なのだろうと考えました」
言いながら、丁寧に紙を広げる。それは結構な大きさの地図だった。
「私の推測では、それは、ガルバディア南部です」
そう言ってシドは、地図の中のガルバディア南部地域を指差した。
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その地図は随分使い込まれたものだった。あちこちに印とメモが書き込まれている。
「ハインの遺伝子を持つ人々が住む場所…。それを見つけられたら妻を救えるかもしれない。そう考えた私はその場所を特定することに夢中になりました。…結局、妻が姿を消すまでに特定することは叶わなかったんですがね」
1人で、しかも孤児院の運営やガーデンの設立準備などと並行しての作業ではなかなかスピードも上がらない。結局イデアを救うという目的は果たせなかったものの、シドはガーデン設立後も学園長としての仕事の傍ら情報の収集と解析、考察を進めたのだという。
「地図の印は魔女に関する記録や伝承が残っている場所です。印の色が青いものほど現代に近く、赤いものほど時代の古い伝承を表しています。だいたい100年単位、赤色の濃いものだと200年から300年単位くらいだと思ってください。魔女の名前が判っているものは名も書いてあります。時期と内容から考えて同じ事象を伝えていると思われるものには同じ番号を振ってあります。見てください。赤いものほど狭い範囲に集まっているでしょう」
言われてみれば確かに、赤色の濃い印は狭い範囲に集中し、青いものほど放射状に世界各地に広がっている。
「ハインが人に負けた頃、人々の多くが暮らしていたのは、この濃い赤色が集まっている地域、今のドールの西部辺りだったんでしょう。神聖ドール帝国があったことからも、この辺りが古くから栄えていたことが窺い知れます。人口の増加と共に人々は新たな土地へと移り住んでいき、魔女もまた世界各地へと散っていった…。現代にもアデルとイデアが同時期に存在したことからも、ハインの力を継承した女性は複数いたことは確実ですしね。番号や名前を見ると判りますが、青い印ほど広範囲に同じ記録が残っています。青い印の場所すべてに魔女がいたわけではなく、情報の伝達スピードが速くなってあちこちに記録が残っているんでしょう。しかしこのガルバディア南部地域を見てください。おかしいと思いませんか?」
シドが指差す場所に視線が集中する。ガルバディア南部の中でも特に小さな範囲が、ぽっかりと穴が開いたようだ。印がついていないわけではない。ただ他の地域に比べると。
「…濃い赤と濃い青の印ばっかりだね」
オニオンが指摘すると、シドはそうです、と頷いた。
「印は赤から青へと概ね放射状に広がっているのに、ここだけ中間の魔女の記録が殆どないんです。あるのはハインの頃の伝承か、近年のものばかりです」
それは、この地域に住む人々が部外者を殆ど受け入れずに生きてきた証拠だ。1つの血脈を、外へ流出させずに繋いでいこうと思えば集団を出て行く者を出さないのは勿論、部外者も出来る限り排除するしかない。近年の魔女の記録が残るのは、より広範囲に情報を配信するツールが出来た為と、長い時間を経て排他的に暮らす意味が見失われつつあったからだろう。
「この地域の中に、きっとハインを崇拝した人々の集落がある。私はそう確信し、そしてそれはここだと思ったんです」
シドの指がとある地名を指し示す。
「…ウィンヒル?」
「記録ではガルバディア建国以前からある古い村で、花の栽培生産が主な産業の小さな集落です。幹線道路からも外れた地域なので、今でもあまり人の出入りはありません」
「貴方が、ここだと思う理由は?」
「1つは、地形です」
「地形~?」
そんなものが理由になるのか、とティーダが目を丸くした。
「ウィンヒルはその名の通り、集落が小高い丘を中心に形成されています。丘というのは、古来から宗教都市になり易い場所です。丘の上に神殿や宗教的建造物を建てることが多い。人には崇める存在を高い所に祀る習性があるんですよ。山が神聖視されるのもその為です。勿論神殿などは山などにも建てられますが、その場合は集落を形成することはあまりないですね。人が住むには環境が厳しいですから。人々が生活し、尚且つ人々よりも高い位置に崇める存在の場所を作る。丘という地形はそれに適しています。このガルバディア南部地域はどちらかというと平坦な地形が多く、宗教的集落を作るに適した丘陵地帯はほぼここだけです」
そういえばガガゼト山は霊峰だったなあ、とか、クリスタルも高いとこに祀られていたっけ、など各々納得できるものがあったらしい。シドの説明に同意を示すと、シドは「それともう1つ」と言った。
「もう1つ、ウィンヒルがハインの末裔の集落だと考える根拠。それは、地名です」
「地名も理由になるのか?」
「場合によってはね。この地名をよく見てください。簡単なアナグラムですよ。アナグラムと呼ぶのも憚られるほどの」
「…アナグラムって、何?」
「文字の順番を入れ替えると別の意味が出てくる言葉遊びの1種だ」
「ふぅん…」
9人の視線が地図上の“Winhill”という文字に集まる。
「まず、ウィンヒルが丘という地理的特徴を指しているのは明白ですから、1単語になってしまっているスペルをこう分けられますね」
シドが地図の地名の横に“Win Hill”と書き入れた。
「うんうん、それで?」
「後は簡単な話です。頭文字を入れ替えてみます」
書いた文字の下に、頭文字を入れ替えて、シドが更に書き足す。
「これって…」
書き足された文字。それが意味するもの。
「“Hin Will”……ハインの意志、です」
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「ハインの意志…」
フリオニールが呟いた。
「念を押すようですが、今お話ししたことはすべて、私か立てた仮説に過ぎません。これが絶対に正しいとも言えません。このアナグラムにしても、私の邪推に過ぎない可能性だって勿論あります。ただ、この説で考えれば、スコールが魔女の力を継承できた理由も説明がつく、ということです」
「じゃあ、スコールはその、ハインの末裔ってことか?」
ジタンが確認すれば、シドはゆっくり頷いて見せる。
「この説に沿って考えれば、そういうことになりますね。人が魔女の力を継承するには、女性でないと適性がありませんでしたが、ハインの遺伝子を持っていれば、性別の問題はなくなる…。そして1つだけ確実なのは、スコールがウィンヒルの生まれである、ということです」
かつて、シドが魔女に関する記録を集める為に立ち寄ったウィンヒルで、幼いエルオーネと、生まれたばかりで母を失ったスコールに出逢い、石の家へと連れてきたのだという。ウィンヒルの住人たちは渋ったが、住人の平均年齢が高く、どの家にも幼い子供を引き取って育てられるような余裕がなかったので仕方なかったのだ。
「…今の話から考えると」
セシルが口元に手を当て慎重に言葉を紡ぎ出す。
「スコールは、昔分かたれた魔女の半身の力を両方持っていることになりますね」
「それって…」
ティナが不安げな顔でシドを見た。
「そうです。スコールは、始祖の魔女ハイン以来の、完全なる魔女の力を持っているのです」
完全なる魔女の力。その言葉が指し示すものは、歴代の魔女を遥かに凌駕する魔力と、そして。
「不老不死…ということか」
厳しい表情でライトが言った。
「…はい。人の寿命から見れば限りなくそれに近いのは確かです」
「本当の意味での不老不死ではない、と?」
「これも推測でしかありませんけれどね。元々ハインが本当に不老不死かどうかも立証しようがない話ですから。ただ、最初にハインの半身の力を継承した女性はそれなりの人数がいたはずなんです。そうでなければその力を巡ってすぐに争いが起こることは明白ですから、人々はハインに複数の女性に力を分け与えるよう強制したでしょう。この地図の印も、赤いものほど内容が重ならないものが多いんですよ。けれど、時代を下って青い印になると先程も言ったように広範囲に渡って重複する内容の割合が多くなってくる。ここから、世界に存在する魔女の数が減っていることが察せられます。現代に至っては、魔女はリノア1人になりました。リノアがイデアとアデル2人の力を継承したように、1人の女性が複数の魔女から力を継承した例も、長い歴史の中には存在したでしょうが、全部が全部そう考えるのは些か乱暴ですね。となると、どうして魔女の数が減っていったのか。それは、長い年月を経て、仮初の宿主の継承を繰り返す内に魔女の力が衰え消滅していった例もあるからではないかと思うんですよ」
「だが、それは人の場合だけ、ということも考えられるんじゃないか?」
「確かに。しかし、ポイントは、スコールは確かにハインの遺伝子を受け継いでいますが、それは人間との混血を何代も繰り返してきた後だ、ということです。つまり、スコールはどちらの半身の力も持っていますが、それは2つともそれぞれ形は違えど長い年月を掛けて人の中で継承を繰り返されてきた為にオリジナルに比べれば劣化が生じていると考えられます。先程完全なる魔女の力、と言いましたが、正確には、ハインの力には及ばないでしょう。それでもとてつもないことは疑いようがありませんが」
シドの説明に納得しかけた9人だが、その横からイデアが「それでも」と口を開いた。
「魔女の力はいつか衰え、あの子にも死が訪れる日はやってくるでしょう。けれど、それがただの人から見れば永遠にも等しく遠い未来なことは確かなのです」
自分は若く衰えないまま、周りの大切な人たちは皆老いて死んでいく。誰も、同じ時間の流れを共有できない。それは想像もできない孤独だ。
「それが、あの子が眠りに就いた理由の1つであり、私たちがあの子の目覚めを躊躇する理由です」
そうだ、あの魔女記念館で、眠る彼の前で、シドも言っていたではないか。
この世界が、スコールにとって決して優しいものではないことを、彼に痛みを強い続けることを自分達は知っているから、と。
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「スコールが目を醒ましたのは結局、事件から3日も経ってからだったわ。私たちは、スコールが魔女の力を継承していないことを願っていたけど…やっぱり、ダメだった」
キスティスが当時の様子を話し始める。
スコールも、当然自分の身に起きた現象は自覚していた。彼は取り乱した様子もなく、静かにシドの仮説を聴いていたという。その後の確認実験の際も淡々としていた。
「確認実験って?」
「本当にスコールが魔女…しかも、ハイン以来の強力な魔女の力を有しているか、不老不死に近しい存在になってしまったのか、確かめたの。まあ、比較実験でしかないけど」
魔力の強弱は、基礎的な魔法を放てばすぐに知れる。元々、魔女のみが使える本物の魔法と技術を習得すれば誰でも使える疑似魔法とでは威力に歴然とした差があったが、スコールが放つ魔法は更にその上をいく威力だった。ファイアを放てば疑似魔法のファイガ以上の炎が上がり、ケアルを使えば疑似魔法のケアルガ以上の回復効果があった。更にスコールは、疑似魔法のファイアやケアル程度にその威力を自分でコントロールすることもできた。
「それから、スコールの体の異常な回復力」
「それはどうやって確かめたんだ?」
その質問に、キスティスが信じられない、とでも言うように首を振って答える。
「わざと怪我をしたのよ。ナイフを握り締めてね。掌がザックリ」
「そんなこと…」
「誤解しないでほしいんだけど、私たちはそんなこと頼んでないわよ?不老不死の件については、推測だけで確かめようとも確かめられるとも私たちは思ってなかった…。だけど、スコールが自分で、ね。当然と言えば当然だったわ、不老不死の件を誰よりも確かめたかったのはスコール本人だもの。魔法を使わずに手当てして、普通なら全治2週間、傷痕も残るような怪我が、翌日には綺麗さっぱり跡形もなくなってたわ」
普通の人間とは比べ物にならないスピードで体内の新陳代謝が行われているのだろうと思われたが、実際のところはよく解らないという。不老不死という現象が魔女の力という科学とは別次元とも言うべきものによって引き起こされている以上、はっきりとした分析は不可能だったのだ。
スコールは魔女の力を継承した。それが確定的となり、バラムガーデンは慎重に対応を検討することとなった。とりあえずその事実を知っているのはクレイマー夫妻とキスティス、ゼル、保健医であるカドワキ、そしてリノアの6名のみ。同じバラムガーデン内にはいても名目上軟禁状態にあるサイファーにも知らせなかったし、その頃既にトラビアガーデンへ転校していたセルフィやガルバディアガーデンに戻っていたアーヴァインにも連絡はしなかったのだという。サイファーと同じく軟禁されているはずのイデアが知らされていたのは、事が魔女に関する事象だったからだ。人生の大部分を魔女として過ごしてきたイデアは魔女を知る上で貴重な存在だった。
「万が一通信が傍受でもされていて情報が洩れたら大変だし、かといって、事件があってすぐに共に戦った仲間を呼び寄せたりしたら、何か由々しき事態が起こっていますと勘繰って下さいと言ってるようなものでしょ」
真実を知る6名はこの件に関して絶対に情報を洩らさないことを誓い、当面表向きは今までと変わらずに過ごすことに決めた。
幸い魔女の力の継承は傍目で判るものではないし、スコールが魔力をコントロールできることも大きい。それに伝説のSeeDたるスコールが直接戦闘に参加するほどの事態はそうそう起こるものではなく、当分はそれで誤魔化せるはずだった。スコールがガーデンを卒業するまでに、何か具体的な策を考えようという話になったのだ。
「『魔女を抑えられる伝説のSeeD』への信頼でとりあえず安定している世界情勢だもの。伝説のSeeDが魔女、しかもハインの再来とも言える完全な魔女の力を得たなんて知られたら、世間は恐慌状態になる。…それだけじゃない、スコールに、畏怖や敵意、害意が集中してしまうことになる。それはどうしても回避したかったの」
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偽らざる正直な気持ちを白状すれば、彼らは…特にキスティス、ゼル、リノアは世界情勢がどうなろうと構わなかった。ただ、スコールにこれ以上重い枷を背負わせたくないだけだった。スコールはもう充分重いものを背負ってくれている。これ以上の世間の勝手な感情の波に、スコールを晒したくない。彼に与えられた長い時間をどうにかする方法は皆目見当もつかないけれど、無責任な世界の敵意から彼を護ることはできるはず。
「だけど、そうはならなかった…」
「アイツが魔女の力を持ってて、魔女記念館に封印されてるって、今じゃ世界中が知ってんだ」
「どうして!?」
どこから、誰が情報を洩らしたのか。スコールの周囲の誰かが、彼を裏切り陥れたのかと、9人は気色ばんだが、彼らは黙って首を振った。シドが困ったような笑みを浮かべて言う。
「スコールなんです」
「え?」
「魔女記念館でお話ししましたね。スコールは自らの意思で眠りに就いた、と。止めなかったのかと君たちは訊いた。止められなかったと私は答えました。スコールは、私たちに知られないよう秘密裏に、オダイン博士に直接コンタクトして封印…永続的コールドスリープの手筈を整えたんです。それだけじゃない。マスコミにも情報を流した…。わざわざ彼らの前で、その凄まじい魔力の一端を披露して見せました」
当然、世間は騒然となった。魔女に対する切り札であるはずの伝説のSeeDが、その魔女の力を継承した。それは、世界に比類ない、誰1人として太刀打ちできない絶対の存在が誕生したことに他ならない。
「その上でスコールは、自身が魔女記念館に封印されるところを、全世界に中継配信させたのです」
シドたちにはもう止められないところまで一気に事態は進んだのだ。世界中が騒然となりスコールの動向を固唾を呑んで見守っている状況で、スコールを無理にでも止めればバラムガーデンは世界から攻撃されることになっただろう。いや、それでも彼らは構わないと思ったのだ。けれど、そんな事態に陥ればスコールが矢面に立って彼らを守ることは簡単に予想できた。彼の力があればそれは造作もないことだが、結局それはスコールに対する畏怖を更に煽り、スコールにとってこの世界は針の筵でしかなくなるだろう。
「私たちは、あの子が眠りに就くのを見守ることしかできなかった…」
恐らく、当時そうやって見ていることしかできなかった彼らこそ、最も遣り切れない想いを抱えているのだろう。
「しかし、なんでスコールは自分からそんな真似をしたんだ…?」
フリオニールの疑問の答えは、新たな声で返された。
「それは、わたしの為なんだ」
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全員の視線が一斉に声のした方向…隣りの部屋への扉に向けられる。そこにはリノアと、もう1人の女性…あれが噂のスコールの「お姉ちゃん」エルオーネだろう…が立っていた。
「おハロー、みんな久し振りだね~」
リノアが仲間たちに向かって手を振る。セルフィがすぐに駆け寄った。
「2人とも、もう平気なん?」
「うん、ちょっと頑張り過ぎて疲れただけだから」
「何したんよ?」
「ん、それは後で説明するよ」
リノアはそう言うと、笑顔で9人のところまでやってきた。口許に人差し指を当て、しばらく考え込んだ後、徐にライトを指差す。
「…ライト、さん?」
「…?ああ、そうだが」
「やっぱり!スコールが言ってた通り!ええっと、じゃあ・・・あなたがティナさん。それと、オニオンくん?それから…ジタンくんと…バッツさん。セシルさんにフリオニールさんとティーダくん、クラウドさん!」
リノアは9人の名を次々と言い当てていった。彼女の科白から察するに、スコールから異世界の仲間について話を聞いていたのだろう。
「はんちょ、うちらには殆ど教えてくれへんかったのに~」
「まあまあ。リノアに聴かせてって強請られてスコールが断るわけないよ」
セルフィとアーヴァインの会話から、スコールがリノアに対しては甘かったのだと知る。「あいつそんなキャラだったっけ?」と彼らは内心で思いつつ、口では別の言葉を投げかけた。
「よく判ったなぁ」
「話を聞いた時はよく解らなかったんだけど…。スコールが見れば判るって言ってた意味が解った!」
ホントに見れば判るんだね!と嬉しそうなリノアに、あいつは一体何を言ったんだろう、という疑問が首を擡げる。代表して口を開いたのはセシルだ。
「彼は、なんて言ってたんだい?」
「セシルさんは…『白くて、ふわふわしてる』かな」
「くくくっ!な、なんか解る、かも…!はいはい!他は?他はなんて言ってた?」
ジタンが笑いを堪えながら先を促す。リノアも素直に教えてくれた。
「…『しっぽ。イメージは小猿』『落ち着きがない。童顔』『紅一点。ふかふか』『ティナの隣りにいる子供』『純朴な田舎者みたいなイメージ』『日焼け。痛んだ金髪』『ツンツン頭。…チョコボ』…」
「スコールひでぇっ!!」
他人の評価は的を射ていて非常に面白いのだが、自分に対するあまりの言葉に「アイツ、とりあえず1回シメる」と思った彼らに罪はない。だが妙に殺気立った空気は次のリノアの言葉で消し飛んだ。
「それから…『眩しい奴』」
「…!!」
爆笑している8人(珍しくクラウドまではっきり笑っている)と憮然としている1人。
「ス、スコール、アイツ無口無表情な癖して、裏じゃそんな面白いこと考えてたんだな…」
笑い過ぎて腹が痛ぇ、とヒィヒィ言いながらジタンが言えば、言葉もなくコクコクと頷く仲間たち。
「あの、スコールはちゃんと言ってました。ライトさんはいつも迷わなくて強くて何があっても動じずに皆を導いてくれるリーダーで、フリオニールさんは大きな夢を持っててそれに向かって真っ直ぐ進んでいける人だって」
リノアの言葉に笑いを止めて彼らは彼女を見た。
「オニオンくんはまだ子供なのに凄くしっかりしてて頭もいいし、セシルさんは優しいけど弱いわけじゃない芯のしっかりしてる人。バッツさんは子供みたいに屈託がなくてどんな厳しい出来事も前向きに受け止められる人だし、ティナさんは辛いことや悲しいことを1つ1つ乗り越えて強くなろうと一生懸命な人」
それは、無口なスコールが決して本人たちには語らなかった仲間への想いだ。
「クラウドさんは迷って悩んでも答えを出すことを諦めないし、ジタンくんは誰かの為に躊躇うことなく行動できる人。ティーダくんはいつも皆を明るく励ましてくれる強い人だって」
リノアはこの話をしてくれた時のスコールの表情を思い出す。
照れくさそうに話してくれたけれど、その表情は誇らしげだった。「素敵な人たちなんだね」と言ったリノアに、彼は時々見せてくれるようになった穏やかな微笑みで頷いてこう言った。
「『出逢えてよかった、大切な仲間だ』って」
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その言葉に、口数が少なくあまり自分の心の内を口にしなかったスコールの、確かな想いを感じ取って9人は黙った。
ややあって、口を開いたのはライトだ。
「先程君は…」
それはリノアに向けられた言葉だった。
「はい?」
「先程君は、スコールがわざわざ自分が魔女の力を継承したことを世界に知らしめて眠りに就いたのは、自分の為だと言っていたが」
「ああ、えっと、わたしの為、は、ちょっと調子に乗って言ってみました~ってカンジなんですけど。わたしたちの為、って言うのが正しいのかな」
リノアが「己惚れましたスミマセン」と冗談めかして言うのを、サイファーが遮った。
「違ぇよ」
全員の視線が今度はサイファーに向けられたが、サイファーはそれを気にした様子もなく、真っ直ぐリノアを見て言葉を続ける。
「スコールのヤツがあんな真似したのは、間違いなくお前の為だ。オレやイデアのことは、ついでに過ぎねぇ。あの馬鹿は、ただお前を自由にしてやりたかったんだよ」
「サイファー…」
シド達はスコールが魔女の力を継承したことを最重要機密事項とし、表向きはそれまでと変わらない状態を維持することに決めた。それはつまり、魔女の力を失ったリノアが、魔女として生活を続けるということだ。自由に行動することも儘ならず、不当に命を狙われる日々を送らねばならないということに他ならない。
スコールが魔女の力を継承したことを公表するということは、即ちリノアが一般人へと戻ったことを、どこへ行こうと何をしようと誰に気兼ねすることない自由と、謂れのない害意に怯える必要のない安全を手に入れたことを世間に知らしめることでもあったのだ。
たった1人でいつまで続くのか判らない長い時間を生きることに絶望を感じてもいたはずだ。けれど、スコールがあんな間髪入れずに行動を起こしたのは、やはりリノアの為だったのだろう。スコールが早く事実を公表すれば、その分リノアが狙われる危険が減るのだから。
「うん…ありがと」
リノアがこくりと頷いた。
サイファーは「ついで」だと言ったが、スコールは自身が人身御供のように眠りに就く代わりに、彼の力を誇示することで出来る事は躊躇せずに行っていった。イデアとサイファーについて、恩赦を要求したのだ。おかげで、現在イデアもサイファーも、バラムガーデンでの軟禁を解かれている。イデアはガーデンの創立者にして学園長の妻なので、恩赦後も変わらずバラムガーデンで生活しているが、サイファーは恩赦後、正式にガーデンを退学し、フィッシャーマンズ・ホライズンに一応の生活ベースを置いていた。尤も、当然のようにサイファーについていった風神と雷神に留守を任せてあちこち放浪していることも多い。恩赦されたとはいえ、個人的に彼を恨み命を狙う者もいるが、サイファー程の力があれば、自分1人の身を守るくらいならば問題なかった。
命を脅かされる危険もなくなって自由を取り戻したリノアは、ティンバーに戻って独立に向けてのガルバディアとのパイプ役となり、ほんの2ヶ月ほど前に、ティンバーは正式にガルバディアからの領土返還を受けて独立を果たしたところだった。
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「私達からお話しすることは以上です」
シドがそう言った。そしてその視線がリノアとエルオーネに向けられる。
「それで、君たちは一体を何をしていたんですか?彼らがここに来たことと関係があるんじゃないですか?」
そうだ、そんなに疲れ果てる程の何を2人でしていたのか。
9人は思い出した。彼らを異世界からこの世界へと導いた白い羽根。元々、それに心当たりがあるからリノアに連絡を、という話だったのだ。
「私はリノアに頼まれて、接続してたの。普通の接続より難しくて凄く集中力が要ったからちょっと疲れちゃって」
エルオーネがそう答えると、「接続って誰にだ?」とゼルが訊いた。
「2年前のスコール」
「スコール~?」
「そう」
接続先であるスコールが現在コールドスリープで仮死状態にある為、普通の接続よりも難しかったのだという。しかも、目的はスコールの意識を知ることではなかったから余計に。
話はこうだ。
2ヶ月前、ティンバーが独立を果たしてから、それまで忙しく動いていたリノアにぽっかり時間ができた。スコールが眠りに就いてから約1年半。ティンバー独立へ向けてのガルバディアとの交渉に没頭することで深く考えないようにしていた事が再び頭を占めるようになった。つまり、スコールを、ずっとこのままにしていていいのだろうか、と。
リノア自身の気持ちでいえば、スコールに目覚めて欲しい。スコールの声を聴きたいし、スコールの体温を感じたい。けれど、スコールにとって目覚めることはただ傷つくことではないのだろうかという不安は拭えない。世界中がスコールのことを知っているのだ。ただ存在するだけで畏怖の視線で見られることを想像すればスコールの選択は理解できる。かつて自分も同じように封印されることを選んだリノアだからこそ、スコールの気持ちは誰よりも理解できるのだ。自分のときは、他でもないスコールが助け出してくれた。「魔女でもいい」と言って抱き締めてくれた。リノアだってそう思っている。スコールがそこに居てくれれば、スコールが魔女の力を持っていたって何の問題もない。しかし、自分のときと決定的に違うのは、スコールが持つのは完全な魔女の力で、彼には途方もなく永い時間が与えられてしまっているということだった。
どんなに想っても、自分はスコールを置いて逝かなくてはいけない。老いていく自分の姿を見て、若いままのスコールに時間の流れの違いをこれでもかと思い知らせてしまうことになる。そしてスコールをたった1人で世界に残していかなくてはならないのだ。彼の力に勝手に怯えて悪意を振りまく世界に、あの寂しがり屋で繊細なスコールをたった1人で!
それを考えたら、スコールを目覚めさせることにはどうしても躊躇してしまう。でも、本当にこのままでいいの?とリノアの中で疑問符は消えない。
「でもね、思いついたの」
スコールが話してくれた異世界の存在。スコールが時間圧縮世界を彷徨ったまま終わったはずだろうこの世界の歴史を捻じ曲げてくれた異次元の力。
スコールと同じ世界に生きるリノアには導き出せない解決策を、違う世界の人たちならば導き出せるのではないか、と。
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ほんの僅かでも、現状を打破できる可能性があるならそれに賭けたい。
スコールが「出逢えてよかった」と言ったその人たちに、どうにかしてここに来て欲しい。リノアはその為に行動することにした。元々、思い立ったら即行動するのがリノアだ。彼女はすぐにエスタのエルオーネのところまで行き、協力を仰いだのだった。
「びっくりしたわ。リノアったら、私のとこに来て、いきなり『2年前のスコールのところに繋いで!』なんだもの。久しぶり、って挨拶もなかったんだから」
エルオーネが笑って言うと、リノアが「ごめんね」と笑う。その姿は微笑ましい姉妹のようだ。
エルオーネに事情を話すと、リノアはエスタの高速移動艇を借り(そう簡単に借りられるものではないのだが、そこはコネを有効活用した)サイファーを強引に引っ張りだして石の家へと向かった。
「接続するだけならどこでもよかったんじゃないのかい?」
アーヴァインが疑問を挟むが、リノアは首を振る。
「スコールの意識を知りたくて接続するんじゃないもん。異世界に接続したかったの。2年前のスコールしか異世界に繋がる瞬間を知らないからスコールを通していっただけ。あの時スコールが帰ってきてくれた場所の方が繋がり易いと思ったんだ」
エルオーネの力でリノアの意識は2年前のスコールに接続された。スコールが現在仮死状態な上、接続しようとしているのは時間圧縮世界を彷徨っている最中だったため、この接続は相当梃子摺った。エルオーネ曰く「ゆらゆら不規則に揺れてる半透明のビン目掛けてコインを投げ入れるようなもの」だったという。
通常の接続に比べるとかなりの時間を掛けてなんとか2年前のスコールに接続できた後は、今度はリノアが限界まで集中力を高める番だった。スコールの意識から、異世界の力が干渉してくる瞬間を見逃さず、意識を異世界へと繋げたのだ。
「よくそんなことできたな」
「だってわたし、元魔女だし」
魔女の力を身に宿していた名残で、リノアには僅かながらではあるが純粋な魔力があった。魔法を放てるほどの力ではないが、その力を掻き集めて意識を異世界に繋ぎ続けたのだという。アルティミシアが時間圧縮魔法を発動したことからも、魔女の魔力には時空間に影響を及ぼせる力があるのか、若しくは、錯綜する時間と空間の中で自身の存在を保っていられるだけの力があるのだろう。
「だからもう、今は空っぽになっちゃったよ」
正真正銘極々フツーの一般人でーす、とリノアは笑い、話を続けた。時間圧縮世界を経由して意識を繋いでいた所為か、はたまた過去への接続から更に異世界への接続というイチかバチかのイレギュラーな大技を使っていた所為か、異世界の様子は殆ど見えなかったという。
「暗闇の中で感覚だけ追ってるので精一杯だったの。時間と空間がぐにゃぐにゃってなってるのは感じるんだけど、そこから弾き飛ばされないように必死にしがみついてるカンジ。折角だからスコールがどんなだったのか見たかったのに~」
心底口惜しそうに言ったリノアを見て、9人はなんとなく、天真爛漫な彼女にスコールは振り回されていたんだろうな、と想像がついた。
「それで、何にも見えないし聞こえないし、時間は進んでるのか戻ってるのか判らないし、場所も同じところにいるのかあちこち移動してるのか判らないし、わたしは元魔女ってだけでそんなに凄い力があるわけでもないから、いつまでもずっとその状態でいられないし、しかもちょっとだけ残ってた力もこの1回で使い切りそうだし、ていうことはもう2度とこんな接続はできないってことだし、どうしよう~!?って凄く焦ったの」
スコールに知られたら絶対怒られるね、とリノアがこの世界の仲間たちに向かって付け足した科白は、間違いない、と深い頷きで返される。
「だけど、その時、ようやくちっちゃな光を感じたんだ」